続きになります。
ハンターハンターが連載再開されたのでお祝いに。
おもち。
記憶や感覚というものは歳を重ねる毎に薄れていくものだ。
生まれて初めて見て、触り、聞いて、嗅いで、食べて――。当時のその新鮮さときたら、感動すら与えてくれる。
――が、一度経験してしまったものは瞬く間に新鮮味が失われ、繰り返そうものなら飽きが来るどころか嫌悪感すら抱いてしまうことも。
だからこそ人というものは、都合の悪いものは早々に手放して、得のある経験だけを身に刻む。そんな偏った恩恵を求めながら日々を繰り返すのだろう。
今日を如何に幸福で満たすことができるのか、明日はどうやって幸せを得ることができるのか。
楽に生きたい。楽に往きたい。楽に活きたい。楽に逝きたい。
楽に。楽に。楽に。
しかし、そんな痴愚な生物にも決して薄れることはない感性が存在する。
どんなに歳を重ねても、死しても尚失われることはない。その感情はどの凶器よりも鋭利で、残酷なものだ。
そしてそれは、必ずしも人間だけが抱えているものではない。
喧嘩をした時。失恋をした時。法を犯した時。
些細な理由だとしても、その感情は等しく平等に訪れる。
そう。例外など、どこにもない。
「信じて……ボクは……」
静かに揺れる蝋燭の炎と、彼女の瞳。
ぽつぽつと零れ落ちる言の葉が酷く痛ましい。繰り返し、繰り返し否定し続けるその先には何もなく、ただ漠然と潔白を訴える。
信じてもらえるために己がすべきこと。思い浮かぶ手段はなくもない。ただ、それ実行すればまた彼を――ノアを傷つけてしまうことになる。自分を傷つけるだけでいいはずなのに。
あれはコムギを王に託され、治療に当たり始めた直後のことだ。コムギはキルアの祖父ゼノが繰り出した
ピトーはコムギの治療がなによりも優先される。彼に構っている暇などない。だが、拒否してしまえばコムギを治す時間が失われてしまう。情緒不安定のゴンの問いに対し、ピトーが導き出した答え、それは――。
ピトーは躊躇なく自身の片腕をへし折った。そして、ゴンに対しこう言ったのだ。
『望むならば右腕も。それでも足りなければ両の脚も。治療が終わった後でボクが妙な気を起こすかも知れないと思うならば、治療に支障が出ない範囲でボクを壊してくれて構わない』
その姿はまるで子を守る母のようだと、当時のキルアは語っている。
無論それでも信用を得るには程遠い。問答無用で攻撃されても卑怯という言葉には変えられない。そういう行為を、ピトー自身もしてきたのだから。
その人にとって大切な誰かを傷つけた奴が訴えたところで、信用なんてものは得られない。ならばこうすることしか……。
窮余の策――いや、策というには成立しえない身勝手な命乞い。しかし、それでも生き延びなければならない理由がある。
彼女にとって王の命は絶対だ。『命』は己の命に代えても必ず遂行しなければならない、言わば存在の証明だ。
ならば、この現状はどう見る? 信用を得るために、理解を得るために自己犠牲をしなければならないような、王の命に匹敵する程の事態なのだろうか。
ピトーは面を伏しながらも、ちらりとノアを見る。
彼と出会い、何かが変わったことは確かだ。代わりに失われていくものもあったが、不思議と後悔はなかった。
過ちを犯せば、叱ってくれた。必要なことがあれば、救いを求めてくれた。形や言葉は違えど、その行為はまるで――。
――そうだ、彼はいつだって手を差し伸ばしてくれた。その姿はまるで、あの時の……。
ピトーは腕を振り上げる。
――もう、何か失うのは……嫌だ……!
ピトーの中で、一つの解が吐き出された。
その時。
「知ってるよ」
野太い声が振り下ろそうとしたピトーの腕を制止した。
「え……」
ピトーは驚きに目を丸くする。
声の主は丸めた体を背伸びするようにぐぃっと仰け反らせた。ギシリと背もたれが鳴ると、その声の主は揚々と歯を見せて、
「これでも商売やってる身だからよ、目見りゃ嘘か本当かぐらいの区別ぐらいつけられる」
「それじゃあなんで……」
「確かめたかっただけだよ。そういう魔獣もいるんだなってな」
「…………」
「あんちゃんに感謝しろよ。そうでなきゃお前さんが殺ろうが殺ってなかろうが逆恨みしてただろうからよ」
冗談交じりに大きく笑うと、店主はピトーの肩をポンと叩いて、扉に手をかけた。
「まぁ、今日はゆっくり休みな」
「……はい」
エレノアは、頷くほどの小さな礼をした。
笑みが解けた直後の、店主が僅かに見せたもの悲しげな表情が妙に突き刺さる。
あれは何を意味するのだろうか。
ピトーが妻の仇ではなかったから? 魔獣の中にも善意があると知ったから?
いずれにしても、あの表情に対し感謝の言葉も、謝罪の表明もそぐわない。
結局のところ、妻の殺害については何も解決はしていない。このまま終わらせていいものかと僅かに過ぎる。
しかし、他人の死に対しその領域に踏み入るにはあまりにも荷が重過ぎて――。
エレノアとピトーは、何を語るもなく。店主が後にした扉を漠然と見つめていた。
*
雨戸の隙間から忍び込んできた月の光が、夜闇を静かに照らす。
氷の詰まった部屋のように冷ややかに静まり返る。
エレノアの胸の中には、ぽかんと穴が開いていた。
胸の片隅に持ちこんできた、ものがなしく、どうにもやりきれないがらんがらんの風穴が、眠気を遠ざけてばかりで一向に瞼が落ちない。
いつもの夜――家を出るほんの数日前までは、一度もそんなことはなかった。
明日は何をして過ごすのか。日課の仕事を休むのもいい。そういえば、明日は雨だとか。また狩りへ出かけるのも悪くない。
暗がり部屋で、二人はそんな会話をしながら、ゆっくりと夢の中へと堕ちてゆく。それがエレノアにとってささやかな愉しみだった。
無論、エレノアに対し背を向けて、板のように身動ぎもせずに横たわっているピトーも。
「なぁ、ピトー」
天井を見据えたまま、ぽつりと名を呼ぶも、何の反応も返ってこない。
まるで、壁に向かって語りかけているようにエレノアは感じる。が、先刻の話が原因で彼女はそうなってしまっていることを十分に承知している。
だからこそ何か話しをかけて、元気付けてやりたいと思うのだが、エレノアにはどうもそのやり方が見出せない。
もどかしさのあまり、彼女の方へと目を向ける。背中がすっかりと丸くなって、感情表現を表すあの耳はまったく微動だにしていない。そればかりか、エレノアと距離をとるように自らを壁際の方へと酷く詰め寄っている。まるで関わることを避けているかのように。
「…………」
エレノアは、ゆっくりと身を起こし、ベットを下りる。
下り際に、大丈夫。お前のせいじゃないよ。という意味を込めて、ピトーの頭をくしゃりと撫でる。相変わらず反応はないが、特に何かを求めているわけではなかった。
エレノアは忍び足で、部屋の片隅に畳まれた、もう一人分のシーツと薄汚れた掛け布団を床に敷いて、そこへ横になる。
これは彼なりの配慮だった。一人になる時間が、きっとほしいのだと。色々想っていることがあるならば、心の整理が必要だ。さもピトーの心を理解しているような、知ったような口ぶりで慰めても、きっと彼女は報われない。だから、彼女が何かを打ち明けてくれるまで静かに待つべきだ。
エレノアはピトーを大切に想っている。しかし、その心持ちはあくまで自身のものであって、彼女が考えているものとは違う。
――優しさだけで救えるなんて思っちゃいねぇさ。
――ふと、エレノアは考える。
もしあの時、ピトーが店主の妻を殺していて、嘘をついたのがバレた場合。自分はどうしていたのだろう、と。
店主がピトーに対し攻撃を企てても、彼女の力量であれば余裕で返り討ちにできる。無論、机一枚隔てたあの位置関係なら、エレノア自身が身を挺して守ることも可能だ。さすがに無傷とまではいかないが。
だが、そうなった場合店主はピトーを殺そうとする。殺意は消えない。妻に対して何か知っていることはないかとピトーに問うたあの時。あの瞬間の――店主の目は恨みに囚われていた。最早言葉で解決できるとは思えない。
恐らく殺さずに無力化することもできるだろう。だが、店主の恨みが消えることは決してない。
――大切な人が殺されたら、か……。
エレノアは、考えるのやめた。
放棄するように目を瞑り、闇の中へと逃げ込む。
これ以上『もし』が疾走してしまったら、結末は良くないことになる。誰も得することのない、無意味な結末に。
だが、それはいつか違う形で、必ず訪れることをエレノアは知っている。知っていて、敢えて放棄した。
何故なら、答えは出ているからだ。あの時覚悟を決めた、『半分背負う』とはそういうことなのだと。
きっと許してはもらえないだろう。大切な人を失ってしまった気持ちは、短い時間ながらも経験している。自分ならば、とエレノアは僅かに口を噤んで、終着の果てを思い描く。
――その時は、お前と……。
「ノア……」
ふと、押し殺したような声が、エレノアの鼓膜に触れる。
ぱちり、と目を開けると、どうしたことか。自身を覆う布団のふくらみが、いつのまにか増えていることにエレノアは気がつく。
布団の中を覗くように、端を持ち上げてみると、白い猫耳がぴょこりと顔を出す。ピトーが布団の中へ潜り込んでいたようだ。
蹲るようにして身を丸めたまま、ピトーはか細い声で呟いた。
「ボク……ボクは……」
「……ああ」
迎えて抱きしめることもなく、エレノアは足元を見つめるような姿勢で小さく頷く。
「…………」
その先の言葉に、ピトー喉を詰まらせていた。
何か言いたげな様子は伝わってくるが、それを口にすることができずにいる。
理由はエレノアの顔が見れないからだ。彼は今、どんな表情で。何を考えているのかと思うと、唇がひっついて離れない。
また、まただ。大事なことを喋らないまま、そうやってまたエレノアに甘えようとしている。
そんな彼女の蟠りが、僅かに身を震わせつつあった、その時。
「ピトー」
エレノアの一言が、ピトーの面を少し上げさせた。
続けて、
「ピトー、俺を見ろ」
その声色は、真剣そのものだ。
まるで叱られているような重たさをピトーは感じる。かつて聞いたことのないエレノアの言の葉に一瞬、緊張が張り詰めた。
数秒経ってから、恐る恐るピトーは顔を上げると、エレノアは突如、両手で彼女の頬を包むように持ち上げて、
「辛いか?」
「…………」
「俺も、同じだ」
「……ボクのせいだ」
「そうだな。でも、少し違う」
「…………」
「それ以上に、嬉しいんだ」
「え……?」
困惑を晒すピトーに、エレノアは面と向き合う。
「お前と同じ気持ちになれからさ」
エレノアは、はにかむように笑った。
少しでも彼女の気持ちを共有することができた。それだけで、ほんの少しだが報われた。直接救いの手を差し出すことはできなかった。が、それでもピトーと一緒に苦しむことはできる。そして、その感情を取り除くことも、和らげることもできない。その甚い、心苦しさは後悔の現れだ。それはつまり、人を殺めたことを悔いている証拠といってもいい。
ピトーは、くしゃりと顔を歪ませて、言った。
「……いつだって、正しいと思ってた。王の命令も、自分のしてきたことも含めて……全部。王が必要としてたから……自分がそう望んできたから……」
「ああ、そうだな」
「初めて……初めてだよこんなの……。信じてもらえないことが、こんなに辛いなんて……」
「後悔……してるか?」
エレノアの問いに、ピトーはふるふると首を横に振る。
「後悔したら、王を裏切ることになる……。心の中ではそう思ってる……けど……。だけど、もうこんな気持ちは……嫌だよ……」
言って、ピトーはエレノアの胸に顔を埋める。
表情を隠すようにして、堰が切れたように体を震わせる彼女に対し、エレノアは「ようやくか」と、一つため息をついた。
「あの時、自分を傷つけていたら俺は怒ってたぞ」
「……分かってたんだ」
「ああ、そういう顔だった。以前の話も聞いてたしな」
「……ごめんなさい」
「許してやるよ。俺はお前の王だからな」
「…………」
「これで、一歩前進だ」
エレノアは、わびしげなピトーをとり静めるように受け入れる。頭を撫でながら慈しみを込めてそっと抱きしめたりもした。
『一歩前進』それは何処に向かって歩を進めているのかは定かではない。ないが、人として生き得る何かは、そこにはある。
時には受け入れ難い理不尽に直面するかもしれない。そうなれば、またこうやって、二人で共有すればいい。
彼女にしかないもの。彼にしかないものを今のように紡いで、一つずつ乗り越えていくしかないのだから。
夜も更けて、二人は床に伏したまま眠りにつく。
シングルベッドには空間だけが漂っていて、月の光をきらきらと吸い込んでいる。ベッドに戻るべきかとエレノアは一瞬考えもしたが、直ぐにそれは今の自分たちには似合わないと感じた。
この胸を刺すような痛みを、忘れてはいけない。そんな想いを抱いて、まるで何かの罪を償うように、二人は床に身を預けたのだった。
今回も読んでいただきまして、ありがとうございます。
本当は一週間前に投稿しているはずだったのですが、予約投稿してたのにも関わらずうまくできていなかったみたいで……本当に申し訳ございません……。
次回もまた不定期更新です。
ですが、原作が再開されましたのでまた機会があれば細々と書いて参りますので、気長にお待ちいただけたらと思います。
次回も読んでいただけると嬉しいです。
もし宜しければ、コメントをいただけると嬉しいです。嬉しさのあまり、ピトーに次いで私も女の子になります。
おもちーっ