バッドエンドルート・ヒロイン   作:藤田けるく

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第三話 方舟

 薄く目を開ける。

 《僕》が演算される。

 西日が差し込む教室で、僕はひとりぽつんと座っていた。窓からは練習熱心な野球部のかけ声とブラスバンド部の練習するマーチが遠く聞こえてくる。教室には誰もいないし、夕日が沈みかけているからもう放課後も終わりなのだろう。

 

 ふと気づく。

 ここは僕の机じゃない。

 端っこに描かれた仔猫の絵には見覚えがある。彼女がカッターナイフを使って机に刻んでいた落書きだ。

 ここはミサキの席だ。

 どうして僕はこんなところにいる?

 

 意識が途絶えたのはつい先ほどのことに思えるが、この世界であてになるはずもない。目が覚めたら500年経っていたなんてことが普通に起こり得る世界なのだから。

 あれからどうなったのだろう。

 ミサキを守る、なんていっておきながらこの体たらくだ。

 自己嫌悪とともに、それでも一縷の望みを捨てきれず立ち上がろうとしたとき。

 がらり、と教室前方の引き戸が開き、スーツを着た長身痩躯の女性が入ってきた。

 浅海先生だった。

 AIは夢を見ない。

 

「……あれ? 浅海先生?」

 呆然としている僕に、浅海先生はいつもの調子で、

「遅れてすまなかったな」

 と、当然のように前の席の椅子に腰掛けた。

 ばさり、と小脇に抱えていた何かの書類が机に置かれる。

「あのう」

「何だ?」

「無事だったんですか?」

「何をいってるんだ貴様は」

 浅海先生の目がきっ、と鋭くなる。

「いや、この世界に侵入してきた悪者AIに乗っ取られて、データが分解されたりゾンビになったりとか……」

「大丈夫か?」

 彼女は僕の目を覗くようにしてそういった。

 ひとしきり頭の心配をされてから、浅海先生は手元の書類をぱらぱらとめくり始めた。何かと思えば、内申点や期末テストのデータらしい。

 

「――で、もう進路は決めたのか?」

「はい?」

「だから進路だ。貴様だけ進路希望調査だしてなかっただろ」

 なにかの冗談なのだろうか。

「ええまあ」僕は頷いて、「恋愛ゲームのAIとして主人公を楽しませる仕事なんかいいんじゃないでしょうか」

「そうか。貴様が決めたことならそれもいいだろう」

 あれ、スルー?

「寂しくなるな」

 と浅海先生は窓の外に目をやった。

 これは、本当にAI同士の会話なのだろうか。

 

「失礼します」

 僕は心配になって立ち上がった。そのまま浅海先生の横を通り過ぎようとしたら、ぐっと手を掴まれて、

「なあ」

 呼び止められる。鋭い切れ長の瞳が潤んだように光を反射して、

「もし悩んでいることがあったら、相談してくれてもいいぞ」

「この状況について悩んでいます」

 だが彼女は聞こえぬふりで、

「性の悩みとかでも、いいんだぞ」

 そういって僕の手を、スーツの開いた胸元に差し入れた。

 

 うわ。

 手のひらにやわらかい弾力が伝わってきて、指先の触れているさらさらした手触りはきっとブラなのだろうと思い、

「ななななにを」

 そんなうわごとをいうのが精一杯だった。

 さらに強く手が押しつけられる。上目遣いでこちらを見てくる浅海先生の、普段の言動からは想像もできない色気が蒸れるように迫ってくる。

 

 この人、こんなに綺麗な肌してたっけ。

「ふふ。緊張しているな」唇の端をあげて、「汗が伝わってきた」

「ししし失礼しますっ!」

 

 手をむりやり引っこ抜いて駆けだした。

 机にぶちあたって椅子をなぎ倒して、引き戸を開けて廊下に飛び出す。

 だが、そこに廊下はなかった。

 僕が踏みしめていたのはまぎれもない土で、

 高く繁った大木から木漏れ日が差してくるそこはまぎれもない森、だった。

「はいい?」

 振り返る。教室はすでに消えている。

 僕は、樹木と苔が支配する森の中に取り残されていた。

 

 

「げっへっへ、久しぶりの人間の肉だぜ」

 なんて。

 売れてないRPGゲームの敵役みたいな声を出して、戸惑っている僕の前にあらわれたのはゴブリンだった。

 そうとしかいいようがない。

 茶色い醜悪な化け物。そいつがナイフを向けて近づいてくる。

「あのう」

「何だ?」

「ここって恋愛ゲームの世界だよね」

 一瞬の間のあと、

「げへへ、命乞いは聞けねえなあ」

 駄目AIめ。

 

 とりあえず逃げようと辺りを見回すが、木々が邪魔でうまく走れそうにない。

 ナイフを舐めながらゴブリンが近づいてきたそのとき。

 がすっ。

 後方から何か飛んできて、そんな音を立てた。

 矢だ。額に矢の刺さったゴブリンがそのまま倒れ込む。

「こーんなとこにいやがった」

 いつもの男の子みたいなソプラノ声が後ろから聞こえてきた。

 振り向くとそこにはなぜか弓を持った早妃がいて、「澄史は変わんないのな」といった。

 

 ……たしかに早妃は変わっていた。身軽そうな浅黄色の服に中世風のチョッキを着て、手には弓、背中に矢筒を背負い、極めつけに耳まで尖っていた。

「似合わない」

 本音が出た。

「んだとこの」

 

「ってそんなコスプレしてる場合じゃないだろ。みんなは無事なのか? 方舟は?」

 早妃はちょっと言い淀んで、

「あー、なんか起動しちゃったらしいんだよな」

「起動?」

「あ、こっちこっち」

 そういって早妃は振り返って手をあげた。

 見れば、森の中をこっちに向かってくる集団があった。

「おう、見つかったか」

 そういって手を振るザンさん。

 ただし野武士。いかめしい甲冑がなんとも似合っていて、腰に差した大太刀を揺らしながら歩いてくる。頭からちょこんと出ているのは、たぶん髷だ。

 

 その横、フィオさん。

 フリルのついた水着みたいなコスチュームに、栗色の髪を二つに結んだ姿はまるっきり魔法少女であった。童顔なので似合っているともいえなくないが、すこし痛い人にみえる。本人も自覚しているのか、魔法ステッキは真っ二つに折られていた。

 

 最後に凍伽。

 まごうことなきメイド姿である。細く締まった脚を被うオーバーニーソックスの黒と、静脈まで透けて見えそうな太腿の白。短いスカートのフリルが、そのコントラストにかぶさって花弁のごとく映えている。すらりと細いエプロンドレスにもフリルがついていて、その下に隠れた胸の膨らみを強調している。碧くて長い髪からはふさふさした猫耳が飛び出ていて、その幼獣の耳は、無表情の奥にある無防備な懐っこさを思わせた。

 

 なぜか凍伽のメイド姿だけ描写が丁寧なことは置いておいて、僕は一言でみんなの姿を総括した。

「コスプレかよ!」

 

 ていうかミサキがいない。

「みんなどうしちゃったの?」

 混乱しながらそう訊くと、ザンさんが、

「んむ。つまり方舟が起動してしまったんだな」

「いやあ」と早妃。「あん時はもう駄目かと思ったけどな」

「ぐはは。ここは方舟のなかだ。方舟は統一世界に残存していたAIを呼び集めているらしいな」

「残存、ですか」

「そう、お前らみたいに放ったらかしにされていたAIたちをどんどん起動させているんだ。いやあ最初に自分の姿を見たときは驚いたぜ、武士だもんな、武士」

 野武士といったほうがふさわしいと思うけど。

 そんな心の中の突っ込みは置いておいて、僕はいった。

「じゃあこれはつまり……」

「そだよ」とフィオさんが引き継いで、「かつて人間たちが造ったゲームの世界ってこと。AIを集める過程で、ゲームのデータまで一緒に吸い寄せちゃったのよ」

 

「でもなんで澄史は変わってないんだろな」

 早妃がじろりと僕の姿を見ていった。

「おかしいな」とザンさん。「方舟は、いわば人間が造ったゲームのミックスジュースだ。なんらかの影響を受けていると思うが」

 そういえば。

「さっき、なぜか浅海先生に迫られましたけど」

 そういうと早妃が「はっはーん」なんて感じの顔をして、さっきの仕返しだとばかりに、

「それ、エロいゲームだろ」

「えええ!」

「まいったなー、澄史はムッツリだなー」

「ちょ、だってそんな。大体なんでこんなことになったかっていうと……」

 そこまでいって、はっと恐ろしい考えが頭をよぎる。

「そう」

 凍伽が頷いて、答えを口にした。

「ミサキが、人間の魂が鍵だったの」

 

 

 HATYによって起動した方舟は、その内部にミサキを取り込むことによって完全なものとなった。まるでオキアミを呑み込む大きな鯨みたいに、廃棄されかけていたゲームやそのなかに入っているAIを呑み込んでいった。

 それが方舟本来の機能だったのかはわからない。

 ひょっとしたら暴走している可能性もあるけれど、現在方舟は一つの意志を持つ生き物のようにすべてを呑み込んで膨張中だという。

 

「今、ミサキはどこにいるんでしょうか」

 ファンタジーゲームに出てきそうな、実際どこかのゲームのデータらしい森を歩きながら、僕はザンさんに訊ねてみることにした。

「それがわからんのだ。なにせ今も膨れあがっている途中だからな、俺らがどの階層にいるかさえ見当もつかん」

 

 それを聞いて心が沈む。

 救えない、と思う。

 やはり調整役のAIごときがヒロインを守るなんてできないのかもしれない。腑の底から無力感がわき上がってくる。どうして僕は世界に干渉する力を持たないのだろう。

 

 干渉する力――。

「そうだ」と僕。「修正コードを使って、データに穴を開けてミサキのところへ行けないかな」

「やめといたほうがいいわ」フィオさんが冷静にいった。「方舟は気が遠くなるくらい膨張を続けてるのよ。とんでもないところにたどり着いちゃう可能性があるわ」

「とんでもないところって?」

「削除コードの流れるリンパ節で白血球(対ウィルス装置)に駆除されたり」

 僕は肩を落とし、

「じゃあやっぱり――」

「そ。地道に歩くしかないってこった」

 早妃が結論をいった。

 

「まあ、データの上を歩いてどこまで行けるかわからんがな」

 と肩をすくめたザンさんに、早妃は弓をふりふりしながらいった。

「やってみるしかねーだろ」

 一同は、あてもないままファンタジー風の幽玄な森を進んでいった。

 

 きっとここは昔、人間たちが冒険を繰りひろげていた仮想世界なのだろう。五感をすべて仮想空間にダイブさせて、友人とパーティを組んだり、モンスターを倒したりして楽しんでいた世界。

 そんな世界の中で、僕らはまるっきり奇妙な集団だと思う。

 エルフと野武士と魔法少女とメイド。しかも全員AI。

 あと学生服の僕を入れて五人のパーティは、本来のゲームであればあんまり関わりたくないと思わせる集団であった。

 

「そういえば」と僕。「フィオさん魔法少女なんだから、魔法でなにかできないんですか?」

 気軽に訊いてみたつもりであった。

「それ以上いうとケツにステッキ突っ込むわよ」

「えええすいません!」

 嫌な魔法少女だった。

「き、気にしてるんですか?」

「別に気にしてなんかないわよ。あたしかわいいから何でも似合っちゃうでしょ。痛いとかいったら刺すからね」

 ぎろりと睨まれる。

 

「でも普通にかわいいよな」

 と、早妃がフォローを入れてくれた。

「ええ。素敵です」と凍伽も頷く。

「うん、そうそう。本気で似合ってますよ」

 僕はそう褒めることでこの場を乗り切ろうと思ったのだが、

「男にいわれるとむかつくのよね。刺しちゃお」

「えええすいません!」

 初対面なのに、本当にちくちくと脇腹を突っつかれた。

 フィオさんの辞書に容赦という文字は載っていないようである。 

 

 そんな馬鹿なことをしながらどのくらい歩いただろうか、

 急に森がひらけて、木々の密度が薄い場所に出てしまったとき。

「うわっ」

 叫んだ。

「なんだあれ!?」

 早妃が弓に矢をつがえながらそういった。

 森のなかにぽっかりと空いたような空間。

 そこに、怪物がいた。

 青い肌の巨躯を鎧で包んだ、ゴリラのようなモンスターである。たぶんファンタジーゲームではわりあい強いモンスターなのだろうそいつは、完璧に獲物を狙う目でこっちを睨んでいる。

 

「気をつけろ!」

 そういってザンさんは大太刀を抜きはなった。

「うりゃっ!」

 可愛い気合とともに、早妃が弓矢を放つ。

 ひゅ、と飛んでいった矢はしかし、青ゴリラの鎧に弾かれてしまった。

 落ちた矢を踏んで、そいつは鼻息荒くこちらに近づいてくる。

 緊張が高まった一瞬、

「そうだ」とフィオさん。「この子、エロゲーの登場人物になってるんだからあいつを口説き落としちゃえばいいのよ」

 えええ。

 この子、って僕のことですかおねいさん。

 

「無理です無理無理」

 僕はぶんぶんと全身で否定した。

「君ならイケるって」

「なにがですか! あああ、早妃も『それいいじゃん』みたいな顔しないで!」

「試してみる価値はあるな」

 ザンさんまでそんなことをいいだした。

「行ってこーい!」

 

 フィオさんに背中を蹴り出され、

 つんのめった先は青ゴリラの目の前。

 この女、やっぱりドSだ。

「ぐるるるるぅ」

 敵はうなり声を上げてこちらを睨んでくる。

 獲物(僕)は凍りついたように動けなくなっていた。

 

「がんばれ! 口説け!」

 早妃が後ろから声をかけてくる。

 んな無茶な。

 だが、目の前の青ゴリラは戦闘態勢に入っている。

 くそっ、こうなったらやるしかない。

 そう決意した瞬間、

 エロゲーみたいな選択肢が、僕と青ゴリラの間の空間に直接表示された。

 

  ①一緒にバナナでも食べないか?

  ②すぐそこにおいしいバナナを出す店があるんだけど

  ③君の顔、バナナみたいで素敵だね

 

「全部バナナじゃないかああ!」

 僕が頭を抱えてそう叫ぶと、早妃が後ろから、

「落ち着け、三番を選択してあいつを褒めるんだ!」

「バナナみたいって、どんな顔だよ!」

「一皮剥けてるってことだよ! 別にやらしい意味じゃねーぞ!」

「お前がやらしいよ!」

 

 そんなことをいっている間にも青ゴリラは間合いを詰めてきて、

 ぶうん、と棍棒を打ち下ろしてきた。

 転がるように避けると、さっきまで僕が立っていた地面に棍棒がめり込む。

 今度は横払いされた棍棒を身を反らして回避するやいなや、勢いそのままに、また打ち下ろされた。

「うあっ」

 とっさに、右手に修正コードを走らせて受け止める。

 だが、運動エネルギーはそのまま演算されたようで、腕にしびれるような激痛が走った。

「いってえ!」

 叫ぶ。これは太刀打ちできない。

 転がり込むようにみんなのところに戻ると、しかし、全員がなにか不思議なものを見るような顔をしていた。

「え、なに?」

「……あそこ」

 早妃の指さした先、森の奥から何十体もの青ゴリラがのっしのっしと歩いてくるのが見えた。

「うわっ」と僕。

 さっきまで戦っていた青ゴリラもこっちに近づいてくる。

 

「む、こいつは手強いかもしれんな」

 大太刀を構えたザンさんがつぶやく。

「逃げるしかないわ」

 凍伽が冷静に告げた。

「どうやってだよ!?」

 と、矢をつがえながら早妃がいった。

「この森のデータに穴を開ける」

 いいながら、凍伽は修正コードを走らせた手で空間に円を描いた。

 描画データにノイズが走った後、人ひとりがくぐれるだけの穴がぽっかりと開く。

 その向こう側には、虚無を映したような黒い闇が広がっている。

 

「そいつは危険だ!」

 口調を荒げるザンさんに、凍伽は両手でエプロンドレスを握りながら反論した。

「でも、あの数相手では無理です。この世界では痛覚も演算されているし……方舟のなかで死と判定されたらどうなるかわかりません」

「だがそんな――」

「よし、行こうぜ!」早妃が矢を放ちながら、「あいつらこっちの武器も効いてねえ。ひょっとしたらミサキのところに行けるかもしれないしな」

 そうだ、彼女のところに行けるかもしれない。

「行きましょう。識別コードのついているAIは、そう簡単に消されたりしませんよ」

 僕がそういうと、ザンさんは眉間にシワをよせて、

「フィオはどうする?」

「面白いほうで!」

 折れたステッキをかかげて、フィオさんはそういった。

「むう。しょうがねえ、飛び込むぞ」

 いわれてみんなは順番に飛び込んでいく。

 最後に僕が飛び込むと、後ろで棍棒が風を切る音が聞こえた。

 

 

 高いところから落ちるようなお腹がぐっと浮き上がる感覚がして、

 僕らはデータの海のなかを落下していった。

 どさっ、と突然肩に痛みが走って、

 絨毯?

 だが僕の思考は上から落ちてきた早妃に押しつぶされた。

 

「ぐわあ!」

「……痛てて、あっごめんな澄史」

「……お約束通りだな」

「重いとかいったら殴るかんな」

「その台詞もお約束通りだ」

 ほかの三人は無事着地できたようだが、早妃だけ僕を下敷きにするかのように落ちてきたのだ。

 

 僕らはどこに落ちてしまったのだろう。

 辺りを見回す。どうやらここは宮殿であるようだった。

 広間のような空間には華美な装飾を施された柱がつらなっている。僕らの足下には真っ赤な絨毯が敷かれていて、その両脇には中世風の兵士が直立している。絨毯のつづく先、ひときわ高くなった豪奢な椅子には誰かが座っていて――

 

「そなたたちか。なかなか逞しそうな若者じゃ」

 その王冠をかぶった人物が口を開いた。

 間違いない。

 ここは、謁見の間だ。

「え、おっさん誰?」

「うぉい!」

 お気楽にそういってくれた早妃を、あわててたしなめる。

「王様だよ王様! 別の仮想世界に来ちゃったんだよ」

「だったらあいつもAIだろ」

「そりゃそうだけど」

 

「おほん」と段上の王様が咳払いをした。

「なんか怒ってるわよー王様」

 とフィオさんがいったので、前に向き直ると王様は続けて、

「魔王ボルゴスが甦ったことは知っているであろう」誰だよ。「かつて悪逆の限りをつくし、光の勇者アルトによって封じ込められた魔王は、着実にその勢力を伸ばしつつある。このままでは世界はふたたび闇に飲み込まれてしまうであろう」

 王様は眉間にしわを寄せて、世界の危機を語り始めた。

 

「はあ」と早妃。

「この平和な城下町にも、すでに闇が迫ってきておる。おかげでワシと王妃の夫婦生活もうまくいっておらんのだ」

「ん?」とザンさんが首をひねった。

「性格の不一致、というやつじゃな。先日ついに離婚を申し渡されたのじゃが、ワシは縋った。王妃の裾に縋って、せめて別居からにしてくれんかと頼み込んだ」

「それ、闇とか関係ねーだろ!」

 早妃が突っ込む。

 しかし、別居からってなんかリアルで嫌だな。

「どうやら」とザンさん。「ちょっとバグってるようだな」

「ちょっとどころじゃないだろ、もう」

 早妃がため息をつく。

 

「王様」

 と凍伽が話をさえぎるように手を挙げた。

 さすが凍伽だと思う。こんなことしているヒマなど僕らにはないのだ。さっさと切り上げてミサキを探しにいかなければいけないのだから。

「――別居という選択肢は、離婚調停の際に不利になるケースがほとんどです」

「うぉい! さらに話ややこしくしてどうすんの!」

 なんだよ離婚調停って。

 ファンタジーのかけらもないよ!

 凍伽はさらりと、

「でも養育費等の負担を考えれば、別居はお勧めできない」

「そういう問題じゃない!」

 しかし凍伽はふたたび王様に向かって、

「ところで王様、性生活の不一致とのことですが」

「なんだよ性生活の不一致って! 性格の不一致っていったじゃん!」

「えっ」と、凍伽はこころなし頬を赤く染めた。

 いや、たしかにメイド服を着た凍伽が恥ずかしがってる姿はかわいいけど。

 さっきからまったく話が進んでいない。

 

「ああもう!」

 しょうがない。方舟のことなんかをすべて話して、早く解放してもらうことにしよう。

 僕は王様に向き直って、口を開いた。

 

  ①仕事大変そうだね

  ②たまには僕と城下町に行かないか

  ③その王冠、似合ってるね

 

「なんで王様を口説かなきゃいけないんだよ!」

 よりによってエロゲーの登場人物になってしまった我が身を呪うしかない。

 表示されている選択肢を見た早妃が、

「よし、三番だ」

「嫌だよ!」

 どうしたものかと考えていると、さらに王様は話を続けてきた。

「――ワシらの夫婦生活の危機を救うため、魔王を倒してくれんか?」

「なんだその理由」

 早妃がうんざりしたようにいうと、ザンさんが、

「だが、先へ急ぐためにここは頷いておいたほうがいいだろ」

「しょうがないわね」とフィオさん。「あたしたち、魔王を倒しちゃいましょう」

「おお、勇敢なる者たちよ。しからばそこの宝箱をとり、装備をととのえるがよい」

 ぽん、と僕らの前に宝箱が出現した。

 

 お約束だなあと思っていると、

「ラッキー」フィオさんが駆けよっていった。「なにが入ってんのかしら」

 かぱり、と開ける。

「なにこれ……布の服? 80ゴールド?」

 フィオさんががっかりしたようにいうと、王様が、

「利子はトイチじゃ」

「えええ! 利子取んの!?」

 しかも十日で一割って、ヤミ金融かよ。

 

 僕らの間に、なんともいえない残念な空気がただよう。

「国債を発行しすぎて、我が国の財政は火の車なのじゃ」

 王様は生活に疲れたようにつぶやいた。

「もう!」

 怒ったフィオさんが、王様のところへ駆けよっていく。

「これ売っちゃえばいいのよ!」

 そういって、あろうことか王様のかぶっている王冠をすぽんと取ってしまった。

 突然、中空に文字が表示された。

 

 ――フィオは、ちいさなメダルをみつけた――

 

「どこに隠してるんだよ!」

 思わず叫んでしまう。

 だがフィオさんはそれを、ぽい、と放り捨てて、

「なんか、ぬめってしてた」

 嫌そうな顔でそういった。

 蒸れそうだもんなあ、王冠の中。

 しかしどうやら王様はキャラクターAIではなかったらしく、王冠を奪われても平然としている。

 

「しょうがねえ」

 ザンさんがそういって王様に手を挙げた。

「ま、旅立つってことでよろしく頼まあ」

 と、僕らは王宮を後にした。

 こんなグダグダ感あふれるなかで魔王を倒しにいくやつらも珍しいと思う。

 

 

「どうしたもんかなー」

 早妃が困ったようにつぶやいた。

 うってかわって城のそと。中世風の牧歌的な街で、僕らは顔をつきあわせていた。

 もちろんこんなゲームをまともにプレイする気はないのでフィールドには出ない。だが、ここにいてもミサキを助けに行くことなんかできないので、どうしたものかと悩んでいるのだった。

 

「あれ、そういえばフィオさんはどうしたんですか?」

「ああ」とザンさんは顎をしゃくって、「80ゴールド持って、そこの武具屋でお買い物だとさ」

「トイチのやつですか」

「らしいな」

 まったく、今どういう状態なのかわかってるのだろうか。

「とりあえずさ、情報を集めようぜ。RPGの基本だ」

 

 そういって早妃は、ちょうどこっちに歩いてくる街の人に話しかけようとした。

「あのー、すんません」

「武器や防具は、きちんと装備しなきゃ意味がないよ」

「はあ。この仮想世界ってさ」

「武器や防具は、きちんと装備しなきゃ意味がないよ」

「いやだから、あんたもAIなの?」

「武器や防具は」

「うるせぇ!」

「ああっ早妃、ぐーは駄目!」

 僕は後ろから早妃の肩にしがみついた。

「なんか怖いんだよ!」

 と、早妃はようやく拳を降ろして、

「あたしらんとこの群衆AIでももうちょっとまともに喋るぞ」

「そうね」と凍伽。「ここには低位AIしかいない」

 たしかに、なんでこんな話の通じないやつばっかりなんだ。

 

 僕が頭をひねっていると、凍伽が続けて、

「方舟は人間の造ったゲームを手あたり次第起動させている。でもそこには当然、もっと高位アルゴリズムを搭載したAIがいるはず。そうでなきゃゲームが面白くないもの」

「つまり」とザンさん。「方舟は高位AIとゲームのデータを分けているってことか」

「おそらく」

「でも、なんでそんなことを?」

 僕が口を挟むと、凍伽がある可能性を示唆した。

「方舟の機能は、人間の魂を保存することだといっていた。それが本当なら、ミサキのほかにも人間の魂を持ったAIがいるのかもしれない」

 

 なるほど。

 だから、AIを次々に呑み込んでいるのだろうか。

「だったらさ」と早妃。「なんとかしてそいつらのとこに行けないかな」

 ザンさんがそいつは面白そうだとばかりに、

「そうだな。《少女果実》以外のデータなら検索できるかもしれん」

 そういって、片膝をついて地面に手を当てる。

 周囲の描画データが、ぱちぱちと電気が走ったように瞬いた。

 そうだ。ミサキを含めた《少女果実》のデータは揮発領域に保存されているとかで検索できなくしてあるけれど、ほかのAIならば検索可能かもしれない。

 

 しばらくの後、ザンさんが立ち上がって結果を告げた。

「近いな」

 そういって、路地のつづいている方角を見やった。

「M軸の方向に40電素ほど行った下部階層。そこにAIらしき反応があった。つまりここから西に15kmほど歩いてデータに穴を開けりゃあ対面できるぜ」

「この仮想世界から行くんですか?」

「それが一番の近道だ。つうかそれしかわからなかった。方舟は今も膨張中だから、早く行かねえとな」

「そんならさ」と早妃。「装備、整えたほうがいいんじゃないか? あたしらはいいとして、澄史とか武器持ってないだろ」

「そうだな。目標地点はフィールド上にある。お前らの修正コードでなんとかできるかもしれんが、念を入れておくとするか」

 

 そこでザンさんは、はたと気づいたように、

「いけねえ、フィオを探せ!」

「ど、どうしたんだよ」

 早妃がそう訊いたけど、いきなりザンさんは走り出した。

 僕らも、よくわからないまま彼を追う。

 街路を走り、街のAIにぶつかりそうになりながら、ようやく武具屋と書かれた看板の前に着いたとき、その努力が徒労に終わったことを知った。

「あれ、みんなどうしたのよ?」

 ……一見するとかわいい。

 タータンチェックの丸首シャツにプリーツスカートをあわせて、足下は茶色いローファー。ロンドンのお嬢様学校といった雰囲気を醸し出すその服装は、まぎれもない新品で、

「お前、それどうしたんだ」

 ザンさんの問いに、なんでもないことのようにフィオさんは、

「買ったのよ」

「なんで武具屋にそんなシャレた服が置いてあんだよ!」

「知らないわよ。これ造った人間に聞いて頂戴」

「あの」と凍伽が割り込む。「ちなみにいくらだったんですか?」

「70ゴールド。装備なんか買わないんだから別にいいでしょ」

「あのなあ――」

 文句を言おうとしたザンさんを制して、凍伽が、

「残りは?」

「これ残り」

 差し出された財布らしき袋を受け取り、凍伽はそのまま武具屋へ入っていった。

 

「なんだ?」と早妃。

「さあ」と僕。

 ややあって出てきた凍伽は、まるでアイスでも持つかのように両手に小ぶりの棒を握っていた。

 はい、と片方を僕に差し出してくる。

 ひょっとしてこれは。

「フィオさんにも、はい」

「ありがと……ってなにこれ」

「ひのきの棒」

 聞きたくなかった正解を口にした凍伽は、ぐるりと全員の容姿を見回して、

「完璧ね」

 そういって珍しく、にやりと笑った。

 

 

 最初はスライムなんかを、ちぎって投げているだけでよかった。

 だがRPGの性ともいうべきか、徐々に強い敵があらわれるようになり、とてもひのきの棒では対応しきれなくなってきた。

 しかし――。

「おい、ひのき! そっち行ったぞ!」

 弓に新しい矢をつがえながら、早妃が叫んだ。

 目の前に角を生やした大ウサギが突進してきた。

 躱しざまにひのきの棒で打ちつける。幸いダメージが蓄積されていたらしく、ばしゅうと音がして、大ウサギはピクセル単位の固まりになって四散した。

 残りの敵は一体。鎧を着た豚みたいな化け物――オークである。

 

 ちなみにフィオさんは折れたステッキで戦うことにしたので、僕が両手にひのきの棒を装備している。そのせいで、ひのきなんていう不名誉なあだ名をつけられてしまった。

「ぬぅん!」

 ザンさんが唸り、オークへ一太刀浴びせかけた。

 だが、鎧に弾かれて大きなダメージをあたえることができない。

「どいて!」

 叫び、フィオさんが前線に躍り出た。ステッキを振り上げるように掲げ、

「とおっ!」

 七色の虹が全身をつつむ。くるんくるんと、なんだかよくわからない物体がフィオさんの体に巻き付き、ぱちんと弾ける。

 あらわれたのはフリルのついた水着みたいなコスチュームの、いつもの魔法少女だった。

「……以上よ」

「えー」と僕。

 周りにも、えー、という雰囲気が漂った。

「なによっ、あたしも魔法がつかえるかと思っただけじゃない!」

「その状態では無理なんですか?」

「こんなコスプレ嫌よ、着替えるっ!」

 そういって近くの繁みに駆けていった。

 

 ぐるるる、と置いてけぼりだったオークが不快なうなり声を上げる。

 そのとき、ばしゅっと後方から白い光が飛んできてオークの額に命中した。

 凍伽だ。唯一魔法の使える凍伽が攻撃したのだ。

 オークの頭が白く凍りつく。今だ、とばかりに早妃が矢を射かけた。

 見事命中し、氷が砕けるようにオークの頭が爆散。一瞬ののち、首を失った体が光の粒となって四散した。

 そしてモンスターが完全に消滅したとき、突然ファンファーレが鳴り響いて中空に文字が表示された。

 

 ――凍伽はレベルがあがった!――

 

 だが、誰も喜んでいない。

 ザンさんと早妃は武器を収め、おつかれー、なんていっている。

 

 ――かしこさが2あがった。すばやさが1あがった。隣の席の部下に注意してやりたいことは山ほどあるがいまさらそんなこといってもこいつ変わんねぇし俺は俺の仕事だけやってりゃいいやという開き直りが2あがった――

 

 ……。

 こんなしょっぱいレベルアップ初めて見た。

 バグってるよなあ。大変だったのかなあ、このゲーム造った人。

 最初のころはレベルアップすると喜んだものだが、とくに強さも変わらないし変にバグっているのでもう誰も見向きもしないのである。

 

「……いいや。わたしはわたしのやることやってりゃ」

「凍伽、そんなやさぐれないで」

 どうやって着替えたのだろうか、元通りお嬢様学校風の私服に着替えたフィオさんが戻ってきて、

「あ、倒したのね」

 なんて暢気にいった。

 

 

 そのようにして一行は、フィールド上を進んでいった

 途中何度もモンスターに襲われたけれど、なんとか四時間ほどかけて僕らは目標地点に到着した。

「ここらだな」とザンさん。「ここに穴を開けて下の階層まで行く」

 何の変哲もない草原のフィールドである。本当にこの下にAIたちがいるのだろうか。

 

「じゃあ、開けますね」

 そういって僕は手に修正コードを走らせ、地面に触れた。

 瞬間。

「うわあっ」

 引っ張られる。

 強い力、としかいいようのない力が全身を襲う。

 必死で抗っても体が吸い寄せられていく。視界がブラックアウトしてなにも見えなくなり、僕はでたらめに腕を振り回した。

 

 わしっ、と手のひらを掴まれる感触。

 見上げれば、丸い穴から身を乗り出すようにして凍伽が僕の手を握っていた。

 辺りは闇。丸く切り取られたように空が見える。

 ということは、僕は落ちてしまったのか。

 

「澄史君」凍伽が苦しそうに呼びかけた。「……大丈夫?」

 どちらかといえば凍伽のほうが大丈夫じゃない気がする。

 白くて細い腕は肌が引っ張られるほど伸ばされ、今にも千切れそうだ。

「凍伽、いったん手を離して!」

 そういうと凍伽はゆっくり首を振って、

「駄目。こんなにも引力が強い。落ちたらどうなるかわからないわ」

 まさか、文字通り方舟に吸い込まれているのだろうか。

 強烈な力が体を舐めていく。ほかの連中は必死になって凍伽を支えていた。

 足下には闇が広がっていて、こんなところに落ちるのは嫌だとAIの自己保存機能が訴えているようだった。でも――。

「この向こうにミサキがいるなら、僕は行くよ!」

「おい!」上から早妃の声が降ってきた。「一人だけかっこつけんな!」

 

 めずらしいシリアス展開だと思う。

 だけど今まで何百回も馬鹿なことばかりやってきたのだから、これくらい格好つけさせてほしい。

「必ず戻ってくる!」

 そういって、僕は手を離した。

「あっ」と凍伽が叫ぶが、すぐに引力が僕の体を引き寄せ闇のなかへ落ちていく。

「忘れ物だ!」

 もう顔の輪郭もわからなくなるほど落ちたところで、早妃が何かを投げ入れてきた。

 たぶんあれはひのきの棒だ。

 そんなんいるかなー、と思いながら、僕はどこまでも落下していった。

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