GIRLS und PANZER〜少年は戦車道になにを望むか〜 作:紅葉久
「ん? 言葉通りの意味だよ?」
みほの問い掛けに、杏は平然と答えた。
その返答に、みほは静かに目を据わらせていた。
「それはかずくんがみんなから信頼されていないと思ってた。そういう意味で良いんですか?」
みほを知る人間なら、それはすぐに理解できた。
更にみほを知る人間だからこそ、彼女の態度に素直に驚いていた。
あの西住みほが、怒っていると。
みほの人柄を知る人間なら、彼女が怒るところなど皆無と言えるほど見たことがない。
理不尽なことがあっても、怒りを露わにすることもなくその不条理を自分の中に閉じ込めるような人間であるはずのみほが見て取れる程の怒りを見せていた。
その変化に沙織達は勿論のこと、和麻も言葉を失っていた。
「これだけ真剣にみんなと向き合ってくれてるかずくんをみんなが信用しないと、本当に思ってたんですか?」
「向き合ってるのは、自分だけの間違いじゃない〜?」
杏の返答に、みほの目が大きく開かれた。
それは紛れもなく和麻に対する侮蔑とも言える言葉だった。
みほは知る由もないが、和麻は大洗を高校戦車道全国大会で優勝しなければ廃校という事実を知っている。それを知っているからこそ、彼は正しい手順を踏まずに荒療治とも言える方法で大洗メンバーを育成している。
しかしながら和麻自身は、正直に言えば大洗が廃校になってもどうでもいいと思っていた。
和麻がこの大洗で戦車道に向き合う大きな要因は、大洗ではなくみほが作っているのだ。
みほが和麻へ戦車道と向き合う勇気をくれたこと。これが和麻の戦車道を始めることになったキッカケに過ぎない。
だから和麻はみほ達が歩く大洗の戦車道の行く末を見るために、今の大洗を成長させようと尽力しているだけだ。
大洗の現状を知らないみほにとって、和麻が戦車道をする理由は閉じ込めていた自分の本当の気持ちと向き合うことを決め、自分達と戦車道をしてくれるということだけだ。
更に事実を加えるなら、そこに大洗の廃校問題を免れるためという理由が加えられる。
みほの考え自体、大方間違ってはいない。
それを杏は真っ向から否定したのだ。
先程の言葉は、和麻は自分自身の為にしか戦車道をしていない。そう受け取れる発言だ。
みほから見て、大洗メンバーに真摯に向き合っている和麻に対して――その杏の言葉はあまりにも和麻を侮辱していた。
「それ、本気で言ってるんですか? 本気ならで言ってるなら――」
「本気で言ってるよ〜」
みほの言葉を、杏が遮った。
「みんなに向き合ってるって建前で、百式ちゃんは誤魔化してるだけ。そうやって誤魔化して、自分の過去と向き合うのを諦めてるんじゃない? みんなを使って戦車道をすれば、自分も戦車道をしてるって気になれるし?」
杏が戯けたように小馬鹿にした笑みを浮かべる。
流石に和麻も、杏のその話を許容出来なかった。その言葉は、和麻を否定している言葉だ。
確かに、今の和麻には聖グロリアーナと向き合う勇気がない。しかし自分の戦車道を諦めたなど思ってなどいない。
自分に向き合う日が来ることなど、嫌でも理解してる。それと向き合わなければならないことも和麻は理解している。
それは和麻の内面を考えれば、当たり前だ。自分のトラウマの原因たる学校と向き合えなど、簡単には出来るわけがない。
しかし戦車道を続けるには、そのトラウマと向き合うことをしなければならない。
それを杏は、諦めていると言い切った。だから大洗の戦車道チームを使って、自分も戦車道をしているという気になって自己満足をしているのだと。
「…………」
みほは一瞬、杏の言葉に呆気に取られた表情を見せた。しかしその瞬間、彼女は目を鋭くさせていた。
「……訂正してください。今すぐ、かずくんに謝ってください」
非難の目をみほが杏に向けていた。
和麻はみほの人柄を知るが故に、唖然としていた。
ここまで誰かに怒りを露わにしているみほなど、見たことがなかった。
「嫌だよ〜、だってする必要がないじゃん?」
「今すぐッ! かずくんに謝ってッッ‼︎」
瞬間、みほが叫んでいた。声を荒げて、そして杏を睨みつけて。
今度は杏が呆気に取られた。まさかみほが罵声をあげるなど思ってもみなかった。
みほが胸に両手を合わせて、強く握りしめながら強く叫んだ。
「あなたに、あなたにかずくんの何がわかるって言うんですか⁉︎ どれだけかずくんが辛い思いをしてきたと思ってるんですか⁉︎ あんな怪我までして! すごく辛い思いをして! 本当は戦車道をしたいのに諦めるしかなかったかずくんが戦車道を始めたことをこれ以上馬鹿にするのはやめてくださッ‼︎」
そして驚いた杏は、静かにみほを見据えた。
しかしみほは、黙る杏に構わずに続けて叫んでいた。
「誰が見てもわかるに決まってます! かずくんが私達をちゃんと見てくれてるって! 辛い練習をさせても毎日ちゃんと全員を見てくれてることくらい、あなたにもわかるでしょ⁉︎」
みほの目に、涙が溢れていた。
全員がその姿に、ただ何も言えずに見ることしか出来ずにいた。
その言葉に、和麻はただ呆然として。
みほを見つめる全員が、彼女の気迫に圧倒されていた。
「毎日毎日みんなの練習が大丈夫か心配してくれて! 全員一人一人がどれぐらい出来てるかちゃんと見てて! 練習の計画も毎日考えてて! これだけ私達に向き合ってくれてるかずくんを酷く言うのは――」
そこまで言って、みほは言葉を止めた。
地面に膝を落として、静かにみほは泣き崩れていた。
誰も駆け寄ることも出来ず、みほはただ泣いた。
先程までの気迫などどこにもなく、そこにはただ泣いている女の子しかいなかった。
そしてその姿に、ようやく周りが動き出した。
「会長、言い過ぎですよ」
小山柚子が、みほに駆け寄っていた。
そっと柚子がみほを抱き寄せると、みほは声を殺して泣き続けていた。
「流石に私達も、西住さんにあれだけ言われたら動くしかないな」
「そうぜよ、黙ってるわけにはいかないぜよ」
エルヴィンとおりょうがみほと杏の間に立つ。そしてカエサルと左衛門佐も同じように杏の前に立っていた。
「会長、先輩のこと悪く言うのはそこまでにしてください! 先輩は私達のために頑張ってるんです!」
梓が一年生メンバーを連れて、杏の前に立ち向かった。
一年生メンバー六人が、まっすぐに杏に対して非難の目を向けていた。
「みほさんがあんなに怒るなんて思いませんでした。私も、みほさんと同じように怒ってます」
「みほ、大丈夫?」
「みほ殿! 私もみほ殿と同じ気持ちですよ!」
「私もアイツは気に食わないが、他の人にアイツを貶されるのも気に食わない」
華、沙織、優花里、麻子がみほに寄り添う。
「私達も行きたいのに! でも行くと百式が暴れるかもしれない!」
「キャプテン! ここは根性で我慢です!」
そして和麻を抑えるバレー部も、全員と同じ気持ちでいた。
杏に対して、全員がみほを――和麻を庇っていた。
静かに杏を見据える全員に、杏は驚きながらも「ふーん」と戯けていた。
そんな杏に、そっと桃が歩み寄った。そしてどこか申し訳なさそうに、杏に語りかけた。
「会長、流石にもう良いでしょう。やり過ぎたみたいです」
その言葉に、杏が桃に振り返る。
杏を睨む全員を一瞥して、杏は「……そっか」と納得したように息を吐いて肩を落とした。
気付くと、先程までの小馬鹿にしていた顔はなく、杏は困ったような顔を見せて――頭を全員に下げていた。
「……みんな、ごめんなさい。言い過ぎた」
今度は全員が目を大きくしていた。
先程とは違う杏の態度に、全員が困惑した。
そして杏が歩き出す。前を塞ぐ人達が杏を避けて、彼女がみほのところへと向かう。
そしてみほの前に立つと、杏は座り込むみほと目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
顔を俯かせて、柚子の胸で静かに泣くみほに、杏はその姿を見つめて「西住ちゃん、ごめんね」と呟いた。
「百式ちゃんがみんなに信頼されてるのは知ってたよ。でもね、私は確認したかったんだ。百式ちゃんの昔のことを知っても、みんなが百式ちゃんを見る目が変わらないことを……その意味、西住ちゃんならわかるでしょ?」
柚子に抱き寄せられながら、みほが頷いた。
「だから無理にでも私からそれを話そうとしてた。百式ちゃんが怒るのは当たり前だったよ。でも西住ちゃんが一番怒ったのは、正直意外だったけどねぇ……」
困った顔で杏が苦笑いした。本人も、和麻との口論になることを予想していたのに、まさか別の人間が一番怒るとは思ってなかったからだった。
「百式ちゃん、分かってるでしょ」
そして杏が和麻に切り出した。
和麻はその意味を理解していた。むしろ理解していたからこそ、それを危惧していたのだから。
「俺が戦車道なんてしてたからあんなことになったんだ。みほ達に言ったこともある。俺が戦車道をやると、誰かが傷つくと思われる。だから男が戦車道をやるのが間違ってると思われてもおかしくない」
和麻は誤魔化しきれないと判断して、吐き捨てるように言い捨てた。
その態度に、杏は呆れた表情を浮かべた。
「そう、それが間違ってるんだよ。百式ちゃん」
「……は?」
杏の返答に、和麻は思わず訊き返した。
杏は和麻のその反応に更に呆れて肩を落とすと、周りにいる全員を一瞥して、和麻を見つめた。
「馬鹿なんだよ、百式ちゃんは。自分に正直になってたくせに妙なところが変に偏屈になってさ、そんな過去なんて“私達には関係ない”じゃん。男が戦車道すると誰か傷つく? 聖グロで起きた話をこの学校に持ち出すのが、まず大きな間違い」
「人のことを馬鹿にした上に、何を言い出すかと思えば……」
「間違ってるのは自分って、まだ気づかないの?」
「……何が言いたいんだよ、アンタは?」
杏の話に、和麻はなにひとつ理解が出来なかった。
意図も意味も理解できない話を語られたところで、和麻は杏の呆れた態度が酷く鼻についた。
「百式ちゃんの過去話を聞いても、この子達は今までと何一つ変わらない信頼を百式ちゃんに向けるのは分かってたよ。じゃないとあんなにハードな練習なんて真剣にしないし……そもそも“そんな昔話”を聞かされても、百式ちゃんは百式ちゃんじゃん?」
杏は眉を寄せる和麻に、ため息をひとつ漏らした。
「私がこの子達に百式ちゃんのことを話そうとしたのは、私が確信を持てたことをちゃんと確認したかったことと……百式ちゃん自身に気づいて欲しかった」
そして杏は和麻にどこか寂しげな目を向けて、告げた。
「百式ちゃん、人の“目”を気にし過ぎだよ。他人からの視線に敏感になり過ぎてるから、そうなった。百式ちゃんがもっと自分に自信を持っていれば、そうはならなかった」
「……意味がわからない。もっとハッキリと言え」
杏の言い回しに、和麻は苛立ちを感じていた。
他人の目――視線に対して和麻は敏感になっていると、杏は説いた。
しかし和麻からすれば、それは当然と言えた。
男である人間が、乙女の戦車道を嗜んだことによる必然の話だ。
有無を言わない批判を受けた。一方的に責められた。それを和麻は身をもって経験している。
それ故に、杏は和麻が“そうなった”と語っていた。
「誰だって人に好き嫌いはある。百式ちゃんはなにひとつ“諦める”必要なんて、たったのこれっぽっちもなかったんだよ」
その言葉は、和麻の紛れもなく神経を逆撫でしていた。
何を理解して、理解したつもりでその言葉を口にしたのかと。
和麻に諦める必要はなかったと、それは彼の過去の選択を否定する言葉だ。
人生を捧げていた戦車道を諦め、仲間と共にいることを諦めた選択をした和麻の過去を杏は否定していた。
そして杏は和麻に語った。和麻の過去の選択を否定したその意図を。
「少し前に進めた百式ちゃんが更に前に進むには、まず“それ”を理解しないと意味がない。この意味がわからないから、百式ちゃんは向き合えているつもりでも何も向き合えてないんだよ」
しかしその話に、和麻は何を話しているかわからなかった。
和麻には、杏の話している話の根元になる部分が理解出来ていなかった。
何を理解していないと言うのだろうか?
何をもって、向き合えていないと言い切るのか?
和麻には杏の話す内容自体、理解の範疇を超えていた。
呆然とする和麻を見て、杏は彼が自分が語る意味を理解していないことを察した。
だからこそ杏は言わなければならないと思い、彼にハッキリと告げた。
「今の百式ちゃんだから、ハッキリ言うよ。その向き合ったつもりでずっと抱え込んでる聖グロのことなり、男が戦車道をするととかの“くだらない”考えはやめちゃいなよ」
読了、ありがとうございます。
今回は今まで和麻に色んな喧嘩を売っていた杏の出番です。
和麻が前に進むための道筋を彼女は作ってくれます。
もうしばらく杏の出番が多いと思いますが、ご理解を。
次回は、杏と和麻の掛け合いになります。
感想、評価、批評はお気軽に。
頂ければ、作者は明日も頑張れます。