死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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幕間:キルアの答え

 どうしようもなく、寂しかった。

 

 何故かその日、キルアは寂しくて悲しくて仕方がなかった。

 今まであって当たり前だった何かが……、自分の体の一部に等しい「何か」が足りないという喪失感に襲われて、孤独が自分を苛んだ。

 

 家族も、執事も、いつもと変わらない。

 皆いる。皆いつも通り。いつも通りのはずなのに、どうしようもなく寂しくて、悲しくて、辛くて、悔しくて……。

 

 今まで感じたことなどない感情ばかりが胸の内にあって、訳がわからなくなっていた時に出会った。

 自分の家では珍しい、自分と同い年くらいの少女の使用人が挨拶にやって来た。

 

 本当にいつも通りだったのなら、キルアはその挨拶を聞き流して、相手の名前などきっと覚えなかっただろう。

 相手が自分と歳の近い少女だということすら、きっと気付かなかった。

 

 けれど、その日のキルアはどうしようもなく淋しくて、胸にぽっかり空いた穴を埋めたくて仕方がなかった。

 

 だから、言った。

 頼んだ。

 求めた。

 願った。

 望んだ。

 

「俺と友達になってよー」

 

「友達」なんて単語を知っていたことに、その意味を知っていたことが、今思えば意外だ。

 そんなもの、この家では一番使われなくて意味もない単語だった。

 そして、本当に意味などない。

 

「申し訳ございません、キルア様」

 

 叶うはずなどない願い。

 埋められない空白。

 

 キルアは思い出せない。わからない。

 あの日、どうして自分はあんなにも寂しかったのか。

 自分が失ったものが何であるかが、わからない。

 

 それでも……これだけはわかる。

 

 キルアの世界の全てだった「ゾルディック」という箱庭に不満を覚えたのは、この日からだということだけは、わかっている。

 

 ここにいる限りこの空白は埋められないことだけは、思い出せない「何か」がくれたものが教えてくれた。

 

 * * *

 

 夢を見た。

 

 おそらくは、5年以上前の過去の夢。

 

 カナリアに初めて会った日。

 自分は「ゾルディック」という箱庭に、閉じ込められていることに気付いた日の夢を見た。

 

 やっと今年で12歳になるキルアからしたら、人生の半分近く前の出来事など、あまりに遠い過去に感じておかしくないはずなのに、何故かつい最近のことのように感じる。

 それはこの箱庭で過ごした日々が、あまりにも代わり映えのない毎日の繰り返しだったからかもしれない。

 

 現にまだひと月もたっていないはずなのに、ハンター試験に関しては、逆にひどく懐かしい。

 こちらの方がはるか昔の出来事のように感じるほど、記憶は鮮明なのにあまりに遠い。

 

 どうしようもなく、遠いと思っていた。

 

 ……カルトから、「ソラが作ってくれたんだよ!」とケーキをもらうまで。

 母親から、ゴン達は自分に会うためにここまでやってきてくれたことを聞かされるまで。

 

 今も遠いことには変わりない。

 けれど、抱いていた不安は彼らがやってきてくれたという事実で、雪解けのようにあたたかく消えてなくなる。

 

 ソラはキルアのしたことを「『本性』ではなく『本能』だ」と言ってくれたが、それでもキルアがゴンやソラよりも、自分の命を優先したことに変わりはない。ゴンに軽蔑されて、失望されて、嫌われても何らおかしくなかったことだけは、心が軋むほどにわかっている。

 

 それでもゴンが来てくれたのならば、今も本当に自分のことを「友達」だと思ってくれているのならば、もう自分も諦める訳にはいかない。

 母親の手前、その本音をはっきり口に出せばソラはともかく他の3人が危なかったので、「今は会えない」と伝言をするしかなかったが、それでもキルアからしたらあの伝言は母親に、イルミに、そしてこのゾルディック家に対する宣戦布告同然だった。

 

 もう何を言われても、どれほど自分を縛りつけて閉じ込めても、絶対に諦めない。

 必ずこの箱庭から出てゆくことを誓った言葉だった。

 

 キルアは夢を見る。

 いつしか夢は、過去から未来に変化している。

 

 大好きな人たちと笑って、あたたかな陽だまりの中を穏やかに歩いている。

 そんな夢を、見る。

 

 見ることさえ許されなくても、誰に邪魔されて阻まれても、それでも手放さないと決めた「夢」を見続けた。

 

「起きろ!!」

 

 ……しかし、意志としての夢はともかく、睡眠で見る夢はあえなく強制終了させられる。

 鞭による焼けるような肉皮を裂く痛みはもはやなじんだものなので、今更この程度の苦痛でキルアの表情筋は仕事をしない。

 だがさすがに睡眠は続けていられないので、キルアはヒステリックな声にうんざりしながら目を覚ます。

 

「ああ、兄貴おはよう。今、何時?」

 

 のんびりと、まるで被っていた布団を引っ剥がされた程度にしか思っていない顔と発言。実際のところ、キルアにとってあの程度の一撃は、その程度同然。

 その耐久性はやはりゾルディック跡取りにふさわしいのだが、もちろんキルアに「仕置き」としての拷問をしていたミルキからしたら、全てが気に入らない。

 

「いい気になるなよ、キル」

 

 フーフーと実に健康に悪そうな呼吸をしながら、ミルキは弟の胸にタバコの火を押し付けるが、普通なら大人でも泣き叫ぶような苦痛もキルアはケロリとした顔でいけしゃあしゃあと、思ってもいないことを棒読みで言い放つ。

 

「あちち、そんなァ。

 俺、すげー反省してるよ。ゴメン。悪かったよ兄貴」

「うそつけ!!」

 

 もちろんイルミ以上の棒読み発言を真に受ける訳がなく、ミルキは鞭を大きく振りかぶって今度は、弟の顔を思いっきり打ちのめす。

 しかし、それでもやはりキルアから余裕を取り除けない。

 両手足を拘束されているにも拘らず、キルアはぶたれた拍子で口の中でも切ったのか、血を吐き出してからうっすらと笑う。

 

「やっぱわかる?」

 

 弟の言葉で頭に血が昇るが、弟が浮かべる表情にミルキは不気味そうに一歩退いた。

 以前から自分に対して酷く生意気だったが、殴りつけて反抗することはあっても、こんな嘲弄するように笑いはしなかった。

 自分を見下しているというより、そもそも眼中にないと言わんばかりの余裕が、その余裕の出どころが理解できず、「勝率が100%でないなら手を出すな」という教育は実弟にも当てはまり、ミルキはキルアに手が出せなくなる。

 

 その余裕の出どころは、このほぼ直後にミルキは知ることが出来た。

 しかしそれは別に、幸運でも何でもない。むしろ、どちらかというと不運な出来事だった。

 

 電話が鳴った。

 キルアに会いに来たとかいう侵入者とソラが、ついに執事室近くまでやってきたという連絡。

 その連絡を聞き、ミルキの顔は愉悦に歪む。

 

 「友達」なんて甘えたものを欲しがって、その挙句が現在の惨状であることを思い出させる為に、自分の立場を思い知らせる為に、何よりもキルアの謎の余裕を奪う為にミルキは口にする。

 

「くくく、どうするキル? 俺がママに頼んで執事に命じてもらえば、ソラはともかく他の連中は……ひっ!?」

 

 弟の逆鱗に、触れた。

 

「ミルキ」

 

 キルアを縛る鎖の一つが外れた。

 木綿糸を千切るかのごとく、自力で鎖を引きちぎって彼は、殺意を湛えた目で無機質に実兄を見据えて、宣言する。

 この宣言は、全く尊敬していないし家族の中で嫌いな部類に入るとはいえ、血の繋がった兄弟だからこそ、逆鱗に触れられても思いとどまった温情であることを伝える。

 

「あいつらに手を出したら、殺すぜ?」

 

 ある意味では思惑通り余裕を奪えたが、同時にキルアから敵認定された挙句にこのような拘束はいつでも簡単に抜け出せる、キルアはミルキなど何一つとして恐れておらず、自分の意思でここにいてやっているということを思い知らされて、ミルキは悔しさに呻く。

 

 しかもその「一応兄貴だから」という建前は、ゼノがキルアを独房から出してやったことで、本人があっさりミルキに向かって暴露する。

 

「兄貴、俺、反省してないけど悪いとは思ってるんだぜ。だから大人しく殴られてやったんだよ」

 

 四肢を拘束していた鎖や枷をバキバキと壊して外しながら、キルアは言い放つ。

 余計なことをミルキが言わなければ、キルアもわざわざ言う気はなかったので、完全にミルキの自業自得なのだが、そう簡単にその事実を受け入れて反省できるのならば、2週間ほど前に自分のコレクションのほとんどがイルミに破壊されるという災難は起こらない。

 

「キル……シルバが呼んどるからな」

「親父が? ……わかった」

 

 ゼノからの伝言を聞き、キルアが独房から出て行った途端に、ミルキは持っていた鞭を床に叩きつけて、ゼノに八つ当たり気味で抗議する。

 しかしゼノは息子の嫁そっくりなヒステリーを見せる孫を冷めた目で眺めてから、静かに一言でキルアへの対応理由を言い表す。

 

「アイツは特別だからな」

 

 意外にも、その一言にミルキからの反論はない。

 ゼノが「お前から見てキルアの力量はどうだ?」と問えば、なんとも複雑そうな表情だったがやはり素直に、「……そりゃすごいよ」と認める。

 実の兄弟であろうが家族であろうが、相手との力量差を正確に測れないのは暗殺者として致命的なので、そこらへんは冷静に、客観的に見て認めているらしい。

 

「才能だけなら、長いゾルディック家の歴史でもピカイチじゃない? それはママも認めてるし、俺もそう思う。

 でも暗殺者としては失格だよ。ムラッ気があってさ。友達なんか作ってる奴に、ゾルディック家は継げないよ。要するにあいつは弱虫なんだよ、精神的にさ」

 

 しかし、やはり気に入らない弟だから評価が厳しいのか、それともこれもミルキ個人の感情は関係ない評価なのか、キルアを「暗殺者失格」とミルキは言い切る。

 そんな評価を下す孫をゼノは、一度頭のてっぺんからつま先まで見渡して、一言つぶやいた。

 

「ふむ」

 

 怪我をしていない、ミルキ。

 自分が独房に入る直前に膨れ上がった殺気と、既に引きちぎっていた鎖。

 何を言ったのかはさすがにわからないが、自分が来る前にミルキがキルアを怒らせた、それもあの殺気からして、逆鱗に触れたのは見ていなくてもわかる。

 

 だが、ゼノの知る今までのキルアならば間違いなく、ミルキは無事で済んでいないだろう。

 現に彼はキルアの家出騒動に巻き込まれて、わき腹を刺された。

 

 ゼノの知るキルアは、殺しの才能はピカイチだが、年齢の所為もあってか精神が酷く不安定で、普段はヒステリックだが仕事となれば感情の制御が完璧にできているキキョウやミルキよりもはるかに、感情に振り回されている子供だった。

 それがどういう訳か、ハンター試験を終えて帰ってきてからは不安定だった情緒が落ち着いて、あんなに毛嫌いしていた兄に対してまずは忠告をする程度に、感情を制御できるようになっていた。

 

 弟の精神面での成長に全く気付いていない、その成長のおかげで、キルアの逆鱗に触れても無傷であるという自覚のない孫を、一瞬憐れむように見て、しかしそのことを指摘するとまたヒステリーを起こして面倒なので、ゼノは内心でキルアの成長を喜びながら、テキトー極まりない相槌を打つ。

 

「そういうことだな」

「ね。その点、俺は依頼があればいつでもだれでも始末するぜ。

 そうだ、今度の爆弾はすごいぜじいちゃん!! 超小型でさ、雌の蚊にとりつけてその蚊が血を吸った瞬間に爆発するんだぜ!!

 火力はまだ爆竹程度で、蚊がターゲットを識別できないのが難点だけど」

「ミル。お前は頭はいいが、バカなところが玉にキズだ」

 

 やはり家から仕事以外で一切出さず、家族だけと関わりを持つという超閉鎖的な環境では成長はしないということを、ミルキとキルアを頭の中で比べて思い知りながら、今までの教育方針をゼノは少し反省した。

 

 * * *

 

 言いたいことがあった。

 

「キル、友達ができたって?」

「……うん」

 

 しかし父親を前にすると、その言いたいことが言葉にならない。

 思えば、キルアは父に対して親子らしい会話もやり取りもした覚えがない。

 母親や祖父母相手ならば、甘えたりわがままを言ったり反抗した覚えもある。普通の兄弟なんてわからないけれど、少なくともシルバと自分の親子関係と比べたら、イルミ相手でもまだ普通の兄弟関係に近いのではないかと思っている。

 

 父のことは決して、嫌いではない。

 純粋に尊敬しているし、憧れている。

 けれど、自分と父の関係は親子というより、師弟か上司と部下の方が正確ではないかと、家出する前はともかく今は強くそう思う。

 

「どんな連中だ?」

「どんなって……いっしょにいると楽しいよ」

 

 会話や関わることが怖いわけではない。

 イルミと違って特に緊張もなく話せるし、友達の存在も簡単に肯定できる。

 

「そうか……」

 

 しかし、会話が続かない。

 何を話せばいいかがわからない。雑談など、特に意味のない話題を上げていいのかどうかすらわからない。

 

「試験はどうだった?」

「ん……簡単だった」

 

 どうしても、一言二言で終わってしまう会話。

 思えば、昔からそうだった。

 シルバとキルアの会話は、会話とは言えない。ただの情報交換と現状確認でしかなかった。

 それ以外の会話など、お互いにした覚えなどなかった。

 

「………」

「………」

 

 気まずい沈黙が数秒間続き、シルバは一度息をつく。

 それは溜息なのか、溜息だとしたらどんな感情をこめた溜息なのかはわからない。

 

「キル……こっちに来い」

「え?」

 

 けれど、その溜息がシルバの中に押し込めていたものを吐き出すきっかけになったのか、彼は自分に一番よく似た息子をまっすぐに見据えて言った。

 

「お前の話が聞きたい」

 

 父の言葉に、キルアは目を丸くして固まった。

 叱られる、試験中にイルミに言われたようにまた、自分の望みを全否定される覚悟でやってきたのに、シルバから掛けられた言葉は自分の想像とは真逆に近い言葉だった。

 

 困惑している息子にシルバは少しだけ苦笑し、キルアの緊張をほぐすように彼は言葉を続ける。

「試験でどんなことをして、誰と出会い何を思ったのか……。どんなことでもいい。教えてくれ」

 

 父からの「命令」ではなく、「提案」もしくは「頼まれて」何かを話すことはもちろん、何かをすることは初めてだった。

 ……初めて、キルアは目の前の人物を「父親」と認識したのかもしれない。

 

「うん」と答えたキルアは、戸惑いつつも嬉しげに父の隣に腰を下ろした。

 

 * * *

 

 何から話すかを迷ったのは、最初の内だけだった。

 飛行船でソラと偶然一緒になった話を始めたら、あとは湯水のごとく自然に次々と思い出が、話が湧き上がった。

 

 試験会場までのソラとの珍道中、ゴン達3人との出会い、トリックタワーでの苦労、ゼビル島でのハンゾーとのいざこざの愚痴、そして最終試験でのゴンがやらかしたわがままに、ソラの最大級に空気を読まなかったボケ。

 

「――でさ、ソラの奴イルミに向かってなんて言ったと思う?」

 

 身振り手振りでキルアは父に話す。

 もうすでにイルミから聞いたであろう話を、イルミが決して話さなかったと確信できる部分を、わざわざピックアップして暴露するのは、ささやかな仕返しである。

 

「『お前誰!?』だぜ!

 あの時、目が見えてなかったとはいえ、あんだけ逃げ回ってた天敵の声も覚えてなかったことにびっくりだし、それよりも兄貴のポカンとした顔なんて俺、初めて見たぜ!」

「そうか。イルミがやたらと最終試験の報告をするとき、機嫌が悪かったのはその所為か……」

 

 やはりそのあたりのやり取りは話す意味が全くなかったので、イルミはシルバに報告していなかったらしく、シルバは酷く遠い目をして相槌を打つ。

 キルアは父の反応と言葉に、「兄貴ざまぁ!」と言って笑う。

 

「キル」

 

 そんな息子に、年相応に無邪気にはしゃぎながら、楽しかった思い出を語るキルアに、シルバは遠くにやっていた目を戻して、改めて尋ねた。

 

「友達に会いたいか?」

 

 真っ直ぐに、父の傍らに寝そべるペットの犬たちよりもはるかに獰猛な獣を思わせる双眸が、キルアを見据える。

 その眼は、長兄とは別種だが同じくらい怖いものだった。

 今でも、その認識は変わらない。

 

 それでも、キルアは答えた。

 

「うん」

 

 何の迷いもなく、躊躇いもなく、恐れつつもその恐れをねじ伏せて、キルアも真っ直ぐに父を見返して答える。

 

「親父。俺、家のことは好きだよ」

 

 言いたかったことは、やっと言葉になった。

 もうとっくの昔に見つけていたのに、どうしてもどういえばいいのかがわからなかった言葉がスルスルと口から、一番伝えたかった自然な形となって出てくる。

 

 相手を「父」だと思えば、あまりに自然に、何の緊張もなく言葉にすることが出来た。

 親子だと思えば、親子であるならば、こんなにも簡単なことだったのだと、キルアは語りながら思い知る。

 

「俺のことを親父たちが大事にして、期待してくれてるのは知ってる。そのことは嬉しい。

 俺に跡を継いでほしい、殺し屋になって欲しいって思う気持ちもわかる。才能があるってわかってるんなら、そりゃその才能が一番生かせる道に進んでほしいよな」

 

 反感の種だった「跡取りとしての期待」も、「殺し屋としての才能」もソラやゴン達と別れてからずっと考えて、今ではそんな風に考えて受け入れることも出来た。

 もちろん今でも、「勝手に俺に期待を押し付けるな」という思いはある。しかし、例えばゴンが「美食ハンターになる」と言い出したら、キルアは間違いなくゴンの肩に手を置いて、「ゴン、お前は疲れてるんだ。とりあえず今日はもう休め。寝ろ」と言って寝かして、次の日もまだ言ってたら「お前はまだ寝てるんだよ。目を覚ませ」と言い放つのが目に見えた。

 

 自分のしたいことを「才能がない」、したくないことに「才能がある」と言って決めつけて反対したり押し付けるのは確かに間違いだが、それがあまりにもあからさまだとわかっていたら言いたくなる気持ちくらいは、想像できる余裕が生まれた。

 なのでやはり母親から「跡取りとして」と言われたら腹は立つが、ムカつく以上の感情はもう芽生えない。

 

 キルアにとって、「お前にそれ以外の存在価値はない」という呪いのように感じていた言葉が、ただの余計なおせっかいだと認識することが出来たから、もうその言葉はただの言葉以上の意味はない。

 だから、受け入れつつもキルアは否定する。

 

「でも、親父。俺は嫌なんだ。

 俺、ゴンと一緒にいて楽しいって思ったんだ。ソラを見て、すげぇなって思ったんだ。二人みたいに生きたいって思ったんだ。二人と一緒に生きたいって思ったんだ。

 家族以外の誰とも関わらないで、信じないで、ただ殺して生きていくのは嫌なんだ。俺はゴンやソラみたいに、たくさんの人を信じて、信じてもらって、笑って生きていたいんだ」

 

 自分の今までの生き方を、この「ゾルディック」の在り様をキルアは否定して、選んだ答えを、生きていたいと望む世界はどこかを訴えかける。

 

「親父。俺は、親父のことを尊敬してる。憧れてる。

 けど、親父と同じ道はもう歩めない。親父が教えてくれたことは全部感謝してるし、これを生かして生きたいとも思ってる。でも、俺はこれを誰かを殺すことじゃなくて、誰かを守って生かす為に使っていきたいんだ。

 

 家のことを、家の歴史や仕事を否定したい訳じゃない。俺たちは正義なんかじゃないけど、それでも必要な仕事で存在だと思ってる。……けど、それでも、俺は嫌なんだ。

 俺のわがままだけど、俺は嫌なんだ。ここで、親父たちが望むような俺はもう『俺』じゃない。それは親父たちの作った人形だ。

 

 俺は、俺として、キルアっていう一人の人間として生きてゆきたいんだ」

 

 この家に守られていたこと、家族に愛されていたことは、ちゃんとわかっている。

 理解した上で、自分の言っていることがどれだけ幼いわがままなのかも知った上で、それでもせめて知って欲しくて、誤解のしようがなく正しく自分の望みを理解してほしくて、キルアは語る。

 

 拗ねて膨れて一人勝手に思いつめて、眼を閉ざして耳を塞いで逃げ出した先で、「向き合って答えだけは見つけときなよ」と、あまりに痛々しい自分の傷を見せて、「失敗の結末」を教えてくれた人のおかげで、ようやく見つけた答えをキルアは伝える。

 

 その答えをシルバは黙って最後まで聞き、一度目を伏せて眉間を揉むように手で押さえてから深く息を吐く。

 キルアが父の反応に戸惑って、「親父?」と声を掛けてやっとシルバは、絞り出すように呟いた。

 

「……まいったな。子の成長は親が思うよりよほど早いとは聞くが、これほどか」

 

 感心したように、何かを惜しむような、今まで聞いたことがないほど人間らしい父の言葉に、キルアは呆ける。

 顔から手を離し、少し項垂れていた頭を上げてシルバは、現状を理解できていないキルアに……まだまだ面差しはあまりに幼い息子に、少し苦笑する。

 

「思えば……お前とは父子(おやこ)として話をしたことなどなかったな」

 キルア自身が感じ、思ったことと同じことを呟きながら、シルバの大きな巌のような手がキルアの頭に伸びる。

 

「俺が親に暗殺者として育てられたように、お前にもそれを強要してしまった。

 俺とお前は違う……。お前が出て行くまで、そんな簡単なことに気付かなかったが……。そうか……。そんな俺でも、お前は俺を尊敬して、憧れていてくれているのか……」

 

 シルバの手がキルアの頭を、息子の中で唯一自分の銀髪を受け継いだその髪を、わしわしとかき混ぜるように撫でる。

 その手の温度を、心地よさを、「ソラに似てる」とキルアは思う。思ってから、少しだけその感想を皮肉だなと感じた。

 

 本来ならきっとソラの手を、ソラに頭を撫でられるのを「親父に似てる」と感じる方が普通なのだと、気付いてしまった。

 シルバに頭を撫でられたのは、別にこれが初めてではない。なのに、自分の頭を撫でてくれる手の心地よさに気付かせてくれたのは、血縁などなくて家族なんかじゃなかったはずの人だった。

 

 それほどまでに、今まで自分と父は遠かったことを思い知る。

 

 それは、シルバも同じ。

 彼は息子の頭に手を置いて、改めて伝える。

 

「お前は俺の子だ。だが、お前はお前だ」

 

 今まで血の繋がりのみに甘えて、考えたこともなかった己とキルアの関係を改めて伝え、そして同時にキルアの出した答えを肯定してくれた。

 

「好きに生きろ」

 

 キルアの望み通り生きろと、背を押した。

 

「疲れたらいつでも戻ってくればいい。な……?」

 

 背を押して、この箱庭から飛び立つことを決めた息子に伝える。

 飛び立ったからといって、力尽きるまで、飛べなくなって墜落するまで飛び続けなくていいと。疲れたのならば、いつだって羽を休めたらいい。

 そんな場所としてここを定めてくれていればそれでいいと、幼年期を終わらせた息子に親が出来る最後にして唯一、そして最大の愛情を伝える。

 

 そして、最終確認として尋ねる。

 

「もう一度訊く。仲間に会いたいか?」

 

 最初の問いと同じ問い。

 その答えは、決まりきっている。

 

「うん!!」

 

 最初の問いよりもさらに力強く頷いたキルアに、シルバも頷いてその答えを受け取った。

 

「わかった。お前はもう自由だ。……だが、一つだけ誓え」

 しかし、最後に一つだけキルアに誓わせる。

 自分の親指の先をかみ切って血を滲ませて、その指を突き付けてもう一度、真っ直ぐに獣のような目でキルアを見据えて尋ねる。

 

「絶対に仲間を裏切るな。いいな」

 

 その誓いにもキルアは即答だった。

 同じように親指を噛み、血を滲ませてその親指を互いに押し当てて強く誓う。

 

「誓うよ。裏切らない。絶対に!」

 

 誓約を交わす。

 

 

 

 ……キルアは知らない。

 この誓約を交わした相手は既に、「キルアの父親」ではなかったことを。

 

「ゾルディック家当主」と交わしてしまった契約であることを、キルアは知らない。

 

 子供は親が思うより早く大人になる。

 それでも、子供自身が思うよりはずっと遅いもの。

 

 キルアは、憐れなほどにまだ「子供」だった。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「一体何を考えてるの!? お義父様もあなたも!!

 せっかくイルミのおかげでキルが戻ってきたのに!!」

 

 予想はしていたが、相変わらずヒステリックな妻の言葉にうんざりしながら、シルバは面倒くさそうに言い返す。

 

「しばらく好きにさせとけよ」

「だめよ、何言ってるの!? キルが立派な後継者になれるかどうか、今が一番大事な時期なのよ!!」

 

 シルバの言葉はキーキーと耳が痛くなる金切り声で反論されるが、その程度のヒステリーで折れるようではゾルディック当主が務まるわけがない。

 彼は不敵に笑って、命じる。

 

「わかってるじゃねーか。じゃあ、つべこべ言わず黙ってろ」

 

 夫を尻に敷いている恐妻のように見えて、シルバにベタ惚れだからこそ、ゾルディックという家の栄華と繁栄に執着するキキョウは、夫に強く言われたら何も言えなくなって、素直に黙り込む。

 妻がそんな案外可愛らしい反応をしていることに気付いているのかいないのか、シルバは低く笑いながら独り言を呟いた。

 

「いつか必ず、戻って来る」

 

 シルバがキルアに伝えた言葉は、全て本音だ。

 大人になったと思った。息子の成長は喜ばしいが、少しさびしくも思っている。

 暗殺者としての道を否定しつつも、自分を尊敬して憧れていると言われたのは、素直に嬉しい。

 

 自分と息子は全くの別人。同じ教育を施しても同じように育ちはしないし、同じものを好み目指すとは限らないことを思い知らされた。

 ……自分や他の息子たちと同じく、この家に閉じ込めての教育は、キルアの才能を伸ばすのに向かないと、シルバは判断した。

 

 諦めてなどいなかった。

 そう簡単に諦められる程度の才能ならば、家出した時点で跡取りを長男のイルミに戻している。

 

 才能はもちろん、キルアはあの「何か」の……、ゾルディック家の地下深くに封じた「アルカ」の内に潜む、得体のしれない怪物の手綱になり得る。

 それだけでも手放せるわけがない存在なのだ、キルアは。

 

 父親として「好きに生きろ」と背を押してやった言葉や思いに、嘘はない。

 しかしシルバは「キルアの父」以前に「ゾルディック家当主」だと、何の疑いも不満もなく思っている人間だった。

 

 彼の「好きに生きろ」という言葉は、「ゾルディック家の迷惑にならない範囲で、ゾルディック家に利益をもたらす形で」という前提が、自然についている。

 嘘はないが、初めからキルアとの認識とは酷いずれがあることをシルバは気付いていたが、あえて無視した。

 その認識のずれを指摘してしまえば、それこそキルアは完全にこの家に失望して、もう二度と帰ってこないことくらいわかっていたから、あえて言わなかった。

 

 家から出てしばらく好きにさせる許可を出したのは、明らかにキルアが良い方向に成長していたから。

 殺しを嫌がるようになってしまったのは残念だが、元々その傾向はあったので仕方がない。

 アルカのことを忘れさせてから続いていた情緒不安定が安定して、感情の制御が出来るようになり、視野が広がったのはシルバにとって僥倖で、そしてそれが誰の影響かなど一目瞭然。

 

 ゴンやその他の仲間の影響はもちろんあるが、一番大きいのはあの何でも肯定して受け入れて支えてくれる、ドライなのか博愛主義なのかよくわからない、蒼天の死神。

 イルミの報告やキルアの話からして、ソラがキルアを気に入ってくれていることは明白。

 キキョウからも、「キルアの敵は例外なく私の敵だ」と宣言されたことを聞いて、シルバは安心する。

 

 彼女に任せていれば、外に出てあっさり死ぬという事態はまずないだろうと。

 そして彼女の価値観からして、殺しを全面的に否定はしない。自分たちが望む方向にキルアを誘導は決してしてくれないだろうが、不都合な方向に積極的につれてゆくということもあり得ないことを、カルトの一件で知っている。

 

 ソラが積極的に誘導しないのならば、確実にキルアはあの「誓い」を、シルバと交わした「誓約」を破ってしまうことは、簡単に想像がついた。

 

 そうするしかないのだ。

 イルミによって埋められた極小の針によって、キルアは友達よりも何よりも、自分の命を優先してしまう。

 キルアに無自覚で、キルアの自意識を奪わない程度の洗脳なのでその効果は酷く微弱な、下手したら念能力者でなくても頭の中に響く命令をキャンセルすることが可能なはずの針だが、イルミがその針に込めた命令は生存本能に訴えかけるもの。

 

 どれほど優秀な催眠術師でも、「自殺しろ」という類の催眠は、それこそ自殺願望の持ち主でない限り不可能だ。本心から望んでいないことを、どれほど頭の中で強制的に命じられても、心か体のどちらかが激しく拒絶するから。

 だからこそ逆に、「絶対に死ぬな」という命令は、微弱なオーラでも絶大な効果を現す。

 ソラ曰く、抑止力級の本能をさらに後押ししているのだから、念能力者はもちろん非能力者の少年に太刀打ちできるわけがないのだ。

 

 だからシルバは確信している。

 必ずキルアは、最終試験のように仲間を裏切って、自分の命を優先してしまう。

 

 そしてキルアは、父親であるシルバを尊敬して憧れているからこそ、そんなシルバが送り出してくれたのに、信じてくれたのに、だからこそ誓った誓約を守れなかった罪悪感で勝手に自分で自分を縛り、失意にまみれて戻ってくることが簡単に想像がつく。

 方向性は家族の誰とも違うが、プライドが高いからこそ責任感がある所は一番、自分とキルアが似ているとシルバは感じていた。

 

 一抹の不安は死者の念すら殺しきるソラの異能だが、ソラの除念は念能力を無効化する・掛けられた念を外すというものではなく、完膚なきまでに壊しきって殺しきるというもの。

 キルアを守ると宣言した彼女では、キルアの脳に埋め込まれて微弱すぎて取り除くのも、それのみ破壊するのも困難なあの針は、存在に気付けても手出しは出来ないだろうと踏んだ。

 そもそも、気付いて取り外せるのならば、キルアの針はハンター試験中に既に外されていただろうから、この考えはまず間違いないとシルバは確信している。

 

 彼女から敵認定される可能性もあるが、あくまであの針はキルアの生存確率を上げさせる為のものなので、何とでも言い訳はきく。

 もちろん、言い訳であることに彼女が気づかない訳はないだろうが、その針に込められた命令はキルアを死なせたくないという親として、家族としての愛情が根本であるのは事実。

 だからこそ、彼女は不満を覚えても文句はつけられない。そこに文句をつけるほど、彼女自身の生存願望が甘くないことも、シルバはイルミと彼女のやり取りで把握済み。

 

 そこまで考えて、何もかも上手くいっていることにシルバは笑う。

 キルアが家出した時は頭がひたすら痛かったが、あまりにシルバに都合がいい方向に物事が進んでいる事実に彼は機嫌よく笑い、呟いた。

 

「あいつは、俺の子だからな」

 

 その笑みは、どこか遠い世界に存在する「魔術師」という生き物によく似ていた。




下種いシルバさんを書くのはちょっと楽しかった。
シルバの本質は、たぶんトッキーに近いと思ってます。

親としての真っ当な愛情は確かにあるんだけど、「親」以前に「魔術師」なトッキーと同じく、シルバも「親」以前に「暗殺一家の当主」だと思います。

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