世界樹の迷宮 光求めし者達   作:鞍馬山のカブトムシ

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二六話.短い余暇

 早速、ヴァンを執政院に連れて、必要なことをまとめてやることにした。

 エクゥウス避難民の保護。エトリアは永住先ではなく一時的に受け入れる。経済的にも人数的にも安定次第、エトリアに恩を返し、今後自由な民として生きる代わり、他国にはエトリアの友として一切の脅威を与えない事を約束させる等々、書類の細かな取り決めは殆ど覚えた。

 今回の項目にも一応、貧困で苦しむ親類縁者を冒険者などの一時的在住者が生活を安定させるまで呼び寄せた形式を取り、エドワードが身元引受人に名前と世界樹の迷宮に生息する像の怪物から採取した象牙製の印鑑、書類を持ち、執政院が用意したインク壺とペンを使い、承認にサイン。フェドラの夫ヴァンにもサインを書いてもらい、最後は役人が吟味する。役人はヴァンの文字の歪さに眉をひそめたものの、何も言わずに判を押して終わり。これにて、ウォル一家は一時的にだが、エトリア人の扱いとされた。

 ついでに、レンとツスクルから伝えられた他国にいる者たちの受け入れも認可された。

 お次はヴァンによる、盗賊襲撃時の証言。エドワードの他、オルレス。市民代表の裁判官の男性と書記一名が立ち会う。

 ヴァンは怒りと悔しさを滲ませた表情で語りだした。

 ヴァンたちはエピザの国境沿いに差し掛かった時、五人の盗賊に襲われた。彼らは偉大なる義賊の末裔であり、いずれはこの世を統べるエトゥの世直し助力の為、金品を献納しろとほざいた。ヴァンは仕方なく、母が遺した宝石と金が入った袋を差し出そうとしたら、これでは全然足りないふざけるなと五人は叫び、目をぎらぎらと輝かせて女子供も差し出せと要求した。

 当然、これにはヴァンと母であるエウドラができないと突っぱねたら、凶悪な笑みを浮かべて、剣と槍を一斉に向け、二人を殺そうとした。そこへ、レンが颯爽と現れて、前方にいた二人を瞬く間に鞘で叩きつけて、怒って切りかかろうとした一人の腕を軽く斬りつけた。残る三人はぴくりとも動かず、恐怖で顔を歪ませて、全身を震わせていた。こそこそと、木の陰からツスクルが現れた。裏から呪術をかけていたのだ。

 レンは五人を睥睨すると、「散れ。さもなくば容赦せん」と言った。

 ぶたれた一人でリーダー格と思しき男がわかったと頷いたら、三人は糸が切れた人形のようにがくりと膝を付いた。

 レンはさあ、急ごうとヴァンたちを促し、ヴァンたちも急いだ。腕を斬られた盗賊の一人がやりすぎだぜと唾を吐きかけ、もう一人は黒い翼と馬乗り共でてめえらを踏み砕いてやると吠えたが、相手にはせず、早々と立ち去った。

 

「正直、証言がどうのとか、他の国へ警告するとかそんなのは考えていられませんでした。一刻も早く、エトリア領内に行こうという思いで一杯でした」

「君と同じ立場なら、私でもそんな悠長に考えられていなかった。気にすることはない」オルレスはヴァンを否定しなかった。

 

 ヴァンも深刻であったが、立ち会う四人の内情はヴァン以上に深刻であった。

 最近、エトリアから歩いて一ヶ月離れた国が襲われて、一つの村が壊滅した。しかし、ヴァンたちがエトリアに到着したその日より十日前、五人のエトゥの配下と名乗る盗賊に襲われた。単なる虎の威を借りた可能性もありうるが、十日程度で行ける距離にまで、エトリアやその他多くの国々にとって脅威となりうる者たちの存在が迫ったことになる。こと、エドワードには馬乗り共という単語が耳に痛かった。

 遠く離れて暮らすカルッバス。馬だけでなく、時に船も乗る彼らだから、海を隔てた所に子孫を残せて滅亡を避けられた。何にも縛られず、時に留まり、好きに世界を移動する彼らだが、エトゥに目を付けられて、大切な馬ばかりか一族の者たちを兵士として供給しているまことしやかな噂があった。

 エトリアにいる、大分前までカルッバスで暮らしていた者の話が確かならば、部族の本体と増えすぎて別れた一団の者たちを掻き集め、男だけではなく女も加えれば、推定四千から五千騎余りの戦力となる。そんなのが全て、エトゥなる世直しどころか世を乱すだけの悪党に協力しているのは、脅威以外の何者でもないし、エドワードなどには悲しいことでしかない。

 黒い翼も気になる。太陽を覆い隠し、人々に絶望を与えた存在。ワイヴァーンと言われているが、モリビトとの戦いで巨大怪鳥イワオロペネレプの存在を知った今、翼竜ではなく鳥かもしれないし、本当の悪魔も十分ありうる。そもそも、エトゥ自体男だという以外わかっておらず、突拍子もない話にもなれば、正体は人間の皮を被った異世界の怪物だとか、実は強大な力を秘めたカースメーカーなど、噂が噂を呼び、公には姿を見せない大悪人に対する畏怖と恐怖を余計に掻き立てていた。

 オルレスはヴァンにありがとうといい、ドアを四回ノックし、見張りに立つ衛兵に客が帰る旨を伝えた。エドワードとヴァンは解放された。

 塞ぎ込むオルレスに、エドワードは一声かけた。

 

「今の俺が言えた立場ではないが、まだ終わった訳ではないだろう」

「そうではない。それもあるが、そうではないんだエドワード君。私はただ、あまりにも引っかかる点があって、必死に頭でそのことを整理整頓。理路整然にまとめているのだ。君は気にならないかね」

「もちろん、気になる。カルッバス。彼らは盗賊の手下に身をやつしたか、そうではないのか」

 

 オルレスはうんと首を捻った。どうやら、求めていた答えとは違うらしい。オルレスはヴァンと衛兵に、少し部屋から離れているよう言った。二人は大人しく従った。

 

「私もまだ、何とも言えない。ただ、これだけは言っておこう。レンとツスクルには目を光らせておいてくれ」

「あんたといい、ギルド長といい、何をそこまで二人を疑う?」

 オルレスは答えず、目を逸した。やがて、ふうと息を吹いたら、面を上げた。

「君の家族はともかく、君の家族を助けた二人はあまりにも得体が知れなさすぎる。自分でも過剰に反応していると自覚しているが、時期が時期だからね。ただ、私の言ったことは一応、せめて頭の片隅ぐらいにでも置いてくれ」

 

 エドワードは承知したと頷いた。気持ちは解らないこともないが、見も知らぬ他人を数に勝る相手に挑んだ二人を疑う気にはあまりなれなかった。とはいえ、自身で引っかかる点があるのも否定できない。一応、オルレスの助言どおり、頭の片隅には置いておこう。

 

「それと。明後日、配達の仕事を頼まれてくれないかね? 君のするべき事のためにも」

「ああ、わかった」

 

 エドワードは部屋から出て、立ちすくむヴァンと連れて、階段を降りた。ヴァンは特に聞いてこなかった。聞かないほうがいい気がしたからだ。

 大理石をふんだんに使った執政院ラーダの幾つもの受付窓口がある階下まで来た時、なんと執政院ラーダ長ヴィズルがいた。長い髪と長く蓄えられた髭が特徴であり、うだつの上がらない身寄りの無い靴職人にしか過ぎなかったが、今や立派に国を治める長である。

 齢六十になるが衰えはみえず、壮健であり、遠くを見つめている瞳が印象的。ヴィズルは二人の方を見た。エドワードとヴァンは身を固めた。相手が権力者であるのも理由だが、エドワードにはヴァンとは別の訳があった。ヴィズルが冒険者を見た時の眼には、得体の知れない圧迫感が一瞬、度々感じられた。

 ヴィズルは二人に歩み寄り、一礼した。

 

「どうも、ウォル・エドワード。お元気そうでなにより。そして、ヴァンと申しましたな。代表としてあなたとあなた方一家の来訪を歓迎致します」

 

 思わぬ言葉に二人は面食らい、ヴァンはいえいえ、どうもどうもとたじたじしていた。ヴィズルはエドワードを見て、にこりと微笑み、一歩近寄り耳打ちした。「首尾はどうだ?」エドワードは答えず一歩下がり、ゲンエモンに教えられたとおりの目上に対する挨拶を返し、そそくさと執政院ラーダを後にした。

 執政院を出たら、ヴァンは半ば興奮した様子で喋った。

 

「驚きましたよ! 一介の国の権力者があんな風に頭を下げて、話しかけてくれるなんて」

「一応、あの人は市民代表であって、国王ではない。制度に関しちゃにためんはあるが、違うといえば違う」

 

 エドワードは周囲を見渡した。怪しそうな奴はいない。エドワードの態度をいぶかしみ、遂にヴァンは聞いてみた。

 

「オルレスさんといい、ラーダ長といい、何をこそこそされているのですか。これから、家族になるのに」

 エドワードは首を振った。「すまんな、ヴァン。今は言えん。一つ言えるのは、俺がするべきことはエクゥウスの復興以外にも、やるべき事が増えてしまったとしか言えん。後は言いたくない。君と家族の為にも」

 

 言えないではなく言いたくないと言われて、不満を露にヴァンは口をむっと閉ざした。そう、大きな事をやろうとすれば、付随して他にもやるべきことが増えるとゲンエモンは教えてくれた。ゲンエモンの言った通り、正にその状況ではあるが投げ出す訳にはいかない。これも、父や亡き者たちの想い、自らの大願を果たす為に必要な物として背負う覚悟はできた。

 エドワードは話題を変えて、家はどうすると聞いた。ヴァンはゲルを造ると答えた。

 

「ゲルのことは父から聞いていました。住んだことはありませんが、彼女と共にならどんな場所でもいいでもですよ」

「おいおい、ゲルをなんだと思っている。そんな住みにくそうな物言いは納得できんな。よし、決めた! 甥の祝いも兼ねて、私が迷宮から材料となる物を取って来よう。全ては無理だから、木材はいくばくか君が調達しておいてくれ。つてと金はなんとかするから。金は返さなくていい。これは、私の家族への贈り物だからだ。馬と羊、牛など家畜も用意しよう」

「エドワード……兄さん。ありがとうございます」

 

 ヴァンは先ほどの置いてけぼり感は忘れて、心からエドワードの申し出に感謝を述べた。

 エドワードは長鳴鶏の館に待ち、帰ってきたメンバー五人に家族のゲル造りのため、迷宮から資材調達するのを協力してくれと頼んだ。五人はあっさりと引き受けた。ゲル以外にも、誰彼の建築や服飾品作りのため、迷宮から資材を調達するのは始めてではない。ましてや、リーダーであり、仲間である彼の心意からの頼みとあらば、断れるはずもない。

 

「実は二つ作ろうかと考えている」

 

 ちょっと待てとコルトンが手を挙げた。

 

「他に誰の為に作ろうというのだ」

「もちろん、俺たちの分もだ。前から考えていた」

「それは、無理じゃない」とアクリヴィ。

「確か約束では、あくまでエクゥウスとカルッバスなる者たちのみ、例外的にゲル造りの許可を許すとあるけど、私たち冒険者が勝手に家を持つのは禁じられている。家賃を払うのなら別だけどね」

「そうだが、深い関わり合いの持つ関係者なら、許されるはずだ。その方が宿代も浮く。大切な物は今まで通り、宿に預けておけばいいし、風呂には来たい時に来ればいい」

 

 一見、合理的で得に思えた。しかし、長い付き合い同士のある者たち。彼らはエドワードの考えていることが読めた。コルトンが問うように言う。

 

「お前、ひょっとしなくても、家族と暮らしたいのか?」

 隠し立てることではない。エドワードは素直に打ち明けた。

「それもある。それもあるが、俺だけがこのまま宿でいいのか。いくら、仕事で便利だからといって、正直、ゲルより暮らしやすいかもしれない居場所で。頑丈な壁に囲まれた中にある安全な建物で、俺だけが寝ていいのかと以前から思っていた。どうしようもないことだと割り切ろうとしたが、どうにも割り切れなくてな。家族が来た今、これを機に、生活の一部でもいいから、昔の生活に戻ろうかと考えていた。だが、それだと、お前達はどうでもいいと言っていることにならないか。自分だけがぬくぬくと家族と寝るか、仲間と寝るか。我ながらしょうもないことで迷ってなあ」

 

 エドワードは慌てて、冒険を止める気ではないからなと付け加えた。

 エドワードの気持ちをコルトンは解る気がした。屋根を共にするだけだが、それにより、エドワードはどちらかを重みに置き、選ばなかった方は口先だけで実際は大して思うところは無かった。そう思われてしまうのはでないかと恐れていた。だからこそ、ゲルを二つ作ろうと提案したのだった。

 ジャンベはそんなことで悩んでいたのかと思ったが、もしも、エドワードが家族と寝床を共にするのを選んだら、少し寂しい気がした。ただ、一方でジャンベは安堵していた。英雄を目指し、戦でも先陣切って行く男でも、家族の事となれば急にしおらしく、どうしたものかと迷う姿を見て、エドワードも普通の人間だなと再認識した。

 はっきりとコルトンは言った。

 

「エドワード、自分で決めろ。怪物退治や物を採ってくるのなら、俺たちがいくらでも相談に乗るが、こういう事では相談に乗れない」

 

 皆、無言だった。ロディムはうんと首を動かしていたが、どちらでも良さそうだった。実際の所、家族を選んでも、彼らはエドワードを責める気は無かったし、文句を言う気も無い。彼が家族と寝床を共にするのを選んでも軟弱者呼ばわりはする気もない。十年間以上も思い続けていた者たちと出会えた気持ちを考えたら、むしろ当然に思えた。本人の気持ちの問題。本人が納得すれば良いこと。

 

「どちらかを選ぶかは置いて、明日、執政院ラーダに聞いておこう」とアクリヴィ。

 

 そうである、話はそれからだ。執政院ラーダが許可さえすれば、万事解決。

 

 

 

 翌朝、浮かない顔で執政院から出てくるホープマンズの六人がいた。予想通り、執政院は禁止の一言で突っぱねた。避難民に関しては特別認めるが、冒険者は認められない。避難民のより安全確保のためとも言ってみたが、要求が通るはずもなく、ホープマンズが暮らすためのゲルは禁止。厳密に言えば有りなのだが、土地を持っても正式な国民ではないのでエトリア人より高い土地代や税金を払なわなければならず、豊かどころか今の宿以上に金を取られるので、損するばかり。

 結局、エドワードは寝床をどちらか一つを選ばなければならなくなった。

 このことはまず脇に置き、伐採する許可を得て、つてで紹介された腕の良い木こりを雇い、ヴァンと一緒に森へ向かわせた。

 一階層と三階層を重点に資材を調達することにした。「守備兵たちと暇を潰してといてくれ」と、荷の見張り役にジャンベを地上に残し、出発。

 鹿と狼、角牛をまずは狩る。一階では運よく出くわさず済んだものの、二階では問屋が卸さず、毒吹きアゲハ三匹がおでまし、誰も武器を抜くことなく、アクリヴィの威力を抑えた雷の術式で三匹はまとめて弾き飛ばされた。

 三十分ぐらいして、ようやく本命である角鹿が登場。嬉しいことに、大型種だ。更に後方から攻撃的な性格で知られる角を持つ怒れる野牛を発見した。エドワードは二組に分けた。

 エドワードはコルトンと組んで鹿を、野牛の方はアクリヴィ、マルシア、ロディムの三人で挑む。

 鹿の足取りはゆったりしていた。遠目で見ても、人間と思しき血が付いているのを見る限り、撃退して、恐らく逃亡するのを見て、人間をさして敵とは見てないようだ。油断していてくれるのはありがたかった。

 エドワードはさっと矢を番え、真っ直ぐに射る。中型の大きさではあるが、見た目以上に張りは強い。鹿は頭を逸らし、矢を避けたが一本目は囮。エドワードは僅かに間を開けて、第二第三の矢を次々と連続で発射していた。頭を逸らした瞬間、大鹿の足、首筋、胴体には何本もの矢が突き刺さっていく。背後で猛牛が叫び、少し間を置いていかずちが轟き激しいて打ちつける音を聞き、後方は既に決着が付いたのを悟った。

 喘ぎながら立ち上がろうとする大鹿の額に、エドワードは無言で至近距離から矢を射かけた。

 後ろでは真っ黒に頭が焦げた野牛に集まる三人がいた。アクリヴィが不敵な笑みをみせた。

 

「まずは上々ね」

 

 ナイフで皮を剥いだら、即座に別の獲物を探した。彼らは決して油断せず、常に適切な戦術を取り、一体一体確実に仕留めた。ゲンエモンや先輩の冒険者たちに口を酸っぱくして、樹海生物に隙を見せるなと教えられたのもあるけど、強くなったと慢心し、少なからず痛い目を見た経験があるので、一階層の怪物だからといって、手を抜かなったし、相手が油断せず全力で襲いかかればそんな余裕は自然と消え失せる。

 三階も通過し、魔狼発生源の一つである四階に降りた。もう一つはスノードリフトが稀に見られる五階。

 四階に降りて間もなく、森の破壊者と随分と気取った名前で呼ばれたりもする熊の獣人が草陰から出現したが、エドワードの矢であえなく胸板を貫かれて、留めにロディムの長剣で頭をかち割られた。ロディムは自慢げな表情で剣の血を拭った。

 

「見え見えなんだよ雑魚が」

「そうか。なら、これから来る相手を全部仕留めれるよな?」

 

 おうよとロディムが言う前にエドワードは獣人の喉元をナイフで切りつけ、ついで矢も引き抜いた。死んだばかりなので血がよく流れる。「アクリヴィ、極力氷以外の術式の使用は避けてくれ。毛皮を傷つけたくない」了解とアクリヴィはレイピアを抜いた。

 マルシアを除く四人がかりで死体を開けた場所に移動した。下半身を持ち上げていたので、引きずられていた上半身から血が流れて臭いを拡散できた。後は待つのみ。

 やがて、一頭の狼が現れて、うぉんと吠えた。無駄に姿を隠してくるのは判断したのか。羊ほどの大きさもある白い魔狼の群れが木々の間を抜けて、五人を囲み、範囲を徐々に狭めてきた。ロディムは右に長剣を左に短い手斧を持ち、エドワードは矢を番え、アクリヴィはレイピアを握りしめた。

「姫を頼むわよ」アクリヴィに言われて、コルトンは大盾を構え、マルシアの前に行き、ロディムとアクリヴィはコルトンより前の位置で左右に離れて、エドワードは盾に隠れた二人の後ろに回った。

 またも、一頭がうぉんと吠えて、狼の足取りがにわかに速まった。大きさからして、間違いなく頭目はロディムとマルシアが向く方向にいる一頭。後ろは全部任せろとエドワードは言った。

 

「先手必勝!」

 

 エドワードは矢を放ち、一頭の眉間を貫いた。か細い小さな悲鳴が戦闘開始音の合図となり、魔狼の群れは襲いかかってきた。ぶーんぶーんとけたたましく弦が震える度、狼は頭か胸、足に矢が立ち、戦闘能力と機動を奪う。ロディムは剣を棒切れのように振るい、魔狼を次から次へと薙ぎ、返す斧で止めを刺し、あるいは剣で仕留めそこなった狼を斬り、先端の槍で狼の勢いを利用して突き立てた。

 アクリヴィは一撃で仕留めようとは思わず、時折り、最低威力の氷の術式で驚かしては、目や顔、足を切りつけて戦う力を失わせて、それらはロディム、時にコルトン、長い棘だらけで先が尖った槍に近い鉄製の棒を持つマルシアが仕留めた。

 大体一二頭が倒れた辺りで、頭目自らが戦場に立ち、浮き足立つ群れが活気を吹き返した。エドワードとロディムが叫び、エドワードは前に回る。コルトンは急いで盾を後ろに回した。エドワードは黄色い印が付いたショックオイルの瓶に鏃を突っ込み、射る。狙いは正確だったが、伊達に戦いなれてなく、頭目は易々と避けて、木に当たった矢から電流が爆ぜても動じなかった。

 頭目は身を低くして、弾丸のごとき勢いで接近した。エドワードは弓を下ろして、左手をだらりと足に沿わした。頭目が飛びかかる距離まで来た頃を見計らい、目にも留まらぬ速さで下した左手からナイフを投げ付け、ナイフは頭目の足に突き刺さった。地団駄を踏む頭目に今度はロディムが手斧を投擲し、頭目の肩をざっくりと抉り、止めはロディムが長剣で頭目の開けた口に深々と剣を突っ込んだ。

 頭目が倒れるや、群れは四散した。しかし、少しでも毛皮が欲しいので追撃した。エドワードは残る矢を打ちまくり更に数体倒し、アクリヴィは拡散範囲を凝縮した強敵相手のタイマンを意識した極細な絶対零度に近い氷の術式を両腕から放ち、二体の狼を一瞬にして凍り付け。マルシアは棒を思い切り投げて、一体を背中から地面へ串付けてやった。

 仕留めた魔狼の血を嗅ぎつけて、獲物が罠に飛び込んでくるのを待ち構えたが、他の魔狼の群れは相手を少数だと侮らず、死んで皮を剥ぎ取られた魔狼たちの死体と同種の流れた血の臭いの多さを嗅いで、これ程までの相手と戦い勝って生き残れた強敵と見て警戒し、迂闊に仕掛けてくることはなく。たまに吠えて威嚇してくる魔狼しかおらず、こちらから出向いて仕留める必要があり、以降の戦闘では精々四頭しか倒せなかった。

 ロディムは足りるのかとエドワードに聞いた。

 

「狼の皮だけで家を建てるとしたら、ここらのを根絶する必要があるんじゃねぇか?」

「まさか。狼の毛皮だけでは足りない。他にも羊やヤギの毛を使う。それは他の一家に貸してもらうが。狼の毛皮を使うのは、少しでも他の者たちの負担を減らしたいからだ。羊とヤギの毛も財産だからな。足りなければ最悪、別の一行から買えばいい」

 

 一旦、区切りをつけて地上に帰り、毛皮の管理はジャンベに任せて、五人は三階層に潜った。三階層では極力戦闘を避けて、家具やゲルを彩る装飾や調度家具品に使える鉱物や植物、彩色の材料になる物を採取。ついで、諦めず執拗に追いかけてきたワーム二匹とカエル一匹から採れる物も得た。

 地上に帰ったら、エドワードは当てがあると言い、ワームとカエルから得た物を持ってシリカ商店に向かった。店の付近で待ち構えて、立ち寄る一階層探索組の冒険者たちに片っ端から声をかけ、冒険者御用達店の相場である八五エンよりも高い百エンで、ごわごわした皮を七百エンで計七枚入手した。

 買い取った冒険者たちには、固く口止めをしておいた。シリカの罵声を浴びせられたくない。

 これだけでは足りないので、外にいる一族の者たちからも材料を幾許か譲ってもらった。事情を話したら、ティノフェなどは喜んで譲ってくれた。

 

「あんたは俺たちを救い、人の誇りを取り戻してくれた。こんな程度で俺たちの恩が返せたと思うなよ」

「いや、これで十分すぎるぐらいだよ」

「それにしても、ようやくだな。あんたもようやく、自分の家族と寝られる訳だな」

 

 笑顔で話しかけるティノフェに、エドワードも笑みを返した。

 彼らには、大人になっても家族と暮らし、寝床を共にするのは普通だった。根無し草ともいえる厳しい放浪生活を生きるには、友人の付き合いも大事だが、親類縁者とのお付き合いがなんにもまして大切だから。

 しかし、エドワードは決めていた。本当に自分達だけで暮らしているいけるだけの人と財産が増えるまでは、家族が来ても、寝床を共にしない頭では分かっていても、心では十年ぶりに会った家族と寝たい気持ちがあった。義兄弟であるヴァンと語らい、甥に物事を教え、妹と母と食事をしたい。だが、そうしてしまったら、今のままでもいい。昔、決意した事が揺らいでしまうのではないかと怖かった。

 考えてもらちがあかない。一旦、ブケファラスに乗り、馬に身を委ねて、馬の足の赴くままに駆け回ろう。

 手綱を引き、一声かけて、黒き悍馬が大地をゆく。真夏のカラッとした日差しを浴びながら、浴びる風は気持ち良い。馬の筋肉が鼓動し、大地を強く蹴る振動が何度も伝わり、そのたびに段々と頭が空っぽになっていき、一族や冒険がどうのとか、数多の考え事から解放されていき、落ち着いて考えられるようになった。

 ブケは解っていたのか、踵を返し、離れて行った方向へと方向転換する。日が沈みかけた頃には、戻れた。ぎりぎりだったが、門番は通してくれた。

 エドワードはブケから降りると、顔や首筋を撫でて、ブケの目を見てを褒めた。

 

「あいつらが人の最良の友なら、お前は馬の中で最も最良の友だ。おかげで頭が冷えた」

 

 ブケファラスは馬ひづめ館に預けた。宿に帰ったら、遅れて帰ったのを詫びて、すぐに自身の中で決めたことを告げた。

 

「今日は無理だが、家が完成したら、一日だけ家族と過ごさせてくれ」

「一日で良いのか?」とコルトン。エドワードはうんと微かに首を動かした。

「俺たちの探索はまだ終わってはいない。俺は目的を一つ果たせたが、復興はまだまだ完全とはいえないし、第一迷宮を踏破していない。多くの者が命を落とし、見知っている者たちも毎年何人か死んでいる。沢山の生き物の屍で築かれた世界樹の奥になにがあるか。ここまで来て、見ずに引き返す事はできない。俺は世界樹の迷宮を踏破して英雄になる。その夢に変わりはない。だからいま、家族と過ごせば、確実に気持ちが揺らいでしまう。しかし……しかしだ」

 エドワードは少し遠くを見るような物悲しい目を見せた。

「自分の気持ちにふんぎりを付ける為にも、一日だけ過ごさせてくれ。後でと引き延ばして、二度と会えなくなる前に」

 

 この言葉に仲間たちは同意した。職業柄、いつ何時死んでもおかしくない。一階層だからと油断したり、していなくても、今日会った魔狼の群れに喉仏を食いちぎられたベテランの冒険者も多くいる。死ぬ後悔を少しでも減らしたい気持ちは理解できた。

 さすがに自分一人だけ休む訳にはいかないからと通常のローテーションを組みつつ、市民からの迷宮探索以外の依頼をできる限り引き受けて、時間があれば、エドワードはゲルの建築を手伝った。五日後、多くの者たちの協力もあり、無事に完成した。エトリア本都市離れた位置にまた一つ、厚い生地に覆われた白色円形の折り畳み式の家屋が一件増えた。

 翌日にはエドワードたちが呼ばれ、エドワードは是非にとゲンエモンも招待した。ゲンエモンは大分、腰の調子が良くなり、リハビリにもなると快諾し、ウォル一家のゲルまで徒歩で来た。ゲル内部は鮮やかな赤と黄の梁が中心から放射状に広がり、白い生地が絶妙なコントラストになり見る者の眼を惹きつけた。家具も一通り揃えてある。

 エドワードはもちろん、五人も狼の匂いを嗅ぎ、採ってきた物が家屋やゲル内部の装飾や家の材料にきちんと使われているのを知り、さしもに喜びを隠せなかった。

 ヴァンはフェドラとエウゲドロスの手を握り、そして、ひしと抱き締めた。

 

「楽しい事悲しい事。色んな事があるだろうが、私は今、人生で一番幸せだよ」

「なら、ヴァン。一番幸せだったと思える時を沢山作りましょう。どれが一番だったかわからなくなるぐらいにね」

 

 ヴァンとフェドラは中に入り、エドワード、コルトン、アクリヴィ、ロディム、マルシア、ジャンベ、ゲンエモンにも礼を述べた。

 

「皆さんのお陰でやっと、スタート地点に立つことができました。これからは、家族と力を合わせて暮らしていきます」

 

 雑談の後、他の一家も呼び寄せて、慎ましく四つの祝宴が開かれた。

 フェドラとヴァンが結ばれた祝い。新しい命が授けられた祝い。新しい家が建った祝い。最後にエドワードの正式な一六歳にするはずだった成人祝いがなされた。フェドラにより成人に迎えられた事への言祝ぎと戒めの言葉が送られて、馬と山羊、羊とラクダに友の証に頭を下げて、体を水で濡らした布で浄め、羊の毛を一部剃り、儀式は終わり。大昔では羊を生け贄に捧げていたが、いつしか無駄だという理由から、体毛をちょっと剃るだけで済まされた。

 一通りの儀式を済ませたら、いよいよ宴会である。一人一人の器に馬乳酒が注がれて、行き渡ったら、エドワードが代表して乾杯と叫び、一息で飲み干した。食事が配られて、思い思いの面子で語らい、今日の祝福を贈られた者たちを中心に盛り上がった。

 暇そうなエウゲドロスは、フェドラがあやし、ジャンベが遊び、時に歌って慰めた。

 陽が落ちる頃、祝宴はおいとま。気を使い、エドワードを残して、ゲンエモンとホープマンズの五人は本都市へ戻った。

 初めのうちは片付けに集中していたが、それも終わり、一つ屋根の下に入った。中々話せなかった。武勇伝を語るのはどうかと思うし、この状況で血生臭い話をしたくなかった。それでも、ぽつりぽつりと仲間たちとの探索談や失敗に色を付けて面白おかしく話しているうちに何が合ったか少しずつ語り合い、お互いに苦労してきたことを知った。

 付き合って間もないが、ヴァンは本当に気の良い奴だと再認識した。彼ならば、妹を幸せにできる。願わくば、二人の仲がいつまでも続くように。

 夜、エウゲドロスが寝て、ヴァンとフェドラが甥に寄り添い、静かに寝息を立てた。起きているのはエウドラとエドワードのみ。星明りを取り込み、完全とはいえない暗闇がゲルを覆う。静謐な時間が続き、いつの間にか寝入るかと思いきや、エウドラが声を潜めて話した。

 

「こうして、またあなたの顔を見て、話せる日が来るとは思いませんでした。エド、傍に来て」

 

 エドワードが傍に行くと、エウドラは顔を触り、撫でるように肩から腕にかけて触れた。

 

「ゲロリリオン。いえ、体付きは既にあの人を越えてますね」

 

 逆に母は、記憶にある若い頃よりも、ずっとやせ細り、顔に皺が刻まれていた。身内でなければ、誰だか見分けがつきそうにない。

 

「本当は、あなたに冒険を止めてほしい。けれど、ゲンエモンさんや他の人から話は聞いています。あなたはもう、来る所まで来てしまった。母親である私がごねるのはかえって迷惑というもの。突き進みなさい、エドワード。己が道を信じて、あなたと運命を共にする者たちを頼り合いなさい。ですが、あなたの死を祈らせないでください。私の死をあなたが看取って下さい。約束できますか?」

 

 できないとは言えない。状況によっては、母の死を看取れない。あるいは、自分が地下世界の中で深く、他の躯たちと同じ運命を辿り、どちらも見送れないかもしれない。そんなことは言えなかった。一言、「します」とだけ言った。

 傍らには妹、もう片方には母。異なるのは甥と妹の婿がいることだが、些細な違いである。もしかたら、最後になるだろうし、数年後には当たり前になるかもしれない。この日のことが当たり前になるのを願いつつ、エドワードは目を閉じた。

 


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