比企谷&雪ノ下の喰種捜査官事件簿   作:愚者の憂鬱

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少しずつ、だけど確実に。
物語がズレて行きます。
あ〜地の文は考えるのが面倒でどんどん単調になるんじゃぁ。


誤差

 それぞれ二つずつ、アタッシュケースを持った俺と雪ノ下は、雑木道を疾走する。あれほど耳を突いた銃撃の音は、既に欠片も聞こえてこない。きっと鈴屋さんの突撃feat.丸手バイクが功を奏して、前門付近の喰種が粗方駆逐されたのだろう。

 今まではいまいちな印象だったが、やはり鈴屋さんも局で騒がれてるだけの技量は持っていたらしい。具体的にナニをどうしたのかは、現場に居合わせなかったから分からなかったけど。

 

「……おっ」

 

「見えたわね」

 

 両脇に生えた木々が途切れ、視界が一気に開ける。どうやら俺たちは、高い丘の上にいたようだ。すぐ足元からは団地全域を一望でき、緩やかに下っていくボロボロの階段が続いている。

 ……あ、丸手さんのバイクが。

 正面すぐの棟二階、ど真ん中のベランダに頭から突っ込んでいるのが見えた。うわぁ、アレはもう修理が云々とかの壊れ方じゃあ無いわ。めっちゃ煙上がってるし。

 さらば丸手バイクよ、お前の犠牲は無駄にはしないぞ。

 

「それで、私達はどこから攻める?」

 

 足を前に動かしたまま、心中で手を合わせていると、斜め前を走る雪ノ下から声がかかった。ああ、それは確かに、目下の悩みどころではあるな。

 

「通信の感じを聞いてると……本隊は一棟に突入したらしいから、遅かれ早かれそこはもう制圧が完了するんじゃねぇか?」

 

「……そうね。となると、私達が今から一棟に向かったとしても過剰戦力。一棟の一つ奥にある五棟か、横隣の二棟が次に本隊の侵攻する先として、そこに先行しておくのが吉、かしら」

 

 いや、つーか一番最初にツッコむべきなのは、俺たちが普通に丸手さん──最高指揮官の命令を無視してる現状なんすけどね。ま、いいっしょ。丸手さんが俺たちを本隊と団体行動させたがってるのは分かるが、個々人のパワーバランスを考えりゃこれが最善だ。

 守ってくれるってんなら嬉しい話だ、だが過保護すぎるのはちょいとウザい。自分の命の責任くらい、自分で取れるんだよ。そんな覚悟、とっくの昔に固めてるのだから。

 顔を顰め、ぶつぶつと悩ましげに呟いている雪ノ下を傍目に、俺は団地の全体図を頭の中で再び展開して、現状を整理する。

 一つ一つは一般的な官舎の大きさに例を漏れないが、マップの中ではそれらの全く同じスケールの官舎が八つ、密集して建て並んでいた。前門から見て、手前側に一から四棟の四つが横にずらっと配置され、その一つ奥の列に同じく五から八棟が置かれている、俯瞰で見れば、縦ニ×横四の長方形のような全容になっているはずだ。……いや、五棟のすぐ近くの別棟を含めれば、全部で九つの建築物があることになる、か。

 はてさてどうしたものか。俺としては、別棟が何やらトラブルの匂いでぷんぷんしてる気はするんだよなぁ。

 だとしたら、俺の向かうべき先は当然……。

 

「俺は一棟の裏、五棟に行くわ。んでもって適当なタイミングを見計らって別棟の方まで一応踏み入ってみる。……あそこ、立地的にも明らかに怪しいしな」

 

 こんな感じか。

 言い切るや否や、疾走する俺たちの前方に、一棟が見えてきた。近くで見るとますますボロいわぁ、ホラゲーかよ。

 しかし、いつもならテキパキと俺の言葉に反応して指示をするはずの雪ノ下が、中々口を開かない。それどころか、その華奢な背中からは、ほんのりと怒気が漂ってきている──気がした。

 

「……何故既に、貴方と私が別行動をすることが前提で話をしているのかしら。そんなに私の背中を守ることは嫌?」

 

 背後からでは表情を見ることはできないが、それでも雪ノ下さんの機嫌があまり良くなさげなことは、その口調から火を見るより明らかだ。……えぇ、やっぱめっちゃキレとりますやん。

 つか、予想だにしない理由で突っかかってきたな。俺のお守りなんて、雪ノ下本人からしたら邪魔以外のなんでもないと思っていたんだが……。

 

「俺が背中を守ったところで、そもそもお前が背後を取られるような事態が有り得ないだろ。やり甲斐のない仕事なら本来大歓迎だが、俺が働かない分他の犠牲が生まれる……俺とお前が別行動を取るのは、そう考えると至極当然で、合理的なんじゃねぇの?」

 

 自分なりの思惑を投げかけるも、雪ノ下の背中は沈黙したまま、なんの反応も返ってこない。……なんじゃそら、意味わからん。

 ま、別に彼女の言葉が無いってなら、俺は俺で勝手にやらせてもらうだけだが。

 

「……分かった、行くならさっさと行きなさい、独断専行谷君」

 

 俺が両足にブレーキをかけ、五棟へ向けて方向転換しようとした矢先。やはりえらく不機嫌な声色の雪ノ下が、彼女もまた立ち止まり、ゆっくりと俺に向き直りながらそう言った。……って。

 ……おいおい、なんて顔してやがる。らしくもねぇ。

 そこにはまるで、今にも泣き出してしまいそうな渋面を浮かべた、氷の女王が立っていた。

 

「……お……」

 

「それから、一人ではどうしようもならない状況に陥って、無様に私の名前を呼びながら死んでしまえばいいじゃない」

 

 咄嗟に声をかけようとするも、雪ノ下は口早にそんな煽り文句を吐くと、すぐにまた走り出して二棟の方へと向かってしまった。

 もしかして、いや、もしかしなくとも。

 今のは雪ノ下雪乃なりの、心配、だったのか。俺に対しての。

 遠くなっていく背中を、俺はただ呆然と見つめる。……いやだって、雪ノ下のデレなんざ、年に何度拝めるかも分からん超貴重な代物だし。もっと言えば、あいつがあからさまに俺を思って何かを行動するなんざ、出会ってから今まででも数える程しかない。

 

「……調子狂うな、クソ」

 

 思わず後頭部をボリボリと掻きながら、そんな心中の想いを口にしてしまう。遠くなっていく雪ノ下の背中が、酷く脆く、普段に増して華奢な姿に見えてきて、『これで良かったのか』という言葉が俺の胸に押し寄せた。

 ……そういや。

 二人で参加する大規模作戦って、これが初めてだったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いまいちスッキリとしない気持ちのまま、俺はすぐに目的地へと到着した。

 五棟は、俺以外のCCG戦闘員が誰も立ち入っていないこともあってか、異様なまでの静けさが漂っていた。ガラスが粉々に砕けたエントランスのドアを抜けて、一階廊下に出る。

 ……やはりそこには、一匹の喰種の姿も見当たらない。生物の気配も、不自然な物音も無い。在るのは、俺が踏み締めてギシギシと軋む木目の床と、瓦礫やガラスの砕ける音だけだ。

 あれ、もしかしてここ完全に伽藍堂っすか。もしそうなら途端に心細いんですけど、霊的な意味で。

 

「…………」

 

 しかし俺はゆっくりと、左右のうち左のアタッシュケース──その開錠ボタンへと指をかける。それは決して、幽霊が本気で怖いからとかではなく……。

 

「音を殺すの下手くそだな、アンタ」

 

 静寂を破り、突如天井から突き出してきた鋭い錐状の赫子が俺の脳天に殺到した。恐らく二階廊下に潜んでいた喰種が、俺の侵入を探知したんだろう。

 あらかじめ予測していたそれを、予備動作と反射神経で余裕を持って回避する。

 返す刀で──俺は左手のアタッシュケースから、クインケを解放した。

 勢い良く蓋を開けたケースの中から、どろりとした半固体の物質が飛び出し、すぐさま一本の刀剣の姿を模る。俺は左のアタッシュケースを宙へ投げ出し、そのまま左手でその刀剣の柄を掴み取った。

 

「起きろ『エニグマ』、餌だ」

 

 漆黒の刀身が、薄暗い廊下の闇の中でも一段と深い闇を輝かせる。俺はその刃渡一メートルにも満たない短刀を、下段から上段へ──赫子が突き出たままの天井へと、届くはずのない間合いを一気に振り抜いた。

 瞬間。

 エニグマが瞬きの間にも満たないスピードでその刀身を急激に延長させ──天井ごと二階廊下を縦に切り裂く。

 錐の赫子は真ん中からばっくりと両断して、一文字に開いた天井の隙間から、大量の血が噴き出した。

 

「一匹」

 

 刃を元の長さに収縮させ、スプリンクラーのように降りしきる血液を頭から浴びながら、断末魔を聞くこともなく喰種を屠る。

 だが、休む暇はない。

 戦闘音を聞きつけたのか、ふと俺を中心に左右へ伸びた廊下を見渡すと、そこには既に無数の影があった。

 薄暗い色の外套を羽織り、髑髏を模した青白い仮面の上からさらにフードを被った喰種の集団──アオギリの戦闘員だ。正直なところ、不気味な装いではあるが、今の俺にしたら脅威はさほど感じない……少なくともこの中に、『ジェイソン』レベルの大物はいそうにないな。

 

「丁度いい、エニグマの試し斬りになってもらうか」

 

 取り敢えず、適当に目に付いた右側手前の一体に、人差し指をくいくいと折り曲げて挑発をしてみた。

 

「……‼︎」

 

 するとその喰種は、マスクの上からでも分かるほどの激情を纏って、一直線に俺の元へと突っ込んできた。

 おお、ええ反応や。単細胞は扱い易いのう。

 後に続けとばかりに、左右の廊下から他の喰種共も一斉に殺到する。……全部で、三十体前後だろうか。

 

「なら、三十秒以内に終わらす」

 

 まずは右。

 エニグマを胸元まで引き絞って、渾身の刺突と共に刃を爆発的に延長、そしてすぐさま収縮。十メートル余りの間合いを飛び越えて、先頭を走っていた喰種の眉間を正確に穿った。あとは同じ要領で急所へ突きを放ち、後方に控えていた奴等を更に五体仕留める。

 次、左。

 向かってくる集団に敢えて踏み込んで、近距離で斬撃を浴びせていく。身体能力で人間の遥か上をいく喰種に近接戦闘を挑むのは、生半可な捜査官が行えば自殺行為とされ、あまり歓迎されないものだが。

 こちとら、そこらの捜査官とは規格が違うんだよ。

 首を落とす、腕を千切る、腹を裂く。

 足首を斬る、指を飛ばす、胴を突く。

 断面から鮮血が迸り、俺の体にへばり付く。

 その間、俺が喰種に組み付かれることは無い。感覚の全てを反射神経と動体視力──人間が喰種に対抗し得る器官に集中させ、敵の一挙手一投足を先読み、対策していく。

 狭い空間での混戦のため、喰種共も見方を巻き込むことを嫌い、今は赫子を出そうとしないが──それは、これから俺が数を削っていけば変わってくるだろう。

 ──八、十、──十六。

 左右から休むことなく接近する敵に、慌てることなく、確実に一体ずつ仕留める。

 ……死体が多すぎて、足場が悪くなってきたな。

 見れば敵の残りは、前方に六体、後方に七体にまで減っていた。既に終わりが見えてきている。

 屍を踏んで前へ進み、エニグマを構えると。

 

「…………くっ‼︎」

 

 正面すぐの位置にいた喰種の一人が、長い外套の裾から、鉤爪のように先端の鋭利な触手──赫子を展開した。そいつに感化されたのか、その場に生き残っていた全ての喰種共が、それぞれ多種多様な形状をした捕食器官を、背中から勢い良く生やす。

 さぁ、お待ちかねの時間だ。

 

「でぇァッ‼︎」

 

「よっ……と」

 

 鉤爪を鞭のように振り回し、大声で気合を入れた喰種が勢い良く体当たりを繰り出す。俺はその動きを事前に察知して、身を翻し敢えて紙一重で回避、すれ違いざまに首元──頚動脈を撫で斬りにした。

 壊れた水道管のように、傷口から鮮血が噴出する。

 

「……ひッ……⁉︎」

 

「こ、コイツ……‼︎」

 

 その光景をまざまざと見せつけられた喰種たちは、口々に感じたままの恐怖を吐き出している。……うわ、俺今良く見たら全身血だらけじゃん、そら怖いわ。

 頬を流れる鉄臭い液体を袖──金属製のアームプロテクターが邪魔だが──で拭い、完全に戦意を喪失している周囲の喰種共を見て、俺は小さくため息を吐いた。

 

「なぁ、勘弁してくれないか。流石に自分でもよく分からなくなってきた、クインケの性能がいいのか……単純にお前らが弱過ぎるのか」

 

 相手が赫子を使い始めたら、多少の苦戦はすると思っていたのだが……この調子だと、大した差はなくなりそうだ。お陰様で、もっと備えられているエニグマのギミックとか特性とかを全然説明できてないんですけど。マジ勘弁して欲しいわーっべーわー。

 俺としては思ったままの言葉を声に乗せただけだったのだが、どうやら奴等には挑発、威嚇の類に聞こえたらしい。必要以上に距離をとって俺を眺めているだけの、残り僅かな喰種共──そのうちの一人が、震える声で仲間の一人、最も上へ向かう階段に近い位置にいた戦闘員に呼び掛ける。

 

「オイッ……‼︎ アヤトさん呼んでこい、すぐこの上にいるはずだ‼︎ その隙に一時撤退する‼︎」

 

 成人男性らしき低い声が廊下に響き渡ると、その声をかけられた仲間は、明らかに足を震えさせながらも力強く頷く。そのまま、階段を凄まじいスピードで駆け上がって行った。

 

「……増援か」

 

 つーか装いに大した差がないから分かりにくかったが、やっぱ班長とか隊長とか見たいなのは一応存在するのな。

 なるほど、賢い判断かも知れない。敵わない敵と遭遇した時、団体を牽引する指揮者として最も大事なのは、『退き際を知る』という事だ……なんて雪ノ下から聞いたことがある。アイツ、こっちが聞いてもいない雑学を一方的に押し付けやがって。お陰で俺までちょっとした軍事評論家になった気分だ。

 

「まぁ、援軍が到着するまで、俺がお前らを見逃す理由は無いんだけどな」

 

 さて、新規の方々がこれから大勢ログイン予定らしいので、今の内に掃除でもしておきますかね。

 俺は左手のエニグマを上段に構えて、恐怖に足を竦ませるばかりの残存兵達に向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──雪ノ下 雪乃:二棟3/6階

 

 雪乃は、火薬と血の匂いが未だ強く残る二棟エントランスを素早く通過し、廊下を一気に駆け抜けた先──昇降階段を上っていた。

 辺りには、薄汚い外套と青白い髑髏のマスクを被ったアオギリ戦闘員の死体が点々と転がっている。

 

(どうやら、コッチには既に先遣隊が侵攻を始めていたようね……五棟はどうだったのかしら)

 

 本来なら、本隊との合流を嫌ったが故に向かった場所だというのに、これでは無駄骨だ、と雪乃は俄かに下唇を噛む。

 それでも、CCG戦闘員が使ったと思わしき自動小銃の火薬の匂いと、階段や廊下に転がる対喰種用特殊コーティング弾──通称『Qバレット』の薬莢の跡を追走して、階段をぐんぐんと突き進んでいると、やがて雪乃の耳に大きな発砲音が聞こえてきた。

 

「……ここね」

 

 二棟第三階、そこがCCGの最前線であったようだ。下の階では廊下に沿って一直線に並んでいたはずの各部屋の扉が、三階では既に壁ごとボロボロに崩されており、建物の根幹を成す幾つかの主柱を除いて、平行移動を妨げる障害物が少ない──幾つもの部屋が吹き抜けのように一つの空間へと統一されていた。

 

(確かにこれは、戦い易そう。アオギリ側もCCG側も、この場が本格的な全面対決になるはず)

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ‼︎」

 

「退くな退くな、戦えオラァッ‼︎」

 

「背中をカバーし合え‼︎ 羽赫がどこから狙ってくるかわからんぞ‼︎」

 

 フロアに足をつけた途端、雪乃の耳を突いたのは、敵味方入り混じった大乱闘──阿鼻叫喚の声だった。

 マズルフラッシュの光と、赫子の怪しげな輝きが深夜の屋内に薄く灯火を付けている。

 ちかちかと断続的に輝く強い光は、雪乃の足元に転がる無数の死体を微かに映し出す。その中には勿論、アオギリ戦闘員のモノではない姿も紛れ込んでいた。どうやら、CCGの快勝というわけにも見えない戦況に、雪乃も苦々しく眉を歪める。

 

「雪ノ下三等、只今合流しました‼︎ 援護に入ります‼︎」

 

 発砲音、断末魔に掻き消されないよう、雪乃は目一杯大きな声で味方へと増援の旨を伝えた。末端まで把握しきれないほどの大人数での作戦であること、既に本隊の隊員に死人が出始めているという事実が、それまで体験してきたどの任務とも違う緊張感を雪乃に与えていた。

 

(一、二……フロア全体で五十人。内アオギリ戦闘員は半分ほど……これなら速攻で殲滅できる)

 

 気合いを入れ直し、心を冷ややかに押し沈めていく──凛然とした表情を浮かべた雪乃が、両手に持ったアタッシュケースを同時に解放しようと手をかけた、その瞬間。

 

「その必要は無いぞ、雪ノ下!」

 

 遠く、幾つもの死体と交戦中の人影を超えて、雪乃から見てフロアの一番奥。巨大な薙刀型クインケを自在に振り回し、周囲に群がる喰種を次々と両断していく人物から、雪乃にとって馴染み深い声が聞こえてきた。

 平塚静特等捜査官。

 長い黒髪を振り回し、敵の返り血に塗れる戦乙女は、その涼しげな美貌に豪快な笑みを浮かべて、数十メートル余りの距離を超えて雪乃と視線を交錯させた。

 

「私と部下達を舐めるな! この程度の反撃で怖気付くような軟弱者は、この部隊に存在しないっ‼︎」

 

「……ふぅおおおおおぉおおおぉっ‼︎」

 

「オオおおおおおっ、平塚特等ォ‼︎」

 

 静の声に、フロア中のCCG隊員達──まだまだ若い青年も、体力的に限界の近い壮年の男も、額から滴る汗を拭い、歓声と乾坤一擲の指揮を充満させ、疲弊しきっていた者達が再び活力を得る。

 いつの時代も、戦場に咲く花というものは、その立ち姿だけで武士達を鼓舞するものだが、それは一重に、平塚静という個人が持つカリスマ性とルックスの合わせ技があってこそのモノであった。

 長い手足が、武器と共にしなる。

 

「……ふッ‼︎」

 

 大きく吐き出した呼吸に合わせて、刃を振り抜くと──静がまた一体、喰種の首を薙刀で跳ね飛ばした。それを最後に、静を取り囲んでいた喰種の集団が全滅する。

 血飛沫の中、静は微かに肩を上下させて、右手に持った薙刀型クインケ──『トモエ』の石突を床に立てた。

 

「君は温存しておけ。……この階は攻略したも同然だ、すぐに新しい戦場が用意されているからな」

 

 その言葉にはっとして、雪乃がフロアを再び見渡すと、確かにそこには殆ど敵影が見当たらなくなっていた。僅かに残されたアオギリ戦闘員達も、既に全身を血まみれにした満身創痍の装いで、勢い良く群がってくるCCGの戦闘員を捌けずにいる。

 

(私達の見立てよりも、明らかに侵攻スピードが速い……やはり、先生の力が大きいのかも知れないわね)

 

 流石は、『男よりもカッコイイ』だとか、『抱くよりも抱かれたい』だとか言われているだけのことはある、と正直なところ雪乃も内心感心せざるを得なかった。

 雪乃はようやく、開錠スイッチにかけていた指を戻して、肩から力を抜いた。

 

「……では、お言葉に甘えさせていただきます、平塚先生」

 

 その表情は、せっかくの仕事を奪われたモノにしては、どこか清々しく、誇らしげな微笑が湛えられていた。

 

「だから……平塚特等と呼べと言っているだろう」

 

 薙刀を振りかぶり、刀身についた血を拭い捨てて、静がゆっくりと雪乃へと歩み寄っていく。その顔はやはり、どこか優しげな微笑を浮かべていた。

 

「下の階に向かおう。一階から、隣の三棟に向かう通路が伸びていたはずだ。このまま順当に行けば、小一時間もしない内にこの棟は攻略できる」

 

「……そう言えば、黒磐特等と篠原特等はどちらに?」

 

 ふと、雪乃は辺りに見当たらずも所在の気になる、二人の主戦力について静に質問をした。

 しかしそれに対し静は、突然目を見開いて素っ頓狂な表情を浮かべると、呆れたと言わんばかりに大きなため息を吐いた。

 

「……そう言えば君、耳に装着する小型通信機は」

 

「丸手さんが色々と喧しいので、作戦前にすでに捨てました。比企谷君もその際に一緒に捨てています」

 

「……鈴屋にばかり目が行きがちだが、君達も大概問題児だな……」

 

 そう、単に煩わしいからという理由で。雪乃と八幡はとっくの前に、大規模作戦でのライフラインとも言える『通信機』を、彼等の一存で捨て去っていた。それは静や篠原、黒磐を始めとした特等捜査官や、部隊の指揮を任されたクインケ持ちの隊員には例外なく装着が義務付けられていた物である。

 最も、雪乃の読み通り、仮に着けていたところで丸手から下される指揮は、『本隊の最後尾で待機』だったであろうから、何としてもそれだけは避けたいところであった雪乃と八幡からすれば、ある意味正解とも言える行動だった。

 

「…通信によると、本隊を率いたまま、一棟に現れた増援に時間を食っているらしい。直ぐに合流してくれることを願うが……」

 

 僅かな不安感を醸しながらも、静は難しい表情で雪乃に説明する。それを受けた雪乃は、なるほどと小さく頷くと、フロアに残った二十人余の隊員達を見回して、再び静に向き直った。

 

「なんにせよ、今私達に出来ることは、あまり多く無さそうですね」

 

「確かにな。……与えられた仕事を続けるしかあるまい」

 

 静が、他の隊員達に大声で指揮を飛ばし、そのまま昇降階段から下の階へと団体を移動させて行く。現状彼等が行うべきは、やはり後続の部隊の為に可能な限り敵戦力を削ることにある、と言うのが静の判断であった。

 ぞろぞろと階段を下って行く足音を聞きながら、最後尾に付いた雪乃と静もまた、階段の方へと移動を始める。

 

「ああ。そう言えば雪ノ下、君の方こそ比企谷はどうした、一緒じゃないのか?」

 

「そんな名前の男は知りません。新種の虫の学名か何かですか」

 

「……君達の間に何があったんだ……」

 

 げんなりと肩を落とす静とは対照的に、雪乃はあくまでも冷たく、無表情にそう告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




こうしている今も。
ヤモリとカネキが拷問棟で激闘を繰り広げていたり。
トーカちゃんたちあんていくの面々があたりをうろうろしていたり。
三棟の通路で隻眼の梟がCCGを待ち伏せしていたりするんですよ。
さーて、この後はどうしよっかなー。

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