GIRLS und PANZER〜少年は戦車道になにを望むか〜 作:紅葉久
それは――今まで経験したことのない、不思議な感覚だった。
Ⅳ号戦車から砲撃が放たれた瞬間、その異変にアッサムは気づいた。
(……砲弾が、遅い?)
向けられた砲身から射線を把握し、放たれた砲弾を視認することで百式流のクイックを使うことができる。
だからこそ、アッサムは放たれた砲弾を注視していたのだが……その奇妙な異変に彼女は素直に困惑していた。
砲弾が、あまりにも遅かったのだ。
Ⅳ号戦車の砲身から飛び出した砲弾が、ゆっくりと飛翔している。
あり得ない。Ⅳ号戦車の砲撃弾速は約770メートル。こんなに遅いはずがない。
ここまで遅ければ、回避することなど造作もなかった。
クルセイダーを手早く操作して、アッサムがⅣ号戦車の砲撃を回避する。
だがその時、また奇妙な感覚に彼女は襲われた。
(今の砲撃……今までにないくらい上手く躱せた気がする)
砲撃を回避した瞬間、これまでにない手応えをアッサムが感じる。
そして同時に、先程までとは操縦の感覚が少しだけ変わってることに気づいた。
今までの操縦手としての経験から、アッサムは戦車を手足のように扱える自負があった。特に百式流を学んでから、その精度が更に増したと思っている。
でもそれは例え話であり、本当の意味で手足のように戦車を動かせるわけではない。それだけ戦車の操縦に自信がある表現として最適な言葉であるからこそ、そう思っているだけだったのだが――
今のⅣ号戦車の砲撃を躱した瞬間、本当の意味で手足のようにクルセイダーを動かせたような気がした。
(……また、遅い)
続けてクルセイダーに放たれたⅣ号戦車の砲撃を、アッサムが再度クイックを使用して回避する。
そして二回目もまったく同じ感覚で戦車を操縦できたことに、彼女は静かに確信した。
一体どういう理屈で“この状態”になっているのか不明だが、沸々と心の底から溢れる自信が告げている。
今、この瞬間、このクルセイダーを操る自分は、これまでの戦車道人生の中で最も――
「……絶好調だわ」
そう断言できるほど、アッサムは自身の調子の良さを感じていた。
決して、メンタルコンディションが良いわけではない。ダージリンを撃破され、Ⅳ号の操縦手に自身の誇りと百式和麻を侮辱されることに対する怒りは、今も彼女の心を蝕んでいる。
そして半年も操縦手として戦車に乗らなかったブランクがある以上、全盛期の実力は出し切れないと思っていたのに。
どうして、こんなにも自分の思い通りに戦車が動いてくれるのだろうか?
「――ローズヒップ! リミッターを解除しなさい!」
溢れる自信に歓喜しながらも、アッサムが的確に指示を出す。
二発の砲撃を回避した後、気づけばⅣ号戦車とクルセイダーと巡航戦車の距離は、約100メートルにまで近づいていた。
ここまで近づけば、相手の意表を突ける。
「その言葉を待ってましたわぁ! リミッター、外しちゃいますわよぉ!」
アッサムの指示を受けて、即座にローズヒップがクルセイダーのエンジンリミッターを解除する。
その瞬間、クルセイダーのエンジンが悲鳴を上げた。
全てのデメリットを度外視して、エンジンの回転数が急激に上げる。
それに呼応して、クルセイダー巡航戦車の速度が急激に上昇した。
「さぁさぁ大洗に見せてあげますわよっ! ここからは私のお兄様にも認められた! 最速の淑女たるアッサム様の独壇場ですわぁ!」
速度が上がった途端、キューポラから顔を出しながら嬉々としてローズヒップが叫ぶ。
クルセイダーの速度が上がれば、その速度の分だけ彼女が騒ぐのはいつものこと。
背後で騒ぐ彼女だが、アッサムは気にも留めずに前だけを見据えていた。
いつもならうるさいと思うのに、今は不思議なくらい彼女の声が聞こえない。
かなり集中できているのだろう。余計な情報が、まったく思考を邪魔しない。
これなら、あのⅣ号に――
「……勝つわ」
そんな溢れる自信を持って、アッサムはⅣ号に迫った。
◆
敵戦車と距離が100メートルに迫った時、その異変にみほが気づいた。
「――全員注意! リミッターを解除したクルセイダーが速度を上げます! あの速度だと作戦通り衝突した時の衝撃が大きくなるので気をつけてください!」
突然、クルセイダー巡航戦車の速度が上がった。
それを見た瞬間、即座にみほは理解した。
あのクルセイダーは、自損のデメリットを度外視してエンジンリミッターを解除したと。
「えっとえっと、あのクルセイダーって確かエンジンにリミッターが付いてて、それを外したら……」
「時速が44キロメートルから60キロメートルに上がります!」
慌てる沙織に、みほが即答する。
その速度の上昇倍率は約1.5倍。その脅威は、戦車道を嗜む者なら嫌でも理解できた。
「……あのクルセイダー、ここで私達を仕留める気か」
クルセイダー巡航戦車のエンジンリミッター解除。そのデメリットを知っている麻子が、そう判断する。
迫り来るクルセイダーから、絶対にここで倒すという意志が感じられる。その決意となる自損覚悟の行為に、静かに麻子が戦慄していた。
百式流を扱うにあたって、戦車の速度は速いほど良い。それが1.5倍にまで跳ね上がっている時点で、相手の方が数段有利になった。
「このままぶつかって本当に良いんだな」
「お願いします!」
こちらの作戦は変えない。よって対面で衝突した衝撃は、想定より大きくなる。
それを限界まで抑え込む操縦を想定するが、直感で麻子は感じた。
「西住さん。もしかしたら躱されるかもしれないぞ」
「その可能性はあります。でも可能な限りぶつかりに行ってください!」
今のクルセイダーなら、ぶつかりに行っても回避される。そんな確信があったが、それでもみほは作戦を変えない。
ならば、強引にでも衝突を狙う。足が速い戦車を一度でも止めることができれば、それだけで勝機となる。
「全員! 衝撃に備えて!」
全速で迫るクルセイダーとⅣ号戦車が、急接近する。
互いに砲撃することもなく、一直線に。
そしてその距離が20メートルに差し掛かったところで、先に動いたのはクルセイダーだった。
◆
60キロを叩き出している戦車は、急な車体操作は本来できない。
強引に車体を転回させれば、履帯が外れる可能性がある。
しかし、そんな可能性があってもアッサムは苦もなく高速度のクルセイダー巡航戦車の車体操作を行う――はずだった。
「――またそんなことをっ!」
対面のⅣ号戦車の行動をいくつか想定していたが、その中で一番されたくない行動を選んできた。
あのⅣ号は、やはりこちらの足を止めに来ている。
アクセルブローを使えると分かっている以上、おそらく使ってくると思っていたが……その選択を大洗は選ばなかった。
この至近距離まで迫っても、Ⅳ号に動く気配がない。一切の予備動作もなく迫る敵車両に、アッサムは即座に理解する。
間違いなく大洗も理解している。同時にアクセルブローを使った場合、クルセイダーが勝つと。
それならば、一番効果的なⅣ号の行動はクルセイダーの足を止めることだった。
「何度も同じ手が通じると思わないで!」
この距離でも、百式流のクイックが使えるなら砲撃が回避されてしまう。よって砲撃しても意味がない。
予定ではアクセルブローで側面を攻撃するはずだったが、あのⅣ号の操縦手なら予備動作でこちらの行動を予測される。
これだけの至近距離で一瞬でも隙を見せてしまえば、相手は確実に衝突を狙いに来る。
「そう来るなら、こちらにも手はあるのよ!」
相手の行動を予測できるなら、それに対応した手段を選べば良い。
まっすぐに向かい合うⅣ号戦車とクルセイダー巡航戦車が正面衝突する瞬間、アッサムの手足が素早く動いた。
「……む」
それに応じてクルセイダーが動くと同時に、その違和感に麻子が気づいた。
アクセルブローを使ってくる予備動作もなく、まっすぐに向かってくるクルセイダーは、きっと何か狙っていると思っていた。
だからこそ、その動きに麻子は反応した。
一瞬のうちに、Ⅳ号と正面衝突するはずだったクルセイダーの車体が大きく右にズレた。
「っ! 麻子さん! 転回っ!」
みほの指示を受けたが、はじめから麻子もそのつもりだった。
クイックの応用で、クルセイダーが大きく車体をズラしてⅣ号を避けた。その隙を、二人が見逃さなかった。
即座に麻子がⅣ号の車体を回す。右側を通り抜けようとするクルセイダーに向けて、砲身を向けるために。
「華さん! タイミングは任せます!」
「はいっ!」
麻子が砲身を合わせるなら、あとはタイミングを合わせて撃つだけで良い。
そう思って華が身構えるが、そんなことをクルセイダーが許すわけがなかった。
「アッサム様ぁぁ! ぐるんと回ってくださいまし!」
みほと近距離で向き合っていたローズヒップが、満面な笑みを浮かべて叫ぶ。
ぐるんと、回る?
その声に、みほの目が大きく見開かれた。
「麻子さん! 反転して全速でバックしてくださいっ! その後、クイックの準備!」
「……了解」
その咄嗟の指示に、慌てることなく麻子は応じた。
右横を通り抜けるクルセイダーに砲身を合わせるⅣ号が時計回りに転回する。
しかしⅣ号が三時の方角に展開した時、クルセイダーも動いた。
ぐるんと回る。ローズヒップの指示通り、クルセイダーが時計回りに転回する。
互いに転回するが、速度が上がっているクルセイダーの方が早く動く。
それによりクルセイダーに向けられるはずだったⅣ号の砲身が、勢いよく転回するクルセイダーの砲身に弾かれた。
大きな音を立てながら砲身を衝動させたことで、僅かに互いの車体がバランスを崩す。
しかし、麻子とアッサムは顔色ひとつ変えずに車体を安定させながら、次の行動を開始した。
「その隙だらけの背後を狙い撃って差し上げますわよぉ!」
互いにバランスを崩しても、二両の行動は変わらない。
クルセイダーは正面衝突を狙っているⅣ号を躱して、背後への砲撃を狙う。
本来は対面から側面を狙うアクセルブローを、側面から背後を狙うために行っていた。
「……ちっ」
相手が背後を狙っている。その狙いに気づいている麻子が、転回するⅣ号を操る。
三時から六時の方向に転回するなかで、素早く前進から後退に履帯操作を切り替える。半転後、そのままバック走をする算段を立てる。
その際の砲撃は、クイックで回避しなければならない。今まで一度も行ったことがないバック走のクイックをみほに要求された以上、できなければ撃破されてしまう。
こちらの砲撃よりクルセイダーの方が速く動いてる以上、回避に集中しなければならない。
足が速いだけで、反撃の隙も少なくなる。
改めて、足の速い戦車の利点を麻子が痛感すること瞬間だった。
「華さん! クルセイダーの砲撃を回避した後、カウンターを狙います!」
少ない砲撃の隙を狙って、みほが指示を出す。
対して、ローズヒップも車長として指示を出した。
「Ⅳ号の履帯が逆に動きましたわよ! あちらの戦車、バックする気ですわ!」
よく見ている。ちょうど見えなかった情報をローズヒップから得て、アッサムもアクセルを踏み抜いた。
「追いかけるわよ」
「了解ですわぁ!」
逃げようとするなら追うまで。
そう判断して半転するクルセイダーが動こうとした時、ローズヒップの回る視界の隅に“黒い影”が映る。
その瞬間、大通りの路地からクルセイダーに砲身を向ける八九式中戦車が近距離から飛び出してきた。
「アッサム様っ! 回るの中止! そのまま直進ですわ!」
予想外の指示を受けてアッサムが動揺を見せる。だがローズヒップの緊迫した声から、その重要性を察した。
彼女の指示のまま、クルセイダーを前進させる。
そして砲撃の音が鳴り、移動した場所に砲弾が衝突した音を耳にして、ようやくアッサムも理解した。
「ローズヒップ! 八九式の位置!」
「9時の方向ですわ!」
クルセイダーから見て、4時の方角にいるⅣ号がバック走をして離れている。
9時の方角には八九式。このままでは挟まれる状況が生まれる。
「ローズヒップ! Ⅳ号から視線を離さないで! 砲身と砲撃のタイミングを常に見ていなさい!」
現状から、アッサムは八九式の撃破を最優先した。
「ちょっと! なんで八九式があんなところから出てきちゃったの⁉︎」
「西住殿! マズイですよ! クルセイダーが一直線に向かって行きました!」
事前にクルセイダーと接敵したことは伝えていたが、まさかこんな形で出てくるとは思わなかった。
沙織と優花里が慌てるのも無理はない。みほも動揺を隠せなかった。
「磯部さん! 急いでその場から逃げてください!」
「逃げます! ちょっと思ってたのと違いました!」
その通信をしながら、逃げようとする八九式にクルセイダーが迫る。
少しでも逃げる隙を与えるべく、みほが華に砲撃の指示を出す。
「――撃てっ!」
クルセイダーに向けて、背後から砲撃を放つ。
もしかすれば、これで撃破が狙えるかもしれない。
そんな期待をしていたが、それは一瞬で砕けた。
「……あれは私でも無理だ」
その光景に、麻子の表情が凍りついた。
あろうことか、たった今放たれたⅣ号の砲撃を――クルセイダーが回避した。
背後から放たれた砲撃を、百式流のクイックで。
そんなことをされてしまえば、こちらの砲撃は無意味だった。
一瞬でクルセイダーが八九式に迫る。
そして迫った瞬間、あっという間に八九式から白旗が立った。
「……これで、残ったのは私達だけ」
なにもできずに大事な一両を、失ってしまった。
これで大洗は、車両数でも不利を背負った。
八九式を撃破したクルセイダーが、まっすぐに向かってくる。
早く対応しなければ、マチルダ歩兵戦車まで来てしまう。
「もう一度、クルセイダーと接敵します! 麻子さん、全速で接近してください!」
とにかく、クルセイダーを撃破しなければ。
焦る気持ちを抑えながら、みほは麻子に指示を出した。
読了、お疲れ様です。
多分、次回で決着です。多分です。
アッサムさん、ちょっと強くし過ぎてしまったかも()