千葉ラブストーリー   作:エコー
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比企谷家で開かれた八幡の誕生会。
懐かしい面々が懐かしい空気を紡ぐ中、雪ノ下雪乃はある決意を胸に秘めていた。


想いは重く

 

 八月八日、雨。

 

 どうやら俺は天には祝福されていないようで、皆が集まった夕方になってもまだ雨は降り続いていた。

 それでも皆が帰るだろう夜九時頃には止む、と云うのが本日の天気予報だ。

 

「お兄ちゃん、おめでとぉ〜!」

「ヒッキー、おんめでとぉ〜!」

「せんぱいっ、おめでとうございますぅ〜!」

「おめでとう、八幡っ」

 

 比企谷家のリビングに声が響く。クラッカーが立て続けに二発、少し間を置いて二発。最後に一発。最後の一発はセルフサービスだ。

 

 鬱陶しく降り続く雨が吹き飛ぶかの如く高いテンションで叫んだのは由比ヶ浜結衣と一色いろは、そして小町だ。

 祝ってくれること自体は非常に有り難く思うのだが、今はこのテンションが少々うざったく感じる。

 朝から俺はテンションが低い。だからと云っていつもは高い訳ではないのだが。

 原因はひとつ。

 今日は川崎沙希に会えない。その事実が俺を陰鬱にさせる。

 

 とは云っても、それをこの場で見せるのは間違いであることくらいは理解しているつもりだ。

 何せ今比企谷家のリビングに集う面々は、こんな俺の誕生日を祝う為に来てくれたのだから、それ相応の柔和な態度を示さなければ失礼に当たる。

 ひいてはそれは小町の評価にも繋がろうと云うものだ。

 もっと言及すれば、この面々には現在の心情など関係ないのだから、折角の厚意に水を指すことは無い。

 嬉しいことには違いないのだから。

 そんな雑考を断ち切るように二人の女子、もとい一人の後輩女子と一人の戸塚が駆け寄ってくる。

 

「せんぱいっ、おめでとうございますぅ」

「はちまん、お誕生日おめでとう」

 

 語尾を伸ばすな、あざとい笑顔を向けるな。

 変わらないな、一色。

 一方戸塚は、大学生になっても安定の天使だ。

 ふと、新歓やゼミ、サークルの飲み会で酔わされてお持ち帰りされてしまう戸塚の艶姿が脳裏を過る。

 いかん、この笑顔を守らなければ。

 よしまずは籍を入れようか。

 お互い大学生だ。問題は無い。

 

「戸塚、プレゼントは戸塚自身でいいぞ」

「もうっ、はちまんったら」

 

 うっかり吐いた言葉を戸塚はいつもの冗談だと思っているようだ。だが、こちとら高校在学中からちょっとだけ本気だ。

 本気と書いてマジだ。

 何ならたまにネットの無料占いで相性診断してるまである。その入力欄の性別に「戸塚」のチェック欄が無いのは少々不満だ。

 

 そんなこんなで、なんやかんや、やんややんやと始まった俺、比企谷八幡の誕生会。

 そして、その小波に乗り遅れた一人の美少女が不満を口にする。

 

「……何故勝手に始めてしまうのかしら」

 

 焼き上がったばかりのグラタンの皿をトレイに載せたまま、雪ノ下がごちる。

 今日の料理は全て雪ノ下雪乃の監修らしい。とは云っても、この場で雪ノ下レベルの料理の手伝いを出来るのは小町くらいだ。

 雪ノ下がキッチンでオーブンレンジと睨めっこの真っ最中に会を始めてしまったのは、由比ヶ浜と一色だ。

 その主犯格の一人であるあざとい後輩が、口を尖らせる雪ノ下を宥めにかかる。

 

「まあまあ、いいじゃないですか雪ノ下先輩。今日は無礼講ってことで」

「あなたは日常的に無礼で無遠慮なのだけれど」

 

 そういうあなたも大概無礼で無遠慮ですよ。特に俺に対して。

 だが雪ノ下って、ここまであからさまに拗ねる人間だったか?

 

「ゆきのんっ、かたいことは云いっこナシだよ」

 

 自分抜きで会が始められたのが余程ショックだったのか、雪ノ下は親友と評する由比ヶ浜にも溜息を吐く。

 

「由比ヶ浜さん、思えばあなたも大概なのよね……親しき中にも礼儀ありと昔からーー」

「わ、わ、ごめんって、ゆきのん」

 

 慌てて抱きつく由比ヶ浜から朱に染めた顔を逸らした雪ノ下は機嫌を直したらしく、照れ隠しなのか大仰な溜息を吐いた。

 夏のゆるゆり、ありだな。

 

「はあ、もういいわ。お料理が冷めない内に食べましょうか」

 

 自分が音頭をとることで面目躍如を果たした雪ノ下は、優しげな笑みを浮かべていた。

 リビングのテーブルに所狭しと並べられた料理の数々。それを囲むは懐かしい面々。懐かしい雰囲気。

 その光景は、まるで自分が高校生に戻ったような錯覚を起こす。

 

 ほぼ人生初の誕生会は、和気藹々と云った雰囲気だった。

 由比ヶ浜が何か間違え、雪ノ下が訂正し、戸塚が笑う。一色は相変わらずあざといが。

 小町の顔が浮かないのは少々気になるところだが。

 ところで……誕生日には付き物のアレやアレはないのかな。

 

 食事がひと段落ついた頃、キッチンからケーキが運ばれてきた。

 生クリームの上に苺やメロン、桃が輪になって飾られ、真ん中にはチョコレートのプレートが乗せられたデコレーションケーキだ。

 雪ノ下雪乃お手製らしいケーキは相変わらず見事で、このまま店頭に並べたい程の出来映えだった。桃はきっと由比ヶ浜が乗せたのだろう。

 

 ふと雪ノ下と目が合う。

 刹那、雪ノ下は目を背ける。

 え? まだ怒ってらっしゃるの?

 

「こ、これは、その……そう。ケーキを先に出すのはどうかと常々思っていたのよ。本来ケーキは食後のデザートであって、誕生日といえどもやはり食後に出す方が相応しいと……思ったのよ」

「そ、そうか」

「ええ、そうよ。あなたはこうして祝ってもらう機会が皆無だったから分からないとは思うけれど」

 

 え、やっぱおこなの?

 

 蝋燭を立てられたケーキに火が点る。リビングの灯りを消され、蝋燭の炎を吹き消すと、数人分の拍手が舞う。

 うん、恥ずかしい。

 でも悪くないな。

 

「はい、比企谷くん」

 

 雪ノ下が目の前に置いてくれたケーキには、チョコレートの板が刺さっていた。

『ヒッキーおめでとぅ』

 きっと由比ヶ浜が書いたのだろう。文字数の配分を間違えたらしく、最後の「う」だけが窮屈そうに隅っこにあった。

 

「あ、ありがとな。雪ノ下、由比ヶ浜」

「あんれぇ? 小町もかなり手伝ったんですけど」

「小町には感謝してるさ。毎年小町だけは祝ってくれるし。何ならもう嫁に迎えたいまである」

 小町の頭を軽く撫でると瞬く間に顔が紅潮した。

 

「ばっ、ばかっ、兄妹は結婚出来ないの知ってるくせにっ」

 

 最大の賛辞を送ったつもりが何故か怒られた。

 

「せんぱいって、本当アレですよね〜」

 

 アレって何だよ。あっ代名詞ですかそうですね。

 

「ま、まあ、いろはちゃん。ヒッキーもいろはちゃんには感謝してるって」

「どーですかねぇ。今年のあたしの誕生日だって、プレゼントだけ渡してさっさと帰っちゃったんですよ、もうっ」

「東京は遠いんだから仕方ないだろ。大変なんだぞ、千葉から東京って」

 

 しかしこいつ、何でこのタイミングでそういうこと言っちゃうんだろ。

 今までの事象で考えると、こういう場合は何故か責められるんだよな。

 

「……ヒッキー、それ聞いてないよ」

 

 はい、言ってませんね。

 

「あ、いや、それは一色がしつこく強請るから」

「あたしにはくれなかったのに!」

 

 頬を膨らました由比ヶ浜が詰め寄ってくる。

 

「わ、わかった、今度埋め合わせする」

「絶対だよっ」

 

 ふう。一色の奴、あとで覚えてろよ。

 しかし……おかしい。

 こういう時には決まって冷たい視線を投げつけるはずの氷の女王様は沈黙したままだ。

 俯いたままのその姿は不気味ですらある。

 ま、おかしいといえば、何か隅っこでうわ言のように呟いている我が妹もそうなのだが。

 

「ポ、ポイントが、ポイントがカンストだよぉ、マックスハートだよぉ〜」

 

 まったく意味がわからん。何故二作目なのだ。

 プリキュアもガン○ムもファーストが高評価なのに。

 

 この後、お決まりのプレゼントの贈呈となったのだが。

 由比ヶ浜のプレゼントはTシャツだった。

 

「ヒッキーって、そういうアニメの好きそうだよね」

 

 アニメ……?

 広げてみると、胸に大きく縦書きで

『あきらめたら、そこで試合終了だよ』

 と綴ってあった。

 ……なぜ安西先生?

 

「あ、ありがとな。大事にしまっておくわ」

「着ないんだっ!?」

 

 着れるか、どあほう。

 じゃあ次は、雪ノ下あたりか。こいつのセンスも世間離れしてるからなぁ。

 

「私は後で渡すわ。先にどうぞ、一色さん」

「ふえっ? なんでですか?」

「……家に忘れてきてしまったのよ」

 

 雪ノ下が忘れ物、だと。珍しいこともあるもんだ。

 まあ雪ノ下や小町は料理を作ってくれたし、それで充分だしな。

 

「あ、せんぱいっ、プレゼントあげる代わりに何かくださいっ」

 

 何か一色がとんでもないことを仰っているぞ。

 

「わかった。お前のプレゼントは要らん」

「なんですかそれー、あっ何ならファーストキスを貰ってあげてもいいですよっ」

 

 だからそういうことを云うなよ。

 それにもう俺のファーストキスは……ポッ。

 云わせんな、恥ずかしいっ。

 

「要らん。好きな相手が出来た時にとっておけよ」

 

 ぶーぶー言い出した一色の横から天使が顔を出す。

 

「八幡、はいっ。プレゼント、だよ」

「おお、ありがとな戸塚。愛してるぞ」

「もうっ、ねえ開けてみてよ」

 

 戸塚に手渡された小さな包みを開けてみると、カーキ色の紐で編まれた……何だろ。

 

「それはね、パラコードっていう紐で編んだキーホルダーなんだよ」

 

 戸塚の説明によるとパラコード(パラシュートコード)は、とにかく強いロープらしい。うどんより細いこのロープ一本で、百キロ以上を支えられるのだとか。

 しかも解けば1.4mくらいの紐に戻るらしい。

 

「八幡、車乗ってるんでしょ。だからそれにしたんだ。ほら、お揃いだよっ」

 

 戸塚は自分の左手首を見せた。そこには同じ様な編み方をした同じ色のブレスレットが巻かれている。

 戸塚とお揃い。

 世の中にそんな素晴らしい言葉があったとはっ。

 感涙に咽ぶ俺の背中に、女子連中から冷ややかな視線のビームがお見舞いされた。

 

 あっ、結局一色のプレゼントは小説の文庫本でした。しかも新書で持ってるヤツ。

 

 この後めちゃくちゃトランプした。

 主に戸塚と。

 あと、いつの間にか復活を遂げた小町が、激写カメラマンと化していた。

 

  * * *

 

 午後九時。

 夜も更けて、そろそろお開きの時間と相成る。雨は相変わらず降っているようだ。

 天気予報では夜には止むと云っていたから、本日も天気予報の負けだな。

 玄関に向かう途中、陰でスマホをチェックする。川崎からのメール、着信は無い。

 

「はちまん、またね」

 

 玄関先で見送る俺に、戸塚が可愛く傘をさしながら手を振ってくる。

 うーん、送り狼になりたいぜ。

 

「ヒッキー、ゆきのんを送ってあげてね」

「せんぱいっ、雪ノ下先輩のこと、襲っちゃダメですからねー」

 

 え、何それ。マジ?

 それ決定事項なん?

 ……とつかたんは?

 

 ていうか、なんだこの感じ。

 訝しげに面々を見渡すと、皆の後ろの見えないところで小町が両手を合わせて拝んでる。

 何だよ、俺はまだ成仏しねえぞ。今の俺には現世に未練タラタラなんだ。

 しかし、やっぱ何かが引っかかるな。

 

 原因不明の違和感を感じながらも、俺は雪ノ下と共に傘を広げる。

 

  * * *

 

 駅までの道。

 水溜りを避けながら街灯の光を反射する道を雪ノ下と歩く。

 別段会話を交わす訳でもない。

 ただ、並んで歩く。

 沈黙。

 だがそこにかつて奉仕部で感じた心地良さは無い。

 俺の感性が変化したのだろうか。

 

 否。

 

 並んで歩く雪ノ下の様子は明らかにおかしい。

 思い詰めているようでもあり、何かを言い淀むようでもある。時々目が合うと一瞬止まって、すぐに目を伏せる。

 そこに違和感を覚えると同時に、何らかの緊張感も伝わってくる。

 

 駅に近づくと、街灯の明かりが増えてくる。

 自動的に雪ノ下の、思い詰めたような横顔が目に飛び込んでくる。

 やはりこいつは何かを隠している。何かを言い淀んでいる。

 

 なんだ。何なんだ。何か悩み事か。

 俺が雪ノ下の悩みを気にするなど、本来ならば烏滸がましいのかもしれない。こいつは俺よりも数段優秀であり、何より他人に自己の悩みを進んで話す様な人間ではない。

 だが今日の様子は何だ。

 雪ノ下雪乃らしさが著しく欠如している。

 明らかに心ここに在らずだ。

 それに由比ヶ浜や一色の振る舞いも気になる。

 もしかしたら、雪ノ下が俺に悩みを打ち明けやすい機会を作ろうとしていたのか。

 すべては推測である。裏付けは無い。

 だかもし、こいつが悩みを抱えていて、俺に話したいという意思表示を出来ない状態だとしたら。

 烏滸がましいと解っていても俺から水を向けてやるしかない。

 咳払いをひとつ、雪ノ下へと顔を向ける。

 

「な、なあ。何か悩みでもーー」

 

 その瞬間だった。

 傘を離した雪ノ下の手が、俺の肩に乗せられる。

 

「お、おい、傘が……」

 

 風で転がり舞っていく傘を目で追っていると、艶やかな黒髪が視界を埋めた。

 

「……比企谷くん」

 

 その距離、およそ二十センチメートル。

 斜め下から俺を見上げるのは、今にも決壊しそうな潤んだ瞳。

 その瞳の主は、ゆっくりと俺の背中に両の腕を回す。

 距離が、零になる。

 

 まさか。

 

「あなたが、好き……」

 

 雪ノ下の顔が俺の胸に埋まった。

 

「お、おいっ、ちょ……」

 

 傘を差している都合上、あまり強くは突き放せない。

 

「好きなの、もう、抑えられないの」

 

「おい、雪ノ下」

 

 雪ノ下雪乃の告白は、意外なほど心中にすとんと落ちた。

 今まで疑っては打ち消し、疑っては否定して、これ以上の余地の無いほどに否定してきたことなのに。

 

 そうだ。

 こいつは虚言は吐かない。

 俺はまだそれを信じているのだ。

 故にこいつの語る言葉は真実だと。

 

「好き……」

 

 何処で間違った。

 いや、間違ったという表現は失礼だ。俺が間違えた結果がこれならば、今の言葉も否定される。

 それは雪ノ下雪乃を否定することと同義だ。

 

 否定は出来ない。だが、受け入れることも出来ない。

 

 俺には一生こんな瞬間はやって来ないと思っていた。

 しかし、やって来た。やって来てしまった。

 このタイミングで。

 

 つまり。

 

 俺は、今からこいつを、雪ノ下雪乃の告白を断わらなければならない。

 雪ノ下雪乃を傷つけなければいけない。

 息を深く吸い、吐く。

 放つ文言を用意し、気持ちを整える。

 

「……悪い、雪ノ下。俺は、それには応えられない」

 

 時期が違えば。

 タイミングが違えば。

 俺はその言葉を受け入れたのかも知れない。

 

 だが、今の俺はーー

 

「俺は、好きな人がいる。だから、すまん」

 

「それは……誰なの。私の知っている……人?」

 

「ああ、それはーー」

 

 云いかけたところで雪ノ下の柔らかい手のひらが俺の口を塞ぐ。

 やめてくれ、勘違いしそうに……って、勘違いじゃないのか。

 

「……いいわ。やっぱり云わないで。それが誰であろうと、貴方の出す結論は変わらないのでしょう?」

 

「そう、だな」

 

 俺の足りない言葉を受けて、少しだけ身体を離した雪ノ下は俺の顔を見上げた。

 いつもと変わらない表情。

 ただひとつ違うのは、その双眸から零れ落ちる涙だけだった。

 

「もう、会わない方が良いわね……」

 

 言葉とは裏腹に、もう一度俺の胸に顔を寄せた雪ノ下は、俺の背中に回した腕の力を強める。

 

「そう、かも知れんな。だが」

 

 俺にはこの先のことは解らない。だけど、俺の中には高校在学中から未だ揺るぎない気持ちがある。

 それは、互いに衝突し、対立し、それでも尚その居場所を守ろうと足掻いた、脆弱で矮小で、しかし強固な信念。

 あの空間を共有した三人のみしか共感し得ないであろう、信念だ。

 

「お前は……お前と由比ヶ浜は、仲間だ。何処に居ようと、何をしていようと、俺の中でそれは変わらないと思う」

 

 雪ノ下雪乃。

 由比ヶ浜結衣。

 

 この二人の、どちらが欠けても今の俺は存在していない。

 奉仕部かあっかからこそ現在に至れた。その二人が居たから俺は悩み、苦しみ、答えを出そうとした。それは決して否定的な感情ではない。

 それ程までに、人生に於いてこの二人の存在は大きい。きっとその存在の大きさは、この先の人生に於いても変わらないだろう。

 

 傘に当たる雨が強くなる。

 

「……ありがとう。少しだけ、報われたわ」

 

 俺を見上げる雪ノ下は目に涙を溜めながら微笑んでいた。

 皮肉なことにその微笑みは、今までの雪ノ下雪乃の中で一番美しく見えた。

 

「ひとつだけ、我儘を聞いて貰えるかしら」

「ああ」

「ごめんなさい、じゃあ。もう少しこのまま……」

 

 雪ノ下が俺の胸に顔を埋める。

 押し付けて、嗚咽を必死に押し殺す。

 一瞬背中に手を回して抱き締め返そうとし、腕を下ろす。

 駄目だ。それをしてはいけない。

 その行為に含んだ優しさはきっと欺瞞であり、ただの自己満足だから。

 

 ーー辛いな。こんなに辛いとは思わなかった。

 

 人に好意を向けられること。俺はこの夏、それを知った。

 

 そして今、人の好意を断る苦しみを知る。

 例えばその相手が自分にとってどうでもいい存在ならば、こんなに苦しまずに済むのだろうか。

 だが、経緯はどうであれ俺は雪ノ下雪乃を傷つけた。

 それは揺るがない事実だ。ならば、その責任は俺が負うべきなのだ。

 

 だからせめて。

 雪ノ下の気の済むまでーー

 

 あ。

 

 道路の向こう側。

 一輪の白い傘が咲いていた。

 傘に隠れて顔は見えない。が、すぐに解った。

 

 川崎沙希だ。

 

「ーー!」

 

 傘を放り投げた川崎が走り出す。

 

「わ、悪い雪ノ下」

 

 雪ノ下の両腕を解き、傘を押し付けて川崎の背中を追いかける。

 

 いつの間にか雨は小降りになっていた。

 




今回もお読み頂き、誠にありがとうございます。

今回の話を書き終えて一言。

あーーー、やっちまった。
雪ノ下雪乃が好きな皆様ごめんなさい。
あと、川崎沙希さんごめんなさい。

異論反論を含め、ご意見ご感想をお聞かせ願えたら幸いです。
次回も暗い話が続きますが、もし良ければ読んでやってください。

では、もし良かったら……また次回。







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