あの素晴らしい愛を   作:落窪よしお

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前篇

 始まりのテーマ:あの素晴らしい愛をもう一度

 

 

 アイリスとコクリコを乗せた汽車は王国沿岸を目指し、遥か視界の奥に走り去った。その車両は()しくも――と言う程のこともないが、五年前に巴里華撃団が隊長大神一郎を送り出したそれと同一であった。

「お二人…どうか御無事で」花火が呟く。

「ああ、二人には何としても帝都に着いてもらわねばならぬ」グリシーヌも今や点となった汽車をなお見詰めながら、感慨深げに言う。

「さーて、二人を見送ったしアタシ達は――」

「飲みに行きましょう!」エリカが力強く叫ぶ。その言葉に三人は驚きと呆れを同時に示した。

「エリカさん?今なんと…」

「飲みに行こうと言ったんです!さあ、皆さん行きましょう!」そう言って一人大股で先導する。三人は乗り気でない足取りを、無理やりエリカに引き摺られるかの如き調子で付いていく。

「ちょ、ちょっと待てエリカ!何を飲もうと言うのだ」

「飲むと言ったら目的語は決まってます、人類の友、お酒です!こんな日には酒を飲まなくちゃやってられません!」

「おい、馬鹿言えこの阿呆隊長、まだ朝の八時だろうが!」

「エリカさんのロベリアさん化ですわ」

「いーえ、飲むと言ったら飲みます、あ、ロベリアさん良いお店紹介して下さいね!」

 図らずも他の駅利用者を威嚇せんばかりの歩調で進むエリカから距離を取り、三人は顔を見合わせた。「どういうことなのだ」

「コクリコさんとアイリスさんが行ってしまった不安を紛らわそうとしているのでは?」

「酒でか?あやつから酒を飲もうと言うなど、これが初めてだぞ」

「…………」

「ロベリアさん?」

「飲みたいんだろうさ…」

「答えになっておらぬ」

「まあ、少しだけならいいんじゃないか?たまには朝酒もさ。それに、アタシらは飲みたくないと言ってあの阿呆を一人で酒場に行かせる方がアタシは気掛かりだ」 

「ロベリアさんの意見に賛成です」

「むう…」グリシーヌはエリカを見やった。一応三人を誘いはしたが、エリカは三人が付いて来ているかなど気にしていない様子であった。「少しだけならば…よいか」

 

 

 何日か前、帝都の大神一郎から巴里華撃団宛に手紙が送られてきた。曰く大神一郎と真宮寺さくらは結婚し、大帝国劇場でその披露宴が催されるとのこと。そこで巴里花組副隊長のアイリス並びにコクリコが、巴里華撃団代表として極東へ向かうことになったのである。

 無論、巴里花組全員が東京行の汽船へ搭乗することを希望したが、人員不足の悲哀から東京旅行が許されたのは二名のみ。現在の巴里華撃団はグランマの指導の下、強力な組織になるべく大規模な改革の最中(さなか)にあり、それはつまり懐かしき友人の結婚に(かこ)つけて現場を疎かにしてはならないということである。

 

 

 バーには三人の女と一人の酔っぱらいがいた。

「えへへ…このワイン、美味しいですねえ~何てお名前ですか?」巴里の婦女子にあるまじきへべれけな発音でエリカが言った。

「エリカさん…それ、ウイスキーです…」他に誰も客がいないにも拘らず、無性に恥ずかしい気がして花火は静かな非難の口調で正した。「へえ~良い名前ですね!私、このビール大好きです!」エリカはウイスキーのボトルに頬擦りをした――紅い、今にも爆発しそうな顔で。

「おいロベリア、そなたが少しと言うからエリカに付いて来たのだぞ…」グリシーヌは何処か煮え切らない風に言った。

「アタシだって止めようとしただろ!なのにこの馬鹿が聞かねえから!それにエリカを止められなかったのはアンタも同罪だ」

「その通りである…」責任の一端を感じてグリシーヌは身を小さくした。

 エリカは酒場へ行くと言ったが、最早(もはや)巴里の名物であるシャノワールの踊り子が朝から大衆酒場に出入りしていたところをフアンに見られては一大事と、グリシーヌが取り計らってまだ開店準備中であった上等なバーで、一行は食事をすることになった。

 四人に特別に出されたのはクロワッサン、スクランブルエッグ、ハム、サラダ、そして赤ワイン。至って健康的な朝食であった。

 しかし談笑しながら三人が食事をしているうちにも、エリカはグラスのワインを一口で平らげ、態々(わざわざ)予定外の接待をしてくれていた給仕にバックバーに置かれたあれやこれやの酒瓶を指差して運ばせたのである。

 おいとグリシーヌが咎めると、グラスにちょっと注ぐだけですよ、そう言ってエリカはグリシーヌの警戒を緩めた後、自らへの視線が外された瞬間にワインもビールもウォッカもウイスキーも、何構わずラッパ飲みに供してしまうのだ。キャーと花火が叫んだ時には在るのは酒瓶のみ。そんなことが二度三度を超して四度五度。

 これは不味いと三人が談笑を止めてエリカの監視に傾注すると、市井の修道女は酔いどれの弁士となって三人に絡み始めた。エリカと三人が会話になっているか怪しい会話をしている間にも、エリカは酒瓶との猛烈なベーゼを求める、しかし隣に座っているグリシーヌとロベリアは隙かさずその酒を取り上げる、二人がエリカの酒を(さば)くのに忙しいその虚を()いて、二人が確保しもう安心と思っていた酒瓶にエリカは手を伸ばし、ぐいぐいとやる。エリカが正面に座っていた花火の、グラスにまだ残っていた赤ワインを指して「その白ワイン美味しいですか」と聞いたあたりから、グリシーヌとロベリアは制止することを諦めた。入店から数十分後、四人が囲む丸テーブル、そしてその下にはとても一人の人間が消費したとは思えぬ量の空のボトルが転がっていた。

「だぁ――大体ですねぇ…大神さんが…ヒック…大神さんが…えっと、何でしたっけ…」エリカは頬擦りをしたウイスキーとはまた別の、新たなウイスキーを手にしていた。「ああそうだ、そもそも大神さんがいけないんですよぉ…巴里華撃団のみーんなのお尻追っかけ回してぇ…」やれやれ――と言う表情で三人は酔っ払いの戯れ言を聞き流していた。

 エリカは腕をグリシーヌの肩に回す。「グリシーヌさぁん知ってますか?大神さんたらグランマのシャワーまで覗いてたんですからぁ!もうね、大神さんは紛うことなき色魔ですよぉ」

「そなたの口臭、純粋なアルコールの()がする」

「色魔~降魔~大神さんは~…ヒック…大神さんは…」ばたん、とエリカはテーブルの上に突っ伏した。

「全く、何だというのだ!」黒を基調とした落ち着いた空間に、一人酔っぱらいの醜態だけが浮いていた。

「荒れてんなあ…こいつ」ロベリアがエリカを小突いた。エリカは起きない。「二人を見送る前、航海の無事を祈って一晩中お祈りをしていたと、エリカさん仰っていましたわ。きっと徹夜明けの妙に昂奮した気分だったのでしょう」

「神に祈った後にこの(あお)り方か…」

「おいグリシーヌ、この始末大丈夫か。アタシは一文も持ってきてないぞ」

「金のことなら心配要らぬ。問題はこの酩酊隊長だ」

「今日も今日とて訓練にレビュウですのに」

「ま、グランマにならテキトーな嘘をついときゃいいさ」

「はあ…これではアイリスとコクリコが居ぬ一ヶ月ちょっと、先が思いやられる…」

「まま、たまにはこんなこともあるわよ、グリシーヌ。エリカ隊長の日頃の行いに免じて――」花火は回想した。そしてエリカの日頃の振る舞いにこの有様を差し引きゼロに出来るだけのものがあるかと思案したが、雲行きが怪しいとみて途中でよした。「と、とにかくお仲間の失態をカヴァーするのも必要でしょう」

「ふむ…」グリシーヌはサラダを口に運んだ。「まあ、こやつが他人に何かを施そうとした訳でもなく、ここまでの粗相をすることは随分珍しいことではある」

「大神の結婚がショックだったのさ」出し抜けにロベリアが言った。「いつか大神の側で毎日朝飯を作るのはこの自分だと、この阿呆はそう考えていたに違いない」三人はしばし黙った。エリカの大袈裟な呼吸音だけが聞こえる。

「行きたかったです、帝都」湿っぽく言う。

(わたくし)もだ」

「同じく」

「大神さんとさくらさんの晴れ姿を見て、そしていつか、あの二人のお子さんが私達の許へ訪ねて来てくれることを楽しみにしていようって、そう思ったんです」

「上手くやるかね、あの二人」

「上手くやるさ」

「だろうな、きっと――」そして、ぐいとグラスを傾ける。「良いワインだ」

「さあ諸君、食事が済んだなら帰ろうではないか。シャノワールに」

「そうだな、大神が結婚しようがアタシらの日常は続く。象徴的な出来事があってそこで物語が終わる訳じゃあない」

「エリカさん、どうしましょう」

「両側から肩を貸せば何とか運搬出来ようか」

「世話の焼ける隊長だ」

 ほら行くぞと、ロベリアが半ば無理矢理にエリカの身を起こす。テーブルから引き剥がされたエリカの顔を見ると、その色は深紅を通り越して濃い(あかね)のそれに近付きつつあり、焦点の定まらない眼にぶつぶつと譫言(うわごと)を口ずさんでいた。「一緒に…ほんとの…」エリカの鯨飲など前代未聞であったが、同時にエリカのこんな無様も三人は初めて見た。大神一郎から巴里華撃団花組を任されて以来、エリカはエリカなりに真面目に隊長任務を果たしてきたのであり、それは三人もよく認めるところであったから、驚き一層である。

 店の外へ出ると爽やかな風が吹いていた。快晴、気持ちの良い春の日。人々で賑わい始めた巴里に、三人は歩いて、一人は運ばれて消えて行った。

 

 

 ロベリアは最後の気力を振り絞り、エリカを背負投た。経験に裏打ちされたフォームから繰り出された技は、正確にエリカをベッドに叩き込む。

 意外にもエリカの理性は霧散しておらず、ベッドに()したまま片手を挙げて謝意を示した。ロベリアは苦笑いして、エリカの屋根裏部屋を後にしようとした。

 その時。

「ロベリアさん…」エリカがか細い声で呼び止めた。

「私、負けちゃったんでしょうか、さくらさんに…」陰気な声のその訳は、事実エリカが泣いていたからであった。

「何言ってんだよ隊長」如何にも阿呆らしと言った口調。

「負けたのはアンタだけじゃない」

「え?」

 エリカが聞き返す前に、レビュウまでに酔いを醒ましておきやがれ――と、ロベリアは扉を閉めた。

 

 

「おーがみさんっ!」

「エリカ君」

「どうしてエリカを差し置いてさくさんと結婚しちゃんたんですかあ!あの日!あの時!エリカを抱き締めてくれたのに~!」

「いや、それはだね…」

「コラっ、エリカ。大神さんを困らせてはなりませんよ」

「あ、天使様!お祈りお祈り…」

「大神さんはさくらさんと生涯を歩むことに決めたのです。本当に大神さんを愛しているのであれば、その隣に居るのが誰であれ、応援すべきではありませんか、エリカ?」

「うう、でも天使様!エリカは本当に大神さんが好きなんです!」

「それならば…」

「いーえ、断然悪いのは大神さんです!女の子を散々(たぶら)かしておいて!男の人は心を動かした女の子に対し責任を取るべきです!」

「こっちにも天使様?天使様が二人…?」

「私は天使ではありません、ダークエリカです!」

「エリカ君が三人…」

「大神さん、どうしたんですか!」

「さくら君!えーっと、どういう訳かここにエリカ君が三人いてだね…」

「ええっ!どれが本物のエリカさんなんですか!」

「私です!」

「私です!」

「私です!」

「皆が手を挙げちゃ分からないです!」

「ちょっとぉ、私が本物のエリカ・フォンティーヌです!あなた方は偽物でしょう!」

「ですから私は偽物ではなくダークエリカと…」

「私だってエンジェルエリカです」

「もう、まどろっこしいです!誰がホントのエリカさんだろうが構いっこなし、大神さんに寄り付く女性は皆私が蹴散らして差し上げます!」

「さくら君!」

「破邪剣征、桜花ほーしーん!」

「きゃああああ!」

「さ、行きましょう、あなた」

「ああそうだね、さくら」

「お、大神さん…エリカはここに……」

 

 

 鈍痛のする頭を抑えてエリカは独り()ちた。

「プリンの夢……?」

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