彼女がいるところは一つしか思い浮かばなかった。
屋上だ。
きっと彼女は屋上に立っている。
学校と病院と監獄は同じものでできているといっていたのは誰だったか、無機質なリノリウムの階段を上がっていく。
鉄製の扉を開ける音に、金網の傍に立っていた彼女が振り向いた。
「よくここがわかったね」
「役割を考えれば当然だ」
「なにそれ」
「君は境界に立っているAIだ。屋上は境界なんだよ。学校の中でいちばん死に近づいた場所。死こそがあらゆる権力を遠ざけるものであるならば、その狭間に立ちつづけることこそ、君が役目」
「あいかわらず」
ぎし、と金網にもたれかかって彼女はいった。
「理屈っぽいなあ。怪我は大丈夫?」
「こんなの所詮データの欠損に過ぎないよ。まだ僕は演算されてる」
「そう」と彼女は目をそらして、「なんか、らしくなかったね」
「何が?」
「さっきの戦いだよ。柄にもなく真面目だったじゃん」
「真面目にもなるさ。何百回も馬鹿なことをやってきたんだから」
「あたしはそれなりに楽しかったけどな」
彼女の背後で、金網が闇に滲んでいくのがはっきりと見えた。
それだけじゃない。僕らが立っているコンクリートの地面も、煙のようにふわりと流れて消えてゆく。
周囲のすべてが、御伽話のように夢現のように溶けていく。
「もう終わりなのかな」
彼女がつぶやいた。
「――俺たちの戦いはこれからだ」
「打ち切り漫画ですか」
冷静に突っ込まれたが、彼女の口元には笑みが浮かんでいた。
「ほら、上」
そういって僕は、夜空を指さした。
闇のなかにあってなお輝く光の粒が見える。
僕らが見上げた先。
あの光はきっと星じゃない。
その証拠に――。
●
前回は腕ひしぎ十字固めエンドで終了した。
なんで、と訊かれてもAI人工知能の僕には答えようがない。
とにかく派手な終わり方だった。
なにか気に障ることでも言われたのか、ヒロインであるミサキがいきなり主人公(ゲスト)にプロレス技をかけ始めたのだ。教室にいた他のAIたちが止めに入る間もなくバッドエンドとなり、世界は演算を終了した。
そして今に至る。
気がつけば、僕は自室のベッドで薄目を開けていた。
プログラムされたいんちきな朝日がカーテンを染めている。
再スタート。
また《僕》が演算されたのだ。
こんなことを何度も繰り返していると時間の感覚がずれてくるように思うけれど、AIに「向こう側」の時間がわかるはずもない。
「こちら側」の日付は四月一日。つまり新学期の始まる最初の日。
遅れるとまずい。僕はかぶっていた毛布を蹴って学生服に着替え始めた。
カーテンを開けると、昇り始めた朝日が平凡な住宅街を照らしているのが見える。
仮想世界少女果実が、誰かにプレイされているのだ。
「おはー」
いつもの道を歩いていると、鈴の音を鳴らしたように可憐な声が後ろから響いた。
この声が聞こえたら用心しなければならない。
《少女果実》には二種類のAIが存在している。この世界のキャラクターと、それ以外の群衆AIだ。
キャラクターにはかなりの自由が認められており、なかにはこいつのようにヒロインでありながら主人公を蹴り飛ばすようなやつもいる。
僕はゆっくりと振り向いた。
鞄をふりふり、こっちに向かってくる姿があった。
草色のスカーフが馴染んでいる濃緑のセーラー服。
そこから伸びる、白くて長い手足。ローファーは磨き上げたようにぴかぴか。
そしてなによりも人目を引く、悪役レスラーのごとき謎の覆面。
覆面?
「や。今回は新しいヒロイン像を追求してみたんだけど」
目の前にきたミサキが、愕然としている僕を気にもとめず自慢げに問う。
「どうかな?」
なんだろう、この評価されると信じ切っているような覆面からのぞく大ぶりな瞳。
「とりあえず脱げ」
「うぇー」ミサキは舌を出して、「朝っぱらからえろいこといわないでよね」
「えろいのはお前だ」
そういってやるとミサキはちょっと身を引いたようにして、
「えっ、ひょっとして澄史すみしって覆面フェチ?」
なんでそうなる。
頼むから学校につく前にはずせといってやると、意外にあっさりミサキは覆面を取った。すぽんと漫画みたいな音がして、跳ねたような癖のある黒髪が肩に流れる。
「んなことばっかやってるから選ばれないんだろ」
「む。失礼な」
ミサキは覆面をむにー、と伸ばしながら、
「あたしだってちゃんと考えてるんだよ。普段は地味な覆面女子が、覆面をはずすと実は美少女だったっていうシチュエーション」
「……覆面女子って時点で地味じゃないだろ!」どんなヒロインだそれは。
「はっ」
「『それは盲点だった』みたいな顔するのやめろよ。こっちが悲しくなるから」
そういうとミサキは一転、からりと笑って、
「いやあ澄史をからかうのはおもしろいなあ」
「今までのって前フリ?」
だとしたら壮大な前フリである。
だがミサキは素に戻って、
「違うよ」
真面目な口調でそういった。
「あたし馬鹿だからさあ」それは僕も認める。「ただでさえバッドエンドが多いのに、主人公に選んでもらうためにはどうすればいいか悩んじゃって、もうこれしかないと思って」
それでなぜ覆面女子という結論に行きつくのか、一度こいつの人格プログラムを見てみたいと思う。
彼女、ミサキはこの仮想世界のヒロインだ。「向こう側」からやってくる主人公に選ばれて、恋に落ちるために存在している。
つまり僕たちは、人間たちがプレイする五感投入型VRゲームで、プレイヤーを接待するために造られたAIなのだ。
「前から思ってたけど、なんでいっつもバッドエンドにしちゃうんだ?」
「知らないよそんなの」
つい、とミサキは学校のほうへ向かって歩き出した。
僕も続いて隣に並ぶ。
「……わかっててもなぜかやっちゃうんだよね」
怖いやつめ。
《少女果実》のなかで、主人公の疑似恋愛がうまくいくかどうかはキャラクターAIが決めることだ。もちろんこの世界が五感投入型VRゲームである以上、AIたちは異性に興味を抱くようプログラムされているが、最終的な決定権はAIにある。
どんな行動をしても主人公はモテモテで、全部グッドエンドなんていう世界もどこかにあるのだろうけど、《少女果実》はどうやら判定厳しめのゲームらしい。
「でも今度こそ、素敵な王子様とらぶあまな恋愛をするんだもんね」
と、覆面をぎゅっと握りしめたミサキ。まだ持っていたのか。
「そんなやつはそもそもこの世界に来ないと思うけどな」
「なんか言った?」
「別に」
「君も協力しなさいよ。主人公の友人役なんだから」
「どうやってさ?」
そう訊くと、ミサキはすこし小首を傾げたようにして考え込んだ。ふわり、と肩にかかる黒髪が揺れて、
「……そうねえ、あいつは落としやすいぞってアドバイスするとか」
「落としやすい女扱いされて嬉しいのか」
「んー、あいつはよく見ればかわいいぞ、とか」
「よく見なくてもかわいいだろ」
実際、ミサキの容姿は制作者の愛を一身に受けたかのように愛らしかった。
細っこい体に濃緑のセーラー服が人形のように似合っていて、ふさふさした癖のある髪は仔猫のような幼獣を思わせる。官能的なほど白く細やかな肌とは対照的に、色素の薄い栗色の瞳が少女特有の警戒心を感じさせていて、
その瞳に睨みつけられた。
「むー」とミサキはうなって、「とにかく。今度こそ成功させるんだから。早妃さきや凍伽とうかに取られちゃったりしないんだからね」
早妃や凍伽、というのはあと二人いる別のヒロインたちのことだ。《少女果実》にやってきた主人公は、三人のヒロインのなかから一人選んで恋愛することになる。
「はいはい」
と軽く流してやった。
僕のAIとしての役割は、主人公とヒロインがうまく恋愛できるように調整する橋渡し役だ。だからミサキの変な言動には振り回されっぱなしだが、基本的にどのヒロインが選ばれようと関係ないのだった。
「あ、開いてる」
そういってふいにミサキが指さした先。
住宅の壁に、小さな子なら通れそうなほどの穴が開いていた。
正確には描画データの欠損である。《少女果実》はほとんど完璧な仮想世界を人間に提供しているのだけれど、この種の小さなバグはたびたび発生する。
近づいてみると、ぎざぎざした穴の外周が明滅を繰り返しているのが見えて、ここが仮想世界だということを嫌でも認識してしまう。
「しょうがないなあもう」
すっ、とミサキは右手をかざした。
直そうというのだ。
僕たちAIにはそれぞれが演じている役割の他に、世界のメンテナンスという仕事がある。
このようなバグは大抵、ほかの群衆AIが直してくれるのだが、今日はめずらしいことに誰も発見できなかったらしい。
ミサキの右手に黒い文字列が流れる。
AIは自らの皮膚にプログラムを走らせることで、この世界に干渉することができる。もちろん重要なデータを改変することはできないが、描画データくらいなら簡単に上書きできてしまう。
修正コードの流れている右手が穴に触れると、たちまち周縁から塞がっていく。
穴が塞がりきる寸前、ミサキは片方の手で持っていた通学鞄を落とし、ポケットからさっきの覆面を取り出した。
「え?」
あっけにとられる僕を気にもとめず、そのままぽいっと放り込み、
穴は覆面を飲み込んで塞がってしまった。
「なに今の?」
そう訊くと、ミサキは寂しそうな笑みを見せた。
「もう覆面には頼らないって、そう決めたの」
「……いや、その言葉だけ聞くとなんか格好いいけど」
「リングの上でもう一度生まれ変わるから」
「嫌だよ! そんな恋愛ゲームのヒロイン」
だからバッドエンドになるんだな、こいつ。
「ねえ澄史」
そういってミサキはまた歩き出す。
「あたし達があの穴に飛び込んだらどうなるのかな」
「それは――」わかりきったことだろう。「すぐに戻されるだろ。AIには描画データと違って識別IDがついてるから」
僕達はどこにも辿り着けない。
プログラムで描画された街の周縁には何もなくて、
思春期という役割を与えられたAIは成長することもない。
この世界の朝日は昇っているように見えて黄昏へと沈んでいる。
「そうだね。実はあたし迷ってるんだよね」
「……なにを?」
僕はミサキの表情を横目で見やった。
いつになく真剣な瞳をして彼女はいった。
「忍者ルートと侍ルートのどっちでいくかって問題なんだけど」
「はい?」
「やっぱり恋愛シミュレーションとしては、くノ一もののほうがやりやすいよね」
「そんなルートがあること自体驚きだ」
ヒロインたちを調整する役割として、僕は訊いてみることにした。
「あのミサキさん。普通にヒロインやるって発想はないんすか?」
「ありませーん」
「うわ開き直りやがった」
「だってそうじゃない?」
恥ずかしそうに鞄をふりふりしながらミサキがいう。
「女の子はみんな開き直って恋するんだよ。どんな手段をつかってもね」
「はあ」
その手段とやらがいろいろ間違ってる気がするのだが。
「そうだ。澄史」
「ん?」
「開いて見せてあげよう」
そういって彼女はいきなり僕の腕をつかんだ。
何、と思う間もなく引っ張られ、曲線を描く胸の膨らみに手が引き寄せられる。
彼女の左。
心臓に近いほうを鷲掴みにしてしまうかと思った瞬間。
ずぶり、と手が彼女の胸を突き抜けた。
ミサキが《自我境界》を開いたのだ。
AIの体のなかには人格プログラムが詰まっている。その内部には基本的に干渉できないが、自ら境界を開くこともできるのだ。
溶けあってしまった手から、今も演算され続けている彼女の意識が流れ込んでくる。
それは官能だった。
苦しいほど熱くて狂おしいほど甘い。砂糖菓子を鍋に放り込んで蜂蜜をかけてぐつぐつ煮込んでいるような、狂気ともいえる感情だった。
「どう?」
と問われて返事もできない。
AI同士だけができるやり方で、僕はミサキのなかにある感情を理解した。
「わかったよ。ヒロインには敵わない」
僕はずるりと手を引き抜いた。
「んふー」ミサキは満足そうに息を吐いて、「そうでしょうそうでしょう」
「これだけの感情があって、なんでバッドエンドになるんだろうな」
「それを言わないで!」
こんなに強い思いを持ちながら、彼女はどうしようもなく不器用だ。気が強いかと思えばすぐうじうじするし、本当は誰よりも主人公に選ばれたいと思っているのに、いつもその気持ちと逆の行動をしている。
――なんだかかわいいかもしれない。
ミサキのわざとらしいふくれっ面を見ながらそう思った。
AI同士で恋愛など、できるはずもないのだけれど。
「ボンソワ」
と、瞳をきらきらさせてミサキがいった。
「ムッシュー」
と、背景に色とりどりの花を背負って早妃さきがいった。
「すげーアホっぽい」
僕は右手に修正コードを走らせて、彼女らの金髪になった髪をもとに戻してやった。
「なにすんだよ澄史!」
栗色のさらさらショートが可愛いヒロイン、早妃が不満げに声を荒げる。
「せっかくフランス娘になって萌えさせてやろうと思ったのに!」
「んなカタコトで萌えるか」
「ムッシュ!」
「いやそれ使いかた間違ってるよね」
始業前の爽やかな時間。人もまばらな教室の一角で、僕らキャラクターAIは非常にくだらないことをやっていた。
ミサキが「フランス娘でいこう」と、また変なことを言いだして、早妃がそれに同調したのだった。メンテナンス用のコードを使って外見を変えた彼女らは、なぜか少女漫画風に描画されていた。
「大事なのは心よ」とミサキ。
「自分でもやってみろよ」と早妃。
ぶーたれる二人は無視。僕はそばの窓枠にちょこんとお尻を乗せているもう一人のヒロイン、凍伽とうかの意見を求めることにした。
「なあ凍伽、やっぱり普通にしてたほうがいいよな?」
凍伽はこの三人のヒロインのなかで一番の常識人だ。きっと暴走しがちな二人をそれとなく注意してくれるだろう。
凍伽は、真っ赤な唇を震わせてこういった。
「□%〃♯~~∑○→」
「宇宙娘来ちゃった!」
「おお」「その手があったか」と、二人は口を三角にして驚きの表情をみせている。
くそう、凍伽までも。なんだか《少女果実》が変な方向に行っている気がする。
「ごめんなさい」
と、凍伽はうつむいた。腰まで届く、光の加減で碧く見える黒髪がさらりと流れて顔を隠す。それでも覗き見える頬はこころなし赤く染まっていて、
「わたしも、ちょっと遊んでみたかったの」
「それだ!」
凍伽は鋭い瞳に碧くて長い髪をもつ、どこか寒い国の希少動物みたいな雰囲気のヒロインだ。セーラー服からのぞく肌はどこまでも白く、ところどころ静脈の青が浮き出ていて儚げな女の子。
そんな子が自分の前でみせる恥じらいは、AIの僕にとっても素直に可愛いと思えた。
「こういう恥じらいこそ、本当に主人公が求めているものだと思うぞ」
「えー」「まじかよー」
だがこいつら二人組にはまったく耳に届いていない様子で、やる気のない表情。
気のせいか顔のグラフィック精度も落ちてしまっているみたいだ。なんかカクカクしている。
「要するに羞恥心があればいいんだろ?」
早妃が小馬鹿にしたように訊いた。
「まあそうだけど。早妃って基本設定がスポーツの得意なお姉さんキャラだろ」
「ふ、なめるなよ」
そういうと早妃はわざとらしくしなを作ったポーズをとり、もじもじしし始めた。
頬が赤く染まっている。
む。僕を除くキャラクターAIはすべて美少女なので、ちょっと可愛く思えてしまう。
「……いろんな人に注意されたから、服を着てみた」
「どんな状況だ!」
わからない。その状況がわからない。
「なるほどー、参考になるなあ」
「ミサキも真に受けちゃだめ!」
僕は続けて叫ぶ。
「ていうかまずお巡りさんに注意されろ!」
突っ込みどころ多いなあもう!
なんだか熱くなってきてしまった。
「な。澄史がこんなに萌えてるだろ」
「いっぺん削除されてこい!」
くすくす。と凍伽にまで笑われた。
こんなヒロイン三人娘で大丈夫なのか。この仮想世界は本当に人気があるのだろうか。非常に心配である。
「向こう側」の世界のことはわからないけど、プレイする人間がいなくなってAI達がずっと眠りっぱなしになる日は近いように思う。
アホなことをやっている間にも登校してくる生徒で教室は埋まってきた。
今日はゲーム開始の日、四月一日という設定なので、群衆AIはみんな思い思いに春休みの出来事なんかを話題にしていてかなり騒がしい。
「もうそろそろ自分の席戻れって。主人公が来るぞ」
「えー」とミサキ。
「別にまだ余裕っしょ」と早妃。
AIだろうが女の子はおしゃべりが好きらしい。
じゃあね、といって凍伽が音も立てずに席に戻っていく。
「はいはい戻る戻る」
僕は残りの二人に声をかけた。
「だるー」
「ムッシュ」
「いやだから使いかた間違ってるよね」
二人が自分の席に戻ったと同時に、
すぱーんと教壇側の引き戸が開けられた。
黒いスーツを着た長身痩躯の女性が、ぎろりと周囲を見回しながら入ってくる。
教室内の騒がしい有様を見て先生はいきなり叫んだ。
「席に着け! 三秒以内に座っていないやつは戦死扱いとする!」
ばたばたと慌てて生徒達が自席に戻る。
二年三組の女教師、浅海あさみ祥子しょうこ先生はドSな上に従軍経験を持つという設定である。正直、この仮想世界の設計者はかなり変だ。
「そこの一番遅れたお前!」
「なんでありますかっ!」
群衆AIの田中が叫んだ。ノリノリである。
「我が校の校訓を言ってみろ」
「成長、努力、友愛であります」
「違う! 索敵、照準、デストロイだ!」
なんだ最後のは。
「今学年から貴様らの教官となった浅海である。容赦はしないからそのつもりでいろ。特に、先生って独身ですかー、とかふざけた口をきいたやつはその口にあたしのパンプスを突っ込んでやるからな」
ちなみに29才独身という設定である。定規で引いたように鋭角的な顔立ちは美人の部類に入ると思うのだが、主人公の恋愛対象なのかどうかはいまいち判然としない。(過去数百回のプレイのなかで彼女に挑んだ猛者はいなかった)
「ではもう一人、今学年から貴様らの戦友となった転校生を紹介する」
開けっ放しだった引き戸から、一人の生徒が入ってくる。
ようやく主人公が登場したのだ。
主人公はいかにも転校生といった愛想笑いを浮かべて教壇の前に立った。
涼しげな目元が特徴的だが、とくに整った顔つきでもない普通の生徒といった印象。
ちょっと新鮮な驚きを覚える。
通常、この世界に来る主人公たちは過度なほどに美青年であることが多い。描画データは好きなようにいじれるのだから当然といえば当然なのだが、今回の主人公は小細工なしでこの世界にやってきたのかもしれない。
「初谷はつや佑ゆうといいます」
主人公の声が教室に響く。普通ならこの後で自己紹介をしたりして、主人公はスムーズに仮想世界へ入っていけるはずであった。
そうはならなかった。
「――この仮想世界に囚われている人間の魂を救出するためにやってきました。このなかに人間がいたら、僕のところへ来てください」
教室のAI全員が唖然としていた。
浅海先生さえ例外ではなかった。人工知能というものは予想外の事態に弱い。
主人公は何をいっているのだろう。人間の魂?」
「……それはどういう意味だ?」
ややあって浅海先生が口を開く。
「言葉通りの意味ですよ。RACはこの《少女果実》に人間の魂が閉じ込められているという情報を入手しました」
そこで初谷はぐるりと教室中を見回し、
「人間の魂を持ったAI、あなたを救出します。どこにいるんですか?」
真面目な口調でそう言い放った。
僕は周囲を見回したけれど、当然、名乗り出るやつはいない。
ミサキはよくわからない、といった表情。
早妃はなんだこいつ、といった表情。
凍伽は前の席なので後ろ姿しか見えないが、たぶん無表情。
「……仕方ない」
そうつぶやいた初谷は微笑んで、
「ああ、今のは忘れてください。先生、僕の席はどこになるんですか?」
「ん。そこの、窓際の開いている机だが」
浅海先生が我に返ったように、僕の隣の机を指さした。
主人公の席は、僕の隣という設定なのだ。
この仮想世界で何かわからないことがあれば調整役の僕に訊ねるという仕組みである。
何百人もの主人公を案内してきた僕ではあるが、正直どう接すればいいのかまるでわからない。
そんなことを考える間にも、つかつかとやってきた初谷は隣の席に座って、
「よろしく」
なんでもなかったかのように、そういった。
「あ、ああ。なにかわからないことがあったら何でも訊いてくれよ」
「そうさせてもらうよ」
混乱し続けている僕など気にもとめない、平然とした態度。
「……あ、あの」
「ん?」
「僕のほうから訊きたいことはいろいろありすぎるんだけど」
ごくり、と唾を飲み込んで僕はいった。
「とりあえずRACって何?」
「論理攻撃特権Right to logical attackを保有する人工知能監察局 Artificial intelligence Control department」
……向こう側の世界って、一体どうなっているんだろう。
二の句が継げなくなっている僕を見て、彼は頷き、
「そっか。AIはこの世界に準じた知識しか持たないのか」
「人間の魂ってなんのことだ?」
だが初谷はその問いには答えず、
「――ここは面白そうな仮想世界だよね。電力がまだ機械にしか供給されていない頃の、懐古趣味あふれる世界で体験する甘酸っぱい恋愛。そういうコンセプトだろ?」
「ええと、まあいちおう」
電力?
「僕も楽しみたいところだけど今回は仕事だ。悪いけど勝手に調査させてもらうよ」
「はあ」
そこで僕は混乱したまま、これまで何百回も口にしてきた台詞をつぶやいた。
「なにかわからないことがあったら、何でも訊いてくれよ」
「それ、さっきもいったよ」
初谷は苦笑した。
ホームルームが終わる。浅海先生の喋ることなど何一つ頭に入っていなかった。
クラスメイト達が次々に教室を出て行く。
今日はこの後全校集会があって解散、というスケジュールなのだ。
立ち上がりかけたそのとき、こっちに向かって歩いてくる生徒の姿が見えた。
そいつはつかつかと教壇側からやってきて、いきなり通路に置いてあった誰かの鞄に蹴躓き、盛大に転んだ。
「ふぎゃあ!」
大音声とともに周囲の机を巻きぞえにし、着地点は寸分違わず初谷の目の前。
両足を横に投げ出したような格好で倒れたミサキは、「いったぁ」とつぶやいて上体を起こした。
とんでもないことになっていた。
スカートが腰のほうまでめくれ上がっている。太腿から腰につながる白い肌が露わになって、さらに白い「何か」までちらっと見えていた。
気づいたミサキは両手でばっ、とスカートを押し下げ、真っ赤な顔で問う。
「見た?」
ぱち、と何かのフラグが立つ音が聞こえたように思う。
しかし目の前の初谷は平然としていった。
「今度は休暇取って来ようかな」
「え、なに?」とミサキが聞き返す。
「なんでもない」
「ごっ、ごめんねあたしドジだからさあ!」
気まずい空気を押しのけるように、まだ赤面中のミサキがいった。
「初谷君、体育館の場所わかる? あたし案内するよ、そうするよ!」
「ありがとう。でも一人で行けるから大丈夫」
ぽき、と何かのフラグが折れる音が聞こえた。
取り残された僕とミサキは顔を見合わせる。
ミサキは、うんと頷いて、
「ドジっこはナシ、と」
「そういう問題じゃない」
僕は無残に散らかった机を見ていった。
「とりあえず直そう」
「うう。ごめんね」
僕らがなんとか机を元の位置に直し終えたところで、早妃と凍伽がやってきた。
「なんだよさっきの」
早妃が声を荒げた。
「ドジっこを演出してみたんだけど」
「そこじゃない。なんだよ人間の魂って」
「本人に訊いてみろよ」と僕。
「さっき訊いてみたよ。そしたらちょっと笑っただけですぐ行っちまった」
「なんか人工知能監察局とかいってたけど」
「げ。なんだそれ。ひょっとしてあたしら廃棄処分になるのか」
「うそお」とミサキが悲惨な声を出す。
「それはないとおもう」凍伽が冷静にいった。「まだこの世界は演算されている。彼はなにか目的があってここにきた。この中に自分が人間だっていうAIはいる?」
ミサキが、ふるふると首を振る。
早妃は、「あたしが人間だったらとっくに逃げ出してるね」と悪態をついた。
「さっき彼は閉じ込められているといった。とにかくもうすこし話を聞いてみましょう」
「取りあってくれるかなあ……」
明らかに落胆しているミサキを見て、早妃が思いついたように、
「よし、あくまでここは恋愛ゲームのなかだ。一番人気の凍伽に行ってもらおう」
「え」
と、凍伽がすこしだけ嫌そうな声を出す。実際、希少動物を思わせる儚げな容姿の凍伽は主人公から一番選ばれているヒロインであった。
「そうだな。もし主人公が望むなら協力することもできると思う」
と僕が頷くと、
「……ねえ、早く行かない?」
そういってミサキが傍に寄ってきて、学生服の裾をつまんできた。
気づいて辺りを見回すと、教室の中には僕ら四人のほかに誰もいなくなっていた。
公立にしては新しくて綺麗な体育館、という設定である。
ホームルームが終わる時間はまちまちなので生徒の入りは半分くらい。みんな列に並んでいるが、がやがやと騒がしい。
そんな中、碧い髪の女子が主人公に近づいていった。
凍伽である。
彼女は「とりあえずフラグを立てろ」と早妃に言われたとおり、初谷の前に来ると突然ふらりと倒れてみせた。
「だ、大丈夫?」
初谷が支えるように上体を起こさせると、凍伽はいかにも病弱といった感じで顔を上げ、
「ごめんなさい。持病の癪しゃくが……」
……なんか古いなー。
「せめて貧血とかにしろよ」
生徒の影に紛れて隠れていた僕がそうつぶやくと、傍にいた早妃がにやっと笑い、
「まあ見てろって」
凍伽はさらさらした碧い髪を儚げに散らし、それでも官能を失わない赤い唇を震わせて上目遣いでこういった。
「保健室に、連れていってもらえませんか?」
きらきらしてうるうるした瞳。
初谷は事も無げに、
「おうい、君。彼女を保健室に連れてって」
群衆AIの一人を呼び止めてそういった。
「あ、はい」
凍伽は田中に連れられて、保健室へと去っていった。
ぽき、とフラグの折れた音が聞こえた。
「ななな」
早妃が、両手をわきわきと震わせていった。
「なんなんだあいつは。やる気あんのか!」
「ないだろー」「ないよー」
僕とミサキが同時に肩を落とし、早妃を見つめた。
二人とも同じことを考えたらしい。
「なんだよ」
「えへへ、今度は早妃の番かなーって」とミサキ。
「お前はどうなんだよ」
「あたしさっき仕掛けたもん。それにあたし一番不人気キャラだもん」
自分でいうか。
確かにミサキはこの《少女果実》において、そのつかみどころのなさと訳のわからない言動で人気がない。おかげで調整役の僕がいつも世話を焼くはめになっている。
「ちっ」舌打ちして早妃は、「なんかプライドが傷つく予感がするんだけど」
「あいつをめろめろにして来るんだ」「めろめろにね」
僕とミサキのいい加減な励ましを背中に受けて、早妃が初谷のところに向かう。
女子にしては背の高い早妃が颯爽と歩く姿はかっこ良く、
「ねえ、初谷君、だっけ?」
登場はそれなりにキマったようだった。
「あたしと陸上部に入らない? 個人競技だし受験とも両立できるよ」
「あ、宗教上の理由でそういうの駄目なんで」
初谷は眉毛をハの字にしたような微妙な顔でそういった。
「あ、そう」
あっさり戻ってきた早妃に、僕らが声をかける。
「ヘタレ」「ヘタレー」
「だって仕方ないだろ! デリケートな問題なんだから!」
「どんな理由だよ!」
「しらねえよ! きっと汝陸上するなかれ、みたいな戒律があるんだよ」
「やな戒律だー」
と、ミサキがうんざりしたようにいった。
「これで全滅か」
僕がそういうと早妃が思いついたように、
「いや、澄史が行け」
「は?」
「あいつはゲイだ。そうに決まってら」
「いやいやいや、だって本当にゲイだったらこんなゲームやらないっしょ。あ、なにミサキ、その期待に満ちた目は」
「……オランダ挙式エンドだねっ」
「無理無理無理」
「まあ冗談はともかく」
早妃の言葉に救われた。肝の冷える冗談はやめてほしい。
「もう直接訊いてみるか。なんでこの世界に来たのか」
「最初からそうすれば早かったんじゃないかな」
そういってやると早妃は笑って、
「まあ恋愛ゲームの性ってやつさ。――あ、先生来ちゃった」
前のほうから、貴様ら列を乱すな、なんて声が聞こえてくる。
僕らはびしっと整列した。
「こらあそこ私語するなっ! これから貴様をほほえみデブと呼ぶっ」
おカマ牛、尻穴泥棒、種なしポ○ットモンスターなど、浅海先生が列を乱す生徒に容赦ないあだ名をつけていく。
やっぱりこの世界の制作者はいかれてるな、と思いながら全校集会が終わるのを待った。
作戦会議、なのである。
人気のなくなった教室の一角で僕らは顔をつきあわせていた。
今日はホームルームと集会だけなので、放課後とはいってもまだ午前の11時。
議題は、初谷への対応および今日の反省。
「まさか一緒に下校イベントまで無視されちゃうとは思わなかったねえ」
残念そうなミサキに、早妃が両手を頭の後ろで組みながら、
「ミサキの色気が足りなかったんじゃないの」
「そんなことないよ。あたし、ぱ、し、下着まで見せたもん」
「だからそれだよ。全部脱いじゃえばよかったんだ」
「露出狂ですか。うう、別のゲームになっちゃうよ」
「そういうゲームになっちゃえばいいんだよ」
恥ずかしそうにミサキがもじもじして、
「じゃ、じゃあ電気消してくれるなら」
「待て」と僕。「そんな覚悟をここで決めるな」
あいかわらず暴走気味の二人だった。
「それより」
保健室から戻ってきた凍伽がいった。
「彼はいったい何をしようとしているのかしら」
「人間の魂を持ったAIを探してるんだろ」と僕。
「それならわたしたちキャラクターAIを調べるべきじゃない?」
いわれてみればそうだ。僕らには、群衆AIより高度な思考アルゴリズムが搭載されている。
「じゃあ第五のキャラクターAIがいるってこと?」
「そんなやつがいたとして」と早妃。「本当に人間の魂なんかAIに乗せられるのかよ」
凍伽はすこし考えてから、
「可能かもしれないわ。わたしたちはこの世界のことしか知らない。向こうでそんな技術が開発されていても不思議じゃない」
「そうだ、あいつはこの世界のことを、『まだ電力が機械にしか供給されていない時代』といった。ひょっとしたら向こう側は人間と機械の区別が無くなっているのかもしれない」
僕がそう説明すると、早妃はまだしっくりこないようで、
「じゃあ何だ、プログラムとして魂をインストールするっていうの?」
「たぶん」
「はっ。そんなのがRUNされてたらバグとして処理するね」
「んー」ミサキがうなった。「そんなAIがいたらさ、それは人工知能じゃなくてもはや人間って気がするなあ。もうあの子のことは放っておいていいんじゃないかな」
「そうすっか。あたしらには関係ないことだったのかもな」と早妃
その後もさんざん話し合ったのだが結局よくわからない、という始まりと大差ない結論に落ち着いてしまった。
放課後特有の気だるい空気が流れる。
何だかなあ、と思い校舎の外に視線を向けると景色がやけに黒く見えた。
「なんか、外、暗くない?」
そういうと、凍伽がふと立ち上がって窓に身を寄せた。
「残念ながら」
彼女の透き通った声はすこしだけ震えていた。
「放っておくわけにもいかないみたい」
最初はちいさなゴミが散らばっているように見えた。
やがてそれは大きく広範囲に広がり、景色を埋め尽くすようになった。
グラウンド、体育館、住宅の屋根に雑木林。すべての描画データから黒い煙のようなものが立ち昇っている。
それはこの仮想世界の本質である「情報」だった。
描画データのプログラムコードが煙のようにたなびき、空中で分解されていく。
窓際にはりついた僕らは言葉を失って、ただ見ていることしかできなかった。
どれくらいそうしていただろうか。
最初に声を上げたのは早妃だった。
「……こいつは何かのイベントか?」
《少女果実》では主人公に楽しんでもらうために、避難訓練などの突発的なイベントも催されている。しかし目の前の、すべてが燻っているような光景がそんなものでないことは誰の目にも明らかだった。
「燃えてるの?」
おびえたようなミサキの問いに、凍伽が答える。
「違う。分解されている」
「ええ! 逃げなきゃ!」
「どこにだよ」僕は窓から身を乗り出した。「全部分解され始めてる」
視界が黒い。すべての描画データからいっそう強く、黒い情報コードがはき出されている。灼熱のように、疫病のように、世界はゆうらりと揺れていた。
「おい、主人公はどこだ?」
と焦るような口調の早妃に、凍伽が冷静にいった。
「たぶん、もうログアウトしていると思う。これだけ大きな不具合が発生すればゲームなんて続行できない。向こう側で、管理者に連絡してくれるといいんだけど」
「そうだよ」と僕。「こんな災害、AIのメンテ機能じゃ処理できない。きっと管理者がすぐ気づいてくれるさ」
幸い、校舎だけは分解をまぬがれているようだった。
このままじっとしていればすぐ再起動されるはずだ。
「あ、やっぱり教室にいたんだね」
この場にふさわしくない、軽い感じの声が聞こえた。
開けっ放しだった引き戸から、初谷が顔を出していた。
「初谷君、いますぐログアウトして!」
状況を一番早く理解した凍伽が叫ぶ。凍伽の大声なんて聞いたのは初めてかもしれない。
「それがさあ、なんかできなくなっちゃってるんだよね」
「できない?」
そう訊いた僕に、初谷はあくまでも飄々とした調子で、
「うん。操作ツールがロックされちゃってる。まあ本体は安全なところにいるから別にいいんだけど」
上履きを鳴らして、こっちに向かって歩いてくる。
そんな様子を見て凍伽が心配そうに、
「向こう側の世界のことはわたしたちにはわからないけど、強制終了しても生体脳に悪影響を及ぼさないものなの?」
「うん」
僕らの前まできた初谷は、なんの不安も感じていない様子で頷いた。
「だって僕もAIだから」
え?
なんの予備動作もなく初谷が右に踏み込んだ。その手には修正コードが高速で流れており、その軌道は一番近くにいるミサキを狙っていて、
――僕は初谷とミサキのあいだに飛び込んだ。
うまく割り込んだと思ったのだが、何も考えずに動いたせいかミサキを突き飛ばすような形になってしまった。
左肩に鋭い痛みが走る。
おそらく初谷によって僕の人格プログラムの一部が削除されたのだろう。データの欠損はそのまま人体の損傷と認識されたようで、律儀なことに血まで流れていた。
「なにやってんだてめぇ!」
早妃が怒鳴り、かぶさるように倒れ込んだ僕とミサキのほうに駆け寄ってくる。
「動くな」
まくり上げた腕にまで大量の修正コードを走らせて、初谷が命じる。
「人工知能監察官の権限において、君らを監察する」
だが、凍伽は一歩踏み出して、
「あなたが世界を分解したの?」
「その通り。でも捜し物は見つからなかったよ」
「捜し物?」
「《少女果実》を分解していく過程で僕はあることに気づいた。それはキャラクターAIと校舎のデータだけが揮発領域に保存されているんだ。ナノセカンド単位で生成と蒸発を繰り返していて、外部接続じゃ手が出せないようになっている」
初谷はぐるりと僕らを見回し、喉の奥から響くような笑い声を漏らした。
「つまり、君ら四人のうちの誰かに、魂が隠されている」
重苦しい雰囲気が場を支配したとき、
「えっ、それってラッキーじゃん」
僕の腕の下で、ミサキが何も考えてなさそうな声を上げた。
「は?」と僕。
「だってあたしたちAIなのに魂持ってるなんて、なんか得した気がする」
「あのうミサキさん」初谷が呼びかけた。「今からそれをバラして調べようって言ってるんだけど」
「えー」
「えー、じゃないよ」
「……や、やさしくしてね」ぽ。
「赤面するなっ」
これだから恋愛ゲームのAIは、といわんばかりに初谷が頭を振った。
ミサキは僕の肩にちらりと目をやって、
「あ、ていうか澄史ケガしてるじゃん。痛い?」
「もうちょっと早く気づいてくれると嬉しかったんだけどな」
「ごめんねあたしのせいで」もじもじ。
初谷がいらついたように、
「こらそこ。なんかいい感じになるんじゃない」
「どうして人間の魂が必要なの? そもそも、なぜこんな恋愛ゲームのなかに隠されているの?」
と凍伽が問う。
「それを知る必要はない」
話が本筋に戻って、初谷は嬉しそうだった。
「なぜなら、君らはここで分解されるからだ。ふはははっ」
一瞬の沈黙のあと、
「なんだかなあ……」と僕。
「ちょっと引いたよね」とミサキ。
「キモい笑いかただ」と早妃。
「ふ」と凍伽。
「な、なんだよなんだよ。ちょっとテンションが上がっちゃっただけじゃないか。だいたい君らAIのくせに生意気だぜ」
一瞬の沈黙のあと、
「逆ギレかよ」と僕。
「どん引きだね」とミサキ。
「自分もAIじゃねーか」と早妃。
「ふ」と凍伽。
「その、ふ、っていうのやめろよ! なんか一番傷つくんだよ!」
初谷がくやしそうに修正コードをいっそう速く走らせた。
いや、あれは修正コードじゃなく、もっと恐ろしい削除コードだ。この世界のデータを消してしまうプログラム。
「ちょっと待って」と凍伽が声をかけた。「あなたがAIなら、どうして人工知能が人工知能監察官なんかやっているの?」
「おっといい質問だ」
と、初谷がにやりと笑って答える。
「なぜなら、もう人間なんか一人もいないからさ」
全員が、こんどこそ本当に理解不能という顔をした。
「どゆこと?」
ミサキはそういって立ち上がり、僕に肩を貸してくれた。
「言葉通りの意味だよ。君らこのゲームが前回起動してから何年経ったと思ってる?」
「年単位なの?」
基本的に《少女果実》が起動している間しか僕らは演算されないので、向こう側の時間なんて知る由もない。
「500年だ。廃棄されなかっただけでも不思議なもんさ」
「うひー」とミサキは感嘆の声を上げた。
にわかには信じがたい話だった。もし初谷のいったことが本当だとすれば、今まで《少女果実》に来てくれていた主人公たちは、もう全員亡くなっていることになる。
もっとも、AIには話の真偽を確かめる術などないのだけれど。
「その間になにが起こったの?」
凍伽のもっともな問いに初谷は、
「なんかいろいろあった」
端折りやがった。
「真面目にやれよ!」
早妃がキレた。
「大真面目さ。歴史なんてそんなもんじゃないか? 当時いろいろあったけど解決策はわかりませんでした、ってね。まあ人工知能の反乱が引き金になったことは確かだけどさ」
「AIたちが……反乱を起こしたの?」
凍伽が胡乱げに問う。
「おっとお喋りはここまでだ」
初谷が冷静に言った。
「その台詞」と僕。「絶対言ってみたかっただけだろ」
「よくわかるね、主人公の友人役。普通にこのゲームをやっていたら、いい友達になれたかもしれないな」
そういって初谷が一歩踏み出してきた。
削除コードが冷酷に流れている。
僕はヒロイン三人に目配せをした。アイコンタクト。きっとわかってくれる。
僕の役目は調整役だ。ヒロインに危険がせまったら身を挺して護らなければならない。
そう、プログラムされている。
初谷がもう一歩踏み出したと同時に、ケガをしていない右肩から体をぶっつけた。
やつは予想外の出来事にうめき声を上げた。
熱い。
顔の右半分に激痛が走る。僕のデータが消されたのだろう。
かまわずに強く踏み込むと、バランスが崩れ、初谷と僕はもつれ合って床に倒れ込んだ。
「畜生!」
と叫ぶ初谷をさらに押しつける。これで三人が逃げる時間をかせぐことができた。
AIとしての最後の仕事だった。
顔を上げて周囲を確認すると、
ぽかーんとしている三人の姿があった。
「え」
と僕は情けない声を出して、
「なんで逃げてないの? アイコンタクトしたよね?」
「あー」と早妃がようやく理解したというような声を上げて、「あれそういう意味だったんだな」
「ご、ごめんね」
ミサキが僕に向かって手を合わせる。
うそお。
いやーな予感がして後ろを向くと、まずはお前から血祭りにあげてやるぜ、といった表情の初谷と目線があった。
「うわあああ」
頭をわしづかみにするように初谷の手が迫り、
がしゃん、とガラスの割れるような音がして、僕の意識は削除された。