彼と一人の仲間の物語を開示しよう。
これは、決戦の前日談。
「ここで、あんな戦いをやっただなんてな…」
まだ傷が完全に癒えておらず、包帯がまかれたまま。そんな状態で、ヒカルはかつての激戦地を見つめていた。
マチスとの邂逅から三日。ポケモンとともに負傷したヒカルは、クチバの病院に入院していた。
そこから気を失ってしまい気が付くまでに二日、病室を抜け出すのに一日を要したが、ヒカルはそうして敵と対峙した砂浜に戻ってきていた。
ただ、戻ってきたのは何となくである。
何となく、もう一度この場所で何かを感じたかったのかもしれない。
時間は夜、普段から人が来ないという砂浜の片隅でヒカルは風に当たっている。そのとき、マサキたちが血眼でヒカルを探しているのは知る由もないが。
ヒカルが呟いた言葉には、確かな重み。
面と向かって《悪》と戦ったのは初めてだった。
普段は平和であろうこのクチバのビーチも、あのときは危険な戦場だったのだ。
マサキから、一般人は巻き込まれていないと聞いたときは、思わず全身の力が抜けてしまった。
「でもあれだけのことがあったのに・・・」
ビーチには未だ所々穴が開いてしまっているものの、静寂がその場を包んでいる。
きっと日中は活気に溢れていることだろう。
人々の逞しさに、ヒカルは素直に凄いと思えた。
「―――さて、みんな出てこい!」
ヒカルは腰についたボールを一斉に投げた。
同時に出てきたポケモンたちの内の二匹――ライとアートがヒカルに飛びついた。
「おいこら! あんま暴れんなって!」
そう言いながら二人を退けようとするが、その顔は笑っている。二匹もそれが分かっているのでお構いなしにじゃれつく。
その光景は、傍から見ればただ少年とポケモンがじゃれ合って遊んでいるようにしか映らないだろう。
ヒカル自身もそのつもりでいたが、どうしても別のことが頭に残り、何とか二人を引き剥がした。
四匹を並べて座らせる。
ヒカルはいつもより真剣な顔つきで彼らを見つめた。
「あの時の戦いは、本当にありがとう。お前らだったから、俺は戦えた」
ポケモンたちはヒカルの言葉を黙って聞く。
「でもこれからきっと…もっと強い敵と戦う気がするんだ。あいつとは比べ物にならないくらいのと。だから…」
ヒカルは言葉を区切った。
「これからも俺を信じてほしい」
それが、ヒカルの気持ち。
仲間に対する、今出来る精一杯のことだ。
少しの沈黙の後、ライがそっとヒカルに歩み寄った。
信じていると。
その瞳が言っていた。
「―――ありがとう」
ヒカルの笑顔が花咲くように広がった。それにつられてかライたちも笑っている。
「よし、遊ぶか!」
ヒカルの笑顔が花咲くように広がった。それにつられてかライたちも笑っている。
せっかくビーチに来たのだ。疲れを吹き飛ばすほど遊んだって誰も文句は言うまい。
ヒカルたちは海に向かって全力で走り出した。
「ヒィカルウウウウ!! どこやああああああ!!」
***
遊び始めて一時間ほど。
足元をつつくロンドに呼ばれ、ヒカルは遠くの海を見つめていた。
「どうしたんだ? 何も見つかんないじゃないか」
足場代わりになってくれているロンドに問うが、以前コアを点滅させるのみ。
遊び疲れたのか、ライたちは既にボール内で休んでおり、ルドラもゆったりと飛行を楽しんでいる。そして見える海は規則的な波を生み出し模様を作る。
何かあるようには見えないのだが。
改めてもう一度目を凝らしてみる。
左から右へ、ゆっくりと首を動かして。
「―――!!」
それを見つけた。
「でかしたロンド――――ルドラ!」
上空にいたルドラを呼び、その背に乗る。
ヒカルが指示した方角へ向けてそのまま加速した。
彼女は元々群れで暮らしていた。
親がいて、仲間がいて。
皆で仲良く生きていたのだ。
だが、その平穏が突然破壊された。
彼女たちはこの世界でも希少な存在だった。
そこを偶然見つけた奴ら―――ロケット団が彼女たちを捕獲し始めたのだ。
戦うことをあまり好まない彼女たちは瞬く間に捕らえられ、その数を減らしていった。
群れはやがて散り散りになり、難を逃れた彼女も独りとなった。
だが、他の場所を知らぬ彼女は同じ海に暮らし続けた。彼女の仲間を捕らえた人間を信じず、心にぽっかりと穴を開けたまま。
そして再び、奴らが現れた。
「おい、まだラプラスが残ってたぜ!」
「まだこの辺にいたとはな、ついてるぜ俺ら!」
黒ずくめの男たち―――ロケット団がこのクチバ湾に来ていたのはつい先日だ。
彼らは豪華客船と名高いサント・アンヌ号でポケモンの密輸・運搬をしていた。それを‘赤い帽子のガキ’に邪魔され、一度は撤退した。
しかしラプラスの情報を手に入れ、マチスが部下を引き連れ戻ってきたのだ。
だが、それもまた邪魔された。
マチスが敗れたという‘黄色いスカーフのガキ’によって、ロケット団は撤退を余儀なくされた。
その最中で偶然見つけたのだ。一匹で彷徨うラプラスの姿を。
「おい、そっちを塞げ! 逃がすなよ!」
「任せときな! いけ、メノクラゲ!」
ボールから放たれたメノクラゲが毒針をチラつかせ、ラプラスの足を止める。後ろに振り向きそちらに逃げようとするが、そちらにも新たに現れたメノクラゲによって阻まれる。
身動きの取れなくなってしまったラプラスにじわりじわりとにじり寄る。
その様にすっかり怯え、ラプラスは動こうとしない。相方と頷き合い、一斉に襲い掛かろうとした、その瞬間。
「――――“かえんほうしゃ”!」
またも現れた‘黄色いスカーフのガキ’に阻まれた。
「ぐあっ!」
「うわぁ!」
ルドラの“かえんほうしゃ”の直撃を受け、ロケット団が後退する。
その隙に狙われていたのりものポケモン、ラプラスに近づく。
「大丈夫か?」
そっと手を伸ばし頭を撫でようとする。
だが警戒の声を上げ、ヒカルから距離を取った。
ヒカルはその行動で今のラプラスの心理状態を何となく理解することが出来た。
ラプラスは元々希少なポケモンだ。それを執拗に狙われ家族も恐らく奪われてしまっただろう。そのせいで人間不信に陥っているのだ。
ポケモンにそんな思いをさせていると頭で分かった時点で、もう我慢は効かなかった。
「お前ら、覚悟はいいな?」
先のマチスとの戦いのような鋭い目つきで睨む。
その気迫に思わず怖気づいたロケット団だったが、ぶるるとかぶりを振った。
「ガキなんかに負けるわけねぇだろが! やっちまえメノクラゲ!」
トレーナーの指示に従い、ヒカル目掛けて二体のメノクラゲが突進してくる。
一方のヒカルは至って冷静に、口を開いた。
「ロンド“すてみタックル”」
突如水中から現れたロンドによってメノクラゲは宙へと投げ出される。
「“りゅうのいかり”」
ヒカルの怒りを乗せた技が炸裂し、二体のメノクラゲをあっという間に戦闘不能にさせた。
「なっ…!!?」
「何なんだ…このガキ…!?」
みるみる青ざめていくロケット団にもう一度“りゅうのいかり”を浴びせる。
その時のヒカルの冷たい目で我に返り、ラプラスには目もくれず遁走していった。
「……ふう、ありがとな二人とも」
戦闘時の覇気が嘘かのような穏やかな声音でルドラたちをねぎらう。二体もそれに応え返事をした。
「っと、大丈夫だったか、ラプラ、ス…」
そしてもう一体、振り向いてラプラスに声を掛け――ようとして、そこにいないことに初めて気づいた。慌てて辺りを見回すと、少し離れたところに泳いでいるラプラスを見つけた。
ヒカルはロンドに飛び降り、ラプラスへと再び近づいていった。
「おーい! ラプラース! 待てって!」
大声で呼び止めようとしたが、ビクッとしたかと思うと逆にさらに遠くへ行ってしまった。
そんな様子のラプラスを放っておくわけにもいかず、さらに追随し声を掛けた。しかしまた逃げてしまう。そんな追いかけっこをしばし続けた。
途中ボールを投げて止めるという方法を思いついたが、それでは人間不信は直らないと首を振った。何より、奴らのやり方と相違ないではないか。
「ラプラス! いい加減止まってくれ!」
必死に叫ぶが、ラプラスは怯えた表情で逃げてしまう。
が、突然その身体がぐらりと揺れる。
「っ、ラプラス!?」
慌ててラプラスの側に寄ろうとして、
「ッ、止まれ!」
真逆の指示を出した。
その視界には、巨大な渦潮があった。
***
「ラプラス! 早くこっちに来るんだ!」
ヒカルが声を荒げる。
だがもう大分渦に巻き込まれてしまったらしく、小さく首を動かすだけ。かく言うヒカルもこれ以上は近づけない。
ラプラスが心を開いてくれるまで、ボールは使わない。
そう決めたはいいものの、これでは事態は変化しない。悪くなる一方だ。
だがそれでもしたくないと思った。ここまで積み上げたものを崩してしまうような気がしたから。
何とかして、ラプラスに信じてもらう。
そう考えている間にも、ラプラスはどんどんと渦潮に引き込まれる。
「ラプラス!」
何も出来ないことに焦燥し、辺りを見回す。
すると、足元から光が見えた。
そこにはコアを点滅させるロンドの姿。
数秒押し黙って――――
「閃いた!」
叫ぶが同時か、ポケモン図鑑を開く。
仲間のコンディションを確認し、躊躇いなくヒカルは次の行動に移った。
「ロンド“こうそくスピン”!」
図鑑を閉じ指示を飛ばす。ロンドも躊躇わず指示を実行する。
回転を始めたロンドは、ヒカルを乗せたままどんどんと加速していく。周りの水が引き込まれ、ロンドの周囲にも小さな渦が作り出されていた。だが目的はそれではない。
加速に耐えながら身をかがめ、そして、
「今だ!!」
掛け声と同時にヒカルは宙を舞った。
ロンドの回転の勢いを利用して大ジャンプをやってのけたヒカルは、危なげにラプラスの背に着地した。
「うわっとと!?」
バランスを崩しかけるが何とか踏みとどまる。ラプラスの背に掴まり体を安定させてから、顔の方へと近づいて行った。その様に驚いたラプラスがこちらを振り向く。
「落ち着けラプラス! 大丈夫だ!」
暴れようとするラプラスの頭にそっと触れ優しく撫でる。だが伝わり切らないのか、ヒカルの手を振り除ける。
ヒカルもそれに構わずラプラスに抱きついた。そのままラプラスに精一杯語りかける。
「ラプラス! 俺のことは嫌いでもいい! でも俺はお前を助けるためにここにいるんだ! だから、俺のことを信じてくれ!!」
ごうごうと渦はさらに大きくなり、二人を中心へと呑み込んでいく。
「いいか、お前はただ後ろを向いて俺の合図で“みずでっぽう”だ。それだけでいい」
ヒカルは必死に語りかけた。
少しでもいい。ラプラスが俺をほんの少し信じてくれるだけで、この場を切り抜けられるはず。
ヒカルはその気持ちすらも信じていた。
「頼む、ラプラス――。俺はお前を助けたいんだ」
そう言って頭を下げた。
今のヒカルにはこれしか出来ない。
ラプラスを信じていると。
それだけを真っ直ぐに伝えた。
やがて、
「フゥ…」
初めて、ラプラスの優しい声が聞こえた。
ソプラノの美しく響く綺麗な声。
ヒカルは顔を上げ頷くと、上空にいるルドラに合図した。
「ラプラス、後ろを向いてくれ!」
ヒカルの言葉に小さく頷き、ラプラスは何とか後ろに向き直った。
その背には、高熱を発する一体の仲間。
「ルドラ! 渦の中心に“かえんほうしゃ”!!」
翼を広げググッと力を溜めたルドラは、勢いよく蒼炎を放った。
そして――――思った通り、水が蒸発し渦の勢いが弱まった。
他のリザードンと出会ったことはないが、恐らくルドラはどの個体よりも高温の炎をはくことが出来る。
以前、火は赤より青の方が熱いというのをナナカマド博士が言っていた。
そして高温であればあるほど、炎は水を蒸発させる。
そのため渦潮の勢いが弱まったのだ。
だが、それだけではまだ脱出できない。
「ラプラス! “みずでっぽう”!!」
精一杯の気持ちを込めて叫んだ。
ラプラスもそれに応えるかのように技を放った。
放たれた“みずでっぽう”は弱まった渦にぶつかり、ラプラスの身体を少しずつ外側へと押しやった。
「いいぞ、その調子だ!」
渦の勢いを“かえんほうしゃ”で弱め、“みずでっぽう”で流れに乗りながら外へと出ていく。
これがヒカルの思いついた作戦だ。
そしてそれは見事に成功した。
ラプラスの巨体はゆっくりと渦の外へと押し出されていく。
あと二メートルほどまで押しやったが、そこで外に出る勢いが急に弱くなった。
理由は簡単だ。
「大丈夫かラプラス!?」
それはラプラスの疲労によるものだ。
元々トレーナーがいたわけではないラプラスは、鍛えられたルドラとは違い体力に大きな差があったのだ。それがあと少しのところで表面に出てきてしまった。
ラプラスの“みずでっぽう”の勢いがみるみる弱くなっていく。
「くっそ…!」
ヒカルは強く歯を噛みしめ、必死に策を考えるがそれすらもままならない。
焦りが段々と募っていき、ラプラスの“みずでっぽう”が途切れたのと同時に。
「…っ!?」
ラプラスごとヒカルの身体が持ち上がった。
そのまま残りの距離を空中で進み、穏やかな波の上に着水した。
ホッと胸を撫で下ろし、ラプラスの様子も確認する。疲れてはいるが目立った外傷もなさそうだった。ヒカルの視線に気付き、ラプラスも小さく返事をした。
そして、二人の窮地を救ってくれたポケモンを見やる。
「お前、いつの間に新しい技覚えたんだ? …でもありがとな、ロンド」
ヒカルの手にある図鑑の画面には新しく“サイコキネシス”という技習得の文字が。
それに胸を張るかのように、ロンドは一際強く綺麗な光を一回だけ発した。
***
真夜中。
こっそりと抜け出た道を戻り病室へと戻ると、待ち伏せしていたマサキに見つかり説教されることとなった。
「全く、レッドとホンマそっくりや。無茶したばっかですぐこんな事しよって!」
「だから悪いって…」
「わ・る・いィィ?」
「………スミマセンでした」
何故かマサキの説教に勝てる気がしなかった。それはオーキド博士に初めて会ったときにも感じたなぁとふと思い返していて、すぐ思考を止めた。きっとまた何か起きると直感で感じ取った。
「あ、そうだ。マサキ」
「なんや」
「こいつ、センターに預けに行ってくれないか?」
そう言って一つのモンスターポールを差し出した。
「んん?」
反射的に出した手に乗ったボールをまじまじと眺め、中にいるポケモンに気付いて、
「おまっ、これっ、どないしたんや!!」
「これって言うなよ。疲れてるはずだから休ませたいんだ。頼まれてくれるよな?」
ヒカルのニッコリスマイルに先程までの態度で接することも出来ず、「んぐぐ…」と妙な唸り声を上げた。
「…しゃーない、せやけど! ヒカルはベッドに入れ! 寝ろ!」
「分かったって。――――おやすみ」
素直にベッドに潜り毛布を被る。その様子をきちんと確認してからマサキは病室の戸を開けた。
扉が閉まるその直前、ボールの中と視線があった。気がした。
「――――これからよろしくな、ララ」