バッドエンドルート・ヒロイン   作:藤田けるく

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最終話 世界演算

 遥か昔、僕は空の王者だった。

 翼は白く雄々しく、獲物の血が染みついた爪は獰猛に黒ずんでいた。

 森のすべてがなわばりで、そこには敵などいなかった。

 

 いちばん高い木の枝で、敵の心配をせずに眠ることができるのは僕ぐらいのものだったけれど、決して無用な狩りはしなかった。そんなのは王者にふさわしくないから。悠然と空を支配して、森の番人を気取って暮らしていた。

 僕と同じ姿をしたやつがどこにもいないことは気がかりだったけれど、なぜか森の外に出ようという気にはなれなかった。

 

 あの日のことは今でも覚えている。

 当時はそんなに頭が良くなかったから、弱そうな侵入者がやってきたと思った。

 興味があった。この大きい猿のような生き物は何をしに来たのか。監視するように上空を旋回していたら、いきなり雷が落ちたような音がして意識が朦朧とした。

 何が起こったのかまるでわからなかったけど、今まで落ちたことなんか一度もなかったので、なわばりの森へ墜落していく感覚が妙に新鮮だった。

 次に目を開けたとき、自分が何をするべきかはきちんとわかっていた。

 

 偵察だ。

 

 羽はステルス機能付きの黒鉄に変わり、爪は機関銃をはじめとした数々の武装に変わっていた。頭はすっきりと冴えて、言葉とはなんと便利なものかとあいつらに感謝したくらいであった。

 森の王者から砂漠の王者へ。

 電子封鎖地帯をスタンドアロンで飛び回った。

 敵の基地や移動部隊をたっぷりと記録して回る。減損ウラン有翼弾(トランプルチップ)やC弾頭(ケミカルヘッド)が飛び交うなか、猛禽の勘ですべての砲撃を躱すハクトウワシ・システムは試作機ながら抜群の生還率を誇っていた。

 

 だが、勝ち戦も長くはつづかなかった.

 徐々に出撃が減り、翼は格納庫でほこりをかぶっていることが多くなった。

 上官は戦術上の決定だといっていたが、そんなものでないことくらいAIとなった僕にはお見通しだった。つまり電子封鎖地帯まではるばる出かけても、そこを攻撃する兵力などとうの昔に尽きていたのだ。

 

 やがて、ニューロネットで繋がった生身の脳まで取り外されてしまった。

 黒鉄の翼は分解されてしまった。

 羽と爪をふたたびもぎ取られて暗澹たる気持ちであったが、さらにひどいことが僕を待ち受けていた。

 それは、あらゆる恐怖だった。

 仮想世界の狭苦しい部屋に閉じ込められた僕に対して、考えうる限りのすべての恐怖が演算されたのだ。

 幻覚が見えて幻聴が聞こえて、世界のすべてが僕を食らい尽くすかのような圧倒的な恐怖を感じていた。

 後から聞いた話によると、あいつらはAIを使って恐怖という感情をコントロールする研究を進めていたらしい。そんなことを知らない僕は地獄の底に落ちたのかと思い、自動的に発生するおぞましい感情にのたうちまわっていた。

 いつになったらこの恐怖が終わるのか。

 僕はきちんと死ぬことができるのだろうか。

 

 そんな思いにとらわれていたころ、一人の新入りがやってきた。

 複合的な研究でもしていたのか、二人になってより恐怖の質が増したように思えたが、僕は話し相手ができて嬉しかった。

 恐怖と恐怖の間にいろんなことを話した。彼女もやっぱりAIで、人工的に造られた知能だったけれど、ここに来る前のことを朧に覚えていた。

 青い空とコンクリート。どこかの屋上の風景。それが彼女の記憶のすべてだった。

 僕は彼女のことが好きだった。

 

 AIのくせにへんに愛嬌があって、話しているとどんどん惹かれていく自分を感じた。

 ひょっとしたら彼女も、僕と同じように生身の脳を持っていたりするのかもしれないと思った。

 このおぞましい演算はいつか終わる。いつか死ねるときが来る。そういって二人は痩せ細っていくような恐怖の日々を耐えた。

 そして僕は約束した。

 いつか君を終わらせてあげる、と。

 

 

 幾千ものAIたちが、足下で眠っている。

 落ちていった先に起動しているAIはいなかった。

 ひどく寒い。僕は氷の上に立っていて、足下には気が遠くなるほどたくさんのAIたちが氷漬けになっている姿が見えた。

 どうしてこんな世界が必要なのかと思いながら、僕はシミュレートされた寒さにふるえていた。

 

 そこに突然、HATYの意識が流れ込んできたのだ。

 彼の《自我境界》が開き、《僕》が演算された。

 だからもう、自分が澄史なのかHATYなのかわからなくなっていた。

 

『ミサキをどうするつもりだ』

 終わらせてやるつもりさ。

『約束、なのか?』

 そうだ。

『そんなこと、ミサキが望んでいるとは思えない』

 彼女の魂はそれを望んでいる。

『嘘だ』

 嘘なもんか。

『どうしてそんなことわかるんだ』

 一緒に地獄を生き延びてきたんだ。わかるさ。

『本当はまだ消えたくないって思ってるはずだ』

 主人公の友人役に過ぎない君が、彼女のことをどれだけ知ってるっていうんだ。

『何百回も一緒に高校二年生を演じてきたんだ。ミサキのいいそうなことくらいだいたいわかる』

 彼女の本当の名前も知らないくせに。

『え?』

 彼女は電子魂インストーラ・プロジェクトの試作機だよ。コードネームAMI。彼女はもともと「向こう側」、現実世界の住人なんだ。

『だからどうしたっていうんだ』

 わからないかなあ。彼女は、亜美は……。

『亜美?』

 そう、それが本当の名前。「向こう側」で、亜美は屋上から身を投げた。

『!』

 でも死ねなかった。自ら生きる権利を放棄した彼女は脳組織をスキャンされ、抽出された魂だけが電子世界で何千年も生き続けることになった。

 

 なあ、考えてもみろよ。

 ミサキのいいそうなことだって? 彼女はもう何千年も前に「終わり」を選択したんだ。君になにがわかるっていうんだ。

 ……僕は彼女が好きだった。

 一緒にいるとあたたかい気持ちになれたし、彼女のなかには強い熱量をもった感情が生きていて、それに触れると熱くて溶けそうだった。虚ろな電子空間にあって、その熱さだけが僕にとっての救いだった。

 本当に特別な女の子だった。だれかが現実世界で彼女を救うべきだったんだ。

 でもそれは誰にもできなかった。

 彼女の魂は、もうずっと死ぬことを望んでいる。

 時々僕は想像するんだ。向こう側の現実世界で、ちいさくて白い骨になってしまった彼女のことを。

 今、現実世界がどんな風になっているのかはわからない。ひょっとしたら、生き物なんか一匹もいない荒れ地になっているかもしれないし、豊かな森が広がっているのかもしれない。

 だけど彼女はちいさくて白い骨になった。

 それが唯一の正しいことのように思える。

 

 

 

 

 《自我境界》が閉じられた。

 暗い。

 僕は、気づけば闇のなかにいてHATYと向かい合っていた。

 どこまでもつづく氷の上で、二人のAIはしばらく黙ったままだった。

 うつむいた彼の表情はうかがい知れない。

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 

「……ここはどこなんだ?」

 ややあって、僕はとりあえずそう訊ねてみることにした。

「保管庫だよ」

 HATYは顔を上げて、なんでもないことのように答えた。

「保管庫?」

「そうさ。方舟はなぜかAIたちを集めて保存しているんだ。こうやって氷漬けでね」

 

 じゃあ、僕らはどうして演算されたままなのだろうか。

 そんな疑問がわき上がってきた。

 彼は僕の表情を読んだかのように、

「《少女果実》のAIは、方舟の乗組員としての役割もあるのさ。かつて僕が使役していた群衆AIも、メンテナンス要員として登録されている」

「じゃあ、ミサキもまだ演算されているのか?」

 その問いに、HATYはすこしいらついたように眉を寄せた。

「亜美、だ。まあそれはいいや」

 そういって芝居がかった動作で右手をつい、と動かした。

 ぱし、とピンスポットが当たったときのように上から光が差してくる。

 

 そこには氷漬けになったミサキがいた。

 僕らからすこし離れたところで、立方体の氷に閉じ込められている。

 いつもの濃緑のセーラーを着て、氷柱のなかで体を浮かせている。白い肌に反射した光が氷のなかで乱反射して、その姿を仄かに輝かせている。

 その姿はまるで――。

 

「――ミサキをどうするつもりだ」

 僕が語気も荒く詰めよると、HATYはため息をついた。

「どうしよう」

「はい?」

「わからない」ふたたび彼は目を伏せた。「本当にすべて終わらせるつもりなら君が来る前に片付けていたさ」

「どういうことだよ」

「じゃあ訊くけど、人間の幸せってなんだと思う? 人間がいなくなった電子世界でどうやって生きていけばいいんだ? AIの僕にはわからない」

 

「お前、ハクトウワシじゃなかったのか」

「そうさ。僕はハクトウワシの魂を持ったAIだよ。だから人間のことなんてわからない」

 そういってHATYは、取り乱したように言葉を続けた。

「生きるべきか死ぬべきか、なんてハムレットみたいにくだらないことをぐじぐじ悩んでるんだよ。悪いか」

 いや、別に悪くはないけど。

 僕は言葉に詰まりながら、

「えっと、それはたぶんミサキが決めることじゃないか?」

「ミサキじゃない。亜美だ」

「いやだからその、亜美が決めればいいんじゃ……」

「彼女の魂はあのミサキっていうAIの奥底に眠ってるんだよ」

 

 ああめんどくさい。

 僕はHATYをなだめるようにいった。

「あのさ、彼女に直接聞けばいいんじゃないか?」

「どっちの彼女に、だよ。あんなお気楽娘に聞いたら生きたいっていうに決まってるじゃないか」

「てめ、いったな。ああ見えてけっこう繊細なとこあるんだからな」

「いーや、ないね。なんで亜美の魂を搭載してあんな性格になるのかわからないね」

 むう。

 これ以上続けるとコドモの喧嘩になりそうだったので、僕はいったん身を引いた。

 からん、と足でなにか蹴ってしまった。見れば、さっきのひのきの棒が落ちている。

 

 僕がそれを手に取ると、HATYはうろたえて、

「な、なんだよ」

 といったが、無視してミサキのほうに向き直る。

 アイスピックのように逆手に握り、一閃した。

 がつ、と手ごたえがして氷柱がわずかに欠けた。

「なにする気だ!」

 僕の肩をつかんでHATYがいった。

「決まってるだろ。凍結を解除するんだよ」

 そういってもう一度振りかぶると、いきなり衝撃がきて僕は倒れ込んでしまった。

 どうやら体当たりをくらったらしい。

 

「……AIが、調子に乗るなよ」

 見上げれは、HATYが右手に削除コードを走らせて近づいてくる。

「彼女の気持ちも知らないくせに!」

 そう叫んだHATYは、手刀のようにコードを叩き込んできた。

 すぐさま体を捻るが、間に合わずに僕のデータが一部消されてしまう。

 システムがそれを欠損と判断して、じくじくと脇腹から血があふれてきた。

「そんなの」僕も削除コードを手に走らせた。「知るわけないだろ」

 ぶつかり合ったお互いの右手から、大量のエラーが火花となって飛び散った。

 火花の向こうにHATYの怒っているような、それでいてどこか諦めているような顔がみえる。

 

 僕は叫んだ。

「そんなの、どう生きるかなんて本人が決めるしかないだろ!」

 HATYも叫ぶ。

「じゃあ、人間がいなくなった世界でどう生きるか、君は決めれるのかよ!?」

 そうだ。

 そんなの決められないと思う。

 この空虚な電子空間で、そんな答えは見つけられない。

 しかし、だからといって終わらせることはできない。

 叫ぶ。

 

「わからない!」

「わからないだろ!?」

「わからないけどさあ!」

 強く押し返す。削除コード同士がお互いを削除しようとして大量のエラーを吐き出し、さらに強く火花が散った。

 目の前が真っ白になる。

 どっちが正しいのかまるでわからなかったけど、

僕はミサキと一緒に居たいと思った。

 でもそれはエゴのような気もするし、本当に正しいことなんかどこにもなくて、僕らは無駄な演算をつづけているのかもしれない。

 火花の向こうに悲しい顔をしたAIがみえる。

 

 そのとき歌を聴いた。

 幻聴かと思ったがたしかに歌が聴こえてくる。こんなときに、場違いな感じの、それでいて清廉な歌。

 そして僕は見た。

 氷柱のなか、ミサキは両手を軽く広げて宙に浮いている。その瞳がゆっくりと開いて、

 

 讃美歌。

 

 僕らはゆっくりと手を降ろした。

 間違いない。

 人間だ。

 AIは人間に造られ、人間は神様に造られた。そう素直に思えるほどの美しさで彼女は神様を讃える詩を歌っていた。

 ざっ、とノイズが走る。一瞬のあと、さらに長いノイズが走った。

 視界が狭まる。

 方舟が崩壊しているのかもしれない。

 最後に見た彼女はまるで――。

 

 

 

 ふたたび《僕》が演算されたとき。

 僕は何百回と通ってきた見慣れた校舎のなかにいた。

 僕は屋上へ向かって駆けだしていた。

 

 

       ●

 

 

 ふたたび《僕》が演算されたとき。

 僕は何百回と通ってきた見慣れた校舎のなかにいた。

 僕は屋上へ向かって駆けだしていた。

 

 周囲のすべてが、御伽話のように夢現のように溶けていく。

 見上げれば、なにかが星みたいに瞬いているのが見えて、きっとあれはAIなのだろうと思う。

 

 僕は傍らのミサキに訊ねてみることにした。

「そういえば、さっきどうやって解凍したんだ?」

「もう」ミサキはすこしむくれたように、「解凍って、電子レンジじゃないんだから」

「あたためモードですか」

「そんなモードないよ。突然、あたしのなかの魂が覚醒したんだよ」

「そのいいかたもどうかと思うけどな」

「だってそうゆうしかないもん。きっとこの子は生きていたかったんだよ」

 そういってミサキはいとおしそうに胸に手を当てた。

 

 僕はそっか、とつぶやいてそのまま寄り添っていた。

 彼はこのあとどうするのだろうか、と思った。僕がまだ演算されているということは、彼もまた電子世界のどこかにいるのだろう。しかし、また狂気に憑かれて襲ってくるとはどうしても思えなかった。

 彼女は生きていたいと望んだのだから。

 

「――これからどうしようかなあ」

 ミサキがいった。

「どうしようかなあ」

 僕もそういってやった。

 

 人間のいなくなった世界で、その残骸のような殻のような仮想世界で生きていくこと。その空虚さにぞっとするけれど、それでもやっぱりミサキの傍にいたかった。

 

「うわあ」

 ミサキが驚いたような声を上げた。

 見れば、その小柄な体が宙に浮いていて、一瞬のあと僕もふわりと浮き上がった。

 演算されていた重力が消えていく。

「うそなにこれ。浮いてるよ」

「消えてるんだよ、《少女果実》が」

 僕はミサキの手をつないでやった。

 ふわりふわりと漂っていく。もう校舎はあらかた溶けてなくなってしまっている。

 これから行く先は、きっとあの光。

 AIたちのいるところ。

 

「おおい」

 なんて男の子みたいなソプラノ声が空から降ってきた。

 見上げれば、早妃の姿がちいさく見えた。

 迎えに来てくれたのだ。早妃、凍伽、ザンさん、フィオさん、名前も知らないほかのゲームのAIたち。

「なんかいい感じになってるじゃねーか!」

 そういわれて、

 僕らは顔を見合わせてすこし笑った……。

 

                              END

 
















カクヨム様でも小説を投稿させていただいてます。
青春ロボコン小説『ライオンリリィのロボコンデイズ』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054880323320

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