GIRLS und PANZER〜少年は戦車道になにを望むか〜 作:紅葉久
きっと、心のどこかで慢心していたのかもしれない。
その通信を聞いた時、アッサムはそう思うしかなかった。
『こちらダージリン、Ⅳ号にチャーチルが撃破されたわ』
「は……?」
それはⅣ号戦車によって民家へ車体を突撃されられてしまったクルセイダーを試合復帰させて、ダージリンの乗るチャーチル歩兵戦車と合流するために全速で移動している時のことだった。
通信機から聞こえたその声に、アッサムがあり得ないと声を漏らした。
『もう通信機の使える時間が僅かしかないから、こちらの情報と指示を一方的に伝えるわ』
Ⅳ号戦車によってチャーチル歩兵戦車が撃破された直後、ダージリンは即座にアッサムへ連絡を行っていた。
試合に参加している車両は撃破判定の白旗を立てると、試合に介入することを禁止される。しかし撃破車両には猶予時間を与えられ、その間に生存車両へ通信を行えるのだが、本当に僅かな時間しかない。猶予時間が経過すると、撃破車両の通信機は使用できなくなる。
だからこそダージリンは隊長としての責務を全うするため、アッサムから返答を必要としない指示と端的な情報の共有を最優先した。
『ここから先の指揮はアッサム、あなたに任せます。“今のあなた”なら操縦手をしながらでもルクリリとローズヒップに指示は出せるはずよ。そのクルセイダーの最善たる使い方は、あなたが一番理解してると信じてるわ』
本来なら車長のルクリリかローズヒップに託される総指揮を、ダージリンがアッサムに譲渡した。
それはダージリンから向けられる、アッサムに対する最大限の信頼を示していた。
今のあなたなら、この戦況を変えられる。その絶大なる信頼に、アッサムの心が震えた。
この試合において、クルセイダーを一番上手く使えるのがアッサムだと。その言葉が彼女の心に深く突き刺さる。
今も彼女がハンドルを握っているクルセイダーは、通常のクルセイダーではない。
このクルセイダー巡航戦車は、アッサムが心から尊敬する殿方がフルカスタムした戦車であり、聖グロリアーナ女学院にとって最も大切な車両としてずっと記念館に保管されていた。
今日の試合のために、百式和麻に会うための大切な試合だからこそ、このクルセイダーをダージリンが試合に導入した。この戦車を使って試合に勝つことが、彼に対する最大の敬意だと示すために。
そんな車両をダージリンから託され、そしてチームまで託された。この状況でも聖グロリアーナを勝利に導くため最善手として、彼女がアッサムを選んだ。
これほどまでの信頼に応えるためには、この試合に絶対勝つしかない。
ずっと聖グロリアーナが待ち望んでいた百式和麻と再会するために、そして隊長から託された信頼のためにも。
もう自分は油断などしない。そうアッサムが決意しながら、通信に答えようとした時だった。
『それと最後に、今から伝えることを心して聞きなさい。あのⅣ号の操縦手は、百式流の……和麻さんのアクセルブローを使えるわ』
「なっ……⁉︎」
続けて聞こえたダージリンの通信に、一瞬にしてアッサムの表情が凍りついた。
もう油断しないと決意したはずだが、きっと自分は心のどこかで大洗を見くびっていたのだろう。
たとえ百式流の教えを受けていても、1ヶ月にも満たない素人集団の大洗には、百式流をまともに扱えるはずがない。あのⅣ号戦車がクイックを使えただけでも、百式流を知る者からすれば異常なのだ。
短期間で百式流の習得ができるわけがない。おそらくあのⅣ号戦車はクイックしか使ってこないと、そう思い込んでいた。
それなのに、まさかアクセルブローまで使ってきた。それがどれほどの異常事態であるか、それは百式流を知るアッサムだからこそ理解できた。
可能性があるとすれば、あのⅣ号戦車の操縦手は素人ではなく、人生の長い時間を戦車の操縦に捧げてきた人間であることだが……
もしも仮に、本当にあのⅣ号戦車の操縦手が戦車道を初めて一ヶ月の素人なら、それは紛れもなく――化け物としか言いようがなかった。
「……そんな馬鹿げたこと」
あって良いはずがない。そんな天才が、いるわけがない。
操縦手として卓越した技術を持っていると自負しているアッサムでも、そればかりは否定したかった。
戦車の操縦技術は、一朝一夕で身につくものではない。絶え間ない努力と日々の研鑽を続けることで、やっとの思いで身体に染みつくものだ。
天才を言われる人間が居たとしても、それは積み重ねる時間が凡人より少なくなる程度だ。どんな天才でも、努力と研鑽は絶対にしなければならない。
アッサム自身も、その例に漏れない。あの疾風迅雷と謡われた百式和麻でさえ、百式流として認められるのに五年以上の歳月を捧げている。
だからこそ、あり得るわけがない。たとえ天才でも、素人から一か月の鍛錬しかしてない操縦手風情が百式流の技術を再現できるわけがない。
だが、もしも本当に、そんな化け物が世の中にいるとすれば――
「……絶対に、この試合で倒さないといけない。そんな操縦手を認めるわけには」
決して、そんな人間を認めるわけにはいかない。
アッサムにとって、心の底から尊敬している操縦手よりも格上の存在がいると認められるわけがない。
百式和麻という途方もない努力と研鑽を重ねた天才がいるからこそ、アッサムは心の底から彼を尊敬しているのだ。
そんな彼よりも、遥かな天才がいる。そんなことを認めることは、この決して色褪せない尊敬を、そして百式和麻という天才を侮辱することになる。
そのようなことを、絶対に許すわけにはいかない。
「……心を折る。あの操縦手の心を、ここで砕かないといけない」
無意識に、アッサムがそう呟いた時、なにかが彼女の中で切れた。
後悔するべきは少し前のⅣ号戦車との接近戦で、撃破できなかったことだろう。
無理な操縦をすると、クルセイダー巡航戦車の履帯が壊れるかもしれない。そんな予想をしてしまったから、Ⅳ号戦車を撃破できなかった。
自分の見栄のために、百式和麻にお粗末な操縦を見せたくない。そう思ってしまったら……あのⅣ号戦車を手が付けられない存在にしてしまった。
あの時、そんな見栄を張らずに撃破していれば……チャーチルが、ダージリンが撃破されることもなかった。
きっと、この試合にも苦労せずに勝つことができたかもしれないのに。
そう思うと、自然とアッサムの手が首に付けていた通信機に触れた。
もうダージリンの通信可能時間はない。できることは、こちらからの一方的な言葉になる。
ならば、彼女が安心できる言葉を伝えよう。この試合に、絶対勝てると思える言葉を。
「ダージリン。この試合、絶対に勝ちます。淑女として礼節に欠ける言葉を使いますが……私、今までないほどキレてしまいました」
腹の底から湧き上がる、この怒りを制御する。
あまりの怒りで手が震えそうになるが、それすらも押さえ込む。
この気持ちは、この衝動は、全てⅣ号戦車を撃破するために使うものだから。
通信機から、ダージリンの声が聞こえなくなった。おそらく、猶予時間が経過したのだろう。
ここから先は、クルセイダー巡航戦車とマチルダ歩兵戦車のみで戦うことになる。
対して大洗の残存車両は、Ⅳ号戦車と八九式中戦車。
八九式は脅威にならない。ならば今、最も最優先するべきはⅣ号戦車の撃破のみ。
あの戦車さえ潰せば、こちらの勝利となる。
「ローズヒップ、準備しなさい」
「え、えっとアッサム様……準備ってなにを?」
その声から感じられる怒気に、ローズヒップがたどたどしく聞き返す。
その問いに、アッサムは淡々と答えた。
「いつでもリミッターを解除できるようにしておきなさい。次にⅣ号と遭遇した時、何があっても撃破するわ。たとえ相打ちになっても、絶対に」
「……っ! わっかりましたわぁ! いつでも解除できるように準備しますわよぉ!」
その決意を、ローズヒップは確かに受け取った。
そして、なによりも速さを求める彼女にとって、その指示は何よりも喜ばしいものであった。
クルセイダー巡航戦車に許されたリミッター解除。それは自損するリスクを背負って行う、秘蔵の一手。
それによって得られるものは、どんな戦車にも負けない圧倒的な速度だった。
「今だけ誇りも、あの方に向ける見栄も、全て捨てるわ。私の全てを持って、どれだけ汚れようともⅣ号を叩き潰します。ローズヒップ、クランベリー……この試合、絶対に勝つわよ」
「いやっほぅ! やったりますわぁ! 絶対にお兄様に会ってやりますのよ!」
今までにない威勢で、ローズヒップが歓喜する。
相変わらず、彼女は聖グロらしくない淑女である。
いつもなら小言を吐くアッサムだったが、今回ばかりは聞かなかったことにした。
乗員のコンディションは、少しでも高い方が良い。小言でメンタルコンディションを下げるのは得策ではない。
そう思いながら、アッサムは深くアクセルを踏み締めた。
「大通りに出るわ。Ⅳ号と接敵するかもしれないから、二人とも気を張りなさい」
『はい!』
そして勢いよく、クルセイダー巡航戦車が大通りへと飛び出した。
読了、お疲れ様です。
前話でダージリンが自車両の撃破判定を視認した直後に起きた出来事です。
また次回にお会いしましょう。それでは。