世界樹の迷宮 光求めし者達   作:鞍馬山のカブトムシ

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六話.枯れた世界

 俺達は冒険者は地上に出れば、非常時の時を除いて理性的であらねならん。そうして、余科の時間をいたずらに過ごすのではなく、知識を身に付け、人と交流するのだ。知識を身に付ければ、探索時以外に役立つだけでなく、冒険者を止めたとき、それらの知識を次なる人生の目標、あるいは何らかの家業にいかせるかもしれない。

 人と交流することとは、すなわちコネ。聞こえは悪いかもしれんが、多くのコネを作っておけ。中には見捨てられることもあろうが、中にはきっと手を伸ばしてくれる者もいる。今俺が言ったことは全て逃げ道だ。勝利や栄光のみ考えて突き進むときもいるが、そればかりでは無理だ。冒険者、危険を冒して道を進む者たちはただ危険ばかりを考えてはいけない。それらをいかに回避し、いざというときの事も考慮し、初めて冒険にいくのだ。

 つまり、逃げ道を考えることとは、心置きなく危険を冒しに行くための準備のことを差す。

 そして地下世界に行くときには非情な理性を持たねばいけない。非情な理性とは、仲間や同業者を見捨てる覚悟。もしも冒険者家業を今後も続けていきたいと思うのなら、どうしても助けられない場合は涙を呑んで見捨てる。

 そして、邪魔をする者がいれば、相手が人であろうと容赦なく斬れ!自らの目標とすることを達成したければな。ここでは、身内同様に思っていた者や顔見知りが突如として牙を向くことがある。

 ……と、これが俺がゲンエモンさんに教えられた冒険者の教訓だ。

 ジャンベが冒険者になって間もないある頃、エドワードから耳にたこができるほど聞かされた、彼の師の教訓だ。

 ゲンエモン。ジャンベは数度しか会ったことはない。ジャンベのゲンエモンの印象は、親切そうな年配者。

 物腰柔らかく、動作ひとつひとつに風格と気品が漂う人物だった。とてもじゃないが、教訓に人を斬れ! など、過激なことを教えとしてのたまう人には思えなかった。

 髭や髪には既に白い物が混じる、とうに五十代に突入したベテラン冒険者であり、武術の達人でもある侍ことブシドー。

 彼には弟子が数名おり、オルドリッチというメディック率いるパーティ・グラディウスにそのうちの二人、白皙金髪で海のような深い青い瞳の女、パラディンのシショー。細く厳しい一重に黒い髪を一つに結んだ(ポニーテールっぽいと指摘したら怒る)髪型が特徴的な若侍、コウシチ(高志知)がいる。

 エドワードは弟子に取られたつもりはないが、冒険者のイロハを教えられたので弟子のようなものだ。

 もしも、ゲンエモンの言葉に従えば。相手が人に近い存在であろうと、道を塞ぐ植物を鉈で排するかのようにしなければならないのだろう。

 ゲンエモンがこう語るのは彼の辛い過去の実態権に由来する。ゲンエモンはエドワードやごく一部に詳細を語ったのみで、エドワードもジャンベもそこは語らず、ジャンベも深く問い質すのを控えた。

 ……栄誉・権力・金・夢・目標・ロマン。自らの欲する物を手に入れたければ。

 ―――それにしても、逃げ道を心置きなく冒険に出る為の準備とは、物は言いようだな。

 

 

 

 湛えられた水ばかりか、木や土も青く同色に染まった世界樹の第三階層。所々にある目印の色塗られたロープ、時折出現する赤い熊や怪物蝙蝠(こうもり)に大トンボ、十四階の湖に浮かぶ蓮の花。

 緑の帽子と緑青のマントを羽織り、弓矢と短槍を背負う、碧眼で金髪の偉丈夫の狩人。

 その狩人なみに背が高い、鎧冑を着込む男。

 長い金髪を団子状に太く幾重にも辮髪状に巻き、目付きは青く鋭く、橙色のコートを着て、変わった形の金の籠手と黒い手袋を嵌めた女。

 亜麻色の緩やかなウェーブがかかった髪、ハシバミ色の柔軟な目と顔付きの白衣の美女。

 この階層に合わせたかのような青いベストやズボンを履いた、楽器と矢筒を背負う黒い肌の青年。彼らもまた、この冷たく青い世界に色を添える役目を果たしていた。彼らは各自、太くごついナイフを携帯していた。

 がさり! 青い茨の茂みから、血に飢えた二頭の猛獣が行く手を阻んだ。二本足で立ち、よだれが滴る牙と長い爪がぎらぎらと照り映え、白く濁った瞳孔は歪められ、赤い硬質な感じの毛皮が打ち震えている。

 

「コルトンと俺は右を! ピューリとマルシアは左を牽制! アクリヴィはわかっているな?」

 

 エドワードはさっと指示を飛ばすと矢をつがえ、コルトンは盾を掲げて右の赤熊に。ピューリとマルシアは左の赤熊に向かった。

 赤い熊の丸太のように太い腕から繰り出された一撃を、コルトンは盾で受け流した。赤熊の態勢が崩れて瞬間、エドワードは眉間に分銅付きの鎧砕きの矢を放ち、赤熊は右目蓋の上の骨が砕けた。

 眉間を抑えて地団駄を踏む赤熊へ、盾を捨てたコルトンは切れ味を重視した肉厚の片刃の剣を赤熊の心臓目がけ、一突き! 

 コルトンが蹴飛ばすと剣は抜け、赤熊はふらふらと酔っ払いのように足をもつれさせて、豪快な音と飛沫を立てて湖に没した。血の臭いを嗅ぎつけ、死体に凶暴な肉食性の魚の群れがたかった。

 もう一体の赤熊は、ピューリは短弓で、マルシアは槍で牽制した。

 連続した小さな攻撃に赤熊は切れて、赤熊は腕を広げて胸部や腹部を露わにした。

 そこをアクリヴィは自らの精神を媒体にして作り上げた雷を錬金籠手を通じて発射! 稲光は一筋の柱となって赤熊を襲う。あっという間に赤熊は生きたまま内部を焼かれてしまい、黒ずみ直立した熊の彫像が完成した。

 

 

 

 三階層になると効果も薄れるが、特製の獣を除ける鈴を鳴らして行進した。

 道中、女王蟻の残党に酒劇された三階層に降り立ったばかりの一行を救出するための戦いを除けば、後の道中は一体や二体と、少数の生物が現れるだけで、まともに戦ったのは救出のための戦いと二体の赤熊との戦闘だけ。

 殆どは脅かせば逃げたり、ちょっかいをかけなければ仕掛けてくることもない。

 鈴の音を不愉快に思ったのか、足早に自らの縄張りから離れた。

 冒険業の主なる稼ぎは発見と採取。無駄な戦闘を避けるには越したことはないが、鍛錬や金が入用となれば話は別。

 相手にその気がなくとも殺す。それに、樹海の生物を殺す事は執政院と冒険者の間で暗黙の内に決められている。

 これには、複雑な政治事情も絡んでいるのだが、目下の所は安全性のためである。エトリアは他国の約束の一つに、国外、ひいてはエトリアの街から樹海の生物を逃さないという取り決めがある。

 トルヌゥーア内壁が建つ前、世界樹の底から大挙して怪物が出現するという事態が一度あった。トルヌゥーア内壁が作られたその後にも一度。

 樹海の生物自体は金になるが、地上にまで這い出てくるのは困る。ために、街は冒険者に出来る限り生き物を殺して数を調整するよう求め、ときには街を守る兵士たちの良き実践相手としても戦わせたりした。

 そんなことをしなくても、地上の生物とは異なり、樹海の生物はどれも奇異で狂暴。

 執政院に頼まれなくても、冒険者たちは数多の道具と武器を使い、怪物との戦闘、樹海の特殊な事情から生まれた天然の要害を潜り抜けるために仲間と助け合う情けと、そこに潜む者共には持ち合わせないほうがいい非情さを持って各々の目的を達成しなければならない。

 

「痺れるわよ」

 

 四人が自分より一歩後ろに下がったのを確かめたら、アクリヴィはまたしても雷の術式で、水に没した赤熊の死体に続々とたかる肉食魚の群れを蹴散らした。

 途中二回の小休止を挟み、武器装備や重い船のパーツを担いで五時間歩き通しだが、休んでいる暇はない。

 急ぎ、固い地面の上で二隻の小舟を組み立て、マルシアが刺激臭のする薬を船体に塗りたくる。この薬でしばらく魚や大ガなどは寄り付かない。

 船は陸からでも水中が見えやすい、砂利が敷き詰められた箇所に置いた。

 守りの要であるパラディンのコルトンを先頭に、アクリヴィは背後に回り、余ったスペースに荷物を詰めた。ジャンベは二隻目の前、エドワードは船のしんがり、マルシアは二人の間に挟まれる形で乗船。

 この列に意味はある。コルトンはアクリヴィを庇い、敵が宙や水から襲ってきても、アクリヴィの錬金術で掃討する。

 二隻目は、二人の射手であるエドワードとジャンベの弓矢による支援。及びエドワードの鋭い視力と聴力、そのエドワードより更に広く音を聞き分けられるバードのジャンベが警戒にあたり、マルシアはいつでも治療に出られるよう待機。

 小波(さざなみ)を立てないよう慎重に、かつ素早く櫂を漕ぎ、付かず離れないよう気を付けた。

 邪魔な巨大水連を槍や櫂で押しのけて、対岸の十五階に通じる道がある場所へと船を進める。

 十五分後、段々と見えてきた。目印にと、ホープマンズとホープマンズ以外の冒険者一行が水から引き上げた巨大水連が道を飾り立てていた。

 はばたく音が五人の耳に聞こえた。コルトンが敵はどこだと視線を彷徨わせる。ピューリが上方、東南東を指した。

 

「多分、四羽です! 蝙蝠が四羽です」

 

 エドワードは方向こそ判っていたが、まだ正確な数までは把握してなかった。透き通る歌、巧みな楽器の扱いもそうだが、ピューリの聴力の良さには驚かされる。

 櫂を漕ぐ速度を落とす。血を求めてきたのではなく、移動のために接近しただけの可能性はあるが、警戒は怠らない。

 五人はマントや布を被り、姿を消したが、その下ではエドワードとジャンベは矢をつがえ、コルトンとマルシアは剣と槍を握り締め、アクリヴィは雷の術式を構成し始めた。

 赤い四つの点はこちらに接近し、高度を下げた。赤い円みがかった体型の蝙蝠たちは小舟を素通りして、青く聳え立つ樹の間を飛んで抜けた。

 蝙蝠の羽音が遠ざかるの確認したジャンベは、「もう大丈夫ですよ」と安全を告げた。

 アクリヴィは練った術式を打ち切り、二人の射手は矢を筒に戻し、コルトンと剣を鞘に納め、マルシアは槍を置いた。そこからは小波を立てるのも構わず船を進め、対岸の台地に辿り着いた。ここで小舟を引き上げ、最後の小休止を取った。

 しかし、最後に湖の波を荒げたのが悪かったのか。水面から巨大な双眸が陸に上がった獲物に目を付けた。

 水の中を歩き、固い台地まで差し迫り、豪快に水飛沫を飛ばして出現するやいなや、その者の全身に文字通り、電流が走った。エドワードはその者が水から上がる五メートル手前、水の揺れに不穏な物を感じて、アクリヴィに小声で術式を練るようを耳打ちしておいたのだ。

 水から上がった者の正体はカニだ。

 体は薄い灰色の殻に覆われ、子羊なら一飲みしかねないほど口は大きく横に裂けて、吊り上った双眸だけで人の頭よりでかく、二つの鋏はどんな物でも容易く切断できそうだ。

 放った術式の威力は低いものの、効果は抜群。カニは地に顔を伏せて、息も絶え絶えだ。

 コルトンは盾を持ち、鉄製のメイスを握り、カニの鋏が届かぬと思う範囲にゆき、カニの後頭部を叩き割った。

 頭の殻は砕け、露になった暗い黄緑色の殻交じりのカニ味噌ならぬ脳味噌へと一撃を与えた。カニは数秒ほど痙攣(けいれん)を起こし、それっきり、二度と顔を上げなかった。

 

 コルトンはメイスの汚れを布でぬぐい、どうするかと言った。

「最近こいつらのぶつを取れないから、今のエトリア市場じゃ、こいつの甲羅や足にかかった値段は九十エン上昇していたよな。取っていくか?」

 

 今日の目的はジャンベに四階層十六階にある樹海時軸を通らせることにある。 探索、階層慣れのための探索、依頼、報酬目当てではない。さりとて、無一文で帰るのも寂しい。エドワードはカニを捌くことにした。

 マルシア、コルトンは見張りに立ち、三人がかりで皮剥ぎ用の頑丈でぎざぎざの歯が付いた太いナイフで関節の隙間を切り、甲羅を剥ぎ、余分な肉を削ぎ落した。

 樹海の生物の中には人間が食べられるものもいる。一階層二階から出現するウサギなどは良い例だ。

 あの丸っこく太ったウサギの肉は香ばしく、歯と皮も金にもなり、そんなに強くもないので、未熟な冒険者たちにとっては恰好の標的だ。

 これで食えれば嬉しいが、残念、このカニは食せない。口にほやほやの便が入ったと書けば想像できるだろうか。毒はないが、恐ろしいほどこのカニは不味い。というより、一階層二階層に比べて、三階層は人間が食せるような動植物は意外にも少ない。

 エドワードとジャンベは、縄で束ねた四本の脚と甲羅をコルトンらが乗る船のスペースに詰めた。

 樹の根っこで覆われた道まで小舟を運び、最後に三分休憩したのち、五人は下へと降りた。四分で十五階に着いた。

 林を出るまでは小舟を担ぎ、林を出た先にある見渡しがよい広場に出たら、船の底に小さな木製の車輪を付けて、舳に縄を結び付けて運んだ。前はコルトンとエドワード、二人の手にはそれぞれ縄が握られていた。数歩後ろでは、マルシアとジャンベが縄を引いていた。その縄と縄の間、パーティの中間点をアクリヴィがいつでも対処できるよう歩いた。

 あのイトマキエイモドキの怪物が現れないか。全員目をこらし、耳をすました。

 音は、ここにいる者の吐息と足音以外、船を引く車輪の音以外は聞こえなかった。船以上の重荷を抱えたように、パーティの歩みは遅々としていた。

 ジャンベは成長したが、この場では存在的にロディムのほうが安心できた。あの怪物との戦いで、ロディムは厄介な棘棘だらけの二尾を切り落とす活躍をみせた。

 背はメンバーの中では低いが、なで肩に見えるほどがっちりと鍛えられた体は逞しく、弓の扱いはジャンベより劣るが、その他の武器、特に剣や斧の扱いは慣れたものだ。

 何より、あの果敢に巨体に挑む精神。怖い物知らずとでもいえばいいのか。度胸は人一倍あり、冒険歴もジャンベより長い。

 が、無い者ねだりをしてもしょうがない。なんせ、そのロディムは今頃、地上で呑気に寝転がっているか、武器を持て余しているに違いないから。

 彼らの予想は外れ、ロディムはコネを作れという教えに従い、自分から内壁周りの歩哨の役割を買って出た。とはいえ、退屈そうに椅子に腰掛け半目で見張りをしていたので、五人の予想はあながち外れてなかった。

 無事、岸辺にまで到着。エドワードとコルトンは船の前を持ち上げて、その間にジャンベとマルシアは手早く車輪を外した。舳の縄を解き、いざ、最後の乗船。その前に、アクリヴィが十四階の時と同じく、雷の術式を川に向けて放った。

 雷光が川を打ち鳴らし、水面を激しく泡立たせ、ばしゃばしゃと水中の生物たちは逃げ出した。

 安全策も完了、乗員の構成はそのままに、今度は横並びに船を漕いだ。ここは川幅が狭く、三分もあれば、四階層十六階に通じる道がある対岸へと到着する。

 この対岸は横十坪、縦一坪半もある固い地面。着くやすぐに小舟を解体、マルシアは今日の収穫や車輪など細々とした物を背負い、アクリヴィは櫂、男三人は解体した船のパーツを背負った。

 

「今日でこの重い船のパーツとも土木工事ともお別れだな。寂しい奴はいるか」

 

 エドワードの言うことに答える者はいない。マルシアが答えてあげた。

 

「……私が皆の気持ちを代弁すれば、そうだなと答えてあげる」

 

 冑を被り、道も薄暗いので顔は見えないものの、コルトンはじんと感動にも近い歓喜を噛み締めていた。コルトン以外の者も同様に。

 二階層は不快な湿気と熱気で鎧を着る身には大分堪えたが、この三階層の苦労に比べたら、熱でも湿気でもどんとこいだ。地殻変動のせいで地形は変わり果て、旧い地図は白紙同然となり、道を作るため、スコップやら余分な材木と縄を担ぐ日々、その次は、小舟のパーツを担いで三ヶ月の間、船を漕いで川を渡ったり道を探す日々。

 清楚な青い森も、心を暗く鎮めるだけの忌むべき景色になった。

 ようやく、そんな日々から解放される。下の世界は物寂しく枯れ果てているが、土木用具を運ぶ回数が減ることと、重い船のパーツとおさらばできると思えば、自然と浮き足立ってきた。

 それだけではない。冒険者の一行は、二百年前の資料を失い、再び未開の地となった世界へ足を踏み入れることにも興奮していた。一歩降りる度に薄暗い視界が明けてきた。ジャンベは初めて、他の四人には二度目となる新たな世界の光が差し込んできた。

 

 

 

「この辺一体にあるものは死んでいるのですか?」

 ジャンベが誰にともなく問う。

「そんなことはないぞ」

 

 エドワードは証明にと、ナイフで手近な炭のような樹に一筋の線を彫った。樹は炭のような樹皮とは異なる白い樹幹をみせた。すぐに、切られた箇所から甘い香りの樹液が染み出した。

 

「ここにはいないロディムを含め、俺たちも最初はお前と同じことを思った。そして、そのときは俺ではなくロディムが斧で一回、適当な樹を伐った。見えにくいが、十メートル先右にある樹に斧で一回伐った跡があるはずだ」

 

 ジャンベは一行から少し離れ、右の開けた道にある樹々をすかし見た。小豆色の草に隠れているが、エドワードがナイフで彫り跡を付けた同種の樹に、大きな伐った跡が確かめられた。

 四階層の印象は全ての人が口を揃えて言うはず、枯れている、と。

 三階層が青一色なら、四階層は黒と黄と茶の三色のコントラバスで構成されていた。小豆色、海老茶など細かな色分けをできないわけではないが、どれも寂しいのや枯れた印象の色しかなく、そもそも分けるだけ無駄だった。

 確認も済んでジャンベは一行に戻ると、これからの予定を聞いた。

「このまま進むのですか? それとも、戻るのですか?」

 

「戻る。今日はスムーズに進めたが、いつもこうとは限らん。三階層踏破で体力を結構使ったしな。さっさと目の前の樹海時軸を通り、今日の探索はこれまでとする」

 

 ホープマンズの目の前、真四角に開かれた空間があって、その中央から円状の淡い紫の光が立ち上っていた。光は十六階の天井にまで続き、その上へ上へと上り、遂には地上の世界樹の根元にまで上る。これこそがくだんの樹海時軸。

 冒険者たちには身近なものであり、同時に一番の謎である。

 地上の時軸には、太い棒杭に数字が刻まれている。この棒杭は材質は地上にあるいかなる物質とも異なる素材で作られている。円形の淡い光の中に入り、棒杭の数字を押すと、瞬時にその階層の一番浅い階に直行する。

 便利ではあるが、一つ難点が。数字に刻まれた階層へ行くには、一度その階層にある時軸を通らなければいけない。例えば、二階層の時軸を通ったことがある者と無い者が光に入り、数字に触れても、二階層の時軸を通ったことがある者の姿が消えただけで、もう一人は地上に取り残された。

 転送魔術。かの錬金国家の子孫が創作した技術。世界樹の奥底にあるかもしれない古代文明の遺産の一つ。まことしやかに論議は交わされたが、真相は千年経た現代でも謎だ。

 一行が通ろうとしたら、左の方の開けた道から輝く毛並みの生き物が現れた。立派な角を生やした黄金の角鹿だ。

 

 目まで金色の輝きを放つ。こんな鹿は見たことがない。角と毛の黄金の輝きに五人は引き寄せられた。

 その鹿の輝きは彼らの疲れた心をいたく刺激した。エドワードの狩人の誇りがこの角鹿を仕留めろと叫び、彼は程よいぐらいに心を自制して、角鹿を見据えて言った(潜めた声で)。

 

「当然のルールとして欲の皮を突っ走らしたまま潜ってはいけないが、どうしてもというのなら、俺はあれの角や毛皮を土産に持ち帰ってもいいと思う。どうだ?」

 

 今日はジャンベを時軸まで連れて行く。それで終わり。しかし、せっかくここまで来て、ジャンベ以外の四人目は二度目、そろそろ、他のパーティよりも早く何かしら発見が欲しい。

 暗黙を了解の合図と受け取ったエドワードは、肉の切れ端を鹿とパーティの中間に投げた。

 角鹿は臭いを嗅ぎ、警戒の目を向けたまま、投げられたものに興味を持った。

 空を裂く音。ぴくりと面を上げたら、自身の額に重く衝撃がのしかかり、視界が揺らぎ、倒れた。

 角鹿は二対の角で抵抗する前に死んだ。額には一本の矢が刺さり、矢は三分の一まで角鹿の額に入り込んでいた。エドワードは、一瞬の隙に矢を放ったのだ。

 

「ロディムを驚かす土産ができたな」

 

 淡い、無機質な声。今のエドワードは狩人であり、夢と計画やロマンや利益を求む冒険者であり、冷徹に戦うエクゥウスの戦士でもあった。声はすぐに砕けた調子に替わった。

 

「案ずるな。この角鹿が十頭現れて、角と毛皮を差し出すと頭を垂れたとしても、もう余計に時間を食うような真似はせんよ」

「そうかな? 俺なら喜んで角と毛皮をちょうだいするぞ」とコルトン。

「好きにしろ。あんたがそうしている間に、俺たちはこの一頭分の角と皮だけを持って地上に帰る」

 

 冷たいなとコルトンは厳しい相好を崩した。腐るの遅らせなければ、エドワードはナイフで角鹿の頸動脈を斬って血を出した。

 男三人で作業に当たり、幾重にも枝別れた金の角を取り、金の毛皮を綺麗に剥いだ。この角鹿の肉を食えるか検討したいが、これ以上、欲の皮や好奇心を突っ走らせたら本当に良からぬことが起こりそうな気がするので、しまいにした。

 最初にジャンベを帰らせようとしたき、ジャンベは耳ざとく音を拾い、皆に注意した。短槍を構えたマルシアがジェンベを横目で見た。

 

「ジャンベ、演奏してみたらどう?」

 

 マルシアの案に一同は同意した。

 危険な生物が巣食う場所で音を立てるのはもってのほかだが、バードの演奏は別だ。腕の良いバードの歌声と演奏は樹海の生物を大層驚かせる。

 大きな音に怯える点では、地上の生物も人間も大差ない。

 ジャンベを皮袋で覆ったギターを担ぎ、弦を盛大に弾き、よく通る済んだ声をわざとがならせた。雑な音が静かに枯れ果てた世界を賑わせた。アクリヴィはレイピアを抜き、オウ! と気合一声、その方向に向かって剣を突き出した。

 ききぃ! 彼らの後方、入り組み絡み合ったくさむらと樹のほうから、猿と人間の悲鳴が混じったような声が二つ上がった。派手に草を掻き分け踏みつけて、二匹のなんらかの生物は逃げ去った。

 

「エドワードよ。俺は十頭どころか、百頭が頭を垂れても無視するぞ」

 

 コルトンは、さきほど自分達が来た上を通じる道がある方を見ながら言った。コルトンの表情は厳しかった。

 あの二匹の正体は不明だが、あれが何かの子供で何匹も大人たちや仲間を呼び寄せられたらたまらない。この四階層は圧倒的に知らないことが多く、今の一行の装備は三階層踏破用の物であって、四階層の探索を想定した装備ではない。

 ホープマンズは慌てず、予定通りに最終行程をこなした。ジャンベが円に入り、姿を消した。次いで、マルシアとアクリヴィが行き、コルトンが後に続き、最後にエドワードは周囲をざっと見渡してから紫の光に身をゆだねた。

 時刻は正午、朝の陽光はどこへやら、曇り空だった。

 内壁の門まで来ると、門の狭間から見慣れた者が軽薄な調子で上から話しかけた。

 

「皆さん、マルシアお疲れー。おおっ? 随分と高そうな角飾りを持っているじゃないか」

 

 マルシアだけ名前を呼び、赤茶の瞳、青く短く刈られた頭髪をなびかせ、犬歯をのぞかせて顔を生意気そうににやつかせているがどこか憎めない感じの男、ロディムだ。コルトンが笑顔で腕を振るって叫んだ。

 

「おい! この青髪小僧めが! 全く、お前が酒をかっくらったまま性行後のように服をはだけて寝っころがっていやぁ、お前さんの顔を躊躇いなく蹴っ飛ばせるのに。今日は真面目にしやがって。……お勤めご苦労歩哨殿!」

「俺はいつでも真面目だ」

 

 ロディムが右、歩哨の一人が左につき、開聞した。ロディムは長柄の斧を背負い、腰のベルトには短い斧と剣をたばさんでいた。剽軽な態度だが、歩哨の任はぼちぼち真面目に務めていたらしい。

 ロディムは歩哨の五名に敬礼した。

 

「では、今日の任務はこれまでとさせてもらいます。また暇な日にでも来るぜ」

 

 五名はロディムに敬礼を返した。

 冑を目深に被っているのでわからなかったが、声からして、一人は若い女のようだ。エトリアと州域の都市や国では、普通は女性が就かないのが当たり前と思われている職に女性が就くのは当たり前である。女の人がこういう職に就くのが当たり前なことに、ロディム、コルトン、アクリヴィ、ジャンベには驚異的であった。

 内壁の門にて会したホープマンズは話もそこそこ、エドワードとマルシアが執政院への報告に行き、残る四人は今日の報酬を背負ってシリカ商店を目指した。

 

 

 

 緑の屋根と赤く染めた煉瓦の店。中は木造造りで、所狭しに整然と物が置かれている。店は幾つかのランタンで照らされ、ランタンの光で武器の刃が何十も反射して店をより明るくみせていた。

 肌は健康的に日焼けた褐色、黒い髪は白いリボンでポニーテイルに一括りされて、両の二重眼はぱっちりと開かれ、あどけなさを残す目鼻筋が通った顔はどこか油断なさがあり、ぎざぎざの白い石か骨のアクセサリーを首に巻き、赤い下着のような衣装を身に着け、腰回りに黄色い布だけを巻いた大胆不敵な恰好の少女・シリカ商店の現店主だ。

 彼女の父は亡くなり、放浪癖がある母は娘を父方の祖父母に預けてどこかへ旅立った。多くの者は彼女の境遇に同情するが、彼女はおよそ少女らしからぬ口調で笑い返す。

 

「がははははははは! 僕は逆に感謝しているよ。なんせ、教育になるととことん駄目な母親じゃなくて、父方のおじい様とおばあ様に育てられたお陰でほらご覧! 今はもう、お二方の店を継ぐ立派な店主になれたんだよ」

 

 快活にそう話すが、強がっているだけだ。 

 彼女は荒くれの冒険者共に負けてなるものかと、口調から女を止めた(店主なりたての時は『俺』だったが、祖父母や店の職人たちにそこまでしなくていいと諭され、僕で妥協した)。

 祖父母から女であることを忘れてはいけないと言われていたが、「じゃあ、ドレス着て。貴族のご婦人みたいによろしくいらっしゃいあそばせませーお客様ー、とか。そんな風にしなくちゃいけないの? 僕はそんなん嫌だね。それなら、もっと育ちの良い親元で育った人を連れてくるべきだね。大丈夫! 僕に任せてよ! 店の評判は絶対落とさないよ! 店の利益もね」

 彼女は彼女なりの決意を固め、ある日、村娘の恰好から、今では見慣れた看板娘兼店主の破廉恥と言われてもしかたない服装をするようになった。初めははしたないと後ろ指も指されたが、意外にも効果があり、シリカは看板娘兼店主として名を馳せた。

 エトリアで迷宮から持ち帰った商品を現金に換えられるのは、どこでも良いというわけにはいかない。商品の信用性、ブランド性を高める為に取り扱いを許されている店の数はエトリアでは現在、迷宮関連の取り扱い認可を貰った商店は六店舗しかない。一生迷宮商品取扱の看板を掲げられるわけではない。十年に一度、厳しい審査をパスできたら、引き続き認可の看板を掲げられる。

 大抵の者は拠点近くにある店舗を利用するが、シリカ商店では離れた拠点に住む冒険者たちも足繁く訪れる。

 お陰で五店舗の中でも一番繁盛している。秘訣は四つある。

 市場をよく見て適正な価格を決める点。先代の人柄と現店主の懸命さに魅かれた腕の良い職人たち。冒険者以外の一般人も訪れやすい内装と雰囲気。気風の良い店主の存在。この四つが上手く重なり、シリカ商店は他の五店舗を抑え、売り上げ高は毎年一位をキープする。

 

「いらっしゃいませ! 探索ありがとうございます! 今日は随分と早いね? 前みたいに、良い物だけど、重くてかさ張るものでも採ってきたのかい?」

 

 いらっしゃいませは接客業の基本であるが、シリカは服装や雰囲気で相手がどんな仕事をしているか一発で見抜き、相手の商売柄に合わせて「○○ありがとうございます」と心を込めて礼をする。

 どうしても判らなければ聞いてから言う。最初は戸惑うが、自分の仕事にありがとうございますと感謝されて、嫌な気分になる者はいない。挨拶一つ取っても、シリカ商店は他店と異なる。

 

 コルトンとロディムは広い鑑定用の卓に代物を置いた。

「カニの甲羅と脚四本は見慣れているな。だが、これはどうだい?こんな角や毛皮、見たこともないだろう」コルトンがずいと角と毛皮を押し出す。

 

 シリカと鑑定職人、二人の若い冒険者は金に染まった角と毛皮を見た。シリカは算盤でカニ関連の値段を弾きだした。

 

「えーと、つきましては、甲羅の価格は一四七エン、脚四本は計六二四エンになりやす。肝心の角と毛皮ですが、これは判別しかねますので、よければ今日の夕方か明日までお待ちいただけませんか?なんせ、二百年前の資料がごっそり無くなる事件のせいで、どういった生物がいて、どういった植物が生えて、それらはどの程度の価格が付けられていたか皆目検討がつかないもんでね。安心してくれ。君らが満足に思う程度の値は付けるようにはするよ」

 

 つまり、満足な値が付く保障は無いということか。言ったことに口出しはせず、四人はカニの代金だけを受け取って店を出た。

 時間がかかる場合、客が住まう所に直接定員が代金や商品を受け渡しする。商品受け渡しはあるが、代金受け渡しはここ、シリカ商店の創設者が始めた。店の者が物や金をくすねる、こんなことはシリカ商店では一度もない。そこも長く迷宮商品取扱い店の老舗として繁盛してきた理由だ。

 

「ロディム、櫂を運んでちょうだい」

 ロディムがなんでだよと突っかかるのをアクリヴィは制止した。

「もしも運んでくれたら、マルシアにあなたがこんな親切をしてくれたと言ってあげるけど。まあ、仕方ないわ」

 ロディムは無言でアクリヴィが抱える櫂を取り、長鳴鶏の館に向かった。

「扱いがうまいものだ」

 

 口元は引き締まっているが、コルトンは目が笑っていた。

 

「あなたはどう思ったか知らないけど、私は少し、あのお出迎え方をされてかちんときたからね。どうせ椅子に座って雑談でもしていただけだろうし、ちょっとぐらい働いてもらっても罰は当たりゃしない」

「そうか! そりゃいい。ジャンベよ、お前も遠慮なくロディムに船のパーツを持つよう言ってみろ。マルシアの名を付け加えるのを忘れずにな」

 

 そんなとジャンベは言いながら、口元は笑っていた。二人はロディムが戻ったら、アクリヴィと同じ手口を使い、船のパーツを幾分持ってもらった。

 血の気は多く、いつでも仕事人になれる冷徹さもあるが、単純で、根は優しく、こういう奥手な面が憎めない。その純粋な面を利用するのを申し訳ないと思うも。ともすれば、無垢な奴めと、馬鹿にする意味は含まれない笑い声を上げてしまいそうだ。

 ロディムはアクリヴィの腕を掴み、「ちゃんと言えよ」と釘を刺した。アクリヴィは意地悪そうに口端を歪め、本人が期待するような言い方で適当にあしらいだ。

 四人が着いて六分後、執政院ラーダの報告からエドワードとマルシアが帰ってきた。

 夜、宿の食堂で一同会して食事をした。エドワードが決めたことであり、理由が無ければ、出来る限り卓を囲むようにしている。「俺の部族はそうして絆を深めていた」が理由に挙げられた。席でマルシアがロディムの荷物運びについて言及し、褒められたわけでもないのに喜ぶロディムを見て、マルシアとロディム以外は笑いを堪えて食事した。

 


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