女性に免疫がないまま提督の位まで昇りつめ、うっかり艦娘の鎮守府に着任してしまった提督と、秘書艦・不知火の話。

※Pixivとのマルチ投稿です。

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移ろう貴方の行く先に

 裏切られた、というのは些か自己中心的ではあるけれど――それが不知火の感じた偽らざる本心である。

 新しい提督が来るとの噂を耳にしたのは着任日から遡って半月ほど前。その間、基地内では未だ見ぬ若き提督像に尾びれ背びれが盛大に付けられていた。士官学校を主席で卒業し、艦長として数多の戦場を駆け抜けて無敗。勇猛果敢にして品行方正。上官からも部下からも信頼の厚い精悍な青年。……ここまで来ると、天高く掲げられた虚像が大地に打ち捨てられて、砕け散った際の夢想家たちの落胆ぶりの方が楽しみになってくる。

 しかし、それらは尾びれ背びれなどではなかった。着任の挨拶のために我々の前に現れた新提督に、皆揃って息を呑む。

 背格好は我々より頭一つ高く、骨格もしっかりした極めて男児らしい体つき。純白の制服と整えられた黒髪のコントラストは清涼感どころか美しさすら感じさせる。そして、力強く凛々しい眉に、曇り一つ無い切れ長の眼差し。すらりと整った鼻筋に、太くてよく通る声。戦は器量で勝てるものではないが、良いに越したことはない。

 あれだけ過剰な幻想を膨らませていたにも関わらず、その幻想からそのまま産み落とされたような美丈夫の登場に、噂好きな面々からも驚きのあまり溜息しか出ない。

 しかし、彼女らの落胆ぶりを堪能することはできた。数々の空母や戦艦を差し置いて、駆逐艦たる不知火が秘書艦として選ばれたのである。尤も、このような形で彼女らが落胆するなど思いもよらなかったが。

 羨望と嫉妬の眼差しを一身に受けながら、少なからず不純な劣情を抱いてしまったことは否定しない。とはいえ、それも過ぎたことである。不知火の淡い期待は、完膚なきまでに磨り潰されたのだから。

 

 執務室の模様替え――それも、抜本的で、前衛的な。

 それが、この新提督が就任するにあたって、最初に行われた任務だった。しかし、その配置には誰が見ても違和感しかない。実際、部屋にやってきた艦娘たちは皆一様に首を傾げている。

「Oh! 提督ぅ、随分縮んでしまいましたネー!」

巫山戯(ふざけ)てないで、速やかに用件をお願いします」

 不知火とて巫山戯て司令官の席に座っているのではない。もし巫山戯ているとすれば……それは、隅の方に立てられた木製のパーテションの裏に隠れたままの司令官の方だろう。

「込み入った話になるのでFace to faceでDiscussionしたいのデスが……提督はWhereデスかー?」

 聞こえているはずなのに出てこないところをみると、どうやら話したくないらしい。

「用件は不知火が伺います。司令には必ずお伝えしますので、手短に」

 

 金剛さんの話によると、第三艦隊旗艦の榛名さんの疲労が相当溜まっているらしい。代わりに霧島さんを出撃させてはどうかとの提案だが、彼女は旗艦を務めるには少々実戦経験が不足しているようにも思える。だからこそ、彼女は提督と直々に話し合いたかったようだ。

「それじゃあー、ヨロシクお願いしマース! 提督も……私たちのこと嫌わないでヨ? Love and Peaceネー!」

 金剛さんもあの薄い板の裏に司令官がいることには気付いているらしい。木目の仕切りに向かって届かないVサインを送る彼女の瞳は、少し寂しそうだった。

 

 来客が退室した後も、司令が出てくる気配はない。おそらく、いまの話を踏まえて、早速新たな編成計画を立てているのだろう。その白々しさに、不知火は苛立ちを抑えきれなくなってきた。普段は司令がベルを鳴らして呼んだときしか近づかないよう厳命されているパーテション裏――提督の隠れ家ともいえるその小部屋に、不知火は容赦なく踏み込んだ。

 覗いてみれば……どうやら足音で不知火の接近には気付いていたのだろう。司令はしっかりと椅子を回し、こちらに対して完全に背中を向けていた。艦娘のためにあつらえられた一回り小さな調度品は、彼の立派な体躯には酷く不釣合いで、全く似合っていない。

「し、不知火。先ほどの件は了承したから、しばらく待て。今日中に新編成案を――」

 壁に向かって進捗を報告する司令に、不知火の堪忍袋の緒が切れた。

「いい加減にして下さい、司令官!」

 不知火が司令の力量を疑ったことはない。陰に隠れてコソコソと引き籠もっているのも、最初は執務に集中するためだと肯定的に解釈していた。我ながら、それがバカだった。

 榛名さんの件は、明らかに司令官の落ち度である。秘書艦として、上官を諌めるべきは今しかない。

「司令官が榛名さんときちんと向き合っていれば、彼女の不調にも気付いたはずです!」

「ああ、彼女にはすまなかったと思っている。だから、これからは貴艦が私の目となって――」

「甘えないで下さい!」

 後ろから肩を掴んで椅子ごと司令官を回転させてやった。久々に対面したその顔は赤く、視線は右往左往して忙しない。図体だけはデカいクセに、こんな武装解除した小娘 一隻(ひとり)に抵抗もできないとはなんと無様なことだろう。

 不知火は彼の両腕をしっかり捕えて、鼻先が触れ合うまで顔を近づける。すると、司令は緊張に耐えかねて目蓋を閉ざしてしまった。キスを請う乙女か。

「その目は何のためについているのですか! いまも、不知火がどれだけ怒っているか見えていないのでしょう!?」

 司令官は、目を合わせることすらできない。ならば……と、不知火は触れ合わせるのを鼻先から唇へと変えてやった。

「わ……っ、き、貴様……ッ!?」

 柔らかな感触に、カッ、と司令の双眸が開く。が、慌てふためき背を仰け反らせ、盛大にバランスを崩している。結局、立て直すこともできずに――転覆。ゴゴン、と物凄い音を立てて椅子ごとひっくり返ってしまった。

 が、当然これしきのことで許すはずもない。

 仰向けになって藻掻く司令の腰回りに堂々と飛び乗り、股下の残念な男を冷めた目で見下ろす。鍛えられた腹筋のお陰か、この程度では呻き一つ上げない。

「上官にっ……上官に対してどういうつもりだ……っ!」

 階級を振りかざし始めたらおしまいね。つくづく失望させられる。

「いまとて、目を逸らさなければ避けられたはずです。敵も我々と似た姿をしているのですよ? このように言い寄られたらどうするおつもりです?」

 不知火は身体を倒しながらゆっくりと胸と胸を合わせ、再度顔を近づける。こんなにも逞しい胸板なのに、こうなってはハリボテも同然だ。

「そ、そのために戦略を、立て、立てて……だな……」

 司令の顔は、おめでたいほどの紅色に染まっている。あまりの見苦しさに、まともに相手をするのもバカらしくなってきた。

「質問の答えになっていません。もし、こうやって……」

 耳元で囁きながら、そのまま入り組んだ溝に舌を這わせると……ああ、不知火としたことが、ついやりすぎたようね。司令の緊張はついに沸点を超え、鼻から血を噴いて気を失ってしまった。

 

       ***

 

“陽炎型二番艦”――その名が不知火を指すことには違いない。ゆえに、提督として就任した直後の彼からそう呼ばれることに異存はなかった。日常的な呼び名としては少なからず冗長ではないか、とは思っていたが。

 それに加えて、この部屋の間取りである。何かがおかしい、と訝しむのは当然だ。それでも不知火が深く詮索しなかったのは、彼の実務能力によるところが大きい。彼の作戦立案は常に合理的で、まさに百戦錬磨の働きといえた。

 きっと、司令官は我々に慣れていないだけなのだろう。艦娘を率いて戦うのは初めてだと聞くし。いずれは普通に接してくれるようになるはずだ。不知火に対する不自然な呼称も含めて。

 そう考えていたのだけれど――不知火が彼に対する疑念を看過できなくなったのは、秘書艦の任に就いて一ヶ月ほど経った頃のこと。その日、不知火は偶然廊下で如月が司令に言い寄っている現場を目撃した。

 

「む、睦月型二番艦か……。用があるなら陽炎型二番艦を通してくれ」

 司令官は、相変わらず面倒なことを不知火に押し付けようとしているようだ。如月は今度の遠征に乗り気でなかったようだし、思うところがあって司令に話しかけたのだろう。

 しかしその雰囲気は、ただ話をするためだけの距離感には見えない。

「司令かぁん……実は私ぃ、()()()()()()()()が来ちゃってぇ……❤」

 何をバカなことを……。如月の虚言には呆れるしかない。が、これに対する司令官の反応は、呆れるどころか――不知火を酷く苛立たせた。

「わっ、わかったから! 次の作戦は別の艦に……っ!」

 まさか、彼女の世迷い事を本気に……? こんな土壇場で作戦を急変させては今後の艦隊運用にも支障を来してしまう。

「うふふっ、ありがと、司令官♪」

 ここで如月を逃しては後々面倒だ。不知火は素早く司令の背後に忍び寄る。そして、その無思慮な了承を撤回させるため、我々の 艦体(カラダ)の基礎知識を耳元にそっと吹き込んだ。

「司令官、我々艦娘に生理はありません」

 人間と異なり胎内で育まれることのない艦娘にそんなものなどありようもない。しかし、この助言すら司令官には受け止める度量がなかった。

「陽炎型二番艦っ、婦女子が、男の前で、せ、せ……だのとォッ!?」

 思春期の小僧でもあるまいし、何を狼狽えているのやら。だが、この隙に如月は小賢しくも逃走を図ろうとしている。

「司令官直々の言質は貰ったからね~。再編成頼んだわよ♪」

 彼の頬を指先でツンツンと突くと、硬直したバカ司令を残して如月はどこかへと逃げ去ってしまった。最高責任者である提督が認めてしまった以上、不知火にはどうすることもできない。

「……司令官、お話があるので部屋にお戻り下さい」

 一体どこから問い質せば良いのやら。長くなるかもしれないので、一先ず司令官を執務室に引っ張っていくことにした。

 しかし、不知火が彼の手を掴んだ瞬間――司令は激しくこちらの腕を振り払う。まるで、火のついたストーブに触れたかのように。

「きっ、気安く触れるなっ! 先に行くぞ!」

 このただならぬ態度に対する可能性は、概ね二つに絞られていた。一つは、何らかの理由で、不知火は司令官から酷く嫌われているということ。

 この可能性を否定したくて、不知火は()()()()()()()()から先に確かめてみることにした。司令に続いて執務室に戻ったところで、彼を引っ掛けるために何気なく呼び止める。

「司令官、このスカート、どう思います?」

「うん? スカートがどうしたか?」

 司令官の視線が不知火の下腹部に来たところで、裾を掴んでさっと持ち上げてみた。すると……

「おまっ、何を……!?」

 彼は、中のスパッツすら見えていない。完全なる条件反射で、真っ赤になって腰を抜かしている。ここまでの反応は予想外だ。

 尻餅を搗いたまま視界を閉ざす司令の胸に……不知火は 艦体(カラダ)を覆い被せて密着させてゆく。

「おい……二番艦……っ」

「二番艦は不知火だけではありません」

 先ほどまで別の二番艦と乳繰り合っておきながら、不知火のことも同じ二番艦と呼ぶか。何より、就任してからひとつきも経つのに未だに番号で呼ばれていい気はしない。

「で……では……秘書艦……」

 それならば、不知火一隻に絞られる。しかし、それはあくまで役職だ。不知火が秘書艦の任から外れれば、それはもう別の艦を指す名となる。

「不知火、です。司令官。名前で呼んでいただけませんか?」

「ならば 退()け! 頼むから退いてくれ!!」

 この司令官が……いや、彼以外であっても、ここまで取り乱した男を他に見たことがあっただろうか。いや、ない。ここまで無様な男など他に見たことがない。

「退いて欲しかったら、名前で呼んで下さい」

「しっ、しら……ぬい……っ! さぁ呼んだぞ! いますぐ退けっ!!」

 辿々しいながらも……まあ、及第点としましょうか。しかし……

「呼んだら退くとは言っていません」

「貴様ッ……!?」

 司令官は一念発起したのか男の腕力で不知火を振り落とそうとする。だが……ここで不知火は素早くしがみついて彼の唇に吸い付いた。すると、白い制服の中から空気が抜けるようにしおれてゆく。接吻ひとつで、驚くほど簡単に組み伏せることができてしまった。

 何だこの男は。弱い。弱すぎる。その筋肉は揃って飾りか。

 とはいえ、不知火は司令官から嫌われているわけではないらしい。それが判って一先ず安心することができた。ただ、もう少し確認したいこともある。いましばらく不知火とのスキンシップに付き合ってもらいましょうか。

「二番艦っ! どこを触っている!?」

 ふむ、ヘタレながらもココだけは一丁前に硬くなっている。どうやらホモではないようね。

「しっ……不知火……頼むから……やめてくれ……」

 こちらが無視して弄り続けているので呼び方を変えたか。……まあ、ココはこのくらいにしてあげましょう。

「司令官……相当童貞をこじらせておられるようですね。このままその新品の筆を下ろして差し上げましょうか?」

「な…………!?」

 勿論冗談だ。こんな腑抜けが相手では濡れる気がしない。任務でもない限り遠慮願おう。

 司令官の風貌はどんな拷問に対しても沈黙で通しそうなほどに雄々しい。だが、それも不知火の抱擁の前では全くの無力だった。不知火は彼から 女体(カラダ)を離さぬまま、根掘り葉掘り全てを聞き出してゆく。

 先ず、不知火の懸念した通り、童貞だった。女性経験どころか、男性経験もないらしい。

 彼は物心が付く前に母親を亡くし、父親一人の手によって軍隊一直線に育てられてきた。その結果が齢二八という若さでの提督就任である。軍に全てを捧げ、軍のために邁進してきた努力が実ったといえよう。

 だが、その代償として、彼は女を抱く機会に恵まれなかった。抱くどころか、面と向かっただけで恥ずかしさのあまり喉を詰まらせてしまうらしい。これでは会話の成立など不可能である。

 そのため、艦娘たちと顔を合わす必要のある手続きは全て不知火にやらせていた、と白状した。しかも、その不知火との接点すらまともに持てていない。同室にいながら板で隔たれた裏方に引き篭もっているのだから重症である。一度医者に見てもらった方がいい。

 彼が記憶している異性との私的な会話は、この鎮守府に来るまでたったの三度。数えられる時点で司令の人生はどうかしている。本人曰く『死ぬほど緊張したから、鮮明に記憶に残っている』とのこと。その十倍以上の敵艦を沈めておきながらこのザマか。

 とはいえ、先ほど身体で確認した通り、性欲がないこともないらしい。

「司令官、手淫はしているのですか? 週に如何程? オカズは何を?」

「訊いてどうする!?」

 ただの興味本位な質問だ。三十近い大の大人が学生のような性生活を送っていたら嘲笑えるから。

「……いえ、不知火の痴態を妄想して性の捌け口にされても不愉快なので」

「なっ、ならば退け!」

 自分より一回り大きな男が必死になって懇願する姿を見ていると、まるで手の平の上で踊らせている気分だ。これには少なからず悪戯心が湧いてくる。

「それがものを頼む態度ですか?」

 意表を突かれて、それまでとは異なる屈辱に改めて表情を歪ませる司令官だったが……

「不知火さん、私の上から席を外していただけませんか……?」

 ふ……ふふ……まあ、このくらいにしておきましょうか。あまり調子に乗り過ぎると軍法会議モノだし。

 折角不知火が退いてやったのに、司令官は起き上がろうとしない。力尽きて大の字に仰向けになったまま、胸を上下させて呼吸を整えている。

「司令官、起きて下さい。口付けしますよ」

 そう言われてコメツキムシのように飛び起きる司令。やればできるじゃない。

「し、しら……しらっ、ぬい……」

 司令官が照れながら不知火の名を呼ぶ。無駄に可愛い仕草に、また苛めたくなってしまいそうだ。

「このことは、秘書艦たる……しっ、不知火だから話したのだ。決して他言せぬよう頼むぞ」

 ……はぁ? 何を今更。この男は真性のバカのようだ。

「司令官、何故如月が不知火を通さずに直談判に来たのか解らないのですか?」

 とはいえ、不知火にも落ち度はある。あまりに輝かしい戦績の前に、このようなバカげた欠陥があるなど考えもしなかった。むしろ、如月のような性欲に従順な連中の方が早々に正しく察していたと思われる。

 不知火に言われて司令官自身もその間抜けさに気付いたようだ。自分の不甲斐なさに打ちひしがれて苦虫を噛み潰したような顔をしている。

 この提督は、確かに作戦指揮に関しては飛び抜けた才を持っている。しかし、この鎮守府での任務には徹底的に不向きとしか思えない。

「司令官……何故この地に赴任してきたのです?」

 不知火から二間ほど離れたところで、司令は見えない曇天を仰ぎながら溜息を吐く。相変わらずこちらを向くことはできないらしい。

「私だって、こんな女だらけの海軍があるとは思わなかったんだ……!」

「間抜けですね」

 おっと、不知火としたことが、つい本音を零してしまいました。

 部下からの辛辣な一言に、司令は振り向き睨みを利かせている。なので、こちらからも睨み返してやった。すると、案の定……不貞腐れたように目を逸らしてしまう。まあ、この男が女と見つめ合って耐えられるはずがないか。

「……お前を秘書艦にしたのは失敗だったよ……」

 それは反撃のおつもりで? しかし……

「ではお尋ねしますが、何故不知火を秘書艦に?」

 ギクリと肩を震わせる司令官の反応を見て、不知火は即座に理解した。

「不知火を……怒らせましたね……?」

「何も言ってないだろ!?」

 言わなくても判る。これは、ちょっとお仕置きの必要があるだろう。

 不知火は躊躇なくスカートを丸ごと外してストンと床に蹴落とす。たったこれだけのことで、この男はそれ以上目を開くことができなくなった。

「なっ、何を考えている!?」

 司令官は慌てて逃げようとするが、哀れにも壁に激突してしまう。残念、出口は不知火の背中の向こうよ。例え武装がなかろうが、触れれば倒れる目暗の提督を捕らえることなど、油虫を踏み潰すより容易い。

「ふ……不知火が何を考えているか、ですって? それは、“司令が考えていたこと”をどうやって否定してやろうか、ってことですよ……ふ……ふふ……」

 我々のことをあまり知らない時点で、この不知火を秘書艦に選んだ理由……それは、“見た目”でしょうね。自分が不得手とするものから最も遠いと感じられたゆえに、不知火を選んだのでしょう?

「不知火がどのくらい“女らしくない”か、その身体で味わって貰いましょうか……?」

「バ……バカなマネはよせ……!!」

 この男の身体はバカ正直なので、不知火の指が触れる度に“何をされたくない”か、“何が恥ずかしい”か、如実に反応して伝えてくれる。クク……やっぱりココが一番イヤなようね……? ならば……階級に見合った立派なモノがついてるか、この目で確かめてやるわ……!

 

       ***

 

 ……といういざこざがあったのが約一ヶ月前。まさか精液より先に鼻血を噴くとは思わなかったけど。軽く舐めてやっただけなのに。

 よって、司令官が血を流して倒れるのは、先月に続いて今日で二度目となる。就任して二ヶ月も経つのにこの体たらくでは、この男、絶対生涯独身ね。

 金剛姉妹の件もあるのであまり長々と寝ていられても困る。不知火はこのだらしない男に往復の平手打ちで活を入れて、洗面所に血塗れの顔を洗わせに行かせた。

 それにしても……この男はつまらない。彼の弱点を掴んだときは、どうやってこの手綱を操ったものかと少しは胸が踊ったものだが……手綱を引くまでもなく、彼は嫌な顔ひとつせずよく働いてくれる。むしろ、これ以上働かせては倒れるのではないか、というくらいに。仕方なく、不知火の方が彼の仕事量を制限しているほどだ。もう少し遊び甲斐があれば良かったのに。

 などと考えていると……

「うわぁぁぁぁぁぁ!?」

 おや、バカ司令の断末魔が。

「私から逃げられるとォ……おもたかぁぁぁぁぁ!」

 この声は……島風か。彼女の咆哮に続いて地響きを伴ってドタン、と大きな鈍器が倒れる音が聞こえてきた。脚力自慢の司令でも、彼女の足には敵わなかったらしい。

「しまっ……しま……っ、 退()けっ……!」

「なら謝って」

 ……ふむ? どうやら司令官を捉えて馬乗りになっているようだ。()()()()の不知火と同じように。

 この雰囲気から察するに、司令の方が何らかの粗相をしでかしたのだろう。これは面白い。不知火はそのまま彼らを放置して、部屋の中から成り行きに聞き耳を立ててみることにした。

「私から逃げようとしたでしょ。謝って」

「すっ、すいませんでしたーーー!!」

 何故逃げようとしたのか、それを知りたいのだけど……まあ、あの司令官にとっては、相手が艦娘というだけで逃げる理由にもなり得るわね。

 壁の向こう側のやりとりの声だけを聞いていると、貧弱な優男がガラの悪い女子に振り回されているようで実に滑稽である。実際は、かなりの大男なのだけど。

 そのような巨体を尻に敷いては、これだけで終わらせるなど勿体ない――その気持ちは不知火にもよく解る。

「んー……じゃあ、アレも謝って!」

 彼女はこの鎮守府に配属されてから日も浅く、戦場にだってまだ一度しか 出撃()ていない。その短期間にどれだけ不満を募らせてきたのやら。司令官の采配に何ら落ち度はなかったと思うけど。

「前回はよくもオッソイ空母と一緒に 出撃()してくれたね!? 全然トバせなかったじゃん!」

「すいませんでしたーーー!!」

 いえ司令、それは謝らなくていいです。彼女の艦隊はきちんと予定通りに航行して、敵の主力部隊まで討伐しておりますので。

 足の遅い空母の小回りを支えるのも我々駆逐艦の役割だ。高速の水雷戦隊でないと出撃しない、などという我儘は認められない。

「そもそもねぇ、編成遅いよ! 次はまだ!?」

「すいませんでしたーーー!!」

 無茶を言うな。戦局や他の艦の都合もあるのだから、貴女 一隻(ひとり)の好きなように動けるものではない。

 司令官は本当によくやっている。それは他でもない、我々のために。朝は誰よりも早く机に向かい、誰よりも遅くまであらゆる実務を執り行っている。ときには、強制的に休ませるため、作成中の作戦指示書を取り上げたこともあったほどだ。

 貴女に……着艦して間もない貴女に司令官の何が解る? 貴女は彼の何を知っているというの? 不知火以上に、彼を見てきた艦娘はいない。彼が謂れなき誹謗を突きつけられていると、まるで自分が責められているようで悔しくなってくる。

 もしこのまま次回の編成にまで口を挟むようなら、そのときは不知火が止めなくてはなるまい。

 そう思って構えていたが……彼女の踏み込みは不知火の想定よりも遥かに速かった。

「いっそのこと、私を秘書艦にしちゃおう! 私の仕事は超速いよ!」

了解(わか)った!  了解(わか)ったから――」

了解(わか)るなっ!!!」

 あの司令は何を考えている!? 不知火は扉を張り倒す勢いで司令室から飛び出した!

 どうやら事故現場は部屋まで残り数間という実に惜しいところだったらしい。後ろから押し倒されたと思われる形で、司令は島風の下敷きになっていた。

「島風、秘書艦はただ速ければ良いというものではないわ」

 不知火は司令官に跨ったままの島風にキッと睨みつける。しかし、当の島風はきょとんとして首を傾げるばかり。不知火の怒りはさらりと受け流されてしまった。

「冗談に決まってんじゃん。本気にしないでよ。机でじっとしてるのなんてつまんないし」

 島風はヒョイと彼から飛び退く。それでようやく、司令官は身体の自由を取り戻すことができたようだ。ゴロゴロと床を転がり島風のスカート圏内から緊急退避。そのままの勢いで壁にドスンとぶつかった。そして、それに凭れ掛かるように、ヨロヨロと力なく立ち上がる。彼女の尻は、彼をとんでもなく憔悴させたようだ。

 ぐったりと俯き気味な司令に向かって、島風はビシッと人差し指を突きつける。多分、見えてない。

「てーとく、これだけは忘れないでねっ!」

 とことんマイペースな島風は突き出す指を人差し指から親指に切り替えながら、流れるようにグイッと自分の顎の辺りを指し示す。

「一番速いのは私! 誰も私からは逃げられないんだから!」

 そう宣言して誇らしげに胸を張るが……多分、聞こえてない。

「……司令官には不知火から伝えておくから、そのくらいにしてあげて」

 女の不知火から見ても、彼女の戦闘服は肌の露出が多い。司令官の目には毒が強すぎるのだろう。

「オゥ! もう二度と私から逃げようとしないでね!」

 島風は足先の調子を確かめるようにトントンと二度三度軽く飛び跳ねると――次の瞬間には姿を消していた。相変わらず足だけは速いわね……あのコ。

 司令官は息絶え絶えになりながら首をもたげる。その顔つきは酷くやつれており、二徹後の明け方よりも辛そうだった。

「し……不知火……頼みがある……」

「お断りします」

 不知火を解任しようとしておきながら頼み事など図々しいにも程がある。司令官にはしばらく猛省を促したい。

「貴艦を“女”と見込んで頼みたいんだ……。“男”の私では難しい」

「……話くらいは聞きましょうか」

 司令官の男女観はややズレているところもあるけれど……聞くだけなら聞いてやってもいい。

「島風型一番艦に、さり気なく伝えて欲しいのだ……()()()()()()()()、と」

 聞いて損したわ。

「司令官。彼女のアレは見せパンです」

「見せ……ッ!?」

 司令官は驚愕して目を見開くと、気を失うように力なく地面に突っ伏してしまった。足で踏みつけたら丁度良さそうな高さに背中を差し出して。

「婦女子が下着を……バカな……そんなことが……」

 彼には見せるデザインの下着があるなど思いもよらなかったらしい。それで、パンツに恐れ慄いて逃げ出してきたのでしょうね。

「不知火のスパッツと同じようなものです。ご理解頂けましたか?」

 この提言により、ようやく彼なりに得心がいったようだ。再び起き上がった司令官の顔は、一徹明けくらいまでには回復していた。

「とっ、ところで不知火……。彼女が去り際に何か言っていたようだが……」

 やはり聞こえてなかったか。彼からすれば、パンツが気掛かりで会話どころではなかったのだろうけど。

「他愛もないことです。一番速いのは自分であり、そして――」

『誰も私からは逃げられない』

 その言葉にハッとして、思わず彼女がいた廊下を振り返る。当然、そこには誰の姿もない。それでも、何者かが迫ってきているような気がしてゾワゾワと背筋が凍りついてゆく。

「不知火……何かあったのか?」

「いえ……何も」

 何もない、と自分に言い聞かせるも、不安は一向に収まらない。

「司令官、そろそろ戻りましょう。第三艦隊の編成の件も残っていますし」

「うむ……? うむ……」

 島風の件は強引に切り上げて、不知火は司令に部屋へ帰るよう急かす。いますぐここを離れたかった。ここに居ては、次に誰が通るか判らない。

 幸い島風は、秘書艦に興味はなさそうだった。しかし、皆が彼女と同じとは限らない。彼女の気が変わらないとも限らない。あんな調子で気軽に秘書艦を入れ替えられては、指揮系統が滅茶苦茶になってしまう。

 こんな間抜けた司令官を支えられる艦娘が他にいる? 優秀だけど責任感が強すぎて、倒れるまで任務を遂行しようとするこの司令官を。そのクセ、バカみたいに女を気遣って、ビクビクと陰で怯えているこの司令官を。

 やはり、秘書艦は不知火でなくてはならない。不知火でなくては務まらない。それを、司令官も解ってくれている。そう、信じたい……。

 が、彼の後について部屋に入り、大きな提督用の執務机が目に映った途端、不知火の足が竦んでしまう。根拠の無い自信がみるみる黒く塗り潰されていく。

 一歩間違えれば、明日からそこに座っているのは島風だったかもしれない。秘書艦の席を失った不知火が司令官に逢いに来ても――

『オゥ! てーとくには私から話しとくから、奥は覗かないでねっ!』

 そこから先に進むことは秘書艦から止められてしまう。不知火はもう、司令官の姿を見ることも、声を聞くこともできない。さっき金剛さんが見せたような瞳で、不知火も――

 

 カチリ。

 

 小さな金具が合わさる音――それに反応したのか、司令の足がはたと止まる。いつものようにスゴスゴと自分の巣に引き篭もってくれればいいのに。

「うん? 鍵でも掛けたのか?」

 色気が絡まないと、この男は本当に抜け目がない。後ろ手で回した施錠に気付くとは、厭らしい程に耳聡いわね……!

「…………」

 司令官からの問いに、不知火は首を縦にも横にも振れない。

 だから……

「おい!?」

 黙って自分の上着のボタンに手を掛け始めた不知火に対し、司令官は目元を腕で覆って身構える。

「……何をしようとしている……?」

 不知火は鋼色のベストから肩を抜き、軽く畳んで執務机の上にそっと乗せた。

「いえ、そろそろ司令官の女性アレルギーを根底から治すべき頃合いかと思いまして」

 これ以上、司令官をこのままにはしておけない。誰にでも押し倒される司令官であって欲しくない。()()()()()()()()()()()()()()()であって欲しいのだ。

 上着に続いて襟元の赤いリボンをシュルリと解き、ブラウスの一番上のボタンから順に外していく。

「治す!? 何を!? どうやって!!?」

 いつものように動揺して目を閉ざしてる司令官に、不知火はいつものように跳びかかったりはしない。彼の小さな肝を潰さぬよう、淡々と彼の前まで歩み寄り――そして、自分の 艦体(からだ)にしてきたように、そっと彼の軍服の前身頃の重なりを解いてゆく。

「女を克服するには、女を知ることです。司令官、女の身体の、貴方がずっと目を背けてきたところに、男の身体で触れて下さい」

 腕から白い上着を抜き取られる間、両目蓋を閉ざした司令官は何も言わない。が、中に着ていたシャツに取り掛かる頃になって――彼の口から不安が漏れる。

「それは……軍人としての任務、か?」

 その言葉は、不知火に安らぎをもたらしてくれた。

「はい。深海棲艦と対峙する際に必ず必要となるでしょう」

 これは任務である――それを、司令官と、自分自身の心に刻みこむ。いまは、それでいい。いまの不知火には、それ以上の感情を受け入れられる余裕がないから。

「そうか……ならば、よろしく頼む」

「……はい」

 司令官には、それ以上不知火の手を必要としなかった。お互い、残された外装を一枚、一枚、自らの指で剥ぎ取っていく。全ての装甲を失ったとき、我々はただの男と女になるのだろう。そして、司令官は生まれて初めて“女”を知ることになる。

 その先に、どのような関係があるのだろうか。司令官と秘書艦、という変わらぬ間柄でいられるのだろうか。

 それは判らない。だが、それでも、いまの不知火の心は司令官ではなく、男としての彼を欲していた。

 願わくば、この先もずっと、彼の不知火でありますように……

 


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