ヤマブキの決戦から二週間が過ぎた。
ヒカルは今、とある険しい山に篭っている。
理由は明快、修行のためだ。
最後の戦いで、ヒカルは負けた。
勝ち進んできたという実績から慢心してしまったのだ。そのせいで、あと一歩のところで逆転を許してしまった。
いや、そもそもあの勝負は勝てなかっただろう。実力が違い過ぎるのは最初から分かっていたことだ。
それでも、背くことが出来なかった。
背いては、己の正義に反してしまうから。
だから、一人でも守り切れるほどに強くなる。
そのためにここに来たのだ。
***
「修行、始めるぞ。ルドラ」
簡素な朝食を終え、ゆっくりと立ち上がる。
隣で同じくポケモンフーズを食べていた《ルドラ》も、のっしりとした様子で起き上がった。
風の噂でレッドがポケモンリーグで優勝したと聞いた。
出会ったときにも感じた才能の片鱗は間違ってなかったらしい。あのグリーンと白熱する大激闘を繰り広げたという。
出来ることなら自分もそこに加わりたかった。
だが実力が足りないだろう。きっと彼らには敵わない。
そのためにも、強くなりたい。
グルゥ、とルドラが小さく鳴く。
励ましてくれたと思い、頭を撫でて答える。
「……ありがとう」
こうして一日が始まる。
「“かえんほうしゃ”!!」
ヒカルの指示を受け蒼炎が放たれる。
炎は真っ直ぐ的である大岩に向かい、中心から粉々に砕いた。
修行を始めてかなり日も経ち、ルドラや他のポケモンたちも調子が良くなっているのが見て取れた。
思えばちゃんとした訓練をしたことは、カントーに来てから一度もなかった。ジムリーダーたちに出会うたびにバトルをこなし、必然的に強くなっていったが、それでも付け焼刃に変わりない。
ヒカルたちが得てきた経験は無駄ではないだろう。だがそれだけでは越えられぬこともあるのだ。
「ライ」
振り返って名を呼ぶ。
アートと共にコンビネーションの練習をしていたらしいが、ヒカルの声に気付き二人揃って駆け寄ってきた。
「次は二人の番だ。スタンバイしてくれ」
頭を撫でながら二人を見やる。以前より引き締まった体は、この短期間での成果を物語っていた。
二人が定位置につく間にルドラを労い休憩するよう告げる。するとこれ幸いとルドラは真っ直ぐロンドの方へと飛んでいき勝負を申し込んだ。挑発とも取れるその申し込みに、ロンドはコアを強く点滅させて応えた。
どちらも向上心があるのはいいのだが、暇があればすぐにバトルを始めてしまう。本人たちは力比べのつもりのようだが、ヒカルの手持ちでも一、二を争う強さの二人が本気でやり合えば周りにかなりの被害が生まれる。既に何度か巻き込まれている故、出来る限りそれは避けたい。
(…ライたちの次はルドラたちの模擬戦かな…)
不安はまだ幾つか残っているが、今日はまだ始まったばかり。
ヒカルは思考を切り替えてライたちに向き直った。
太陽が高く昇った頃、ヒカルたちは昼休憩に入っていた。
と言っても山籠もり中なので大したものは並ばない。最寄りの町で買い溜めした食料と、僅かに自生している果物なんかを軽く調理しただけの実に簡素なものだ。それでも飢えない程度に食べられているからヒカルは大して気にしていなかった。
当然ポケモンたちにはちゃんとしたご飯を出せない。修行であるということを皆が理解してくれたのだが、ヒカルにはそれが心苦しかった。だが何も言わず頷いてくれた皆に同時に感謝している。
とは言え、育ち盛りの少年が食べる量にしてはあまりに少なく、
「――――腹、減った」
ぽつりと零しては項垂れていた。
山籠もりを決めたときは強く意気込んでいたが、正直食事までは頭が回っていなかった。
「こんなに減るもんなのか、成長期ってやつは…」
かつて「成長期なんだからしっかり食べなさい」とか母親に言われていたのを今更ながら思い出す。
どうしてそこまで落ち込んでいるのか分からないルドラたちは、きょとんと首を傾げていた。理由を知っているライとアートは「ドンマイ」と言いたげに背中をポンと叩いた。
その時。
ドオオオォォン!! と巨大な爆発音と共に地面が抉れた。
「なっ…!?」
僅か数メートル先で起きた異変に驚愕し飛び退いた。咄嗟のことに上手く判断出来ず不格好に尻餅をついてしまう。
その隙をつくかのように複数の影が巻き上がる土煙の中から飛び出した。それらは食事中であったヒカルたちに一斉に襲い掛かってきた。
「っ、応戦だ!」
奇襲とも言えるそれらにも臆せず、ライたちは素早く戦闘態勢に入った。
大きく振りかぶられた影にライが身を翻して躱し、アートが“でんこうせっか”で吹き飛ばす。
一方で正面に突進してきたところを、ロンドが絶妙のタイミングで“ひかりのかべ”を使い、威力と勢いを相殺する。
また一方でララが“なみのり”で全方位を覆う壁を作り出し、敵の進行を阻害した。
その中でただ一人、ルドラだけが何故か動くことが出来なかった。
「ルドラっ!!」
ルドラに迫り来る鉤爪をヒカルが咄嗟に庇う。両手を広げて立ち塞がるも、あと僅かにまでそれが迫ったとき思わず目を瞑る。
しかし、その爪はヒカルに触れることなく眼前を切っただけだった。
恐る恐る右目を開くと――――翼を大きく広げ雄大さを示すかの如く一度咆哮を上げた。その者を中心に残りの襲撃者が左右に並ぶ。
そして、中央で悠然とこちらを見つめ返す‘リザードン’と目が合った。
「――――どういう、ことだ」
状況の変化にあまり頭が追い付かず、ひたすらに立ち尽くす。
だが相手はそんな間も与える気はないらしく、リザードンの取り巻き――三体のハクリューが再び迫ってきた。
未だルドラが動く様子はなく、相手が好戦的という不利な状況のせいか逆にヒカルは冷静になっていった。とにかく、この状況を何とかせねば。
「行くぞライ、“10まんボルト”!」
ルドラの前に躍り出たライが電撃を放った。扇状に広がった変則的な電撃は三体を捉えたが、効果がいまひとつなことも重なり完全に動きを止めることが出来なかった。だがそれがヒカルの狙いである。
「“でんこうせっか”から“にどげり”!」
アートの助走なしのトップスピードから繰り出された体当たりで一体のハクリューが大きく仰け反る。反動で宙に浮いた状態から二体のハクリューに向けて一発ずつの蹴りを放った。強烈な攻撃に二体も大きく仰け反り、ハクリューたちの動きが止まった。
すかさずそこに追い打ちをかける。
「“ふぶき”!」
一カ所に集まったハクリューたちに向けて極寒の吹雪が放たれる。効果抜群の攻撃にハクリューは一撃で体力を削り切った。
「ルドラどうしたんだ! お前も手伝ってくれ!」
背中越しに叫ぶが、そこから動く気配は感じられない。一体何がルドラをここまで無力化させたのか。
(っ…考えても今は分からない。だったら…!)
起き上がって再び攻撃してくるハクリューたちに向け、アートに“でんこうせっか”を指示する。真っ直ぐに突っ込んだアートは一体の前で方向を急激に変化させ、別のハクリューへと向かう。
釣られたハクリューはアートを追おうとするがそこをライに阻まれる。僅かに生まれた隙を突いて噛み付き、叩き付けるように投げ飛ばした。
その間にもアートは‘攪乱’の役をこなし、ロンドとララが動きを封じた。ララの“れいとうビーム”がクリーンヒットしたとき、ヒカルとルドラを残しリザードンとの一騎打ちの形が出来上がった。
「さあ来い、リザードン!」
再びルドラの前に立つヒカル。ここまでは順調に進めることが出来た。
(最初にルドラを攻撃しようとしたとき、あいつは攻撃を止めた。俺には攻撃を当てないって気持ちがあるんなら、きっと何か理由がある)
そうでなければルドラが襲ってきた野生のポケモンに対してここまで戦えなくなる訳がない。
初めてリザードンと会ったから、と言う理由が当てはまるのかも知れない。だがきっとそれだけでは無いはずだ。
(応えてくれ、ルドラ…)
少し意識を背の方に向ける。
変化は感じない。
なら、後は信じるだけ。
「グルウゥゥゥ!!」
リザードンがヒカル目掛けて突っ込んでくる。もう攻撃の手を緩める気はないらしく、先程までとは纏う雰囲気が違っていた。
ポケモンに攻撃を行う手段を持たぬヒカルは、反撃することもなくリザードンの爪を正面から受けた。
皮膚が裂け腹から血が噴き出す。溢れた血は服やスカーフに飛び散り、多くは地面へと流れ落ちた。決して少なくはない量だ。その光景にライたちは目を見開いている。
よろめきながらも何とか膝を付くことはしなかった。口の中に溜まった血を吐き出し、再び距離を取ったリザードンを睨み付ける。
「……そんなもんか。もっと全力で来い!」
ルドラには皆に言っていなかったことが一つあった。
それは、この山に見覚えがあるということ。
この山から懐かしい匂いがするということ。
だが、気のせいだと思った。
まだ幼い子供であったときに住処を離れた。周りのこともよく知らない子供が、ほんのちょっとの好奇心に任せて、嘘に乗ってしまった。それが家族との別れになるとも知らず、いつか会えると信じて。
暫くしてかつてのトレーナーの変貌により家族の存命が分からなくなった時、最初は受け入れることを拒否していた。失ってしまったのだと思った。
だが、既に隣には家族と同等の存在がいた。
たった一人の家族を失ったけど、沢山の家族を得ることが出来たのだ。
なら、家族のために生きよう。戦おう。
ルドラはそう誓った。
しかし、本当の現実はまだルドラを陥れた。
襲ってきた連中に見覚えがあったのだ。そう、かつての家族と暮らしているとき、ルドラは何度か彼らと会っていた。
その内の一体のリザードンが母親に親しくしていたことも覚えている。そして今、泣き出しそうなほど悲しい目をしている。
その事実が何より告げていた。
母親は、死んだのだと。
あの時、ここで、奴らに殺されたのだと。
戦うという意志すら凌駕した事実に打ちのめされ、ルドラの意識は宙に浮いているようだった。
仲間が自分を庇うように立ち回っているのが見える。
だが何もする気が起きない。
何も、何も――――
「そんなもんか。もっと全力で来い!」
その言葉には聞き覚えがあった。
かつて、トレーナーに見放され野生に戻っていた頃、ヒカルがルドラに向けた言葉だ。
周りを信じられなくなって、ただ闇雲になって暴れていたとき。ヒカルはそうしてルドラを叱咤した。
結果“かえんほうしゃ”という新技の体現と言う形で‘己の強さ’を証明した。
自らの怪我おも顧みず、他者であった自分を光へと導いてくれた。
信じる心を蘇らせてくれた。
ルドラは顔を上げる。
足元には小さな血溜まりが出来ており、体は微かに震えている。
でも、目の前に立つ《家族》は、前を向いていた。
大きく見えるその背の奥から、大きな爪が襲い来る。
ルドラの目に光が戻る。
今度こそ腹を抉れる角度で爪は振るわれた。
無力であるヒカルには、それでも信じることを止めなかった。これで変わらなければ、まだ抗うのみ。
そうして攻撃を受け入れようとした。
突然体が宙に浮いた。
(え……!?)
最初は体が吹っ飛んだのかと思った。
だが衝撃は前からではなく後ろから来たことに気付いた。
ヒカルがルドラの背に落ち、ルドラが“きりさく”を決めたのはほぼ同時であった。
強烈な一撃を喰らったリザードンはその場に崩れ落ちる。
そして、ルドラは勝者の咆哮を高々と上げた。
意識はそこで暗転する。
***
唐突に意識が戻った。
心配そうに顔を覗き込むルドラが最初に映った。
「……よくやった」
重たい腕を上げルドラの頭を撫でる。
目を細めて喉で小さく鳴くその姿は、初めて他人に見せた甘えの仕草だった。
それを皮切りにライやアートがヒカルに飛び乗って来た。
「ちょっ、痛たたたっ!? お前らちょっとストップ! あ、ララ? おま、止めろ! お前が乗っかったら俺死ぬってば!?」
腹に出来た傷が猛烈な痛みを発しているが、それに構うことなくライたちはヒカルの無事を噛み締めていた。
それで痛い目に遭うのは後先を考えなかったヒカルの自業自得である。いつもは乗ってこないロンドまで覆い被さろうとしてくるあたり、かなり心配させていたのは明白だった。
それなりの時間が流れた後、ヒカルはようやく解放された。
傷口はまだ完全に塞がっておらず、血がジワリと染み出している。
「いっつつ……ルドラ、そこのリュック取ってくれる?」
手渡されたリュックから人間用の傷薬と包帯を取り出し、慣れない手つきで傷口に処置を施した。途中ライに手伝ってもらいながら包帯を巻き、ついでに皆の治療も行った。
傷の手当てを終わらせてから、待たせていた彼らの方へと向き直る。
律儀にじっと待っていてくれたリザードンたちは、暫しの沈黙を破って頭を下げた。
「……何で謝ってるのか、俺には分からない。だから、何を伝えたいのかはっきりさせてくれ」
その言葉にリザードンは顔を上げた。きっと罵られると思っていたのだろう。
「ちゃんとした理由があるんだって思ってたから。――――教えてくれるよな?」
ヒカルの真っ直ぐな目に、リザードンは頷いた。
***
「ここは…お墓?」
リザードンたちに連れられ辿り着いたのは、大きめの洞穴と、その前にある小さな土の山だった。
リザードンがルドラに向けて何かを告げる。
その時のルドラの目はとても悲しそうで、とてもよく知ってる気がした。
「ルドラ、ここを知ってるのか?」
ヒカルの問いかけにルドラは応えない。いや、ほんの小さく頷くだけでずっと俯いてしまっている。
今にも泣きだしそうなその姿に、ヒカルは以前の自分を重ねた。森の中で目覚め、たった一人になってしまったと思ったその時の自分と。
同時にヒカルは何となく察することが出来た。
「お前、ここに住んでたのか?」
――――ルドラはまた小さく頷いた。
ヒカルがルドラと出会ったのはまだヒトカゲであった頃、ロケット団の《あいつ》の手持ちとしてだ。
当然あいつと出会ったときのことをヒカルは知らない。ポケモンの声を聞くことが出来ないヒカルには知ることは不可能だ。
しかしルドラの悲しみに満ちた目を見て、ここでとても悲しいことがあったことは明確であった。この山に住んでいたのならほぼ確定的だ。
同時にさっきの感慨は間違っていないと思った。
なら答えは一つだ。
ルドラの目がかつてのヒカルと同じなら、彼の家族が出来事に関わっているはず。
そして、目の前にあるのはお墓。
恐らくあいつの手持ちとなるとき、家族は殺されたのだ――――ロケット団に。
そしてあいつの手持ちとなることでルドラは生き残った。あいつの言葉を信じて旅立ったが故に。
ルドラの背中を優しく撫でる。
「お前は生きてる。生きてるんだ。だから――胸を張れ」
家族と生き別れたルドラ。
離れ離れになってしまったその境遇は、まるで自分の過去を見ているかのようだった。
(父さんと母さんはいないけど、きっと生きてる。でもルドラにはもういない。それでも、親ってこういうことを言ってくれると思うから)
「家族の分まで、幸せになるんだ」
涙に濡れる咆哮は、山の中で木霊し溶けてゆく。
ぎゅっと抱き締めたルドラの背中は、陽だまりのように暖かかった。
暫し手を合わせ家族の冥福を祈った後、ヒカルたちはその場を後にした。
ヒカルの傍らには一匹のハクリューがいる。
彼が自ら付いて行きたいと申し出てきたのだ。
「……いいのか?」
リザードンに問いかけると、黙って頷いた。
ハクリューも感謝を述べるように頭を下げる。
「またここに来るよ。ルドラの家族にかっこ悪いところ見せらんないからな」
そう言って墓の方を見やる。
暖かい光を放つリザードンが静かに微笑んだ、気がした。
「よし、修行を始めよう!」
ベースキャンプに戻ったヒカルたちは再びトレーニングを始める。
ルドラの前には、仲間になったばかりのハクリュー。かつての知り合いが《家族》という仲間になったこともあり、ルドラに一層のやる気が漲っていた。
「ん……と、そうだ!」
不意にヒカルが大声を上げる。
全員が驚いてヒカルに注目する中、びしっとハクリューを指さして宣言した。
「お前の名前は《リース》にしよう! よろしくな、リース!」
ニックネームが決まった仲間に、改めて挨拶する。
ふとルドラがそんなヒカルに目をやった。
腹の傷はまだ癒えていない。心の傷も、まだ。でもこれからもっと無茶をするかも知れない。
自分を鼓舞するためだけに流した血が脳裏を過ぎった。
もしかしたら、いつか――――
ルドラの想いが伝わったのか、ヒカルは不意に空を見上げた。
キラキラと光を零し飛ぶ小さな生き物が、虹のように放物線を描き翔けて行った。
だいぶ遅くなりましたが、これでカントー編は本当に完結です。
次からはイエロー編が始まりますので、気長にお待ちください。