一対一の戦いから一転、追う者と追われる者の構図でヒカルたちの戦いは続いていた。
カンナの乗るジュゴンは、器用にも“れいとうビーム”で道を作りながら攻撃を仕掛け続けてくる。それらを紙一重のところで何とかドードーが掻い潜り、トキワの森を駆け抜けてゆく。
ヒカルはちらりとドードーの手綱を握る麦わら帽子の少年を見た。
《イエロー》と名乗った少年は必死にドードーを操り、ジュゴンの猛攻を凌いでいる。戦いは得意ではないと言っていたが、かなりの度胸を持っているのかも知れない。ヒカルやマサキを乗せながらのこの状況は精神的にも重荷であるはずだが、被弾は一度もしていない。
しかしそろそろ限界だ。横に並ばれてはいないものの、不利なことに変化はない。
「ヒカルさん!」
不意に呼びかけられ、思考を一時中止する。
「何だ!」
「もう限界です! お願いします!」
「っ……!」
迷っている時間は終わってしまったようだ。
半ばやけくそになりながらカンナの方に向き直った。
ニヤリ、と笑った気がした。
「ジュゴン!」
予感が的中し、“れいとうビーム”が曲線を描きドードーの進行方向に飛んできた。途端に目の前に氷の棘が作られ、イエローが急ブレーキをかける。
「くっ!」
くるりと向きを変え、走り出した方向はなんとカンナのいる真後ろ。
「血迷ったか! わざわざこちらに来てくれるとはね!」
双方共にスピードは緩めない。
衝突まであと僅か、カンナが目と鼻の先になり、勝利を確信した顔が驚愕に変わる。
ぶつかり合う直前にドードーが九十度向きを変え、背に乗るヒカルがカンナ目掛けてタックルをかましたのだ。
想定外の行動に判断が遅れ、カンナはヒカルもろとも吹き飛び地面に叩きつけられる。
「ぐっ!」
「がっ!」
痛みに顔を顰めながらカンナは素早く体を起こし、ドードーの向かった方向を見た。ヒカルを囮にしたのか、一瞬の隙にその姿は既に眩んでいた。
「ちっ……。こんなことしてくるトレーナーは会ったことがないわ」
同じように顔を顰めながらヒカルが睨みつける。
「こんなことでもしなきゃ、お前から逃げられそうになかったからな。あいつらも納得してくれた最良の策さ」
「フフフ…全く。面白くて、つくづく腹が立つわ」
ゆらりとカンナが一歩踏み出す。
たらりと汗を流しながらヒカルが一歩後退する。
地面に落ちたとき打ち付けた左肩が鈍い痛みを放っている。カンナは特に怪我もないようで、足取りは先程と代わりないように見えた。
(っ……頭がガンガンする。これは長引かせられないか)
カンナの指示と同時にヒカルは再びボールを投げた。
「“れいとうビーム”!」
「“10まんボルト”!」
ボールから飛び出したライがジュゴンの攻撃と真っ向からぶつかる。互いに相殺し合い、四散した“れいとうビーム”が辺りに白い霧を発生させる。周りの景色が遮られ視界が狭くなったことに舌打ちする。
「うおおおおおっ!!」
ヒカルの雄叫びが木霊し、ライが呼応するように電撃を放つ。
しかし、
「──いい加減腹が立つから、黙ってちょうだい」
無慈悲で冷徹な声と共に繰り出されたパルシェンの棘がこちらを向いた。音もなくジュゴンが近付いていたことに気付いたときには遅かった。
「“とげキャノン”」
再び襲来した氷のミサイルがヒカルとライを容赦なく撃ち抜き、爆発が起きた。
「────さて、ピカを追わなくては」
「させない!!」
カンナの真後ろから声が聞こえた。それと同時に訪れたのは地鳴りにも似た音。
「やあああああっ!!」
霧が少し晴れた隙間から、イエローはジュゴンとパルシェン目掛けて竿を降る。
ボールから飛び出したピカが二体に今度こそ容赦のない“10まんボルト”を撃ち落とした。爆風が押し寄せ、それがカンナの足止めとなる。
その隙にカンナたちの脇を駆け抜けヒカルの側へ。
「ヒカルさん! 大丈夫ですか!?」
ドードーから飛び降り駆け寄る。ポケモン、トレーナー共にかなりのダメージだが、意識はまだ失っていなかった。
「……ぁあ、少年…くん。悪い、もうちょっと時間稼ぐつもりだったんだけど」
「何言ってるんですか! ボクらはそんな……!」
反論しようとしたイエローの言葉を遮り、肩を借りながら上体を起こす。
シルフカンパニーの時より今の状態は酷いかもしれない。無意識に苦笑いが零れた。
「何やっとんのや! 早よ行くで!」
ドードーに跨ったままのマサキが叫ぶ。
その声に我に返ったのか、イエローはヒカルの腕を引っ張りドードーに乗ろうとした。
だが、ヒカルは動こうとしなかった。
「ヒカルさん!?」
ここまでの動きは、多少想定とは違ったもののイエローの立てた作戦通りだった。
ヒカルが敵の注意を引き、一瞬の隙に更に痛打を与え少しでも敵の体力を削ってから逃走する。
上手くいくとは思ってない、正直無理だと思っていた。何故なら、ヒカルを危険に晒す必要があったからだ。
幾らピカを連れているといっても、イエローにはバトルの経験は殆どなかった。マサキもあまり得意ではないと言うため、実質可能性はヒカルにしかなかった。
だが、分断される前に「まずい」とヒカルは言っていた。つまり、彼でも勝てる見込みはかなり低いと言うことだ。
それでも打開策はもうこれしか思いつかなかった。だから無理を承知で彼に伝えたのだ。
でも、
「ここでもうちょっと粘らないと、完全に逃げ切れない。二人は先に行くんだ」
ヒカルは無理どころか、無茶をし出した。
戦闘前に感じた深い負の感情がヒカルを突き動かしているように見えた。
「だめだ…そんなの…」
無意識に呟きが零れたことにも気付かない。
そして、せっかく作った隙が終わり、カンナは体勢と整え終えていた。
「“とげキャノン”!!」
氷のミサイルではなく、大量のキャノンが雨のように降り注いでくる。ジュゴンの“ふぶき”が全てのキャノンに纏われ、威力を増大させる。
逃げ場は、なかった。
突如。
「ラアアァァアアイっ!!」
絶叫にも似たヒカルの声が轟いた。
同時に震えながらも立ち上がったライが“かみなり”を放った。
地面を穿ちながら“とげキャノン”に迫り、爆発に似た衝撃と煙が周囲を包んだ。
薄らと煙が晴れる。
そこに追っていた少年たちはいなかった。
ちっ、と舌打ちをする。
「────逃がしたか」
***
「はぁ…はぁ…。な、何とか逃げ切れた……」
その頃、煙に紛れて逃走を果たしたヒカルたちは、道もない森の中をドードーで走っていた。
「しっかし、ホンマ駄目かと思ったで……。寿命が縮むわ」
「そうですよ」
大きく安堵の息をついたマサキがごくりと唾を飲んだ。続けて発せられた言葉から憤怒の感情を出しまくりながら、一番後ろに乗るヒカルを睨み付けた。
「ボクらを逃がすためだからって、あんな自分を傷付けるようなこと、しないでください」
何故あんな自己犠牲のような行動を取ったのか。
何故あんな暗い感情を滲み出させていたのか。
イエローには分からない。だから、イエローが言える範囲で自分が嫌だと思ったことを言う。ヒカルには傷付いて欲しくないと、心のどこかで思い始めていたからこそ、会ってまだ間もない仲間にこれほど怒っているのだ。
あまり後ろを向いていられないので前に視線を戻す。ヒカルの反省を聞くために耳は傾けたままにして。
しかし、いくら待ってもヒカルから返答はなかった。
「……ヒカルさん?」
「おい、ヒカル? どないしたんや?」
マサキも訝しげに問うが、返答はない。
首を傾げながら後ろを向こうとしたとき、マサキの背中に寄りかかるようにヒカルの顔が倒れてきた。
同時に聞こえた荒い呼吸に、一瞬体が硬直する。
「……悪い。でも、俺は……守り、たくて……」
ずるり、とヒカルの体が滑り落ちかけた。
マサキが慌てて受け止め、ようやく後ろに向き直る。
先程まで痛む左肩に置かれていたはずの手はそこになく、右の脇腹を抑えていた。そしてそこには、“とげキャノン”の破片と思しき氷と────真っ赤な血。
イエローが攻撃を仕掛ける前に食らった“とげキャノン”からライを守るため、被弾した際にヒカルが庇ったのだ。それは決して大きくはないが小さくもない。しかし逃走を確実なものとするため、イエローが駆け寄った際は見えないように隠していた。
だがそんなことはイエローたちには分からない。
「ヒカル…さん!? ヒカルさん!!?」
突然の事実にイエローがドードーに急ブレーキをかける。
反動で仰け反ったマサキと入れ替わるようにヒカルに飛びつき、体を揺さぶった。
「どうして……! どうして、ヒカルさんが!」
「と、ともかく病院や! こっちの方ならタマムシが一番近い!」
「っ、はい!」
未だ動揺する頭を無理矢理切り替え、再びドードーを走らせた。
レッドのことも頭から抜け落ちるくらいごちゃごちゃしていたが、まずはヒカルを手当しなければ。
目指すはヒカルが最も行くことを渋るであろうタマムシシティ。
焦る心を沈めながら、イエローはドードーの足を早めた。
***
「お前さんが取り逃がすとはのぉ……フェッフェッフエッ」
「確かに、甘く見ていたわ」
戦いの痕跡が残る森の中。
僅かに地面に染み込んだ血を睨み付けながら、通信型コンパクトの画面に呟いた。光に反射する画面の向こうでは老婆が笑いを零しながらこちらをじっと見つめていた。その手には石で出来たと思しき装置を抱えている。
「イエローと名乗ったあの少年も厄介だけど、もう一人、面倒なのがいたわ」
「ほう? レッドのピカ以外にアタシらに噛み付けるやつがおるのかえ?」
老婆は面白そうに問う。
リーグ優勝したトレーナーのポケモンが面倒なのはともかく、イエローはかなり未知であった。しかしパルシェンとジュゴンのコンビネーションを封じるかのような攻撃を仕掛けてきたことで、一つの可能性を連想させていた。即ち、あの時囮に使ったピカから記憶を読み取り、攻撃に転じたのでは、と。
そうなれば、レッドとシバの戦いに辿り着くのも時間の問題だ。それはかなり面倒なことである。
しかし、あの少年はまた別だった。
「ええ、危ういまでの意志とロケット団相手に戦うことの出来た実力。あれは臆病なんかじゃなかった」
カンナは唇を噛みながら顔を顰める。
先程叩きつけられた部分を撫でながら、コンパクトの向こうの相手に告げた。
「トキワの森のイエロー。そして、四人目の図鑑所有者ヒカル。彼らも標的に追加よ」
追う者と追われる者の構図は未だ崩れてはいない。
不敵な笑みを浮かべながら、カンナはコンパクトを閉じた。
今回は少し短い…かな?
次回をお楽しみに。あの人が出てきますよ(汗