世界樹の迷宮 光求めし者達   作:鞍馬山のカブトムシ

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二八話.犯罪者

 エドワードは振りほどいた男たちと門番に蹴飛ばされたり、耳を引っ張られて、小突かれながら引き回された。目隠しされて歩いていたら、前に捕まったことを思いだし、内心半ば苦笑した。

 一年の間に二度も捕まり、豚箱にぶち込まれる人間はそういないだろう。呻かず、情けの一つもこわなかったので、門番と男たちは不満に思うも、どうやったらこの生意気な犯罪者が這いつくばるのか想像し、いかにして後悔の悲鳴を上げさせるかという嗜虐心も刺激された。

 

「今日からここがお前の住処だ」

 

 門番の男にするりと布切れを取られた。一番に目に入ったのは、見るも地味で薄暗い雰囲気の石を重ね合わせた小ぢんまりな建物。屋根はベニヤを適当に置いただけのような作り。周りも石で囲まれ、門の木材は風雨にさらされてやや朽ちていた。

 留置所の周囲は荒れて、人家から少し離れた所に建てられていた。針葉樹が伸びて、遠くの景色を邪魔している。留置所の部屋に行くと、中では鎧を来た見張りがいた。腰には細身の長剣が提げてある。見張りが門番の男に話しかけた。

 

「手柄か、ナザル」

「おうよ。娼婦に毒を盛って殺した悪人だ。こいつは見かけ通り、かなりの怪力で、六人がかりで抑えても吹っ飛ばしかねんから気を付けろ」

 

 見張りのお陰で、自分を捕まえた門番の男がナザルという名前だと知った。知ったところでどうにもならないが。長方形のテーブル二つと椅子が乱雑に置かれた詰所の奥に、地下へと通じる石段があった。降りる度に視界が暗くなり、ジメジメと湿気が滞り、こもった臭いがして不快である。

 地下は意外に広く、左右に分かれていた。前は牢、唯一の昇降口がある側は壁。右側へと連れて行かれる。二人ほど、自分以外にも捕まっている者がいたが、仲良くする気になれなかった。ここだと足が止まり、最奥、数えて右から四番目。いずれの牢と同じく通風孔の他、隅っこに汚物を入れると思しき木製バケツもある。囚人にせめてもの慰めをと考えたのか、肩ぐらいの位置に外を見られる小さな穴もあるが、その部分はがっちりと数本の鉄棒で補強されていた。一応、背伸びできる高さだが、両手まで伸ばせる余裕はない。

 がちゃりと施錠された。真鍮製の鉄棒であり、しっかりと石に埋め込まれているので、自力で壊すのは難しそうだ。ナザルがしばらく待てと命じた。

 

「現場の状況をまとめてくる。安心しろ、時間はかからないから」

 

 出来る限り長くかかるのを願ったが、一時間としないうちに呼び出された。武器を携え、鎧を身に付けた六人の男から一斉に刃先を向けられては、大人しく従わざるをえない。通路を真っ直ぐ行き、左の一番奥にドアがある。ここが取調室だろう。

 中にはナザルが一人いた。地面と天井の半ばに位置する、左右にある煤けた燭台の蝋燭(ろうそく)が部屋を仄かに照らしていた。目の前に座らされて、ナザルの顔を嫌でもじっくりと見られる機会がきた。若干、歯並びが悪い、ごま塩頭。背こそ幾分小さいが、薄い服では隠しきれないくらい肩や腕の筋肉が張り出し、意外と鍛えてあるのが知れた。目は意地悪そうであり、淡いロウソクの光が不気味に顔を照らし、余計に質が悪く見える。ナザルが口を開いた。

 

「まずだ。お前が冒険者として来て、ここに来た理由や目的はどうでもいい。俺は何故、お前があの娼婦を殺したか。知りたいのはそれだけだ」

「俺は殺していない」

「殴って、毒を飲ませたのにか?」

「殴ったのは身を守るためだ。あの女がいきなり斬りかかってきて、仕方なく。毒は故意に飲ませた訳ではない。女が痛みを和らげる薬だと言って、鎮痛薬かなにだか知らんが、そういう体を治す類の薬だろうと思ったら、飲んだ後に女が不敵に微笑んで、それは毒薬だと告げた。あの女は俺を嵌めたのだ」

「つまり、女が殺しにかかってきた。そして、お前を嵌めるために体に良い薬だと嘘をつき、自ら毒を一服盛り、お前を殺すように頼んだ依頼者の秘密を守った。こう言いたのだな」

「そうだ」

 

 ナザルは人差し指で机を小突いたら、腕を伸ばせと命じた。エドワードはナザルの命を拒んだ。

 

「何もしないと保証するなら伸ばす。だが、あんたは明らかにしようしている。そんな奴に馬鹿正直に腕を伸ばす者はおらん」

「いいから、伸ばせ。ぐいっとな」

 ナザルは右の方に視線を逸した。背後では、男が抜き身の剣をこれ見よがしにちらつかせていた。

「この場で腕を無くしたいのなら構わんぞ。腕一本と引き換えに罪を見逃してやる」

 

 エドワードは不承不承に腕を伸ばした。予想通り、ナザルは思いっきり腕を引っ張り、自らの方に寄せて、最近になって少し短くしたエドワードの髪をわしづかみ、面を上げさせた。頭皮を引っ張られて、痛いが声を上げるほどでもない。

 

「吐く息嘘つきやがって! お前は女をたぶらかし、女が自分の言うとおりにしないから殴り、無理矢理毒を流し込んだゲス野郎、違うか!?」

「さっき述べたことが全てだ。第一、仲の良い者たちとの付き合いでああいう女と知り合う機会は会ったが、抱いたことは一度もない」

「処女がお好みだというのか」

「好みではないだけだ。良いと思えた女なら、子持ちの四十代でも構わん。あの女は俺を殺そうとした。仕方なく殴って身を守ったが、女は嘘をついて毒を飲まさせた。これが全てだ」

 

 いけいけしゃあしゃあと嘘を吐くなとナザルは怒鳴り、エドワードの顔を三度、机に打ち付けた。鼻血は出なかったが、額と鼻先が痛む。

 

「俺は前からお前らが気に食わなかった。ただの難民ならいざ知らず。住む場所がないから提供してやったのに、恩を仇で返すお前らがな。盗賊共とつるんで内部をじっくりと視察するとは思いもよらかなかったぜ。あの糞みたいなボンボンの副隊長と一緒にくたばってちまえばよかった」

「副隊長のとこだけは共感するが、他は訂正しろ。俺と一族はずっと、エトリアに永住するつもりはないし、遠く離れた者たちも盗賊とは無関係だ」

 

「黙れ」ナザルは容赦なく、再び二回も顔を打ち付けた。二回目は強烈で、机が壊れそうなほど叩きつけ、髪を掴んだままぐりぐりとエドワードの顔を机に押し付けた。自分の鼻からじわりと生暖かいものが流れる感触が肌身を通して伝わる。ナザルが面を上げさせたら、鼻から二筋の血が流れ出て、閉ざされた唇から顎下、机まで濡らしていた。ナザルにようやく髪を放されたら、エドワードは急いで袖で血を拭った。鼻血は出るが、じきに止まるし、この程度の出血では死なない。

 その後、五時間に渡り、ナザルたちは交代でエドワードに尋問をし続け、後半ではお前がやったのだろうと言い続けたが、エドワードは頑なに拒否した。幾度となく来た地獄の尿意も耐え、牢に戻り、ナザルたちの姿が見えなくなったら、即座に空のバケツに用を足して安堵した。明日はもっと厳しくすると言っていた。

 食事は当然、水の一杯すらも恵まれなかった。後何時間か、何日要するか予想もつかないが、覚悟をしたほうがよさそうだ。汗と血で濡れた顔を上着で適当に吹き、薄く藁を敷いた石を詰めた寝床に巻いた上着を枕代わりにして眠った。見た目通り、寝心地は最悪だが、冷たい石の上でそのまま眠るよりかはましである。

 エドワードは仲間、身内の者たちの安否を憂いた。人を殺した者と関わり合いがあるという理由で、兵士にとっ捕まえられて、彼らにも害が及んでないか心配であった。

 外から、地鳴りのような音が周囲へ微かに響く。花火をみんなと見たかったなと思い、眠る。

 どのくらい、眠ったのか。妙な胸騒ぎがして目を覚ます。外は暗い。やがて、荒々しい足取りで武器を身に付けた男たちが降りてきて、エドワードが居る牢の前に集まった。確かにいるぞ、連絡を取ったのかなど、話し込む。話し合いは終わり、エドワードは牢から引きずり出された。

 

「ゆっくりと就寝する余裕もないのか」

 

 誰も応じる者はいない。無言で取調室の椅子の座らされたら、ナザルが非常に険しい顔つきで待ち構えていた。きつく顔をしかめ、今にもひび割れて、火が勢いよく顔から吹き出しそうである。ナザルは開口一番、恩知らずめがとぴしゃりと鞭打つように言い放つ。

 

「お前とその一味はそういうことをするのか。我が国の入国官たちの基準をもっと厳しくする必要があるな」

「一体なんの話だ」

 ナザルは机を打ち鳴らし、「しらばっくれるんじゃない!」と叫んだ。

「そう怒鳴られても、事情が呑み込めない」

「よかろう。お前が知っていることを述べても無意味だろうが、知らないこととして教えてやろう。お前の仲間の一人が、お前の馬を預かっていた宿の番台を家で殺した。馬に乗って逃げているのを衛兵たちが追っかけている。善良な市民にまで手を出しやがって」

 

 エドワードは息を飲み、瞳孔を見開いた。「まさか、ありえん」と否定した。

「俺の知っている奴で、なんの罪もない。俺たちに協力してくれる者に暴力を振るったり、ましてや殺したりするような奴は一人もいない。なにかの間違いか、誰かが俺たちをたぶらかそうとしているんだ。あるいは、あんたが嘘をついているかだ」

「お前の仲間に番台の居るところを尋ねられたから教えたと言っていた証言者がいた」

「どんな外見だ。男か、女か。髪の色は」

 

 ナザルはエドワードを睨みつけたが、仕方ないといった感じで教えた。

 

「声からして男だろうといった。仮面を付けて、おまけに大きな帽子を目深に被っていたので、髪の色はわからん。おまけに、前後が異様に反り返った底を履いてた。厚いのかそうではないか判別し難い靴を履いていたので、背丈もわからん」

「それじゃあ証拠にならんだろう」

「だが、そいつはお前の仲間だと言って、宿の番台のもとへ行き、殺害したと思う」

 エドワードはしめたと強気に出た。

「語るに落ちるとはこのことだな。と思うとはなんだ。では、そいつが殺した証拠すらないのか」

「彼に最後に会いに行ったのは黒ずくめの男だ。間違いない。数時間後、祭りから帰ってきた彼の妻がな、喉をざっくりと切られ、背中から心臓を貫かれた血塗れの番台を発見した。お前の仲間と名乗る者の手でな」

「俺の仲間だと名乗る正体不明の者が人を殺したから、関係性があるだと。馬鹿げている」

「立場をわかっているのか? この状況で最も疑われるべきは、お前とその関係者になるのは至極当然の成り行きだ」

 

 否定はできない。自分も逆の立場なら、同じように尋問していたはず。

 それより、ナザルは自分を犯罪者、ひいては国を脅かす悪人の手先と完全に思い込んでしまっている。愛国心は結構なことだが、こんな風に向けられるのはごめんだと思いながら、ふと、自分にも当てはまらないかと考えた。

 ナザルがぱちりと指を鳴らす男たちが中に入り、エドワードの身体を椅子に縛り付けた。ナザルは重々しくドスを利かした声で話した。歪んだ顔つきも相まって、暴力犯罪組織の一員だと言われても、違和感がない。

 

「恩を仇で返す無法者め。覚悟しろ。俺はケチな門番と牢獄の頭だが、それなりの権利はあるぞ」

「弁明する機会と黙秘権はある」

 

 好きにしろというと、ナザルは人差し指、中指、薬指を立てて、順番に折った。

 

「改めて聞くことが三つある。一つは女殺し。二つは番台を殺したきさまの仲間。三つは……ここ最近、どうして馬に乗ってエトリア各地を行く。全て答えろ」

「一つめは前にも答えたとおり、謀られた。二つめも同じく。三つめはただ、エトリアと自分と関わる者たちの為にやっているだけだ」

 

 ナザルは無言で右目辺りを平手打ちした。とっさにつむったが、目がひりひりする。エドワードが目の痛みを堪えて前を見たら、今度は両頬に二回、強烈な平手打ちをくらわした。

 

「全て信じない。と言いたいところだが、三つめに関しては、きちんと語れば許してやらないこともない」

「人付き合いも夢も、地道なことから始まる。俺は荷物運びをしているだけだ」

 

 嘘は言ってない。ただし、真実を幾つか隠しているが。お前がそういう態度を取るなら、こちらも応じなければなとナザルは冷たく言い放つ。ナザルが例の抜き身の剣を持った者に耳打ちをした。男はすぐに、別の二人と共に、水の入ったバケツ二つとタオルを持ってきた。バケツとタオルを見て、エドワードはどんな方法で口を割らせるか知った。以前、アクリヴィに聞いたことがある。

 

「洗浄をしてくれるのか。ありがたいね」

「ああ、そうだ」

 

 そして、男たちは二人がかりでいきなりタオルを顔にまきつけた。荒い繊維が顔をこすり、肌に食い込んでくる。更には水もかけられた。全てではなく、ちょろちょろと少しずつ。タオルが濡れていき、重みがまし、濡れたタオルが息を吸おうと必死に開かれた鼻孔と口を塞ぐ。濡れたタオルで水分を得ようと思ったのはとんでもない間違いだった。タオルをぴっちりと巻きつけられて、僅かにこぼれた雫しか飲めない。

 ふがっ、ぶがっと喉が詰まった豚か猪みたいな声をエドワードは出した。水分を含んで濡れたタオルに呼吸器官を完全に塞がれて、息ができない。体を動かし、首をこれでもかと左右に振るうが、椅子は三人で抑えられて、両肩とタオルはがっちりと二人で押さえていた。馬鹿力めがと罵りながら、逃げられまいと五人がかりでエドワードを抑え続けた。両方の限界まで来た時、やっとタオルを剥がされた。息を何度か思い切り吸い込み、生きている実感を得た。しかし、ナザルは容赦なく、四回も連続して続けた。

 やがて、彼らの一人がナザルに文句を垂れた。

 

「おい、ナザル。てめえもこいつを抑えろ。この馬鹿、椅子に縛られているのにとんでもねぇ力だ」

「ようし。なら、もう少し楽な方法を取ろう」

 

 エドワードは椅子に縛られたまま、改めて座らされた。ナザルが席を立ち、少しして、一枚の紙とインクとペンを持ってきた。そして、紙に文字を書くと、エドワードに見せつけた。私エドワード・ウォルは、水商売の女を殺した罪を認めます。そう書かれていた。エドワードは唖然とし、怒りで身を震わせて激昂した。

 

「こんなのは無効だ! 本人の同意は得てない」

「ああ、そうだ。これから、お前は自ら書いたというのだ。裁判官の前で素直にな」

「お前のような卑怯な輩の要求は断じて受け入れん」

「エトリアには拷問器具の類が殆どない。だが、大掛かりな道具が無くても、簡単な方法は幾らでもある。今からしてやろう」

 

 そういうと、ナザルと連中は手足をきつく縛り付けた。エドワードは血の巡りが悪くなるのを感じた。舌を噛み切られないよう猿轡もつけられ、ついでに目も濡れたタオルが巻き付けられた。更に両足には鉄球付きの枷まで付けられるサービス。机と椅子は片付けられた。

 

「そのままでいろ。気が向いたら様子を見に来るぜ」

 

 ナザルが蝋燭を消し、扉を閉めたら、後には光が差さない狭苦しい闇の世界にたった一人残された。

 残されたエドワードは嘆いた。暗闇は怖くない。一人でいることも怖くない。自らの不甲斐なさを嘆いた。仲間や家族にも迷惑をかけた。自分とその他多くの者たちが成そうとしている事にも危険を及ばさせた。あんな見え透いた手を見抜けなかったのが情けない。甘かった。精進が足りない証拠である。鍛え直さなければ。その前に、用心を深め、今一度自らの使命の重さを思い出さねば。もっといえば、現在の状況を打破しなければならない。

 ナザルという男は悪人ではないと思う。国を想う気持ちはある。しかし、あまりにも偏見があり視野が狭い。暴力を辞さない。そんな男がこのまま無事に自分を返すはずがない。今はまだこの程度だが、反抗しても、黙って従っていいても、余計に悪くなる一方である。ならば、することはひとつ。

 手足を動かそうとしたが、無駄だった。エドワードは踏ん張り、重い鉄球もなんのそのと縛られたままふんがと叫び、立ち上がれた。よちよちと歩き、頭がぶつけて傷めないよう注意する。がんと頭の右がぶつかってしまったが、壁のある方向はわかった。

 エドワードは反対の壁のある方まで行き、勢いよく、力一杯体当たりした。ばきりと椅子の後ろ足が壊れる。何度も背中ごと打ち付ける。打ち付ける度に体にも直に衝撃が伝わってくるが、椅子が壊れ、縄が緩んでいく。多少、手が擦れるのは気にせず、縄から手を引っこ抜き、身体と足に絡まる縄もほどいた。鉄球は致しがたない。ドアをぶち破ろうと思ったが、鉄製で壊すのは無理そうだ。それよりも、良い考えを思いついた。

 何時間経ったのだろうか。

 どうやら、相手はこっちが大人しく椅子に座って縛られていると思っている。そこが狙い目だった。喉も乾き、腹も空いたが、苦痛とは感じない。むしろ、一つのことに集中する上では好都合にさえ思えた。

 相手の誰かがノックをする。「返事を出せるわけはねぇよな」と自答している。ドアを開けた瞬間、真っ暗闇から手が伸び、男を引きずりこんだ。一人が助けようとしたら、潰れた鼻から血を流した男が飛び出て、思わず手を伸ばした支えたところへ、明後日の方へと記憶と共に顔面ごと吹き飛ばされた。エドワードは一人から剣を奪い、鼻血を垂れ流して喘ぐ二人を一顧だにせず進んだ。

 短い通路なので、すぐに昇降口がある場へ出た。ちょうど、男が一人降りてきた。通路にぴったりと張り付き、様子を見る。鎧を着ているが、問題はない。エドワードは音もなく後ろにつき、鎧の隙間に剣を入れた。

 

「動くな。振り向くな。兜を外すぞ。動いたらどうなるかわかるな」

 

 相手は微かに頷いた。留め金を外し、兜を捨てさせたら、男の喉にぴたりと刃先をつけた。

 

「馬鹿な真似はよせ」

「馬鹿な真似だと? なら、人の話を聞かないナザルとかいうあの男に言ってやれ」

 

 エドワードは一歩一歩階段をのぼる。ごつごつと鎖と鉄球がぶつかる音だけが響く。地上に出た。外は朝日が差し込んだばかりらしく、眩しい。二人ほど起きていて、喉元に剣を当てられた男とエドワードを見て、驚く前におーいと声を張り上げた。どたどたと足音を立てて見張りたちが駆けつけてきた。ナザルもいた。捕えた男と下にいる二人を含めて、一七人はいる。

 ナザルはエドワードに激しい敵意を向けた。

 

「やってくれたな。てめえの罪は確定だ」

「ナザル、お前は俺に対してしたことを忘れたのか。あんな約束なぞのめるか」

 

 鉄砲を持った者が一人、弓矢を持つのが二人。後は槍と剣。エドワードが少しずつ歩くたび、ナザルらは道を譲った。そうは問屋が卸さんと、ナザルが鉄砲を持つ者の手から奪い取り、エドワードと味方に銃口を向けた。男が悲鳴に近い声でナザルの呼ぶ。エドワードは強気に出た。

 

「お前にはできっこない。馬鹿な真似はよせ」

「俺は本気だ。てめえのような薄汚い馬乗りのゴロツキに逃げられるぐらいなら、いっそ撃ち殺したほうが手っ取り早いし、世のため普通に生きる人の為よ」

 

 エドワードは一歩ずつ後退し、ナザルを注視した。ナザルは本気らしい。あの男は本気で自分ごと味方を撃ち殺す気でいる。なんて奴だ。男もナザルの本気を知り、ふざけるなと罵倒しつつ、エドワードに命乞いをした。

 

「あんた、頼む。俺には病弱な父に、幼い弟たちがいる。俺が死ぬ訳にはいかないんだ。頼む」

 

 エドワードは気持ちが揺らいだ。見知らぬ若い男があくまで自分が死にたくない、自分の命が大事だと命乞いするような奴なら、遠慮なしに盾にしていたが、こう頼まれては弱い。嘘をついているようには思えない。これが演技なら、大した役者だ。やはり、自分は甘ちゃんである。

 ゆらゆらと火縄の煙が登り、帽子を被るナザルの顔を見えにくくする。銃口は常にこちらに向けられている。やがて、エドワードは男を軽く突き飛ばし、剣を捨てた。

 

「参ったよ」

 

 とっ捕まえろと叫ぶやいなや、男たちが一斉に飛びかかり、エドワードを殴り蹴り、槍の柄でぶちのめした。逆に人質の男はナザルに掴みかかった。ゲンエモンに攻撃を受け流す方法を伝授されており、拳や足を使った攻撃なら威力をある程度受け流せたが、槍や棒まではさすがに受け流せなかった。ナザルがやめいと言うまで殴られ続け、あちこちにミミズ腫れができたり、皮膚が擦れて僅かに血が流れた。

 わざと間を置いたなと思いきや、当のナザルもまぶたが腫れがあり、鼻が片方潰れて血が出ていた。ナザルは人質に取った男に二回殴られたようだ。本人なりの罪滅ぼしのつもりだろう。若い男は血で濡れた拳を握り締めつつ、怒りを露にナザルを睨みつけていた。

 

「さっさとぶち込め。今度は両手にも枷をつけてな」

 

 ナザルの部下は言われなくても、そうするつもりだった。ぶち込む前に、エドワードの腕には木製の枷をがっちりと嵌めて、鎖付きの鉄球もつけておいた。鎖は短く、立つのは辛いので座らざるをえない。

 傷付いた体を労わるようにエドワードは体を丸めた。ちょっとやそっとの痛みならまだしも、あちこち傷だらけ、空腹と乾き。さしものエドワードもこの三重苦を辛いのは否定できない。たが、一日や二日で根を上げまい、何日でも耐えてやるとまだ心までは折れてなかった。

 物音一つ立てずに移動するものの存在を感じ、エドワードは腕を懸命に伸ばして捕えた。手足をばたつかせて、忙しく二本の触角を動かすのは、臆病な者なら悲鳴を上げるほど毛嫌らわれている真っ黒なアブラムシ。

 

「後五日経ってもろくに恵んでもらえなかったら、お前を食っていたところだ。運が良い奴だ」

 

 エドワードは牢の外へとアブラムシを放り投げた。アブラムシは這い回り、完全に見えなくなった。

 穴から僅かに差し込む光で正午を過ぎた頃、エドワードは牢から運び出された。臭いものの近くに長くいると臭いを気にしなくなるが、エドワードの大臭は彼らを上回り、普通に近づいたら思わず鼻をつまんでしまいそうだ。

 ぼろぼろに疲れきった体で取調室の壁際の椅子に座らされたエドワードは、目の前で水が入った袋と食べ物を置かれた。

 

「たった一言でいい。自分が素直にやった認めるのだ」

「断る」

 

 ナザルはかぶりを振り、部下と共にエドワードの目の前でこれ見よがしに水と食料を貪る。がぶがぶと音を立てて水を飲み、肉と調理された物を美味そうにほおばる。エドワードは目を閉じ、無視しようとしたが段々と物を噛む音が大きくなり、片目を開けたら一人が目の前でにやけづらを浮かべていた。腕が自由なら顔面を叩き潰してやりたい。

 エドワードはふと思いついたことをナザルに言った。今言ったほうがタイミング的にも良いと感じた。

 

「おい、ナザル。提案がある」

 

 ふてぶてしい態度で呼び捨てにされて、ナザルは機嫌を損ねた顔でエドワードを見た。

 

「認める気になったのか」

「お前が俺に許しを得る方法だ」

 

 周囲のふざけた空気が一気に薄れ、緊迫した重々しい雰囲気に包まれた。

 

「で、どんな方法でお前は俺に許してもらえるのだ」

「お前を入れて確か一七人いたな。もしもだが、国に敵が攻めてきたとしたら、お前は一七人以上の敵を殺れる自信はあるか。俺もそいつらは嫌いでな。もっとも、戦う度胸がお前さんにあるならばの話だけど」

 ナザルはエドワードの顔半分下をつかみ、潰れろと言わんばかりに指先に力を込めた。

「まず一人目はお前でもいいぞ。俺を舐めるなよ。お前なんぞの許しをこわずとも、誰が敵に背を見せるものか。一七人でも何人でもひねり潰してやるわ」

「今言ったことを忘れるなよ」

 

 ナザルは、エドワードの顔を握り締めていた手の力を緩めた。飲食物は片付けられ、鍛冶屋が熱した鉱物を打つとき抑えるために使うペンチのような形をした小型のはしを持ってきた。かちかちとはしを持つ者が音を鳴らした。エドワードは嫌な予感に冷や汗が流れた。

 

「生意気な口を叩くからだ。大人しく黙っていれば、もう少しましな対応をしたものを。改めて聞こう。お前がしたのだな」

「していない」

 

 ナザルは顎をくいと動かし、男に無言でやれと命じた。「お前の利き手は右かな」エドワードは答えなかった。本当は左手だが、あえて教える馬鹿はいまい。エドワードはまた猿轡をかまされた。

 男はエドワードに耳打ちした。「今日は小指一本だけだ。俺は全部でもよかったがな」

 鈍く冷たい鉄の塊が右の小指の爪を挟む。重圧感が伝わり、爪が砕けそうだ。爪が剥がれていく激痛が小指から全身へと伝わり、顔がしわくちゃになるほど目を閉じ、体を身悶えさせる。爪が剥がれていくたびに縫い針をぐりぐりと打ち込まれると表せばいいのか。千切れる音と共に、エドワードの小指から爪がばりと剥がれた。小指から手全体が痺れて、焼けて燃えるような痛みが小指を際限なく襲う。猿轡が噛みちぎれそうなほど強く噛み締める。エドワードは牢に戻された。当然、拘束されたまま。

 枷が嵌められて手当てどころか痛む小指を片手で抑えることもできず、歯を食いしばり痛みを耐えた。

 少なくとも、二日過ぎている。小指の痛みは麻痺し、痺れる程度に収まった。のそりとたち、外を見る。暗い。既に夜だ。もしかたら、牢に入って三日目を過ぎたのかもしれない。エドワードは目をつむったが眠りは浅く、半ば呆然とした状態で起きていた。

 翌朝。男たちが出ろと命じ、エドワードは無理矢理立たせて、頭から水を被せた。

 

「これから引渡しを行う」

 

 エドワードは答えなかった。遂に来たか。随分と呆気無い、惨めな冒険の最後。それどころか、人生の最後かもしれない。外は自分の気持ちと反し、爽やかな風が吹く晴天。

 荷馬車があり、数頭の馬と衛兵もいる。ぼんやりとした視界でも目立つ者が二人いた。白い衣装を着た者と刀と思しき武器を身に付けた者。それだけならまだしも、二人は確かにエドワードと声をかけた。見間違い、聞き間違いと思い、おもむろに頭を上げたら、いつになく真面目な顔つきのメディックと豊かな髭と白髪が目立つ黒いざんばらの侍。

 

「ナザル君といったかね。では、彼を引き取らせてもらうよ」

 

 ナザルは苦々しくも、仕方なしといった表情で侍に頷いた。メディックが肩を支えた。

 

「ひでえ有り様だな。良い男の顔が台無しじゃないか」

「三日間、待たせてすまなんだエドワード」と侍が謝る。

「いや、来てくれただけでも大変ありがたいですよ。しかも、予想より早く来てくれた」

 エドワードは二人を見て、力なく会釈した。

「ねえ、ゲンエモンさん。オルドリッチ」

 

 オルドリッチはようやくいつものふざけた笑みを浮かべ、ゲンエモンは安堵した顔で微笑んだ。永遠かと思われた虜囚生活は遂にピリオドを迎えた。馬の一頭がぶるると喜ばしげに頭を震わした。漆黒の愛馬ブケファラスが荷馬車を牽引する内の一頭だった。枷は全てはずされ、エドワードは二人の介抱のもと、荷馬車に乗せられて運ばれた。

 傷の手当をされながら、エドワードはいつしか寝入った。揺れるので寝心地は良いとはいえないけど、布を敷かれ、枕代わりに包まれたマントもあり、石床とは比べ物にならない環境である。それよりも、親しく頼もしい二人と一頭の存在が安らかな眠りをもたらした。

 


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