そんな彼女の話。
「古明地こいし」ということで書いたSS。
「いのち ちょうだい?」
少女はそう言った。
私と比較するのもおこがましい、可愛らしい女の子だった。
ふわふわの薄青の髪の毛に帽子を被せた、小柄の幼い女の子だった。変わったアクセサリーとして、閉じた目玉のようなものがたすき掛けされた紐に括られている。
私は少女の発した言葉の意味も、状況もわからなかった。
寺子屋からの帰り道、気づいたら見知らぬ小屋の中だった。持ち物はそのままだけれど、こんな場所に来た覚えはない。
小屋の中には私以外にも、もうひとりいた。同じくらいの男の子だったが、見覚えは無かった。
ただ、彼は私よりも賢かったらしい。薄青髪の少女の言ったことを理解して、泣き叫びながら逃げだそうとした。
「ふーん」
男の子はふたつになった。
よくわからなかったが、男の子がもう二度と動かないんだろうな、ということはわかった。
そしてこの女の子は、それを「ふーん」と無意識的に発してしまうような声ひとつでやってしまうのだと。女の子は笑っていた。無邪気そうに、ただ動かなくなったそれを転がして遊んでいた。
女の子の緑色の瞳が私に向けられた。この時私は初めて、身の危険を感じた。
「絵! 絵を描くから! 命は待って!」
絵を描くのが好きだった。絵を描かない日はなかった。
お母さんやお父さんには絵を描くことは猛反対されていた。私は寺子屋そっちのけで描いてたから。でも私はやめなかった。毎日、寺子屋に持って行く為の鞄の中に画材道具を詰め込んでいた。
絵を描くことは私の生きる事そのものだった。
なんて理屈が女の子に通用するとは思えなかったけど、私はもう、鉛筆を握りしめて無我夢中で描き散らかした。それでも必死になった結果か、ある程度はよく描けたと思う。
「は、はい!」
ここで気づいたけれど、驚く事に、少女は私が絵を描き終わるのを待っていた。
私が絵を手渡すと、これまた素直に受け取ってくれた。
「これが わたしなの?」
そう言われても困ったが、答えは求めてなかったようだった。気づいたら少女は消えていたのだから。
私は逃げようと腰を浮かせたが、そこで気づいた。この小屋には入り口なんてものはどこにもなかった。
天井近くに小さな風窓はあったので、日が沈んで、昇ってくるくらいならわかった。
そして外が明るくなると、少女がまたやってきた。今度は少女の方から、「私をもっと描いて」と言ってきた。
私は昨日よりは冷静だった。ただ、勇敢ではなかった。私は震える指先で、変色し始めていた男の子を指差した。
「描いてあげるから、あの子をどうにかして? きっともっと良い絵が描けるから」
「うん」
少女はにこやかに首を縦に振った。そして気づくと、男の子はいなくなっていた。やっぱり『ここから出して』とお願いすればよかったか、とは一瞬思ったが、ゾッとするくらいに透明な瞳で見つめられると、そんな勇気は出なかった。
私が少女の絵を描いて差し出すと、再び少女の姿はいなくなった。
その次の日も少女は来た。
そして同じように「絵を描いて」と言ってきた。
私はここに閉じ込められてから何も食べてなかった。空腹も限界だった。
「ご飯を貰えるなら、もっともっといい絵が描ける」
「ふーん」
てっきりすぐに了承してもらえると思っていた私は、身が竦んだ。
しかしそれは杞憂に終わり、気づいたら目の前には冷めた白米と漬け物が置いてあった。
美味しかった。涙が滲んできた。
約束通り、私はもっといい絵を描いた。色をつけたのだ。
少女は絵をしばらく見つめてから、姿を消した。
それから何日も何日も絵を描き続けた。たぶん一週間くらいは経ってると思う。けれど私は囚われたままだった。
私は今日も食事を頼んで、絵を描いた。
ただ、ちょっと変化を加えた。少女のアクセサリーである閉じた瞳を、開かせたのだ。
特に深い意味はなかったが、
「いろがちがうよ」
突然、少女にそう言われた。
「色が違うって?」
「ちがうの」
「何色なの?」
「わかんない」
私もわからない。ただ、ここで機嫌を損ねてしまえば今までの努力が無駄になる。
私は用紙いっぱいを使って、多くの色の瞳を描いた。
「これ」
3枚目の用紙を取り出そうとしたとき、2枚目を取り上げられる。赤っぽい瞳だった。
私はその瞳のアクセサリーを持った少女を描いた。ただ、それだけでは明らかに全体的に色合いが不釣り合いだった。
私はつい、自分のセンスを出したい、という欲に負けて服の色彩を変えた。シャツを水色に。スカートをピンク色に。
描き上げた後にハッと我にかえったが、すぐに取り上げられてしまう。
「わたし?」
「一応、そのつもり……」
「ちがうよ」
背筋を寒いものが流れる。欲なんて出すのではなかったと後悔した。
しかし危害は加えられなかった。
ただ、その日から少女はずっと同じ小屋に居着くようになった。
少女をずっと見ていても、意味が分からなかった。
天井の角を見上げてたり、退屈そうに壁に寄りかかっているかと思えば、突然お腹を抱えて大笑いを始める。強いて言えば、いつも笑っているばかりで、
「まるで仮面を被ってるみたい」
少女との関係性は変わらなかった。私はいずれ自分の身の安全を要求出来る日を待ちながら、一日一日を生きていく為のおねがいをしていった。まるでわらしべ長者だとも思ったけれど、笑えなかった。
ただ、少女の要請してくる絵は変わった。
「わたしと わたしを描いて?」
なんて言ってくる日は、あの配色の違う少女を描けばいいだけだったのでまだ楽だったが、
「わたしと わたしと たっくさんのどうぶつを描いて?」
なんて言われた日には、なかなか絵が完成しなかった。描いても描いても満足して貰えなくて、朝から晩までずっと手を動かす事になっていた。
特にルールを指定されたわけじゃなかったが、私は絵を渡したときにだけ、幾つか質問をするようにしていた。少しでも相手の情報を掴みたかった。しかし、
「動物が好きなの?」
「わかんない」
「ペットを飼ってたの?」
「ペットってなぁに?」
「どうしてあなたは二人いるの?」
「わかんない。どうして?」
「その目はなんで閉じてるの?」
「わかんない、なんでだろ?」
と笑いながら問われて、まったく先に進まない。
まるで何も考えず、反射的に返してくるだけのヤマビコのようだ。いや、言葉の内容は違うから無意識の塊か。
いつになったら帰れるのだろう、といつの間にか雪を含んだ風を送り込んでくる天窓を眺めながら、私は絵を描き続ける。
一緒に過ごしてわかることもあった。
この子は私が食事を摂るときは、隣に座ってくる。時には一緒に食べている。彼女が何を食べているかは口にしたくない。
この子は私が横になるときは、隣にくっついている。眠っているかは知らない。目を開くといつもそこに、透明な目が私を至近距離から見つめてきているからだ。
「まるで妹が出来たみたい」
と、自分の置かれている状況も忘れて、戯けた言葉を口にする。
「おねえちゃん?」
少女が反応してくるとは思わなかった。
ただ、この色違いの絵の少女は彼女の姉なのではないか、と思った。
また、少女の注文は増えていった。
今までは真っ白の画用紙に人や動物を書くだけで良かったが、建物や背景まで求めてくるようになった。
最初はただ茶色に塗りつぶしただけ。けど色合いを少しずつ変えるよう言ってきたから、洞窟のようにも見えた。
次に指定されたのは橋のようだった。その次は古い町並みだった。
ここまで指定されてくると、絵を一枚描上げるのにも相当な時間が掛かってしまう。私自身も描く速度が落ちてきてるから、一日では描き上がらないことも多かった。
しかし少女は待っていた。隣に座り。時には後ろに立ち。時には膝の上に頭を乗せて、待っていた。
そして完成すると少女は飛び起きて、絵を受け取ってくれた。少なくとも最初は、それで喜んでくれていたように見えた。というのも、少女はいつもいつも笑っていたから、そうとしか判断出来なかった。
でも、私にはそれが嬉しかった。心から嬉しいと思っていた。
「どうしたの?」
「わかんない」
少女が笑わなくなった。絵を受け取っても、ただ、じぃと見つめるだけになった。
私は自然と腕を伸ばして、少女の頬を包み込むように手の平をあてていた。
「描き直そうか?」
「ううん」
少女は首を横に振っていたが、すぐにその首を傾げてみせた。
「わかんないの」
「何が?」
「なにもかも わかんないの まっくらなの」
「じゃあ、目を開いてご覧?」
私はお節介かもと思ったが、彼女の閉じた瞳のアクセサリーに指を伸ばした。歳を取りたくないものだ。
「瞼を閉じてたら何もわからないわ。何も入らないし、何も出ない。光も涙も何もかも」
「ひらきかたが わからないの」
少女は私に背中を向けた。
私が描いた絵をただ見つめながら。それはどこかの大きなお屋敷の中で、少女と、色違いの少女と、動物達が沢山いる絵だった。
「わたし かえる」
翌朝、少女はやはり笑わないまま言った。
「だから あなたの描いたばしょに つれていってあげる」
すぐに察した。少女はきっと、この絵を描き上げたら私を解放するつもりだ。藁はついに、命へと変じた。
私は迷い無く鉛筆を走らせた。震える腕だ。鉛筆を取る自分の指先は枯れ枝のようだった。
私は完成した絵を少女に見せた。
絵を見る少女の顔は見えなかった。何も言わなかった。
その絵は、まだ寺子屋に通っていた頃の幼い私と、少女の姿のある、この小屋の中だ。
「ごめんね、最期に意地悪しちゃった」
「つれていけない」
「ごめんね……」
瞼が重くなってきた。
私は最期に大きく深呼吸をして、視界は暗くなっていく。
「だめ」
「……何故?」
「わかんない」
ぽとり、と。手の甲に生暖かい雫が落ちてきた。
嗚呼――
これがこの子の本当の顔かぁ。
終