今回の甘寧の仕事は単純である。もう少ししたらうちのボスが挨拶に来ます。ちょっと時間かかっちゃうけどごめんね! と遠回しに伝えるだけだ。
それを伝えるだけであれば誰でもできるし、手間を考えなければ人をやって手紙でも届ければ良い。
ただ、立場というのは面倒くさいもので、お互いにかけた手間がお互いの立場を尊重するという面倒くさい関係の上に成り立っている。それなりの立場を持った人間を寄越すという行為が、相手の立場を補強するのだ。孫呉軍に加入してまだ日が浅いとは言え武官の中では上位の甘寧が足を運んだのは、豪放磊落を絵に描いたような孫堅が公孫賛に対して相応の配慮をしているという証でもある。
仕事は単純。しかし、伝えたらすぐに帰って良いという訳でもない。物事には付き合いというものがあり、それはいつの時代でも変わらないものだ。
それに使者を挨拶だけさせて帰すのは、された側の沽券にもかかわる問題である。世間話という名の情報収集もこういったやり取りに付随するものであり、一刀の横では公孫賛からの質問に甘寧が答えるという形で簡単な情報の交換が行われている。
孫家、周家、古参の武将を除けば甘寧こそ孫呉における武官の筆頭である。公孫賛の領地は河水を挟んで更に向こう側という、普段はまず接する機会のない相手でもあることから、甘寧はできるだけ情報を引き出そうと躍起になっているものの、相手の返答には淀みがまるでない。
これは甘寧も苦労しているだろうなと一刀は内心思ったが、いまいち自分に自信のない一刀はどうして公孫賛がここまで堂々としていられるかにも見当がついていた。
本人の実力というのも勿論あるのだろう。実質的な幽州の支配者が無能であるはずがないのだが、返答に淀みが無さすぎることに、ひっかかりを覚えた。朱里に視線を向けると、彼女は苦笑を浮かべて小さく頷く。
完璧な想定問答を用意したのは朱里なのだろう。何を聞かれるか身構えておいて、どう答えるか練習しておけばある程度場慣れした人間であれば、ボロなど出ない。その想定問答を作ったのがかの諸葛亮となれば隙もないはずだ。出して良い情報と不味い情報の管理もできる。後はこちらが聞きたいことを、聞きたいように聞けば済む話だ。
話は十分少々続いたが、結局甘寧の側にめぼしい成果はなかった。朱里の想定問答にしてやられた形である。甘寧も薄々相手の事情は感じ取っていたようであるが、言葉にすれば相手は自分の短所を補うべく、準備を重ねただけだ。これを憎々しく思うのは自分の狭量を証明するようなものである。
ふぅ、と大きく静かに甘寧は息を吐いた。自分を落ち着かせようと、微妙に力んだ美しい横顔に惚れ惚れしていると、勝利者である所の公孫賛から提案があった。
「時間が許すなら、そこな北郷に話を聞いてみたいのだが構わないか?」
公孫賛の申し出に、甘寧は眉根を寄せた。対外的には一刀は無名も良い所だ。所謂彼の『地元』では商人たちに顔を売り熱心に活動をしていたようだが、その外に出た今となっては顔と名前が一致している者は皆無だろう。事実、甘寧も一刀が孫呉軍に合流するまでその存在を知らなかった程だ。
比較的距離の近い場所にいた甘寧でもそうなのである。河水の向こう側、国境の守護を担う幽州の実質的な長である公孫賛ではその存在を知る機会は皆無に近いはずだが、彼女は今客将として関羽とその軍団を召し抱えている。こちらは一刀と違って、方々に名が知れていた。
連れていた兵は二千を少し超える程。在野の軍としては大規模と言って良く、加えて長である関羽の武は音に聞こえており、それは反董卓連合軍として名だたる諸侯の集まったこの地においても、見劣りしない物だった。
その関羽がどういう訳か、一刀のことを非常に高く評価しているのだ。これは一刀の仲間たちの言葉である。自分の長を持ち上げるのはどこでもあることで、関羽の件もその例に漏れないことは考えられたのだが、どうやら本当のことであるらしいと思うに至っていた。
ならばその話を公孫賛が聞いていても不思議ではない。あの関羽が推す無名の男だ。興味を持つのは当然と言えるだろう。
孫呉の将軍として、あまり一刀に目を付けられるのは面白いものではない。立場上、彼は孫呉軍に所属しており名目上は甘寧の部下となっているが、彼ら本人の認識は公孫賛軍における関羽と同じ『客将』である。孫呉軍に所属している訳ではないのだ。
しかし、その程度のことで目くじらを立てるのも女を下げることになる。良いぞ、という甘寧の視線を受けて一刀は一歩進み出て一礼した。
顔を上げると、決して整っていない訳ではないのだが、どこか幸の薄そうな印象の公孫賛の美貌があった。
「改めまして。北郷一刀です。姓が北郷、名前が一刀。字と真名はありません」
「公孫賛。字は伯圭。愛紗や朱里から聞いてたが、その名乗りは毎回やってるんだな」
「自分の名前を間違われるのも、むず痒いものですので……」
「それもそうだな」
もっとも、この問題に共感してくれる人間はこの帝国にはいそうにない。二文字の姓は一刀団にもいたが、二文字の名前は一刀だけ。両方とも二文字なのは言わずもがなだ。よほど特殊な生まれをしていない限り、字はともかく真名は持っているものだそうで、育ちの悪い一刀団の賊あがりの面々でも、皆真名は持っていた程だ。
「聞いてみたかったんだ。お前、何のために戦ってるんだ?」
「身を立て名を上げるため、というのは偽らざる所ですね」
「…………随分普通だな?」
「自分一人であれば他にも考えたんでしょうけども、今は大所帯になってしまったもので。仲間たちに惨めな思いをさせないためにも、先頭に立つ俺が身体を張らないといけないのです。実績もない小僧の話など誰も聴いてくれないでしょうからね。偉そうにふんぞり返っているのでなく、共に身体を張るからこそ仲間も信頼してくれるのだと思います」
「心がけは立派だと思うがね。人間、向き不向きはあるだろう。失礼だが、私が見てもお前はそれほど強そうには見えないぞ」
弱い、という表現を使わない辺りに公孫賛の配慮が見て取れる。隣で仏頂面をしている甘寧であればド直球に弱いと言ったことだろう。
「それだけに行動が映えるとも言えましょう。それに俺はお歴々と異なり、人間が小さいので即物的な欲求が強いのです。仲間の前でとにかく良い恰好をしたいのですよ」
仲間、という言葉の段で一刀は雛里とシャンの頭に手を乗せた。彼の『仲間』というのは兵全ても含まれている。割合で言えば男性の方が圧倒的だ。何しろ女性は幹部にしかいないのだから。言葉だけを聞けば実に真っ当な指導者らしい意見であるのだが、態度も含めると一刀の欲求は明らかだった。公孫賛の顔に呆れの色が濃くなる。
「……つまりお前は、女にかっこつけるために命をかけるということか?」
「男が命を張るには十分な理由です」
はっきりと答える一刀の声音に迷いはない。それは一刀、本心からの言葉である。もう少しもっともらしい言葉を使って脚色することはできたが、何故やるのかということを突き詰めていくと、シンプルな理由に行きつくものである。女の子以外の仲間もいる。彼らのために戦っているという理由も決して小さくはないが、何か一つということであれば、こうならざるを得ない。
甘寧は呆れきった顔をしていた。河賊をしていた彼女は、大義のために戦うという人間を多く見てきた。手下は脛に傷のあるものばかりだが、それだけに建て前というものがどれだけ大事なのかも理解している。金や名誉のために個人は動くが、集団を動かすには理由が必要だ。
そしてそれは、それ以外の集団を表面だけでも納得させるものでなければならない。私利私欲のために動いてるとなれば人心は離れる。数は力である。それは連れている兵の質、数に最も作用するものだ。
盗賊であれば良いだろう。河賊であれば良いだろう。しかし世のため人のためということを標榜している人間に、俗物的であるという印象はよろしくない。上を目指すというのであれば猶更だ。あれだけ軍師がついているのだ。その辺りは口を酸っぱくして言われていると思うのだが、現在、一刀についてきている軍師である雛里にとがめるような様子はない。
むしろその女の子の中に自分が入っているらしいことに気づいてあわあわ喜んでいる。その喜ぶ雛里を見て、相手方の小さい軍師がイライラしているのが見えた。こいつはいつか女に刺されるんじゃなかろうな、というのが甘寧の正直な感想だ。
女に良い恰好をし、かつ良く思われるというのはある種の才能だ。少なくとも粗忽者の集まりである甘寧軍の兵たちでは、一刀の真似事は到底できることではない。持って生まれた才能を努力によって磨き、幸運に支えられて結果を得る。文字にすれば戦と同じであるが、当然そこでは刺されて死ぬという結果が存在することも共通している。既に知らぬ仲ではない。面倒なことにならないのを、祈るばかりである。
「お前とは酒でも飲みながらゆっくり話してみたいものだな。愛紗とお前が話しているのを見ているだけでも楽しそうだ」
「公孫賛殿であれば喜んで酌をしますとも。何ならつまみの一つ二つ作りましょう」
「この戦が終わって、お互い時間があれば考えようかね。しかし、面倒なことになったもんだ。今回の戦は長期戦になるんだろうとは思うがね。騎馬で騎馬を相手にする生活が長いからかな。私はどうも長期戦というのが苦手なんだ。朱里、お前の所の先生が得意だったんだろ? 是非教えを請いたいもんだが、名前は何て言ったかな」
「呉洋先生ですよ、白蓮様」
そうだった、と苦笑する公孫賛に大丈夫かこいつ、という顔をした甘寧の視線は釘づけにされている。朱里が名前を出したその一瞬、雛里が強張った表情をしたことには気づいていないようだった。今のやり取りに何か意味があったのだろう。符丁か何かだろうか。試しに朱里に視線を向けてみると、朱里ははにかんだように微笑んだ。
年頃の少年を一目で恋に落とすようなその表情に目を奪われていると、腹部に遠慮なく拳が叩き込まれた。視線を向けもせずに放たれた甘寧の裏拳である。でれでれしてるんじゃないと言われているのは顔を見なくても解った。朱里にもはぐらかされた気がしないでもないが、これは後で雛里にでも聞けば良い。
他に何かあるかと視線で問えば、公孫賛は首を横に振った。話はこれで終わりらしい。何やら言わなくても良いことを言わされただけで終わってしまった気もするが、得るものがない訳ではなかった。こういう話がしたかったのも公孫賛の本心ではあるのだろうが、他にも言いたいことはあったらしい。
さて、それは一体何なのか。一人で難しい顔をしている雛里を横目に見ながら、ひっそりと一刀は溜息を吐いた。
甘寧たちが去った後、態々人をやって十分に離れたことを確認してから、白蓮は口を開いた。
「さて、意見を聞かせてもらおうか。まずは静里」
「雛里先輩は相変わらずかわいいな。あの人照れると帽子のつばで顔を隠そうとするんだが奴と話してる時にそうしようとして何度も止めてたんだよ。その恥ずかしいんだけど頑張って顔を見せてます感が何というかこう……くるんだよな。ああ、それにしても私の先輩はかわいい超かわいい」
「お前の趣味はどうでも良いからさ。北郷の感想を聞かせてもらえないか?」
「星、あのいかした格好した美少女はお前の仲間なんだろう? 髪型も何か洗練されてるし、その割に顔だちは穏やかで小動物のような趣がある。少し育ち過ぎな気もするが私は全然許容範囲だなすばらしい」
「いい加減叩きだすぞお前」
諸侯の中では気が長く思慮深いと見られている白蓮だが、決して怒らない訳ではない。これまで周囲は物分かりの良い連中で固められていたから出番がなかっただけで、一角の武人でもある白蓮の怒気はすさまじいものがある。
一刀団、郭嘉をして普通と表現されるが、その後には超一流という単語が続く。普通の超一流である白蓮の怒気を前に、流石に静里も一歩後退った。学院の卒業生の中では腕っぷしの強い方だが、あくまで片手間の域を出ない。白蓮が本気になれば抵抗する間もなく首をはねられているだろう。
静里も彼我の実力差は認識している。それでもふざけた態度を取り続けていたのは、彼女にとってそれがある種命よりも大事なものであるからだ。
「……まぁ落ち着けよ。警戒心の強い雛里先輩が普通に懐いてるんだ。人格って点では問題ないだろうよ。能力については未知数ではあるが……思想については正直、どちらかに極端に振り切っているのでもなければ私は許容する。私が雇用主に求めるのは、一定以上の能力があることと先輩のような美少女を排除しないことだ。女は乳だとかぬかす奴は死ねば良いと思う。そんな訳で雛里先輩の懐きっぷりを見るに、朱里先輩のこともないがしろにはせんでしょう。お二人一緒に閨におしかけても、奴ならお二人まとめて面倒を見そうな気がします。ああ、その時は是非私にもお声がけを。交ぜてくれなどと無粋なことは申しません。部屋の隅に立たせていただければそれで。私のことなど置物とでも思って、声など抑えず張り切って――」
「…………静里ちゃん、そこに正座」
「喜んで!」
頭痛を押さえるような仕草をしている朱里と、喜々として正座する静里を見て白蓮は深々と溜息を吐いた。何を食べて育ったらこんな性格になるんだろう。朱里の紹介で雇った彼女の後輩なだけあって優秀ではあるのだが、性格の方は白蓮が今まで見たどんな人間の中でもキワ物である。癖の強い奴はどこにでもいるが、静里は単純におかしな奴だ。
乳の大きな女が良い、いいや顔だと異性に求めるものは人によってまちまちである。彼女の場合は、それがたまたま同性で、どうにも低年齢か低年齢に見える少女をことの他愛しているというだけで。もっとも、そのただ一つが特殊であり、またそれがなかったとしても朱里のような全てが自分の好みに合致しているか、鈴々のようにそれに近い所にいる少女相手でもなければ、基本的にはっきりと物を言って遠慮をしない。
その指摘は全て的確であり、彼女本人はとても有能だ。水鏡女学院の情報網を株分けしてもらって手にした草の集団は優秀であり、その情報を元にした分析力は、白蓮の部下を全て足しても桁違いの実力を持っている。今回の仕込みを達成することができたのも、静里がその草の集団を引き継いでいたおかげだ。感謝してもしきれないのだが、白蓮はどうもこの女のことが苦手だった。
「星はどうみる?」
「少女に好かれる、というのは男としては美点でありましょう。某もシャンのことは知っていますが、アレが懐いているならその点に問題はないと思いまする。胆力などは、まぁ、あの場であのような物言いをできるならば十分でしょう。元より今回の顔合わせは公式のものでありつつも、そうではない。これからの事に明確にかかわるものでないのなら、内容というのはどうでも良いのです。尖った物言いを、我々の前で臆面もなく言ってのけた。見どころはあると思いますよ。独立を望んでおられるようだし、孫家とは別に関係を維持しておくべきだと思いますが」
「蒲公英は?」
「嫁ぐならああいうかっこいいお兄様が良いかなー。優しそうだし」
顔か……と白蓮は呆れるが、馬家にとって蒲公英の立場はそこまで強いものではない。一族の一人であり今回の戦でも馬騰の名代として参戦した馬超の副官として参戦してはいるが、本家の家督を継げるような立ち位置ではない。いずれ嫁に行くか、それなりの婿を貰うことになるだろうが、馬超に妹が二人いることを鑑みるに、嫁に行く可能性の方が大分高い。その相手にしても名家の常として、そこに自分の意思が介在できるかは微妙な所だ。
ならばせめて容姿には拘りたい、というのは偽らざる本音だろう。白蓮の目から見た北郷一刀という男の容姿はまぁ、悪い物ではない。兵士というとゴツい人間が多いのだが、彼にはまだ線の細さが見て取れる。
ひ弱ではなく鍛えられているというのは見て取れるのだが、粗野とか野蛮とかそういう印象は感じられない。庶民の生まれではないのだろう。それなりの育ちの良さは一目で感じられた。それなりに裕福な商家の次男三男というのがしっくりくる印象だ。街であればまだしも、戦場では中々見ない風貌である。
「いやいや、ああいう優男程閨の中では国士無双、ということもありましょう。朱里の友人も既に篭絡されているのでは?」
「いや、まさか、そんな……」
後輩との話題に出たこともはあるが、まさか本当に親友が一人で大人の階段を一段抜かしで昇っていたなんて。静里からなら笑い話で済むが男性経験が豊富そうな星が言うと、信頼度も増してくる。言われてみれば雛里は前にもまして幸せそうにしていた。もしかしたらそういうこともあるのでは――と明晰な頭脳が無数の可能性を検討し始めるのを見て苦笑を浮かべた星は、
「その点、そこな狂人はどうみる?」
さっさと安心させてやろうと正座を崩そうともしない静里に声をかけた。お前の年下の先輩は処女か? というのも十分狂人の物言いであるが、それを正座したまま難題であるかのように真剣に吟味する目つきの悪い女は、まぎれもない狂人だった。
「朱里先輩が知らないのであれば、少なくとも雛里先輩には手を出してないな。同時に、雛里先輩以外にも手を出している可能性は限りなく低い」
「理由は?」
「そういうことがあれば、伝わるもんだろう。雛里先輩の性格を考えると、それを隠しておくというのは考えにくい。商売女に手を出していることを醜聞と考え、それを隠しているというのも考えられるが……これは私自身の直感も加わるが、さっきの奴は商売女に手を出す類には見えないな」
「結論は?」
「色々な意味で手を出すなら早い方が良い。決め打ちが不安なら小さな縁でも恩でも良いだろうさ。あの連中は条件さえ揃えばどこまでも伸びていく。関わりを作っておいて損はない。今回の件に関わることは、奴らにとってもあんたにとっても、益になるだろう」
「随分評価が高いように思えるが」
「全部持ってても何もできない奴なんて腐る程いるだろう? 今の奴らの働きは精々まずまずだろうが、それは色々足りないからだ。全部揃えば何でもできるだろう。ただ、私のかわいい先輩も含めて、それは奴が頭を張っているって前提の上に成り立っているようだ。なら奴に取り入るなり引っ張り込むなりした方がお得だろ? 何しろ奴に全てくっついてくるんだからな」
「それが今なら更にお買い得ってことだな」
「値下げする見込みは今の所ないからな。それに間違って奴が死ぬようなことがあれば、まとめ買いは難しくなるぞ。奴を含めた全員に恩を売れる機会だ。逃す手はない」
同じ金額を貸し付けるのでも、貧乏人にするのと金持ちにするのとでは意味が大きく異なる。飛躍を目指す彼らにとって、実績というのは何よりもほしいものだろう。愛紗からの強い推薦があったとは言え、孫呉の勢力下にいる小集団を引き込むのは抵抗があったのだが、静里たちの言葉で白蓮の決意も固まった。今後は彼らを成長株として見ることにする。
(良い御仁ではあるのだな……)
そんな白蓮を見る星の顔には僅かな苦笑が浮かんでいた。優秀ではあるのだ、堅物ではないのだ。しかし英傑ではないし、俗物ではある。彼女を見て今一つと思うのは、高望みが過ぎるのだろうか。何が正解なのかは星には解らなかったが、いずれにせよ、北郷一刀のことは面白いと思った。
一方、こちらもこちらで公孫賛陣営から十分に離れた所で、一刀は口を開いた。隣を歩く甘寧はお前とは話すことはないという顔をしていたが、聞かない訳にはいかなかったのだ。
「得るものはありましたか?」
「貴様が女が目当てというのが理解できたのは大きな収穫だな」
視線も向けてくれない甘寧の言葉は、冷たく鋭い。地味に傷ついた一刀の頭を、背伸びしたシャンがよしよしと撫でている。
「あれはその場の勢いとでも言いますか……」
「幹部を全員女で固めておいて何をいまさら」
「別に皆と懇ろとか愛人という訳ではありませんよ?」
「そういう寝言はいらん。それよりも――ああもあからさまであると符丁を使う意味もなかろうな。個人的には好感が持てるが、アレでは下も気が休まらんだろう」
「あ、気づいてたんですね?」
「お前が私を舐めていることが解ったのも収穫だな。会話の内容からして鳳統、お前に対するものだとは思うが、どのような意味だ?」
「長期戦ではなく超短期決戦で決めるつもりのようです。これを今切り出したのは、一口乗るか、という確認の意味でしょう。おそらく一番槍を受ける腹積もりです」
淀みない鳳統の言葉に、甘寧は小さく唸り声をあげた。一番槍は武人としての名誉でもある。『普通』の戦であれば争奪戦にもなる所であるが、今回の戦は大分趣が異なる。敵は準備万端、帝国内でも有数の堅牢さを誇る関に立てこもっている十万前後の兵だ。その中には音に聞こえた将もいる。一番槍と言えば聞こえは良いが、体の良い捨て駒である。
必要なことは解っているが、最終的な栄誉を誰もが目指している以上、ここで戦力を減らすようなことはしたくない。だからこそ、やりたいという人間がいれば、それを得ることはそう難しいことではない。無論のこと、弱小勢力がいきなりそれを言えば目立ちもするだろうが、公孫賛軍くらいの規模であれば悪目立ちもするまい。
「一番槍がそのまま関を落とす、ということか?」
「少なくとも公孫賛殿はそのつもりのようです。呉洋先生は戦とは時間をかけねばかけぬほど良いという考えの方でした。それに静里ちゃん……先ほど同席していた私の後輩ですが、静里ちゃんは水鏡先生から情報網を受け継ぎました。先生が大きな仕込みをしているというのは在学中から囁かれていたことで、それが汜水関のことであってもおかしくはありあせん」
「あくまで可能性の話、という訳だな」
「どこかに命を張るというのであれば、『公孫賛軍には最悪の場合、自分たちだけでも速攻で汜水関を落とす算段がついている』に張ります」
普段は小動物のような立ち振る舞いなのに、献策をする時だけは迷いがない。気弱な性格であっても、自分の分析に絶対に近い自信があるのだ。それが軍師としての義務感から来るものか生来のものであるのか。いずれにしても、ぶれない軍師というのは献策される側からすると有り難いものだ。
誰でも使うなら、自信がなさそうな人間よりも、満々な人間の方が良いに決まっている。
「……炎蓮様に伺いを立てるのが良いだろうな」
「乗りますかね?」
「二千から三千程度ならば、手を出さない理由はない。目論見通りいかなくてもそれほど痛みを伴わずに公孫賛に貸しを作れるし勝てるのであれば万々歳だ。勲一等はやつらに譲る必要はあるだろうが……幸いなことに戦はこれ一回ではないからな」
最低でも関は二つ抜かなければならない。汜水関を問題なく突破できたとしても、関はもう一つあり、それをまた抜けたとしても、洛陽に着くまでにはまだまだ距離がある。関二つはあくまで難所であり、全てではない。名をあげる機会はそれこそ、いくらでもある。
「それにあの場には馬岱がいた。おそらく馬超軍にも同じように声をかけているのだろう。公孫賛軍全軍に孫呉と馬超軍から二千から三千。十万は詰めているという汜水関に、三万前後の兵で突撃を仕掛ける訳だが……」
「正気とは思えませんね」
「全くだ。だが兵数で勝る『味方』を出し抜くには、それぐらいの賭けが必要になるのだろう。仕込みが他人任せというのは不安ではあるが、万全な状態で戦に臨めることなどあるはずもない。やれと言われればやる。それが兵士というものだ」
「世知辛い話ですね……」
「手柄を立てる良い機会だ。武者働きを期待する」
欠片も期待していない声音で、甘寧は言った。