加賀岬をテーマにした物語です。

※Pixivとのマルチ投稿です。

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そこは譲れぬ女心

 今夜の月は美しいな――彼はそう言った。

 ええ、綺麗な朧月夜ね――彼女はそう()()()()()()

 しかし、彼女は見てしまった。望んではならない未来を映す、その瞳を。

 この先は……いけない……! だって、私は――……

 

       ***

 

 ぶーん。

 きーん。

「敵艦隊見ゆ! 艦載機の皆さん、発艦して下さい!」

 びゅーん、と零式が赤城の手に誘導され――加賀のうなじに、追突。

「執務中です。お静かに」

 首も捻らず一瞥だけ送ると、加賀は何事もなかったかのように手元の書類に目を戻す。

「でもほらぁ、こういうのってインスピレーションが大切だと思いませんか?」

「…………」

 返事はないが、赤城はそれを求めたりはしない。異論があれば口にする――それが、加賀のコミュニケーションなのだから。

 赤城の両手が執拗に戦闘機の模型を振り回しているのは、建前上――作詞のため。鎮守府のプロモーション活動の一環として、この度イメージソングを発表することとなったのである。

 その作詞担当として抜擢――というより、勇猛果敢に手を挙げたのが、彼女だった。何か深い考えがあるのか、ただヒマだっただけなのか――それは判らない。何にせよ、栄えある一航戦が出張ってきたのである。そこに敢えて口を挟むほど、強い想いを抱えた(もの)もいなかった。

 詞のテーマは、赤城曰く――『戦い』

 ……とのことではあるのだが、その手遊び具合はあまり真剣に考えているようには見えない。

「第二次攻撃隊、全機発艦!」

 全機といっても、手はふたつしかないので必然的に最大二機。ぴゅー……と口笛崩れな息を吹きかけつつ、加賀のサイドテールを両側から挟み込む。

「……頭に来ました」

 一機撃墜。というか拿捕。

「あぁんっ」

 赤城の手から引ったくられた零式戦闘機は秘書机を左から右へと横断し――赤城が座る丸椅子から遠ざかるように緊急着陸させられた。

「私を攻撃しないでもらえますか」

 そうは言っても――部屋の主たる提督の席は 二隻(ふたり)から遠く離れた向こう側。手近に届くのは加賀 一隻(ひとり)のみ。

 片手が空いて手持ち無沙汰になったのか、赤城は右手と左手の間で残る九七式を行き来させている。

 そして、意地悪そうに唇を尖らせ、ポツリと――

「私、帰っていいですか?」

 加賀は黙ってペンを置く。そして、先ほど取り上げたばかりの零式を、赤城の手元へと差し出した。

 返却を済ますと、加賀は引き続き執務を再開する。だが、戦闘機の持ち主は受け取ろうとしない。

「ここに居ても、加賀さんの邪魔しかできませんし?」

 加賀は堪らず赤城に振り向く。勿論、冗談だ。 戦友(とも)の顔にはそうはっきりと書いてある。

 だが――

「お願い。まだ()()()()()にしないで」

 言葉による脅しは、きちんと言葉で撤回して欲しい。加賀は鼻の頭を朱く染め、涙目で赤城に訴える。

「わかってますって。でも、提督だって……気になさってないと思いますよ?」

「…………」

 この沈黙は、自責。例え提督が許してくれても、私は自分が許せない。その気持ちは……そう簡単に移ろうことはないだろう。

 ちょっと深刻ね――と憂いを込めて、赤城は加賀の頭を撫でる。寡黙で幼い相棒の不安が少しでも和らぎますように……と。

 

       ***

 

 あの夜の月は、とても綺麗だった。

 ぼんやりと光る真円は、どんなに眺めていても飽きることはない。

 ただ、この月に魅せられていたのは加賀 一隻(ひとり)――ではなかった。

 彼女の隣で――同じように岬から、空の彼方を臨む男が一人。

 彼は、彼女に最愛の信頼を寄せていた。

 彼女もまたそれに応え、彼に我が身を預けていた。

 ふたりを結ぶのは――命の絆。

 そんな彼らを 夜月(よづき)が照らし、気分を高揚させていく。

 いつしか、男は空を見ていなかった。

 女もまた、彼の瞳を覗き込んでいた。

 彼が見ていたのは、今ではなくもっと先。

 互いが思い描く未来のために、その言葉が彼の喉の奥から出かかったとき――

「そろそろ戻りましょう、提督」

 ――彼女は逃げた。それも、露骨なまでに。

 我々は、艦娘だから――彼女は、自分にそう言い聞かせる。

 戦うために海に 出撃()て、 生還(かえ)ってこられるかも判らない。

 そんな自分が、これ以上の幸福に踏み込んでは……来るべき日に、彼は傷つくことになる。

 しかし……

 拒絶の意を受けて伏せられた男の瞳――それが、彼女の足下を崩す。

 まるで、自分の未来が閉ざされたかのよう――加賀は、臆病な自分に嘆くしかなかった。

 

       ***

 

 あれからもう、十日も経っている。それでも、彼女の傷が癒えることはない。あのとき、提督の想いを受け止めていたら――受け止めてあげられていたら――

 彼の想いは、どこにもいけない。

 未だ、その胸の内にある。

 他でもない、唯一受け取ることのできる彼女が突き返してしまったのだから。

 それ以来、加賀は提督と言葉を交わしていない。

 当然、秘書艦である以上、指示は受ける。

 が、それだけだ。

 加賀から提督に向けて、自分の意志を伝えることができない。

 いまさら、何と声を掛けていいのかもわからない。

 どんな顔をして彼と向きあえばいいのかもわからない。

 何より、こんな私が、彼の傍にいて良いのかも……!

 それで、用意されたのがこの丸椅子だ。

 秘書艦机の隣に寄り添う小さな席に、赤城はちょこんと座っている。

 自分がここにいるだけで、加賀は気持ちを強く持てるのだろう。

 それは、赤城にもわかっている。

 だが、彼女自身が言うとおり、ここでできることといえば――こうして加賀を模型戦闘機で突くことくらい。

 彼女は、著しく暇だった。

 しかし……このままでは、本当に秘書艦の邪魔になってしまう。

 赤城は加賀の反省の意を汲み、戻ってきた零式を手に取る。が、今度は加賀に向けることはない。遊戯的な効果音もなく、ただ高々と掲げて眺めていた。

 あと数刻もすれば、加賀は第一艦隊を率いて 出撃(うみ)へと向かう。戦の前に、気持ちを掻き乱すものではない。

 だが……赤城は気づいていた。最早加賀にとって、戦そのものが彼女の心を掻き乱していることに。

 

       ***

 

 時刻は一七三〇。もうじき母港より第一艦隊が発つ。

 明るいうちから敵地へと向かい、夜明けと共にけしかける――そのような作戦だった。

 ゆえに、本日の秘書艦任務はここまで。

 ここから先は……第一艦隊旗艦となる。

「それじゃ……私は帰りますね。加賀さん、またお逢いしましょう」

「鎧袖一触よ。心配いらないわ」

 ずっと引き止めていた赤城を、加賀は呆気無く送り出す。さすがにここから先は、誰にも――彼女であっても見せられない。

 そして赤城も、それを何となく察していた。命のやり取りを行う前に、必要なこともあるのだろう、と。

 扉の前で赤城と別れると、加賀の心は急速に縮こまっていく。提督は……私のことをどう想っているのだろう。踏み出そうとしたその足を、踏みにじってしまったこの私を。

 こんな私を、提督は励ましてくれるのだろうか。俯いたまま立ち尽くす彼女の視界に黒い革靴が差し込まれた。

 そして……

「加賀、艦隊を頼む。必ず生きて帰ってくるのだぞ」

 大きな男の人の手が、彼女の髪に、そして背に当てられる。

 あぁ……やっぱりここが、私の還る場所だ。提督は私が還ってくるのを待っていてくれる……!

 もう大丈夫。再びこうして抱きしめてもらうために、私は必ずこの胸に帰ってこよう。できることなら、勝利の報告と共に。

 戦果よりも、生存を――そう考えている時点で、彼女の心は 戦地(うみ)になかった。

 

       ***

 

 戦いに予想外はつきものである。

 伏兵との遭遇――それも、弓なりに細い月が昇る夜。闇の中に轟く砲音。艦載機も飛ばせないのでは――空母には祈ることしかできない。

 何も見えない中で敵と味方入り乱れる。

 ――敵機撃破。

 ――自機損傷。

 眩い閃光が迸る度に様々な情報が交錯する。

 戦況は芳しいものとは思えない。

 だが……

「ここは、譲れません」

 彼女には、一航戦の誇りがある。こんな無様な敗北を、どんな顔で提督に報告せよというのか。未だ敵地にすら到達していないというのに、おめおめと引き下がれる訳がない。

 あと数刻もすれば、夜が明ける。それまで持ち堪えられれば、この失態は覆せるはずだ。

 しかし――

「やられた……っ! 誘爆を防いで!」

 飛龍、中破。これではもう、戦いようがない。

 ここで加賀は、ようやく提督から承った唯一の指示を思い出した。

“艦隊を頼む。必ず生きて帰ってくるのだぞ”

「陣列を単横陣に。ここは 退()きましょう……急いで!」

 提督は、戦果など求めていなかった。彼が望むのは、艦隊の生還。

 意地の張りどころを見誤っていた……! ここにきて、加賀は己の過ちを悔やむ。空母主体で夜戦に突入した時点で、作戦は失敗だったのだ。

 敵の砲撃は絶え間なく続き、加賀の装甲も傷ついていく。

 ついには――甲板に直撃。燃え上がる火の手に焦りが広がる。

 そんな彼女に向けられる砲口。だが、空母の回避性能ではとても――

 私が死んだら、提督はどう思うだろうか。

 いや、ここで 轟沈(しず)んでしまったら、私の想いは――

 そして、抱えたままの彼の想いは――!

「ダメですーーーーー!!」

 割って入る吹雪。

 張り裂ける爆音。

 辺りに立ち込める油の焼ける臭い。

 そのすべてが、加賀の恐怖を駆り立てる。

 もし、彼女の援護が間に合わなければ……その傷は……私が……!

「嫌……」

 嫌だ……まだ、私……私は……!

 死にたくない!

  轟沈(しず)みたくない!

 だって、母港では……提督が待っているのだから!

 私は、提督の期待に応えていない!

 あの晩、私は逃げて……そのまま……そのまま……!

「私っ! 私は……っ、提督と……提督……提督ーーー!!」

 これではもう、指揮どころではない。

「加賀さん、落ち着いて下さい!」

「榛名が旗艦を援護します! 大丈夫……大丈夫ですから……!」

 各自散開しつつ、戦闘海域から離脱していく。榛名に抱かれて泣きじゃくる加賀に、一航戦としての誇りは露ほども残っていなかった。

 

       ***

 

 榛名、小破。

 利根、中破。

 飛龍、中破。

 吹雪、大破。

 皐月、大破。

 そして、旗艦・加賀――大破。

 完全敗北である。轟沈した艦が出なかったのが唯一の救いか。

 その翌日、赤城は司令室の戸を敲く。

「……やっぱり……。今日くらい休んだ方が良いのでは?」

 私室にも、船渠にも加賀の姿がないとなれば、ここしかないだろう。

「休む理由がありません」

 激しい損傷を受けたのは、あくまで艦としての機能のみ。秘書としての業務に支障がなければ、それは疎かにはできない。

 加賀の隣にいつものように丸椅子を置いて、赤城は机上を覗き込む。始業から四半刻は経っているのに、記帳は全く進んでいない。どうやら、座っているのが関の山だったようだ。

 とはいえ……今の彼女を蝕んでいるのは、 艦体(カラダ)の傷より、むしろ――

 加賀は、ちらりと柱時計を見やる。そして、提督の様子も窺ってみるが……彼は既に次の予定に取り掛かろうとしていた。

 第二会議室にて第三艦隊との面談。ほんの半刻ほどの現状確認であり、秘書を同伴させるまでもない。なので、加賀は引き続き事務の方を、と頼まれている。

 加賀は、提督と入れ違うように訪れてくれた赤城に感謝した。このまま 一隻(ひとり)きりになっていたら――耐えられなかったかもしれない。

 秘書艦としての気丈さを保てたのは、彼が退室して扉を閉めるまで。座ったままの会釈で見送った彼女だったが――

 ゴッ。

 そのまま未記入の帳票に突っ伏す。

「赤城さん、私……私は……」

 泣き顔は見せまいと、せめて顔だけは隠すよう背ける。そんな健気な彼女を抱きしめるため、赤城は椅子から腰を上げた。

「今のうちに……泣いておきましょう?」

 その声に、その腕に、その温もりに――加賀の涙腺が崩れる。

「私……もう……私……!」

 幸か不幸か高速修復材は切らしており、加賀が出撃する予定はしばらくない。が、仮に戦闘力を取り戻したとして……彼女は再び 戦場(うみ) 出撃()られるだろうか。

 ――否。

 むしろ、一昨日の時点で止めるべきだった……と赤城は思う。

 ()()()から、加賀の様子は明らかにおかしい。

 きっと、彼女の心は、提督と瞳を射交わしたあの岬に置き去りになっているのだろう。

 そんな精神状態で戦闘を……それも、旗艦として部隊を率いていくなど無理がある。

 が、赤城はそれを口にすることはない。

 言ったところで、加賀は決して認めないだろうから。

 すべては己の不甲斐なさ故――そうやって、自らを追い込み続けてしまう。

 だから、赤城はその任を受けた。

 彼女に代わって、彼女の想いを形にするために――

 

『加賀岬』

 

 半月にも及ぶ試行錯誤の末に完成した力作である。

 だが、その表題に――集められた喉自慢たちは絶句するしかない。

 勿論、秘書艦として会議に同行していた加賀も。

「ふふふ、我ながら会心の出来なのですよ」

 赤城が胸を張るだけあって、その詞は……勇ましくもたおやかな、艦娘らしい内容といえた。

 しかし……

「で、これを誰に歌ってもらうか、なのですけれど――」

 歌い手の立候補者たちの視線が一斉に加賀に集中する。

 その批判めいた眼差しは、そのまま加賀から赤城へ。しかし、当の 本艦(ほんにん)はすまし顔。ふわりと微笑みを返すばかりだ。

「……これは何という……出来レース……!」

 眼鏡越しでも、霧島の落胆した様子は伝わってくる。

「赤城さんを悪く言わないで」

 とりあえず加賀は、反射的に庇ってはみた。が、やはり無理がある。わざわざ広く募っておきながら、さすがにこれはないだろう。

 とはいえ、彼女自身に歌う気はない。そもそも、私的に歌う趣味さえない。

 進展しない不毛な会議に、艦隊のアイドルが痺れを切らす。

「そんなことゆーならァ、那珂チャンが歌っちゃうよォ~? いいのォ?」

「ええ、他の()たちがそれでいいのなら」

 この素っ気ない切り返しで、那珂も悟った。どうやらこの件については加賀 本艦(ほんにん)すらも被害者。主犯は赤城――ただ 一隻(ひとり)

 結論の出ている打ち合わせにあえて呼ばれた理由――それは……加賀さんの逃げ道を塞ぐためだったんだなぁ……と、那珂を始め、参加者すべてが理解する。

 だったら、こんな茶番はとっとと終わりにしてもらおう。那珂は、そのための一言を不満気に放つ。

「……那珂ちゃんの歌う加賀岬ぃ……なぁんて、シュールすぎるよ……」

 それはまさに――核心。

 最早続く言葉もない。

 名目上は、話し合いの末の満場一致で――歌唱者は加賀に決まった。

 あとで皆さんには謝っておかないと……。赤城は心の中で先に詫びる。ただ、大切な 戦友(とも)のためになら……いくらでも頭を下げる心積もりはできていた。

 

       ***

 

 加賀は、どんな任務も拒まない。

 それが、提督の意志であるならば。

 とはいえ――

「加賀さーん……もう少し抑揚をつけてお願いできますかー」

 スタジオスタッフからのリテイクはこれで五回目。

 音程は間違っていない。

 しかし、それはあたかも機械音。

 電子楽器のように正確な音階には、心がまったく篭っていなかった。

「ごめんなさい」

 やはり、自分には無理だったのではないか……歌声にも、少しずつ諦観の色が見え始めた頃――

 カチャリ、と控えめにコントロールルームの扉が開かれる。入ってきたのは、作詞担当・赤城。部屋の空気から察して、やっぱりか――と軽くため息をつく。

「加賀さーん、()()()持ってきましたよー」

 ヒラヒラとたなびく赤い織物が、加賀の心を少しだけ強くする。

 それは――加賀が秘書艦に就任した日、提督より預かったものだった。

 提督は今後の進め方について一通り説明を終え、書類や印を一まとめにしようとするも――封筒がない。折しも、切らしていたようだ。

 何か代わりになるものは……と彼は部屋を見回す。そのとき目についたのが、それだった。

 普段、その上に何らかの置物を飾るための敷物として使用されていたものである。が、その日はたまたま入れ替えるために空席となっていた。

 とはいえその布とて縁起物であり、決して粗末に扱って良いものではない。

 だが――だからこそ、提督はその赤い風呂敷を使うことにした。これから傍で力を借りることになる 一隻(ひとり)の艦娘の無事を祈って。

 それ以来――加賀と赤城の相部屋には、まるで掛け軸のように飾られてきた。そこに注がれる加賀の視線を見れば、共に過ごしてきた赤城にはわかる。あの一枚の朱布には、何か特別な意味が込められているようだ、と。

 きっと、これは彼女の力になるに違いない――そう考えて、収録に苦戦しているであろう加賀のために、赤城はお守りを届けてくれたのだった。

「ありがとう……赤城さん」

 ブース側に入ってきた赤城からそれを受け取って、加賀は自分の両手に巻きつける。こうすることで胸に蘇るのは、初めて逢ったあの日の想い、そして――握りしめてくれた、大きな手。

 静かに目を閉じて……加賀は唇で思い出に触れる。こんなところで自分が躓いていては、詞を作ってくれた赤城さんの名まで落としてしまう。

 しっかりしなくては――ようやく気持ちが固まりかけたというのに――

 カチャリ、と再び扉が開く。

 赤城からの差し入れは――朱色の袱紗だけではなかったようだ。

 しかし、それは……

「てっ……――!?」

 どうして! どうして彼まで連れてきたの!?

 こんな醜態……あの人には見せられない!

 頭の中が真っ白になり、加賀は思わず蹲る。

「落ち着いて、落ち着いて下さい、加賀さん」

 すっかり小さくなってしまった彼女を、赤城はそっと包み込んだ。

「落ち着いて、思い出して下さい。私が書いた、あの歌詞を……」

 それは当然、加賀とて忘れることはない。

 この()()のために、毎日歌の修練に励んできたのだから。

 言葉の意味を考えることなく、楽譜に合わせて淡々と。

 それが……

「あっ、あんな歌を……私に歌えと……!?」

 提督を前にして、詞の数々が急速に色づいてゆく。

 結びついてゆく。

 節の一つひとつが、自分の胸に――

「あんな歌を……あの人の前で……!」

 意識してしまってはもう謡えない。それどころか、顔すらも上げられない。

 すっかり染まってしまった熱い耳に、赤城は言い訳をそっと呟く。

「貴女が、歌うのですよ。……()()()を」

 それは、()()()()()()()だった。

「赤城さんの……詩……を……?」

「ええ、これを書いたのは加賀さんではありません。私です」

 くどいくらいに、その所在を確認していく。

 これを書いたのは加賀ではない。赤城である。

 例え、加賀の 恋心(きもち)を代筆していたとしても。

「私の詩を……謡って、くれますか……?」

 加賀の中で……あらゆるわだかまりが解けてゆく。

「……ええ。せっかく赤城さんが創ってくれたのだから……ね」

 立ち上がった加賀は、もう震えていない。防音ガラスによって隔たれた向こう側で見守ってくれている提督と、一心のままに向き合ってる。

 今となっては、目の前のマイクすら気にならない。この歌声を届けたいのは――ただ一人なのだから。

 

 私は、艦娘。

 いつ 轟沈(しず)むかも判らない死の淵に 屹立()つ者。

 だけど――だからこそ、この心だけは、貴方の(なか)に残したい。

 それで深く傷つくことになったとしても、交わした想いはいつまでも――

 

 ずっと荒波が立ち、その先を見通せなかった心の海。

 しかし、嵐は過ぎ去った。

 澄み切った水平線に向けて彼女は謡う。

 未来へと舵を切るための――戦いの唄を。

 

       ***

 

 あの夜から、丁度ひと月。今夜の朧月も、とても綺麗だ。

 今宵、一緒に夜空を眺めよう――と、赤城に誘われ、加賀はこの岬に来ている。が、少し遅れると言った彼女はまだ来ない。そして、このまま彼女は来ないのかもしれない。

 こんなところまで気を回してくれたのか――いや、気を回させてしまったのか。加賀は、心配ばかり掛けている自分を恥ずかしく思う。

 だから……

 加賀は、来訪者の気配を感じて覚悟を固める。これ以上、赤城さんに世話を焼かせる訳にはいかない。今夜で終わりにしよう。私の想いは、既に伝えてあるのだから……!

 彼女が振り向いた時、ようやく彼も気づいたようだ。先に待っているのが、呼び出した主とは別の艦であることに。

 拒んだ者――拒まれた者――双方の胸に、悲しい棘は今も突き刺さっている。その痛みが、男の足を止めてしまった。

 しかし……

 彼女は彼に向けて手を差し伸べる。ふたりの心を癒やすために。改めて、あの夜をやり直すために。

 彼も、彼女の意志を汲み取り、歩みを新たに踏み出してゆく。そして、ふたりの距離が間近に迫った時――

 今更、同じ言葉を繰り返せ――と彼に求めるのは些か酷か。私が途絶えさせてしまったのだから、次は私から切り出すべきなのでしょうね。

 

 けれど……

 

 だとしても……!

 

 加賀は、何も言わない。

 黙ったまま、ただ愛しい人の手を取る。

 そして、指を絡めたところで――これが彼女の精一杯。

 じっと見つめる彼の瞳。

 その先には、未来が映っている。

 未来の自分が、映っている。

 その微笑みは、いとも簡単に壊れてしまうかもしれない。

 だとしても……

 消えない何かを、加賀は彼と残したかった。

 だが……

 彼女はそれ以上踏み出すことはない。

 ただ、その手に祈りを篭める。

 あの夜、逃げてしまったのは私の方。

 だけど、もう逃げない。

 もう逃げないから……もう一度だけ求めて欲しい。

 今度はそれを受け止める心の準備はできているから。

 だから、お願い。もう一度だけ……!

 

 どうしても通したい最後の我儘。

 それが――彼女の譲れぬ女心だった。

 


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