ブリジットという名の少女【Re】   作:H&K

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Twitterでお知らせした日付より2日遅れて申し訳ないです。
お久しぶりです、次話はこの連休中に書き上げられればと思います。


第十三話「天使と悪魔(angela)」上

 自分の身体に、この薬たちがどんな効用をもたらすのかは知らない。ただ命令されているから、アルファルドが頼んできたから口に含み、水と共に嚥下するのだ。

 一時期の健康と引き替えに、寿命をすり減らしていると知識で知っていても、その毎日のルーティンワークは変わらない。

 朝の光が視界の端で輝く中、鏡に視線を送る。

 白い人形のような顔から水滴を垂らした少女が、胡乱げにこちらを見ていた。

 

 ブリジットという名の少女になってから今暫く。 

 まだ悪夢が醒める気配はない。

 

 

01/

 

 

 朝の訓練はひたすら基礎トレーニングだ。動きやすい服装に着替えて、長い髪をゴムで纏め、スポーツハットにそれを押し込めて延々と走り続ける。前の人生の身体ならば五キロも走れば息も絶え絶えに倒れ込んでいただろうに、今の人工の身体ならばカロリーが尽きるまで走り続けることができる。

 ただ、だからといって水分補給を始めとした休息を取らなければぶっ倒れるのは変わりないため、感覚的に走行距離が二桁に乗ろうかというときに、スタート地点である公社の中庭に戻っていた。

 中庭のベンチにスポーツドリンクが置いてあるはずなので、そちらに足を向ける。するとそこには先客がいた。結露のしたたるペットボトルの隣に、男性が一人。

 

「ブリジットか。相変わらずの凄まじい身体能力だな。どれくらい走った?」

 

 男は品の良い眼鏡のレンズ越しにこちらを見ている。俺に刻みつけられた記録が正しいのならば、確かマルコーといっただろうか。

 俺は問われるがままに腕時計に捲いていたGPSロガーを操作する。無機質な液晶には13キロメーターの記載。俺がその数字をそのまま伝えると、感心したようにマルコーは声をあげた。

 

「この短時間でそこまでか。優秀とは聞いていたが想像以上だ。なあ、ブリジット一つ頼まれてくれないか」

 

「——なんでしょう」

 

「何、そう畏まらなくていい。彼女のペースメーカーを頼みたいんだ」

 

 俺の声が強ばったことをマルコーは的確に見抜く。彼は俺の背後に視線を走らせると、やや厳しめの口調で口を開いた。

 

「そういうわけだ。アンジェリカ。ブリジットに今からついていけ。彼女に置いて行かれるようならば実戦復帰はなしだ」

 

 振り返れば、滝のような汗をしたたらせながら、息も絶え絶えに一人の少女がこちらに駆けてきていた。何度かその姿を見かけたことはあるが、腰を据えて話をしたことはない、そんな限りなく赤の他人の少女はアンジェリカ。俺と同じ義体の一期生。

 

「加減はしなくていい。こいつがお前についてこれなければそれまでということだ。何せ次のミッションのバディだからな。お前が見極めてみろ」

 

 バディ——その言葉を受けて多分俺の眉は良くない方向に動いたかもしれない。俺は誰かと積極的に関わることが苦手だ。ようやくエルザとそれなりに打ち解けてきたものの、そこには一言では言い表せることのできない紆余曲折と確執があった。あれをもう一度経験するのは正直嫌だ。

 だが絶対に逆らうことのできない担当官であるアルファルドの同僚からの命令だとすれば、俺の自由意思はあってないようなもの。というかない。

 内心でどう感じていようと黙って従うほかないのだ。

 

「わかりました。ストレッチに3分下さい。それが終わればスタートします」

 

 別にアンジェリカに休息を与えるわけではない。一度クールダウンしてしまった筋肉を再び温めるためだ。人よりも遙かに強靱な俺の肉体だが、あまりにもシステマティックに動作するためメンテナンスを抜かれば痛い目を見ることになる。

 マルコーもそれを理解しているのか、黙って頷いて事の成り行きを見つめていた。ただアンジェリカだけが乱れた呼吸を吐き出し続けている。耳に届く音はその苦しそうな声と、何処かの木でさざめく小鳥たちの鳴き声だけだ。

 

「行きます」

 

 手加減は一切なし。俺にとって一番バランスの良い負荷で前へと進む。マルコーが「ほう」と感嘆の声を漏らした場所が、遙か後ろに流れていった。

 けれども、アンジェリカの荒い息だけはぴったりと後ろに付いてくる。

 

 無理に加速したり、緩めたりはしない。

 

 ただ自分自身だけを感じながら、ひたすら足を動かし続ける。そうしていれば悪夢から醒めていなかった絶望も諦観も今だけは忘れることができるだろうから。

 義体になってはや数ヶ月。

 

 まだ私は俺のままだった。

 

 

02/

 

 

「ふーん、それでペアを組むことになったんだ。ふーん」

 

 エルザが差し出してきたのは甘いものが苦手な俺のために用意してくれたグレープフルーツのジュースだった。朝のトレーニングの後、シャワーを浴びた俺は食堂で彼女に出くわしていた。

 サラダからトマトをかき分けつつ、俺は言葉を続ける。

 

「あの子、最後まで私について来ちゃったから。振り切ろうと思えば振り切れたんだけれど、何かそれはフェアじゃないし、意地悪に思えて」

 

 有言実行。加減一切無。

 

 それでもアンジェリカは食らいついてきた。そう、食らいついてきたという表現が正しい。距離を空けられてなるもんか、と死ぬ気で追いすがってきたのだ。マルコーの待つベンチに戻ったその時にぶっ倒れたとしても、合格は合格。

 何とも言えない表情をしたマルコーが視線だけで俺に問うてきたが、俺は「手は緩めていません」と答えるほかなかった。彼もこちらの言葉を疑うことはなく、ただ「そうか」と短い返答をしてアンジェリカを連れて帰っていった。

 多分、彼女とバディ同士になるのは決定事項だろう。

 

「ふーん、そっか。振り切らなかったのね。私の時はどれだけお願いしても言うこと聞いてくれなかったくせに」

 

 廃倉庫でのやり取りをネチネチと責められる。そっとトマトをエルザの皿に移そうとしたらギロリと睨まれた。行き場を失ったフォークが皿に戻される。

 

「いや、それとこれとは状況が違うし。あの時はお互いの命が掛かっていたから……」

 

「バディの選択も生死に直結するわ。二回目のあなたがわからないことじゃないでしょう」

 

 ああ、完全に形勢不利だ。何を言ってもエルザの棘のある言葉に封殺されてしまう。

 口げんかでは正直勝ち筋が見えない。

 

「——ん? 二回目って何が二回目?」

 

 皿に残されたトマトをフォークで転がしていたら、ふと疑問が芽生えてきた。エルザは何をカウントして二回目と口にしたのだろうか。

 ちらりとエルザを盗み見れば、彼女は「そんなこともわからないの?」と残念なものを見る目でこちらを見ていた。

 

「アンジェリカと組むのがよ。忘れたの?」

 

 ——全然思いだせなかった。

 

 

03/

 

 

 あの後、無理矢理トマトを口に押し込んで涙を浮かべていたら、その苦みは浮気した罰よ、とエルザに言われてしまった。いつもは食べてくれるのに、今日は駄目だったのはそういうことか。

 地味だけれども、確実に効く意趣返しだ。

 

「ブリジット、次の任務は室内戦が想定される。長物のHK416ではなく、ヴェクターを用意した。最新式の、.45ACPを撃ち出せる優れ物だ」

 

 ベニヤ板で屋内環境を再現した訓練場。アルファルドから渡されたのはSF染みた不思議なサブマシンガンだった。一昔のSF映画でエイリアンを撃ち殺していたアレっぽい。

 

「光学機器の選定は君に任せるよ。一番使いやすいものを載せてくれ。今日は途中からアンジェリカが合流することになっているが、それまではその銃の慣らし運転だ」

 

 俺の中にこの銃の使い方はインストールされていない。だがアルファルドがガチャガチャと操作しているのを見て直ぐに使い方を理解する。安全装置を掛けたまま構えてみれば不思議と手に馴染む感触だった。

 

「クルツも候補にあったんだが、次のターゲットは重武装している可能性があってな、防弾ベストを9ミリでは貫通できないという意見が大半だった。.45ACP自体は初めてではないから使いこなせると思う」

 

 抜かれていた弾倉を装填し、薬室に弾を送り込む。安全装置を解除して、俺はいつでもいけることをアルファルドに眼で訴えた。彼は手にしていた訓練開始の合図を送るブザーを握りしめる。

 

「頑張れ、ブリジット」

 

 言葉は麻薬だ。

 今日一番の馬力で駆けだし、室内のターゲットを撃ち砕いていく。銃の取り回しも良く、扉の角や壁に銃口をぶつけることもない。頬から離れていく汗の一粒一粒を感じることができるほど、感覚は鋭敏。引き金を引き絞れば、寸分違わず弾丸たちが的に突き刺さる。

 最後のターゲットに辿り着く。

 人質をとった悪漢をモチーフにしたターゲット。

 銃口は滑らかに動いて、悪漢の眉間に固定。

 

「バン」

 

 最後の薬莢が足下に転がったのと同時、訓練終了のブザーが鳴り響いた。ふと空を見上げればこちらを見下ろすように監視塔が建てられており、そこからアルファルドがじっとこちらを観察していた。それだけならばいつもの光景だが、今日は彼の隣に小さな人影——アンジェリカもいた。

 彼女と目があったと思ったら、直ぐさま逸らされてしまう。

 まあまだまだ赤の他人同士なのだ。仕方のない反応だろう。

 

「ブリジット、もうワンセットいけそうか。もう一度アンジェリカに見せて欲しい」

 

 アルファルドではない、マルコーの声が監視塔に備え付けられたスピーカーから聞こえる。大方彼がアンジェリカをここに連れてきたのだろう。俺は襟元に噛ませていたピンマイクを手にとって了承の意を返した。

 

「スタート地点はそのままでもいい。次のエリア内にターゲットを配置した。君なら余裕だ」

 

 ブザーが鳴る。銃を構える。引き金を引く。

 

 視界を覆っていく発砲煙とマズルフラッシュの光が、何処か遠い世界の出来事に感じる。

 

 どうやら今日もエルザの機嫌を損ねた事以外、いつも通りの一日のようだった。

 

 

04/

 

 

「もう少し肩の力を抜きましょう。反動を押さえつけるのではなく受け流すイメージです。無理な力を加えれば銃口が暴れます。受け流す姿勢ならば意図しない反発があっても即座に対処できますから」

 

 昼下がり。俺はまだ訓練場にいた。

 腕の中ではアンジェリカがおっかなびっくりといったふうに銃を操作している。彼女が手にしているのはステアーTMPというマシンピストルだ。ヴェクターに比べると前時代的フォルムだが、同じ.45ACP弾を使用できるということでマルコーが選んできたらしい。

 アンジェリカを背後から抱きかかえるように、俺は銃を握るアンジェリカの手を掴む。

 

「じゃあ撃ってみましょう。ほら、あたりました」

 

 ブレが軽減された一撃はきちんと的を撃ち抜いていた。殆ど感覚だよりで銃器を扱っている俺でも、簡単な銃のレクチャーくらいはできる。まあ、ほぼ全てがアルファルドの受け売りだが。

 

「あ、ありがとう」

 

 感謝を述べるアンジェリカがもう一度銃を構えた。今度は介助しない。一歩だけ離れて黙って様子を見守る。

 

「っきゃっ」

 

 断続的な発砲音からして、フルオートで放ったのだろう。マズルフラッシュが視界を駆け上がっていった。そして意図しない銃の動きに振り回されたアンジェリカが足をもつれさせながらこちらに倒れ込んでくる。もちろんそれを抱き留めるだけの良心くらいは俺ももちあわせていた。

 

「ごめんなさい……」

 

 目に見えて落ち込むアンジェリカ。別に怪我をしたわけはないのだから謝る必要なんてないと思うのだが、余計な口を挟むことなく謝罪を受け取る。これはエルザの受け売り。

 

「大丈夫です。もう一度やってみましょう。実の所、フルオートは我流ですがちょっと違った力加減がいいと思っています。今から教えますから」

 

 再び背後から抱き留めてアンジェリカの手を押さえる。白い肌と肌が重なるが、そこにコントラストはない。同じ時期に造られた存在であることの証左のようにうり二つの肌が存在するだけだ。

 

「はい、引き金を引いて下さい。——そうそう、若干銃口を下げるイメージが一番良いと思います。跳ね上がる度合いを知っていれば実戦でも何とかなります」

 

 それから小一時間ほど。

 アルファルドたちから声を掛けられるまで一対一の指導は続いた。マルコーはもう少しだけ練習させてから戻ると、アンジェリカを連れ立っていく。俺だけがアルファルドにつれられて訓練場を後にするかたちだ。

 

「——マルコーが礼を言っていたよ。ブリジットは銃器の扱いなら公社の誰よりも扱いが上手いって」

 

「まさか、買いかぶりすぎですよ」

 

「800メートル先の小さな的を狙撃できる人間はここでは君だけだ。君以上の使い手はそうそういないよ」

 

 くしゃり、と頭を撫でられた。ふわりとタバコの香りもする。俺の知らない匂いだ。さてはこの男、また美人局まがいの潜入捜査をしていたな? どうりで昨晩姿が見えないと思っていたのだ。過去に一度だけ、護衛として付き合ったことがあるが小洒落たバルで飄々と女性を口説き落としていた。別に仕事だから頑張ってくれとしか思わないが、容姿が武器になったことのない前世の自分を思い出して無性に腹が立つのも事実。そういう汚れ仕事の時は普段吸わないタバコを無理して吸うところもキザで憎たらしい。ていうか泊まりか泊まってきたのか。よくもまあ、違う女を抱いて24時間も経っていないのに私の頭に触れますね死ね。

 

「おっと、馴れ馴れしすぎたかな。すまない」

 

 髪を振って手を振りほどいたからか、アルファルドは困ったように笑った。彼は「ここから先はフリーで構わない」と言い残して公社のオフィス棟に向かっていく。なんだか諦めが良すぎる態度もむかついてきた。

 

「——随分と人形がお冠だな」

 

 自身も私室に戻ろうか、と振り返ったら意外な人物に声を掛けられた。いつかの時よりも小綺麗にはなっているが、それでも不健康そうな雰囲気をぬぐい去ることができていないラウーロだ。

 エルザを連れていない光景も珍しくなくなってきたのか、今日も一人だ。

 

「なんのことですか?」

 

「エルザが荒れている。なだめてこい。お前のせいだ。今のお前ならば彼女の気持ちもわかるだろう」

 

 どういうことか、と表情に出してみたらラウーロは心底呆れた調子を滲ませながら言葉を返してきた。

 

「俺と一緒に監視塔で見ていたんだよ。さっきのアンジェリカとの訓練を。行動には移さなかったが、腸が煮え繰りかえっているのが丸わかりだ。火消しは火をつけた奴がするべきだろう」

 

 いまいち要領を得られないが、どの道部屋に戻るつもりだったので足をそちらの方へ向ける。私室までの道のりはとくに誰ともすれ違わない。

 

「——あら、エルザいたんですね」

 

 エルザと俺の部屋は別室だ。荷物だけ置いて、エルザの部屋に向かおうと考えていたら既に彼女は我が物顔で俺のベッドに腰掛けていた。

 朝と同じ、ぎろりと厳しい視線がこちらに向けられる。

 

「私、あなたほど浮気を許せる気がしないわ。何抱きしめているのよ」

 

 言って、枕が飛んできた。そこそこの速さのそれはぼふっ、と俺の腹にあたって床に落ちる。これ以上迂闊に近づいてしまったら、その枕の下に隠してあったはずの拳銃が飛んできそうだったので距離感を維持したまま言葉を繋いだ。

 

「浮気も何もただ倒れこみそうだったのを支えただけですよ」

 

「口調」

 

「え?」

 

「口調、また他人行儀になっているわ」

 

 藪蛇だったようだ。なだめてこい、と窘められたのに余計に怒らせてしまっている。どうしたらいいのかわからなくなった俺は拳銃が投げつけられる覚悟を決めてベッドへと近づいていった。

 そしてその選択は間違っていなかったようで、般若のような顔をしたエルザの隣にあっさりと座ることができた。

 エルザが徐に言葉を紡ぐ。

 

「——私の方が上手に銃が扱えるわ」

 

 子どものような駄々に塗れた言葉。けれどもそこに込められた情は余りにも深く。

 俺はただ首肯しか返せない。

 だが言葉を欲していたエルザは小さく肘打ちをこちらの脇腹にくれた。

 だからこその、

 

「うん」

 

 ほっとしたようにエルザが息を吐いた。彼女は幾分か柔らかくなった表情で言葉を繋ぐ。

 

「近接戦も私の方が強い」

 

「うん」

 

「私がいないときに怪我したらどうするのよ」

 

「大丈夫だよ。心配しないで」

 

 いつのまにかエルザの柔らかい髪がこちらの肩に触れていた。心地の良い体温と重みが接点を通じて俺に流れ込んでくる。

 

「五共和国派の潜りのアジトの摘発だからそうそう危険はないよ。いつかの時のようなヘマももうしない。だから私を信じて」

 

 返答はすぐにはなかった。それどころか、少し時間が経ってから発せられた言葉は返答ですらない。彼女の怯えを体現したかのような、か細い声で紡がれた疑問の声。

 

「——こんなめんどくさい私だけれども、またいつかバディを組んでくれるわよね」

 

 言葉で返すよりも、行動で返した方がいいと思った。伸ばした手はしっかりとエルザの肩を抱いていた。君は俺の親友だと強く強く伝えるために。

 

「——ありがとう。やっぱりあなたは変わらないわね。私が不安なときはいつも気がつけば助けてくれるんだわ」

 

 それからしばらくの間、俺たちは窓の外から差し込む日差しが時間の経過と共に動き続ける光景を見ていた。日差しが赤みを帯びてきたくらいに、アルファルドから手渡されていた携帯電話に着信が入る。見ればたった一言のメッセージ「夕食に行こう」

 誰が送ってきたのかなんて確認せずとも感じることができる。

 

「羨ましいわね。ブリジットは大人びているから少しめかし込んだら大人の女性に見えるんだもの。私はラウーロさんと外で食事なんて滅多にできないわ」

 

「クラエスに手伝って貰わないとメイクの一つもできないけどね。今から頼みに言ったら小言を言われるかな?」

 

「なら私に任せてくれる? 最近、ラウーロさんに褒められたの」

 

 特に断る理由もなく、俺は大人しくエルザにメイク道具一式を渡した。いつかアルファルドが気を遣ってプレゼントしてきたブランドものだ。詳しくは分からないが、フランス製の高級品らしい。

 

「本当、ついこの間まで包帯と絆創膏だらけだったとは思えない綺麗な肌ね」

 

 ささっと下地を整えられて、アイシャドウを刻まれ、エルザの美意識に則った陰影が描かれていく。引かれたルージュの色はいつもクラエスが選ぶ桜色ではなく、少し赤みの強い初めて使う色だった。

 

「驚いた。我ながら良いできだわ。今あなたに口説かれたらコロッといっちゃうかも」

 

 鏡を覗けば確かに肉体年齢よりも幾分か大人びた姿がそこにあった。これで立ち振る舞いさえ気をつければアルファルドに相応しい女性に見えるだろう。

 

「いってらっしゃい、ブリジット。私とそうしたようにアルファルドさんと仲直りしてきなさい」

 

 そんなことを告げられて背中を押されてしまえば「はい」としか答えようがない。なんだかあの男の都合の良いようにしか事態は動いていない気がするが、まあ仕方のないことだろう。

 いくら嫌っていても、彼は俺の担当官なのだから。

 あの男を信じてついていくしかないのだ。

 

 義体とはそういう風につくられているが故に。

 

 

05/

 

 

「そんなわけだからあの子、朝からあんなに機嫌がいいのか。いいねえ、妬けちゃうねえ。まさか指輪を贈られるなんて大人の世界のそれだよね」

 

 快活に笑うトリエラを諫めるようにクラエスは口を開く。

 

「今の話、ブリジットに絶対しては駄目よ。あの子、私たちに指輪を見られるのを嫌がってネックレスにして隠しているから」

 

 公社の義体たちが交流するサロンの一角で、円卓を囲んでいるのはトリエラとクラエス、そしてヘンリエッタの三人だ。ある意味でいつもの面子になりつつある中、ヘンリエッタは相変わらずおずおずと残りの二人に尋ねる。

 

「でもマリッジリングとは違うんだよね? アルファルドさんはなんでブリジットに指輪を贈ったんだろう?」

 

「——これはヒルシャーさんから聞いた話なんだけれど、ブリジットの誕生石が中に埋め込まれているんだって。ほら、あの子自分の誕生日を知らないから、義体として目覚めた日を誕生日にしているの。詳しい意図はわからないけれど、たぶんアルファルドさんはブリジットに誕生日を贈りたかったのではないかしら? そういうの彼女、無頓着そうでしょ?」

 

 ああ、と納得の声を漏らしたトリエラとヘンリエッタだが、「ん?」とトリエラが眉根を顰めた。

 

「その話、私は聞かされていないんだけれども」

 

「あらそうなの? 私はブリジットが指輪をネックレスに通しているのを見たから、何か知らないかたまたま通りかかったヒルシャーさんに聞いたのよ。ブリジット本人にオフレコという条件で教えて貰ったわ」

 

「……なんか釈然としない」

 

 紅茶を傾けながらトリエラは「うーん」と唸っている。

 クラエスは平然とクッキーを摘まみながら静かに微笑みを零した。

 

「こんな幸せな毎日がいつまでも続くといいのにね」

 


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