世界樹の迷宮 光求めし者達   作:鞍馬山のカブトムシ

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探索番外編
二九話.白き姫君は終末の夢を見るか


 十月六日。エトリアの街は祭りの興奮も覚めぬまま、今度は有名なパーティが二人の一般人を殺害した話題が呟かれていた。そんな話を歯牙にもかけず、つんとすました態度で仕事に行く女が一人いた。

 赤いレンガの壁。黒い鉄製の門扉。手入れが行き届いた庭園。季節に合わせて育てられた鮮やかな花々。専用の厩に馬車。奥に堂々と建立する、要所の真っ白い窓枠が目立つ薄茶の厚いレンガ作りの屋敷。一目で貴族や金持ちの住居だとわかる。本都市から少し離れた郊外に位置する豪邸の所有者は、エトリア一の大富豪アウルム家のお住まい。成長した樹齢百年を越す木々が本都市から屋敷を隠していた。

 アウルム家の当主は混じりけのない銀髪の者が継ぐと決められている。例え、その者がいかな才に恵まれていなくても、彼か彼女を当主と仰ぎ、他の者たちと元は力が備わっていた銀髪の者はその者を支え、どんな事があっても命懸けで守ることを一番の家訓としていた。無論、道を違えないよう、しっかりと教養を身に付けさせるのも家訓にある。 

 銀髪の者が産まれないことは無かった。また、必ずしも長男や長女が家督を引き継ぐとは限らず、一番最後に産まれた者が混じりけのない銀髪なら、その者に家督とある力が受け継がれる。

 銀髪の者には他にはない特殊な能力がある。夢を見ること。ただの夢ではなく、きたる未来を見る予知夢。夢は具体的な物もあれば、抽象的な物もあり、わかりにくいように思えるが、良いか悪いか簡単に見分ける方法があった。

まず、良い夢の場合は場面が全体的に明るかったり、楽しげな雰囲気がある。

逆に悪い夢の場合、場面は全体的に暗い。血が噴きでたり、誰彼の断末魔が聞こえれば、不運な死が訪れることを予言している。アウルム家は銀髪の者が見る夢を頼りに四百年、莫大な儲けに乗れて、数々の破産の危機を回避し、財を築き上げてきた。

 優秀な人材も多く輩出し、図書館を築き上げ、女傑アジロナとも知り合い、彼女の提唱した外壁製作にも支援するなど、国の発展にも貢献した。中には、分家に属するが、かの副隊長のような人物も残念ながら少なからずいるものの、エトリアが誕生してから六百年を過ぎてからの栄光は数多の冒険者の犠牲とエトリア人の知恵としぶとさ、そしてアウルム家の繁栄のお陰にある。

 しかし今、アウルム家は窮地に陥っていた。別名白き姫と呼ばれるほどの美貌の持ち主。現当主で十六歳になるアルブム・アウルムが八年前から夢を見なくなっていたのだ。全く見ない訳ではない。稀に見て、上手く儲けることもできたし、夢が無くても、経験を生かして危ない橋を渡らずに済み、大損は免れていた。だが、銀髪の者が夢を見れないとあっては価値がない。それだけではない。アウルム家に予測不能な災難が訪れようとした時、彼らの夢があって避けられたことも、避けられなくなってしまう。

 おまけにここ最近、アルブムは夢を見る直前、苦痛に襲われたようにもがき、満足に眠れない日が続いた。名医が調合した睡眠薬を幾ら飲んでも無駄だった。八年前といえば、エトゥなる者が名乗り上げた時期。関係あるかと模索してみたが確証は得られなかった。

 当主といってもまだ十六歳。彼女は現段階ではお飾りであり、彼女の父親と元は能力が備わっていた同じ銀髪である聡明な母が実質の当主だった。

 冷たい眼で晒され、満足に眠れずやつれていく娘を不憫に思い。オルレスへ、信頼できるカースメーカーはいないかと頼み、何度か顔を合わせたこともあるベテラン冒険者ゲンエモンと親交があるキアーラを紹介してもらった。客人であり、娘の苦しむを少しでも和らげてくれるキアーラが来るのを待ち侘びていた。薄らと陽が落ちた頃、黒いローブに身を包み、身体に銀の鎖を巻き、鎖が交差した中央には鈴がぶら下がっている。黒曜石のような艶やかな黒髪、吸い込まれそうな冷たい黒目がちな(まなこ)の凛とした佇まいの女性。外見の特徴は聞いていたものの、門番二人は槍を構えて警戒した。女は槍が届かない位置で立ち止り、懐から赤紐で結ばれた巻いた紙を出した。

 一人が受け取り、紐を解いて手紙をしたためた後、相方に女を見張らせている間に館の執事にも確認したところ、間違いなく正式な紹介状だとわかり、キアーラは通された。

 冷や汗をかく相方を見て、男は大丈夫かと声をかけた。

 

「なにかされたのか?」

「いや、なにもされちゃいない。ただ、あの女に見つめられていると、自分の内心を見透かされてるようで、不安でしょうがなかった。いくら美人でもあんな女はごめんだね」

 

 燕尾服の執事に客間へ案内されたキアーラは、待ちくたびれていた様子のアウルム夫妻に早速、寝かすよう頼まれた。アウルム夫人が頭を下げた。

 

「お願いします。どうか私の娘に一時でもいいから安らぎを」

「落ち着いてください。確かに私の昏睡の呪言ならば深い眠りに落ちるでしょうけど、本人が普通に起きている状態で強制的に眠らすのはよくありません。それに、夢を見るということは浅い眠りの状態。本人がいざ悪夢を見て、苦しみだした時にはご当主様を無事に眠らせて差し上げます」

 

 キアーラは食事をぜひと勧められたが、やんわりと断った。もしも、いくら強くて魔物のようだと言われていても、所詮は狂暴なけだものでしかない樹海生物なら体力維持は必要なため、食事の誘いを受けていたが今回は違う。相手は人間である。更にいえば、アルブムは呪いの類をかけられているとキアーラは予想していた。姿無き人ならざる者やこういう力と対峙した時、満腹では付け入れる隙を与えてしまう。カースメーカーは己のどこかを拘束し、傷付けることで力を発揮する。簡単な手段では断食がある。人間の欲の一つであり、生きていく上で必要不可欠な「食」を縛ることにより、カースメーカーは力を発揮する。

 金持ちとなれば、相当のやっかみや恨みも買うはず。恐らく、そういう者たちの誰かが彼女を苦しめているのだろう。

 八年前から上手く夢が見られず、その上、夢を見る直前に苦痛に襲われた。誰かが彼女に呪いをかけたとしか思えない。多分じゃなくても、人や人の手では敵わない怪物に対抗するため、眼に見えない力を駆使して戦う者たち。そう、同業者であるカースメーカーが手を貸したのだろう。そのカースメーカーが男か女かはこの際置いておいて、八年間も滞在させて、最近になって効力を発揮させるなど、相当な手練れ。呪力を長く滞在させるには、大規模な儀式や呪いの元となる物を本人の体内に潜り込ませるのがベスト。儀式の場合、身体には必ず傷痕や彫ったような痕があるので一目で解る。いずれにせよ、本人に会うのが手っ取り早い。

 キアーラは本人に直接会わなければと言った。アウルム夫妻は了承した。アルブムの部屋に移動する間、キアーラは幾つか質問した。

 

「つかぬことをお伺いしますが、アルブム様のお体には目立った外傷はないでしょうか」

 アウルム夫人が答えた。「いいえ、娘の体には生涯残るような目立った傷はありません。転んだり、裁縫が慣れないうちは何度か指に刺してしまったこともありますが」

「その怪我をした針はまだありますか」

「我々は物を大事に使いますからね。今も娘が大切に使っています。それがなにか?」

「疑える物は全て疑えと考えていますからね。一応、後でいいから見せてください」

 

 執事が部屋をノックし、両親と例の客人が来たことを告げた。扉の向こうから、弱弱しい声でお入りくださいと聞こえた。洗面台と化粧用具、香水品、白い木製の衣装棚に数々の家具。今の家業でよほどの大物を連続して倒すか、世紀の発見をしない限り、自分では到底住めそうにない。

 薄らと灯りが点る部屋のベッドの上に、かの白き姫がいた。白を基調としたドレスを着け、母親よりも艶があるリボンで結ばれた銀髪、疲れ切った青灰色(せいかいしょく)の瞳、やや尖った顎の瓜実顔。普段なら気品溢れる人物なのだろうが、寝不足のせいで気力が失われており、黒々と覆われた目のくまが容姿ばかりか本人の雰囲気を損なわせていた。

 キアーラは型通りの挨拶をした後、気分はどうか。すぐに眠れそうかと尋ねた。アルブムは微かに首を振った。

 

「いいえ、すぐには眠れそうにはありません。もう少し時間がかかりそうです」

「お構いなく。それよりも、差し障りがなければ、当主様が使われている縫い針を見せていただけませんか」

 

 アルブムは首を傾げるも、ええどうぞと言った。執事が多数の紋様が刻まれた白く塗られた裁縫箱を運んできた。キアーラは一本一本、縫い針に直に触れて力の痕跡がないか探った。数分で調べ終えた。特に感じない。縫い針は高価そうという点を除けば、一切の細工や力の痕跡は感じられなかった。怪訝そうに見つめるアルブムと夫妻の視線を気にせず、キアーラはどうもと執事に裁縫箱を返した。眠った直後にまた部屋を訪れることを告げて、四人は姫の部屋を出た。

 アルブムが眠るまでの間、じっと待ちぼうけるつもりはない。キアーラはアウルム夫妻に、昔から現在に至るまで、アルブムや夫妻の近辺で変わった出来事はないかと尋ねた。

 アウルム夫妻はこれと思うことをキアーラに話した。中々に興味深いのもあるが、どれも関係がなさそう。ただし、十歳と八歳の誕生日を迎えた時の話は別だった。十歳を迎えた日、アルブムはエトリア生誕祭の同様の服を着た司祭連中に祝われて、中にヨティスというカースメーカーの者もいた。ゲンエモンの紹介らしく、本人も特別に誘われたようだ。そのカースメーカーは高齢で既に亡くなったようだが、可能性は無きにあらずなので調べておくことにした。

 次に八歳の誕生日のことで、キアーラはこれが一番怪しく思えた。

 初代アウルムは何かと8の数字を好み、商売や金儲けでも最後か最初に8がつくことが多かったので、8を幸運の数字とし、当主となる者の年齢に八の数字が付く日は盛大に祝うよう言い残していた。アルブムの八歳を迎えた日はいつもの慎まく行われる誕生日とは異なり、多くの客を招き入れた豪奢なパーティを催した。

 これを機会にと、アウルム家にお近づきになろうとする者たちもいた。大抵の者は受け入れたが、変わった風体の一団も招き入れた。紹介状にはない一団だった。大きな悍馬に黒い馬車、逞しい護衛に美しい侍女たちの連れを見れば、一見すれば高貴な家柄の者たちかと思われる。変わったというのは、一団の長。黒を基調にした金糸銀糸で編み込まれた外套とフードを羽織り、口の端が裂けるほど笑みを浮かべた不気味な黒い仮面を顔をに付けていた。

 紹介状がないとはいえ、国外から来たと思われる来賓。無下に断り、後にこの人物がいる国の外交でなんらかの支障をきたしては不味いと、門番と執事は丁重に尋ねた。ついで、執事が失礼を承知で仮面を付けている理由も聞いた。

 男はある大国に属していると明かし、アルブム家の姫君を一目見て、祝福を捧げたいと告げた。

 

「私の祈りには力がある。私は祈りで力無き者たちの憂いを取り除き、当家の姫君のような優れた能力を持つ方が驕ることなく正しき道を進み、その力を大勢の人々の救いになるのを願い、今日、アルブム・アウルム様の下へと参じました。仮面は外せません。何故ならば、私の顔と体は醜く崩れているから。また、私自身への戒めと祈りの力を高めるため、たまった汚れを落とすとき以外、常に仮面を身に付ける必要があるのです。だが、こういう祝いの場でこのような仮面を着けるのは無作法ですし、周りの方達の酒も不味くしてしまうしれない。あなたたちが望むとあらば、仮面を外しましょう」

 

 執事は突然の来訪者に主人と相談するのでお待ちくださいと言い、実質の当主である夫妻に事の次第を話した。夫妻は通すよう命じ、仮面も外さなくていいと言った。まだ見ぬ一団を少々不気味に思うも、外国の来賓を断る理由もないし、むしろ、そこまでして来てくれたことに感謝の意すら芽生えた。ただ、夫妻は内心、仮面を外されたほうが余計に酒が不味くなるのではという言葉は喉の奥にしまいこんだ。

 いざ会ってみたら、不気味な仮面を除けば、本人は意外ときさくで友好的であり、話しているうちに仮面のことも気にならなくなり、事情を知らない他の客も彼を仮装した客の一人と見て、すぐに彼への関心は薄れた。

 宴もたけなわ。仮面の男は夫妻に近寄り、アルブムを祈りを捧げたいと告げた。夫妻は承諾し、大衆が集められて、主賓席に座らされたアルブムへ男は祈りを捧げた。聞いたこともない言語だったが、あまり気にとめなかった。最後に、男は侍女の一人に先が異様に細い徳利状の物を持ってこさせた。夫妻は訝しんだ。男はこれの中身は聖なる清酒だといい、証拠にと侍女に飲ませ、夫妻は屋敷を守る護衛の一人に頼み込み、毒見をさせた。護衛の容態に変化はなかった。夫妻は聖なる清酒とやらをアルブムに飲ませることを許可した。

 酒瓶からグラスへ薄紫の液体が注がれて、アルブムは疑問を呈した表情で仮面の男とグラスを交互に見比べつつ、ゆっくりと中身を飲み干してお礼を述べた。 

 アルブムが夢を見るのはとても良い事かとても悪い事が起きる前触れの時のみ。しばらくアルブムは予知夢を見ずに過ごした。三ヶ月後、近縁の伯父が一人、山で狩りをしていたときに大きな猪に襲われて、生死に関わる大怪我を負った。近い身内がそれほどの怪我を負う事態なら、アルブムが何かしらの警告を発するはず。なのに、アルブムは伯父が怪我を負う夢を見なかった。

 それから、アルブムは滅多なことでは夢を見なくなり、夢を見れれば避けえた自体も避けられず。堅固に守りを固めつつ、思い切った行動をすることもあったアウルム家の動きは鈍り、築き上げた財を無くすものかと守りを固めすぎて一種の閉塞感が漂い始め、一族の繁栄に僅かだが陰りがちらついてきた。アルブムにも冷たい視線が向けられた。

 そういう事情があったのかとキアーラは無言で頷いた。アルブムが予知夢を見れないということは、夫妻の立場も悪くなるはず。権威保持のためもあるのではないかと思ったが、ぶしつけな質問は控えた。

 真夜中を過ぎ、召使いからアルブムが就寝したことを告げられた。部屋では、アルブムが静かにベッドの上で目を閉じていた。キアーラは夫妻を見て、無言で微かに頷いた。しばらくは様子を見よう。眠りにくそうに何度か寝返りをうったり、寝息をはく。予知夢は熟睡する直前の数分間に見るようらしい。熟睡直前までいつになるやら。一時間近く経ったか。アルブムの容体に変化が表れる。

 アルブムはうんうん唸り、呼吸が荒くなる。寝るには快適な涼しい気温にも関わらず、真夏の猛暑で眠っているのかと思うほど汗を流す。アルブムがぶるぶると震えだす。夫人が哀れみな声でアルブムとキアーラの名を叫ぶ。

 キアーラは婦人を片手で制し、アルブムの額に左手を添えた。呪術の類は相手に近いほど効力がある。樹海生物ならともかく、今回の相手は自ら眠らせてくれと頼んだ人間。最大限に発揮できる。キアーラは、夫妻にアルブムの近くに寄るように言い、手を握っても構わないと言った。夫妻は遠慮なくアルブムの元に寄り、婦人は手を握った。無理矢理寝かすのではなく、まずは自然に。自分は後押しをするだけである。キアーラは自らも半ば睡眠状態になり、アルブムの魂に訴えかけた。

 落ち着きなさい。あなたは一人ではない。あなたにはお父さんとお母さんがいる。友達もいる。今は私もいる。怖がることはない。心を静め、河の流れに身を委ねるようにゆっくりとまた目を閉じなさい。

 夫妻もあやすようにアルブムの手や顔に触れ、大丈夫よと声をかけた。アルブムの心が段々と暗く静まっていく。眠りに落ちていく。一安心、と思いきや。キアーラは異変を感じた。アルブムの心が別のものに変わってく。初めは泥をこねまわしていき、空気が抜けた風船みたいに萎む。そして、キアーラは驚愕した。突如、泥の塊が肥大化し、ぐんと伸びてアルブムの内側に触れていたキアーラに襲いかかる。黒く、でかく、竜か鰐のような巨大な牙だらけの口がキアーラを飲みこもうとする。キアーラはカッとを目を開け、大慌ててで飛び退いた。

 アルブムは身をのけ反らせて、詰まらせたような声で奇声を上げ、夫妻も一瞬、眠ったままの娘の奇行に思わず身を引いていた。アルブムは白目を向いたまま、キアーラの方を見て、くぐもった声で喋った。

「……殺すぞ……」

 抑揚のない、冷たい響きに満ちた一言が場を凍らせた。アルブムはがくりと倒れ、意識を失った。予想していたとはいえ、強力なものにとり憑かれていた。執事が血相を変えて入り、婦人が悲鳴を上げてアルブムに駆け寄り、主人は執事に使用人と医者を呼んでくるよう命じた。アウルム氏は乱暴にキアーラの肩をつかみ、これはどうしたことだと怒鳴った。

 

「良くなるどころか、悪くなったではないか! ああ、所詮呪い屋に頼んだのが間違いの元。早く出て行け」

「あなた様のお怒りはわかるけど、少し私の話を聞いて」

 

 何かを言おうとするアウルム氏をキアーラは一睨みで黙らした。樹海生物と戦い明け暮れ、結構な人生を送ってきたキアーラ。並の相手を黙らせるぐらいの凄味なら備えていた。

 

「少し落ち着きなさい。まず、はっきり言うわ。アルブム様は呪われている。体内に侵入した異物がアルブムの心ばかりか身体にまで負担をかけている。そして、私一人では僅かに力が及ばない」

「ならば、意味はないではないか」

「最後まで聞きなさい。私は世界中全ての人間を知っている訳ではないし、全てのカースメーカーと知り合いでもない。ただ、私はあえて言う。数あるカースメーカーでも私は屈しの実力者の一人と呼べるぐらいの力がある。つまり、実力のあるカースメーカーをもう一人か二人連れてくれば、アルブム様の内にある呪いを払える。もうひとつ、ここ世界樹の迷宮があるエトリアでは様々な人間が集う。当然、私みたいなあまり歓迎されない人間も。そして、私は腕の立つ同職の者を連れて来られる。お分かり頂けたかしら?」

 

 アウルム氏は理解した。ならばすぐにでもと言ったが、キアーラは首を振った。

 

「今日はもう遅い。この方も今は一応、眠られている。どう取り繕うと、外法な手で眠らせることには変わりなく、生き物の自然の流れを無視した超越行為は身体にも負荷がかかる。明日に備えて、眠れる限り眠って体力を回復させたほうがいい」

「何名来られるのですか」

「さっきも言った通り、私を含めた二人か三人。大勢でやろうとしたら同調に時間がかかる上、お嬢様の負担もその分大きくなってしまう」

「では、親友と協力されるのですね」アウルム氏の言葉にキアーラは片眉をぴくりと動かし、友達ではないと吐き捨てるように言った。

 夜には門が閉じられ、本都市には入れない。キアーラは一晩止めてもらい、明日一番に行き夕方には戻ると約束した。

 

 

 

 水と三分の一にちぎった食パンと薄いチーズ一枚のみ摂取し、キアーラは出かけた。

 既に事情は知れているので、キアーラと門番は互いに挨拶することなく通り過ぎた。花桜の館に近い所にある、老夫妻の住む家の二階をドナは間借りしている。夫妻は要らないと言っていたが、ドナは律儀に宿賃を払っている。エトリア出身の冒険者だからではなく、そういうところもドナが慕われている理由だろう。

 予定通りなら、家に居るはず。互いに住む所が近く、情報交換で何度も顔合わせているため、老夫妻はキアーラを知っていて、ドナに用事がある言ったら家に招き入れてくれた。お茶菓子を勧められたものの、当然、断った。

 

「すみません。今は訳あって飲食を控えなければいけないのです」

 

 キアーラはドナに会い、手短に説明をした。同胞であり国の発展にも貢献している者の一大事を以前から知っていたドナは快諾したが、少し苦笑いを浮かべた。

 

「それにしても、ピオレが素直に受け入れるかしら。実は今朝、あなたの存在を感知したらしくて、会いたくなくて家の裏側に回ったのよ」

「腕づくでも連れてくわ」

「そう。あの子、繊細だから乱暴はしないでね」

 

 そういうわりには今は普通の笑みをみせている。キアーラは一度外に出て、隙間を通り家の裏側に回った。臙脂(えんじ)のローブ、薄茶の外側がえらく太く跳ねたミディアムカット、顔の左半分を赤い刺青で染めた、冷たく見下したような鳶色のジト目の女。鎖付きの鈴をぶら下げているので、語らずとも彼女の職業がカースメーカーだとわかる。彼女はキアーラを一瞥すると、露骨に顔をしかめた。キアーラもやれやれと溜め息混じりに首を振った。

 

「ごきげんよう、ピエルパオレ」

「あら、てっきり吸血鬼かと思ったわ。愛称ではなく本名で呼んでいただきありがとう。あなたに愛称で呼ばれるなんて虫唾が走るけど」

 

 ピエルパオレことピオレは早速、喧嘩腰である。二人は仲が良くなかった。実力が拮抗する腕の立つカースメーカー同士で対抗意識があり、深層を探索する同業者だというのもあるが一番は意見の食い違いだった。

 カースメーカーが堂々と、ましてや自信満々に自らの戒められるべき力を誇示するキアーラの姿勢が気に食わなかった。一歩間違えば、自らの首を絞めかねない危険な能力。自重するどころか実力者とのたまうキアーラを好かなかった。もっと自分の力を理解し、冒険など必要な時に迫られた時以外は無闇に主張するべきではない。周りの者から恐れられ、誤解を生むだけだといった。

 キアーラは逆で、下手に隠せば余計に自分達は卑屈な奴らと見られる。自分はこんなに強いんだと堂々と誇ることで存在価値が認められ、こそこそすることなく大手を振って歩ける。もちろん無闇に力を使うべきではないけど、実際に能力があるなら、自分の力と存在を周囲に認められるように主張するのは当然。爪を隠し続けるだけが能ではないといった。

 カースメーカーとして謙虚にというピエルパオレ。卑下することなく自己をアピールしろというキアーラ。ピエルパオレはキアーラの考えを周りを顧みない傲岸だと言い放ち、キアーラはピエルパオレは自己卑下で固めた保守的思考の持ち主だと言い返した。以来、パーティ同士で会うときにも、二人は極力顔を合わせないようにした。一度、歩み寄ろうとしたこともあったが、互いの根幹にある考え方が受け入れられず、口論というより口喧嘩に発展してしまうので止めた。

 味方ではあるが、友とは呼べないし呼びたくなかった。

 

「あなたほど力に満ちたお方が私の協力を仰ぐなんて、どんな事態かしら」

「仮にあなたが依頼を受けたとしても、後で私に協力を求めていたでしょう。もう説明するわよ」

 

 ピオレと無駄口を叩き合う気はさらさらない。キアーラは起きたことを説明した。キアーラは役割も分担した。相手を眠らせ、惑わし、動きを封じるのが得意なキアーラ。対するピエルパオレは動きを鈍らせ、相手を畏怖により意のままに操り、ある禁じ手の術はキアーラより僅かに上だった。

 キアーラが主体で抑えつけている間にピオレが補助で動作を鈍らして、次にキアーラが補助で抑えている間に形を持った呪いの意思をピオレが操り、自滅させる作戦を提案した。陽が落ちる前にまた来るとキアーラは言いわたし、二人は禄に挨拶もせず別れた。

 一旦、宿に戻り、仲間がどうしているか確かめた。シショーが一人居た。「戻ってきて迎えがいないのは寂しいだろと思ってな」オルドリッチは予定通り、エドワードの身元引受人兼治療役として陽が昇る早朝前にゲンエモンと出発。コウシチ、ベルナルド、カールロは軽く一階を散歩してくると出かけた。みんなバラバラねとキアーラは言った。

 何か知っている者はいないかと思い、同職の者に聞き込み回ることにした。あの手の呪いは初めてである。少しでも、知りたい。

 しかし、一向に有用な情報は聞きだせず、駄目かと思った矢先、オルドリッチと親交があるヴァロジャたちが迷宮探索から帰ってきて、妹のエリカから話を聞けた。ヴァロジャの実妹エリカは立派な体躯と長身であり、長剣を振るう様は呪術師というよりかは戦士そのもの。腰に身に付けた鈴が無ければソードマンかパラディンにしか見えない。竹を割ったような性格で、ピオレが嫌いそうなカースメーカーの在り方をしているのだが、自分と違って陰険ではないためかエリカにはさほど嫌悪していなかった。

 

「私に技を教えてくれた故郷の師匠が知っていた。あの頃の私は今と違って、華奢な可愛い乙女だったねぇ」

「雑談は後」

「せっかちね。私も全て師匠から聞いた訳じゃないけど、人の内側に蛇のような竜を出現させる呪術を解いたことがある。竜は直接触れることができない。特別な呪術で作られたその竜はなんでも、好きな時に人の心を蝕み、身体を僅かに操れるらしいわ。師匠は右手が不自由だったんだけど、そのとき、その呪いにかかった人を助けるための後遺症だと言っていた」

 

 人の内側に竜? 聞いたことがない。この世にはまだまだ知らないことがある。キアーラはもっと話してくれとせがんだが、エリカは申し訳なさそうにお手上げのポーズをした。

 

「ごめん。これ以上は知らない。師匠は命懸けで消滅させたとしか言わなくて、対策方法は教えてくれなかった。知る必要がないって」

「何故なの」

「この術を使ったら、死ぬか。寿命が膨大に縮むか。異世界の怪物に身を食われる。太古、神や精霊が今より信じられ、私たちのような者たちが敬われていた時代には盛んに使われていたようだけど、たった一人とはいえ他人の人生を好き放題にして操れてしまうような術は危険も大きい。自然と使い手は減り、教える者もいなくなり、今や術を知る者は十人もいないだろう。わしも全ては知らないし、知りたくもない。どんな目的であれ、自らを含めた多くの者を殺めてしまいかねないものは無くなった方がいいと教えてくれた」

 

 今の言だと、エリカはともかく、多分、彼女の師匠は知っている一人ではないのか。知っているからこそ、そこまで詳しいのだろう。エリカに教えなかったのは、後世に残す意味など無いと悟ってのことだろう。エリカも恐らく、気付いているが師の意をくみ取り聞かなかったと思われる。彼女の師は術者を探り、ある町に潜伏しているのを突き止めた。周囲の証言によれば四十代の男だったようだが、彼女の師が見つけたときには痩せこけた白髪の老人の遺体が横たわっていた。追い出されたショックで術が跳ね返り、自らの術に命を食われた末路だった。

 寿命が縮み、死ぬのは本当らしい。異世界の怪物というのは例えで、あくまで呪術により生み出された竜を指しているのかも。

 正体不明の呪いと対峙する前に大変有力な情報を得られた。エリカが片手を差し出した。キアーラは仕方ないわねと五百エンを渡した。エリカはおっと、目を丸くした。

 

「気前いいねえ。百エンぽっちかと思った」

「人によってはそれ以上の価値がある。私の手元には今それだけしかなかった。それより、あなたにも来てほしいのエリカ。私とピオレがこれから対峙する上で、あなたの力強さは頼もしい。ピオレもあなたの前なら大人しいしね」

 エリカは少し考えた後、良いよと言った。「三割程度で手を打つわ」

「謝礼は千エンになるけど」

「金持ちってのはケチだねぇ。まあ、いいわ。恩を売っといて損はないでしょ。兄に伝えてから行くわ」

 

 ピエルパオレ、エリカ、役者は揃った。

 門が閉じる前に三人は出て行き、館に調達した頃にはほどよく陽も落ちていた。今日、お嬢様は早めに寝入ってくれるだろうか。エルパオレは館を見てもさして表情を変えず、エリカは金持ちはこれだからと呆れた様子で微かに首を振った。

 軽く挨拶をすませたら、ピエルパオレがアウルム夫人に質問した。

 

「もし、今日予知夢を見なかったら、そのまま熟睡するの?」

 

 ええ、そうですと夫人が答えた。そのときはそのときで、また日を改める。三人の予定を合わせなければいけないので、次の日にすぐ来られそうにもないことを事前に断っておいた。

 一応、食事は勧められたが、もちろん断る。役割分担をした。エリカは認めたがらないが、カースメーカーの力量は二人より劣っていた。キアーラとピオレは必要不可欠な縁の下の力持ちと持ち上げ、エリカを補助に回らせた。キアーラは抑え、ピエルパオレは可能なら消滅、あるいは追い出し(術返し)、エリカは徹底的に補助。時間にして九時、アルブム嬢が眠ったことを執事が告げた。三人は立ち上がり、部屋に向かった。

 

「さて、呪術小町三人衆いざ参らん、てね」とキアーラ。

 

 冗談も手を組むのも勘弁とピエルパオレが返した。

 部屋には夫妻が待機していた。とても不安気な面持ちで三人を見た。昨日の敗北に加え、関わり合いたくない人種が余計に三名も来て、早いとこ出て行ってほしい気持ちが言葉にせずとも通じた。金持ちでなくても同じ反応をしていただろうけど、これだから金持ちはと言いたくなる。

 まずは熟睡直前まで見守る。昨夜の疲れが残っていたのか、十分程度でかなり眠りに向かっている。娘の傍に寄ろうとした夫妻に、キアーラは来ないでくださいと言った。「昨日とは訳が違う。娘を助けたければ、黙って見てもらいたい」夫妻は納得しかねていたが、引き下がった。

 三人組はアルブムの額に手を添え、意識を集中した。

 白でもない黒でもない。ゆらゆらと揺らいだ灰色の世界がそこにあった。ぼんやりとした人の形が二つ。小さいのはピオレ。逞しいのはエリカだ。灰色に揺らぐ世界は暗く染まる。深い眠りに近づきつつある。暗闇の中に一点、ぐねぐね動く泥の塊が見受けられた。あれよ。言葉にせず、意識で伝えた。泥は肥大化したと思いきや、徐々に萎んでゆく。ここだ。キアーラは意識を泥の塊に集中し、泥が怪物になる前に必死に抑え込んだ。

 泥はあちこちが伸び縮みし、稀に鋭利な牙のような形になった。エリカの後押しを感じる。現実では、エリカは鈴をきつく握り締め、必死に己が力を振り絞ろうとした。泥の塊は見えない糸に絡まれていき、動きが鈍りつつある。お次にピエルパオレの番。

 肌身で感じるというのもおかしな表現だが、ピオレは泥の塊から恐るべき力を感じ取っていた。少しでも、気を抜いたら食われてしまう。

 ピオレの意思は泥の塊に触れた。そして、一片の躊躇や慈悲も見せず、命じた。

 聞け。我に従え。人の手により生み出された形無きものよ。汝に選択肢はない。この者の魂に触れる意味も、汝をつくりたもうた主に従う意味すらない。お前の存在に意味はない。己で思考すること、己で動くことすら許さん。聞け。我に従え。

 泥の塊は棘を突出し、ピエルパオレを刺そうとした。エリカの補助が入る。棘の動きが僅かに鈍る。ピエルパオレは何度も命じた。聞け、我に従え! 畏れよ、我を。

 泥の塊の動きが止まった。三人の術がようやく抑え、呪いの竜の支配権を握れた。ピオレは仕上げの時が来たのを感じた。

 畏れよ、我を。汝は全ての行為を我の命ずるがままにするがよい。我の最初で最後の言を下す。命ず、自ら裁せよ。己が存在を消しされ。

 泥の塊は始めこそ躊躇っていたが、もう一度、命じられたら従った。何十本もの牙が泥から出現し、牙は容赦なく泥をずたずたに引き裂いた。泥は粉々に砕け散り、細かな欠片が宙を漂っていた。欠片も崩れてゆき、呪いの竜はちりひとつ残さず自らを消滅させた。

 ふっと現実に戻る。視界がしばらくぼやける。キアーラはアルブムが寝るベッドにもたれるように座った。脇や背中がぐっしょりと濡れている。息も荒い。キアーラは重たそうに頭を動かし、二人がどうしているか見た。エリカは立っているのがやっとであり、ピオレは放心した様子で椅子にもたれかかっていた。

 

「ピオレには所詮、耐えきれなかったようね。そこまでの実力だったか」

「……黙れ。根暗」

 

 ピエルパオレは重たく口を開き、ぼそりと言い返した。重圧で心は壊れてないようだ。

 キアーラは自らに課せられた最後の仕事をした。アルブムの苦悶に歪められた表情が安らぐ。

 

「当初の依頼通り、当主様に安らかな眠りを与えました。さあ、汗を拭いておあげなさい」

 

 普段、頭を下げることがない夫人が涙ながら頭を下げて、娘の汗をタオルで吹いた。アウルム氏も警戒するような眼差しを向けつつ、安堵した様子で三人に礼を述べ、今夜はお泊まりくださいと言った。三人はありがたくこの申し出を受けた。とてもではないが、もう動けそうにない。使用人の介助を断り、三人は重い足取りで客室に向かった。キアーラは部屋に入るまえ、小声で夫妻に話しかけた。

 

「起きたら、食事を用意してください。豪勢なものを。それが報酬ということで」

 

 アウルム氏がそれぐらいなら結構と言った。部屋に入ると、何を話していたとエリカが尋ねた。改めてお礼を言われて、食事をたっぷり用意しておくと伝えられた。

 翌日。三人はばらばらの順に起きて、ピエルパオレが最後だった。食事はバーゲン方式であり、ピオレは起こしてくれればよかったのにと舌打ちしつつ、手当り次第に食べ物を皿に乗せて、貪り食った。キアーラはエリカにこっそりと耳打ちした。

「貰っておいた」エリカは笑みを浮かべた。一家や客人も利用する大理石造りの湯殿も使わせてもらい、汗と疲れを綺麗さっぱり洗い流した。

 しばし、休息してから、三人はアウルム家のお屋敷を後にした。帰りにはアルブムが自ら見送りにきた。目のクマは化粧で誤魔化してるが、肌には艶が蘇りつつあった。黄色のドレスが銀髪を映えらせる。アルブム、アウルム夫妻、数名の親戚と使用人に見送られて、呪わしい力が少しでも人の役に立てたことが誇らしかった。

 途中、エリカに分け前を求められて、キアーラは千エン札を差し出した。

 

「なにそれ? 私聞いてないけど」とピエルパオレ。

「これは、足りなかった情報料に加えて、今回協力してくれた私からの謝礼込みよ」

 エリカはえっと驚き、キアーラを見た。「豪邸からの報酬じゃないの」

「謝礼は千エンになるとしか言ってない。そして、あなたは同意した。約束通り、千エン払った。それに、あそこの食事とお菓子だけでも千エン分以上あるし、ただで豪華なベッドと湯殿も利用できた。これ以上なにを望むの?」

 

 エリカはキアーラを睨んだが、一呼吸を置いて、いびつな笑みをみせた。

 

「してやられたというわけね。これからは、人の、特にあんたの言葉を疑うのを覚えておくよ」

「表裏一体。どれも本当の私。常に疑う必要はないわ」

 

 だから、あんたは好きになれないのよとピエルパオレが言い、エリカが悪戯っぽい笑みを浮かべて同感と答えた。

 

「それにしても、あの子にあそこまで強い呪いをかけたのは何故かしら」とキアーラ。

 

 誰も答えられなかった。仮面の男であるのは明白。何故、どんな目的があってアルブムを呪ったのか。アルブム個人を恨んでいるのなら、既に呪い殺されていてもおかしくはない。その場合、夢を見る能力はアウルム本家夫人か近い親戚の誰かの子に引き継がれる。アルブムを生かしつつ、呪いをかけ続ける。あまりにも途方ない時間がかかる。単に栄華を極めた一族とその象徴が落ちぶれていく様を見たかっただけなのか。話に聞く仮面の男の正体と動機は不明のままである。

 エリカが陽気な調子で喋った。

 

「大丈夫さね! 今頃、呪いをかけた奴はお嬢の倍以上の苦しみを味わっているか、下手すりゃ死んでいる。あの手合いの呪いをかけるのは面倒臭い準備がいる。お嬢にかけられた呪いは解けた。もう安心!」

 

 そうねと頷いた。連続して悪夢、予知夢を見るということは、それほどまでに大変な事態か。はたまた、とてつもない大儲けに関することかもしれない。地味に聞き込み回るしか術者の正体を知る手段が無いが、そこまでの労力を払う気にもなれない。依頼達成。人の役に立てて、新しい知識と経験も得られた。これだけで十分。アルブムに安らかな安眠が訪れるのを願おう。

 だが、三人も、アルブムも知らなかった。今宵、本当の意味での悪夢を見ることになろうとは。

 

   ****

 

 アルブム落ち着いた気持ちで眠った。何年ぶりだろう。眠るのが楽しみなのは。眠るのはおろか、ベッドに近づくのも怖かった。心が妙にざわつき、予知夢を見ずとも上手く眠れなかった。だが、今はざわつかない。昔は普通だったのに、この感覚が新鮮にすら感じる。もう寝るのを怖がることはないんだ。

 アルブムは夢を見た。

 ちらほらと雪が舞う。冬だ。今年か、来年の一月か三月まではわからない。空はうっすらと曇りがかっているが、雪が降っているためだろう。

 アルブムは自分が宙に浮いている感覚がした。飛んでエトリアを見下ろしているのだ。世界樹も見える。手には地図も持っていた。アルブムはエトリア本都市の外に吸い寄せられた。多くの人々が行き交いする。壁を越えたら、どこまでも続く肥沃な広沃ヶ原が……。

 緑の草原はなく、大小様々な黒々とした物で草原は埋め尽くされてた。大半は人だとわかったが、怪物と思しきものも混じる。手に武器を持ち、エトリアの一般人から兵士、冒険者を殺める。世界樹に向かう。樹海生物も危険だが、外よりかはましだ。

 世界樹の迷宮の入口に近づいた途端、どっと樹海生物があふれ出て、付近にいた兵士と冒険者を蹂躙する。雪は赤くなり、雪と血でエトリア各地が紅白に染まる。アウルム家の屋敷に火が放たれそこに居る者たち諸共焼け落ちる。アルブムが何よりも恐ろしかったのは、太陽を遮る存在。翼の生えた巨躯。四頭の翼竜ワイヴァーンが高所から滅びゆくエトリアを見下ろしていた。

 アルブムは手が熱くなった。地図が燃えている。エトリアから燃えて、火の勢いはエトリアの隣国から隣国へと飛び火してゆき、灰になった。

 ワイヴァーンがアルブムのいる方角を見た。急降下して、四頭でも一番大きなのがアルブムを噛み砕いた。アルブムは確かに見た。背中に乗っているのは、黒い仮面の男だった。薄れゆく意識の中、アルブムはしかと見た。焦土と化したエトリアにワイヴァーンが降り立ち、軍団を引き連れ世界樹の迷宮に入る。そして、世界樹の迷宮を中心として各地で大崩落が起こる。軍団も、怪物も、生き残った人々すら裂けた大地は無情にも飲みこみ、大崩落の衝撃の余波で各地も被害に見舞われ、港がある姉妹都市を津波が直撃し、船で逃がれようとする者たちは波にさらわれた。いつ終わるとも知れぬ破壊と殺戮の後に残るのは、広廃しきった大地に立つ世界樹のみだった。

 

 アルブムは悲鳴を上げて飛び起きた。何事かと駆け付けた使用人たちを払い除け、アルブムは両親のもとへと急いだ。どうしたのだと戸惑いながら、アウルム夫妻は目覚めた。

 

「アルブムよ、もしやまた」

「お父様、お母様! 今すぐ荷物をまとめて! 早く逃げなければ」

「落ち着きなさい、アルブム。何を見たのか話しなさい」

 アルブムは震えながら、怯えた様子で語り出した。

「人が。家が。森が。全て消える。燃えて、なにもかもなくなる。エトリアも、エトリアに近い国も。近いうちに全てが滅んでしまう。逃げなければ、早く。持てる物だけを持って、皆で早く、逃げなければ、いけない。竜が来る前に、軍団が来る前に、怪物がやって来る前に」アルブムは嗚咽を堪えた。もどしそうになりながら、最後の言葉を告げた。

 

「みんな……死んでしまう。エトリアは滅びます」

 

 夫妻と使用人たちは恐怖と驚きが混じった表情でアルブムを見つめた。

 




タイトルはゲームのクエスト名からそのままお借りしました。

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