GIRLS und PANZER〜少年は戦車道になにを望むか〜 作:紅葉久
ようやく五章に突入です。
1.鮮やかな記憶、輝かしい過去
それは、輝かしいまでの鮮やかな記憶。
限りなく鮮やかな、少女がずっと胸に留める過去。
ただの戦車乗りだった少女が、眩しいほど輝かしくも――世間に蔑まれる
その日の出会いを、少女は決して忘れることはない。
たとえ“今”がどう変わろうとも、過ぎ去った“過去”は変わらないと信じて。
それがひとつの偶然で、運命と思えるように。
刻まれた記憶は、ただ少女の中に輝きを放つ。
それは衝撃から始まる。思い出の一幕。
◆
それは少女にとって、衝撃だった。
瞬くように駆け抜ける“ソレ”に、少女は文字通り戦慄した。
その日は、練習試合と言う名の交流戦だった。
愛知県にある中学校と決まった試合。
その学校のチームに特質した情報は特にない。強いて言うなら、ここ一年で名を上げていると言う点だけだろう。
神奈川県の中学校に属する少女には知る由もないが、愛知県では中々の実力を持つ学校と言われているらしい。
それがまず初めに少女が知った試合相手の情報だった。
しかし不思議なことに大会では成績が良くない。それなのに練習試合などでは、愛知県内では負け無しと言われている妙な話がある学校らしい。
公式戦では実力を出せない本番に弱い学校なのか、それとも優秀で気分屋な隊長がいるからなのか、はたまた特出した才能を持つ変人の選手達がたまたま集まっただけかは、分からない。
とりあえずは、その愛知県にあるその学校と試合をすることになった。それだけだった。
所謂、遠征というものだ。今回は少女が属する学校が愛知県への遠征をするらしい。
高校生でもないのに、学園艦に所属してない身から言えば珍しいの一言だった。
神奈川県を代表する学園艦にある『聖グロリアーナ女学院』の影響を大きく受けている少女の学校は、イギリスの戦車を中心として使われている。
少女が属する学校からも、聖グロリアーナ女学院へ入学する生徒もかなり多い。
しかしながら偏差値が高いことでも有名であるので学力が一般以上あるか、戦車道で特待生にでもならない限り、入学はかなり難しいという門が狭い学校と少女の地元では有名な話だった。
戦車道。それは少女が嗜む武芸だ。
乙女の嗜み。礼節のある、淑やかで慎ましく、凛々しい婦女子を育成することを目指した武芸と言われている。
名前の通り、戦車を使う。ということは勿論、試合でも戦車は使われる。
当然だと思うが戦車の移動というのは、かなり面倒なのだ。
剣道や弓道のように道具を手軽く持ち運べるものではない。戦車数両で一般公道を勝手に走ることが出来ないので、運搬用の特別な車や船で移動しないといけないから非常に手間が掛かる。
故に、学園艦というのは非常に戦車道をするのに最適な乗り物だ。
船で学校ごと移動する。戦車も手軽く運べるので、練習試合もそれほど手間ではないだろう。船を運用する整備班などの苦労は除外するとして、になるが……
それはともかく、少女が属する中学校は陸にある。よって戦車の運搬などは学園艦と違って本来“かなり面倒”なのだ。
だからこそ、中学校では同じ県内でもない限り練習試合はあまり行われない。
資金を多く持つ学校なら別だが、仮にあったとしても練習試合に資金を大盤振る舞いする学校も稀だ。
という少女も、気づけば三年生。自身の所属する学校で戦車道を三年やって来たが練習試合、それも県外とすることはあまり多くはなかった。
実力のある有名校と年に数回、稀にある親善試合くらいだった。
少女が三年になり、戦車道チームを率いる隊長となって今回が初めての遠征試合になる。
今までを知っていたからこそ、少女は心から珍しいと思うばかりだった。
そんな妙な学校とわざわざ遠征してまで練習試合をすることになるとは、夢にも思わない。
それを少女は顧問に問うてみた。その問いに、顧問は意外そうにしながらも、面白そうに答えたのが当時の少女には印象的だった。
『きっと、面白い試合が出来るわ。貴女達に新しい風をくれる試合になるかもしれないからね』
その言葉の意味を少女はよく理解できなかった。
しかし試合をして、少女は否応なく理解させられた。
間違いなく、この試合は自分達を変えることになる。
それを知ることになる原因が、たった一両の戦車とは夢にも思わないだろう。
◇
「くっ……! こんなことが……!」
顧問の言葉を思い出して、少女が苦悶した。
まさしく噂通り、大会で成績が出ない理由がわかる。
ある程度まで大会で成績を出しても、練習試合と公式戦で成績の違いが違うと言われる学校の理由がこんなにも単純だとは思わなかった。
大会に出場していた車両構成を事前に聞いていた。資料に並べられる車両を確認し、実際に試合をするとリストに載っていなかった車両が一両試合に参加していた。
まさかその“たったの一両”の戦車で、ここまで苦戦を強いられるとは夢にも思わなかった。
「全車両、慌てずに前進! 私と一両は後ろから来るクルセイダーを抑えるわ! 他の車両は前から来る車両を抑えて!」
駆けるクルセイダー巡行戦車Mk.Ⅲを見据えて、少女は車内と全車両に指示を出す。
その一両の戦車。よりにもよってクルセイダーに苦戦することになるとはと。
試合が始まって、互いに森の中で接敵する静かな時間にソレはやって来た。
フラッグ戦であることから、右側面から飛び出して自陣へと迫る戦車はフラッグ車ではない。
不整地を少女が見たことがない走りで走るクルセイダーを見た途端、一瞬思考が止まった。
妙な走りだった。不整地である以上、車体が大きく揺れるはずの道で何故か必要以上に車体が揺れていない。
キューポラから顔を出している顔は、確か試合前に挨拶した隊長だった。名前は――安斎千代美と名乗っていた。
通常、隊長が率先して前に出て来ることなどあり得ない。
指揮を執る人間が最前線に出て撃破されれば、その時点で試合は終わったも同然だ。統率の取れないチームに、勝機などある訳もない。
その筈が何故こんな序盤に、こんな突撃という暴挙に出ているかと少女は理解の範疇を超えていた。
愚か、それ以外の言葉もない。
そのような自滅行為に、少女が指揮するチームが負けるはずもない。
何が自分達を変えるかもしれない試合だ。馬鹿馬鹿しいと、少女は嘆息した。
わざわざ遠征までして、こんな素人みたいな試合をすることになるなんて思いもしない。
「右翼、転回。さっさと終わらせましょう」
せめてもの情けで、すぐに終わらせてあげようと少女は溜息混じりに指示を出す。
自身の乗るフラッグ車を中心として、左右に各二両を展開した鶴翼の陣の内、右に配置した二両をクルセイダーへ向ける。
「砲撃、開始」
そして少女の指示により、迫るクルセイダーは華々しく白旗を上げるだろう。
戦車内からその行く末を見据える少女だったが、砲撃音と共に起きた出来事に……目を疑った。
「……何をしているの? しっかり当てなさい」
不思議なことに、右二両の砲撃が正面から迫って来るクルセイダーに当たらなかった。
左右に大きく動くような素振りは見られない。前からまっすぐ向かって来るだけの的に当てられていないことに、少女は眉を寄せた。
「再度、砲撃」
続けて、砲撃の指示を出す。
しかしその指示からすぐに砲撃が開始されても、その砲撃がクルセイダーに当たることはなかった。
「何をしているの⁉︎ しっかりしなさい!」
これには堪らず、少女は少しだけ声を大きくした。
いくら舐めていたとしても、これは見逃せなかった。
まさか射線から動かない的に当てることが出来ない砲撃手が乗っているのかと。
しかし通信で聞こえた返事は、奇妙だった。
『当たった筈です! 間違いなく照準も合っていました! 隊長、あのクルセイダーは変です!』
「一体なにを言って……!」
再度砲撃指示を出す。そして少女は目を凝らして、クルセイダーを凝視した。
炸裂する砲撃音。そしてクルセイダーへ飛翔する砲弾。
その瞬間、起きた出来事に少女は目を見開いた。
「避けている……? あの僅かな動作で?」
砲撃が炸裂する数秒前、クルセイダーの車体が僅かに左にズレていた。走行する振動や地面の揺れなどで起きたと錯覚したが、少女の勘が告げていた。
まぐれではないと。
三度の砲撃を潜り抜け、右端に配備されていた車両へクルセイダーが接近する。
こちらの右翼の次弾装填まで時間を要する。左側の車両からの砲撃では右側に配置している味方へフレンドリーファイアを起こしてしまう。
その僅かな隙に、クルセイダーはすかさず入り込んだ。
一度左へ移動し、マチルダIIに対して左側から接近する。
クルセイダーが右端に位置する戦車――歩兵戦車Mk.IIマチルダIIを軸に時計回りで車体を滑らせた。
ドリフトと呼ばれる動きだった。そして車体が急に一時停止したと同時に砲撃音と履帯の駆動音が鳴り響く。
ほぼ零距離からの側面への砲撃。結果は言うまでもなくマチルダIIに白旗が上がり、撃破判定になっていた。
そしてその事実を突きつけられるよりも、目の前のクルセイダーに少女は目を奪われていた。
砲撃からまるで停止していないようにクルセイダーが後退。残った右側一両の砲撃も外れ、全車両から放たれた砲撃を掻い潜ったクルセイダーはすぐに森の中へと消えていった。
「なんて……なんていう……!」
少女は先程まで起きていたこと。この目の前で起きた事実に言葉が出なかった。
通常、戦車の行動はどれだけ早くしても遅い。
停止から移動までの時間。砲撃から次の移動までの時間。全ての動作に戦車は“一定時間の動作”が必要になるはず……なるはずだった。
「なんですか……今の……普通じゃない」
少女の乗る戦車の砲撃手から、そんな声が漏れる。
車内全員が、先程の出来事に言葉を失っていた。
砲撃が当たらず、瞬く間に側面に接近し、砲撃余韻もなく立ち去って行ったクルセイダー巡行戦車Mk.Ⅲ。
見たことがない動きだった。足の速い戦車は今まで沢山見てきた少女達だったが、今のクルセイダーは別格だった。
全ての動作が一連の流れで行われた。まるでそれが当然と言われるように。
どんなに速い戦車でも、必ず停車する時間が存在するはずなのだ。なのに、あのクルセイダーにはソレが無かった。
一瞬、少女は感動すらした。
ここまで自在に戦車を操れる乗り手に、未だかつて出会ったことがない。
中学校なら全国レベルだと言い切れた。いや、全国でもあそこまで繊細でかつ大胆な操縦技術を持つ中学生など聞いたことがない。
何故、こんな選手が表舞台に出てこないのか?
そもそも何故クルセイダーを公式試合に出さないのか?
色んな疑問が脳裏を過る。しかしそんな疑問が浮かんでも現実として目の前に実際にいる以上、それをやり切る選手が現実にいるのだ。
表舞台で出てこないこのクルセイダーは、間違いなく強敵となり得る存在と確信した。
少女はゆっくりと通信機に手を伸ばし、静かに告げた。
「全員、気を引き締めなさい。アレと今後戦える日はそうそうないわ。今日の試合を今後の糧にする為に……全力を持って挑みなさい!」
そんな選手がいるチームと試合出来ることを、少女は誇りに思った。
間違いない。この試合は、今戦っている自分達にとって刺激となり得ると。
全車両の隊員の返事を聞いて、少女は静かに頭を回転させる。
あのクルセイダーと残りの四両またはフラッグ車両を撃破する方法を。
こちらの戦車の装甲の硬さを利用した浸透強襲戦術を使うのが妥当。しかしクルセイダーが厄介極まりなかった。
こちらの放つ砲撃をあのような動作で回避されれば、こちらの隊員の士気が下がるのは明白だった。
まだ砲撃手が拙いという理由なら、本人にも納得ができるだろう。しかしそれが相手が奇妙という理由なのだからタチが悪い。
自分の撃った砲撃を最低限の動作で回避されるということは、つまり相手に射線を把握されているということに相違ない。
放物線を描く戦車の砲撃でそんな芸当をできる人間自体が奇妙極まりないのだが……その点は無視する。
それはともかくとしてそんな動作で回避をされ続ければ、撃たれ続ける相手戦車より、回避され続けられている味方の砲撃手の心が折れる。
たった一度の接敵で、少女が率いるチームのメンタルが揺らいでいる。
あのクルセイダーを降さない限り、こちらに軍配は上がらない。
それを確信させるほど、あのクルセイダーは異質だった。
――まるで砲弾が戦車を避けているような動き
どこかでそんな言葉を聞いたことがある少女だったが、脳裏に浮かぶ言葉をすぐに追い払った。
今は試合に集中しなければならない。既に五個の駒の内、一個を失った。
向こうの駒は五個。少し少女達の分が悪い。
更にフラッグ車両を先に知られてしまったことが痛手だろう。
少女はいつ現れる変わらないクルセイダーに神経を張り巡らせて、全車両へ前進の指示を出した。
「前方十時の方向に敵影確認! 距離五百!」
味方からの連絡を受け、少女は告げられた方角を確認する。
相手は少女が見る限り、チグハグな編成だった。国の統一感もない、掻き集めた編成のチームというのが妥当と言えるだろう。
そんな四両の内、一両の戦車に白いフラッグがあるのを確認。相手のフラッグ車両だ。
フラッグ車両を少女は各隊員に伝え、少女はすぐに告げた。
「全車前進、フラッグ車両を叩くわ。あのクルセイダーがいつ来ても良いように各車長は側面を警戒、背面は私が警戒するわ」
『了解!』
果たして、両者のチームが接敵する。
互いに砲撃を放つが互いに距離が離れていることと森の中ということで砲撃が木に邪魔される悪環境での戦いだった。
この状態ならば、少女のチームに分があった。
高装甲を活かして、前からの砲撃に関してはそう簡単に装甲を抜かれない。
こちらは所謂壁だ。その壁が壊される前に相手を撃破する。簡単な話だ。
しかし少女は前の戦車達を眼中においてはいなかった。
おそらくアレは陽動だと、フラッグ車両を使ってまで行う危なげな陽動と看破した。
本命は、あの安斎という隊長が率いるクルセイダー。
乱戦時に現れるか、それともある程度接敵した瞬間のこちらの動揺を誘う手を打ってくるか……考えられる方法は幾重にもあった。
だからこそ逆の立場で、少女は考える。
自分のチームに“あのクルセイダー”が居たとして、あの奇抜な動きを常時出来ると想定して。自分はどうやってこの状態で“あのクルセイダー”を使うかと。
少女は言うまでもなく、ひとつの方法を選ぶだろう。
乱戦時ではフレンドリーファイアの恐れがあり、クルセイダーを間違えて撃破する可能性もある。
長距離の撃ち合いでは、突然現れても意味がない。
と言うことは、答えはひとつ。
互いに有効打を撃てる中距離、一番気を張って居なければいけないタイミングで――
「全車両、慌てずに前進! 私と一両は後ろから来るクルセイダーを抑えるわ! 他の車両は左から来る車両を抑えて!」
後方からクルセイダーが現れると同時に、少女は四両中の二両をクルセイダーの迎撃に当てた。
キューポラから少女がクルセイダーを見据える。同じくクルセイダーのキューポラから見える安斎が意外そうな顔を見せるのが癪に触った。
まさか簡単に読まれるとは思ってなかった、と言いたげな顔が少女は小馬鹿にされているような気がした。
しかしクルセイダーは止まらなかった。
不整地でも揺らぐことのない走りで、少女の率いる二両へと迫る。
「砲撃開始ッ‼︎」
至近距離に接敵される前に、潰す。それが少女選んだ答えだった。
放たれる二発の砲弾。しかし安斎の顔に揺らぎはなかった。
少女も同時に戦車から放たれ、なおかつ先程の回避は出来ない幅で飛翔する砲弾を躱すなど出来ないはずだ。
真っ直ぐに向かってくるクルセイダーへ、左右へ逃げられない二発の砲弾が迫る。
しかしクルセイダーは、またもや少女の想定を超える動きを見てた。
「……なっ⁉︎」
クルセイダーが一瞬の間に、車両一両分左にズレていた。
少女から見て、クルセイダーの左に移動する姿は一瞬しか見てなかった。
少女の体感で瞬きをするような一瞬に、クルセイダーは移動していた。
勿論、そんな動きをされればこちらの砲撃は回避されるも同然だった。
「次弾装填急ぎなさい! クルセイダーを近寄らせないで!」
少女の中で目の前のクルセイダーへの警戒レベルが一段階上がった。
間違いなく、このクルセイダーは“異質”そのものだった。
近寄られれば、確実に撃破される。確信を持って断言できた。
しかし続けて放たれる二発の砲弾も、クルセイダーは難なく回避して接近してくる。
少女の背筋に汗が走る。不味い、このまま接敵を許してはいけない。
「――そう、それなら」
その時、少女の頭に活路を見出した。
確率は低いが、試してみる価値はあると自分の戦車道の経験が告げる。
少女は脳裏に浮かんだ“案”を自車両の砲撃手に伝えると、砲撃手は驚きながら答えた。
「本当にソレ大丈夫なんですか⁉︎ この状態で⁉︎」
「やってみなさい。私の考えが正しかったなら、多分上手くいくわ」
「……わかりました」
不安げな表情を見せるも、砲撃手は少女の命令に頷く。
そんな会話の中、クルセイダーは着実に接近してきている。
しかし少女は先程よりも冷静にタイミングを計る。そして他の車両に命令を出して、少女は機会を待つ。
クルセイダーを見つめ、周りに気を張る。そして味方車両から砲撃が放たれた瞬間、少女は命令した。
「砲撃!」
味方の砲撃とタイミングを遅らせて、少女は自車両へ砲撃命令を告げた。
少女の声と共に放たれる砲撃。先に放たれている砲弾を追いかけるように飛んでいく。
先の初弾をクルセイダーが“左”へ僅かに移動して回避する。
そして少女の命じた砲撃手が放ったクルセイダーに対して僅かに“左”へ照準を移動して放つように命じた砲撃が、少女の予想通りクルセイダーへ向かっていた。
「これなら……!」
少女の予想通りだった。
クルセイダーは先程から“左”へ車体を移動する場面が多かった。
おそらくは乗り手の癖だろう。少女はその癖を利用して、回避した瞬間を狙った。
当たる。撃破出来る。そう思った。
しかしその砲弾の行く末に、少女は苦悶した。
放たれた砲弾が、クルセイダーの側面を掠った。いや掠められたというのが正しかった。
大きな音を立ててクルセイダーの側面を砲撃が僅かに削る。そしてその側面からの衝撃にクルセイダーが大きく左へ車体を揺らした。
「あの状況で、更に移動したですって……?」
これには少女も目を見開いた。これまでにない手応えだと思うばかりの砲撃だった。
しかし回避された以上、次の行動を考えなければならない。少女はすぐに次弾装填を急がせた。
左に大きく移動したクルセイダーがそのまま左へと駆ける。
そして次弾装填までの時間の間に、クルセイダーは少女の四両の内の一番右の車両に後方から迂回して接敵した。
先程の状況が終わった後でも、引く気は毛頭無いらしい。
クルセイダーのキューポラから見える安斎が車内に向けて、驚いた顔をする。
そうして右端の戦車へ接近したクルセイダーが左側の戦車達に隠れるように、車体を右端にいる戦車へ移動した。
先程見た車体移動だった。ドリフトをするような流れで移動し、そして戦車の陰に隠れた途端、砲撃音が響く。
そしてクルセイダーはすぐに後退するとそのまま後ろへ下がっていた。
これで二両が撃破された。
少女の表情が芳しくない。またひとつ劣勢になってしまったからだ。
前から四両の砲撃、更に自在に動くクルセイダー。
対して、こちらはフラッグ車と二両の戦車。
なんとかして、先に相手フラッグ車を撃破しなくては。
クルセイダーが後退していくのを見て、少女は思考する。
しかしクルセイダーの次の行動に、少女は考える余地すらも失った。
「一体、なにを、しているの?」
少女が思わず口を開けて、見ていた。
後退、バックして離れていくと思っていたクルセイダーが“バックしたまま”大きくUの字を描くと、そのまま戦車の背中を見せた状態で少女達の乗る三両の戦車へ向かってきていた。
もはや操縦手の頭がどうかしているとしか思えない。
戦車にバックミラーなど無い。ということは、あのクルセイダーに乗る操縦手は狭い視野に加えて前しか見えない状態でバックしたままこちらへと向かってきている。
クルセイダーのキューポラから安斎が少女達を見据えて、何かを話している。間違いなく通信機での連絡だ。
操縦手とやり取りしていると思うが、それでも無茶苦茶だった。
口頭で伝えられた情報でクルセイダーの操縦手は見えない道を走っている。
走りによろめきはない。確固たる意志で、走っている。
そんなクルセイダーが少女達の三両の戦車を軸に時計回りで移動する。
そして今度は左端にいた戦車へと、弧を描いて接近していた。
絶えず少女の戦車が放つ砲撃も、横へと移動している状況では当てることすら出来ない。
左端の戦車へバックしたまま接近するクルセイダーは瞬く間に走りながら半回転して、気づけば左側にいた戦車の側面に丁度良く零距離で砲撃を放てる状態になっていた。
同時、砲撃音が響く。遂に……三両目が撃破されていた。
「――――」
その時、少女は――心から畏れを感じた。
そして、心から目の前のクルセイダーを称賛した。
その走りに淀みなく、自由自在に駆け巡ったクルセイダーの姿に……少女は全身に鳥肌を立てた。
まるで羽が生えたような軽々しい戦車の動き、自分と同じ人間が乗っているとは到底思えなかった。
ひとつの芸術、そう言っても過言ではなかった。
ただ上手いなどという言葉で片付けて良いモノではない。
それこそ相手に対して無礼と、少女にはハッキリと言えた。
敵として、未だかつてない畏れを抱いた。
戦車に乗る者として、心からの称賛を送った。
ひとりの人間として、ただ感動していた。
そんな感情を少女が感じるなか、クルセイダーは絶え間なく動いていた。
もはや二両となった少女達に、勝ち目はない。
そんな二両にクルセイダーが少女の戦車を守る一両に接近していた。
また同じように、放たれる砲撃を回避してクルセイダーが少女を守る最後の戦車の側面へと。
しかしその時、少女の耳に聞こえるはずのない“音”が聞こえた。
――ガコン、と大きな音が響いた。
クルセイダーの車体が大きく揺れる。本来側面で止まるはずのクルセイダーが大きく弧を描いて移動していた。
少女が思わず、目を大きくしていた。
クルセイダーの左の履帯が、外れていた。移動の軸となる足が壊れた瞬間だった。
しかしクルセイダーは残る右の履帯を回転させながらも、車体を無理矢理敵戦車へと合わせる。
気づけば、こちらの戦車の砲塔がクルセイダーへ向かっていた。
クルセイダーが停車し、砲塔が相手戦車へと向けられる。
瞬間、大きな炸裂音が二つ鳴り響いた。
白旗が互いの戦車に上がる。それは紛れもなく、撃破扱いの白旗だった。
呆気ない幕引きだった。
まさかあのクルセイダーが車体の破損が原因で撃破されるとは、少女も思ってもいなかった。
果たして、四両失ったフラッグ車両だけを残す少女のチームとクルセイダーのみを失った相手チームの四両が向かい合う。
「……完敗だわ」
迫る四両の敵戦車へ砲撃しながらも、少女は静かに呟いた。
紛れもなく、これは完敗だと。
そして四両の戦車に囲まれた少女の戦車は、瞬く間に白旗を上げた。
◇
「安斎さん。あのクルセイダーに乗っていた操縦手はどなたです?」
試合が終わり、各学校で片付けをしているなか――少女が安斎に近くなり、そう質問していた。
長い髪を雑にひとつにまとめた背の小さい少女――安斎千代美が少女へ向くと、
「ん? ああ、アイツのことか?」
近くで整備されているクルセイダーを見つめて答えた。
少女は安斎に摑みかかるような勢いを抑えて、静かに告げた。
「会わせてください。あのクルセイダーを操っていた操縦手に、是非とも会わせていただけないかしら?」
懇願する少女に、安斎が少し悩む素振りを見せる。
しかし少し考えて納得したように頷くと、安斎はクルセイダーに向かって叫んでいた。
「和麻ー! ちょっとこっちに来い!」
安斎が呼んだ名に、少女が耳を疑った。
「和麻……?」
思わず、自身の口で復唱してしまうほどに。
そしてその和麻という名前から、少女の行き着いた答えに少女自身が驚いた表情を見せていた。
「まさか、男の人が戦車に……⁉︎」
あり得ない。少女はそう思った。
男が戦車に乗るなんて、聞いたことがない。
乙女の戦車道と呼ばれる武芸を、まさか男がしているなど到底あり得て良い話ではなかった。
少女の言葉に、安斎が僅かに目を鋭くさせた。紛れもない非難の目だった。
クルセイダーのキューポラから、一人の少年が姿を見せる。
少し長めの髪に、幼さが少しあるも凛々しい顔立ちをした少年だった。
その少年が安斎の呼び掛けに反応すると、彼は手慣れた動きでクルセイダーから降りて安斎のもとへ走ってきた。
少年が「先輩、なんですか?」と忙しいと言いたげな表情を見せる。そして少年が安斎の前にいる少女を見ると、不思議そうに小首を傾げた。
安斎はそんな少年の反応を無視して、彼に向かって誇らしげに腕を広げた。
「では、紹介しよう。これが我がチームのエースだ。男だろうと女だろうと関係ない。これが私の大事な切札であり、私の大事な後輩の百式和麻だ」
「百式……? はっ‼︎ まさか貴方、あの噂の百式流の⁉︎」
安斎に少年を紹介され、少女はその名を聞いた途端、思い出した。
前に聞いたことがあった。
西住、島田と並ぶ名家の百式流。
その百式流に、異端児と呼ばれる男の操縦手がいると。
まさか目の前の男子が、噂のソレだとは夢にも思わなかった。
「どんな噂か想像が出来ますが……初めまして、百式和麻です」
和麻は少女の反応に面白くないと口を尖らせる。
少女は和麻の反応に慌てて謝罪した。
「そういう意味ではないの。気分を悪くしたなら正直に言って……ごめんなさい」
「あぁ……いえ、別にそんな風に謝らないでください」
少女の対応に、和麻が毒を抜かれたように大人しくなる。
まるでそんな対応をされたのが珍しいといえる反応だった。
安斎はそんな和麻の肩に手を置くと、楽しそうに笑っていた。
「コイツは“そういう反応”には慣れてなくてな。大目に見てやってくれ、それとその言葉で“さっきの言葉”は聞かなかったことにしておくから」
さっきの言葉とは、間違いなく少女が口にした『男なのに戦車に乗っている』という発言だろう。
その発言を少女がした時、安斎は敵をみるような鋭い視線を少女へ向けていた。
安斎がその意味を込めて話した内容に、少女は静かに目を伏せた。謝罪の意味だった。
「和麻、この人は分かると思うがさっきの試合の隊長さんだ。何か言いたいことはあるか?」
安斎に少女のことを紹介され、和麻は納得した表情で少女を見やった。
少し悩むと、和麻はすぐに口を動かした。
「クルセイダーが砲弾を避けた時、左にズラして砲撃したのはたまたまですか? それとも、分かっていて?」
和麻のその質問に、少女は頷いた。
「えぇ、半分は勘でしたが……左に避けているのが多かったので多分癖だろうと」
少女に言われると、和麻は参ったと言いたげに頭を乱暴に掻いていた。
そして悔しそうに顔を顰めて、和麻はどこか納得したように肩を落とした。
「やっぱり治さないと駄目か……母さんに言われた通りだ。それにしても、まさか俺の癖を初見で見抜いてくるとは思ってなかったです。思わずカッとなってしまいました」
「そうだぞ! 引けと言ったのに勝手に前に出るんだからこっちは冷や汗ものだったんだからな!」
安斎が和麻の脇腹を肘で突く。和麻はそれに対して反論出来ないのか、困った顔をして謝っていた。
「まぁそれは過ぎた話だ。今後気をつけろよ、和麻」
「はい。精進します」
「それで良い。それにしても……まさか和麻に“クイック”と“アクセルブロー”、更に“ドライブアクション”まで使わせるとは、神奈川県の有名校は流石だ」
二人の会話が一区切りし、安斎がふと少女にそんな言葉を投げ掛けた。
少女は安斎の話がよく分からなかった。知らない単語をいくつか話されて、少女は眉を寄せた。
「なにを話しているの?」
少女の問いに、安斎は質問の意味を理解すると申し訳なさそうに「あぁ、すまない」と謝罪して説明した。
「さっきのは和麻が使う百式流の技術ってやつなんだ。かなり本家とは違ってアレンジしてるみたいだが……端的に言うと、砲弾を躱す技術と相手に零距離砲撃を撃つ時に使った移動方法とかだ」
少女が説明に納得する。
なるほどと、やはり通常の技術ではなく“速度の百式”と謳われた百式流の技術だったのかと。
それならば、納得出来た。というよりも更にソレを女ではなく、男で会得している和麻に興味が湧いていた。
少女が和麻を見つめる。そしてしばらく見つめると、少女は少したどたどしく訊いていた。
「百式さん。どうして、貴方は戦車に乗るように……?」
ふと、湧いた疑問。それを少女は思わず訊いていた。
男なのに何故? という言葉が頭に浮かばない辺り、少女の和麻への見方……というよりも男が戦車道をすることへの批判的な偏見がないことを証明していた。
和麻はその質問に、少し目を大きくする。
そんな質問のされ方をするとは思っていなく、ただ驚いた。
しかし和麻は、ハッキリと答えた。
「えっ……? そんなの決まってますよ」
和麻の見せたその顔を、少女は今後忘れることはないと確信した。
それは――どこか遠い先を見つめたような、長い道の先を見つめるように、真っ直ぐ前を見据える顔だった。
「俺には憧れている人がいるんです。俺はその人が見ていた景色、その憧れた人の景色が見たい。あとは、戦車に乗るのが好きだから……ただそれだけですよ」
そして最後に楽しそうに和麻が笑みを浮かべた。
不貞腐れた顔でもなく、困った顔でもなく、心から戦車に乗ることを喜びとしている変わった少年の顔を。
『あぁ……そういうこと』
少女は心の中で、そう呟いた。
今まで会ったどの戦車乗りとも違う、まるで子供のような笑みを見せる和麻に、少女は心を打たれた。
こんなにも楽しそうに、そして誇らしく戦車に乗る人を少女は見たことがない。
そしてその顔に、その言葉に、間違いなくこの少年は少女の心へ“新しい風”を運んだ。
「そうだ。俺、まだ貴女の名前を知らないです。良ければ、教えてください」
手を差し出して、和麻が少女へ握手を求める。
少女はその手を恐る恐る握り返すと、和麻の目をしっかりと見つめて答えた。
これからの関係が続きますように、そう思い少女は自身の名を告げた。
その偶然と思える出会いが、きっと運命だと信じて。
「初めまして、百式和麻さん。私の名前は――」
これが一人の少女と少年との出会い。
少女が少年の道に魅入られた、始まりの過去の一幕だ。
◆
随分と、懐かしい夢を見た。
心地良い微睡みのなか、少女――ダージリンがそっと起き上がる。
そっとベッドから起き上がり、部屋のカーテンを開ける。
随分と天気が良い。間違いなく、今日は晴れだと確信する。
「久しぶりに見たわ……あの夢」
そっと唇に指を添えて。少女はダージリンではなく“本当の名”を呟く。
まるであの時のように、和麻へ告げた時を思い出すように呟いて……嬉しそうに微笑んだ。
「やっと、この日が来た」
そして窓の外をもう一度見つめて、ダージリンは目を鋭くする。
練習試合が決まった日から、随分と待った気がする。
たったの一週間程度が、まるで年単位のような気さえした。
しかし、ようやくこの日が来た。
待ちに待った。待ち望んだ日が、やっと訪れた。
今日はきっと色んなことがある。
悲しいこと、嬉しいこと、きっと色んな気持ちになる日になる。
ダージリンはそれを理解して、自分に言い聞かせるように呟いた。
「和麻さん、貴方にまた会えるのなら……私は……」
どんな罪と罰を受けても良い。
ダージリンはそう思いながら、胸に当てた左手を強く握り締めた。
読了、お疲れ様です。
五章突入です。前回の話で聖グロ戦が決まりました。
ここから更に聖グロ戦への準備が加速します。
さて今回は聖グロ編の出会いの話です。
戦車道の描写に無理があると思いますが……ガルパン世界ということでお許しください。
ダージリンと和麻が出会う話、そして和麻の腕が垣間見える話でした。
この場で失礼しますが皆様に感謝します。
この度、不定期更新で続けた今作が二周年になりました。
こうして続けられたのも読者皆様のおかげです。
様々な言葉や評価を頂き、読んで頂けていることに感謝しかしていません。
これからも今作をよろしくお願いします。
感想、評価、批評はお気軽に。
頂ければ、作者も喜びます。