世界樹の迷宮 光求めし者達   作:鞍馬山のカブトムシ

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三七話.大いなる影

 真っ黒い夜空と等しく、地上はうごめくもので黒く被い尽くされた。

 何千もの松明がそれらを照らし、金属が光を反射する。

 メティルリクとエトリア国境付近にて、大規模な軍勢が来襲。樹海生物対策とかつての隣国との内紛による飛び火を防ぐための深い空堀は埋められたり、橋をかけられて、次々と渡ってくる。

 門と柵の内側から、警備隊が大軍を前に懸命な抵抗を試みる。矢を射て、鉄砲を撃ち、火薬を張子の紙で包んだ爆弾を投げ付けて応戦するものの、敵の勢いは止められない。死体や負傷者がその場にいないかのような足取りで、前進する。

 多勢に無勢。それでも、踏み止まろうとする警備隊に絶望がもたらされた。

 悲鳴が聞こえたからだ。それも、普通ではない。男や女、子供や老人。動物。ありとあらゆる生ける者たちの苦痛と悲鳴が混じった、正に聞くに耐えられないもの。地獄に堕ちた何万人分者もの声を凝縮したかのような総毛立つおぞましい咆哮が上空の巨大な影から発せられた。体中に声の振動がぶるぶると伝わる。正確には、一番大きなワイヴァーンを一人で操るかの人から発せられたのだが、そんなのはどうでもよかった。凄まじい絶叫を聞くや、メティルリク側の国境を守る一六〇からなる警備隊員の勇気は消し飛び、ただただ我先にと逃げる。

 上官と兵士は十五頭の馬に飛び乗ろうとしたが、馬たちは恐れでいななき、暴れて、背に乗ることができず、馬を捨て置いて徒歩でゆく。

 無下にするものかと、勇気が残っていた十数名が決死隊となり、数十メートル離れて掘った穴に蓋をして隠しておいた火薬を詰めた樽の導火線に引火。

 たっぷり油で浸し、燃えやすい火薬を厚い皮で包んだ導火線はしゅるしゅると火花を散らし、爆発。

 血眼で警備隊を殺しにかかった前列の部隊は瞬く間に、火と爆風で吹き飛ばされて、後方の列に血と肉の雨を浴びせた。

 しかし、爆炎の煙がたちこめてやまぬうちに、すぐにまた、侵攻を開始した。置き去りにされた馬たちの叫びが微かに届いた。

 そして、撤退する国境警備隊の上空を覆う黒い影あり。雲から洩れた明かりすら消し去り、互いの姿が見えなくする。羽ばたきによる強い風が表層の雪を飛ばし、軽い地吹雪を起こす。

 

「影だ! 翼が生えた蛇が襲ってくるぞ!」

 

 言うが早いか。叩きつける音がしたと思いきや、影が晴れて、何名もの悲鳴が上空を漂う大いなる影から木霊する。離着陸のときに、翼で弾かれた者もいた。

 ぐったりと身を伏して、体が地面にめり込んでる。鉤爪でさらわれた者たちは、ぱっと放された。ぱらぱらと黒い塵芥(ちりあくた)が捨てられる。押し寄せる軍勢の中に落ちて、それっきり、悲鳴は途絶えた。

 一方。広範囲に轟いたおぞましい悲鳴と爆発音は、各町村や森に隠れた伏兵に、いよいよ恐るべき者たちが来訪してきたことを告げた。

 敵軍勢の来襲をただちに本隊が駐屯する本都市へ通達せよ。手筈通り、早馬に乗った数名が本都市へと急行。

 エトゥ王賊軍は勢いよく歩を進めながら、突如、エトゥという単語が繰り返して叫ばれた。

 繰り返すたびにどんどんと大きくなり、彼らの気持ちも昂ってくる。

 気のせいか、歩も速まり、撤退する警備隊との距離を縮めてゆく。

 国境警備隊はわざと町村をとおる。伏兵に期待するも、必死の抵抗も虚しく、伏兵たちは次から次へと黒い波に呑まれてしまう。

 国境警備隊が通らなかったほうにいる者たちは、少数を敵軍の斥候に向かわせて、他はしばらく待機とした。

 

「このまま、決戦の場と化す本都市に向かうのは危険。それよりも、安全と思える場所にいて、敵の穴を探り、本隊に反撃の機会を与える隙を作るのだ」

 

 国境警備隊は死にもの狂いで速度を上げた。敵は大軍故に、思うように動けないこともあり、なんとか振り切れそうである。警備隊の任に就き、決死隊にも加わり、いまだ無傷なナザルは、警備隊長に妙ですなと言った。

 

「我らを殺すことだけが目的なら、それこそ、あの忌まわしい化け物か。弓や鉄砲でも使えば済む話。何故、使わぬのでしょう」

「我らを本都市の前まで案内した後にでも、見せしめとして眼前でなぶり殺しにするためかもな。自分達の強さと恐ろしさを知らしめるために」

 

 ならば、踏みとどまって抵抗しましょうと進言する前に、口を閉ざした。

 閉じざるをえなかった。上空から、またしても絶叫が聞こえたからだ。一気に恐れが全身を駆け巡り、足が敵とは反対方向に向かわせる。ナザルと警備隊長も微かに残された勇気が無くなり、ひたすら、本都市を目指して懸命に駆ける。

 四頭のワイヴァーンは一つに合わさり、国境警備隊を悠々と追いかける。

 

 

 

 ジャンベはがばっと毛布を払い、起きた。冷や汗が流れてる。

 エトリア本都市にまで聞こえる距離ではないが、横向きで耳元を枕に付けてたジャンベの耳には、ほんの僅かだが、咆哮による振動が達した気がした。

 始めは空耳だと思い、しばらくは無理に眠ろうとしたが、耳にこびりつく。何ができるわけでもなく、確信もないが、いてもたってもいられない。

 冷たい夜気で身を縮こませる。さっさと厚着とマントを羽織り、寝ぼけまなこで、なんだーと両目を擦りながら起きるコルトンにトイレ行ってきますとだけ言って、長鳴鶏の館から飛び出す。

 街を歩く衛兵をかわして、多くの者に踏み荒らされたぬかるんだ芝生があったところに来る。外壁と街の間にある芝生に建てられた宿舎用や武器を収めた幾つもの大テントの間を抜けて、ジャンベはアジロナ外壁を登った。外壁には多くの見張りが立ち、籠松明(かごたいまつ)の火が仄かに顔を照らし、温かさをもたらす。

 衛兵は誰何をしなかった。ジャンベの顔は見慣れてるからだ。火に寄り添いながら遠くを見るジャンベに、声をかける二人がいた。カールロとベルナルドだ。二人は内壁ではなく、外壁担当であった。ベルナルドが話しかける。

 

「珍しいね。見張りを交代してくれるのかい」

「申し訳ありませんが、違います。ただ、胸騒ぎがしたのです。声が聞こえたような気がして。普通の声じゃないんです。なんといえばよろしいでしょうか。僕はその声を聞いて、気持ち良い眠りが一変に覚めてしまい、怖くなって、確かめずにいられなくなったのです。何か異変はありませんでしたか」

「ある」カールロが答えた。「恐らく、メティルリクの国境側だろうか。爆発音と奇妙な声のようなものが微かに聞こえた。下をご覧、そろそろ騒がしくなるだろう」

 

 カールロの言う通り、外壁より内側では、テントと街の建物を間借りして寝泊まりしてる兵士たちのざわめきがある。何時間と経たないうちに、兵士達が集結するだろう。ジャンベは遠くを見ながら、話した。

 

「お二人の動機は聞きませんが、怖くはないのですか」

「あるとしたら、拷問は嫌だね。すぱっとやられるか、ぐさっとやられた方が嬉しいね」とベルナルド。

「今は語れないが、俺の先祖は昔、あるものから逃げて、不名誉を背負った。戦いや狩りから、使命を帯びて退いたならまだしも、先祖は恐怖に負けて逃げた。俺は俺と家族の名誉のため、先祖が逃げ出したほどの獲物を狩りにエトリアへ来た。あれらと戦うことは関係ないが、逃げ出せば、先祖に加えて俺の不名誉まで伝えられる。なにより、こいつとあいつらを見捨てて、一人で逃げたくない。そういう君は、なんのために戦うんだ」

 

 ジャンベは俯き、難しい問題に対する答えを逆に聞きたげだった。

 

「僕の第二の家族と故郷がここにいるから。ただ、わからないのです。僕は何故、戦うのだろうか。僕はあなた方二人や、自身の所属するパーティの人たちほど、武勇に秀でてるわけではありません。多少、体力はあり、武術に覚えはあるものの、僕ぐらいなら、掃いて捨てるほどいる。では、僕の役割はなんだろうか。

 もしも、この戦でエトリアに勝利があったとしても、僕に取り立てた(いさお)しはありえません。人を助けるといっても、お手伝いや音楽で慰めるぐらい。今後、冒険を続けても、僕自身はサポートして付いて行くだけで、特別、大きな相手を倒す手柄はないでしょう。最近ですか。僕の冒険者バード以外での役割はきっと、見聞きし、覚えることにあるのだな、と、そう考えるときがあります。僕はエドワードさんや他の方達の活躍を記憶して、人々に正しく伝える役割があるのではないか。そして、そのとき感じた喜びや悲しみを音楽として遺す。だから、僕に勲しは要らないし、欲しても得られない。とまあ、長々と述べましたが、どんな残酷な相手であれ、僕は人を殺めるのを躊躇する言い訳をしているだけなのかもしれません。モリビトの時も、武器を向けられなかった」

「俺は誰彼に教えられるほど偉くもないし、ゲンさんのように人が出来てるわけでもないが、君の言を借りれば、人には役割がある。そして、エドワードに言われたことがあるかもしれないが、人を殺すうんぬんに勇気という言葉を当てはめてはいけない。俺やベルナルドは戦うだけだが、君は傷付いた人の介抱をして、戦いで病んだ人の心を音楽で癒し、君のバードとしての才能で冒険をサポートする。君には俺と違う方法で、君にできることが沢山あるじゃないか。確かに、君の性格的にも職的にも直接手柄は立てられないが、君の助けがあったことを決して無視はしないはず。英雄や偉人と呼ばれる者たちが必ずしも、武勲を挙げた者とは限らない。何かを発見した、発明した、君みたいに良き歌や音楽を遺した者たちもいる。これ以上、難しいことは言えないが、それで良いじゃないか」

 ベルナルドはひゅーと口笛を吹いた。

「えらく難しく良いこと言うねー。あんたがそこまで饒舌に言うとは思わなかった」

「あなたは仲間が残るからですか」

「私からも聞いておこうと思うのは、殊勝だね。だけど、私は特にないよ。底が浅い人間だからね。スリルを求めてるのだよ。命を懸けて賭けるとき、生きてるのを実感する。つまるところ、私はどこか普通の人よりここが壊れるているのだろう」

 

 自らの頭をとんとんと叩き、ははと笑うベルナルドを、ジャンベは驚き、この人らしいと呆れた様子で見た。多くは無いが、誰もが平穏を求めるわけではない。こういうのに生き甲斐を見出す人間がいるのも当然だろう。

 ベルナルドはぴたりと笑うのを止めて、西南の方角を睨んだ。ジャンベ、カールロ、見張りの者たちも西南を見つめた。音が聞こえる。ひとつやふたつではない、沢山の角笛と喇叭。戦太鼓の音が木霊し、西南の空からけだものと思しき咆哮もかすかに届く。

 ベルナルドはジャンベの肩を押した。

 

「君は戦うのが仕事じゃないと言ったね。では、ここから離れた方がいい。君の担当はここではないしね。距離と聞いた人数からして、後二時間か三時間と言ったところか。ゆっくり行けば、半日なのに、観光する気もないのかね」

「そうですね。だけど、しばらくはここで、成り行きを見守らせてください」

 

 時は過ぎていく。にわかに明るくなる。久々に太陽が顔を出すようだ。それにつれて、軍勢が上げる音はいやましてゆき、遠方の処々方々から敵の軍容が迫りつつあるのが目視できる。西側、メティルリクやエピザ・トーティなど隣国との主要な道であり、肥沃で広大な草原地帯で農地でもある”広沃ヶ原”は踏み荒らされた。

 警鐘の鐘が鳴らされる。テントと街の家や屋敷から、慌しく準備をする兵士達の音がする。

 更に時が過ぎて、赤い夕陽を思わせる陽が昇り、辺り一面の降雪を朱に染める。その頃には、不要と思われたテントは畳まれて、続々と兵士たちが集結してきた。

 この景色は既に血が流れたか。これから、血が流れることを示してるのか。ジャンベはそう思った。

 敵軍を先行して行く隊があった。百を超える部隊であり、遠くからでも、疲れて、足並みを大きく乱してるのがわかる。あの部隊は何かがおかしい。歩哨たちが叫ぶ。

 

「国境警備隊の連中だ! 追いつかれそうだぞ!」

 

 外壁に立つ者たちは警備隊の退却を目にすることができた。小さな群れが幾つか算を乱してやって来る。無我夢中で先陣を走る者もいる。

 カールロが矢筒から矢を抜き、弓の弦にかけた。ジャンベは、ベルナルドの方に聞いた。

 

「離れてても攻撃できる武器を何故、使わないのでしょう」

「見せしめのためかもな。獲物を動き回らせて、疲れたところを仕留める。狩りの常識だ」

 

 外壁側のざわめきも大きくなる。いよいよ、戦が目前まで迫ったことを改めて実感した。おいと、外壁の階段を駆けながら、コルトンが来る。少し怒った様子だ。

 

「こら、ジャンベ。なにがトイレだ、嘘つくんじゃない! お前の持ち場はここじゃない。内壁の守護及び、バードとしてのサポートや負傷者の介抱と運搬がお前の役目だろう。話は持ち場に行く最中で話してもらう。ほら、行くぞ」

 

 ではと、ジャンベは二人に頭を下げて、コルトンと共に行った。カースメーカーの者たちともすれ違ったが、特に疑問は抱かなかった。

 ベルナルドとカールロは、退却部隊の様子を見続けた。退却部隊はどんどんと距離を詰められた。雲の暗がりから、太陽の光を消す四つの影が出現した。ワイヴァーンだ! エトリアの守備隊は驚愕と畏怖の念を込めて、太陽を遮ろうとする四つの影を注視した。

 そして、最後まで抵抗を試みようとした国境警備隊を即座に退却へと向かわせた、ジャンベが聞いたおぞましい咆哮が発せられたのを合図に、退却する部隊への攻撃が開始された。隙間を縫い、小規模な騎馬隊が疾駆する。長槍を持った手強そうな軽装歩兵が躍り出る。世界樹の迷宮にいる樹海生物、地上を徘徊する”魔物”と呼ばれたりする通常の生物とは異なる外見や力を持った怪物たちが風のように寄せて襲いかかる。ついで、四つの影でも、一番小さいものが飛来する。

 退却は算を乱した敗走に変わった。

 警備隊は激しく列を乱し、めちゃくちゃに分別も失って逃げ惑い、武器を投げ捨てて絶叫し、次から次へと捕らえられて、切り刻まれた。数名が鉤爪で乱暴に掴まれて、上空からぽいと捨てられる。朝日を反射して朱色になった雪が赤く染まる。

 咆哮を聞いて、コルトンとジャンベは振り返って、四つの影に半ば覆われた太陽を見やった。二人は心臓が縮む思いがした。親に怒られるのが怖くて背を丸めた子供みたいに、ジャンベは耳を押さえて震えた。

 

「これが、外出した理由ですよ。僕は寝ているとき、あの声の余波が聞こえた気がしたのです。気になって、なんだか確かめたくなった。だけど、はっきり聞いて思うのは、聞くのではなかったという後悔が大きいです。モリビトの歌姫たちが僕らに聞かした、美しくも恐ろしい歌が優しい子守唄に聞こえてしまいますよ」

「俺は今の今まで、エトゥがなんだと思ってたが、やっと、他の国があれらを素通りさせたのを理解できた気がした。あの声を聞いて、俺はただ、怖かった。あんな声はこれからも聞きたくもない。だが、戦いが終わるまでは、絶えず聞くことになるだろうな」

 

 巨大なワイヴァーンに一人乗るエトゥの咆哮は、本都市の守備隊の目を覚まさすと同時に、彼への恐ろしさを抱かせた。

 外壁から落雷のごとき轟音がする。敵の大砲か、かの者の魔術かと身構えたが、二人はすぐに違うと気付いた。

 警備隊を救援するための砲撃だった。鉄で作られた鋳造砲(ちゅうぞうほう)が火を噴く。国境警備隊の頭上を遥かに越して、追跡する敵の前後を砲弾が直撃する。炸裂砲弾も混じり、固まって追いかけてた敵をまとめて吹き飛ばす。偉大なる主のため、目の前の生け贄を屠ることしか念頭になかったエトゥの奴隷共は不意を突かれた。ワイヴァーンの小柄な一頭が高度を上げて、一目散に逃げる。何者も持ちえない貴重な空の戦力を開戦早々、失う事態は避けたかった。

 地上の軍は執拗に追い、退却する部隊を血祭りに上げようとするが、砲撃は激しくなり、巻き上げ装置式の弩砲と投石器も使われる。

 追跡者は完全に浮き足立ち、今度は自分達が逃げる側に回り、負傷者を置き去りにして、一時退散。見せしめで、警備隊を全員仕留めることが叶わなかった。

 西の大門は退却部隊が一定数集まるまで開かれなかった。敵軍は阻止され、一旦は追いやれたが、西南から大軍が続々と流入している状況では、おいそれと門を開けなかった。

 開かれた大門から、警備隊の者たちがよろよろと倒れ込むように入ってくる。生存者が全員入ったのを確認したら、門は再び、堅く閉ざされた。

 警備隊長が槍を支えに立ち上がり、点呼を取る。血と汗、泥と雪にまみれ、息も切れ切れで返事を返し、負傷者は代わりの者が答えた。五九人。一六〇いたはずのメティルリク側の国境警備隊は、その数を三分の一まで減らした。

 西の大門守護を任された指揮官が警備隊に指示を出した。

 負傷者はただちにケフト施薬院に運搬。歩けぬ者や重症者はテント内にて治療を行う。軽傷の者、無傷な者は、鎧を脱いで四時間休んだ後、再び鎧を着用するように。ただし、戦闘への参加は折り入って連絡する。

 手の空いている者が協力して、負傷者を施薬院へと運ぶ。まだ、芝生を遮る石段を登ったばかりのコルトンとジャンベも手伝った。街の中央付近にある施薬院へと向かう二人に、おーいと、剣以外は何も身に付けてないロディムが駆け付けた。

 

「お前ら、怪我人を置いたら、来い!」

「なにがあったんだよ」とコルトン。

「怪物だよ!」ロディムはくわっと口を開けた。

「偵察班とカスメの連中が、そろそろ樹海生物が来てるのを告げたんだ。凄い数らしい。お前らのような、まだ来てないのろまに呼びかけてやってるんだ。」

 

 浅層ならまだしも、深層の怪物相手にあんなバリケードで持つわけない。人手が要るということか。俺は他を当たると、ロディムはさっと踵を返した。

 二人は怪我人を載せた担架を預けたら、急ぎ、トルヌゥーア内壁へと向かう。

 

 

 

 内壁の外にある見張りの宿舎で、狭い個室に置かれた小さな床几に座るゲンエモンがいた。

 彼はときに目を閉じ、物思いにふけった。

 ゲンエモンは重圧と後悔に苛まれていた。

 表面は良しと胸を張って引き受けたものの、本当は躊躇い。微かに自信も無かった。だが、誰が引き受けられよう。年齢と経験を重ねて、皆が耳を傾けてくれる人物といえば、ドナが相応しいかに思えた。しかし、所詮は女と侮られるかもしれない。とすれば、自分が承諾するほかない。ただ、ずっとではない。自然とドナへ従う流れを作っていきたいと考えてた。彼女なら、それほどの実力はある。

 ふぅと羽虫の立てる羽音よりか細い鼻息をもらす。

 無駄に長く生きて、現役を続けるべきではなかった。数年間、命の危機に瀕する場面は何度かあった。そのときにでも、死ねばよかった。気楽に、親しい者たちと世界樹の迷宮探索を進めたかった。若い頃から、ただ長く真面目にやっていただけで、周囲から長老やゲンさんと呼ばれて、こんなにも頼れられる日が来るとは思いも寄らなかった。

 百や二百の命を預かるとなれば、重さが大分違う。モリビト大戦下での冷静さを欠いた無様な姿、自分を信じて付いてきて、失われた命。辞めざる負えなくなった者たちのことは到底、忘れらず、今でも、そのことに思い悩むときがある。

 なにより、一番の後悔と悩みは、大切なある者に素性を明かせないこと。

 いまとなって、明かせるはずもない。余計な悩みと苦しみを与えるだけ。胸の奥にしまっておこう。といっても、オルレスには既に明かし、コルトンや一部の者には明かすつもりだ。心ではっと叫び、喝を入れる。いつの間にか前のめりがちな体をしゃきと伸ばす。年相応の老人の陰は無くなり、若造に負けず劣らずな冒険者ゲンエモンがそこにいた。

 外が騒がしくなってきた。個室のドアの前で、誰かが立っているのが気配でわかる。一人ではない。

 ノックされるよりも早く動き、ゲンエモンはドアを開けた。太陽が顔を出しかけている。これから起こるであろう事を思えば、似つかわしくない良い天気になりそうだ。

 キアーラとピエルパオレだった。キアーラは七福八葉をゲンエモンに返した。七福八葉の鞘には、絵や文字とも取れる黒と白の模様が描かれてた。

 

「水や血が被っても、大丈夫かの?」

 ピエルパオレが自信ありげに答えた。「小娘だけではそうなるでしょうが、私をはじめとした優秀な者たちがかけた呪法です。鞘を武器に壊れるぐらい叩かねば、多少の汚れを被っても問題ないです」

 

 お馬鹿さんと言いたげに、キアーラはせせら笑う。

 これこれと、ゲンエモンは間に入り、二人のしょうもない喧嘩を未然に防いだ。

 

「では、二人は何の用があってここへ? 外の騒がしさから察するに、敵が来たかな」

「ご察しのとおり」ピエルパオレは西南の方角を見やった。「間もなく、大軍が参りましょう。そして、地下からは血に飢えた数多の怪物共が地上侵出を目指しています。だけど、それよりも」ゲンエモンは西南を指した。

「主らカースメーカーが持つ特別な力は無いが、長年の経験と勘でわかる。地上に加えて、空から奇怪で不気味な者らがやってくる」

「正確には、四つ。内三つはただの(けだもの)にしか過ぎませんが、一つはとびきり生命力に充ち溢れ、背にはただ一人、かの者が搭乗してます」

 キアーラはピエルパオレの話を遮り、結論を述べた。

「あれは危険です。私やこの女など、腕の良い呪術師十人がかりでも全く問題にならない力を秘めてる。あれの力は人智を超えてる。我らにも影響を与えます。残された時間は僅かながら、我らは各方面の守りに就く者たちに警告へ参ったのです」

「して、どうすればいいのだ」

「エトゥの姿を見て、あれの話や声を聞いても、惑わされないこと。心をしっかりと保ち、静かに怒り、空を飛ぶ傲慢な者を睨みつけてやること。残念ながら、それぐらいです。我々にできることはあまりありません。もちろん、彼が直接、呪いをかけてくることがあれば、全力で対抗します。呪いにかけられたら、できる限りのことはします。ああ、それとご安心を。鞘に込められた効力は確実です。絶対の自信があります。近づいて、彼を斬れたらの話ですが」

「彼を斬るか……ならば、一対一の戦いを申し込んでみようかな」

「あれも、そこまで愚かではないでしょう」

 

 そうだなと言ったが、ゲンエモンは内心、試す価値はあると思った。それならば、最小の犠牲で済む。

 

「わしは内壁に登るが、そなたらはどうする」

「二手に別れ、各方面に警告を済ませた後、急ぎ舞い戻ります」とピエルパオレ。

 

 ゲンエモンは二人と別れ、内壁に向かう。

 まず、浅層を辺りをうろつく冒険者の八割は内壁の任に就かせた。残す二割に、深層を往く冒険者の半分は北南西に派遣し、もう半分は内壁に配置。

 ホープマンズは四人、アクリヴィを西側へ。グラディウスはオルドリッチ、シショー、キアーラ、コウシチは内壁。ドナとサヤは内壁、ピエルパオレとパーヴォは北。ヴァロジャたちは全員、激戦区と予想された西に向かわせた。三つ子と双子の生き残り、レッドユニティも内壁。

 リカルドなど、浅い階にいる若い者たちはほぼ全員、内壁の守護に就かせた。自身はヘンリクと共に残り、ブレンダンは西へ、ラクロワとニッツァは南の外壁へ向かわせた。できれば、同じパーティで組ませたい気持ちはあるが、適材適所で分けなければならなかった。

 命ある限り、仲間を失った責めはわしが全て受けようと腹を括る。

 ゲンエモンは西を見た。連続して大きな音がしたからだ。太鼓や笛か。ついで、雲の影から四つの影が出現。

 四つの影は一瞬だが、太陽を隠し、エトリア本都市を闇で被い、身の毛もよだつ絶叫が影から発せられる。ゲンエモンは握り拳を固めて、空を飛ぶ影を睨んだ。少しして、絶え間ない砲撃が繰り返された。

 内壁はメンバーが揃いつつあった。こちらも、落ち着かない様子だ。それは、咆哮のせいだけではなかった。

 ゲンエモンさん! カースメーカーたちが呼ぶ。

 

「一時間としないうちに、樹海生物が来ると思います。そんなに強い力は感じませんが、人を集めた方がよろしいかと」

 

 ゲンエモンはロディムなど、若く元気で足の速い者を集めて、身を軽くして、まだ来ない者たちに呼びかけるよう頼んだ。

 ゲンエモンは内壁を上がった。いざ、決戦を前に、武者震いがする。恐怖や迷いは去り、四つの影を一瞥し、バリケードが築かれた世界樹の迷宮入口を見据える。


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