世界樹の迷宮 光求めし者達   作:鞍馬山のカブトムシ

40 / 43
三八話.攻防戦

 ゲンエモンは妙な胸の高ぶりを感じた。

 視線を内壁から外壁の方へと向ける。空を飛び回る四つの影でも、一際巨大であり、これだけ離れていても、良からぬ空気が伝わってくる。

 何人か乗せてる他三頭とは異なり、一人しか乗ってない。あれが大将エトゥなのは明白であった。

 他三頭が西、南、北へと下降する中、ぐるぐると旋回しつつ、羽ばたきながら西側へと降りてゆく。ただし、先の一頭より、明らかに距離が近い。

 胸騒ぎがする。長年の経験から来る勘。多分、自分か誰かが、一時的にここを離れなければならない。では、指導者はどうするかといえば、もう決まってる。

 

「みな、聞いてくれ。わしは今から、西門へ赴く。どうにも嫌な予感がする。カースメーカーの諸君が対エトゥ用の呪術付き刀剣を使う時がきた。剣を見た奴の反応も確かめたい。すぐに舞い戻ってくるが、代理は必要。そこで、ドナを内壁担当指揮官代理としたいが、みなの異存はあるか?」

 

 反対の声は特になく、賛成の声がまあまあ。

 

「無言の者は勝手に賛成と解釈するが、よろしいかな。だが、わし一人だけではない。わしに加えて、何人か連れて行こうかと思う。それも、カースメーカーたちの術で守られた剣を持ち、乗馬に心得がある者がいい」

 

 内壁のすぐ傍には、即席の厩舎があり、本都市の連絡用として数頭の馬が置かれてた。

 ゲンエモンは、それぞれのパーティから了承をもらい、ドナのメンバーである同じブシドーのサヤ、シショー、コウシチも連れてくことにした。四人は馬にまたがり、西門へと馬を駆る。その頃、西の大門にある見張り台からは、自衛軍総隊長ミルティユーゴは西南の方角を睥睨した。

 何万もの敵が集結し、徐々に包囲網を広げてくる。

 東を除き、北と南の方角に通じる道も閉ざされるだろう。敵はエトリア側にある兵器の威力に加えて、打って出るほどの余裕が無いのを知ってるので、遠く距離を保ちつつ、ゆったりとした速度で拡散している。

 国の自慢である広大な牧畜と農作地帯の広沃ヶ原が踏み荒らされるのを指をくわえて見るしかないのは、怒りに思うも、現状では迂闊に攻撃できないのが歯がゆい。

 エトリア本都市の外壁は丈夫にして、鉄板や鉄を溶かした物を塗って滑りやすい。急な傾斜面のおかげで砲弾を逸らして、直撃による被害を減らして、最新式の優れた造りといえる。

 アジロナは先見の明があったのだ。深い堀もあり、簡単には侵入できない。しかし、外壁の裏側にはなにもない。遮るものがなくて無防備なのだ。裏を返せば、一度、壁を壊されて道を作られたら、呆気なく落ちてしまう。堀と、厚く丈夫ながらも一つしかないこの壁をなにがなんでも死守しなければならない。

 思えば、警備隊のあからさまな虐殺行為は、こちらの攻撃力と対応を計る策の可能性もある。かといって、あのまま見捨てれば、皆殺しにされて、士気にも関わる。

 食料はたっぷりある。一ヶ月、豪華に食事会を開けるほどには。きちんと配分して、節約すれば六カ月保てる。互いに距離を取り合い、しばらくは睨み合いが続くだろう。

 しかし、意外なことに、敵から動きが見られた。三頭が三方向に別れたのに対し、一番巨大な翼竜が近くといっても、数キロと大砲が届かない距離に降り立った。

 翼竜の手綱を握る銀色の鎧を身に付けた、真っ黒い仮面を被る不気味なエトゥと思しき人物は、周りの者になにかを命じたのか。

 翼竜の左右から旗を掲げた四人の騎手、先頭を行くのは兜を脱いだ乗り手。交渉の使者であることは明らか。今更、何を話し合うのだと憤りつつ、こちらも応じなければならないと思い、総隊長は側近を率い、自らが交渉の場に出ることにした。

 橋を下ろし、門を内に開き、棘を付けた分厚い鋼鉄の落し格子を巻き上げ装置で上げて、ミルティユーゴは十人の徒歩を引き連れて、五人の使者を出迎えた。

 先頭の代表者である男は、陽で肌ばかりか髪まで焼けたようなざんばら髪。何度か戦場を経験したかと思わせる険しく精悍な顔付き。昔の物語に出てくる英雄か、前線へ常に自ら赴く風情の武勇猛き将軍の雰囲気を漂わせてた。相手から名乗り上げた。

 

「俺の名はカセレス。総大将エトゥの右腕、副官を勤める者。命令により、交渉の使者として参った」

「私はミルティユーゴ。エトリア自衛軍総轄隊長。総隊長とも呼ばれてる。現在、エトリア国内にはまつりごとを行う代表者は不在のため、目下の所、私が国の責任者代行となる。急なため、このような立ち会見となるのを理解していただきたい。それでは、早速で申し訳ございませぬが、本題に入りましょう」

 

 総隊長は先方からの意見を求めた。

 

「では、我らと総大将エトゥの望みをお伝えさせていただく」そして、カセレスは側近の一人に紙を持ってこさせて、エトリアへの条約を読み上げた。予想はしていたが、先方の望みは到底受け入れられない内容であった。

 エトリアは今後、本国サンガットの従属国となり、庇護する代わりに毎年、サンガット基準で七割の税を徴収。世界樹の迷宮における探索を完全に開放し、そこで取れた様々な物品は全てサンガットへの貢物とすること。

 エトリアの土地・財・技術をサンガットへと寄与し、現地に留まる在留サンガット軍の衣食住並びに武器装備の類はエトリア側の負担とする。

 更には、エトリアは近隣の中小各国に対し、サンガットへの積極的な協力を強く要請することを義務にする。

 エトリアは各国の監視を行い、逐一サンガットへ報告。近隣の中小各国で不穏な動き。明確な当方に対する軍事的行為が見られた場合、エトリアの管理不届き。もしくは反逆行為とみなして、二年間、税を一割増しの八割徴収。

 エトリア国で謀反が起きた場合、関係者は即座に死罪とし、親類縁者も死罪、もしくは数年間の重労働を負わせる。

 エトリア国全体で謀反を起こした場合、サンガットは縁がある国々に呼びかけて、全力を以てエトリアを灰燼に帰す。

 他、細々とした決まりが読み上げられたが、大まかな内容はこうであった。

 次に、ミルティユーゴが意見を述べた。

 

「我らの望みをお伝えさせていただこう。当方の望みは、無用な争いを避けて、これ以上、無辜(むこ)の血が流れる事態を終わらすこと。先の望みは到底、聞き入れられるものではないですが、我らの国にはこんな諺があります。

 ”留まりたい者には我らの心遣いと土地で安らぎを与え、武器を向ける者には武器を”。あなた方が真の交流を望むなら、双方で起きた争いによる互いの死者を手厚く弔い、帰るために必要な資金と幾何かの食糧を譲るので、どうか軍を退けてもらいたい。

 そして、発展に繋がる交易を行いましょう。さすれば、長い年月を要しますが、エトリアとサンガット間でいずれ友好が築けましょう。しかし、先の考案で一切妥協や曲げることを良しとしないとおっしゃるなら。当方、エトリア国は戦の経験は無きに等しいものの、無理に奪おうとすれば、我らは内に秘めた牙を剥きだして、サンガット軍へ多大なる損失を与えるほど果敢な抵抗になると申し上げておきます」

 

 カセレスは総隊長を睨みつけた。修羅場を潜り抜けてきた者にしかできない、普通の者なら委縮して、身動きが取れなる冷たく光る眼差しを彼は平然とした顔で受け止めた。伊達で指導者の立場に就いたわけではないかと、カセレスは口端を微かに歪ませた。

 

「エトリアの所存、エトゥ様に伝えておこう。だが、あまり多くを期待しないことだな」

 

 五人は一旦、引き下がった。総隊長はその間、小さな椅子に座り、成り行きを見守った。

 翼竜に佇むエトゥの下まで戻ると、話し合っている。距離もあり、聞こえないが、カセレスの態度からして、開戦に多少の躊躇いがあるのを感じられた。できれば、期待したいところ。そうして、同じ五人が来て、カセレスはエトリア側の使者に伝えた。

 

「エトリア側の要求は一切、受け入れないとのこと。断るようなら、手始めに本都市在住の諸君らを殲滅した後、他国へと向かうエトリアの民抹殺を図るとおっしゃられた。だが、我らの総大将は寛大な一面もある。一時間の猶予を与える。よく話し合い、考えられよとのお達し」

「一時間では短い。三時間ほしい。私より立場が上の方が近辺におられる。その御方の意見も合わせて、返事を待ってほしい」

「よかろう。だが、それ以上の延期はあなた方が反抗の準備を整えるための時間稼ぎとみなして、攻撃をする。それでよろしいかな?」

 

 総隊長は同意した。実際、時間稼ぎにしか過ぎない。それでも、建前は外交の態を見せなければと思い、部下の一人に白旗を持たせて、早馬に乗ってオルレスの下へ参じるよう命じた。遅々とした時間が過ぎる。総隊長たちは中に引っ込み、カセレスらは自陣に引っ込んだ。

 エトリア軍同様、サンガット軍にも動きがあり、次々とテントが建てられて、袋や物を担いでえっちらおっちらと右往左往し、即席の攻城櫓(こうじょうやぐら)も作られる。

 とっくのとうに西側の外壁へと着き、ゲンエモンら四人はヴァロジャにも声をかえて、事態を静観した。

 

「仮に私が国主でも、あんな奴隷になれとしか書いてない事は断りますね」とサヤ。

 サヤの言葉に肯きつつも、ゲンエモンはこうも言った。

「そのとおりだろう。ただ、国を存続させることをなによりとするなら、理不尽な要求も甘んじて受け入れなければならないときもある」

「そうなったときは、ドナには申し訳ないけど、私はエトリアから離れます。誰かの奴隷になってまで冒険者をしたくない。ましてや、あれらの為に刀を振るのは真っ平ごめんです」

「個人の自由だ。わしは留まるがな」

「ならば、弟子であるそれがしが残るのも道理」

 しかし、ゲンエモンはコウシチの言ったことを否定した。

「ならん。第一、お主は弟子ではない。近い内、孤自戦流を受け継ぐ者であり、既にわしの手から離れた一人前の冒険者でもある。老い先短い者の余生に付き合うことはない」

「あなたは個人の自由とおっしゃいました。それなら、私が残ることに問題でも」

「わしの教えとそなたが培ったことを以てして孤自戦流を世に広める役目がある。それには、自由無き地から離れなければならん」

 口論に達する前に、ヴァロジャが割って入った。

「あんたらが口げんかをするのは勝手だが、当面の問題を無視して続けるなら、俺は本来の持ち場に戻るぜゲンさん。くだらないことを目の前でやられるのは鬱陶しい」

「いや、すまんのうヴァロジャ。コウシチよ、このことは時間があるときに話そう。良いな」

 

 不承な思いがコウシチの顔に現れてたが、これ以上ごねるのは自分が子供であり、場を乱すことにも繋がると理解し、勝手な発言をお許しくださいと頭を下げた。シショーは内心、首を傾げた。コウシチらしくない、なにか拘ってるような気がした。

 とはいえ、師の言葉を借りるなら、時間があるときに話そうと思い、今は無言を貫きとおした。日差しは良いが、風は冷たい。マントや厚着を被り、寒さをしのぐ。

 二時間半経過。白旗を持った早馬の使者が舞い戻る。西側の大門から総隊長以下十人の使者、サンガット側からは同じ五人が来る。ミルティユーゴの決然とした表情から、カセレスは聞く前から返答を察した。

 

「ラーダ長代理オルレスと私ミルティユーゴ以下、十数人で考慮した末の結論をお伝えします。当方、エトリアはサンガット側の理不尽で傲慢極まりない条約を全て拒否する。エトリアはサンガットと剣を交えて、徹底的に抗戦する所存。このことは、そちらが折れぬ限り、曲げる気はない」

「しかと聞いた。では、先の条約は無効とし、俺がエトゥに伝え次第、エトリアへの総攻撃を開始する。覚悟しろ」

「私個人の本音を申し上げれば、剣ではなく、和平の証に(さかずき)を交わしたかった。こうなったことを残念に思う。だが、逃げはしない。我らの内に秘めた牙の鋭さ、凄まじいものになることを覚悟したまえ」

 

 カセレスはわかってると言いたげに頷き、落ち着いた足取りで五人は踵を返した。ミルティユーゴは手を挙げて叫んだ。

 

「開戦だ! 火縄に火を付け、石火矢の最終確認を行い、武器を構えよ!! だが、礼儀として使者を攻撃してはならぬ。五人は無事に自軍へと返してやれ!」

 

 カセレスが半ばまで過ぎて、ミルティユーゴと十人の側近が引き返そうとしたとき、エトゥが騎乗するワイヴァーンがばさりと翼を広げて、咆哮を上げるや一直線に総隊長目がけて飛びかかった。

 唖然としたカセレスら五人には目もくれず、エトゥとワイヴァーンが襲いかかる。

 十人の徒歩の者は悲鳴上げて下がり、西の門付近の衛兵たちはいきなりの攻撃にあわたふためいた。また、背に乗るエトゥその人の身体から黒々とした靄のような煙がかった物が洩れ出ていて、おまけに例の決して聞き慣れることはないおぞましい声も出した。声と黒い靄はエトリアを守る兵士達に様々な恐れを抱かせた。それなりに剛のある者すら、立つのがやっと。火縄銃の火は消え、矢も風で押されて勢いが弱まり、硬い皮膚に阻まれて弾かれる。

 総隊長は橋を渡りきる直前だが、ワイヴァーンは橋の前まで迫っていた。

 体から電流をばちばちと爆ぜらせてる。雷を落とす伝説は本当のようだ。間に合わない。ミルティユーゴは剣を抜き、勝ち目は無いのを知りつつ立ち向かう。

 

「ああ! 誰か、誰かー! 総隊長を救うのだ! あの方を今、失ってならない! 誰かー!」

 

 ワイヴァーンが橋まで迫ったとき、篝火を掻き消し、旗が千切れんばかりに両の翼を大きくはためかせる。翼竜が空へと後退する。

 救いの声に応えて、ゲンエモンとヴァロジャが背後から剣を抜き放ち、西の大門の上ではコウシチ、シショー、サヤが微かに光り帯びた刀を向けていた。おぞましい声は途切れ、靄は消え去り、光を見た者の内側から恐怖が去った。

 三人はしっかりとした足取りで門の内まで引き返す。衛兵たちは急ぎ、門を固く閉ざし、跳ね橋を上げて、鋼鉄の格子を落とす。

 ゲンエモンと落ち着きを取り戻した十人の徒歩が総隊長を指して、こちらも負けじと声を張り上げる。

 

「皆の者、総隊長の剛勇をご覧あれ! 自衛軍総轄隊長ミルティユーゴの気迫に押されて、翼竜とエトゥめが尻尾を巻いて逃げた。弱輩な将率いる軍に勝ち目なし」

 直後にミルティユーゴも応える。「エトゥなる者は所詮、野蛮な動物使いにしか過ぎない。恐れは敵ではなく、自らの内にある。拙い(まじな)いごとに囚われて、戦いを放棄してはならぬ。声に惑わされるな。大きさに臆すな。立ち向かえ、皆よ!」

 

 一人が総隊長万歳と叫ぶ。そこから連動して、万歳合唱が広がり、ゲンエモンらにもよくやったと褒める者もいた。久しく静まり返っていたエトリア本都市に、再び活気の火が灯る。

 総隊長はゲンエモンらにお礼をささやいた。

 

「あなたが何を考えて、ここへ来たのかわからなかったが、不問にします。私は今まで、カースメーカーという者たち誤解してたようだ。あなた方の勇気と先見の明には感謝しきれない」

「いえ、あなたもよう立ち向かわれた。ともかく、あれがわしらが持っている物が苦手なのがはっきりした。とはいえ、今後、あれはわしらにも普通とは異なる武器があるのを知り、不用意に近づかないはず。対決の機会はそうないでしょうな」

「私もずっと、本都市に籠もりきりなつもりはない。いずれ、もしくはいつかか。機があれば、こちらから打って出て攻撃する。そのときは、あなた方と同じく術をかけられた剣を持つ者を必ず連れて行こう」

 

 ミルティユーゴとゲンエモンらはそこで別れて、ゲンエモンら四人は持ち場である内壁に引き返そうとした。しかし、意外な者に呼び止められた。

 冑を被って、初めは誰か判らなかったが、じっと顔を見て気付いた。

 

「これは、フリスト殿。元気にお過ごしておいでかな」

 

 声をかけたのは、元副隊長フリストであった。所在なさげに目をきょろきょろとさせて、自分より立場が弱いか強いか値踏みする目付きは相変わらずだが、以前のような虚勢は無くなり、より自信が無い印象になっていた。

 国境の警備に飛ばされたとは聞いてたが、有事のおり、配置転換で本都市警固に回されたのかとゲンエモンは思った。ゲンエモン以外の者は、彼を無視し、冷たい視線を送った。彼の傲慢で無能、部下に慕われてない一面を嫌ほど見たことは決して忘れられない出来事。仲良くなりたいと思う者はいなかった。

 

「い、いえ、まあ。元気といえば元気です。だけど、さすがというか。あなたの豪胆さには驚かされるばかりです」

「それで、何か用で。わしは急いで、内壁に戻られねばいけないのですが」

「ああっと、そうでしたね。実は、あなたに渡したい物があるのです。父に言われて、渡すよう言われたのですが、機会に恵まれず」彼は懐から、小さい物を出した。小ぢんまりとしたルビーがきつく縫い付けられた、質の良い糸で織られた正方形のお守りのようなもの。「あなたへの謝罪と武運を祈り、お渡ししなさいと言われてました。どうか受け取っていただけませんか」

 

 元副隊長はへこへこと頭を下げた。ゲンエモンは彼が可哀想になった。

 実を言うと、アヤネから貰ったお守りがある。

 新しいお守りを貰えば、前のお守りの効力が無くなる。彼の故国にはそのような言い伝えがあるのだが、なに。それはそれ。人を想う気持ちに古い新しいもない。下手に波風を立てることもあるまい。彼と彼の父君の顔を立てて、もらっておこう。

 ゲンエモンはフリストから謝罪の品を受け取った。元副隊長はありがとうございますと頭を下げた。

 ゲンエモンらが去った後、彼が密かに薄ら笑いを浮かべて、小さくガッツポーズをしているのは誰も気付かず、気にもしなかった。

 道半ばで、シショーはゲンエモンに話しかけた。

 

「彼はあまり信用できない人間だと思います。彼の性格からして、あなたに対して逆恨みを抱いてもおかしくない。そんな良い物を今になってくれるのは、どうも変だ。なにか良からぬ想いを込めてるのかもしれない。こっそりと捨てても、問題は無いはず」

「そうかもしれぬが、悪戯に波風を立てる意味もない。彼の心理がどうあれ、無下に断り、こじらす必要もない。仮に、お守りに良からぬ想いが込められてるからといって、わしの心臓が止まることもあるまい。彼と手を繋ぎ合う日は来ないだろうが、一先ずは一件落着と見てよかろう」

 

 彼は深刻に思うときもあるが、結構、気楽に考えるときもある。といっても、その場合は、深刻に考えるだけ無駄な物が多いのも事実で、シショーは師の判断に同意した。

 ゲンラモンらが戻ると、冒険者と衛兵は歓呼で勇敢な四人を迎えて、カースメーカーたちの術が本物であると称賛した。ドナは指揮権をゲンエモンに返した。

 

「あなたが生きてる間は、私が指揮者になることはありえませんよ。そう残念そうな顔をしないでください」

 

 ゲンエモンはぶつぶつと不服を呟きながら、内壁の上に登り、雑に閉ざされた世界樹の迷宮出入り口を見下ろした。

 

「さっさときやせんかね」

 ロディムが指で斧の柄を弄んでた。

「わしの勘だが、外での戦闘は今日は無いと思える。というのも、敵軍は先ほど、大将の無様な撤退を見たはず。それと、異様なまでに血気盛んだが、彼らは疲れておる。今日は休んで、戦闘は明日になる可能性がある。また、お主の望む内壁での戦闘も、今日は無い。あるとすれば、明日か明後日か。いずれにせよ、そう遠くはない」

 

 ゲンエモンの推察どおり、開戦日となる二月一四日は短い戦闘が二回(五人対エトゥの件を含めれば実質三回)行われただけだった、その日、エトリア側は動向を見守り、王賊側はマター・エトリアの北と南、西に通じる道やなだらかな丘などに一日かけて陣地を張り、周りの雪に埋もれた田畑を荒らし、エトリアの領土を多く占める広沃ヶ原を制圧した。要所で塹壕も掘られてた。

 各守りに情報伝達の馬が駆ける。内壁側は何もなしと答えた。カースメーカーたちが気配を知らせてくれるが、数は多いけど、目立った動きは感じられないとのこと。

 ゲンエモンには、エトリア本都市を攻囲する敵軍の数を知らされた。旗の数、配置、将と思しき者を取り巻く人数から推察して、総勢六万半ばから強。十万の内、残す四万が道中で死んだとは考えずらい。遅れたというよりかは、遅らせて到着させるつもりだろうといった。幾らかは、エトリアに通じる中小各国の大きな道に見張りを置いてるのではとも付け加えられた。

 つまり、八万強から九万を超す軍勢がエトリアに訪れる可能性は高い。最後に、北と南には一万ずつ、残す四万以上は西側に集結してると告げられた。

 

「明日、西側は眠ることもままならず、北と南もあまり休める機会はないだろうと総隊長がおっしゃられました」

 

 伝達係は一礼して、馬に乗って自らの持ち場へ戻った。

 真っ暗な夜の七時頃。数名の見張りを残して、他は近隣の民家を借りたり、邪魔にならない位置に張った大テント内で本日二回目となる食事を取った。

 食事の回数には決まりがあり、何も無い日は二回。無い日が二日続けば、三日目からは一回のみ。戦闘がある日は三回、戦闘の中身、兵士達の疲れと空腹状況によっては四回。ただし、戦闘中だと、迅速かつほおばりやすい物となり、その場合だと四回を超えても致し方ないとされた。

 

「やれやれ。食事も少なく、何もない日が続くのはご免だね。そんときゃ、配置転換させてもらおうかね」とロディム。

 

 そう言うなとコルトンは諌めたが、ロディムの言うことに少なからず同調してた。何日も続けば、配置転換もありかもしれない。退屈な上、食事が減らされるのは嫌だな。逆に考えれば、生き延びられるチャンスも高い。むしろ、幸運と考えようとコルトンは思った。

 

 

 

 二月一五日早朝。

 夜も明けぬうちに、サンガット軍の攻撃が開始された。

 松明は良い的になるので、灯りもなく、ぞろぞろと進んでくる。夜目が利く歩哨たちが警戒の笛を吹き鳴らす。猛禽類を思わせる笛の音が響き渡る。各隊長たちが激を飛ばし、兵士達は手に手に武器を持つ。

 外壁の稜堡(りょうほ)の角には大砲が据えられて、外壁の内側には外に開く窓式の銃眼があり、大砲用と弓矢や鉄砲用と大小の銃眼が作られてた。そこから、砲と銃が先を覗かせる。

 稜堡は広く、大砲より離れた位置では兵士がひしめきあう。

 鉄砲隊は二列並び、いつでも点火準備は万端。また、長弓と(いしゆみ)を持つ兵士もいて、二組とも鉄砲より後方だが、鉄砲に交じって弩を持つ兵士も二列目に配置されてた。全員に行き渡るほど鉄砲は無かったのだ。

 真ん中と最後方には大きな盾を持つ兵士もいた。敵の矢や弾を防ぐためである。他、鋼板も要所に張り巡らされて、飛び道具への防御を高めてた。

 陣地とまだ浅い範囲の塹壕から敵が這い出てくる。

 初めに長弓部隊の攻撃が開始された。暗い夜空を矢が覆い尽くす。暗いのでわかり辛いが、多くの者に傷を与え、確実に何十名もの敵兵を倒した。

 倒れない兵士も多くいた。盾を構える者もいれば、小ぢんまりとした櫓に隠れてる者もいた。

 高台と望遠鏡でできる限り探りを入れたところ、櫓は二層建て。前面は厚い石膏が塗られてる。屋根は木の板を被せられて、数人が搭乗。上よりも下がメインらしく、大量の土砂を盛る様子が観察された。

 中の土を掘にぶちまけて、埋めようというのだ。櫓と盾を持つ兵士たちの背後では、長さ数十メートルもある巨大な鉤梯子が支えられてた。見える範囲では、袋を担ぐ者たちも結構見られる。明らかに土を詰めてるのは明白。

 エトリアの堀は深さ一四m、幅三十mもあって普通には渡れない。あれほど長い梯子を何本も重ねれば、橋替わりにするのも容易いはず。

 

「櫓と塹壕を破壊しろ!」

 

 狭間と銃眼にある石火矢の角度が目一杯下げられる。気を付けろとの喚起と共に、鋼板、大盾と壁の背後に射手と狙撃手が身を隠す。敵が応射したのだ。

 外壁の背後にも落ちた。殆ど弾かれたが、数えられるほどだが的になる者もいて、当たり所が悪く、深手を負う者もほんの少しだけいた。

 大砲の装填が整い次第、必要な人員を残して離れた。矢雨を盾で防ぎながら、第一波が発射される。

 真冬の夜に幾重もの落雷が轟き、足元と全身にびりりと振動が伝わる。ぬかるんだ箇所に泥と雪の飛沫を盛大に上げて深く埋まったり、何にも当たらない砲弾も幾つかあったが、大抵は直撃した。

 盾を持つ兵士とその後ろの兵士も巻き込んで吹き飛ばす。

 地面に当たって止まると思いきや、地面すれすれに何回も滑るようにバウンドして、何人もの敵を弾いたりするのもあれば、そのまま櫓に直撃して前面の装甲をぶっ壊して、土砂と人がドバっとこぼれる。

 ひゅるると真っ直ぐ飛んで、櫓や梯子、塹壕から這い出て袋を担ぐ者らにも直撃もした。炸裂砲弾も少し混じり、直撃は無くとも、こちらは鉄片と爆風による衝撃で確実に被害を与えた。

 そして、外壁の背後に設置された高台からは、砲撃の第二波が点火されて、弩砲と投石器による射撃も加わり、エトリア陣営の抗戦は激しくなる一方。

 王賊軍も遠距離からの攻撃を試みたが、彼らの砲は持ち運びを考慮してエトリアより小さく、大きな物は少なかった。そのため、殆どが壁に到達せず、精々が堀の中に没するのが少し見られたくらい。

 何台かの櫓は土砂を流し込み、何十個か袋を投げ入れられたものの、掘の水を埋めるには到底量が足りない。

 梯子を架けても鉤縄で奪われたり、改良式火縄銃の弾丸で砕かれて、そもそも渡ろうにも、鉄砲と弓の良い的にしか過ぎなかった。

 攻撃が開始されてから四十分過ぎ、サンガット側は一時退避の合図を出した。待ってましたとばかり、兵士は塹壕と陣地へ帰ってゆく。

 ベルナルドはどうだと、カールロに聞いた。

 

「三発とも命中した。一発は必殺。二発は当たった奴の戦う力を奪えた」

 

 ミルティユーゴが鬨を上げる。

 

「見よ! 敵の無様な姿を。昨日の初陣に続き、我らの勝利だ。サンガット恐れるに足らず!」

 

 真冬の寒さも吹き飛ばしかない歓声が本都市に木霊する。しかし、ミルティユーゴを含め、聡明な者は首を傾げてた。

 敵の攻撃は間違いなく本格的だが、昨日と異なり、鬼気迫る熱気が感じられない。何かが足りない。こちらを寝かせないためか。

 しばらくは硬直状態が続き、昼になっても、敵は攻撃を仕掛けてこず、塹壕掘りに注力してる。とうとうその日、敵は早朝を除き、攻撃をしなかった。

 もっとも、決して警戒は怠らず、哨戒の数を増やしておいた。ミルティユーゴは好意で借りえた商人ギルドを会議室とし、エキアロモとタイロンを交えて早朝の攻撃を話し合った結果、こちらの攻撃力と対応力を図ったという結論に達した。

 

「であるからこそ、塹壕掘りに注力してるのだろう。長期戦になるかも」

「いや、それはどうでしょうか。敵はあれほどの人数の割りに、長期を過ごすには食料や燃料となる薪が足りない可能性がある。数日は掘れるだけ掘ったら、短期決戦を仕掛けてくるかも」

 

 喧々諤々と物議を交わし、敵の出方と集められる限りの情報で考え得る対策を練り、会議は終わった。

 しかし、大方の見方としては、敵に食料と燃料の余裕はない。精々、切り詰めたとしても、一ヶ月足らずで食料は尽きるはず。そうなる前に、ある程度の下準備を整えたら、死にもの狂いで攻めてくる。特に、空を飛ぶ忌まわしい蛇と男の存在が一番不気味で厄介であり、早朝の本格的だがいまいち勢いが劣る攻撃は、一重に彼の後押しが無かった故。

 とすれば、今度の攻撃では、彼の存在もあり、一際激しい攻撃が予想された。

 彼らは口に出さなかった。言えば、臆病者と見下されるのが嫌だというのもあるが、口に出せば、敗北を認めてしまい、もう立ち向かうことができなくなると考えてた。

 世のどんな不快な音や音痴も、あれと比べたら、天国へと誘う天使の優しいさえずりに聞こえてしまうほど、おぞましいこの世ならざる声。心中、誰もが二度と聞きたくないと思っていた。ミルティユーゴと老練な勇者エキアロモでさえ、あれの絶叫には相当参っていた。

 

          *――――――――――――――――――*

 

 カセレスは不満。いや、憤慨すらしていた。

 自分が戻る途中で勝手に攻撃をして、無様に逃げたこと。今日の攻撃命令といい、しかも、後押しをしなかったのが立腹した一番の理由。例の兵器が到着するまで待てば良い物を。彼からすれば、自分も一介の奴隷に過ぎないのは理解してたが、エトゥも自分以外で自ら考え動く存在が必要なのはわかってた。

 エトゥの名の下、自由な意思を以て動けてたので、だからこそ、やるせない思いを抱くものの、今ある地位も手放したくなかった。

 所詮、盗賊の身。ここから落ちぶれれれば、二度と先はない。進むも引くも地獄なら、地獄の果て目指して突き進むのみ。奴はくそ恐ろしいが、ここまで成り上がれたのは素直に尊敬するし、一応は感謝してるよ。

 カセレスはともかく、エトゥに問い質した。彼は久方、翼竜から降り立っていた。

 翼竜すら、ぼろ布をまとい、身体をまとめて暖を取ろうとしてるのに、彼はマントと鎧、いつもの不気味に微笑む黒い仮面以外は何もまとわず、椅子に座ってエトリア本都市を見据えてた。

 カセレスが知る限り、彼は食事はおろか。眠りや排泄など、生き物に必要な行動を取る場面が一切ない。

 人々は、神に選ばれたる者だから当然というが、カセレスや以前の彼を知る者は、今の彼を気味悪く思い、良い意味でも悪い意味でも人間ではないと考えてた。

 

「なにかな? カセレス」

 

 とうに接近に気付いてたのか、エトゥは振り返りもせず話しかけた。カセレスはびくりと身を震わせて、寒さと震えを隠すようにマントで体をきつく締めた。

 

「総大将よ。あんたが何を考えてるかわからんが、夜も明けぬ内にあんな攻撃をするのは無茶じゃないか?」

 

 彼はくぐもった笑いを出した。まだエトゥの声だが、その時々により、彼は老人や子供、女の声を出したりする。

 

「お前は余の名の下、軍を動かしてればよい。それより聞こえぬか? 見捨てられた哀れな隷属共が上げる怨嗟(えんさ)と余に救いを求める声が。あれらの声はきっと、心地よい断末魔を上げさせるだろう」

 

 彼はまたくくと笑った。カセレスはゾッとし、思い出した。

 七年前、サンガットへ反旗を翻した国での鎮圧戦。彼が味方を無駄に殺すだけの無茶な攻撃をさせた。当然、千をも超える甚大な損害を出したにも関わらず、翌日には決着が付いた。彼の声の魔力が一層増してたのだ。

 砦を守っていた敵兵は狂い出し、何名かが勝手に門を開け放ち、味方は声に押される形で砦の兵と背後に控えた民衆へ殺戮の限りを行った。最強の砦は崩れ、国王は斬首。身分の高い者たちの大半も処刑された。

 カセレスと常人の意思を保つことが許された者は、悲惨な光景以上に自軍の兵士達の表情と有り様。それを押すエトゥを恐れた。ああ、そういうことか。勝利への布石、尊い犠牲というわけかい。

 エトゥ自ら、この事に関する口外へ戒厳を命じた。

 だが、知ってる者は殆どが身分の高い者であり、当事者である兵士達からは記憶が抜け落ちてた。敵方に生存者はない。噂が噂を呼び、他国は彼を匿った大国を恐れ、国内では彼の地位と尊敬を決定的にして、大手を振って表舞台へ立つに至った。

 

「そろそろ、地底にうずくまる者共が動き出すだろう」

 カセレスがなんのことだと聞いてもエトゥは答えず、次の命令だけを言った。

「四日後。朝日が明ける頃、内と外で総攻撃を行う」

「内と外だと!? あれが到着日時に合わせてなのはまだわかるが、内とはどういう意味だ。説明しろ!」

「楽しみにしてるがよい」

 

 内心、くそと怒って引き返すカセレスを見ながら、エトゥのくぐもった密やかな嘲笑が風に吸い込まれてく。

 

          *――――――――――――――――――*

 

 アクリヴィは哨戒の任に就いてた。女だから遠慮するなと申し出た。鎧は来てないが、男勝りの性格と体格で、男装したら女性と見抜ける人は少ない。

 彼女の隣には若い男がいた。弓の腕が立つ、金髪の男。エドワードではない。しかし、パッと見、彼女は彼のことをエドワードだと思った。雰囲気が似てるからだ。だが、よく見れば一目で違うとわかる。

 まず、エドワードと比べて背が低く、引き締まってるが彼より華奢だ。顔に幼いところが見られる、エドワードより数歳年下の青年。そう、彼はチノスだった。

 雰囲気と長弓の扱いが上手いので、初めはエドワード? と思ったが、すぐに別人。チノスだと気付いた。

 こらと叱ったものの、後の祭り。この状況で逃がせるはずもない。こうなったのも何かの縁、アクリヴィは彼の傍にいることにした。

 

「僕らはあの人ばかりに頼ってました。エドワードさんが望んでないのは承知ですが、僕も騎馬民族の端くれ。あの人以外で、戦う勇気がある者がいることを証明したかった」

 

 若さゆえの果敢さと愚かさ。だけど、どうこう言ったところで始まらない。目、いや手の届く範囲でなら守ってやりたい。母親に加えて、彼の死を聞いたら悲しみは増すだろう。

 

「一向に手を休めませんね」

 

 ときおり、砲撃を行うが敵は怯まず、懸命に塹壕を掘り進めてた。今の所、距離的に問題はないが、掘り進められて、大砲の射程距離が届く範囲に来られるのは不味かった。さりとて、物資補給もままならぬ現状で、塹壕破壊で撃ち尽くすわけにもいかない。タイミングを計らえ、無駄撃ちするなと総隊長は命じた。

 内壁からの戦闘報告はなし。男二人は馬鹿なことをのたまってるだろうが、取りあえずは四人とも無事なのを聞いてアクリヴィは安心した。

 アクリヴィは空を見た。まだ陽が良い日だ。ただ、雲の流れからして、またいつ雪が降ってもおかしくない。

 その内壁では、暇を持て余してた。二回目の食事も終わり、じっと世界樹を見るだけの退屈な日が過ぎる。

 ゲンエモンは多少の遊戯は許したが、節度をもってやれときつく言い付けた。遊戯に没する者もいれば、装備や身の回りの点検をしたり、腕が鈍らないよう打ち合う者もいた。

 本当に来るのかねぇとロディムのぼやきに、カースメーカーの一人が答えた。

 

「すぐにではない。だけど、そろそろ近いな。例えれば、湯を沸かしてるやかんか。沸騰には時間を要するが、時が来れば、出入り口から似すぎて鍋からこぼれ出した湯水の如く大量に出現してくるよ」

「それは何時になるんだい」

「明日か、一週間後。とにかく、そんなにかからないよ。そのときは君の斧と剣捌きを存分に鑑賞させてもらおう。その前に、投槍や鉄球で応戦することになるけど」

 

 内壁での戦いは、外壁と同じく飛び道具を主体とした。といっても、弓や鉄砲の多くは外壁に回されてるため、柄の最後方に輪をつけ縄を通した物と、鎖付きの鉄球を地底世界から侵出してきた怪物共へ投げつけて、回収。これの繰り返しとなる。白兵は追い詰められたとき、内壁にまで怪物が上があるような事態に限られた。

 昼が過ぎ、夜に二回目の食事が奢られる。内壁防衛の任に就く者以外でも、マルシアなど、医療班の者も数名作りに来ていた。役に立ちたい思いから、ジャンベは炊事雑用係に志願した。ジャンベは皮を剥きながら、マルシアと喋った。

 

「戦う力と技術、度胸。それが一番に求められる今となっては、歌を吟じられることに意味が無くなりましたね」

「あら、そうかしら? 音楽は退屈をしのげるし、傷付いた心を慰められる。私はあなたが地下世界で皆を鼓舞したことを忘れないわ」

「そうですけれど、僕は性格上、うじうじと悩んで考え込んでしまうのですよ。今だって、不安でしょうがない。いまいる状況が夢が現実と区別がつかなくなるような、ぼやけた感じ。視界がくらくらと揺れる感覚。そういうことがたまにあるのですよ」

「恥じることはないわ。私も戦場味わうのは……モリビトさんたちもいれたら二回目かしら? 

 まあ、とにかく。戦場ではいるだけで激しいストレスを感じる。現に、私たち医療班のところへ特に怪我したわけでもない人が来るのだけれど、そこまで寒くは無いのに身体の震えが止まらないとか、引きつった笑みを浮かべて軽い混乱に陥った人が来るわよ。

 あなたのは普通の感覚。恥ずかしいなんて思うことはない。むしろ、心の内を開けてくれて嬉しいわ。四六時中付き合うのは無理だけど、あなたはあなたのしていることに自信を持ちなさい、ジャンベ」

「マルシアさん、ありがとうございます。僕の胸中を聞いてくれたのは、カールロさんとベルナルド氏を入れて三人目です」

「元気になってくれてなにより。でも、あなたは音楽以外にも沢山のことができるじゃない。弓矢の扱いも上手くなってきたし。それに、あなたは自身が思う以上に勇気があるわ。きっとまた、地下世界の時のように、些細だろうけど、あなたの行動がきっかけになって、何か動きが生まれるかもしれない」

 

 まさかそんなことは笑顔で否定しつつ、ジャンベは心の中で喝を入れた。

 いつまでも甘えていれられない。困り、悩んでいる者は他にもいる。自分の足元ばかり見ず、背を伸ばして、周りも見つめなければ。

 そうして、敵が塹壕を掘り、威嚇と妨害の砲弾がたまに発射される以外、比較的、静かな三日間が過ぎた。

 

「戦だからといって、ずっと戦う訳ではない。数年間に渡る戦も歴史にあるが、硬直状態。要は睨み合いじゃな。実際に戦闘があった日数は意外に少なかったようだ。だからといって、だらけて良い理由にはならん。せめて体を動かせ」

 

 ゲンエモンの言葉に、暇を持て余してた者たちは武器を取り、稽古をした。

 ゲンエモンは静かすぎると思った。ゲンエモンに限らず、聡い者は後少しで事が動き出すのを感じ取ってた。鍛冶屋で例えれば、エトリアは金床に横たわる金属であり、金槌がサンガットならば、正に強烈な一撃が振り下ろされようとしていた。

 結局、三日目を過ぎても食事は二回供されたが、量を減らされてた。

 三日目の前から、量が減らされており、この減量に不満を露にする者もいた。ゲンエモンは諭した。

 

「慌てるな。焦るな。明日か数日以内には、戦いがある。そうなれば、量と回数も増える。わしらは戦闘してない。その事実を認識して、食事が供されるだけありがたく思うのだ」

 

 物見台からの報告で、サンガット西方陣営で動きがあり、九㎞地点に四角形の更地が作られた。野営地からは離れた戦線寄りの位置。兵器を設置するかと思われたが、物を置いたり工事をすることも無く、整備だけ行われた。首を傾げつつ、監視は続けられた。

 早朝の戦闘があった一五日を過ぎて四日。真夜中に差し掛かる頃、カースメーカーたちが飛び起きて、警戒を促した。

 キアーラはシショーや周りの者へ起きてと叫んだ。

 

「起きて! 噴火寸前。後数時間としないうちに来るわよ」

 

 冒険者たちと衛兵は武具を身に付け、眠い目を開けて、不気味に聳え立つ世界樹を見上げた。ゲンエモンは数名の偵察を冒険者から派遣。二十分後、偵察の者らは慌てふためいた様子で舞い戻った。剛のある者が答えた。

 

「翠緑ノ樹海全体がざわついてる。一足踏み入れた瞬間、四方八方から殺意を向けられて、奥へ進めば確実に殺られていた。少し先へ行ってみたが、明らかに深層の樹海生物がいた。姿は見えずとも、ひしひしと気配と息遣いが伝わってきた。命からがら、一本の糸を頼りに綱渡りでもしてるようでしたよ。もう偵察はごめんでさあ」

 

 こうなると、冒険者たちの眠気とだらけは一気に吹っ飛び、迷宮探索モードへ移行した。険しい緊張で内壁が包まれる。

 夜が明けた。僅かに筋枝が緩んだ者も出始めたとき、彼らの股をギュッと閉めることが起きた。

 塞がれた出入り口の奥から、怪物たちの咆哮が轟き、世界樹の出入り口をぶるると揺らした。時を同じくして、外壁側。西の方角で動きが見られた。明け方の少し前から、サンガット陣営から歓呼が上がった。

 アクリヴィはチノスを高台まで連れて、遠くを観させた。

 

「申し訳ありませんが、こう暗くては僕の眼でも見通せない。ですが、明るくなれば、あなたにも敵が歓呼を上げて出迎えたものが判るでしょう」

 

 陽は差さなかった。雪は無いが、どんよりと曇ってた。夕方から大雪が降り注ぎ、二、三日止まない予測が立てられた。大雪の雲が過ぎれば、久方に晴れて、そこから気温が少しずつ上昇する。

 

「だが、予測は予測。何日も降り続けて、陽は差さないことは十分ありうる。春の到来を前にして、我々は冷たく凍えた大地に身を横たえるかも」

 

 こう言う者も少なからずいて、決して否定できるものでもなかった。

 やがて、曇り空に覆われたエトリアの大地へ運ばれたガレオンなるものの正体が判明した。

 離れた南の高台からでもわかるほど巨大な大砲が千人に牽引されてた。後方では、交代のためか二千人が控えてた。距離と方向からして、九㎞地点にある四角形の更地へ設置されるのは明白。サンガットからエトゥの名に加えて、ガレオンの名が叫ばれた。

 

「エトリアの大砲よりもっとでかい!? あれはなんですか」

「ガレオン砲!」アクリヴィは高台から身を乗り出して、砲の名を呼んだ。アクリヴィは興奮した面持ちでチノスに尋ねた。

「ガレオン船は知ってる?」

「ええ、名前ぐらいは。最新式の大きな船ですよね」

 アクリヴィは肯き、うんちくを語った。チノスは気圧されて、黙ってうんはいと頷いた。

「そう。見聞きした程度で、あのガレオン砲は実物を見るのは私も初めてだが、名前の由来は単純。ガレオン船に載せられないほど巨大だから。世界でも数個しかないと言われてる。

 何度も言うけど、大きすぎるのが欠点。船はもちろん。陸での運搬も困難だから、遠征よりかは防衛向け。

 しかも、一発撃って、次のを撃つまで冷却するのに時間がかかる。頑丈だけれど、ファルコネット砲より連発には向かない。その分、威力は絶大。奴らがシーランの沿岸国家に停泊したのは聞いてた。あそこにガレオン砲があるのは知ってたけど、あんな化け物大砲を引っ張ってくるとはね。見たところ、さすがに一台だけか」

 

 エトリア軍は騒然した。あそこまで巨大な大砲はエトリアにすら無い。エトリアにも通常の規格より巨大な砲が二台あり、それぞれ北と西。南と西の中間地点に配備されてた。その砲ですら、最大飛距離は八㎞、有効射程距離は四㎞。通常のは最大四㎞以上。つまり、どう頑張っても、エトリアにガレオン砲を壊すに至る距離が出るほどの兵器は存在しなかった。

 なに、一台だけで何ができるとたかを括る者もいたが、不安になる者も多い。

 知識が無い者は、世界樹を破壊するとか、一発で外壁の周囲を木端微塵にするぞと思う者もいた。

 二人は外と内の壁を見渡した。正念場かと、アクリヴィが呟く。

 場面は変わり、遂にトルヌゥーア内壁での戦いが勃発した。

 出入り口の奥から、怪物たちの咆哮を上げて、土を掻きむしり、物を破壊する音が段々と大きくなってゆく。

 来るぞ来るぞと意気込むロディムに、静かにしろとコルトンがツッコミを入れる。

 破壊音は増してゆき、隙間から小さな樹海生物たちが飛び出してきた。ただ、それらは森ネズミやモグラなど浅層の者で、怯えて飛び出したといったほうが正しく、壁に近付いても戸惑った様子だった。幾つか鉄球を投げ付けたら、慌てて下がっていった。

 雑魚は無視して、肝心の方が来ないか注視した。

 隙間から、今度は何個もの液体がするりと出てきた。ウーズの群れだ。

 

「あれは毒を持ってる。今度は無視できない」

 

 ウーズたちはまとめて、門を目指してきた。

 今度は容赦なく、先に槍を投げ付けて、難を逃れたのは鉄球で潰した。ぴーと悲鳴を上げて、ウーズたちは全滅した。ゲンエモンは油断するなと言った。

 

「前哨戦にもならん。大物が来るぞ。壁から四十m以内は槍で応戦。十m以内では鉄球を投げ付けよ。アルケミスト諸君はわしが号令したら、盛大に放ってくれ。弓や銃を持つ者はどこでもいい、怪物が集中する箇所を撃て。飛ぶような奴は即座に撃ち落とせ。カースメーカー諸君は各自の判断で任す」

 

 出入り口付近の杭が内からぐいぐいと押されて、土が飛び、石膏の破片が散る。限界に達した堰が崩壊するように、出入り口を被う物が膨らみ、盛大な破壊と共に大型の樹海生物が湧き出る。

 白き魔狼。白いカマキリ。大蜘蛛。人喰いの大ナマケモノ。火を噴く梟。両手から剣のごとき鉤爪を生やした黒熊の獣人。五階層に生息する赤と黄が体色が派手な鉤爪モグラ。茶と金の凶悪猛牛。青と金の甲虫。怪物ヤンマたち。三階層のアリども。大サソリ。うごめく毒樹。目障りな大型の吸血蝙蝠と怪鳥の群れ。

 放ての号令で、真っ先にゲンエモンは番えた矢を放った。金の羽根を持つ怪鳥一羽仕留めた。一斉に矢と銃弾が飛ぶ。怪鳥、蝙蝠、怪物ヤンマが地に落ちてゆく。

 空を飛べる怪物たちは内壁の上にいる、餌であり敵でもある人間に向かう。今度はアルケミストたちが盛大に術式を放つ。火と雷が内壁の周囲を被いつくし、黒焦げたものが地を埋める。空を飛ぶ怪物たちの第一陣は掃討された。

 内壁の上空が火と雷で被われた際、地をゆく怪物たちは足を止めた。火と雷がなりを潜めたら、慎重な足取りで進み始めた。

 三五mのラインまで近づいたとき、一斉に槍が投げられて、矢が撃たれる。甲虫や甲殻の皮膚を持つ者には弾かれたが、大抵は刺さり、一発目が急所に当たって倒れるのもいた。

 凶暴な猛獣たちが唸って、一つの塊になって壁へと突進する。

 多少、槍や矢が刺さっても、物ともしない。十m圏内まで接近したのを境に、槍と、持ちやすい先端が幾つか付いた鉄球があらん限りの力で投げつけられる。ロディムは剣を振れない不満も込めてぶん投げる。

 これには、硬い皮膚や殻を持つものでも耐えられず、破られた。仮に表面上は大して傷を負ってないように見えて、凄い衝撃で下の筋肉を著しく傷つけていた。

 ロディムの投げた鉄球は、先頭を走る黄金猛牛の頭を粉々に砕いた。頭から脳髄と血を撒き散らして、猛牛は壁を前に前転して、腹を向けたら右へごろんと横たわった。

 青熊だ! 大鰐だ! 冒険者たちが警告を発する。

 五階層、三階層で多くの者を屠った強敵が現れた。こと、青熊には畏怖の念を抱く者もいた。これの凄い生命力は知られてた。大鰐が三頭、熊は二頭ずつ。

 獰猛な勢いで来ること三十m。槍を一斉に投げるが、深くは刺さらず、致命傷には至らない。

 お次は、錬金術師たちによる攻撃。金や銀の錬金籠手から火と雷が獣人と大鰐を包み込む。

 鰐と獣人は苦しんでたが、獣人はばたばたと転げて火を消し、黒く焼かれた直視し難い姿で来る。遂に装填が完了した鉄砲の掃射が行われた。鰐には五発。青熊には十発以上の弾丸が浴びせられた。

 大鰐は術式の時点でとっくに事切れてた。頭と心臓に穴を穿たれた青熊は数歩動いて、ずしんと倒れた。汗を拭ってコルトンが言う。「相変わらずしつこいな」

 樹海生物による地上侵出は二度も試みられたが、最初の襲撃と比べて、数や質は圧倒的に劣るので、迎撃は容易かった。三度目の攻撃が開始されかけた頃、例の絶叫が以前にも増して大きく響き、エトリア内部から建築物が豪快に壊れる音が内壁にまで届いた。樹海生物たちは泡を食って引き返すか、壁にまで寄って、片付けられた。

 内壁の防衛者たちは外壁側を見やる。

 再び、一際大きな空飛ぶ長虫の背から号令がかかり、アジロナ外壁へ総攻撃が開始された。

 術をかけられた剣を抜けと言い、ゲンエモンは七福葉八をかざした。仄かな光を浴びて、ゲンエモンは胸のざわめきを静めた。落ち着かなさそうにしていた者らも、刀剣類から発せられる光を見て、安堵した。

 ゲンエモンは刀を鞘に収めると、キアーラに尋ねた。

 

「前とは異なる。わしはさきのを聞いて、言い様のない不安に陥った」

「彼は哀れな奴隷の死を糧に、一時的に力を増幅させた。あんな惨く、怖い呪術師を私は知らない」

 

 いつもは動じないキアーラが、俯いて怖いと言った。

 ゲンエモンは険しい面持ちで空を飛ぶ翼竜四頭を見やった。開戦時のあの日より、悪い事が起きそうでならない。

 ゲンエモンはカースメーカーらに、地下の様子はどうかと聞いた。三十人ものカースメーカーが手を繋ぎ、精神を地下深くへ根下ろし、迷宮の浅層で徘徊すら存在を感知する。一人が告げた。

 

「それなりに深いところにいる。が、数や強さは今日の比ではない。いずれ来る。そのときは、この内壁で防ぐのは難しいだろう。それらは、かの者が発する大呪(たいじゅ)の咆哮を聞いても、怯えないはず」

 

 彼らは口を閉ざした。外壁で非常事態が起きてた。翼竜三頭の背から外壁へ向かって、槍や短剣に混じって、何かが網から大量に落とされてた。

 外壁から衛兵たちの恐怖に満ちた悲鳴があちこちから上がる。何が起きてるか確かめるため、ゲンエモンは西南北へ二人一組、馬と徒歩で向かわせた。

 

 

 

 アクリヴィとチノスはしばらく、南の外壁にある高台から西側の動向を観ていた。

 数百人がかりで迅速に巨砲を設置し、発射する準備をしてた。誰もが、ガレオン砲の発射準備が整い次第、攻撃が開始されることを予測してた。

 内壁では人と怪物が戦っていたが、注目は外に向けられてた。西、北と南にいるワイヴァーンに何人も搭乗し、巨大な翼竜の背には、贅沢にもたった一人だけで乗る敵の総大将がいた。同じく、高台に上ってきた南外壁担当の司令が呟いた。

 

「一番絶望に強いられた日かもしれん」

 

 内壁での戦いはどこ吹く風で、外壁の者たちは王賊軍の出方を待った。

 やがて、来たるべきことが到来した。ガレオン砲が発射された。盛大に火を噴き、ガレオン砲の弾は外壁より遥かに越えて、後方にある民家数軒を貫通した。直撃した屋根や二階、一階部分は大破。もうもうと木屑と煙の粉が立ち込める。

 直後、翼竜たちが飛び立ち、死を呼ぶ声が本都市に行き渡る。ガレオン砲の凄まじい威力に驚愕する思いは消えて、守備に就く者たちは一様に大きくなった声を聞いて(おのの)いた。

 翼竜の背に乗る者たちは、上から槍と短剣を次々と放り投げた。僅かに火炎瓶もある。何人もの兵士が貫かれる。誘爆を防ぐため、早急な消化活動が行われる。

 槍と短剣、火炎瓶の次は、別の物が投じられた。これらは盾や板で簡単に防げる威力の低い物だが、醜悪で残忍な行為を示す物であった。

 武器でもないのに投げ入られた物とは、生首。

 開戦日にて討ち取られた警備隊と思しき者の首もあるが、白人黒人黄色人種と問わず、大半は老若男女だった。サンガット軍がエトリアの道中に至るまでの間、襲われた者たちの哀れな果てた姿だった。

 首はどれも傷痕が目立ち、酷い恐怖と苦しみの表情を浮かべてた。残り少ない余生を思い思いに過ごす年寄り、汗水たらして働く男、恋に憧れる乙女、未来を夢見る少年少女。かつて様々な想いを抱き、生きていた者たちは死んだ後も惨たらしい辱めを味わわさせられた。空から大呪の咆哮が発する。

 兵士達の中にはやめてくれと泣き叫ぶ者もいれば、武器を捨て、冑を脱いで頭を掻きむしる者。何を思ったか身体を広げて自ら投げ槍や短剣の餌食となる者、自殺をしようとする者まで出た。

 破邪の術がかけられた剣を持つ冒険者が走り回り、カースメーカーたちが落ち着かせようとする。

 アクリヴィとチノスがいる高台の狭間にもひとつ、小さな首が落ちた。日数を経て腐っていたためか、追突時に顔の三分の一がぐちゃりと弾けた。

 腐肉がたれて付着し、趣味の悪い飾り物と化したのは赤子の首。殺される前か後かは知りようもないが、目玉をくり抜かれており、青ざめた毛も薄い幼き顔は、真っ黒い虚空の眼窩を二人に向けた。

 チノスは跪き、吐いた。アクリヴィはじっと見つめたら、自ずと逸らして空を見上げた。

 後ろから悲鳴を上げる兵士がいた。アクリヴィは振り返ると、恐怖に呑まれた一人が槍で赤子の首を突き飛ばして、自らの身を投じようとした。

「やめろ!」とアクリヴィは彼の肩を掴んだら、膝に蹴りを入れた。彼は足をさすりながら転げた。

 

「自殺したいのなら、私が見てないところでやれ」

 

 冷静さを取り戻した彼は済まないと言って、立ち上がった。翼竜三頭は補充の為、一時去った。

 地上の侵攻部隊は当然、留まってはおらず、全力で外壁を目指してた。首と危険な飛来物に気を取られてたが、サンガット軍の兵士一人一人の顔も異常なことに気が付いた。生首と咆哮に負けず劣らず、ぞっとする光景。

 彼らは常人では決して作れない、複雑怪奇な表情を見せてた。怒っていて、泣いて、苦しみ、笑ってるような、どれとも言い難い不気味な顔つき。目立つのは、笑顔。楽しみ、嘲り、誤魔化し。色んな感情が入り混じってる上、笑顔はどれとも取れて、取れにくい。しかも、顔をぴくぴくひくつかせてるため、余計に気味が悪い。

 エトリア勢は、世にこれほど忌まわしい集団を見たことが無かった。

 空襲を受けてるときも、エトリア軍の中にはなんとか平静を保ち、地上部隊に攻撃を仕掛ける者も多くいた。

 しかし、彼らは四日前と違っていた。

 体に矢や弾が当たっても躊躇せず、砲弾で腕が千切れても表情を変えず、無言で進んでくる。

 カールロは引き絞った弓弦を放した。矢は真っ直ぐ飛び、軽装歩兵の心臓に深々と刺さった。それにも関わらず、その歩兵は顔をさーっと青ざめながらも、二十歩ほど歩み、その表情のままどさりと倒れた。

 ベルナルドが軽口を叩く。

 

「やあ、凄くきんもい奴らだね。あの長虫もうざったい。僕も君みたいに、弓の扱いがもっと上手ければ、あの面に一発お見舞いしてやったのに。ここまで来るか、こっちから仕掛けたとき、鞭と短剣で刻んで、あいつらの顔を見れないものにしてやるのを楽しみにとっておこう」

 

 当のカールロは相方の変わらぬ態度にやれやれと呆れた思いを抱くも、微かに恐れを抱いてしまったので、半ば救われた気もした。

 敵は一糸乱れず行軍している。規律の取れた軍隊と表するよりかは、見えない糸でがんじがらめにされて、傀儡師が人形を無理矢理規則正しく動かしてるようだ。

 全員がそうではなく、将官クラスの他、北側にいる白い肌が目立つ北方の傭兵、南側にいる浅黒い肌の南方出身の戦闘部隊などは、エトリア勢と同じく緊張に満ちた顔付きの者ばかりで、不気味な表情を浮かべてなかった。

 咆哮を合図に、軍の進軍速度が加速し、翼竜三頭も飛来した。以前とは打って変わった強烈な攻撃。空からの支援。ちょっとやそっとじゃ倒れなくなった敵兵に、ガレオン砲の脅威も加わり、空を我が物顔で席巻するかの者が発する声の強さも増した。開戦から五日で陥落するのか、絶望に囚われてそう思う者も出てきた。

 各司令が立ち上がれと叫び、とにかく攻撃するよう促した。

 矢と弾が飛び交う。土砂を積んだ櫓が破壊される。梯子が粉砕。誰かが倒れても、手を差し伸べる者はおらず、無情にも踏み付けた。

 空からは槍と短剣に火炎瓶が落とされて、またしても生首がばら撒かれる。壁を転がるのもあれば、民家の屋根や壁、窓を破って入り込み、ぎゃっと悲鳴を上げさせた。

 更には、火炎瓶が大砲の火薬に当たり、間に合わず炸裂した。西と北の大砲が一個ずつ暴発して、爆風と鉄の破片で死人と負傷者が続出。

 そうして、恐れてた事態が起きた。ガレオン砲が発射されて、西側の大門右寄りに直撃した。

 幸い、大門と落とし格子に自体に被害は無かったものの、右側にある跳ね橋の巻き上げ装置が壊れた。砲撃のショックにより、跳ね橋は半ばまで落ちかかり、左側の装置のみで支えられてた。衛兵たちは左の装置と鎖を懸命に引っ張り、鉤縄が何十本もかけられて、大門に寄らせようと引っ張る。

 不気味な表情を浮かべる集団も迅速に動いた。彼らも縄を引っ掛けて、人がぶら下がり、重しに梯子がかけられた。鉤縄が斬られていく。ミルティユーゴが号令を発す。

 

「人を集め、大門を死守せよ! 集まる敵は一人残らず殺せ」

 

 敵の攻撃に負けじと、エトリアは奮闘した。

 西の大門へ集結するサンガット軍へ、夥しい矢と弾が降り注ぐ。戦闘開始から一時間半を上回る頃、エトリアのしぶとさにサンガット側がやっと諦めて、自陣へ退いた。

 跳ね橋が大門へ傾けられて、修復作業が急ピッチで開始。

 多くの者が身も心も疲れた。生首には憐憫の目が向けられて、守り倒れた者たちの死を嘆き、勝利の鬨は叫ばれなかった。

 それでも、臨戦態勢を整えた。今日はまだ、昼も過ぎてない。敵の熱気は冷めやらず、もう一度、攻撃を仕掛ける可能性は高かった。疲れと傷も癒えぬうちに、エトリアへ動揺をもたらすことが遠方で起きた。西南と西北、メティルリクとエピザ・トーティの山から大きな煙が立ち込めた。

 サンガットの襲撃か。偶然の山火事だろ。まことしやかな噂が流れる。目敏い者は、両国から派遣された兵士達が真剣に考え込むような眼差しで煙を眺めているのに気付いた。

 重たい空気が漂う中、何人かが立ち上がり、状況を打開する為の案を携えて総隊長の下へと馳せ参じていた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。