precious memory   作:すーぱーおもちらんど

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お待たせ致しました。第四話になります。


ムカつく×けど×嬉しい

「ピトー」

「ニャ」

 

 エレノアの掛け声を合図に、ピトーは隣に積まれている三寸丸太を片手で放り投げた。

 軽快にくるくると宙を舞う丸太を受け取るとエレノアは眼前の切り株に置き、パカンと鉈で割る。そして「つぎ」と促してはピトーから丸太を受けとり、鉈を振り下ろしつづけて、かれこれ二時間が過ぎた頃だろうか――

 

「ふぁ……今日は随分と薪割りするね」

 

 壁にもたれ掛かかり、人形のように腰を下ろしていたピトーは大きな欠伸を一つ。

 

 時は昼食は済ませた正午過ぎ。穏やかな風と木漏れ日が降り注ぐ快晴の空の下、腹も満たされ陽気のいいこの状況下で欠伸を掻いてしまうのも無理はなく、況して薪を投げるだけの単純作業を長らく続けていたのだから眠くなるのは仕方がないというもの。

 

「今日はちょっとな」

「ふーん……?」

「それより、大丈夫か? 辛くなったらちゃんと言えよ」

「うん、へーき。腕はもう治ったから」

「腕は、だろ? まだ足やら腹やら痛めてるんだから――」

「いーいーの」

「まったく……」

 

――本人がそう言うのであればそれ以上は何も言うまい……

 

 と、思いたいところだがそうもいかない。ピトーがどうしても外の空気を吸いたいと駄々をこねてきたのがきっかけとはいえ、ここまでおぶってきたのは結局のところエレノアなのだ。

 もちろん本来であれば断固拒否し、治るまで大人しく寝かせておくべきなのはエレノアも重々承知している。しかしながら先日の喧嘩――もとい、話し合いの中でもう少し彼女の言葉に耳を傾けてみようと、少しばかり気を許してみたものの、

 

「それよりおやつまだぁ? ボクお腹減ってきちゃったニャぁ……」

「お前なぁ……」

「ちゃんとお手伝いしてるもん。ボクって働きものー」

 

 威風堂々と胸を反らしてはいるが、実際のところ丸太を片手で放り投げているだけ。それで仕事をこなしていると言うのだから呆れて物も言えない。そしてそれを口実に夕飯のおかずを一品増やせだの大盛りにしろだのと要求してくることは目に見えている。

 

「無理に動いて傷口開いても知らないからな」

「ほっとかないくせにぃ」

 

 見透かされているのか、信頼されているのか。いずれにしてもどこか癪に障る。

 

「さぁて、今回の働き者に対する報酬はニャにかなぁ?」

「なまけものの間違いだろ」

「なんか聞こえた気がする」

「腹の虫じゃないか?」

 

 

 ブンッと乱暴に投げつけられた丸太があわやエレノアの顔面へ直撃しそうになるが、惜しくも寸でのところで受け止められる。

 エレノアは悔しさのあまり顔をしかめるピトーに満足したのか、一笑すると割り終わった薪を掻き集めるため背を向けた。

 しかし、背中越しに感じるピトーのしかめっ面と、耳を劈くような悪口の応酬にまた始まったと思い悩む反面、そんな日常に慣れてしまっている自分にこれで良いのだろうかという疑心暗鬼にも駆られている。

 

 とはいえ、悪い気はしていない。

 

――まぁ、手伝ってくれたのは事実なわけだし少しは労ってやるか……

 

 怪我をしているのにも関わらずある程度手伝ってくれる彼女には助けてもらっている。態度はともかくとして、自ら頼んだことではないが約束を守ろうとしている姿勢は見て取れる。それが、エレノアにとっては嬉しかった。 

 

 帰ったら許容範囲内で好きなものを食べさせてやろう。

 

 そんな瑞祥の喜びのような干渉に浸りながら、エレノアは薪を拾い集める。

 

 自身の後頭部に複数の三寸丸太が飛んできていることも知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

「食え」

「やだ!」

「食え」

「や……やだ……ッ」

「食え」

「や……」

「食え」

「…………」

 

 日もすっかり沈んだ夕食時、口元の差し出されたひとさじのスプーンに、ピトーはいつものように露骨に拒否を示すのだが、今回は少しばかり様子がおかしい。というか、まず差し出されたのがただのスプーンではなかった。

 

 それは、しゃもじのような、通常の何倍もある調理用の大きなスプーン。

 

 そしてそのスプーンの上には山盛りに折り重なる青々とした湯気立つ野菜。しかも明らかに何の味付けもされていない、ただ茹でただけのもの。それが鍋に並々と。

 

「だ、だってノアが馬鹿にするからボクはその……ッ」

「ほう、まだ言うか。この口か? この口に詰めれば治るのか?」

 

 明らかに一口で入りきるわけがない調理用のスプーンを押し込もうと、エレノアは空いた手でピトーの口に人差し指をつっこみ、満面の笑みでこじ開けようと――

 

「あっあっ、ごむぇんらはい! ごむぇんらはいぃーッ」

「ったく……」

 

 捻じ込まれるはずだった野菜山盛りスプーンが渋々遠ざかり、ピトーはホッと胸を撫で下ろす。とはいえ内心は不安で仕方がない。今はあの鍋が地獄の釜に見えてしまう程にピトーは涙目で訴えかけた。

 

「何もそこまでしなくたって……あんなにボク食べられないよ……」

「これはさやえんどうっていう野菜だよ。軽く茹でれば長持ちするからまとめて湯掻いただけだって」

「じゃ、じゃあ……」

「まぁ食べさせるけどな」

「そんなぁッ ちゃんと謝ったじゃないか!」

「謝ったからといって食べなくていいことにはならないな」

「こ、このぉ!」

「うおっ」

 

 ピトーは手を伸ばしエレノアに掴みかかろうとするがひょいとかわされ惜しくも空を切る。

 

「ノアの嘘つき! 頑張ったらご褒美でるって言った!」

「確かに言ったが――」

「ボク悪くない! ノアだって意地悪してきただろ!」

「わ、わかったから少し落ち着けって」

「うがぁぁぁッ」

 

 牙を剥き、鉤爪を振り回しながら納得がいかないと捲くし立てるピトーに、さすがのエレノアもたじろいだ。今のピトーの有様は将に怒りに任せ暴れ狂う獣のそれだ。届かないと知りつつもひたすら両腕を振り回し、攻撃的な威圧を迸らせる。

 

 いや、そもそも何故俺がこんな逆ギレされなければいかんのだと内心神経をヒクつかせていたエレノアではあったが、確かにピトーの言うことにも一理ある。意地悪というか、からかったのは確かにいなめない。流石にこのまま反論するのは理不尽かと自身にほんの少しだけ咎めさせ、ここは一歩引いて一つの作戦に打って出た。

 

「わかったわかった。とりあえず今日は野菜を出さないと約束しよう。さらに、別件でもうひとつ頑張ることができたら美味いもん食わせてやる」

「……べっけん?」

 

 ピトーの腕がピタリと止る。

 

「あぁ、別にお前をどうこうさせようってわけじゃない。必要な部分はちゃんと手伝ってやるから心配すんな」

「ど、どういうこと……?」

「お前、ここにきてどのくらいの日がたったか覚えてるか?」

「えっと……三週間ぐらい……?」

「そうだ。その間お前はほとんどベッドの上で生活してきたわけだ」

「う、うん……」

「お前の傷も大分癒えてきたし、いい頃合いだろう。だから今日は――」

 

 

「風呂に入ってもらう」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ……あのさ……」

「どうした?」

「これでもボク、一応……」

「わかってる」

 

 タオルで身を隠してるとはいえ、柔肌を晒しつつも抱きかかえられる状況に慣れないせいかピトーは恥じらいを隠し切れず身を捩らせる。

 清拭をする際には必要な部位だけ晒していただけであり、包帯やシーツを羽織らせていたこともあってかそこまで緊張することもなかった。ましてや治療目的や自身を想っての行動も相まって感謝すらしていたのたが、今はそれどころではない。

 

「へ、変なとこ触ったら噛み付くからね!」

「なんだ、触ってほしいのか?」

「――――ッ」

「あ、こら暴れるな」

 

 この男はどこまで本気なのかわからない。それだけにこの状況はピトーにとってはあまり宜しくない事態だ。いざとなれば首を掻っ捌くこともできなくはないが、命の恩人である彼を殺すことなど今のピトーにできることではない。

 そもそも、妙な羞恥心のせいで適切な判断ができない。もちろん肌を晒しているのも理由の一つではあるが、その最たる原因が――

 

「ん? 俺の顔になんかついてるか?」

「べ、別に……なにも……」

 

 エレノアの顔が、今までにないくらい近くにある。

 すっかり見慣れていた彼の顔。それでもこの時だけは少しだけ違って見えた。

 視線こそ合わせてはくれないものの、触れることでわかる彼の温もりが。抱きかかえられることで伝わる彼の優しさが。ほんの少しだけ頬が染まった、初めて見る彼の表情が。

 エレノアが傍にいてくれるだけで形容し難い目に見えない何かが、心の内に折り重なって、絡み合っていた不安という名の紐がゆっくりと解けていく。

 そんな不思議な感覚に、ピトーは戸惑いを隠せなかった。

 

「よし、俺は外で火の番してるから、一通り洗い終わったら教えてくれ。湯船に浸かるにはまだ難しいだろうからな」

「うん……」

「どうした。やけに大人しいな」

「べ、別に! 早くあっちいって!」

「おーこわ」

 

 エレノアを追い出し、一人になっても顔の熱が引くことはなく、込み上げてくる感情は悔しさとむず痒さが混同した妙な感覚。

 思い返せばいつもそうだ。彼はいつも自分の心の内を掻き乱す。それがピトーにとって悔しくてたまらなかった。

 

「やっぱりムカつく……」

 

 釈然としない心境から出た咄嗟の一言。しかしそんな一言とは裏腹の情調が、ピトーの薄い唇をほんの少し、ほんのちょっぴりだけ微笑むように歪ませたのだった。

 

 

「あ、ノアちょっとまって!」

「なんだよ。着替えなら――」

「お風呂って、なにすればいいの?」

「…………」

 

 

 

 

「フギャア! なにこれ痛い痛い!」 

「あ、こら動くな」

「沁みる! 沁みるニャ!」

 

 初めて味わうシャンプーにピトーは四苦八苦。

 ピトーにとって風呂は初めての体験故仕方ないと言えばそれまでだが、それよりもエレノアが驚かされたのは――

 

「この耳、マジで本物だったのか」

「あっあっ、そこは触らないで!」

「そうはいくか。一ヶ月近くも風呂入ってねーんだぞ。徹底的に洗ってやる」

「やだ! やだぁ!」

 

 頭をぶんぶんと振り必死の抵抗を示すも頭を掴まれているだけに最早逃げることは敵わない。

 観念しろと言わんばかりの、意地の悪い笑みを含ませたエレノアがピトーの耳に触れたその瞬間――

 

「あぅ……ッ」

 

 力の抜けるような、色艶のある声が浴室に響いた。

 

「――――ッ」

 

 さすがのエレノアも驚きのあまり一瞬手が止るのだが、ここで終いにしては風呂に入らせた意味がない。多少我慢させてでも清潔にさせなければ不衛生極まりないのだから止めるわけにはいかないのだ。と、自身に強く言い聞かせながら「が、我慢しろ!」と若干しどろもどろになりながらもピトーの耳を弄り続ける。

 

「にゃっ……ノア……ノアっ……ふぁっ……やめてぇ……ッ」

「おおお俺だって好きでやってるわけじゃねぇんだ! もう少しで終わるから我慢しろ!」

「そんなぁっ……」

 

 身悶えるピトーに妙な罪悪感を覚え、つい目を閉じてしまうエレノアであったが、両手が塞がっているだけに、いやがおうにでもピトーの嬌声が鼓動を刺激する。それは彼女が化け物だとか、種族が違うとかそんな垣根など元々存在しなかったような、元よりピトーとの違いなんてありはしないと認識していたはずなのに、今はそれこそ眼前にいるのは一人の女の子だと強く意識してしまう程に動揺させてしまうものだった。

 

「やぁっ……あっ……あぅっ……にゃあっ……」

「へ、変な声だすなって!」

「ノアのせいだろぉ……ッ」

 

 やがて一通り洗い終え、流してしまえばなんということはなく、残されていた心情と言えば形容し難いような緊張感ぐらいなもの。

 無駄に神経をつかったせいか、二人共喧嘩する気力も残されておらず、肩で息をするほど両者共に疲弊しきっていた。

 雰囲気も気まずく、ドッと疲れが押し寄せてきたことも相まってか一時の沈黙が浴室を支配していたのだが、憔悴しきっていたエレノアがやがて口を開き、

 

「両腕は利くんだから身体ぐらいは洗えるだろ……後は自分でやってくれ」

「…………」

「……悪かったよ。別に意地悪したいわけじゃなくてだな、お前にこれ以上の、その、あれだ。なんというか……」

 

 もう少し理解してもらえるような言い訳を述べたいところなのだが、今のエレノアにはこれが精一杯だった。

 

「わかってるよ……」

「――そうか……なら、後は――」

「洗い方教えて……背中だけでいいから」

「――――」

 

 さすがにやりすぎたかと反省していた矢先の、ピトーのその一言にエレノアは言葉を失った。いつもの彼女であればぶちギレて両腕を振り回し、暴れに暴れてその辺のものを片っ端からぶん投げてしまう程のものなのに、何故だか今のピトーは酷くしおらしい。

 違和感しか感じないこの状況にエレノアは思考が追いつかず、つい「わかった」と返事をすることしかできなかった。

 

 

 

 

「これでどうだ?」

「熱い」

「大分ぬるいはずなんだけどな……」

 

 格子の外から聞こえるピトーの声に、エレノアは竈にくべた薪を数本引っ掻き出し温度の調節を図る。昔ながらの五右衛門風呂なだけに中々融通の利くものではないが、ピトーの鼻歌が聞こえるということはそれなりに満足しているということなのだろう。

 

「ん~~~ッ。気持ちいいニャあ……」

「風呂もなかなかいいもんだろ」

「洗うのは嫌いニャ」

「舌で舐めるよりかはずっと清潔だっての」

 

 最初にその光景を目の当たりにした時はエレノアも驚いた。生活習慣を伺ったところで思い出せないの一言で分からず終いだったものの、基本的な行動習性は猫と然程変わらない。毛づくろいといい、猫舌といい、今の風呂の温度といい、確かに初めてみた時から猫にしか見えなかったがここまで同じだと今後彼女と生活する上で、エレノアは一つ二つ確かめておきたい事があった。

 

「なぁ、ピトー」

「んー?」

「お前、魚食ったことあるか?」

「魚? 魚って、あの泳ぐ魚のこと? 多分ないかも」

「そうか。なら、猫って知ってるか?」

「んあー……知っているようニャ……ないようニャ……」

 

――記憶喪失といっても、ある程度の教養が失われてるわけじゃないみたいだな……

 

「足が治ったら町へ行ってみるか?」

「いいの!?」

 

 ばしゃんと湯の跳ねる音が格子の内から聞こえる。察するにかなり驚いているのだろう。

 

「あぁ、ここは山中だし川もないからめったに食えないが、町になら魚も売ってるからな」

「でも、ボクってその、耳とか尻尾とか……」

「その辺はちゃんと考えてるから心配すんな。後、俺の勘が正しければお前にとって魚は人間よりも美味いと思うぞ」

「猫も!?」

「猫は食うな」

 

 それをされては大切なものを色々失うような気がする。最早共食いだ。しかしピトーならなんの躊躇も無く襲い掛かかるだろう。そんなことをされては猫もエレノアも堪ったものではない。

 実際に想像してみてほしい。猫という名の餌に食らいつき、皮を剥いで臓物を貪りながら、美味い美味いと顔面血だらけで惚けているピトーの姿を。身震いのあまり、悪寒に耐えかねたエレノアは思わず「うわ……」と声を洩らした。

 

「どしたの?」

「い、いやなんでもない」

 

――首輪をつける必要があるかもしれないな……

 

 文字通り手綱を握らなければ何をしでかすかわかったものではない。自分がしっかりしなければとエレノアは強く戒めた。

 

 その直後のこと。

 

「ねぇ、ノア」

「ん?」

「あの、あのね」

「おう」

「んっと……」

「――――」

 

 何かに詰まったような言葉を最後に、格子から何も聞こえなくなった。

 先ほどとは違うピトーの声色。驚きに満ち溢れる声とは打って変わって、それは至って真剣なようにも思える。思い返せば先ほどから様子が少しおかしいなとは薄々感じていた。浴室に連れてく際にはやけに大人しかったり、頭を洗った時も暴れるものとばかり思っていたが変にしおらしくなったり。いずれにしても何か想うことがあるに違いない。

 それを察してなのか、エレノアはからかう素振りも見せず、ただ静かにその時を待った。

 聞こえるのは、ぱちぱちと快活な音を立てて小枝が鳴る音と、りんりんと夜空に響き渡る鈴虫の鳴き声。

 

 そんな静寂とは言い難いようなひと時の束の間、格子からぽろりと零れ落ちた言葉は――

 

「ありがと……」

 

 感謝の一言だった。

 

「……これで二度目だな」

「あは、聞こえてたんだ」

 

 目を覚ましたあの日、あの時に口ずさんだ、小さな小さなお礼。まさか彼の耳に入っていたとは思いもしなかった。

 何も言わずその言葉を受け止めてくれたエレノアの気遣いに、ピトーの口元が微かに緩む。

 

 ただ、今告げた思いの内は、あの時の「ありがとう」とは少しばかり違うのだ。

 

「あのね。本当はもう少し前から言いたかったんだけど……」

 

――君の顔を見て言うのが、なんだか照れくさくて。

 

「そうなのか? まぁ、前にも言ったけど俺が好きでやってることだしな」

「そうじゃなくて、今回のは……」

 

――助けてくれて「ありがとう」じゃなくて……

 

「今回のは……」

 

――いつも一緒にいてくれて……いさせてくれて……

 

「…………」

「どうした?」

「……やっぱなんでもない!」

「なんだよ、気になるな」

「うるさい!」

「おーこわ」

 

 水面下に映る自分の映る顔に違和感を覚えたピトーはばしゃんと水面を引っ掻き回し、口元まで潜ると誤魔化すようにぶくぶくと泡を作り出す。

 

 好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。純粋で自分に正直で、本能の赴くまま生きている彼女がどうしても伝えることのできなかった、胸の内側に潜むその小さな綻びにもどかしさを感じていた。

 わかっている。そんなことはわかっている。だからこそ、感謝しているからこそ怒るに怒れないのだ。

 看病や仕事で疲れているのにも関わらず自身を抱きかかえ、運んでくれたあの時も。両手が使えるのに、態々丁寧に頭を洗ってくれたあの時も。エレノアはいつだって優しかった。

 確かに嫌いなところもあるし、厳しい一面もある。しかしそれでも、なんだかんだ言いながらも自分の我侭を素直に受け入れてくれた。

 

 そんなエレノアの暖かさに、どうしようもないほどに甘えている。

 

 だから、ただのお礼などではなく、本当はちゃんと伝えたい。

 

 どうしてそう思い至ったのかを。

 

 あの時の自分とはもう違う。人として『言うべき』言葉などではなく、ただ一人の生き物として、ピトーとして『言いたい』言葉がある。

 

 エレノアに。あの、助けてくれたエレノアに。

 

 ――ところがだ。

 

 そんな彼を強く意識した自分が眼前の水面に映し出される。

 

 初めて見るその顔は酷くへんてこな顔で、やけに熱を帯びていて、先ほど以上に身体もむず痒い。この胸を締め付けられるような感覚は一体なんなのだろうか。

 怒りや喜びとは違う。嬉しいとも言えない妙な心情に歯痒さを覚えながらも、ピトーは格子から覗かせていた満月に目を向ける。

 

 まんまるで歪がなく、優しい明かりを灯し、落ち着くような澄んだ色。

 

 なんだか、見ているだけで安心できる。

 

 それはまるで、

 

 まるで――

 

「ねぇ、ノア」

「ん?」

 

 

 

「ボク、あのお月様。大好き」

 




 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 他の二次創作と同時進行していのたのですが、こちらの方が早く終わったので先に投稿させていただきました。

 これから少しずつ物語が進んでいけたらと思います。

 お気に入り登録が500名になりました。投稿が不定期にも関わらずたくさんの方に読んでいただけて本当に嬉しい限りです。

 今後も宜しくお願い致します。
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