「ご主人様」
美花の声に一刀の意識がゆっくり覚醒した。目頭を揉みながら『ああ』と小さく返事をする。気の抜けた態度。稟であれば弛んでいると小言を言う場面だ。そんな一刀を美花はにこにこと笑みを浮かべながら見守っている。
あれから一年。大過なく時は流れ一刀は無事に州牧となった。
洛陽から辞令を持ってきたのはもはや顔馴染みとなった禁軍の皇甫嵩殿である。
顔と名前は知っているが友人では当然ない。一緒に仕事をしたことのあるねねの話では割と話好きで気さくな人間であるということだ。私人として話す機会のなかった一刀では触れることのなかった一面である。
印象通りの生真面目な面を前面に出した公人としての態度で勅令を読み上げた皇甫嵩はその巻物を一刀に渡すと、公人の顔のまま洛陽へと戻っていった。
いくら何でも急ぎ足が過ぎる。一日くらいは滞在してはと一刀も引き留めたのだが、仕事があるからとにべもなく断られてしまった。
禁軍は董卓が洛陽に入るまでに人員を削られている。彼女が洛陽に入ってからはその政策と奮戦に協力し、連合軍との戦いにはほぼ参加しなかったものの、董卓軍と連合軍の撤退により軍事的な空白地帯となってしまった司隷全体に多くの人員を取られていた。
今は各地域の新兵調練も終わりようやく以前の状態に戻るかという状況である。
禁軍将軍としては今が一番忙しい時期なのだ。皇甫嵩も本音ではこの時期に并州まで来たくはなかったろうが、禁軍の兵にとって勅令というのは絶対である。心なしか哀愁の漂う背中にせめて自分くらいはなるべく迷惑をかけないようにしようと心に誓う一刀だったが、おそらくそうはならないだろう予感をひしひしと感じていた。
そんな皇甫嵩を見送り本来州牧になるはずだった黄忠は国境へと戻った。
代行なのだからと仕事を丸投げすることもなく、懇切丁寧に指導をしてくれたお礼でもということで出立の前夜に酒席を設けた。会場は一刀の屋敷で準備は美花一人という小規模なものだ。
深夜、酒の席。若い男女。何も起きないはずもなく……ということもなく、怪しい雰囲気にはなったがそこは雰囲気だけだった。酔って色気の十割増しくらいになった黄忠が口にすることと言えば『うちの娘をくれぐれもよろしく』ということだけだった。
県令をやっていた時にも何度も売り込みを受けたが、そのどれとも熱量が違った。何より言いたかったことはこれなのだ。楼黄忠と言えども人の親なのだな思う瞬間だったが、売り込まれる側としてはそうも言っていられない。
契約などで縛らずあくまで自由意志に任せるとしたのは温情であるかもしれないけれども、いい加減タダより高いものはないと身に染みてきた。いずれ何かしなければならないだろうと一刀に覚悟を固めさせるには十分な売り込みだった。
去り行く黄忠から娘と信頼を預かった美花は秘書兼侍女筆頭の役職に収まり、今となっては日々の中で一番顔を見る存在になった。侍女隊は璃々も含めて全員住み込みで、他には廖化を始めとした一刀団の団員たちが改修した元州牧の屋敷で共に暮らしている。
無駄にあった調度品やら家財道具もまとめて売り払い当座の活動資金にした。すっきりして気分の良い屋敷は物がなくなると広く見えるもので、住人全てに部屋を割り振ってもまだ部屋が余っているという事実が気になるようになった。
割合で言えばおよそ三割ほどが何も使っていない部屋で、他に二割がほとんど使用していない部屋である。つまるところ屋敷の半分は現状なくても問題がないスペースとなっている。
一刀の感性からするとこの屋敷は広すぎた。これでは全く落ち着かない。もう少し手狭な物件をと美花に相談すると、彼女はにっこり微笑んだ後に首を横に振った。
これは無駄であると周囲に思われない程度に見栄を張るのは、権力を持つ者の仕事の一部。そこを逸脱しない範囲であれば住居というのは広ければ広いほど良いという美花の主張は一刀には絶妙に納得しがたいものだったが、続く言葉に反論は封じ込まれた。
(ご家族が増えましたらこれで手狭になるかと思いますよ)
ご家族。妻であり子である。こちらの世界に来てからの密度の方が濃くとも、元の世界で培われた感性というのは早々変わるものでもないらしく、己の勢力を維持増強するために婚姻を用いるというのは、いくら必要と言われても一刀の感性には心底からは馴染まないものだった。
しかし男というのは中々身勝手なもので、馴染まないというだけで嫌だという訳ではなかった。あの孫堅の娘御であれば――本人と孫策を見るにおそらく
その内来るかもしれない未来に思いを馳せている間に、美花は一刀の周りをゆっくりと回り全身をチェックしていた。ちなみに五分前にも同じことをやっている。何でもそつなくこなすドエロメイドにはただ何をするでもなく主人を眺めるという悪趣味があった。
美女に見つめられるのは決して苦痛ではないが面映ゆい。それを顔に出すとより悪乗りをしてくるので最近ではなるべく顔に出さないようにしている。
そこまで含めての観察が美花の何よりの楽しみであるのだが、そこまでは一刀も気づいていなかった。
「はい。今日もいつも通りかっこいいですよご主人様」
「ありがとう。掛け値なしの美女の美花に言われるとやっぱり照れくさいな」
「そういうことはもっと言ってください。私ももっと申し上げますので」
「今日も綺麗だよ美花」
正直にそれを言うと美花は両頬に手を当てて目を細め細く長く息を漏らした。大げさにならない程度のリアクション。感激していますというアピールは主人の心を擽ってやまない。こういう所作がデキるメイドの秘訣であるのだろ。男としては本心から喜んでいると思いたいところである。
「……では、参りましょうか。璃々」
「はい先生」
感激から一転。すとんと侍女隊の長の顔に戻った美花の声に、出入口の脇に待機していた璃々が背筋を伸ばす。璃々も正式に美花の部下となってからは美花と同じようにメイド服を着用するようになっていた。美花のように攻めに攻めたデザインではない。美花を基準にするのであれば、首から下で肌の露出している部分のほとんどに布地があるのが侍女の正装であり、璃々もそういう着こなしをしている。
侍女は大勢いるが傾向としては露出の多さが職位の高さというように見える。美花の補佐ではあるが平メイドである璃々は露出なし。管理職と思しきメイドは服のどこかしらから肌が見えている。
これをはしたないとしないのがこの国の文化なのだろう。女性の服飾と肌の露出に関して、この国は現代に比べてさえ驚くほど寛容で先進的である。
顔で選んでいるんじゃないかというくらいに美少女美女揃いの侍女たちは全ての角と部屋の前に配置されており、主である一刀が移動すると共に配置を変えている。どこで視線を向けても最低一人は侍女の姿が目に入るというのが侍女長である美花の方針だ。元々美花の部下である彼女らは武芸の心得もあり屋敷の中での一刀の護衛を兼ねている。廖化たちは今この施設――州庁の外周と会談場所の警備を行っている。会場のセッティングと道中が侍女隊の領分でそれ以外が廖化たちの領分と住み分けされていた。
人間、自分の領分を侵されることには抵抗するものだ。一刀周辺の警備は元々廖化たちが主導して行っていたものだったので、後から来た美花が差配することに一悶着あるかと思っていたのだが、廖化たちは驚くほどにメイドたちに従順だった。
よくよく考えてみれば美花を筆頭として美女美少女ばかりの集団にむさい髭面のおっさんたちが勝てる道理もないのだ。一刀団結成以来ともいえるチームワークを発揮する侍女たちと廖化たちにはむしろ他の団員たちから熱いクレームが来るほどだった。
誰だって美女美少女と一緒に仕事がしたいのだ。一刀だって彼らの立場だったらストくらいは起こしていただろう。これで一つ二つでもカップルができたら乱闘の発生しそうな気配であるが、侍女長である美花からはそれも時間の問題というありがたい言葉を戴いている。
「俺の預かりはほとんど元賊徒だけど大丈夫か?」
「こちらも半分は表に出せない前職で残りも食うに困る生活をしていた者たちですからむしろつり合いが取れるのではないかと」
「だから話が弾んでるんだな」
どうしたものかなと苦笑を浮かべる。ちなみに美花は職場恋愛は大いに賛成らしい。
「孫呉の方々は控室でお待ちです」
州庁の廊下を行きながら、州牧としての頭に徐々に切り替えていく。
州牧になってすぐ、待ってましたとばかりに孫呉から会談の申し入れがあった。一刀たちも待ち構えていたものだ。セッティングそのものはスムーズに行われ、一刀が州牧に就任してからちょうど一月目である今日この日、会談する運びとなった。
お互いが事前に準備を終えていればこの時代でもここまで早く物事が進むのだ。自分がすることと言えば偉そうな顔をして頷いたり判子を押し署名をするだけ。そこに至るまでに尽力している者たちの労力を思うと、彼らに足を向けて寝ることはできなかった。
北郷一刀という生き物は他人に生かされているのだと実感していると、美花が何でもないことのように言った。
「今は先触れの方が稟と打ち合わせをしています」
「先触れが打ち合わせ?」
解せない話である。既に本人たちが控室にまで入っているというのに打ちあわせも何もない。
「会談前に俺に会わせたいってことかな」
「そのようなところではないかと」
美花は澄ました顔だ。委細把握してございますが空気を読んで何も申し上げません。態度でそれを伝えられるというのは中々凄いことのように思う。とにかく会えということなのだろう。ならばもう何も言うことはない。
会談の場としてセッティングされている会議室に入る。稟と話していた女性が一刀の方を向いて笑みを浮かべた。孫呉の先触れと聞いて想像していたよりはずっと若い。濃い茶色の髪を三つ編みにして前に垂らしている。フレームのない眼鏡が理知的な雰囲気を押し上げていた。雰囲気としては如何にもな文官であるが、文武両道の孫呉らしく武芸も達者な佇まいである。
稟と話していた少女は一刀が入ってくるのをみて穏やかに微笑んだ。
「北郷様。今日はよろしくお願いいたします」
「ああ。これからまたよろしくな、梨晏」
「ありゃ……」
別人のふりをして握手まで求めてきた梨晏にとっくに気づいてると言ってやると、淑女然とした表情を放り出して梨晏らしい快活な笑みを浮かべた。
「もう少し引っ張れると思ったんだけどな」
「俺が梨晏を解らない訳ないだろ?」
「だよね!!」
梨晏はけらけらと笑った。見た目こそ成長しているが笑い方はあの頃のままだった。周囲を見ると軍師組は皆気づいていた様子で会ったことのない旧董卓組は『この人があの』と薄い反応。居並んだ中で驚きの声を挙げたのは二人――シャンと鈴々はそのまますっ飛んできて梨晏を囲んだ。すごいのだかっこいいのだかわいいのだと連呼して手放しに褒めちぎる鈴々と対照的にシャンは近づいて梨晏本人であると確信するとマジか……という顔で硬直してしまった。信じられないと表情どころか全身で言っている。
そんなシャンの心情を知ってか知らずか梨晏はこれ以上ないというくらいの笑顔だった。前かがみにシャンの顔を覗き込むと育った胸が強調される。シャンの視線は梨晏の胸に釘付けになっていた。
「シャン久しぶりー」
「……お前なんか知らない。シャンの知ってる梨晏はもっとちんちくりん。そんなボインじゃない」
「シャンってば拗ねないでよー」
「スネテナイウッセーバーカ」
明らかに拗ねているシャンの正面に梨晏が回りこむとシャンが視線を逸らしそれを追うように梨晏が回りこむとまたシャン――とじゃれ始めた二人に周囲から笑いが漏れる。仲良しだったもんなと微笑ましく眺める一刀だったが、シャンが信じられないのも無理はないと思った。
孫呉に行く前の梨晏は小学生のボーイッシュ美少女という風だったが、今は中々発育の良い中学生美少女という風である。少年要素も残ってはいるものの味付程度だ。
成長期であることを加味しても二年もしないでよくもここまで成長したなと心の底から思う。孫堅黄蓋の孫呉上位勢と比べるとボリューム不足は否めないが、一刀周辺の十代前半から中盤で勝負できるのが璃々くらいなことを考えると相当大きい部類だ。出会った頃からほとんど変わっていないシャンと比べると明らかにシャンの方が年下に見える。実際の年齢はシャンの方が少し上であるにも関わらずだ。
「次はシャンが孫呉に行く」
「梨晏に続いてシャンまで貸し出ししたくないからそれは諦めてくれ」
「お兄ちゃん!」
自分もああなりたいという野望を持つことは理解できるが、早々仲間にどこかに行ってほしくはない。率直にそれを告げると涙を浮かべたシャンに抱き着かれた。シャンは今でも十分かわいいよという慰めの言葉が浮かんだが逆効果だと思って口にはしなかった。少女はもっとかわいくなりたいという話をしているのである。
「さて……梨晏なら最後にどかんってのを好みそうだけど何で今?」
「後にするとそれどころじゃなさそうだったしね。今やるしかなかったの。私がネタバレしても何だから、後は炎蓮様から聞いて?」
「了解」
要するに梨晏がこうなっている以上のサプライズがあるということだ。梨晏は内容を理解していてそれは悪い方向のものではないと解るが、これ以上となると想像もつかない。しかも仕掛け人はあの孫堅だ。とにもかくにも身構えておこうと決め稟を促すと、侍女の一人が孫呉勢の待つ控室へと向かった。
ほどなく、孫呉の面々がやってくる。
扉を最初に潜ったのは孫堅。次いで黄蓋と周瑜。後には誰も続いていない。会談に参加する孫呉の人間はこれで全員だ。孫堅の娘のどちらかもいないし思春もいない。こちらが幹部全員揃っているのと比べると聊か寂しい陣容である。こちらは本拠地、あちらはアウェーという違いもある。まさか幹部全員で出張ってくることなど考えられない以上、当主と幹部二人が来ているだけでも十分と見るべきなのだろう。
「飛ぶ鳥が落ちる間もないな。目指すは地平の彼方か北郷?」
「おかげ様で時流に乗れたようです。行けるなら何処まででも」
円卓の前で握手を交わし、左右に分かれる。
一刀側、着座しているのは中央に一刀。その右手に軍師筆頭で外務担当の稟、更にその右手に内務担当である朱里が座っている。反対の左手には軍務担当の雛里と実働部隊の代表である霞が座っていた。勢ぞろいした幹部は文官が稟たちの後ろに、武官が雛里たちの後ろに立っている。
「まずは同盟の話だ。孫呉はお前たちと五分の同盟を結びたい。細かい話は後から詰めるがどちらか一方だけが得をするんじゃなく、両方で儲け潤うそういう関係だ」
「勢力の大きさで言えば、孫呉とは比べるべくもありませんが」
自分はともかく幹部の質で負けているつもりはない。将来性という点についても自信がある。集団として若いから野心的な人間も集まってくるだろう。
だが現時点での勢力としての力は比べるべくもない。これは并州と揚州の力の差であり、一刀団と孫家の力の差でもある。兵力、財力その他諸々。現状の并州で孫呉よりも勝っている点があるとすれば、異民族との強いコネクションがあることと、洛陽に近いことくらいだ。
「それでも、だ」
孫堅の言葉には並々ならぬ熱意があった。
熱意で勢力差が覆るものでもない。悪く言えば言葉の上だけでのものであるが、大きい方の勢力からここまで言葉を重ねるのは最大限の誠意の現れである。
元より孫呉とは良い関係でありたいと思っていた一刀は笑みを浮かべ、提案を受け入れた。
「願ってもないお話です。是非お受けしたい」
「話が早くて助かる。差し当たって俺の真名を預けよう。俺のことはこれから炎蓮と呼べ」
「ありがたく頂戴します」
「五分の関係と言ったぞ。これからは気楽に行こうぜ」
「何か気恥ずかしいな」
「その内慣れる」
円卓を挟んで炎蓮と笑いあう。母子ほどに年が離れているが悪い気はしない。
そんな二人を周瑜は珍獣でも見るような目つきで眺めていた。対等と言われてすぐにそう振舞えるものでは中々ない。まして相手は江東の狂虎と呼ばれるあの孫堅である。
実際の一刀を知らない孫呉の民は講談での彼と風聞しか知らない。孫堅相手に物怖じせずあの甘寧と一夜を共にし呂布を退けた豪傑であるという情報だけで結ばれた人物像は今や好き放題に孫呉を飛び回っている。そこに新たな伝説が加わった瞬間だった。
「例のあれの返礼品を屋敷の方に運び込んでおいた。目録がこれだ。後で確認しておいてくれ」
「わざわざ悪いね」
「何もしないんじゃ俺の沽券に関わるからな。五分の同盟の景気づけとでも思ってくれ。気に入るか解らんが
「楽しみにしておくよ」
炎蓮の迂遠な言い回しに不穏なものを感じる。悪い顔だ。目録には載せていないが返礼の品の一部であり、しかしおまけで、その数二つ。時間で区切られた期限よりも早く梨晏が戻ってきていることもあり、一刀にはその二つが誰であるのか予想ができてしまったが、一先ず頭の片隅に置いておくことにした。予想通りの二人であるならば今この場、一人で扱いを決めることはできない。
「話は変わるが一刀。お前のところで将を預かれるか?」
何でもないことのように炎蓮が言い出す。違和感を覚えたのは隣の周瑜の態度だ。交渉の場で感情を顔に出すのは得策ではないと稟にもよく言われている。その上で判断するならば、そんな話は聞いていないと顔に書いてある周瑜の態度は落第も良い所だろう。これで演技であるならば大したものであるが、そのような演技をする意味もない。
「人、物、金。今は何でも欲しい。将というなら腕っこきだと嬉しいな」
「この俺がこいつ以上はないと保証してやる」
「炎蓮様?」
孫呉にとって。いや自分にとって非常に良くないことを言うと確信した周瑜が主人が話している途中であることを承知で声を挙げるが、炎蓮はそんな周瑜に構わず言葉を続けた。
「何しろ、俺自身だからな」
言ってしまった。炎蓮は剣帯から南海覇王を取り払い、冗談であってくれと泣きそうな顔をしている周瑜に差し出した。
「冥琳。雪蓮に渡しておいてくれ」
炎蓮は主であり、南海覇王は孫家当主の証である。それを雑に扱うことはできないという習慣が手を動かし、周瑜の手に南海覇王が渡った。
それで炎蓮の中では、当主継承の手続きが雑に終了してしまった。
「肩の荷が下りた。身体が軽い気がするな祭」
「天にも昇る心地でございましょう。存分に楽しんでくだされ」
「しばらくしたら旅でも出ようと思うんだが、お前もどうだ?」
「儂まで離れては流石に冥琳も泣き出してしまいましょうからな。しばらくは孫呉に残らせていただきますが、供回りについては是非とも」
「いやぁ楽しみだな」
わはは、と笑いあう炎蓮と黄蓋。この世のどん底にいる風な周瑜。話を続けるのは心苦しかったがそうしない訳にもいかない。
「あー……これからの話は黄蓋殿と周瑜殿と詰めれば良いのかな?」
「そうしてくれ。俺はたった今隠居した身だ」
「解った。さっきまでの控室で待つ? 何だったら屋敷まで案内させるけど」
「控室で待つ。しばらくは感慨に耽るとしよう」
丸腰になった炎蓮は席を立つと声をあげた。
「蓮華!」
炎蓮の声に、議場に一人の女性が入ってくる。来たな、と一刀は内心で身構えた。梨晏の言っていたサプライズはおそらくこれだろう。
入ってきたのは炎蓮に面差しの似た女性だった。濃い桃色の髪、褐色の肌。炎蓮や孫策の容姿から想像していたよりは随分と穏やかな顔立ちをしている。それでも気の強さが見えるのは江東の狂虎の血のなせる業だろう。
腕に赤子を抱いたその女性は、一刀の近くまで歩み寄ると膝を折り小さく一礼した。合わせて一刀も椅子から立ち上がる。目線が自分より少し下にある孫呉の女性は一刀と視線を合わせると笑みを浮かべた。
魅力的な笑み……ではあるのだが、一刀はその中に攻撃的なものを感じた。殺意というほど鋭くはない。敵意というほど燃えてもいない。この無意識的に身構えさせる雰囲気は稟がよく発する『これから私は貴殿を怒ります』という感情の予備動作に近い。
「抱いてあげてください」
差し出された赤子をおっかなびっくり受け取る。孫呉らしい赤い布に包まれた赤子は抱く相手が変わってもすやすやと寝息を立てていた。
「かわいいですね。名前は何と?」
「甘術、女の子です。字と真名はまだ決めていません」
ただ、名前を聞いただけだったのだが。事情を知らない人間のほとんどは、その瞬間に事情を理解した。赤子を抱いたまま固まっている一刀に、少女は笑みを深くする。炎蓮の娘らしい実に獰猛な笑みを浮かべた少女は、一刀に顔を近づけると赤子を起こさないように、しかし最大限の力を込めて囁くように怒鳴った。
「貴方が無責任にも孕ませやがった、私の親友思春の娘ですっ!!!」