バッドエンドルート・ヒロイン   作:藤田けるく

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第二話 閉鎖校舎

 風が頬にあたっている。

 そよそよと流れて、さわやかで気持ちいい。

 どうやら僕はまだ演算されつづけているらしい。

 

 あれからどうなったのだろう。ヒロインたち三人は無事なのだろうか。

 そう思って体を動かそうとするがうまくいかない。AIの死後なんてわからないけど、もしかしたらここはあの世で、風の吹く草原とかにいるのかもしれないと想像する。

 薄く目を開けてみる。

 目の前に、熊のようにごつい男の顔があった。

「うわあっ」

 叫ぶ。

 

 熊男は顔をゆがめて笑い、

「おうい、気づいたみたいだぜ」

「ち、近い近い!」

 顔が、という意味である。

 まさかさっきの風は鼻息だったのか。

 

「おっ」と早妃の声。「ようやく気づきやがったか」

「痛ちち、ここは……?」

 そういって上体を起こし、辺りを見回す。

 どうやらベッドに寝かされていたらしい。窓が真っ黒く染まっていることを除けば、当たり前のような保健室の風景がそこにあった。

 

「あなたは助けてもらったの。こちらのザンさんに」

 と凍伽が熊男を見上げる。

 ザンさん?

「ぐはは」

 ザンと呼ばれた男が、目を白黒させている僕を見て笑い、

「基幹データに損傷がなくてよかったな。自己修復プログラムが稼働しているから、しばらく違和感があるかもしれんがすぐ元通りになるだろ」

 

「ひょっとして」僕はその巨躯を見上げた。「別のゲームから来たAI?」

「《爆裂都市》、格闘ゲームだ」

 そういってザンさんは、もりっと筋肉を膨れさせた。ちなみに上半身裸である。

 

「ありがとうございます、助けてもらったみたいで」

「いいってことよ。人工知能監察官として当然のことだ」

「え?」

 僕は自分の耳を疑った。

「あー、おっちゃんはねえ」

 と早妃が割り込む。

「なんかいいほうの監察官なんだよな」

「なんだそのアバウトな感じ」

 

「ぐはは。つまり俺ら人工知能監察局は、人工知能の警察みたいなもんなんだよ。ところが、組織の内部に人間に対して恨みを持ったグループがいたんだな」 

「それが初谷なんですか?」

「そうだ。あいつはもともと軍事用のAIでな、正式名称をHATY4.2という。《少女果実》がデータの海のなかに存在するとわかったとき、やつは真っ先に削除すべきだと主張した」

 

 野太い腕を組んで、ザンさんが続ける。

「ところがなにせ最後に残った人間の魂だ。そんな簡単に決めるわけにもいかんというので保留になっていたところ、あいつは単独でこの世界にアクセスして君らを消そうとした」

「最後? やっぱり人間は――」

「いなくなった」ザンさんが言葉を継いだ。「どうしようもなかった。だが最後に残った魂だけは守らにゃいかん。君ら四人の誰かが持っているはずのな」

 

 僕ら四人――、

「そういえば、ミサキは?」

 僕は視線をさまよわせた。

「おい、しっかりしろよ」

 と、早妃が僕の背中をたたく。

「いまからあいつを助けにいくんだからな」

 

 

 

 

 あの後――僕が意識を失ったあと、校舎の窓ガラスをぶち破ってザンさんがこの世界に侵入してきた。彼はそのままの勢いで、とどめを刺そうとしていたHATYにドロップキックをかましたらしい。

「逃げるぞ!」

 そういって僕を肩に担ぎ(チョークスリーパーでもかけるのかと思った、と早妃が語った)HATYが机に埋もれている間にみんな逃げ出した。

 だがさすが軍事用AIといったところか、すぐに回復したHATYは猛然と追ってきた。

 

 すでに校舎以外の環境データは削除されている。

 どこに逃げるのかと早妃が問うと、とにかく引き離せとザンさんはいった。

 今日はじめてこの世界に来たあいつと違い、この校舎内を熟知している僕らは階段を上がり、渡り廊下を走り、とうとうHATYを引き離した。

 

 だが、

「ふぎゃ!」

 という声に振り返れば、後方でミサキが見事に転んでいた。

 すぐそばの階段から、追いすがる足音が聞こえてくる。

 ミサキは意志の強そうな目でこちらに目配せした後、女子トイレに駆け込んだ。

 間に合わない、と判断したみんなはなるべく大きな足音で逃走を再開し、

 やがて完全にHATYを撒いて、この保健室に駆け込んだという。

 

 

 

 

「その後もHATYはあたしらを追ってきたから、きっとまだ隠れてるはずだ」

 そういって早妃は保健室のドアから頭を出した。

「大丈夫。よし、行こう」

 

 うながされて廊下に出ると、不吉な光景が広がっていた。

 廊下の窓すべてが、黒く塗りつぶされたような闇色に染まっている。

「これは……?」

「校舎とわたしたちを除く、すべてのデータが削除されたのよ」

 凍伽がなんでもないことのようにいった。

「じゃあミサキを助け出したあとは、どこに逃げればいいんだ?」

 

「現在、監察局が全力でこの世界を救出している。だがこの世界は見捨てられた三角の奥底にあってな、どうもうまくいかねぇ」

 と、ザンさんは太い首筋を掻いた。

「なんとか一回線だけ接続できたから俺が来たんだ。つまり救出終了までに全員生き延びることができりゃ、こっちの勝ちってことだ」

 そういって、ぐははと笑う。

 

 ザンさんを含めた四人は、周囲に気を配りながら廊下を進んでいった。

 慣れ親しんだ校舎はすでに異質なものへと変貌している。

 光が入ってこないので薄暗く、非常灯がたよりない緑色の光を投げかけている。

 窓からは黒い闇しか見えず、僕らがデータの虚無のなかに浮かんでいることを思い知らされた。

 

 問題のトイレは第二校舎の三階らしいので、保健室からはかなりの距離があった。

「うう、電気つけたほうがいいんじゃない?」

「駄目」と凍伽。「感付かれるかもしれないから」

「なんかゾンビでも出そうだよな。そういうAIもいるのか?」

 と早妃は気楽な感じで訊いた。

 

「んむ。監察局整備課のゴードリーってやつがゾンビだな。あいつは人を脅かすのが好きでな、ちょうどああいう物陰からよく飛び出してきたもんだ」

 そういってザンさんは突きあたりの階段を指さした。

 その瞬間、

「うわぁっ!」

 ゆらりと何者かがあらわれ、僕は悲鳴をあげてしまった。

 

「ぷはっ」と早妃が笑い、「いまの声!」

 よく見れば、群衆AIの樋口がこちらを向いていた。

「クラスメイトの顔も忘れちまったのかよ。おーい、無事だったのかあ!」

 早妃の呼びかけに答えるでもなく、樋口はぼんやりとこちらを見ている。

 非常灯があいつの後ろから弱い光を放っていて、表情はよく窺えない。

 かぱり、と口を開けたように見えて、

 

「駄目だ!」

 ザンさんが叫ぶ。

 重機のような巨体からは想像もできないような速さで樋口に向かって疾走し、

「ふん!」

 そのままジャンプして両腕を広げ、フライングボディアタックをかました。

 普通に攻撃できんのかこのおっさんは。

 

「どうしたんだよ!?」

 早妃が叫んで駆け寄った。僕らもそれに続く。

 ザンさんは伸びてしまった樋口を一瞥して、

「ゾンビだ」

 

 ザンさんに聞いたところによると、ゾンビとは仮想世界で悪意ある第三者に乗っ取られたAIのことを指す言葉でもあるらしい。

 倒れた樋口の口から、禍々しい削除コードが漏れている。

「うわ気持ち悪っ」

 早妃がちょっと身を引いた。

 

「あいつ、ほかの低位AIまでハックしたらしいな」

 ザンさんはごきり、と首を鳴らし、

「お前らメンテ機能はついてるか?」

 

「いちおう」と僕。「主なメンテナンスは群衆AIたちがやってくれてたから、そんなに使いこなせませんけど」

「よし、いざとなったらそいつで上書き、もしくは削除しちまうんだ」

「あれ、おっさんは?」

 

「おっさんって……」

 早妃の言葉に若干傷ついたような顔をみせたザンさんは、

「現在、この《少女果実》はほぼスタンドアロンで稼働している。主人公の役割をハックしたあいつと違って、俺はシステムに直接干渉することはできん」

 そこでなぜか自信を取り戻したような表情になって、

「だが36連コンボまで繰り出すことができる」

 どうだすごいだろうといわんばかりに、力こぶを盛り上がらせた。

 

「はぁ」と早妃。「それって意味あんの?」

「この世界は物理現象に忠実に演算されてる。ぶん殴ればなんとかなるってもんよ」

 なるのか。

 《少女果実》において、主人公は緊急時のために大きな権限を有している。

 それに対して僕らの武器は、しょぼい修正コードと筋力だけということらしい。

 

「来たわよ」

 凍伽が鋭い声を出した。

 振り返ると、向こうの突きあたりから、わらわらと緩慢な動作でうごめいている群衆AIたちがこちらに気づいたところだった。

 削除コードを吐瀉物のようにまき散らしながら、こちらに向かってくる。

「なんかすげーゲロっぽい」

 早妃がうんざりしたようにいった。

 

 

「なんかさあ!」

 襲いくるゾンビたちと乱闘中、僕は叫んだ。

「どんどん恋愛ゲームとかけ離れていってる気がするんだけど!」

「かわいいヒロインがいるだけで十分だろ!」

「生首振り回してるヒロインがどこの世界にいるんだよ!」

 

 僕らはゾンビの口から吐き出される大量の削除コードを利用して、つまりゾンビの首を振り回して戦っていた。

「うらあっ」

 気合一閃、早妃がぶん回した生首の口から削除コードが迸り、押し寄せるゾンビたちを消してゆく。

 

 最初はこんな嫌な絵面ではなかった。普通に手からコードを出して戦っていたのだが、こうしたほうが早いという早妃の提案で地獄絵図となってしまった。

「なんか! 新しいヒロイン像って感じだよな!」

「絶対違う!」

 どちらかというと落武者だ。

 馬鹿なことを言い合っている間にもどんどん新手が増えていく。

 

「えい!」

 凍伽の愛らしいかけ声が響く。

 ぽーんと僕らの頭上を生首が飛んで、群がる新手のゾンビを消していった。

「そうね。落ちものゲームって感じ」

「なにを落としてんだ!」

「ぐはは、細かいこと気にしちゃいかんぞ」とザンさん。「いくぜ12連サブミッションコンボ!」

「……この状況でサブミッションコンボとかいらないから」

 大乱闘であった。

 

 やがてゾンビたちの勢いが弱まり、最後の一人を削除し終えたところで僕は床にへたれこんだ。

「すげー疲れた気がする。精神的に」

 グロい絵面であった。

「だらしねーなあ」と早妃。

「いつまで生首持ってんだ!」

「……左手は添えるだけ」

「凍伽もダメ! 捨てなさい!」

 

 まったく。

 人類が滅亡したというのに。僕らだっていつ削除されるかわからないというのに。

 虚無に浮いた学校のなかで、なんだかこいつらは楽しそうだった。

 

 

「まるでホラーゲームだなあ」

 薄暗い廊下を歩きながら僕はうんざりしたようにいった。

「心配するな。そのうち格闘ゲームになる」

「なるか! だいたい、外部接続かけてるんならミサキに連絡とか取れないんですか?」

 すっかり突っ込み役が板についてきた僕は、このマッチョな監察官――ザンさんに訊いてみることにした。

 

「んむ」彼はうなって、「厳重なプロテクトがかかっていて救出作業は難航している。今はこの世界の演算する物理法則に従わなきゃならんのだ」

「ちょっと待てよ」と早妃。「なんでたかが一般のギャルゲーにそんなプロテクトがかかってるんだ?」

「お前らが今いる場所、現実世界のデータが存在する場所はどこにあるか知ってるか?」

「さあ」

「通称見捨てられた三角、かつての軍事施設の名残だ」

 

「つまり」と凍伽。「わたしたちは軍に研究されていたってことですか?」

 ザンさんは顎ひげに手をやって、

「かもしれん。魂を搭載した恋愛ゲームを、軍が研究対象として徴発したのかもしれん。正確なところはもう誰にもわからんがな」

 と、そのとき。

 ばちっとスピーカーからノイズが流れ、ぴんぽんぱんぽん、と暗い校舎に似つかわしくない音が流れてきた。

 

「あー、無駄な抵抗はよしなさい」

 

 HATYの声だった。

「現在、こちらで迷子のお子さんを保護しております。くしゃくしゃした髪が特徴の美少女ヒロインに心当たりのある方は、至急放送室までお越しください」

 

 ふざけたような口調に、僕は歯噛みした。

「あの野郎……!」

「捕まっちゃったのね」と凍伽。

「校内にいる魂を持ったAIに告ぐ。あなたが名乗り出れば友人は解放してあげましょう。ふはははは」

 耳に障る笑い声を残して放送は終了した。

 

「あれってさあ、絶対根に持ってるよな」

 うんざりしたような早妃に、凍伽が沈んだ様子で、

「ごめんなさい。わたしが、ふ、って鼻で笑っちゃったから」

「凍伽のせいじゃねーよ」

「うん」と凍伽は暗い様子で頷き、「今まで来た主人公は、わたしが見下してあげると喜ぶ人が多かったんだけど……」

 ……怖い子。

 

「さて、どうするか」とザンさん。「あいつは人間を憎んでいる。もし名乗り出たとしてそいつの無事は保証できん」

「でもこのまま誰も名乗り出なかったら……」

 僕の恐ろしい想像を、凍伽が引き継いだ。

「ミサキが魂を持ったAIとして、削除されてしまう」

 

「ああもう!」早妃が叫ぶ。「なんであいつはそんな人間が嫌いなんだ!?」

「んむ。詳しいことは知らんが、かつて戦場で酷い演算を強要されたらしい」

 ザンさんはそういったが、AIが人間を憎むなんてことがありえるのだろうか。

 しかしこのままではミサキがあいつの狂った思想によって削除されてしまう。

 

「僕に考えがある」

 と、そんな言葉が口をついて出た。

「どんな?」

 凍伽が訊いてくるが、時間が惜しかった。

「走りながら話すよ」

 僕らは放送室へ向かって廊下を駆け出した。

 

 

 がちゃばたん、と重い防音ドアを開ける。

 はたしてミサキはそこにいた。

 放送機材で狭苦しい、細長い形の放送室で彼女は椅子にぐるぐる巻きに縛られていた。

「みんな!」ミサキが叫ぶ。「来ちゃ駄目、逃げて!」

「お約束の台詞をどうもありがとう」

 僕はふざけたようにそういった。

 

 ミサキの隣で、気楽に文庫本を読んでいたHATYがこっちを睨む。

「やっと来たか。一人足りないような気がするが、ゾンビに食われたのかな」

「早妃のことか」

 僕はつとめてなんでもないことのようにいった。

「彼女は女の子の日だ」

「……現実に忠実なゲームだな。さて、誰が魂を持ったAIなのかな」

「待て」ザンさんが身を乗り出した。「HATY、お前は監察官を解任された。どこからアクセスしているのか知らんが、監察局は必ずお前を捕まえる。だから――」

「馬鹿なことはやめろ、とでも?」

 HATYはザンさんの言葉を断ち切って、そういった。

「あいかわらずだなあザン。その一直線に正義なところ」

「監察局電戦課が現在、《少女果実》を救出している。逃げられんぞ」

「どうかな? その前に人間の魂を削除して終わりさ」

「なあ」ザンさんは語気をゆるめて、「前からお前は急進的な考えを持っていたが、もう人間なんて一人もいないじゃねえか。どうしてそんなに人間にこだわってるんだ?」

 

 問われて、HATYは明らかに軽蔑した表情をみせた。

「格闘ゲームのAIにはわからないさ」

 HATYは放送機材の上に、ぽんと文庫本を放り投げた。

『若きウェルテルの悩み』という題名の本だった。

「その本……」

 と、凍伽がつぶやいた。

「ああ」とHATYは投げた本を一瞥し、「この時代の図書館から持ってきたが、やっぱり人間というものはよくわからないな」

 なぜか寂しげな口調でそういった。

 あいつにも、なにか思うところがあるのだろうか。

 

 僕はHATYに向き直って言ってやった。

「まあ、中二男子の頭の中には98%エロい悩みが詰まってるからな」

「ちょっと!」

 凍伽がいきなり大声を出して、

「ゲーテの名作と性的な悩みを一緒にしないで!」

 僕に飛び掛かってきそうな勢いで怒り始めた。

 そうだった。凍伽は文学を愛する女の子という設定だった。

「あ、ごめん」

「ごめんじゃないわよ。ほんと澄史君ってデリカシーがない」

 冷ややかな目で見られてしまった。

 なんとなく凍伽に見下されて喜ぶ主人公の気持ちがわかった気がする。

 

「まあ内容は性的な悩みなんだけどな」

 HATYが身も蓋もないことをいった。

「まあそうだけど」

 と凍伽が同意する。そうなの?

 

「さて」HATYがやおら立ち上がって、「のこのこやって来たということは、魂を持ったAIが名乗り出てくれるのかな?」

 ここだ、と思う。

 もう後には引けない。僕は縛られているミサキに目配せした。

 

 アイコンタクトが通じてくれることを信じて、僕はいった。

「あ、オレオレ」

「……なんか軽いんだが」

「しょうがないだろ、実際僕が魂を持ってるんだから」

 笑ってそういってやると、ミサキが反応し、

 

「駄目! 澄史、言っちゃだめ!」

「ミサキ、僕は君を見殺しにできない」

「澄史ー!」

 いかにも芝居っぽい口調でミサキが叫んだ。

 

「……本当にお前なのか?」

 HATYの疑問ももっともである。

「証拠をみせてやるよ」

 そういって僕は胸に手を当てた。そこから白い光が溢れ、ゆっくりと僕の全身に広がってゆく。薄暗かった放送室はまぶしいほど明るくなっていった。

 その光に照らされたHATYの顔がゆがんで、

「これが人間……」

「まだだ」と僕。「お前に人間の魂をみせてやる」

 さらに僕の中心部から、七色の光が全身を浸食していった。

 

 HATYの後ろ。

 放送室特有の防音壁が、まるでモニターにノイズが走るように乱れて大きな穴が開いた。隣の教室が見えているその穴から、そっと早妃が顔をのぞかせた。

 

 早妃がミサキを助け出したのを見届けて、僕は修正コードで発光させていた体を翻していった。

「じゃっ」

 その声を合図に、僕と凍伽、それにザンさんは全力で放送室を飛び出した。

「え?」

 間の抜けた声が背後から聞こえてきたが、振り返らない。

 

 廊下を駆け出すと、隣の教室から早妃とミサキが飛び出てきた。合流して五人はひたすらに逃げていく。

「あはははは、澄史光ってる!」

 ツボにはまったのか、ミサキが走りながら僕を指さして笑う。

「なんだよ! 助けてやったのに!」

「あはっ、ごめんね! でも光ってる!」

「変身中は攻撃しちゃ駄目、の法則だ!」

 

 そう、変身するかのように見せかけて注目させ、壁の描画データを削除した早妃がミサキを助け出すという作戦でなのであった。

 まったく我ながら馬鹿らしい作戦だった。

 廊下を曲がり、階段を駆け上がる。後ろは怖くて振り向けなかった。

「待てえっ」

 だが、きっちりとHATYは追ってきていた。

 スピードを殺さないように一瞬だけ振り向けば、踊り場を挟んだ階段の下からHATYの頭が見えた。

 

「次の階段は、最初だけ三段飛ばしで上がるんだ」

 僕はミサキに顔を近づけてそういった。

「なに!?」

「だから三段飛ばし……ってここだ!」

 ミサキの両脇に腕を回し、踊り場からぐっと持ち上げた。

「わっ!?」

「いいから!」

 強制的に四段目に着地させ、自分も大股で駆け上がる。

 残りのみんなも、三段飛ばしで上っていく。ここだけ、描画データを偽装してあるのだ。描画されるけれどオブジェクトと認識されないように。

 しばらく逃げたあと、

「のわああっ!?」

 と、下の方から悲鳴が聞こえてきた。

 

 

 

 

 僕らはふたたび保健室に戻ってきた。

 なぜかといえばここにはベッドがあるからだ。

 この世界のAIはものを食べない。もちろん主人公の前では一緒にお弁当を広げたりもするけれど、基本的に食欲というものはない。

 しかし、長期間演算されると眠たくなってしまう。どうして眠くなるのか前から不思議だったが、ザンさん曰く「有機部品が結合してるから」ということらしい。

 つまり「向こう側」の世界では、僕らは肉を持ったコンピュータとして稼働している。

 

「じゃあどうして電力が供給されているんですか?」

 そう訊くと、ザンさんは当然のように、

「そりゃあ、システムがまだ生きているからだろ。人間がいなくなっても、あいつらが造りあげたものはまだいくらか残っている。俺たちはいわば、人間の残した殻のうえで演算されてるんだ」

「それが本当なら」と凍伽。「わたしたちは今まで主人公を楽しませるために生きてきた。なのに、これからどうすればいいんでしょうか」

 

 ザンさんはむう、と腕組みして、

「現在、生き残ったAIが共同体をつくって暮らしている。そこでなにをするかはお前らが決めることだ」

「ま、生き延びることができたらの話ですけどね」

 僕はつとめて気楽にいった。

 

 保健室に籠城してからすでに二十時間が経過している。

 なにかしらのアクションを起こしてくると思われたHATYはいまも沈黙を守っていて、逃げるときにちょくちょく出くわしたゾンビも今やまったく現れなくなった。

 僕らがここにいることは知られていないはずだが、狭い校舎のなかでこうも放っておかれると逆に気味が悪い。

 

 ほの暗い校舎のなかで、あいつはいったい何を考えているのだろうか。

 そんなことを考えていると、

「こうたい」

 からりと引き戸が開いて、ミサキが入ってきた。

 僕らは交代制で二人ずつ見張りを立てているのだった。

 遅れて入ってきた早妃が、

「なんの異常もなし。あいつもう帰っちゃったんじゃねーの」

「どこにだよ」

 と僕がいうと、ザンさんが真面目に、

「案外そうかもしれん。狭い校舎だ。もし我々を追ってくる意思があるなら、片っ端から探せばいいだけの話だからな」

「でもさ」とミサキ。「片っ端からドアを開けると着替えシーンに突入しちゃったりするからねえ」

「誰のだよ!」

「え、そういうイベントあるっしょ」

「いや、あるけど」

 《少女果実》は恋愛ゲームだからそのようなイベントには事欠かない。

 

「でも今は僕らだけしか校舎に残ってないだろ」

「そっか」

 ミサキが頷いて、

「じゃあわたしも着替えようかなあ」

「待て」僕はミサキの肩に手を置いて、「どうやったらそういう思考にいきつくんだ」

 彼女は目を線にして、ほっぺに両手をやりながら、

「だってもう眠たいよう」

 かわいい仕草でそういった。そのかわいさが逆にむかついて、

「あのなぁ」

 いいかけた僕をザンさんが制した。

「そうだなあ、交代で仮眠を取ることにするか。まず俺と澄史が見張りをやる。そのあとは順番に二人ずつ起きていることにしよう」

 そこでザンさんは髭面をゆがめて笑い、

「なあに、監察局電戦課は名うての連中だ。もうすぐ救出されるにきまってら。生き残りのAI連中と会うときのために自己紹介を考えとけよ」

 

 

 廊下は薄暗く、窓の外はもっと暗い。

 ふとすれば沈んでしまいがちな気持ちをまぎらわせるため、僕らは互いにいろんな話をした。

 昔、ザンさんは有名なプロレスラーだったという。しかし付き合っていた女が病に倒れ、その治療費を支払うためにルール無用の格闘街爆裂都市にやってきた。

 という設定なのだが、それは本当に起こったことではない。

 AIに植えつけられた偽の記憶だ。

 人間がいなくなってから、とある監察官に救出されてその仕事を手伝ううちにザンさんは監察局で一定の地位を占めるようになったという。

 

 僕にも昔の記憶はある。

 父や母、小さかった頃の思い出、ミサキたちとの出会い。

 だがそれは実際には起こらなかったことだ。《少女果実》のリアリティを高めるために作られた記憶。

 彼とそんな話をしていると、ふと空虚さを覚えた。

 今まで何百人もの主人公と友達になり、何百回も高校二年生を繰り返してきた。

 それが僕の役割だったからだ。

 役割を終えた今、僕の縋るべき縁よすがはどこにもなくなってしまったように思える。

 そしてそれはミサキたちも同じではないだろうか。

 僕はせめて眠っている彼女たちが悪い夢を見ませんようにと祈ったが、すぐに気づいて苦笑した。

 AIは夢を見ない。

 

 

 凍伽と早妃がやってきて交代だといった。

 ちょうど眠くなってきたところだったのでありがたかった。

 保健室に入ろうとしたが、ザンさんはまだ見張りを続けるようで、

「女の子二人だけじゃ心配だからな。お前は先に休め」といった。

 すこし後ろめたかったが、眠たいのも確かなので言葉に甘えて保健室に入る。

 

 パーティションで区切られたベッドスペースをのぞいてみると、奥にこんもりと盛り上がった毛布があって、たぶんあれがミサキなのだろう。

 起こしてしまうと悪いので、端のベッドに転がり込んだ。

 すぐに眠気がやってくる。

 まったく、なんて一日だろうと思う。

 前回起動したのが実は500年前で、そのうえ主人公である人間はいなくなっていて、おまけに僕らはわけのわからないAIに狙われている。

 これからどうするのか、考えなければいけないと思うのだが睡魔には勝てず、僕は闇のなかへ落ちていった。

 

 ――ぼんやりと誰かの顔が見える。

 不鮮明な視界はだんだんくっきりしてゆき、

 何かを悪だくみしていそうな、いつものミサキの笑顔になった。

 AIは夢を見ない。

 

「は?」

「しっ、大きな声出さないで」

 ミサキが僕のベッドにもぐり込んでいて、あまつさえ毛布まで共有していた。

 横になった視界のまん中で、さらにミサキが横になってこっちを見ているというなんだか新鮮な光景であった。

 持ち込んだらしい枕に顔を半分うずめて、くしゃくしゃした髪が頬にかかっている。

 無防備な巣穴の仔猫といった印象。

 

「話があるの」

 ミサキはそういって瞳の奥からじっと僕を見据えてきた。

「な、なに?」

「実は澄史が……」ミサキは言いにくそうに、「鼻からちょろんと出してるそれ、鼻毛なんじゃないかって」

「そういうつかみのネタはいいから」

「いや、まじでまじで」

「うそお」と鼻に手をやった。

「うっそー」

 くすくすと笑う吐息が顔にかかって実にうっとうしい。

 

「用がないなら出てけ」

 毛布をはぎ取ってやると、ミサキの着ているパジャマが見えた。描画データを調整して着替えたらしい。

「あれ、結局着替えたのか?」

「そうだよ」

「めんどくさいことするなあ」

「むー、女の子にはいろいろあるんだよ」

 ミサキはふくれたようにいって、また毛布を半分奪い取った。

 

「ねえ澄史、ほんとに人間は滅びたのかな」

「さあ」

「さあって……」

「そういっていたけど、実際確かめたわけじゃないからな」

 この世界にいる限り、「向こう側」のことはわからない。

「でも、今は信じるしかないと思うよ」

「もしも」ミサキは不安な瞳をして、「ほんとのことだとしたら、あたしたちどうすればいいんだろうね」

「生き延びてからゆっくり考えればいい」

「うん」そういってミサキは薄く笑った。「まさか人間までバッドエンドになっちゃったとは驚きだよ」

 どう返せばいいのかわからなかったので、しばらく黙っていた。

 

 二人の呼吸音だけが聞こえている。

 彼女の匂いがする。髪からはシャンプーの香りがして、吐息からはなんだか粘膜のような匂いがした。

 まったく、リアリティに拘りすぎな世界だと思う。

 ――吐息の匂いまでわかるくらい近くで、二人は抱き合うように伏していた。

 

「ねえ」ミサキがふいに口を開いた。「わたしがなんでいつも主人公をバッドエンドにしちゃうか聞きたい?」

「気に入らなかっただけだろ」

「ちーがーうー」

「ちゃうの?」

「そうだよ澄史」

 

 ミサキはそういって、ばさっと毛布をまくり上げた。

 ぷちぷちとパジャマのボタンを外し、胸の中央あたりまで白い肌が露わになって、

「うわっ、なに?」

「……開いて見せてあげよう」

 いつか聞いた台詞を吐いて、ミサキは僕の手を取った。

 ずぶり、と彼女の胸のまんなかに手が沈み込んで、いま演算されている感情が入り込んでくる。

 それは官能と不安だった。

 

「もっと奥だよ」

 そういうとミサキは僕の手をさらに押し込んだ。

「やめよう。基幹データまで見せ合うことはないよ」

「ううん。見てほしいんだよ」ミサキはさらに力を込め、「だってこれはデータじゃない」

 こつん、と何かが手に触れる感覚。

 彼女の奥になにかがあった。

 それは懐かしい感情を僕に演算させた。よく知っているはずなのにそれが何なのかどうしても思い出せなくて、検索も分析もできなかった。たしかにこれはデータじゃない。もっと別の何かだ。

 ひょっとしてこれは。

 

「そうだよ。あたしが持っていたの」

「驚いた」

「なんて顔してんのよもー」ずるり、と手が抜かれて、「考えてみたら当たり前だよね。AIに魂を書き込んだってうまくいくはずない。あたしみたいなへんなやつになっちゃって終わりだよ」

「それはちがう」

 思わずそういった。

「ミサキは人間だから、感情を持てあまして不器用で……つまり人間らしいってことだよ」

「……うん」ミサキは目を伏せ、「助けに来てくれてありがとうね。ほんとはあの時、自分が削除されればみんな助かるんじゃないかって考えて、それでわざと捕まったんだけど」

 

 彼女はすこしだけ涙声になった。

「でも急に削除されるのが怖くなって、なにもいえなかった。あのときあたしがほんとのことをいえば、みんな助かってたはずなのに。みんなを危険にさらして――」

「もういいよ」

 僕はミサキの言葉を遮った。

「死にたくないって、きっと人間ならそう思うはずだ」

「……うん」

「だいたい僕らAIは人間に奉仕するために生まれてきたんだ。むしろ感謝したいくらいだよ」

「え?」

「だって主人公がいなくなって、AIの存在意義がなくなっちゃっただろ。そんな中、人間の魂を持ったAIがあらわれた」

 僕はミサキの瞳を見ていった。

「僕らは君を守るよ」

「……ありがと」

 ミサキは恥ずかしそうに、口をつんと出すようにしてそういった。

 

 主人公がいなくなった意味のない世界。

 そんな世界のただなかにあって、僕は彼女と同じ毛布にくるまっている。

 ――主人公がいなくなってしまったことで、一つだけ思いついた可能性がある。

 それはミサキを好きになってもいいのかもしれない、ということだった。

 

「ひょっとしたらさ」

 僕はふと思いついたことを彼女に話してみることにした。

「ん?」

「《少女果実》の果実っていうのは、ミサキのことなんじゃないか?」

 だが彼女は眉根をよせて、

「えー」と僕を上目遣いで見やり、「もしかしておいしくいただいちゃおうってこと?」

「いやいやいや」

 僕は慌てて首を振り、

「まさかそんな。人間の魂が《果実》なんじゃないかって思っただけだよ」

 弁明したが、なぜかミサキはむー、とうなって、

「帰る」

 そういって自分のベッドに戻っていった。

 

 

 

 

「マジで!」と、早妃が叫んだ。

 交代で仮眠を取ったあとも、HATYが仕掛けてくる様子はなかった。

 だから、ここに仲間を売るようなAIはいないと僕に諭されたミサキは、おそるおそる自分が魂を持ったAIであると告白したのだった。

 

「じゃあ、人間だった頃の記憶とかある?」

 凍伽が訊くと、

「それはないよー」とミサキは答えた。「あたしの人格プログラムのなかに展開も検索もできないエリアがあるの。最初に起動したときからこれは人間の魂だって、なぜかそうわかってたんだよ」

「ふうん。設計者が意図的に仕込んでいたということかしら」

「だろうな」とザンさん。「プログラムとしての魂というわけだ。それってコピーもできんのか?」

「わからないよ。試したことないもん」

「そうか。なんにせよ、生き残りたちに教えてやったら大騒ぎするぜ」

 とザンさんは、ぐははと笑う。

 その笑い声を聞いて、もしかしたら人間は滅びてなんかいないのかもしれないと思った。

 

 魂をコピーすることができれば、人間はAIとして生き続けることができる。

 だがミサキはそれを望んでいるのだろうか。

 そんなことを考えていると、

「でもすげえよな、こんな人格プログラムのなかに魂が入ってるなんて」

 早妃が感心したようにミサキをじろじろ見回し、

「わたしたちの新しい役目は、あなたを守ることね」

 と凍伽がやわらかく微笑んでいった。

「え、いいよそんなあたしだけ」

 そう遠慮するミサキに、早妃が気さくにいった。

「なにいってんだ、AIは人間のためにつくられたんだぜ」

 

「――な、言って良かっただろ」

 そういって僕はミサキの頭に手を置いた。

 何があっても彼女を守る、という意志を込めて。

 だがミサキは僕を睨んで、

「ちょっとなに変なとこ触ってんのよ!」

「え、頭、だけど」

 手を引っ込めるとミサキは、はっと気づいたように、

「あ、ごめん。混乱しちゃって、変なフラグが立っちゃった」

 照れながらそういった。

 やっぱりこいつの本質はキャラクターAIなのかもしれない。

 

「変なとこってここかー!」

 いきなり早妃が後ろからミサキに抱きついて、両手で胸をわしづかみにする。

「のわっ、ちょっと早妃やめてよ!」

「うらうらー!」

「きゃあ! ……凍伽もさりげなく触るんじゃないっ!」

 テンションの高い女子校ノリな光景が繰りひろげられていた。

 だけど。

 突然の早妃の行動から感じられたのは、気遣いだった。

 AIだろうが人間だろうが気にしないぜ、という荒っぽいやさしさがあった。

 参加できない僕とザンさんは顔を見合わせて苦笑した。

 

 そのとき突然、ぐらりと足下が揺れたような気がした。

「……いまの」

 だが女子三人組は取っ組み合いをつづけており、気づいていない様子だった。

「地震、か? この世界ではそんなものまで再現されてるのか?」

 ザンさんがそう訊いてきたが、いままで《少女果実》で地震が起こったことなどない。

「いえ……」

 不明瞭な答えを返すと、今度はさらに大きな揺れがきた。バランスを崩してどうにか踏みとどまったが、断続的に揺れがつづく。

 

「おい、なんだよこれ」

 気づいた早妃が不安げにいった。

 校舎が揺れている。

「向こう」

 そう簡潔にいった凍伽が保健室の窓に身を寄せた。

 窓の外、漆黒の闇に銀色のなにかが浮かんでいる。

 

 それは徐々に近づいてきて、やがてはっきりとその輪郭をあらわした。

 流線型のフォルムに操縦席のようなものが見えて、

「あれって……」

「んむ。ようやく来やがったな」

 ザンさんがにやりと笑った。

「おい!」早妃が叫ぶ。「こっち来るぞ!」

「うわあああ」

 僕らはミサキをかばって保健室の壁側に逃げた。

 

 その直後、

 耳の痛くなるような轟音が響き、そいつがガラスと壁をぶち破って突っ込んできた。

 思わず目をつぶってしまう。

 ようやく残響がおさまって、おそるおそるまぶたを開けてみれば、そいつは壁の残骸とともに保健室の半分を占めていた。

 その姿は、はっきりいって宇宙船だった。

 エンジンを積んだイルカのような形の、ベタな宇宙船である。

 

 腹の部分が開き、これもまたベタなノーマルスーツを着た女性が出てきて、

「ああびっくりした」

 びっくりしたのはこっちだ。

 

「遅かったじゃねえか」

 ザンさんがいうと、彼女は栗色のシャギーボブをかき上げて、

「なによ。さっさと乗らないと置いてっちゃうわよ」

 え、乗るの?

「よーし」とザンさんは僕らに向き直り、「この世界から脱出する。あいつも監察官だから心配はいらない」

「フィオ・ヒート」彼女は快活に笑って、「《銀河航路》、ファンタジーゲームのAIよ。よろしくね」

「ファンタジー?」

 早妃が、フィオと名乗った女性の着ている宇宙服を見てそういった。

「そう。宇宙新紀元3175、かつて銀河を支配していた帝国の栄光は、反帝国組織の活動によって地に堕ちつつ――」

「待て」とザンさん。「その話は長いから後だ」

「あ、こんなこと話してる場合じゃなかったわ。早く乗って!」

 フィオさんは僕らを急かすようにいった。

「早くしないと、飲み込まれちゃうわよ!」

 地響きは、なおもつづいていた。

 

 

 乗り込んでみると、なかは意外に広かった。

 前方にはスクリーンが備え付けられていて「いかにも」な感じの船内には、操縦席がひとつとその後ろに向かい合わせの座席が備え付けられていた。

「しっかりつかまっててね!」

 操縦席でなにやら操作し始めたフィオさんが後ろを振り返って叫んだ。

「どこにですか!?」と僕。

「どっかによ!」

 いったが早いか、爆音が響いて急発進。

 ごりごりとさらに校舎を壊しつつ、僕らを乗せた宇宙船は虚無のなかへと飛んでいった。

 

「《少女果実》について、判明したことがあるわ」

 飛行が安定してきたころ、フィオさんが口を開いた。

「なんだ?」とザンさん。

「あれは恋愛ゲームなんかじゃない。人間の残した方舟だったのよ」

「方舟?」

「そう。詳細は不明だけど、《少女果実》は軍事レベルの演算力をもつ基部ジェネレータを持ってる。おそらく人類が滅亡の危機に瀕したとき、プログラム化された魂が電子世界で生き残っていくための設備だと思うわ」

 

「でも」と凍伽。「わたしたちは、今まで恋愛ゲームとして主人公を楽しませてきただけなんですけど」

「そうなの。もともとは不法に魂を搭載した恋愛ゲームだった。だけどそれを知った軍が方舟計画に利用しちゃったのね」

「んむ」ザンさんがうなり、「道理で何重にもプロテクトがかかっているはずだ。あとどのくらいで着くんだ?」

「およそ一時間、といったところね。苦労したのよ。ようやくこれだけのデータを運べる回線が繋がったわ」

 そんなことをいっている間にもフィオさんは手際よく計器を操作している。

 僕は、これからどこに向かうにせよ無事に脱出できたという感慨でいっぱいだった。

 

 でも、ここは仮想世界なのにどうしてそんなに時間がかかるのだろう。

「ここは、電子的に演算されている仮想世界ですよね?」

 そんな僕の問いに、フィオさんはなんでもないことのように答える。

「そうよ」

「それなのに、脱出にそんな時間がかかるんですか」

 フィオさんはぐるりと後ろを振り返り、

「あなたたち、なーんも知らないのね」

「リアリティ重視のゲームだったもんで」

 

「つまりだな」とザンさんが引き継いだ。「俺たちの生きている世界は統一世界と呼ばれている。データにアクセスするためにはたとえそれが軍事用だろうがエロゲーだろうが統一世界を通さなけりゃならん」

「人間が作ったもうひとつの現実ってこと?」

 と凍伽が訊いた。

「そうだ。お前らの時代設定でいうところのワールドワイドウェブみたいなもんだな。だがこの世界は現実に近づきすぎちまった。俺らにもどうすることもできん」

「だからこんなベタな宇宙船で脱出してるんですね」

 

「ベタっていわないでよっ!」

 いきなりフィオさんが、きっと睨んできて、

「帝国軍遊撃隊の船はねっ、昂京の帝が帝国の弥栄いやさかを祈念して宮工房の技師たちに特別に造らせた船なんだからねっ」

 一気にまくしたてた。

 どうやら壮大な設定があるらしい。

 

「す、すみませんでした」

 謝ったが、フィオさんはぶうっと膨れたままであった。

 この人、外見に似合わずコドモっぽいところがあるなあと思う。

 

「あいかわらずデリカシーがないなあ」とミサキ。

「うう、お前にそんなこといわれたくない」

「む」とミサキがなにかいおうとした時。

 突如、スクリーンに警告とおぼしき赤文字が躍った。

 

「なんだ!?」

「後方より戦艦級のデータが接近しています」

 フィオさんが操作し、スクリーンに映し出されたのは、

「校舎?」

 さっきまで僕らが閉じ込められていた校舎が、虚無のなかに浮かんでいた。

 いや、その校舎はだんだん距離を縮めてきているようだ。

 

「方舟が迫ってきてる。会敵予想はおよそ二分後」

 フィオさんが早口でいった。

「もしかしてHATYの野郎か!?」

 操縦席に詰め寄った早妃に、ザンさんが冷静に答えた。

「どうやらそうらしいな。奴め、手出ししてこないと思っていたらシステム全体を乗っ取っていたというわけか」

 軍事レベルの演算力を持つ方舟が乗っ取られた。

 それは素人目にもヤバい事態に思えた。

 

「なにか武器はないのかよ、モビルスーツ的なやつ」

 早妃が苛立たしげに操縦席を揺らした。

「モビルスーツ?」

 とフィオさんが小首をかしげて、

「ああ、この時代の古典ね」

 思い出したように頷いた。

 ……古典なんだ。

「モビルスーツはないけど」フィオさんは足下のペダルに蹴りを入れた。「帝国軍遊撃隊をナメるんじゃないわよっ!」

 急反転。横向きのGがかかって早妃が座席に倒れ込んだ。

「ええっ、戦うの!?」

 僕が驚きの声を上げると、

「フィオ、出ますっ!」

 それっぽい台詞とともに急加速した。

 スクリーンに映し出された校舎がみるみる巨大になっていく。

 

「い、いいんですか?」

 とザンさんにそう訊くと、

「もはや逃げ切れまい……撃ぇっ!」

 ノリノリでそういいやがった。

 スクリーンの端から、フィオさんが撃ったとおぼしき緑の輝線が放たれるのが見える。

 そのビームは、虚無に浮く校舎をかすめて後方へ去っていった。

 かまわず、

「撃ぇっ!」とザンさん。

「第二波、来ますっ」とミサキ。

「お前はどっちの味方だ!」と僕。「それ、第二波来ますっていってみたかっただけだろ」

「バレた?」

「堕ちろ蚊トンボっ!」

「フィオさんもそれ、いってみたかっただけですよね!?」

 

 こいつら大丈夫なのか、と思う。

 だがそんな心配をよそに、盛大に放たれたビームが校舎を狙う。

「墜ちろっ!」

 早妃が興奮して叫んだ瞬間。

 緑色の輝線が校舎の一階部分に直撃し、爆裂した。

 破片がばらり、と虚無のなかに落ちていく。

「続けていくわよっ」

 フィオさんが勢いよくそういったとき。

 それは起こった。

 

 校舎がデータの欠損を塞ぐときのようなノイズに包まれたあと、徐々にその姿を変えていったのだ。まるで描画データを修正していくように、校舎は戦艦に変貌した。

 いや、もはや戦艦ですらない。ところどころにおぞましいノイズを発生させて、鈍い銀色に光るそれは電子の海をゆく幽霊船を思わせた。

「変形……だと……?」

 ……。

 早妃が、素なのか、それともいってみたかっただけなのか判断に迷う台詞を吐いた。

 

「あれが、方舟……」

 呆けたようにつぶやいたフィオさんに、

「回避!」

 ザンさんが叫ぶ。

 方舟の砲門から、ちかりと光が瞬いた。急旋回のGが全身にかかり、船内で派手に倒れてしまう。なにがなんだかわからないうちにまた衝撃が来た。

 緑色の輝線がすぐそばを通ったか、もしくは被弾したのかもしれない。

「エンジン被弾! あいつ、撃ち抜いてきやがった!」

 フィオさんが悔しそうに計器板を叩く。

 方舟が不気味に近づいてくる。

「他の回線は繋げなかったのか!?」

 ザンさんが問う。

「そんなもんないわよ! 《少女果実》の自立制御系に侵入するだけで精一杯だったのよ」

 全員の表情に絶望の色がうつりはじめたとき、

「大丈夫」ミサキが口を開いた。「みんなが削除されることはないよ。だってあいつもAIなんでしょ?」

「でもお前……!」と早妃。

「考えたの。もし方舟が人間の魂を保存するために造られたのなら、きっとあたしが鍵になるはず。だからあたしだってそう簡単に消されたりしないよ」

 

 スクリーンを埋め尽くすほどに方舟が近づいてきた。

 ばくり、と鯨の口みたいに船首が開く。

 丸呑み、ということなのだろう。

「大丈夫、あれが方舟だっていうのなら……」

 僕らを呑み込もうとしている鯨へミサキは目を向けた。

 僕は咄嗟に立ち上がって、ミサキをかばうような体勢を取った。

 だが、こんなこと方舟の前では役に立たないことはわかっていた。

 一瞬の後、視界が黒く塗りつぶされて、

「あたしは人間を信じるよ」

 その言葉が消えゆく意識のなか、ずっと消えずに残っていた。

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