precious memory   作:すーぱーおもちらんど

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大変お待たせ致しました。第六話です。

待たせたわりにはそこまで長くないです。

申し訳ありません。おもち。


憎い×けど×憎めない

「…………」

 

 肌に容赦なく当たり、パシッパシッと音を立てて跳ね返る雨音と、靴の底からしみ上がる、粘り気を帯びたような、冷たいジクジク。

 虚ろな瞳から溢れる涙と、降りしきる冷たい雨がピトーの頬を絶え間なく濡らしていた。

 それでも――。

 それでも、ピトーは歩く。

 行く宛ても無く、ただ漠然と。

 

 少しでも、彼から遠ざかるために。

 少しでも、彼から遠ざけるために。

 

 ――足を止めて振り向いてしまったら、きっと帰りたくなってしまう。

 

 そんな想いを僅かに燻らせながら、黙々と。淡々と。

 

 ふと、歩きながらも空を見上げてみる。

 自身の目のように濁った、灰色の雲。きっと、今の心の色を表現するなら、こんな色をしているのだろう。

 まるで、空がこの悲しみを共有してくれているようだった。

 

「……君も、泣いてくれるの?」

 

 ボクと一緒に、夜が泣いてくれている。そう思うと、ほんの少しだけ寂しさが紛れるような気がして――。

 ふと、ピトーは空を仰いだままポツリと呟いた。

 

「ありがと……」

 

 ――何も、返ってこない。

 

 時折綻ばさせるあの笑顔も。

 叱ってくれた、あの譴責も。

 受け入れてくれたあの優しさも。

 差し伸ばしてくれた、あの手も。

 

 口にしただけで幸せになれるような、あの言葉が、

 かつて彼に告げた、その感謝の言葉が、

 

 ただ、虚しく――。

 

 雨粒に当たって、

 地面に落ちて、

 ゆっくり、ゆっくりと染み込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここにもいない……」

 

 葉から伝う大きい雨粒が、ぴしぴしとエレノアの肩を打ち付ける。

 エレノアは、周囲の木々よりも一際大きな樹木の前に立ち尽くしていた。そこは、かつて重傷だったピトーを見つけた場所であり、彼女と初めて出会った場所でもある。

 先日、一度だけここへピトーを連れてきた事もあり、行く宛てのないあいつが行くとすれば、まずここにしかないだろうと、エレノアはそう考えていた。

 が、そんな思惑も外れ、ここ以外に彼女が行きそうな場所など思いつかないが故に動揺を抑えきれなかった。

 縦横無尽に飛び回る俊敏性と、常人離れした力を具え持つ彼女のことだから、稀に出くわす魔獣にも引けをとることはないだろう。しかし、病み上がりの上、この雨の中。体調を崩している可能性もあるし腹も空かせているはずだ。そんな状況で暗がりの夜に襲われでもしたらいくらピトーでも……。

 そう思うと、不安が膨らんで後悔ばかりが募り――。

 

「……馬鹿野郎、後悔してんならとっとと探せってんだ……!」

 

 エレノアは、情けない自分に喝を入れると、止っていた足を強引に動かした。

 

 

 

 

 ……どこにもいない。

 一度家に戻ってみたものの、ピトーが帰ってきた様子はない。

 ピトーを探してかれこれ三時間は経とうとしている。町に行ってみようかとも考えてみたが、片道三時間以上はかかる。道も複雑だしピトーが辿り付けるとは思えない。

 エレノアはひたすら森の中を探し続けた。

 声を張り上げ、彼女の名を叫び続ける。雨音にかき消され、例えその先に届かなくても叫ばずにはいられなかった。

 そして、再び探し続けてから数刻経ってからのことだった。

 

「……あれは」

 

 獣道の隅に乱雑に捨てられていた二足の靴が、エレノアの目に止まる。

 水浸しでドロドロに汚れている。大きさから察するに男性の物ではなさそうだ。エレノアが靴の表面にこびり付いていた泥を拭うと、艶のある真っ黒な光沢が顔を出す。

 

――間違いない、あいつのだ……。

 

 直ぐ近くにはオレンジ色の靴下も脱ぎ捨てられていた。

 何かしらの理由でここで脱いだのだろうが、エレノアにはその意図がわからない。何が彼女をそうさせたのか。

 エレノアは考える。考えられる可能性。その原因、理由を。

 

――この周辺に何かがあるとすれば……。

 

「あいつ……まさか……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は数刻ほど遡る。

 

 ピトーは、墨のような闇に浸された森を彷徨い続けていた。

 泥沼に足が囚われ、導かれるようにゆっくりと沈んでいく。そんな重々しい足取りでどこに向かうわけでもなく、より深い闇へ、より暗い深淵へと身を溶け込ませて――

 と、ピトーはふとした違和感に気づく。

 

 小枝を踏み折る音や、擦れる葉の音がいつのまにか消えている。

 ピトーは何気なく足元に目を向けると、剥き出された土に溜まっていた泥水に、靴がぐっしょりと浸っているのが分かった。  

 どうやら、知らない間に道を歩いていたらしい。それも、森を意図的に掻き分けたような広い獣道だ。

 ただ、気づいた点はそれだけではなく、

 

――ここ、知ってる……。

 

 以前にもここを通ったことがある。

 うろ覚えで確信はないが、そう過ぎらせた瞬間、微かな記憶がピトーの脳裏を刺激する。

 

「……こっち……こっちだ……」

 

 うわ言を溢しながら、すっかり水浸しになっていた靴と靴下を脱ぎ捨てて、ピトーは足早に歩を進ませる。

 数十分程歩くと、蛇のようにうねっていた獣道が真っ直ぐなものへと変わり、さらにその先へ進むと、人工的に敷き詰められた石畳が百メートル程続いているのが見えた。

 闇でも目が利くピトーは、じっとその奥へと集中する。

 崩れた外壁。苔の生えた尾根。古めかしい木造でできた、両開きの扉。

 エレノアの木造築より何倍も大きいその建築物は、色々な意味合いでピトーを圧倒した。

 

「知ってる……確か……」

 

――ここへ誰かと来たような……。

 

「……違う……」

 

 真っ先に思い浮かんだその人ではない。その人物は、既に無関係の人で、最早必要とされていない赤の他人だ。

 思い出すのが辛くなるだけだと悟ったピトーはそれ以上彼について考えるのを強引に収め、やがて古城に辿り着くと、ゆっくり扉に手をかける。

 力を加えると、立て付けの悪そうな音を軋ませる。これでは簡単に開きそうにもないと思えたが、重厚な作りに見えたその扉は、初動に加えた余力だけで口を開き、意外にもすんなりとピトーを受け入れた。

 扉の先へ一歩踏み込むと、先程までの不快な冷たさとはまた違った感覚が、ひんやりと素足に伝わる。先程の石畳よりも遥かに滑らかで、綺麗な床だ。壁には等身大サイズ程の大きな絵画が四方に飾られ、部屋の隅には空想上の生物を思わせる彫刻像が複数体設えられている。

 内装は外見よりも遥かに綺麗で、埃っぽさをまったく感じない。先程まで誰かが住んでいたようにも思える。そんな違和感を抱えながら、ピトーはじっと思考を巡らせる。

 

――憶えがある……。ボク、前にもここへ一度来てる……。誰かに連れられて……。

 

 ただ、その誰かが思い出せない。

 エレノアではないことは確かだ。目が覚めてからの記憶の中で、彼とここへ来た覚えは一度もない。

 

「――ノア……」

 

 名を口にする度、顔を思い出す度に、彼が言い放ったあの言葉を思い出す。

 

「う……」

 

 鋭利な刃物で内側から刺されたような痛みが、ズキズキと一定の間隔で胸を刻み付ける。ピトーはそれを抑えようと必死に胸を押さえ込むが、痛みは増していくばかりで――。

 

「痛い……痛いよ……」

 

 膝を突き、項垂れてもそれは収まらない。

 記憶を失って、存在理由も失って、これから自分はどうやって生きていけばいいのかと考えるのでさえ辛くなる。涙も枯れて、乾いたに瞳に映るのは大理石の床に反射した、くたびれた自分の顔。

 虚ろで、無気力で、全てを投げ出したくなるような……。

 

――――――。

 

 ある。

 

 この目を、以前にも見たことが、ある。

 

 そうだ、彼は怒っていた。

 

 自分と同じ、大切なものを失って、彼は怒っていた。

 

 胸の痛みが、脳へと転移する。締めつけられる痛みがピトーの頭部を著しく刺激するが、そんな痛みにすら構うことなく、散りばめられた断片的な記憶が少しずつはまっていく感覚に身を委ね続けた。

 ドクンと心臓が脈打ち、異様な緊張感が記憶を躍動させる。ビデオを巻き戻しているような、ノイズ混じりの想起が、ピトーの頭を強く打ちつけて――。

 

 やがて一つの答えへと昇華した。

 

――ボクが壊したんだ。

 

 ボクは、彼が大切にしているものを壊した。だから、彼は怒ったんだ。

 そして彼は、ボクを壊した。たくさん、たくさん殴って、ボクを壊した。

 

――頭が、痛い。

 

 ……ボクが大切にしているものってなんだっケ?

 

「痛い……」

 

 ボクにも大切ナものがアった。だから彼の大切にしてイるものを壊した。彼ガボクのたいセつなものを壊ソうとしテいたからダ。

 

「痛イ……」

 

 失いたクなクテ。ずっとそのヒトの傍ニいたくテ。命をカケて、守らナクちゃいけなイ。

 

 ……ソウだ。守らナクチャ

 

 マモラナクチャ! マモラナクチャ!! マモラナクチャ!!!

 

「いタイ……」

 

『頼んだぞ』

 

「イタ……イ……」

 

 

『頼んだぞ』

 

『ピトー』

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――…………………………。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ピトー!!」

 

 バンッと勢いよく開かれる両開きの扉。

 エレノアが飛び込むように中へ入ると、うつ伏せで地に伏している彼女の姿が、そこにはあった。

 

「ピトー、しっかりしろ!」

 

 エレノアは一目散に駆け寄ると、ピトーの体を起こし、怪我がないか慎重に状態を確認する。

 体はすっかり濡れてしまっているものの、外傷のようなものは見られない。素足は泥に塗れ、服も髪も汚れているだけで命に別状はなさそうだ。

 しかし、どうも様子がおかしい。エレノアはピトーの額にそっと手を宛がう。

 

「凄い熱だ……」

 

 手を焦がしてしまうかのような、異常な熱にエレノアの顔は狼狽と苦痛に歪む。

 

「ごめんな……俺のせいだ……俺が悪いんだ……!」

 

 何度も謝りながら、冷え切ったピトーの体を抱きしめる。

 とはいえ、このままでは熱が悪化する一方だ。エレノアは急いで家に連れて帰ろうと抱きかかえようとした、

 

 その瞬間――。

 

「お前のせいだ」

 

 粘り気を帯びた声と共に、エレノアは何者かに胸を突き飛ばされ、仰向けに倒れこむ。

 突然の出来事にエレノアは目を白黒させていると、その者は体を起こす間さえ与えないまま、エレノアの喉元を押さえつけると、彼の上へ跨り、両手で首を絞めつけた。

 

「ぐ……あ……ッ」

「お前のせいだ……!! お前が、お前たちがコムギを……王を!!」

「ぴ……と……」

 

 瞳に映るのは、牙を剥き、憤懣と焦燥に満ちたピトーの表情。遠慮のない強い力がギリギリと音を立てながら、彼女はエレノアの首をへし折ろうとしていた。

 だが、そんな最中にも関わらず、エレノアは意外にも冷静だった。

 

――ピトー……お前、記憶が……

 

 未だかつて、そんな名前を口にしたことはなかった。先程のピトーの言動から考えてみても、自分にはコムギや王などという人物は知る由もない。

 きっと、記憶を思い出したことで、これまでの感情が一気に爆発してしまったのだろう。ピトーは今、膨大な過去の記憶を受け止めることで精一杯なのだ。もがき、苦しみながらやり場のない感情を俺にぶつけているだけで、なんとか自我を保っている。その証拠に、今の彼女は何かを守ろうと必死になっている。

 こんな辛い表情まで晒して、余程悲しい過去を背負っていたのに違いない。

 しかし――。

 しかしそれでも、彼女とって大切な記憶が蘇ったのであれば、これ程嬉しいことはない。

 

 そう思い至ったエレノアは、絞めつけられる苦しみに見舞われながらも、至極穏やかな表情を綻ばせて、微かに口を開く。

 

「よ……か……た……」

「な……ッ」

「ほん……に……よ……か……」

「こ……この……ッ」

 

 ピトーは戸惑いながらも、絞めつけられる力が増していく。

 後を引くように、視界も徐々にぼやけはじめ、意識が遠のいていく。と同時に、頬や額にぽつり、ぽつりと妙な冷たさをエレノアは感じた。

 

 天井が抜けて雨漏りしている?

 ……違う。

 開けっ放しの扉から雨が流れてきた?

 ……違う。

 ピトーの髪から滴る水滴が自分の顔に?

 ……違う。

 

 エレノアの瞳に映っていたもの。

 

「なん……で……」

 

 それは――。

 

「なんで……そんな顔……して……っ」

 

 ピトーの乾いた瞳から、止め処なく涙が溢れていた。

 

「く……く……ッ」

「――…………」

「なんで……どうして……!」

 

 首を無理やりへし折ろうにも、これ以上手に力が入らない。

 そんな彼女の言葉もいつのまにか聞こえなくなって、残されていた思考力もあと僅か。大よそもってもあと数秒ほどだろう。

 

――――。

 

 五感のほぼ全てを失っていく感覚に委ねながらも、エレノアは最後の力を振り絞り、ピトーの頬へと手を伸ばす。

 弱々しく震えるエレノアの手。咄嗟の出来事にピトーは動揺を露にし、思わず体が硬直した。

 

「あ……う……」

 

 振り払うことができない。

 手に力が入らない。

 憎くて、憎くて仕方がないのに。

 この人だけは殺せない。

 殺したくて、殺したくて仕方がないのに。

 この人だけは憎めない。

 

 過去の記憶と現在の記憶の狭間が入り混じり、ピトーは混乱していた。

 自分の中に生まれた大きな矛盾に戸惑っていると、白湯のように冷えきったその手の平がやがて、しっとりとピトーの頬に触れる。

 その瞬間、ピトーは雷に打たれたような、驚きの色へと染まっていった。

 

 優しく頭を撫でてくれる、温もりのあった彼の手が、

 傷つけないように、丁寧に体を拭いてくれた彼の手が、

 美味しいものをたくさん作ってくれた彼の手が、

 こんなにも、こんなにも冷たくなって――。  

 

「の……あ……」

 

 エレノアは、ピトーの瞳から溢れ出る涙を指先で掬い取る。

 

――泣いているお前なんか見たくない。

 

 そんな欲を最後に満たせたエレノアは小さく微笑むと、静かに、穏やかに力尽きて――。

 彼の手が、ぽとりと地に落ちた。

 

「――のあ……?」

 

 我に返ったピトーは呆気にとられたように、彼の体を揺さぶる。

 

「のあ……のあ……」

 

 名を呼んでも、

 

「のあ……」

 

 触れてくれた手を握っても、

 

「…………」

 

 かつてノアと呼ばれたその体が、反応することはなかった。

 

「死なないで……」

 

 その言葉を口にした瞬間、ピトーの体内から紫色の何かが湧きあがる。

 

「こんなの……やだ……」

 

 全身を包むその粘性の何かは、本人の意識とは無関係に形状を帯び、やがて一つの形と成って、ピトーの頭上へ現れた。

 

「お願い……ノアを……ノアを助けて……!」

 




今回も閲覧していただき、ありがとうございます。

おかげさまでお気に入り登録者が600名を突破しました。

不定期更新にも関わらずたくさんの方に読んでいただいて感謝感激です。

もう少し細かく更新ができればいいのですが、一度書き上げたものを修正しているので、最初から書くよりも時間がかかってしまい、本末転倒状態です。
別の作品が落ち着き次第こちらの方にも力を入れられたらなと思いますので、その時まで気長にお待ちいただけると幸いです。

今後とも宜しくお願い致します。おもち。
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