おかげさまで一周年です!
短いですが、読んでいただけると嬉しいです。
おもち。
机上に滴り落ちる命の灯火。
それは彼が、彼女が幾度も目にした、生物の裏側に佇む対価。
そしてこれが尽きてしまった時、人は誰もが命を落とす。
それが虫であれ、魚であれ、鳥であれ。
死とは種問わず平等に訪れる真紅の楔だ。
彼女の傷が癒えて間もない日のこと。
エレノアは言った。
朱に染まる彼女の手を優しく包み込み、悲しそうな表情を溢しながら。
『生きていく上で、命の楔を自らの手で穿つ瞬間が、いつか必ず訪れる』
食べる為に魚を、生きるために動物を、守るために誰かを。
殺めることは正しいことではない。
正当化させてしまう方が楽だから、そうやって自分に言い聞かせる。
仕方のないことだから。そうしなければ自分が生きていけないのだから。
それも決して間違っている訳ではない。事実その通りで、自然の摂理とはそういうものだ。
ただし――。
『目的や理由も無く、生き物を殺めることだけは絶対にしないと約束してほしい』
横たわる二匹の猪。おそらく親子だろう。
四肢を捥がれ、臓物を引きずり出され、目玉を抉られた、見るも無残な成れの果て。
食すために殺めたのかと尋ねたら、ピトーは首を横に振る。
立ち向かってきたから、殺しただけだと。僅かに怒りを覚えたから、感情に身を任せたと。
そう口にした瞬間、エレノアが見せた表情はピトーにとって印象的だった。
確かに人は殺さないと約束をした。だがそれとこれとは話が違う。
生物を殺すことは人間もしていることだ。お前にとやかく言われる覚えはない!
そう唾を吐くつもりだった。
だが、できなかった。
今にも泣いてしまいそうな、悲壮を強く漂わせた彼の顔。
ズキン、と。見ているこちらまでもが胸中を軋ませる。
ピトーは、彼の言っている意味が正しく理解できなかった。それと同時に、そんな表情はもう見たくないとも思った。
だから、静かに頷いた。反論も口論もなく、彼の目を静かに見据えて。
それが、エレノアを悲しませてしまった、最初の出来事だった。
*
「大丈夫。ピトー、この人は何もしないよ。だから大丈夫」
「はぁッ……はぁッ……」
振り下ろされた凶器を腕で庇い、空いた手でピトーの頭にぽんぽんと頭に触れる。
エレノアが、ピトーの一撃に割って入ったのだ。
血に濡れた鉤爪から、ぽたりと雫が垂れ落ちる。
使い古した、傷ものの机が僅かに染まる。一瞬の静寂の後、滴る音がピトーを我に返らせた。
「あ……」
吐息と共に細い瞳孔が丸みを帯びる。
火焔のような喘ぐ呼吸も次第に落ち着きを取り戻し、冷静がピトーの身を纏い始めた所で、エレノアは抑えていたピトーの腕をゆっくりと解いた。
店主はといえば特にうろたえる様子や取り乱す気配もなく、ただ静かにピトーを見据えている。
エレノアは、店主の方へと向き直り、深々と頭を下げた。
「すいません……これには色々と訳があるんです」
「なんでぇ。別によかったのによ」
「……え?」
店主の意外な一言に、エレノアは唖然とする。
「とりあえず今日は休めや。後で応急箱持ってきてやる」
「ですが……」
「いいから。先に血止めねぇとよ」
「……本当に、すいません」
命を狙われたにも関わらず彼はまったく微動だにしない。
そればかりかエレノアに気を使い、治療の手助けまでしてくれるという。
疑問が浮かび上がるのもそうだが、とにかく今は――
「ピトー、行こう」
「…………」
エレノアは、俯いたピトーの手をそっと引っ張る。
抵抗もなく受け入れたその手はとても冷たく、そして震えていた。
エレノアは、その感触を払拭するように少し強く握って、二階の小部屋へと向かった。
部屋の中は六畳程の広さで、一人用のベッドと、小さなテーブル。その上にはランタンと、古めかしい椅子が二つ。壁際には換気用のガラス窓。来客用の部屋なのか、使っていない部屋とは言いつつも埃っぽさは感じられず、至って小奇麗な一室だった。
野宿に比べればまさに天国と言っていい。無銭飲食した上、襲いかかってしまっただけに、本来であるならば独房に追いやられても文句は言えないだろう。今の二人には十分すぎるほどの部屋だった。
エレノアは改めて感謝をしなければと思いつつ、椅子をひとつだけベッド側に向かい合わせて引き寄せる。
そして本人はベッドに腰掛けると、「ピトー、また頼むよ」と俯いた彼女に投げかけた。
ピトーは黙りこくったまま椅子に腰を落とす。
そして、傷ついた方の腕をそっと手にとり、膝の上に置くと、
「…………
肩から滲むようにオーラが沸々と湧き上がる。
紫黒の帯がピトーの周囲を取り巻きながら、地を這うように影を広げ、やがてそれは地上へと向かっていく。
粘り気を含ませて、それは徐々に形を成していく。
そして、
「思ったよりも傷は浅いな。これなら時間もかからないんじゃないか?」
「…………」
エレノアが気さくに話をかけても、ピトーは応えない。
だが、沈黙とは裏腹に、
そう、エレノアには
とはいえ、あの傷が瞬く間に完治してしまっては店主にいらぬ誤解をさせてしまいかねない。エレノアは布袋から包帯を取り出すと腕にくるくると巻きつけて、傷口を隠す。
エレノアは腕をまじまじと見ながら、
「いつ見ても凄いな、念ってやつは」
「…………」
「念が使える奴はみんなできるのか?」
「…………」
「……なぁ、ピトー」
くしゃり、とピトーの頭に触れる。
いつもであれば耳がぴこぴこと動いて、感情を露にするのだが、今回ばかりはそうではない。
へたりと元気がない様子で、俯いて見えなかった表情を代弁していた。
ふと、ピトーは既に癒えている傷口にそっと手を添えて、ちいさく震えた。
「ボク……あの人を……」
「違う」
エレノアはすぐさま否定する。
「飛び掛る寸前に、左腕で俺を庇ってくれただろ?」
「…………」
「俺を守ろうとしてくれた」
「……でも――」
「ああ、確かに早計なのも事実だ。だから、反省はしないとな」
ぽたり、とエレノアの手のひらに雫が落ちる。
それは透明で、澄んでいて、無色で――。なによりも美しく輝いていた。
エレノアは、それを強く握りしめてから、ピトーそっとを抱き寄せる。
「ありがとう……俺を守ってくれて」
「ごめんなさい……」
「謝る相手を間違ってるぞ」
「……うん。ちゃんと、謝る」
「一人でできるか?」
「こ、子供扱いするな!」
と、その時。
こんこん、と扉を叩く音が二人の耳に入る。
エレノアが「どうぞ」と言うと、ガチャリとドアノブが回り、応急箱を持った店主が顔を出す。
「よう、大丈夫か?」
「ええ、思ったよりも浅かったようで。もう大丈夫です」
「そうか。一応ここに置いとくからよ。なんかあったら使いな」
言って、店主はテーブルの上に応急箱を置く。
「あ、あの……!」
ピトーはふいに立ち上がって、店主の方へ向く。
「……なんだ?」
「えっと……その……」
店主は腕を組み、険しい顔でピトーを見る。
「…………」
言葉が出てこない。
次第に背中が縮こまる。
言わなければいけないその言葉が、後ろめたさから口にできない。
謝ることは簡単だ。そうすれば許してもらえるはずだ。
だがそれはエレノアのことであって、
罵られ、手を上げられることだってある。殺されかけたのだから当たり前だ。
人間とはそういうものだ。それがピトーには嫌という程理解できている。
恐ろしい。恐ろしい。恐ろしい。
人の言葉で、行動で、己を見失ってしまうことが。
また襲い掛かってしまうかもしれない。
またエレノアを裏切ってしまうかもしれない。
そうなってしまうことが、たまらなく恐ろしい。
「……ご……あ……ぅ……」
ふと、ピトーの背中に温かいものを感じた。
『大丈夫』
縮こまっていた背中がすぅっと軽くなる。と同時に震えていた肩も嘘のように止まっていた。
彼の――エレノアの温もりが感じられる。誰かが支えてくれるだけで、こんなにも心が安らぐなんて。
――のあ……。
振り向かずともわかる。
誰かがではない。彼が。彼だからそうなるのだ。
そう思い至った時、自然と口が動いていた。
「ごめんなさい」
頭を下げた。
本当の意味で。初めてエレノア以外の人に。
ゴンには服従した。膝をつき、頭を垂れてコムギを守った。
しかしそれは王のためだ。メルエムが大切にしている人だから、その命を全うした。
だが今は違う。誰の命令でもない。ピトーが自分の意思で放った言葉だ。
そして、どれほどの沈黙が流れただろうか。
数秒が経ち、数分が経ったようにも感じる。
やがて店主は再びポケットへと手をつっこみ、何かを取り出すとそれをピトーに差し出した。
「……見てみな」
ピトーは振り向いて、エレノアを見る。
受け取ったそれは四つ折りになった小さな写真のようだった。
エレノアは小さく頷き、ピトーはできる限り丁寧にそれを開くと、笑顔でこちらを見つめる女性が写真に収められていた。
「俺の嫁さんだよ」
言って、店主は懐からタバコを取り出すと、火をつけて椅子へと腰を下ろす。
昼間の覇気が嘘のようだ。重たい何かが肩に纏わりついているかのように、悲しげな雰囲気を漂わせている。
――タバコの灯火が半分にまで達したあたりだろうか。
店主はぽつりと呟いた。
「魔獣によ。やられちまったんだ」
「――――!!」
二人は驚きに目を丸くした。
ピトーは雷を打たれたみたいに顔色を変え、エレノアは眉を曇らせる。
店主は続ける。
「ちょうど魔獣のニュースが話題になって、うちらの周りでもそんな噂がとびかってきた頃だ。その日を最後に落ち着くまで店閉めようって決めててな、早朝に買出しへ行った嫁さんがいつまで経っても戻ってこなくてよ……。病院から連絡が来たときにはもう、な……」
「……どんな魔獣だったんですか?」
「さぁな。病院で見た時は体中切り傷だらけだった。首から上は今も見つかってねぇんだ」
「…………」
「なぁ嬢ちゃん。お前さんは何か知ってるか? 正直に答えてくれや」
みじろぎひとつしない深く鋭い視線が、ピトーを真っ直ぐとらえる。
敵意ではない。殺意とも違う。
今まで向けられたことのない、言いようのない眼差しが、ピトーの表情を強張らせる。
「ぼ……ボク、は……」
優しい微笑みをこちらに向ける、お淑やかな女性。
はたして自分が手をかけたことがあるだろうか。
ピトーは過去の記憶を辿っていく。
初めて人を手にかけたのは骸に隠れていた少年だ。脳を弄り、記憶を貪り、果てには肉塊にして女王へ献上した。
二人目は帽子の男。彼は強かった。巧みな技を魅せつけ、力も強く、初めて傷を負わされた相手でもあった。
三人目は、四人目は、五人目は……。
「……ボク、じゃない」
声にならない呟きが、沈黙をかき消した。
女性を殺めたことは確かにある。
だが、写真の彼女を殺めたということは、少なくともこの街に来なければ不可能だ。
ピトーはこの街に直接来たことはない。それは鮮明に覚えていて、断言できる。
念人形を創り出す能力で、この街を監視していた事もあるが時間が合わない。
「ボクは知らない! 本当に……本当に知らない!」
「ピトー……」
ピトーは訴えた。
本当に知らない。確かに同族の魔獣が殺したのかもしれない。
だけど自分じゃない。本当にボクは殺していない。
そんな想いをハッキリと伝えて、理解してもらいたい。
しかし――。
「知らない……ボクじゃない……ボクは……」
そう言うことしかできなかった。
その女性を殺さなかったとしても、違う女性は殺している。
理由や事情を説明しても、今まで殺めてしまった罪が拭えるわけではない。
殺人者が人を殺していないと訴えて誰が信じられると言うのだろう。
信じてもらえるわけがない。
自分が
これが後悔というものだろうか。
本当にしていないことを、信用されないことがこんなにも苦しいことだなんて思ってもいなかった。
ただ悔しくて、苦しくて、どうすれば理解してもらえるのかわからない。
そんなピトーの悲痛な想いが。掠れた叫びが。
朝露のように滴り落ち、淡い言の葉となって、二人の耳奥に木霊するのだった。
祝! 一周年!
と言いましても、だいぶ時間が過ぎてしまいましたが……。
それでもここまで読んでいただいた皆様には感謝してもしきれません。
長い間お付き合いいただき、誠に有難うございます。
お気に入りも気づけば700名を突破しました。本当に嬉しいです。こんな沢山の方々の目にとまっていただけるとは思っていませんでした。
続きはちゃんと書きます。相変わらず不定期ではありますが!
また見ていただけると幸いです。
おもちーっ