おもちです。
短いです。
おもち。
「それで、この後は?」
ふと問いかけられた店主からの質問に、エレノアはピトーの顔をちらりと見る。
昨日の話が未だに効いているのだろうか。いつもの天真爛漫な表情は雲がかったように影を作り、コーヒーカップの水面に映る自身の顔をぼんやりと見つめていた。
いつもの朝とは違う空気。
埃っぽさを帯びたその部屋で一夜を明かした二人は思うように眠る事はできず、店主の戸を叩く音で気がつけば、のそりと身を起こす。二人は互いに「おはよう」とだけ挨拶を交わし、顔を出した店主にも同様に「おはようございます」と頭を下げた。
何故かそれだけでどこか胸が空くような気持ちに見舞われたのだ。
あの妻の写真がいつまでも脳裏に焼きついて、離れられない。きっと、歯を見せ笑う店主の「おはようさん」に奥さんも笑顔で応えていたのだろう。
そんな最愛の妻が。苦楽を共にした人生のパートナーが。突然遺体となって再会した刹那、彼はどんな表情をしていたのだろうか。
怒りか。恐怖か。怨みか。後悔か。
そんな不協和音のような妄想が一晩中積み重なり、一夜明けても尚二人は形容しがたい心疚しさが残るばかりで――。
店主に言われるがまま席につき、いつもと変わらぬ笑顔を振りまきながら並べられる食事に感謝を込めて、手を合わせる。
二人はそれを黙々と口に運んだ。とてもではないが昨日の今日で小気味良く食事をとれる気分ではない。店主もそれを察したのか、特に語ることもなく、黙りこくって食事を続けた。
そうして終えた、開口一番がその一言だった。
「そう、ですね」
エレノアは昨日の話を反芻する。
そうなってしまえば一帯の探索や聞き込み難しい。となれば国際保安維持機構が指定した国外への移動が最善策か。
元々宛のない情報を得るためにここへ来たのだから、どこへ行っても同じこと。ならばいっそ、避難民が集まっているであろうその国へ向かえば何かしらの情報を得ることができるのでは?
そんな思慮を張り巡らせていると、店主はエレノアの表情に何を察したのか、
「いい案があるぜ」
そう言うと、片腕を机にかけて、ずいっと身を乗り出した。
しかめっ面が間近に迫る圧迫感に、エレノアはほんのすこしばかり萎縮するも、冷静に返す。
「あ、案ですか」
「おうよ」
「それはいったい……?」
「それはだな……」
言うと、店主の形相はぎょろりとピトーに向けられた。
「え……?」
圧迫感が突如こちらへと旋回してきた状況に、ピトーは一瞬、悪事を咎められたように体を強張らせた。
まるで何かを見定めるような眼差しだ。
「え、えっと……」
もしかして、まだ疑われているのだろうか。謝罪の言葉は実は届いておらず、腹の内で怨んでいるのでは……。
疑惑が頭の中に暗雲みたいに広がる。竦むような冷や汗をじんわりとピトーは感じつつあった。
無言の間が永遠のように感じられる。
店主はやがて、ぼそりと口を開いた。
「嬢ちゃん、喧嘩は好きか?」
「……へ?」
事の胸中とはかけ離れた質問に、ピトーは目を丸くした。
それはエレノアも同じで、
「ど、どういうことですか?」
「まぁ待てよ。で、どうなんだ?」
店主は掌をエレノアに翳した。
『他意はない。彼女に答えさせろ』そう言わんばかりの制止。
エレノアは何か迫るものを感じる。
――試している……?
ピトーはたじろぎながら、店主の眼差しに釘付けになる。
どう答えればいいのか。思いのまま答えて、それがもし店主の何かに触れてしまったら……。
救いの手を差し伸べてほしいとエレノアを見るもそのような気配はなく、ただ一度だけ、こくりと頷いた。
それはつまり、正直に答えていいということだろうか。
疑心暗鬼に囚われながらも、ピトーは言葉を紡ぐ。
「えっと……それは……その……」
「理屈はいらねぇ。はいかいいえで答えな」
「…………」
やがてピトーは意を決したかのように瞼を強く閉じ、はっきりと答えた。
「は、はい……」
すると店主は指をパチンと鳴らし、
「だと思ったぜ!」
ニカッと歯を見せて、背もたれにギシリと身を預けたかと思えば、眼前にあるコーヒーカップを手に取り、酒を飲むかのようにぐぃっと一気に飲み干した。最後の一口に喉を鳴らすと、ダンッと乱暴にカップを机に置いて、口を拭う。
ピトーとエレノアはわけが判らず、互いの顔をぱちくりと見合わせる。
怒っているわけではなさそうだ。寧ろ機嫌が良いと捉えるべきか。
二人の頭上に疑問符がついたところで、店主は「悪い悪い」と新たにコーヒーを注いでから、続けて言った。
「実はな、強ぇ奴らが集まる場所を一つだけ知ってるんだ。それも世界中から人種問わず、な」
「世界中から、ですか」
「お前らが言っていたそのゴンって奴も見つかるも知れねぇ」
「……喧嘩が好きかっていうのはそういうことですか」
「心臓に悪いニャ……」
ピトーがほっと胸を撫で下ろす。
それを見た店主は他人事のようにガハハと腕を組んで笑った。
「どうせお前さんら文無しだろ? 旅を続けるにしても金はどうしたって必要だ。そこで勝ち続ければ大金も入るし、情報も手に入る。どうだ、一石二鳥だろ?」
「……確かに。ですが――」
「ボクなら大丈夫」
エレノアが眉を細めると、ピトーはすかさず割って入る。
「危険な目に遭わせてまでお金を稼ぎたくないとか、ボクをそういう場所に連れて行きたくないとか、そう言いたいんでしょ?」
「当たり前だ。俺はお前に――」
「わかってるニャ。だから、行くだけ。戦う戦わないは置いといて、手がかりがあるなら兎に角行くべきだと思う」
「しかしだなぁ……」
腕を組んで天上を仰ぐエレノアに、ピトーは小さくため息を吐いた。
「ノアは少し勘違いしているニャ」
「なんだよ?」
「さっき喧嘩は好きかって問いに『はい』って答えたけど、誰とでもいいってわけじゃないニャ」
「ほぉ。なら、誰とならいいんだ?」
「……鈍感」
「なんて?」
「んーん、なんでもない。とにかく、戦うことになってもちゃんと手加減できるから問題ないニャ」
「却下だ。身を守るために戦うならともかく、金のために戦うのはただの暴力だ。力ってのはそういう風に使うもんじゃない」
「お金のために戦うことと、身を守るために戦うことに違いなんてあるもんか。どっちも必要だから戦うんだろ」
「態々相手を傷つけてまで金を稼ぐ必要がどこにあるんだと言っている。俺はそういう野蛮な方法は嫌いなんだ」
「嫌いなものを強引に食べさせて、意地悪な事ばっかりするのは野蛮だと思うんだけど?」
「俺が歪める分にはいいんだよ」
「支離滅裂だね。ノアの悪いとこだよ」
「我儘放蕩な奴に言われる筋合いはないな。目先の事しか考えないお前と違って、稼ぐ方法なんて探せばいくらでもある」
「へぇ、例えばなに? またこうやって地道に働くとか? ハッ、時間の無駄ニャ」
「……なにぃ?」
鼻で笑うピトーを見て、エレノアはぴきりと眉を顰めた。
「そもそもタダ働きさせられたのは誰のせいだと思ってんだ!」
「はぁー!? そんなのボクを一人にさせたノアが悪いに決まってるじゃないか!」
「おぉ!? よくもそんな事を言えたな! 計算できる頭があるくせにオツムはからっきしだな! 一度頭ん中ドクターペッパーってやつで治した方がいいんじゃないか!」
「
「なんだとこのモップ頭!」
「あー言ったなぁ! このぉ!」
エレノアはピトーの鼻を摘み、ピトーはエレノアの頬を引っ張る。
頭をぐりぐりとこすりつけ、互いに幼稚な罵声を言い合う姿は幼児同士の取っ組み合いのそれに近い。
昨日の一件――瞳孔を剥き出しにした彼女と、冷静に治めた彼とは思えない間の抜けた状況に、店主は太股をばしばしと叩いて哄笑した。
身支度も整い、二人は店主に見送られる。
空は快晴で風もなく、これなら飛行船も定時通りに出航するだろうと、空港まで記した手書きの地図を手渡す。
「おっとそうだ。……ほらよ」
付け加えるように店主は懐から小さな布袋を取り出すと、エレノアの掌に置いた。
大きさの割りにはずしりと重みを感じる。
聞き慣れたその音にエレノアは中身を見ようともせず、
「そんな。もらえませんよ!」
「気にすんな。どうせ目的地まで行く銭もありゃしねぇんだろ?」
「で、ですが……」
「昨日のバイト代ってことで受け取っとけ。な?」
「……ありがとうございます」
一礼するも、興味を示さないピトーは感謝の言葉もなく隣で、むにゃむにゃと眠たそうに欠伸をかいた。
エレノアは慌ててピトーの後ろ頭を掴んで半ば強引に一礼させると、店主はいつもと変わらない、陽気な笑顔で「いいってことよ」と肩を叩き、
「それとな、これはお節介かもしれねぇが一言忠告しといてやる」
言うと、先程の笑顔とは一転して、咎めるような、力のある眼差しを向けた。
「何事も口だけじゃ商いはまわらねぇぞ。時には力で解決しなきゃならねぇ事もある。てめぇの大事なもんを守りてぇなら、尚更だ」
「――――」
置いた手に、僅かに力が入るのを感じる。
「汚ねぇ水に綺麗な水を混ぜちまっても、綺麗な水にはならねぇ。汚ねぇもんは一度捨てちまうか、てめぇで飲み干さなきゃずっと残ったままだ」
「…………」
「お前さんがずっと綺麗な水であることを祈るよ。どうか達者でな」
「……貴方も」
まるで、臨終の床に立ち会うような敬虔な表情だった。
後悔や屈折といった類の感情が入り混じっているようにも見える。
エレノアは店主の言葉に対し握手で応じたが、肯定や否定を示さなかった。――いや、できなかったと言っていい。
確かにそれは必要なことなのだろう。彼は悲惨な過去経験をしているのだから、そう思うことは当然だ。
だが、それを受け入れてしまったら今までと何も変わらない。必要だから全て『力で解決』では強奪や強行と同じなのだ。手段であって目的ではなく、それでは自身の望んでいる『共存』とは程遠い。
――俺は、綺麗な水になりたいわけじゃない。
エレノアは、自分なりの答えを探していた。
いつかメルエムという強大な存在と対峙した時、迷わず答えを示せるように。
――できることなら『言葉で解決』が望ましい。力に頼らずとも、共に手を取り合い、生きることは不可能ではないはずだ。現にピトーと和解し、こうして生きているではないか。可能性がゼロでないことは既に証明されている。ならばその可能性をとことん追求して、信じるに値する実績を得れば、きっと互いが理解し合えるに違いない。
成る程。エレノアらしい考えだと言える。
裏切る事も、裏切られた事もない。独りで生きてきた、如何にもな答えだ。
他人を信じて疑わず、想い、弔意する。良識にまみれた『善』そのもの。
それは目が眩んでしまうほど綺麗で、純粋で、誠実で。
酷く脆弱な――。
*
「お世話になりました」
「ニャ」
二人は改めて頭を下げてから、手を振る店主を背に歩き出す。
「さて、ここから歩いて二十分ってとこか」
「ボクがノアを背負って走った方が早いんじゃニャい?」
「そりゃそうだが、出航の時間は大分先だし、のんびりいこうぜ」
「え~。体動かしたいニャ……これじゃ鈍っちゃうニャー……」
ピトーは手を頭の後ろで組んで意気消沈するも、何を思ったのか、其れと無しに後ろを振り向いた。
手を振っていた店主は既におらず、そこには小さな寂しさだけが尾を引いているだけで――。
「どうした?」
「…………」
色々あった。
怒られ、叱られ、責められ、初めてエレノア以外の感情に正面から向き合った。
王の為に忠を尽くす事だけを考え、実行し続けた彼女にとって、この経験はなにより得がたいものとなった。
考慮にすら値しないと蔑み、軽んじていたあの時とはもう違う。
――もう少し、真剣に向き合ってみよう。きっと知るべきなんだ。
ここまで自身の感情を揺らし、動かす人という存在は何かあるに違いない。
なにより、あの店で食べた食事や過ごした一時はそれなりに居心地が良かったのだから。
「ピトー?」
「なんでもなーい」
ピトーはエレノアにばれない程度に、少しだけ歩幅を短くして、ゆっくり歩く。
何かを名残惜しむかのように、ほんの少しだけ。
のんびり、ゆっくりと。
今回も読んでいただきまして、ありがとうございます。
次回から新しい章にになります。
はたして次回がいつになるのやらという感じではありますが、また見ていただけると嬉しいです。
おもちを食べながら、気長にお待ちください。
食べ過ぎて喉が詰まる頃に更新すると思います。
嘘です。頑張ります。
おもち。
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感想やフォローいただけると凄く嬉しいです。
批判はやめてくださいしんでしまいます。
@Ricecake_Land