●S‐5
一方で逃走の構えから反撃の構えへと変じたエルフの青年の踏み出しの一歩は、しかし踏み出しにはならず、無理やりの体軸の捻りの為の軸足となった。
足を踏み出す刹那の一瞬に、それは来た。
『嫌な予感』、としか言いようのないかつては日常だった感覚だった。
「死の感覚」とでも言えばいいのだろう。
かつての修行の日々の中で師匠から受けたありとあらゆる〝一撃の記憶〟のそれ。戦いの中で得た経験則でもなく、戦場に身を置くものの心構えだのと言った甘い物でもなく、ましてや戦士の勘などと言うこっ恥ずかしい物でもなく、それはただ、生物としての生存本能。
そしてそれに根差した一瞬の判断と行動の結果として、青年は落下の
数瞬前まで立っていた
その様を横目に見ながら口許を厳しく引き結び、煽りを喰らった際に見えた下方十五メルトの位置にある枝への着地へと至った。
それはひとえに彼の身体能力と、運だった。そもそも下方に枝があるかどうかなど確認もせずに落ちたのだからそこに枝があった事も、体勢を整えられるだけの距離があった事も、そして
しかし、枝への着地後息をつく間もなく、彼の視線は情報へと向けられた。背後…彼を追うようにして吶喊してくる気配があった。
エルフという属性上、いやがおうにも木々の声は耳に入る。現状森中から響く怨嗟の声を一身に浴び続ける状態にある彼は、口元を引き絞った弓の様な弧の形に歪め、囁きを漏らした。貴方はここで退場です、と。そして眼前、迫る大男を前に、眼前の男に聞こえるように
「私一人相手どるのに随分と無茶をかましたものです。これでもう、
青年の、そんな苦虫を噛み潰したような、そんな声音を上書きするように、大声量が頭上から響く。青年とは対照的な図太い男の声だ。
「っはあ!面白ぇなぁ、オイ! 面白ェ!! 惡魔ん中にも聖魔ん中にも、骨のある奴が少なくって参っちまってたんだよ。ここで、この場所で、この環境で! そしてこの状況下で! 冷静に、かつ的確に! 俺様と張り合える敵を待ってたんだ。
喜々として狂氣を発し、男――オピス・ディーア・ローレンスは楽しげに。戦斧を振り回して青年に突撃をかける。軋みをあげて崩れ落ちてゆく枝が川の流れに堕ち逝くより早く、オピスは落下する枝の上を疾駆し、蹴りつけてエルフの青年へと突撃した。
「ったく、
遥か下方、枝を蹴り、樹木の幹を駆け上がり、こちらへとひた走るオピスを見て、青年は心底から疲れた声を吐きだした。
自身に迫る身の危険、というのも確かにある。だがしかし、青年は響き渡る森中の怨嗟を聞いて心に決めた。冷静に考えても、これは正当な権利だろう。
だが、権利云々のよりも、いまここで眼前の敵が五体満足出る事に苛立ちを覚える。だから、楽しげに笑うこの男だけは確実に
「お喜びください。貴方はここで退場です。生かして返しては差し上げません。」
と。
オピスはそれを聞き、更に笑みを深める。
「そぉ~かい。そいつぁ楽しみなことだぜ。」
粒子の荒い霧雨が、二人の視界を覆い始めていた。
●S‐6
先陣を切り、周りへと檄を飛ばした男――ベルベチア・クルーラーは思考する。いや、この場合は激高したというべきだろうか。常にはない荒れた声音が口から洩れた。
「っち、無学め。よりにもよってこの場所で古木を切り落とすとは。なんという愚挙を……!」
それは罵倒だった。自らの命でエルフに対して行われた
あからさまな怒りの形相を表情筋に乗せるなど、男にしては非常に珍しい事だったが、イラつきの混じる表情もすぐに消し、自身の真隣りを疾駆する左の顔面に大きな火傷の痕を残した女に声かけた。
「ルシエ、来るぞ。森が
ルシエと呼ばれた女は無表情のままに。
「了解」
一言だけを囁くように呟いて直後、それまで閉じたままにしていた右目を開き
『これより
脳髄に直接語りかけた。
「これで良いか?」
「充分だ。では――私たちも参ろう。」
男と女の問答は短く、かくて戦端の火蓋は完全に墜ちた。
この時、傾いでいた柘榴の実は落ちた。
夜の帳が、完全に落ちきった瞬間である。
●S‐7
吹いた大風はそれまでに類を見ないほどの勢いを持っていた。
否。
ここは正確に駆け抜けた、と書くべきだろう。
その日、遠い先『史書』にすら残る極大の暴風が神森界を揺らした。
あとがき
しばらくぶりでした。
…ええっと、まぁなんですな。
次から更新宣言とかはしない方がいいかもしれないですね。
然っ全守れていませんもの。
とにもかくにも、一応今回ので改訂版は終了です。
次もちょっと間が開くとは思いますが、現在死ぬ気で書いてますんで、気長にお待ちいただければと思います。
一応、ですが。
登場する名前ありのキャラにはすべてキャラデザも存在しているので各章終了ごとに絵と氏名と終了している部分までの情報をまとめた登場人物紹介欄を作ろうかと思っておりますが、まぁ、前章が終わらない事には作りようもないという。
頑張って書き進めます。