世界樹の迷宮 光求めし者達   作:鞍馬山のカブトムシ

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三四話.不在期間

 澄み切った寒い空気にさらされた外壁は堀に湛えられた水の反射も受けて、酸化した鉄のように黄色く照り映えてた。補強工事により、例年より一層きらめきが増していた。見張りとは別に、淡青の服を着て楽器を抱えたジャンベが一人、遠く見据えて佇んでた。コルトンが下から呼びかけた。

 

「おい、そろそろ戻れ。二週間やそこらで帰って来られない」

 

 夕陽を眺めてたのですよと言い訳しつつ、ジャンベは外壁の階段を軽やかに降りてきた。

 エドワードが旅立ち、早二週間が過ぎた。

 ローテーションでエドワードがたまに休む日はあった。しかし、今はメンバーが実質一人いなくなった状態。探索の仕方にしろ、休みにしろ、その他諸々の細かなことなど、以前の六人がいたままのやり方ではやっていけなくなり、少しずつ変えて慣らしてく必要に迫られた。

 平日の火曜日から土曜まで迷宮に行き、日曜は半日程度。月曜は完全に休みとした。六人になって、違和感はあるものの、むしろ普通だと言う者もいた。人数が多いとそれだけ樹海生物に存在を感知されて危険なゆえもあるが、迷宮内部での通路は本来、集団行動に不向きであり、限定されて空間では、少人数でのほうがより効率がよく、迅速に行動できる。故に、冒険に行く人数は多くの犠牲と試行錯誤の結果、最大五人で行くのが一番良いという結論に達したので、五人でちょうど良かろう。

 それはそうだろうが、当人たちとしては、なんだかんだ六人でまとまり、リーダー不在なのはどうだろう。いない日でも思うが、いなくなってはっきりわかるのは、エドワードは探知能力に優れた狩人で、並の兵士や傭兵より近接戦闘も強く、おまけに百発百中に等しい腕前を持つ射手と三役をこなしてたのを改めて知った。

 リーダーの役割を含めれば、実質四役こなしてた者が一時的にとはいえ去り、ホープマンズの歩みは目に見えるほど遅くなった。他の組が四歩、五歩先行く間、やっと一歩進む。

 探知能力に秀でた者がいれば別だが、新しいメンバーを入れる籍はもうない。かといって、事あるごとにカースメーカーやレンジャーを借りる訳にもいかず、借してくれるとは限らない。大事なメンバーをてめえのところで亡くすならまだしも、余所に借して亡くなったとあっては、やるせない。本人と関係者にも申し訳が立たない。

 今日は水曜の夕方。本当なら、樹海生物たちが更に活発化する夜中より前の時間帯まで活動を続けたかった。

 負傷は無かったものの、二回も立て続けに奇襲に遭い、大変危険とコルトンが判断し、昼までには探索を打ち切った。メンバーはそれぞれ、自身の五感を尖らせて、注意深く進んでいたが、やはり限度がある。もちろん、そこらの一般人よりかは観察や探る能力は優れているつもりだが、幼い頃から培った経験ないし能力には劣る。コルトンの判断にロディムは臆病と罵られて、何も言い返せなかった。

 ギルドの冒険者心得には、カースメーカーやアルケミストなど、特殊な生物への対抗手段として特殊な攻撃をする者はとても必要と書かれてる。それ以上に、危険を察知し、探ることに優れた能力を持った者はもっと要ると付け加えた方がいいとジャンベは思った。

 アクリヴィは以前と変わらず。だが、コルトンは変わった。というか、二週間で疲れた顔付きになり、無精髭を生やしたままで、余計に老けて見える。自分は相応しくない。小者だとコルトンは自信を無くしてた。

 メモや細かな物を書いたりするが、計算をしたりする帳簿や緻密な物はアクリヴィとマルシア。知的な女性二人が分担して行ってたので、負担は軽いはず。それよりもと思い、好奇心に抗えず、ジャンベは並んで歩くコルトンにやっと聞いた。

 

「人の上に立つのは辛いですか? あなたは誰から見ても、沈んでるようにしか見えない」

 

 なんだと目を丸くした。「人の上つっても、たかが四人さ」そうして、ふと黙り、都市と壁を区切るようにある広場の階段を登ると、口を開いた。

 

「たかが四人。俺を入れたら五人。ただ、まあ。普通の仕事ならまだしも、命懸けのやつだからな。俺を入れた五人分の命がかかってる。それを自慢の身体と盾で守る。前と変わらない。だけど、曲がりなりにも上に立ってやるとなると、違うな」

「リーダーという立場でやれば、重く感じますか」

 ううんと唸り、そうかもなと言った。

「思えば、俺はこれまで、明確にしたいことが無かった。俺は自分でどこかに行って何かをやると決められるが、そこから先の具体性に欠けるんだよな。だから、傭兵は基本そうとはいえ、自分の身を守る以外は隊長や誰かに決められて行動してた。で、世界樹で一旗挙げたいと思って来た。けど、思い返せば、とにかくビッグになろうと考えてただけで、またしても具体的にどうこうしたいとか無かった。だから、エドワードに会えて良かったと思ってる。俺のただ、英雄になりたいという願望に、具体的な物を与えてくれたからな」

「では、もし、会わなければ」

 ジャンベの問いに、コルトンは悟ったような表情で微かに微笑み、答えた。

「多分、もうここにはいなかった。あるいは、冒険者辞めてたかもな。断っておくが、俺は世界樹踏破して英雄になりたい想いは変わらないぞ。なって、どうなるかはわからんが、今まで誰も成し遂げられなかった時の風景や人生がどう見えるか知りたい。別の言い方すれば、人生の希望の光とはなにか、かな? とにかくだ。俺の曖昧な夢に、あいつは何をするべきかを与えてくれた。俺じゃなくてあいつのしたいことだけど、大きいが他にやるべきことが見えて良かったと思ってる。しかし、可笑しな話だよな」

 今度はわははと声を出して笑った。「農耕や牧畜なんて、うだつの上がらねえ事なぞやってられるかと傭兵や冒険者になったのに、ここに来て、復興や仕事の手助けで農民と同じことして、悪くないと思ってるからな。可笑しなものだ。かなりずれたが、俺は英雄とかビッグになりたいが、人の上に立つのが苦手。今まで、考えたこと無かった。短い間だが、リーダーとしてお前らをまとめるのは、手く言い表せないけど、変な気分なんだ。リーダーとして細々とどうして指示を出し、自分はどう動けばいいんだ。全力で盾を持つだけじゃ駄目なんか。余計なことを考えちまう」

 

 コルトンとジャンベはわざとゆっくりと歩き、ジャンベは大人しくコルトンの話に耳を傾けた。コルトンは成る程と呟いた。はてと、ジャンベは首を傾げた。なにかとジャンベは聞いたが、コルトンは答えるもんかと、子供っぽくにやけた。

 エドワードがジャンベを誘ったのは、単にバードの才能や冒険者の素質があるからだけではなかった。今なら真に理解できる。話しやすさというか、親しみやすい一面に、良くも悪くも裏表がない信用と信頼できる人柄が良いと思い、六人目のメンバーとして加えたのだろう。悪いなとコルトンは言った。

 

「こんな器の小さい奴の下らない話を長々とよく聞いてくれたな。酒、いや、お前の声を保つためにも、酒よりかは茶や牛乳が良いのか? 奢ろう」

 

 宿では既にロディムがテーブルの一つを取っていた。時間帯のせいもあるが、宿からは宿泊する者が若干、少なくなった。

 長鳴鶏の館は主に冒険者が利用して、長期滞在を想定した宿泊施設。エドワードにかかった容疑が晴れたわけではないが、同じ冒険者で非難の声や猜疑の目を向けてくる者はあまりいなかった。それはそれ、これはこれ。自分達に害を加えるわけではない、現状は無視をするのが一番だと、野暮ったいことをする者はいなかった。あいつらはそういう奴らだったんだよとのたまう者もたまにいるが、聞かないふりをした。一部、以前と変わらず接してくれる者たちもいる。

 同じ宿で限れば、赤い髪のコンビでも知られる女剣士アデラとパラディンのブルーム率いるレッドユニティ。かつては五人いたが、マンティコアとの戦闘で三つ子の二人と双子の片割れが亡くなった今も、二人で冒険を続けている双子の長男ダルメオと三つ子の次女フィリ。彼らとの交流は続いてる。

 ロディムは、ぽけーっと退屈しきった様子で椅子にもたれてだらけてた。多少の無理は承知。お前の頭には臆病者しかいないのかよと罵ったこともどこ吹く風、二人を見やっても、居住まいは正さなかった。

 何も言わず、二人は座った。ロディムの罵倒はともかく、彼のこの態度までは責められなかった。何故なら、夜や夕方と通常の半分で戻ってきたから、剣や斧の近接武器の刃を研石で砥ぎ、明日の準備を済ましたら、やることが無くなる。本を読めば、気晴らしができる者のそんな趣味や教養は持ち合わせてない。読めないこともないが、中々、興味が持てない。

 ロディムはぼーっとするのもありだが、コルトンとジャンベはそうもゆかない。二人は休みでもなにかしてなければ、気が落ち着かないほうであった。ジャンベは楽譜を読むなり、曲を作るなり、バードや音楽家同士の繋がりでセッションや互いに学ぶ機会があるものの、コルトンはあまりない。常に誰かが武術の相手をしてくれるわけではない。かといって、今日は一人で懸命に励む気も起きない。要は必要なことを終えたら、何もしてないのだ。

 アクリヴィはミズガルド大図書館に入り浸り。マルシアはエウドラの様子見に行っている。

「母親かあ」と呟く。故郷には今も母や家族はいるはず。身も心も捨てた気になっているが、一年に一回か二回ぐらいは仕送りも備えて手紙を遠征する旅商人に預ける。ふるさとに全く思いが無いわけではないが、こちらの方が故郷より良いという思いが強かった。近くても、変わらなかっただろう。

 マルシアは特に近いので、頻繁にではないが、年に一回か二回、直接会いに行く。彼女は家が裕福なので、土産を持っていく。ロディムもそれなりに近いが、どうせ口減らしか、どっかに奉公出されてとうに家にいなかったずと言い訳つけて帰らないものの、稀に仕送りはしていた。

 母親という単語に反応し、あの人は大丈夫でしょうかとジャンベはエウドラの身を案じた。

 

「来た頃は腰が折れ曲がり、見るも儚げでしたが。一箇所に落ち着いたことから来る安堵と、エドワードさんに出会えたからでしょうか。どんどん元気になられたと思いきや、あんな風に変わるとは」

 

 ぽけーっとだらけてたロディムも身をただし、うーむと唸った。

 

「奴が帰って来るまでに間に合えばいいが」

「縁起でもないことを言うな!」と、コルトンはロディムの発言を咎めた。悪い悪いと、手の平をひらひらさせた。

 

 エウドラは一応、回復した。しかし、彼女は変わり果てた姿へ変貌。以前はまだ肉づいてた体はやせ細り、骨と皮だけに。目が窪み、開けば、ぎょろ目がちに。ジャンベの言う通り、息子と出会い、比較的、温暖な気候のエトリアで過ごして活気を取り戻しつつあったが、新しく認知された病気に罹り、エウドラの生気を一気に奪ってしまった。食は細く、小さく、かゆのような物しか取らず、全部食べきれない日もある。おまけに、ぼんやりとする時間が増えた。奇妙な行動もあった。壁や何もない場所で語りかけたり、用も無いのに出歩こうとしたりする。

 ただ、義弟であるヴァンいわく、出会ってまもない頃から、そういうことはたまにあったようだ。エトリアに訪れ、エドワードに再会してから、ぱったり止んだらしい。また、そういう行動が始まり、以前より増えたことにヴァンと娘のフェドラは嘆いてた。

 苦労の積み重ねでおいて尚、目の澄んだ賢いきらめきを失わなかった人があそこまで変わることに。短い付き合いとはいえ、彼女を知る者は動揺を隠せなかった。

 ロディムの言を認めたくなかったが、使命を帯びて帰還した者に身内の不幸を告げることは考えるだけで気が重くなる。

 エウドラの容体を悪化させたのは、寒さもあるだろう。今年は来年の嵐を予感させるかのような厳しい寒波に見舞われる予測が立てられてた。十一月間近だが、吐く息はもう白い。覚えている限りでは、エトリアの気候的には、息が白くなるほど本格的に寒くなるのは十二月の半ばを過ぎてから、二月辺りまで。十月下旬でも、たまに暑い日があるくらい。

 なのに、思い返せば、今年の十月は暑い日が無く、涼しいほど。夜になれば、明らかに寒い日も多かった。人々の顔も冬の夜のように暗い。

 エドワードが去って十日後。四日前、エトリアは遂に防衛戦の準備を声明。エトリア各地から、兵を民意で募集する旨も発表。二ヶ月過ぎて、兵の集まりが良くなければ、徴兵することも厭わないと告げた。この発表には、民ばかりでなく、冒険者にも衝撃を与えた。声明発表の四日目までに、ギルド長の口から一割ほど去ってしまったことを聞いた。少しでも長く留ろうとする者もいれば、早めに見切りをつけて、去る者がいても仕方ない。

 ギルド長は懸念してた。このせいで、少しでも稼いでと後はとんずらと考える輩が増えるのではないか。実際、そうだった。酒場や宿でも、無理して新しい発見や探索をするのは控えて、お金を稼ぐだけ稼ごうと切り替える者たちがいた。非難できない。そう考えるのは当然だろう。ただ、エトリアが入る中小連合に属する国出身者は、自らの故郷に害を及ぼす可能性は十分にありうるので、エトリアに残って抗戦すると主張する者もいた。

 様々な思惑に赴く冒険者に反し、エトリア人の行動は違った。モリビトの時みたく、反対する者が多いと思いきや、ぞろぞろと本都市に集結して、自衛軍の衛兵に志願する者が続出した。

 恐らく、世界樹の迷宮という、身近にありながら正体不明の敵や場所よりかは、相手が強大でも人間相手でよく知られてる。動機がどうも不透明で曖昧模糊としたモリビトよりかは、今度は相手と目的が明確な分、危機感が上回ってた。反対派は少数で、防衛のために戦う意思表明する国民が多数を占めてた。

 激務をこなすオルレスと話す機会は無いが、非難をごうごうに受けた前回とは異なり、国民の意思が一つに固まっているのを見て、声明を読み上げる演説台の上で感激してるのが見て取れた。

 

「黙っててもらちがあかねえ。なんか頼もうぜ」

 

 ロディムはパンとスープ、一日一回だけ頼める料金がかからないセットを持ってこさせた。コルトンは先の約束どおり、ジャンベにホットミルクを奢った。コルトンは酒を頼んだが、一杯か二杯だけに止めておこうと思った。

 陽も暮れて、冒険者たちが帰ってきた。アデラとブルーナら五人と相席し、ジャンベとバジリオが弦楽器を爪弾き盛り上がってるところ、意外な来訪者が表れた。

 ひょっこりとよろい戸から顔を中を窺う者の顔を見て、アデラが「あっ」と声を上げた。ゲンエモンである。珍しい来訪者に長鳴鶏の館一階の食事処はにわかにざわついた。ゲンエモンは賑わう場をざわつかせた場に詫びるように軽く頭を下げたら、コルトンの方へ向かった。近くにいた者はもちろん、だらけてたロディムも思わず居住まいをぴしりと正してた。

 

「何か用で?」

「すまんのう。場をざわつかせて。コルトン、確かホープマンズは月曜が定休になったな。その日でもいいから、わしの居る方へ来てくれぬか。少し、話がある。その日までにお主が生きておればだが」

「あなたが生きてなければ、どの道、俺が行く意味はありませんよ」

 

 それもそうだとかかと笑い、ゲンエモンは去って行った。宿の者はコルトンとよろい戸を見比べてたが、やがて、元の賑わいに戻った。ロディムはふうと溜め息をついた。

 

「おっどろいたぜ! まさか、あの人が来るとはな。何の用だろうな」

 アデラがにんまりと笑みを浮かべ、ロディムを突いた。

「あんたの今の居住まい、おとんに怒られた子供そのものよ」

「うるせえな。俺はあの人がちょっと苦手なだけだ。親父が来たみたいでな」ほら、やっぱりとアデラたちは笑い声を上げた。「お前も、ぎょっと泡食ってたじゃないか」ロディムは無意味な反論をした。

 

 二人のやり取りはコルトンの耳には届いてなかった。ゲンエモン来訪の目的はなんだ。弟子でもない俺に用とは一体。考えても分からなかった。すれ違う形で、アクリヴィとマルシアも帰ってきた。騒ぎながら、席に来るよう促す者たちに対し、コルトンは上の空。

 一週間、無事に過ぎた。もっとも、変わらず遅々とした歩みであり、必ずしも探索に向かったわけではなかった。訳を話したので、ロディムに咎められるようなことは無かったが、利用してないかと否定しきれないツッコミをされた。とはいえ、ゲンエモンからの重要と思われる話を聞かずして死ぬ無茶を犯したくなかった。なにより、自身の身の内を聞いてもらいたい思いもあった。以前、エドワードを女々しいとやゆしたが、公私ともに多くの問題と悩みを抱えてた彼とは違い、自らはなんと小さなことで悩んでいるのやらと肩を落とす。

 月曜の朝に花桜の館に来訪。淡い紺と紫の着物を着こなした上品な女将アヤネが笑顔で出迎える。昨夜、泥を落とした安い革靴を脱ぎ、奥座敷へと案内される。

 黒を基調にした着物と白い袴を履いたゲンエモンが座してた。遠慮なくと言われ、コルトンは胡坐を掻いた。侍と呼ばれる者たちがする正座という姿勢をしなくて良かったと思う。

 女将が直接、お茶が入ったお盆を運んできた。緑の茶だった。苦味はあるが、癖は無いので、意外と飲める。

 アヤネが礼をして退室をしたら、ゲンエモンは挨拶をした。

 

「よう来てくれた。早速だが、本題に入る。実は―――」

「ああ、少し待ってください」

 

 コルトンは制止した。「すみません。ですが、話し終わった後でいいですから、俺の話というか愚痴も聞いていただけませんか」

「もちろんだ。実はな、わしの話もそなたがいう愚痴や下らないことだ」

 

 コルトンは胸を撫で下ろしたものの、ゲンエモンが自ら下らないことを聞いて、ひっくり返りになった。

 

「実はな、冒険者を引退しようかと思う」

「な!?」なんですっと、その先の言葉は絶句して出てこなかった。いきなり、えらい一撃が来たなと胆をひやした。落ち着けと宥められて、コルトンは叫んでた。

 

「これが、落ち着けるものですか! あなたから、止めるという話を切り出されて、落ち着いていられるのはごく少数ですよ」

「落ち着かんかい。いますぐ止めるわけではない。二、三年後か。あるいは、かの軍勢が大挙したときだ」

 

 それを聞いて、コルトンはそうですかと一旦、身を引いた。しかし、まだ衝撃の熱は冷めきらない。年齢といえばそれまでだが、よもや、こんな大事な話を聞かされるとは思わなかった。

 

「で、その話を知る者は他にいないのですか?」

「直に話してはないが、エドワードには伝えた。ゲンリューにもな。三人目はお主だ」

 

 選ばれて名誉なことだ。これ以上、重たい荷を共有したくない。自分のちゃちな悩みを話していいものかと思いつつ、どうぞと先を話してもらうことにした。

 

「もしかたら、もう一人か二人にも話すかもしれん。それはきっと、アクリヴィやオルレスになるだろう。話を戻そう。四年ぐらい前から、身体に少々がたが来ているのは感じてた。ヘンリクの助力と自らの摂生で誤魔化してたが、モリビトでの体たらく。更にぎっくり腰。おまけに……一ヶ月前、戦闘中に刀を落とした」

 

 恐らく、この話を聞いたら、エドワード以下、弟子たちはショックを隠せなかっただろう。ゲンエモンは正座に置かれた右手を見つめた。

 

「手がな……刀の感覚が全くなくなる感じがした。少しそれるが、わしとエドワードの出生した日が十一月二三日。射手座のサジタリウスなのは知ってるな」コルトンは頷いた。「今年でわしは六十を迎える。まだいける、まだいける。そう思ってたが、戦闘で刀がすっぽ抜けてしまうようではもう終わり。そろそろ、潮時かな。だがのう、諦めが悪い性分でな。後、二年か三年ぐらい抗いてみようかと思ったが、あのエトゥなる者たちが来るなら、話は別。あやつらが実際にここまで来て、エトリアに戦いを吹っかけてくるのなら、わしは死に花を咲かすため、戦場に赴こうと決めた」

「無事に来られると決まってはいませんし、あなたが死ぬとは限らない」

「無論だ。しかし、死んだら終わりなのは当たり前として、仮に生き延びたとしても、わしはその戦で全ての力を使い果たす。普通に生活する分にはともかく、多分、冒険はもうできない身となっているだろう。表面上では否定しながら、わしの奥底では、悠々自適な老後より、派手に散る花火のように最後まで輝きたい想いがある。今まで、世話をかけた者たちには迷惑な話だが、わしは結局のところ身勝手な大馬鹿な者なのだ。だからこそ、大馬鹿者らしく、のんびりと暮らすより、潔く散りたい」

「なんだか、遺言を聞かされるようですね」

「そうだ。冒険者ゲンエモンとしての遺言だよ、コルトン。そして、もう一つ明かしたいことがあるのだが、まだ明かせない。いずれ、時期が来たら、帰還するエドワードより前に明かす」

 

 コルトンは内心首を傾げて、無駄だと知りつつ、今明かすのは駄目ですかと尋ねてみた。

 

「駄目だ。これは、ある者にとっては、人生に関わる大事な話。この話を知ったら、彼はきっと、戦火の嵐が来るエトリアに最後まで残り、命を落としかねない。それだけは絶対に避けたい。だからこそ、この老いた身に万が一のことがあった時、他に事情を話せる者が必要なのだ。もしも、戦の前に、冒険で命が落とすことがあれば、わし以外に多くのことを知るもう一人の者が事情を話すだろう。断っておくが、もう一人は冒険者や兵士ではないから、現状では命を落とすようなことはない。して、お主の悩みとはなんだ。上に立って辛いか」

 

 既に見透かされてたか。コルトンはゲンエモンに思いを吐露した。ゲンエモンは口を挟まず、黙ってコルトンの話に耳を傾けた。やがて、ゲンエモンは立ち上がり、コルトンにも立つのだと言った。言われるがまま、コルトンは立つと、前を向けと指された。

 

「ほれ、いいから、黙って前向け」

 

 コルトンは前を向いた。泉でとぐろを巻く龍が描かれた掛け軸がある。

 

「何をしておる。敵がいるのだぞ。お主はそんなへっぴり腰で味方を守れるのか? どんと盾を構えるのだ。なんでもいい。敵が迫るのを想像しろ!」

 

 コルトンは腰をぱんと叩かれて、背筋をぐんと伸ばし、前に敵がいて、盾を構えてると思い、身構えた。例の青熊が迫ってくる。よだれをたらした口を開けて、喰い殺しにくる。鉤爪を振り上げる。盾で弾き、持っていた切っ先の鋭い剣を眉間に突き立てる。そこまで! ゲンエモンが叫び、拳が掛け軸に届く前に止める。

 

「それで良い。それで。難しいことは考えず、お主は見得切ってどんと構えておればいい。もしも、主が鎧を着て盾を持って堂々と敵に立ち向かってくれたら、わしは大きな安心感を抱いて敵と立ち向かえる。主の仲間はそれ以上にそう思ってるはず。自分こそはホープマンズの盾だと胸を張れ。細かいことは、アクリヴィに任せればいい。あの(むすめ)は賢いからな」

「それだと、俺は前とやることが変わりないような」

「そうだ、そのとおり。大体、リーダーにしろ王様にしろ、なんでもかんでもできる有能が就くとは限らない。揺るがぬ意志と挫けぬ心を持ち、公平に接し、常に前を見据えて、後ろもたまに見やる。人の上に立つ者の資格はなにかと問われれば、これらがあれば良い。威張るのではないぞ、要は堂々としておるだけでいいのだ。リーダーではなく、味方の命を守るホープマンズのパラディンとしてな」

 

 ゲンエモンに促されて、コルトンは座った。そして、やっと重たい物が抜け落ちた気がした。こんな当たり前のことを何故、もっと早く言わなかったのだろうと思い、自ら子供じみた意地を張ってたことを認めた。ジャンベは後輩で、年齢的にも自分が支えなければいけない。長い付き合いだが、ロディムも年下で、一個人としてはともかく、リーダーとしては自分を認めてくれない。雑用を任せきりの女性陣には切り出しづらい。それでも、さっさと話せば、二週間、苦しい思いをせずにすんだろう。

 膝を割って話せる相手がゲンエモンという点については、少々申し訳なさも感じる。俺があいつらをもっと信じてやらねばと、ぐっと身を引き締める。

 

「あなたのおかげで吹っ切れた。ありがとうございました。どうでもいいですけど、このような場で話しても大丈夫で? もっと、隠れ家的なところで話すのかと思いましたよ」

「やましいことを話したりはしてない。むしろ、かえってそういう場所で話せば、悪戯に好奇心を刺激してしまい、裏があるのではと勘繰られる。だから、馴染んだ所で尚且つ、人がおいそれと入ってこれない場所があれば、そこで話したほうがいい。混雑してるところもいいな。少なくとも、わしはそう考えておる。幸い、正にそういう打って付けの場所にいるからな。さてと、コルトンよ。手間を取らせたな。礼を言う」

 

 ほれ、飲めとゲンエモンは茶をすすった。コルトンも喉を潤した。少し冷めて、飲みやすい温度である。一口で飲み干したら、ではと、コルトンは退室した。磨かれた木製の床を通り、靴置場にて靴を履き直す。店にはちらほらと、一般客と同業者の姿も見受けられた。入った時にはいなかったコウシチとシショーもいる。明らかに待ち構えてる風情だ。

 黙って通り過ぎれるかと思ったが、待てとシショーに呼び止められた。

 

「少し話がある、コルトン。ここに来てくれ」

 

 簡単に放してくれる雰囲気ではなさそうだ。ゲンエモンの弟子二人は近寄りがたい空気をまとってる。あの様子では、詳しい話を聞いてないのは本当らしい。退室直前、ゲンエモンに耳打ちされたことをコルトンは述べることにした。着席するや、シショーは切り出した。

 

「コルトン、教えてくれ。師はあなたに何を話したのだ。何故、我らばかりでなく、お仲間に明かされないのだ。信用されてないのか」

「わかった。だけど、驚かずに聞いてくれ」

 

 コルトンが素直に明かすことに疑問を抱きつつも、二人はコルトンの口を通じてゲンエモンの話を聞いた。二人は眉をひそめ、考え込んだ。

 

「師が引退……そうか」

 シショーは合点したようだが、コウシチは納得しかねた。

「失礼ながら、コルトン殿。今の話に虚偽は含まれておらぬか」

「まさか! ここで嘘をついてなんになる。本当だ。ゲンさんは二年後か三年後。もしくは、例の奴らとの合戦を終えたら、引退するつもりだ。そうまでして疑ってなんなんだ」

「すまぬ。だが、信じられぬのだ。ブシドーにとって、戦いの最中で自らの得物をすっぽ抜かしてしまうのは、武芸者として終わりも同然。私はあの方が日頃、皆の見えぬところでたゆまぬ精進を続けて、力を保とうとしてるのを知ってる。主の話が真実であろうと、にわかには信じがたい」

 

 コウシチは捨て子だった。身寄りのない彼を親切な夫妻が引き取り、育てたのだが、夫妻は野盗共に殺された。コウシチは元冒険者の義父の言葉を伝に、ゲンエモンのもとに身を寄せて、我が子のように育てられて、流派も教わった。コウシチにとってのゲンエモンはエドワードと同じ、第二の父親。そんな人の衰えを聞かされては、そのショックはシショーを上回るだろう。

 

「ああ、それとだな。これも近い内にらしいが、お前を弧自戦流の正統後継者にする、と」

「このような心境で、それを語られても、拙者の心には響かない」

 シショーは小さく会釈した。「ありがとう、コルトン。おかげで疑問が解けた。あの方は冒険者の前に武人。そのようなこと、確かに我らや身近にいる者に話しにくいのも道理」

 

 コウシチもうむと同意してみせた。まだ納得しかねてたが、これ以上引き留めるのもどうかと思い、追及は控えた。

 色んな意味でやっと解放された。コルトンは来る時よりも、ゆるやかな軽い足取りで長鳴鶏の館へ戻った。引退、刀を落とした事、後継者。二人には、ゲンエモンに明かしても良いと言われたことだけを話した。もっとも、コウシチとシショーが最も知りたいであろう事実は、エドワードにすら打ち明けてないので、コルトンにも明かしようがなかった。

 

 

 

 

 

 

 


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