森が生い茂る中を全速力で駆け抜けていく。荒い呼吸音が耳朶を打ち、身体が新鮮な空気を求め息を早次に繰り返す。右手には剣を持ち、左手は追従する者の手を握っていた。心は焦燥に駆られ、それ以上の速度は出ないと分かっていても足にもっと速く動けと命令を下す。
目の前に敵が現れた。右手の剣を何の躊躇いもなく振るった。剣は敵の胴体に身を沈ませ、敵の身体を二等分に割った。そしてまた剣は振るわれた、瞬く間に敵が絶命していく。血潮が剣を赤く染めた。
やがて敵の姿は見えなくなり、足を止める。
ーー『逃げろ、そして生きてくれ』
その声は聞き慣れたもので、間違いなく自分の声だった。そこに居るはずなのにはっきりとは見えない人物に私は言った。相手が驚いているのは分かった。
ーーーああ、またこの夢なのか
私の思考とは別に夢の中の俺は言葉を発していく。私が話しているはずなのに声は不透明で聞き取りずらく、相手に至っては何をしているのかすら分からない。そんな曖昧な夢だった。
ーーー『愛してる』
しかし、唯一決まって聞き取れるのは私が誰とも分からない人に向けたこの言葉で、相手が泣いているのは何となくだが分かった。それと同時に目覚めが近付いていることを察する。
私は輪郭のぼやけた人を抱き寄せた。そして、泣きている人に顔を近付けーーーーーー
「……いつ見ても慣れないものだ」
ーーーそこで目が覚めた。
厳密には起床したと言うべきだろう。私は部屋に備えつけられている時計に視線をやると、只今の時刻は午前4時だった。一般的には早いが、私には何時も通りの起床時間だった。
ゆっくりと体を起こす。手を組み上へと伸びて固まった
体を幾分か解すと、ベッドから出て手早く身嗜みを整える。そして私は部屋を出た。扉に鍵を差し込み錠をする。現在は宿暮らしの私はポケットに鍵を仕舞うと、まだ誰も出歩いていないストリートを北に進んでいく。現在地は北のメインストリートの最北端付近だ。迷いなく足を進めると、十分もせずに目的地に到着した。
眼前には周囲一帯の建物と比べても群を抜いて高くそびえる長大な館が存在した。高層の塔が幾つも重なって立っており、お互いが支え合うようにして建造されている。そして何よりも目を惹くのがその中心に立つ一番大きな塔の先端ではためく
そう、私はこのオラリオで二大派閥とされるロキ・ファミリアの門前に居た。
「……狐が参った、門を開けてくれ」
少し無愛想になってしまったが、私は会話があまりに得意な方ではない。口は災いの元ともいう、ならば言葉は極力減らした方が良いだろうと思ってのことだった。
「毎朝ご苦労様です。いま開けますので少々お待ち下さい」
しかし、そんな私にも門番を務めている青年は丁寧な言葉と笑顔で対応してくれた。
心の中でこんな挨拶しかできない不器用な私は申し訳ない気持ちで門を潜った。門を潜ると、私は一直線で仕事場へと歩む。基本的に商業系ファミリアでないのなら、他勢のファミリアを己のファミリアに入れるなどという事は無い。もちろん例外はあり、ファミリア同士が懇意ならばその限りではなく、また商談や何か用がある場合なら立入ることが許可されるだろう。私の場合は後者に当たるのだが、やはり幾ら立入ることを許可されていようとも情報の秘匿という面では無闇に彷徨くことは避けるべきであり、最低限度のマナーというものだと私は思っている。
などと、つらつらと取り留めのない思考をしていると仕事場に着いていた。真っ暗な空間を照らす為に壁に設置されたスイッチを押すと、仕事場ーーもとい見慣れた厨房が照明によって照らされた。
「さて……」
先ずは食材の確認だ。ロキファミリアは二大派閥と呼ばれる程の大きなファミリアであり、食糧の貯蓄はなかなかに膨大で豊富である。また隣接している冷蔵室も、これほど大掛かりで金のかかっているものは、そうそう無いと言い切れる程度には巨大である。私はその巨大な冷蔵室に入りリストを読む。親切なことにどの食材がどの程度量があり、日にちが経過しているなどが細かく記されたものであり、いち料理人としては本当にこんなに恵まれた職場はないと常々思っている。
これだけの環境を提供してくれた神ロキには頭が上がらないし、私に出来ることはより美味な料理を作ることでしかない。ならば至高の品を作るために今日も腕によりをかけようと心に決め、頭で朝食の献立を考えた私は食材を運び始めたーーー。
◇◆◇◆◇
冒険者ーーーアイズ・ヴァレンシュタインの朝は早い。
彼女は日が上る前から、ホームの中庭でひとり愛剣で素振りをする。これは誰に言われたわけではなく、彼女が九年前から自主的に取り組んでいることだった。
宙に縦、横、斜めに刻まれる銀の軌跡は確かに彼女の研鑽の努力がしかと伺える。それは見る者を魅了することだってできるものだった。
日が昇り始めて辺りが大分明るくなってきたので、彼女はヒュンッ、と大きく下から斜めに斬りあげ、朝の鍛錬を終わりにした。
剣を納め、ふぅ…と一息つき、全身の力を抜いてから朝日に照らされて光る汗を流す為に彼女は予め用意していた着替えを手に塔の中へと戻る。目的地はシャワー室だ。
ここで少しロキファミリアの塔の主要な施設の説明をしたいと思う。ロキファミリアはそれぞれの団員に部屋が
与えられ、団長のフィン・ディムナを筆頭とする幹部達の部屋は大体が高所に位置する部屋が割り当てられている。故に食堂や風呂場など、公用の施設は皆が集まりやすいように丁度中間位の階に存在している。そして、当然幹部である彼女の部屋も高所に存在している。つまり何が言いたいかというとーーー
「……お腹すいた…」
ーーー朝の鍛錬でお腹を減らしたアイズ・ヴァレンシュタインは絶賛調理中で美味しそうな匂いが漂う食堂の前を通らなければいけないのだ。
ぐぅ、と可愛い音がまだ誰も居ない廊下で鳴った。彼女はついつい食堂の前で足を止めてしまう。この行動を彼女は後々に後悔することになる。
レベル5まで昇華させたステイタスの恩恵で彼女は食堂ーー厳密に言うなれば厨房ーーから聞こえるジュージューと何かを焼く音を拾った。そして同時にグツグツと何かを煮る音も聞こえ、パチパチと何かを揚げる音をも拾った。
「ーーはっ!?」
彼女は気が付くと厨房の入り口の前に佇んでいた。パチパチと音が聞こえた当たりから記憶が曖昧で何故自分がここに居るのか分からなかったが、そんなことよりもより近くから放たれる悩ましい匂いは、彼女の食欲をこれでもかと言う程に刺激した。だが、彼女には最も重要な事があった。それはーーー
「ジャガ丸くん……」
ぐぅう!と黄金色に揚げられ皿に積み重ねられた揚げ物ーー正式名称をジャガ丸くんというーーを見た途端、腹の虫があまり可愛くない音を鳴らし、空腹を激しく主張する。
ふらふらとジャガ丸くんを揚げている場所へと足が勝手に進んでしまう。積み上げられた皿の前に立つと、ゴクリと生唾を飲み込んでしまう。プルプルと震える右手がジャガ丸くんに伸びて、空中で停止した。
流石につまみ食いするのはダメだと思い至ったーーのだが、頭では分かっているのに体が言うことを聞かず、彼女の中で理性と本能が激しいせめぎ合いが勃発した。
まあ、勝負は段々とジャガ丸くんに近付いていく右手を見ればどちらが優勢か一目で分かるほどワンサイドゲームなのだが。
「…………何をしておる」
「ひゃっ!」
あと、少しでジャガ丸くんに触れるというところで背後から声がかかった。びくりと体が驚きで跳ねる。反射で背後を見ると、極東の衣装である流しに西洋のエプロンを首から下げた、何とも言えない微妙な出立ちに、極めつけは口を覆っていない狐を模様したお面を顔に被り、手には網じゃくしを持った男が立っていた。
「……腹が減ったか?」
固まるアイズの隣に移動した男はアイズを咎めることもなく特に気にした素振りも無く、網じゃくしでジャガ丸くんを油から拾い揚げながら、アイズに問うた。
「……え、えっと……食べて、いいの……?」
手を止めるどころか、加速していく動きを見せる男に戸惑いながらもアイズは本能的な要求を優先させた問を返してしまった。
「良いも何も、これはロキファミリアの団員の朝食なのだ。ならば、汝が食べてはならない理由がどこにある」
違うか、剣姫ーーと男は言った。その声は酷く平坦でアイズに一片の興味も抱いて無いことが容易に察せれた。むしろ、男はジャガ丸くんを揚げるタイミングを計っているのか、それにしか集中していないようだ。
「……えっと、いただき、ます…?」
その男の余りにも一貫した様子にアイズは、やはり戸惑いながらも食欲には勝てないのか、右手で遂にジャガ丸くんを掴み。そのまま口へと持っていく。サクッと一口噛めば、揚げたてで少し熱いがそれよりもほどよく効いた塩に外はサクッと中はホクホクした絶妙な揚げ加減で作られたであろうジャガ丸くんが口腔に広がった。
「……おいしい」
今まで食べたどのジャガ丸くんよりも美味しい。これでもジャガ丸くんの味にはうるさく、食べた量もオラリオでも上位に入ると自負しているアイズは、その旨さに目を開いた。
もちろん、空腹感も手伝っているし、オーソドックスなプレーンよりも自分は抹茶クリーム味が好きなのだが、それを考査しても、このジャガ丸くんは自分の食べてきた中でも上位に食い込むと感じた。
「……あ…」
気付けば手の中にあったジャガ丸くんは消えていた。満たされない空腹と寂しさにアイズは落ち込んだ。
ーーもう一度食べたい。
目の前には先程よりも高く積み重なった
「足りないのであれば、好きなだけ食すがよい」
やはり目は一向にジャガ丸くんから離れないが、雰囲気でアイズの様子を察した男はアイズに言った。内心では美味しいと思ってくれているアイズに微笑ましくも嬉しくもあり、つい笑みをこぼしてしまっていたことに男は実は気が付いていなかった。
そこからアイズ・ヴァレンシュタインの記憶は曖昧だった。次に意識が戻るのは男に、そろそろ食べるのはやめて風呂に行ってこい、と言われた時で慌てて風呂場に駆け込む事になり、見境の無い自分に少し後悔したーー
◇◆◇◆◇
私は少し自分の言葉に後悔の念を抱いていた。
その原因は私の隣に居るロキファミリアの幹部であり、冒険者の中でも少数のステイタスをレベル5まで昇華させた少女ーー『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタインへの発言だった。
『足りないのであれば、好きなだけ食すがよい』
つい、数十分前に物欲しそうな顔をしていた彼女に私が言った言葉だった。この発言を受けて彼女は分かり易い程に喜んでいたのだが、私はどうやら彼女のことを甘く見ていたようだ。
大体彼女の容姿から判断するに、歳はまだ二十にもなってないだろう。つまり少女と言える。少女と呼称される者達なら、どんなに頑張ってもジャガ丸くんを3つ食べられるかどうかといったところが、せいぜい関の山だろう。私はこの理論を勝手に彼女に当て嵌めていたのだ。その結果、
もっと正確に言うなれば私が今揚げ終え、彼女の魔の手から逃れたジャガ丸くん以外の全てが彼女の胃袋の中に収まってしまった。
確かに私は彼女に『好きなだけ食すがよい』と言ったが、果たして誰がこんな結果を予想出来ようか……。
それともステイタスをレベル5まで昇華させると、こんな人外じみたことも可能になるのだろうか……。
明らかに彼女の食べた量と彼女の胃袋のサイズが一致しないのだが。質量保存の法則とはいったい、何だったのか……。
改めて様々な偉業を成し遂げ、その名を轟かす『剣姫』の凄さを知った思いだった。
だが、美味い言ってこれほど食べれもらえるなど本当なら料理人冥利に尽きると喜ばしいことであり、実際私は驚きこそしたがそれ以上に嬉しいのだ。しかし、それが仕事に関わるのなら手放しでは喜べないものになるのだ。
そう、具体的には1品減ってしまうということだ。
「はてさて、どうしたものか……」
そして目の前に鎮座する中途半端に残ってしまったジャガ丸くんの行き場だが……。
「あ、狐さん!おはようございます!これ持っていっちゃっていいですか?」
「ああ、構わん」
私が厨房で一人頭を悩ませいると、
「狐さん、あれで全部でーーって、まだ残ってるじゃないですかー。」
「待て、それは……」
先程いちばんに挨拶してくれた
「どうかしましたか?」
純粋な疑問に首を傾げる少女の猫耳が揺れる。同時に私も心も揺れる。果たして、この個数の足りない理由を正直に話してもいいものなのかと。
……いや、ロキファミリアでは少なくない数の人間がアイズ・ヴァレンシュタインに憧れているのだ。そんな彼女がジャガ丸くんを大食らいしたなどという事実は、公にするべきものではないだろう。そう、結論を出した。それに正直に白状すると、この話を信じて貰えるかどうかも怪しいものであったからな。かく言う私も目の前で見てなければ信じてなかっただろう。
「うむ、そのジャガ丸くんなのだが……実は不測の事態が起きてな、個数が足りんのだ」
私は言葉を濁した。嘘は言っていない。
「え、そうなんですか?じゃ、これどうするんですか?」
当然の疑問である。そんなことは私が聞きたーーいや、そうか。その手があるのか。
「うむ、実は困っておってな。それについての処遇を決めかねていたのだ。捨てるのは勿体ない故に出来ぬとして、どうすればよいと思う?」
これこそが発送の転換である。何も私が決めなくとも目の前の彼女に決めてもらえばよいのだ。
「んーー、そうですねー……。あ!数も丁度七つだし、幹部の皆さんにお出しするのはどうでしょう!」
「それでは
私はそれが嫌だから他の案を模中しておったのだが、私がそう言うと、彼女はキョトンと呆けてから直ぐに嬉しそうに笑った。
「いえいえ、幹部の皆さんあってのロキファミリアですし、皆も何も言わないと思います!むしろ、これくらいの優待は当然です!」
「そうか、ならば汝に任せるとしよう」
はいっ!とはにかむ彼女を見ては何も言う気にならんし、先の言葉が真摯なものだと感じた私は自分の険悪よりもその意思を汲むことが大切だと思った。
朝の門番の青年、
私はある種の懐かしさを感じ、調理の後始末を始めたーーー。