ブリジットという名の少女【Re】   作:H&K

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第五話「憎悪と友人(Friendly Fire)」

「ねえ、ブリジットは男の子と話したことある?」

 

 来たか、と思った。

 二人して明日に控えた任務の訓練を行っていた。内容は至極単純。音を立てずに扉を開ける方法、サプレッサーを付けたハンドガンの扱い方。

 それが何を意味するのか、薄々気がついてはいた。

 リコのその一言が全てを確信に変えた。

 

「まあ、あるにはあります。突然どうして?」

 

 白々しい返答だった。何があったか知っているくせに、俺は偽りの自分を演じる。

 でもリコはそれを何一つ疑うことなく、少し明るい調子で続けた。

 

「うん、この前ちょっと街でお話ししたんだけど、男の子がとても楽しそうに喋ってくるの。私なんか相手に。ねえ、男の子ってみんなこうなのかな」

 

 違うよ、それは男の子が君に好意を抱いているからだよ。

 そう言いかけるのをすんでのところで踏みとどまる。この子にいらない重みを与えたくない。迷いを抱かせたくないと、敢えて素っ気なく返答した。

 

「たぶんあなたが綺麗だから舞い上がっていたんでしょう」

 

 この話はこれで終わりだ、と手にしていたハンドガンをケースに戻す。けれども意外なことにリコは食い下がって見せた。

 

「私綺麗じゃないよ。義体にならなければ一人で寝返り一つできない、つまらない人間だよ」

 

 息が詰まる。

 俺はリコに向き直ることができない。今彼女の瞳を見てしまえば、俺の内に抱いているこれからの未来を全て吐きだしてしまいそうで、目線を合わせることができない。

 

「いいえ、あなたはつまらなくなんてない……」

 

 いつか彼女のことを「人形娘」と称したことを後悔する。彼女のことを「人形」だと決めつけて、直視することを避けていたから、彼女に対する否定の言葉が何一つ浮かんで来ないのだ。

 

「……ブリジットはさ、私と話して楽しい?」

 

 楽しくない、苦しいだけだ、と言ってやりたかった。けれど俺にできるのは精一杯の偽善を顔に貼り付けて、笑いかけることだけ。

 

「幸せですよ」

 

 

1/

 

 

 作戦決行当日。

 

 俺たちは暗殺対象が宿泊しているホテルにいた。対象の部屋の丁度真下に部屋を借り、盗聴器を駆使して動向を伺っている。

 朝から吐き気が止まらない。余りにも顔色が悪いので、心配したアルファルドが作戦から外すことを提案したが、ジャンはそれを却下した。

 いわく、俺の即応性を手放すのはしたくないとのこと。

 

 運命に関わることがこれほど恐ろしいことだとは思わなかった。

 これまで原作とあまり関係のないところで生きてきた分、こうして原作のイベントに関わることが辛くてたまらない。

 自分のせいで未来が変わってしまうことが恐ろしい。

 そしてなにより、避けられるかもしれない悲劇的な未来を、自分可愛さに傍観する自分が醜かった。

 

「ブリジット、本当に大丈夫か」

 

「心配ありません。気にしないで下さい」

 

 アルファルドにメイドのエプロンドレスを結んで貰う。

 作戦内容はごく単純だ。俺とリコが、従業員のふりをしてターゲットのホテルの部屋に向かう。そしてルームサービスを装って室内に侵入、殺害するというものだ。

 義体としての能力を使えば、そう難しいことではない。

 事実、原作ではあっけのないほど、あっさりと成功していた。

 ただ問題が一つだけ。

 それはリコが部屋から脱出するとき、たまたま通りかかったホテルの従業員に目撃されてしまうことだ。

 しかもよりによってエミリオという、リコと会話を交わした少年だ。

 リコはジャンから目撃者は殺せと命令されていた。

 彼女はジャンに逆らわない。担当官至上主義の彼女は、少しばかりの間の後、エミリオを射殺してしまう。

 それが彼女の心の傷になったという描写はないが、見て見ぬふりをするにはあまりに重たいシナリオ。

 

「ブリジット、そろそろ」

 

 アルファルドに促されて、ハンドガンを手に取る。

 秘書と共に宿泊しているとされるターゲット(議員)のうち、本命である議員を始末するのが俺の役割だ。リコは秘書を担当している。

 

「……よし、ターゲットがシャワーを浴びるそうだ。今のうちにしかけるぞ」

 

 盗聴器を操作していたジャンが命令を下した。

 俺が料理の乗せられたカートを押して、リコがそのあとに続く。

 エレベーターを使って直上階に移動。リコが対象の部屋をノックした。

 

「ルームサービスです」

 

『ブリジット、隣の部屋ではエルザが控えている。いざというときはそこに駆け込んでこちらの指示を待て』

 

 アルファルドの無線には答えられなかった。

 ただ喧しいくらいに跳ねている自分の心音が怖くて、手が小さく震えていた。

 

「ああ、入ってくれ」

 

 男の声が聞こえる。リコが部屋に踏み込んだ。

 丁度こちらに背を向けて新聞を読んでいる男が見える。事前に写真で確認したものが正しければ彼は秘書だ。

 リコが秘書を始末している間、俺はシャワールームに向かった。脱衣所ではバスローブに身を包んだ男が驚いたようにこちらを見ていた。

 

「何だ! お前たち……っ」

 

 言葉は最後まで続かない。素早く頭を吹き飛ばし、念には念を入れて数発身体に銃弾をたたき込む。

 

「ブリジット」

 

 振り返ればリコが頷いていた。任務完了。あとは脱出するだけだ。

 

「私が先に出る。ブリジットはカバーをお願い」

 

 こちらが何かを提案するまもなく、リコが部屋のドアに手を掛けた。耳元の無線が何かを叫ぶ。たぶん見張り役として近くに待機しているジョゼだろう。

 

『不味い、従業員が一人そちらに向かっている。今出れば鉢合わせするぞ!』

 

 警告は間に合わない。リコはするりとドアをすり抜けて外に出た。

 咄嗟に彼女へ伸ばした手は、数センチのところで届かなかった。

 

 

2/

 

 

「リコ? どうしたんだ、こんなところで。それになんでうちの制服着てるの? それに後ろの子、誰?」

 

 状況を把握し切れていない少年が笑う。

 対するリコは「えと……」と言葉を紡げないでいた。

 俺はただ二人のやりとりを傍観する。このあと、リコは「ごめんね」と告げて、目撃者になってしまった少年を射殺するのだ。

 変えられない運命を前にして、無気力な感情がわき出してくる。

 

「その、後ろの子は友達の子。制服は……その、なんでだろう」

 

 一瞬、思考が止まった。

 見ればリコは銃を構えなかった。後ろ手に必死に銃を隠して、少年に対する言い訳を考えていた。

 理由はわからなかった。

 でも運命が、未来が少しだけ変わったのを見た。

 口べたなリコを庇うように、俺が前に出る。

 

「あら、あなたはリコの知り合いですか。私たち、今日からここで働き始めたんです」

 

 どうして自分がこんな面倒なことをしているのかわからなかった。もう見捨てると決めていたのに、変な干渉はしないと誓っていたのに、必死に足掻いてみせるリコを見て気でも変わったのだろうか。

 

「でも、このまえリコは楽器の練習だって」

 

「ああ、この子はちょっと人見知りだから、咄嗟に嘘をついてしまったんでしょう。本当は就職前の面接に私と来ていたんですよ」

 

 苦しい嘘だ。けれども今この瞬間、この瞬間だけ乗り切れればいい。

 そうすればリコの運命は変えられる。

 少年は何処か腑に落ちない、とした表情を浮かべていたが、詮索するほど疑問にも思っていないようで「そっか」と言って見せた。

 そして俺の背後にいたリコの前まで来ると、歓迎の笑みを浮かべて手を突き出した。

 

「リコが同じ職場なんて、本当に嬉しいよ。あれからずっともう一度会えないかな、って思っていたんだ」

 

 良かった、と思わず安堵の息が漏れた。

 あとはリコが少年の手を取れば、この場は凌げる。

 特に俺が何かを意図したわけではない。リコを救おうと思ったわけではない。けれども、この降ってわいた幸運に、ただただ感謝するばかりだった。

 

 

3/

 

 

『……どうしたリコ。目撃者は消せといった筈だ』

 

 無線が無慈悲な命令を下した。ジャンの声はまさに呪い。

 リコは目に見えて動揺し、少年の手を取れなかった。

 

 

4/

 

 

 担当官の命令に俺たち義体は逆らうことができない。

 望まなくても身体は動き、担当官の意を叶えようとする。

 担当官至上主義のリコなら尚更だ。

 彼女は泣き笑いのような表情を浮かべて、一度は隠した銃を取り出した。

 銃口はぴたりと少年の胸を指し、彼女は「ごめんね」と告げた。

 

 

5/

 

 

 どうしてそんなことをしたのか、論理的に説明することは、たぶん未来永劫できないと思う。

 気がつけば俺も銃を構えていた。

 サブレッサーを取り付けたワルサーを少年の後頭部に付ける。

 リコの顔が見えた。彼女は呆気にとられていた。

 その分、彼女が引き金を引く時間が遅れた。

 

「恨むなら、私を恨んで下さい」

 

 引き金は思ったより軽い。たった一発の銃弾で少年の命はかき消えてしまった。飛び散った血潮がリコの前面を汚す。

 

「あ、え、あ、あれ?」

 

 何が起こったのかわからないのか、リコは意味のない声を上げるだけだった。崩れ落ちた少年を見つめ、自身を汚す赤い血を手にとってしげしげと眺めた。

 そしてこちらを見た。

 

「ぶり、じっと?」

 

 光のない、底なし沼のような瞳がこちらを見ていた。

 銃口もこちらを向いていた。

 咄嗟に身を翻すが、コンマ数秒遅かった。

 焼けるような痛みが腹部を襲い、そのまま勢い余って床に倒れ込む。手を当ててみれば脇腹から火傷しそうな熱さを持つ血が流れていた。

 手にしていた銃はリコの足下に転がっている。

 反撃の手すら失った俺は、ずるずると壁際に逃れた。

 

「なんで? どうして?」

 

 言葉と共に銃口が再び突きつけられる。

 瞳には光が戻っていた。けれどもそれは、人形が持って良い光の色ではない。

 

「なんだ、そんな顔、リコでもできるんだ」

 

 彼女の持つ光は、紛れもない憎悪だったのだ。


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