世界樹の迷宮 光求めし者達   作:鞍馬山のカブトムシ

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三十話.絶望のさなか

 ―――エトリアから遠く離れた国での出来事―――。

 

 巨大な贅の限りを尽くした、黄金色で埋め尽くされた宮殿。遥かまで広がる城下町。道路に敷き詰められた石のタイル。広大な田畑と森林地帯。

 一見すれば豊かに見えるが、近くにいってよおく見れば、そうでもない。森林は巨人に踏み荒らされたかのように薙ぎ倒された箇所が多く、焼け跡も目立つ。本来、豊かな秋のみのりをつけていなければいけない田畑も荒れており、作物もやせ細っている。管理をする地主と農民たちの顔は浮かない。賑やかなはずの城下町もひっそりとしずまり、まだ秋だというのに、閉ざされた密室のように音まで遮断されたかと思わせるほどの静けさ。行き交う人々の顔は暗く、時に疑わしい眼差しを向けあうのもしばしば。要所で血痕、矢を打ちこまれてハチの巣状に開いた壁穴など、戦いの生々しい痕跡も見られる。

 最近まで、この国では次世代の王座をかけ、醜い権力闘争が起き、民を巻き込む内紛にまで勃発した。長男、次男、王の隠し子。三人の間で我こそはと争いが起きた。民は無理矢理それぞれの派閥に組み込まれ、仲の良い隣人同士が刃を向け合った。内紛は当然、国を疲弊させて、人々の心は沈んだ。

 勝利したのは、一番年上の隠し子だった。陰湿なイジメを受けていた隠し子の恨み積もりは凄まじく、長男次男を殺すだけでは飽き足らず、妻子にまで手をかけた。また、先王と肉体関係にあったという女をつぶさに調べ、その女達から生まれた者は、誰であれ尽く葬った。その際、かけられた報酬に目がくらみ、嘘をつく者が増えた。友を売り、恋人を売り、ときには家族を売る者まで現れた。かつての栄光はどこへやら、国は衰退の一途を辿る。

 停滞しきった空気の中、ひとつ、溢れんばかりの熱気に満ちている場所があった。

 人生にうみ疲れた者も、疑いの眼差しを向け合っている者たちも、そこに向かうときは瞳に生気が宿った。

 この国に来た、英雄。その英雄が語る、自分達の真の敵を倒す。それが人々の心の支えになっていた。

 宮中の隣には、一神教の大聖堂が建立(こんりゅう)。だが、かつてそこにあった最高神の像と、寵愛を受けて、神の位に就くことを許されたと伝えられる八人の神の像は惨めにも打ち砕かれてた。椅子が敷き詰められた大聖堂からは椅子が無くなり、現在では、地べたに座ってある者を信奉していた。大聖堂にはこの国以外の者もいて、余所から来た者もいれば、連れてこられた者もいる。

 その大聖堂に騎馬の一団が接近した。陽で肌ばかりか髪まで焼けたような、何度か戦場を経験したかと思わせる険しい顔付きの、ざんばら髪の精悍な男が騎馬集団の先頭だった。

 彼が近くを通ると、カセレス様と人々は頭を下げた。カセレスは自分の名を呼ぶ人々を一顧だにしない。今も昔も盗賊である自分が、英雄気取りでにこやかに笑顔を向けるのは苦手であり、これからもそうしないだろう。カセレスと呼ばれた男は大聖堂に到着すると、自らが仕える主の下へと急いだ。裏手を周り、今や王よりも寵愛を得て、王からも頼られる男が住まう深く掘られた地下道を目指す。

 松明を持たせた二人の部下を先頭にして進む。小さな鉄扉がある。数回ノックをし、合言葉を告げる。

「全ては闇にある」

 内側から閂が開く。鉄扉を開くと、中は広大な空洞が広がる松明以外の灯りが存在しない真の暗闇。空洞の正面の奥では、灯りでぼんやりと形作るものがあった。近づくにつれて、影は明確に形作り、金糸銀糸のマントを羽織る黒い仮面を身に付けた者が王座に腰掛けていた。

 カセレスはムッと眉をしかめた。何度来ても、空洞に溜まる腐臭は慣れない。全て、彼の吐く息と、王座の裏に隠された秘密の地下通路から漏れ出た空気のせいだ。仕事の時を除き、大勢の前では吐かないはずの臭い息をここでは遠慮なく吐いている。仮面の隙間から、しゅーしゅーと、リズミカルな吐息の音がする。カセレスは単刀直入に申しあげた。

 

「戦をするのか」

「そうだ」

 

 仮面の男は率直に答えた。濁されるかと思っていただけに、素直に返されて、カセレスは逆に動揺した。彼はいつもそうだ。先を読み、普通なら思ってもみないことをする。知り合ったばかりの頃、彼が仮面を付ける前の時代。ある特別な力で常人とは異なるのを除けば、まだ自分のようなそこらの無法者の面をしていた彼ならば、まだ何を考えているか読めたが、ある日を堺に彼は一気に変わった。包帯で顔をぐるぐる巻き、おまけに仮面まで付けたとあっては、表情から読み取ることなぞ不可能。

 彼は昔、大層な美男子であったが、あることで自らの鼻を削いで顔を焼き、おまけに片目まで奪われた顔は見るも無残なものになった。もっとも、仮面を被る理由はそれだけでない気がしていた。

 彼が変わったのはそれだけではない。人々を扇動し、あまつさえ翼の生えた恐ろしい存在まで手なずけるほどの力を手に入れた。姿や声、仕草は彼のままなのに、彼以外の別の何かが宿ったとしか思えない。しかし、せんじても仕方ない。

 彼は片手を挙げて、まだ喋ろうとするカセレスの言を制した。彼に手を向けられた瞬間、圧迫感に襲われ、寒気もした。自分が道端を歩いている虫けらのごとく踏み潰されるイメージがありありと湧いた。一番の古株であり、比較的優秀だからといって、立場を忘れてはならない。

 彼が王座に手を戻すと、圧迫感は消え、身を切るような寒気も無くなった。誰も口を開かない。勢いよく乗り込んだカセレスも、彼の威圧に呑まれて口を利けなくなった。仕方なしと言わんばかりに、彼自らが沈黙を破った。

 仮面を被っているわりには、くぐもってない。さきの大蛇がうなるような吐息から一転、よく通るバリトンボイスになった。

 

「お前の心配は解る。だが、まずは私の話を聞け」

 カセレスと側近の者らは居住まいを正した。

「ある者にかけた呪いが消えた。その者はよく当たる予知夢を見る事で評判の女。すぐには信じなくても、繰り返し主張をすれば、女の言うことを信じる者が増えるはず。だから、女の言がまだ戯言と思われている、防備が薄い今のうちに行くのだ。無論、それだけが理由ではない。お前ならわかるな」

 

 カセレスは頷いた。理由はそれだけではない。彼は暑い時期が大嫌いなのだ。

 彼は夏や春、暖かい時期を嫌悪していた。そして、その時期になると心なしか弱まっている気すらした。そんな弱まった大将を見て、従う者はいない。だがしかし、秋、ことに冬となれば別。普通の人間なら動きが鈍りそうなものを、彼は正に水を得た魚の勢いのごとく活発になり、全てにおいて力強くなる。実際、人間を含む生物が寒さに凍えて、生命の活発さが失われていく時季、逆に彼は生き生きする。命から輝きが失われていき、力が弱まり、寒さで震える様を喜んでいるのだ。

 厳しい自然環境にめげるどころか活力を得る彼を見て、彼に従うある思念の下に統一された従順なる駒共は寒さを忘れて身を粉にして働く。

 時間だと言い、彼は暗闇の王座から立ち上がった。カセレスたちは道を開けた。

 カセレスと側近の者たちは空洞を出て、新鮮な空気が吸えてホッとした。あそこでは本当に息が詰まる。

 地上に出て、彼の姿が目に留まるや、人々は目をらんらんと輝かせて、次から次へと近い歓喜の声が城下町にあまねく勢いで広まっていく。歓喜の勢いは広まりにつれて熱を帯びていき、やがて狂気へと変わり、一心不乱に彼の名を叫んだ。カセレスは彼の名を一様に口ずさむ歓声を不気味に思った。彼らの瞳の奥には喜びとは別の感情。抗わないよう、徹底的に服従の証を体に刻み込まれて、調教された奴隷が見せる眼差し。恐怖、もしくは絶望。人々は尊敬よりも、彼に対する恐怖の方が強かった。 

 彼が一言、誰かを指して殺せと命じれば、喜んでその命令を聞くだろう。あるいは彼が自ら手を下すときも。忘れたことはない。出過ぎた真似をして、皆の前で処刑された者たちのことを。彼らは絶叫を上げて、吐瀉物を撒き散らし、急激にやせ細って髪が抜けて白くなり、恐怖に歪められた顔で絶命していった。

 人智を超えた力で人が殺められるのを見た時、カセレスなどの長いこと修羅場に身を投じてきた者すら恐怖を抱き、多くの者たちは戦慄した。そんな彼が自分達の味方をすると言った時、人々は躊躇いなく彼に従うことを決めた。彼への恐れのため。

 そして、殺されたくない。見放されたくないといった感情以上に、彼という対象を崇めることにより、彼が自分達に恐ろしい力を使うこともない。それどころか、自分達を守ってくれるはずという安心感を得ていた。実際のところ、彼は意味不明な動機かつ完全に私利私欲で動いているのだが、そのことを本人はもちろん、カセレスなどよくしる側近が言うはずもないし、言えるはずがなかった。彼らもまた、彼に対して尊敬以上に抗いがたい恐怖の念で縛られており、多少の意見は述べることはできても、逆らうことなど死に等しい。

 また、それとは別に、人々は彼のある秘密を知りたかった。彼は不死身だった。

 大勢が居る前で起きたことで、彼は自らの命を狙う者たちに剣で刺されても、彼は死なず、血の一滴も流れなかった。そして、自らに突きたてられた剣で逆に相手を殺したのだ。人々が恐怖とは別に、彼を敬うもう一つの理由があるとすれば、多くの権力者が願った不死身の肉体になる方法を聞きたいがため、王も民も彼を信奉した。

 大聖堂にの演説台にあがった彼が顔の高さまで片手を挙げると、聴衆の賑わいは静まった。

 彼はよく通る男の声で語りかけた。

 

「みなよ。よくぞ来てくれた。さあ、我らの新天地へと向かう時が近づいた。だが、新天地には大きな障害がある。それは何かわかるかな?」

 

 彼の問いかけに聴衆はざわつき、自然だという者もいれば、怪物がいるからだという者もいた。

 

「確かに自然も脅威だ。怪物もだ。しかし、一番の脅威であり、最も恐ろしいのは、偉大なる世界樹の富を貪り、

無知なる者たちを送り出して更に富を得ようとする者ら。そう、エトリアだ!! あの野蛮極まりない彼らがこともあろうに、地上の奇跡とも呼べる世界樹に根付き、肥えた大地に恥じらいなくのうのうと居座っているのだ。我らの国と裏で通じ、此度の戦の原因をもたらした一つである彼らは安穏と惰眠を貪っている。こんなことが許せるか!? いや、断じて許してはならない。私から大切なものを奪い、あまつさえ、他国にまで手を伸ばそうとする欲深き輩に反旗を翻すのだ」

 

 彼の声に耳を傾けていた聴衆は憤怒の表情に変わり、誰かがエトリアに死をもたらすべきと叫んだ。その誰かは、実は彼の部下であるが気付く者はなく、そうだそうだと同調した。

 

「そうだ。許してはならん。我らのあるべき繁栄を奪った原因を隠し、善人面をする卑怯者を生かしてはならない。エトリアだけではない、エトリアに関わる全てのものにもだ。正義の鉄槌をエトリアに下し、奴らの謀略で築き上げた物を全て奪い返すのだ。勝利と力は我にあり!」

 

 彼が両手を高々とかざしたのを合図に、黒い影が突如として大聖堂一帯を覆った。人々は膝をつき、ある者は頭を抱えて恐怖した。

 風を力強く切る羽ばたく音。それらの内一体は咆哮した。落雷のごとき咆哮に多くの者が耳を閉ざした。

 黒い影は四つに別れ、一体は彼が居る大聖堂に着地した。着地の衝撃で大聖堂は全体を揺らしたが、崩れることは無かった。蝙蝠のように薄く、先端が恐ろしく尖った被膜の翼。翼の内側や腹は赤みがかった金属身を帯びた橙色で、背中や表面は淡い緑の鱗で覆われている。尻尾は大木のように太く、蛇みたいにくねる。頭は鰐に近く、弓なりに歪曲した黒い両角が目元の近くに生えて、上顎は槍の先端のように出っ張っていて、下顎はギザギザと細かく鋭い棘だらけ。虚ろな朱に染まった瞳孔はどこを見つめているかわからない。

 世にも恐ろしき翼のある怪物の出現に、聴衆は怯えた様子で彼と怪物を交互に見やった。

 

「私とこれらがいる限り、敗北はありえん。見よ」

 

 彼は怪物に向かって、左手の人差し指を指揮者のタクトのように素早く振り下ろした。すると、怪物はびくりと身を硬直させて、そのまま大聖堂の上で身を伏せて、彼に従う意を見せた。

 

「見よ。空の支配者ワイヴァーンですら、私の前では赤子同然。何も恐れることはない。君たちは私の言葉に従い、動けば、全て上手くいく。現世でも来世でも、幸福になれるのだ。私に従えば多くのことを約束しよう。さあ、時は来たれり。準備を進めるのだ。エトリアへと攻め入り、我らの新たなる架け橋となる新天地を築き上げよう。私の協力者たちにも手伝ってもらう」

 

 カセレスら幹部は頷き、彼に直接使えることを認められた七人の勇士の内、身辺警護で残留した二名は無言で彼を見上げた。カセレスの背後には屈強な金髪の男たちがいた。聴衆を見る目は侮蔑で充ちている。また、困惑な表情を浮かべた、灰褐色の鎧と冑を身に付けた黒い髪と瞳の黄色人種の者たちもいた。

 この狂った歓喜を冷静に眺め、騒ぐ民衆をすり抜けて行動する者がいた。彼はエトリアから来た密偵だった。彼は人気のない路地に入ると、ドアの無い朽ちた空家の窓に石を投げいれた。一人の男が顔を出し、頷いたら、彼は空家に入った。

 

「大変な事になった。事態は急を要する。私は一度、祖国に帰る。君も一度、逃げたほうがいい」

「お互いの無事を祈る」

 

 密偵は籠に居る隼の両足に小さく折り畳まれた紙を一枚ずつ巻き付けた。頼むぞと言って、隼を籠から解き放つ。隼は建物の間を潜り抜け、あっという間に町はずれか森の方へとたどり着いた。後はあの隼が弓や鉄砲、あるいは地上に住まう怪物たちの目から無事に逃れて、仲間たちの居る所までたどり着くのを願うばかり。

 残る自分達二人であったが、彼らが帰途につくことはなかった。何故なら、彼らもまた見張られていて、欲に目がくらんだ近隣の住民が彼ら二人を金に換えたからだ。その住民は密偵の協力者である男とは縁はあった。自分の困窮に耐えきれないのもあったが、それ以上に実質この国を支配する者への恐れから、男は自分が助かるために友を売った。必死の逃亡も虚しく、二人は屈強で残忍なことになれた金髪の兵士達に捕まり、長い拷問の末、見せしめとして処刑された。しかし、二人は頑として口を閉ざした。たとえ事実をすぐに明かしたところで、とうに遠くへ飛び去った隼に追いつける者はいなかっただろう。

 処刑の時。王自らが彼らのありもしない数々の罪状を読み上げ、仮面の男が自ら手を下した。仮面の男が通る際、王が男に僅かながら会釈するところを目撃した者が何人かいた。王が一介の先導者に頭を下げるなど、今やもう、大国の全てを男が握っていることを図らずも知らしめた。間際に密偵の協力者である男が傷だらけで生々しい面を上げた。故国の現状を憂い、仮面を常に被る悪魔から国をなんとかして守ろうとした男は相手に向かって唾を吐きかけて、これを最期の花道にと、乾ききった体と鞭でずたずたに裂かれた口から大声を絞り出した。

 

「暴君に死を! 悪魔の導きに未来はない!」

 

 仮面の男が無言で二人に手をかざした。黒い靄が二人を包む。二人はがくがくと打ち震え、髪の毛は白くなったと思いきや一気に抜け落ち、二人は骨と皮だけになった。二人のしわくちゃだらけで虚空に見開かれた目は見る者の背筋を凍らせて、護衛についていた者らも彼から怯えた表情で離れた。一瞬の静寂ののち、彼の名が叫ばれた。

 

「エトゥ様万歳! 偉大で高潔なる義賊の生まれ変わり! サンガット大国の(まこと)なる守護神エトゥ様!」

 

 一様に天に向かって拳を突き上げた。民草は仮面の男、エトゥの名を合唱した。

 少なくとも、彼を敬う限り、彼がその力を自分達に振るうことはない。彼の機嫌を損ねなければ、この愚か者二人の末路を辿る心配はない。民衆は二人のむくろに石を投げつけ、罵声を浴びせて引きずり回した。二人は死んだ後も散々辱められた。

 だが、二人の死は決して無駄にはならなかった。二人が捕まった翌日には、隼は無事に目的地に着いたのだ。そこから更に多くの手紙が陸路と海路、ときに空を渡って急ぎ、エトリアを目指して送られた。

 

          *―――――――――――――――*

 

 二頭の馬が牽引するのは、どこにでもありそうな木でできた荷車とそこに乗る三人の男。内一人は憔悴し、顔や手足に生々しい傷跡があるものの、穏やかな顔つきで眠っていた。

 目が覚めたとき、木漏れ日の光がいたく目を刺激した。喉がかれているので、ぼそぼそとした小さい声になってしまう。

「太陽の位置からして、昼に近い」とオルドリッチがエドワードに教えた。

 爪を剥がされた右手の小指や身体の節々に痛みはあるものの、動けないことはなさそう。ねずみ色の地味な着物を羽織る、ばさばさした白髪とヒゲが目立つ男、師であるゲンエモンから無言で薄めた酒を入れた水筒を渡された。喉がぐりぐりと動き、からからな舌が膨らみ、満足するまで飲んで口から水筒を離した直後、じわりと唾液が口の中に広がる。ようやく、身体的にも生き返れた。後は腹さえ満たせればいうことない。

 一体、なにがどうしてこうなったのか。皆は無事か。あの女は結局、何者で、誰の差し金で来たのか。聞きたいことが山ほどある。エドワードは両手で体を押し上げるように持ち上げ、荷車の囲いにもたれた。エドワードはゲンエモンに尋ねた。

 

「今の状況を簡潔に教えてくれませんか?」

 

 ゲンエモンはううむと顔をしかめた。言うのを躊躇っているようにも見えるし、怒っているようにも思える。ふぅと鼻息を吐き、「あまり良くない」と言った。

 わかりきってはいたが、形はどうあれ、所詮は余所者。その余所者が自国で殺人を犯したのだから、唯では済まされない。ホープマンズと一族の者たちへの信用と信頼は落ちて、今は表だった接触が避けられているようだ。ゲンエモンが安心せいと告げた。

 

「お前さんの仲間や家族と同胞には今の所、あらぬ危害を加えられてはおらん。周りから一歩分距離を保たれ、心無い好奇と冷たい猜疑の目は向けられているがな。それにだ」ゲンエモンはエドワードの肩に右手を置いた。「全ての者が見捨てた訳ではない。お前さんを慕う者、ホープマンズと家族の者たち、そして、わしやオルドリッチ、ガンリュー、オルレスやシリカなど。一部ではあるけど、お前の事を信じ、味方する者たちがいることを忘れるな」

 エドワードは無言で頷いた。一人彷徨っていた頃とは訳が違う。今の自分には、自ら以外にも頼れる者がいる。

「さてと、聞きたいことが山ほどあるのはお前さんだけではない。あの、ナザルなる頑迷という言葉がぴったり当て嵌まる男の話だけではいまいちわからんし、信じられん。着くまで時間はある。時間の許す限り、エドワード、お前の身に起きたことを話してくれ」

 

 エドワードは経緯を語った。女将から手紙を運ぶように言われたこと。いざ、港に行ったら、娼婦が絡んできて、背を向けたところをナイフで刺そうとし、仕方なく反撃。怪我を負った女を介抱しようと、女が持っていた薬を飲ませたら、おまぬけにも自ら一服を持ってしまったこと。ナザルの拷問の下りは避けた。ゲンエモンは、女将は例の知り合いから話を聞いたらしいが、そんな部下に手紙を託した事実はないと言ったらしく、つまり女将も騙されていたのだ。

 もう少し、冷静に考えれば良かったのにとオルドリッチは言った。エドワードは少しムッとして言い返した。

「あの状況で至極冷静に行動なぞできん。人に囲まれ、槍を向けられ、女が血を吐いて倒れていては。まあ確かに、少しでも疑うべきだった」これ以上の言い訳は見苦しいと思い、エドワードは口を閉ざした。

 人生山あり谷あり。ゲンエモンが教えてくれた言葉を思い出した。人生良い時と、悪い時は続く物というが、よりにもよって、順風満帆な時に来なくても良かったのに。上手く行かない場面は何度もあった。めげていても意味がない。即座に行動あるべしと心がけていたが、今回はショックが大きい。溜め息の一つぐらい吐いても文句はなかろう。

 

「そうそう、オルレスがお前さんが裏でこそこそしている訳を教えてくれたぞ」

 

 ゲンエモンは何気なく言ったつもりだろうが、エドワードはえっと、思わずゲンエモンを凝視した。

 

「全部ではない。ただし、今回は事が事だからと、わしなら信用できると教えてくれた。掻い摘んでな」

 

 エドワードは馬の手綱を握るオルドリッチの背を見た。彼もわしと同じぐらい既に事情を知っていると言ったので、エドワードは安心した。ゲンエモンは神妙な目付きでエドワードを見た。なんとなくだが、肩を落としているように思えた。ゲンエモンはぽつりと言った。

 

「お前さんがまさか、工作員をしているとは夢にも思わなかったわい」

「いえ。あくまで、最低限の協力をしているだけであって、完全な手先になった訳ではありません」

「同じようなものだ」

 

 エドワードは居た堪れない気持ちになった。事を説明するのには時間が要る。エドワードが話しづらそうなのを見て、ゲンエモンは穏やかな口調で問いかけた。

 

「話せる部分だけ話せば良い。例えば、見返りにこういうのを貰ったとか」

「いいえ。金や高級品の類を一度も受け取ったことはありません。ただし、条件を三つ要求しました。一族が復興するまでの間、難民を受け入れ、捜索に協力してほしい。生活は始めの内だけ保障してくれ、後の生活はこちらでなんとかするとも。私がコルトンとコンビを組んでから半年後、難民が一組来たのを覚えていますか?」ゲンエモンはうむと頷いた。「私は頑張りました。そして、コルトン、特にあなたはとても協力されてくれた。だが、それだけでは駄目だったのです。将来的に何十人と来るのなら、まあ色々と面倒な手続きの他にも、問題が出てくる。だから、彼……オルレスがこう言ったのです。受け入れの手続きや問題に手を貸すのを条件に、少し働いてくれないかと持ちかけられました。こういった国柄ですから、暗殺とか物騒な仕事はありません。手紙や荷物の受け渡しをしたり、あるいは執政院からのミッションという形で下されることもありました。モリビトの一件が良い例ですね。断れるはずもありません。今の関係が無くても、自分達の立場が認められることを思えば、結局は参戦しましたが」

 

 エドワードが語り終えた後、オルドリッチが口を開いた。

 

「色々と聞きたいことはあるが、自由うんぬん言うお前は、そういったこととは無縁の人間だと思っていたよ。思い込みはいけないな、うん」

 嫌味っぽく、皮肉めいた喋り方だったので、エドワードは声のトーンを落として、何が言いたいと尋ねた。

「裏切られたとは思っちゃいないさ。俺の仲間だったらショックを受けるが、あんたは俺らの一員じゃないしさ。ただな、あんたの仲間はどうか。俺だったら、少なからず、裏切られた、騙されたと思うね。あくまで俺個人はな。あんたの仲間がどう思うかは知らん」

 

 エドワードはゲンエモンを見つめた。

 

「まだ明かしてはおらん。自分の口から伝えるのだ」

 ゲンエモンは佇まいをただし、正座をしてエドワードを見下ろした。エドワードは全体を押し上げるようにして、姿勢を真っ直ぐに正した。ゲンエモンの声は、優しいものから一変、修行の時の厳しい物に変わった。

「エドワードよ。人には誰も隠し事がある。わしにもな。だが、長く隠し続けるとその分、段々と明かしにくくなり、取り返しのつかないことになる。お前と仲間はまだ若い。多少、わだかまりも生まれるかもしれんが、きっと乗り越えられる。勇気を持って、全て話せ。おのれと、仲間の器を信じよ」

「ですが、あれとの約束では」

「彼がもう少し言ってくれた。本当に信じるに値する数名のみ、話しても良いとな」

「オルドリッチ、馬車を止めて、良いというまでの間、離れていてくれないか? お前は師でも無ければ、俺たちの一員でもないし」

 

 オルドリッチはチッと、舌打ちをして、馬車を止めた。エドワードはやっと言い返せて、これでもかとほくそ笑んでみた。オルドリッチは軽くふんと鼻息を鳴らし、概ね五十メートルも離れた位置にある木陰にもたれ、二人の話が終わるのを待った。

 幾分が過ぎて、エドワードがおーいと叫んだ。オルドリッチは何も聞かず、二頭の馬に再び前進するよう、手綱を引いて命じた。聞かなくても、ゲンエモンの渋面を見て、エドワードが語った事があまり明るい内容ではないのを悟った。

 本都市に着いたら、まずは家族に一目会いたい。次は、パーティのメンバーにも。願うなら、一同で会したい。エドワードは詳しい事情を家族に話す気は無かった。余計な重荷を背負わせたくなかった。それでなくても、今回の一件で随分と苦労させられているのが目に見える。ゲンエモンを除けば、血を越えた絆で結ばれたあの五人にこそ、話しても良いと思えた。いずれにせよ、話す必要がある。時機が早まっただけだ。自分がしばらくの間、迷宮踏破を目指す冒険者ではなく、かつてのように、長い旅路をゆく旅人へ戻る前に。

 その前にどうにも腹が減ったので、エドワードは二人に食べ物があるか聞いた。オルドリッチが後ろ手で水筒を渡した。

 

「一定の絶食が続いた状態でいきなり固形物を摂取したら、腹を壊す。野菜が崩れるまで煮込んだスープが入っている。それを飲んだら肉をやる」

 

 エドワードは素直にありがとうと礼を述べ、ゆっくりとスープを飲み、ゲンエモンから渡されたミカンと干し肉にかぶりついた。いまの自分にまずできるのは、食べて体力を回復するところからだ。

 


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