梅雨前線が北上してくる頃になっても、俺の頭の中から『VRANE』の五文字が消えることはなかった。
俺の授業は
俺一人が疑心暗鬼になっていても仕方ないのかもしれないが、だからといって、俺の素性を簡単に話す訳にはいかない。それに向こうが表立って動き出さない限り、こちらからアクションを仕掛けることもできない。八方塞だ。
結局、俺は大勢の仲間達に囲まれながらも、自分の正義の為にまた孤独になってしまっている。
「よお、
「おはようアザード。また……っていうか、まだ、だな。もう一月になるぞ」
ホームルーム開始五分前。上半身裸の上に半袖の制服を羽織ったアザードが、一組の教室を訪ねてきた。背丈は俺と同程度だが、肩幅が広く骨太且つ筋肉質な為、俺よりもかなり大柄に見える。彼が教室の入り口を通る時は、女子達は道を開けねばならない。一夏に「完璧」と評された見事なドレッドヘアーを揺らして、俺に近付いてくる。
「俺に何か用か?」
「ああ、ちょいと小耳に挟んだんだが……」
奇妙な話し方に定評のあるアザードも、真面目な話をする時はその傾向は大分抑えられたものとなる。せいぜいジャマイカ英語が一割以下混じる位だ。彼は周囲で談笑している女子達を見回してから、俺に耳打ちした。
「……
俺は耳を疑い、アザードの顔を見返した。女子に知られてはいけない理由も理解した。
「いや……初耳だ。どこでその情報を?」
「織斑先生が職員室で電話してたのをこっそりな。てかお前知らなかったのか? 一応教師なんだろ?」
「特戦官は職員会議に参加できないんだ」
「だとしてもだ。
「……」
突然の転入生に、俺の心は激しく掻き乱された。唯でさえ問題だらけだというのに、これ以上俺にどれ程の心労を与えれば気が済むのかと、誰に向けてでもなく心中で罵った。
実は襲撃事件以降、エドウィンを介して世界各地の様々な事件の情報を耳にしていた。独裁政権崩壊後のバルベルデでは男性が牛や犬に似た四足歩行の機械に襲われ、アフガニスタンではムジャヒディンの誘拐・失踪が多発、そしてアメリカではISが機体ごと強奪されている――あらゆる悪意がVRANEの仕業に思えて、俺は若干ノイローゼになっていた。こんな状態では、転入生をもVRANEの
一夏とアザードは心配そうに俺を見ている。二人だけではない、俺がこうしてVRANEについて憂慮しているのを見かけた生徒や教師は、皆決まって彼らのような顔をするのだ。情けないし、申し訳ない。
「……んまあ、あんま気にすることでもないんじゃねえの? あばよ小櫃、Big up!!」
励ましの言葉を投げながら後ろのドアから出ていったアザードを見送って、丁度チャイムが鳴った。
最近の俺は、仲間に迷惑をかけてばかりだ。
「今日は転校生を紹介します。しかも二人です!」
アザードの話は本当だった。話した直後に紹介があるとは流石に予想していなかったが。
山田教諭のどこか楽しそうな発表で、一組の女子達は途端に色めき立つ。だがそれも、控えめにスライドされたドアから二人の人物が入ってくるなり、水を打ったように静まり返った。
「失礼します」
「……」
俺は二人の見た目よりも先にそのバイオエナジーの流動を視て、
一方は身長一五五センチ弱、金髪にアメジスト色の虹彩、中性的な容姿を持った少女。もう一方は身長一五〇センチ弱、長い銀髪に赤い虹彩(光を反射するしないの違いはあれど俺と同色の眼で、微かな親近感を覚えた)、左目に眼帯を着用した少女。デザインこそ大きく違うが、どちらもズボンを履いていた。ドレス風にしていたセシリアや肩部を切り開いた鈴音、ベストにしか見えない楯無のような例はあったが、最早スカートですらないとは珍しい改造だ。
しかし、この時俺は失念していた。何故女子達が言葉を失ったのかを。
「初めまして、フランスから来ましたシャルル・デュノアです」
――シャルル?
「おっ、男……?」
誰かが思わず漏らしたであろう呟きは、当たらずとも遠からず、俺の疑問を代弁していた。シャルルは男性名だ、シャルロット或いはシャルロッテならわかるが――
「はい、僕と同じ境遇の方がいるということで、本国より転入を――」
「「「きゃあああぁああぁぁああああああああああああ!!」」」
「四人目! まさかの四人目!!」
「守ってあげたくなる系!」
「モンゴロイド、ネグロイドときて
「待ってオーストラロイドも仲間に入れてあげて!」
何ということだ。
彼女は性別を偽って入学してきたのだ。性同一性障害の兆候も見られないことから明白である。今一度視ると、温和な雰囲気を醸し出す表情の奥に、不安や恐怖、罪悪感などを示すバイオエナジーの流動パターンを隠していた。不本意な性別偽装入学――電子黒板の端に立つ織斑教諭に視線を送ると、彼女はそれとわからぬ程度に首肯した。彼女の慧眼に感謝したいところだ。この問題は根が深そうで、俺一人では対処できないかもしれない。
「静かにしろ」
織斑教諭が一声発するだけで、ぴたりと喧騒が止む。出席簿をわざわざ食らおうなどというマゾヒストはここにはいない。次いで皆の注目は、先の姦しい叫びにも全く動じなかった銀髪の少女へと移った。
「挨拶をしろ、ラウラ」
「はい、教官」
織斑教諭にラウラと呼ばれた彼女は、教諭に向き直り敬礼した。
「私はもう教官ではない。ここでは織斑‘先生’だ」
「了解しました」
特戦官になったばかりの頃に聞いた、織斑教諭の話が思い出された。一夏救出への協力の対価として、一年間ドイツ軍のIS教官を務めていたこと。ラウラとやらの行動からして、彼女はドイツの軍人の出と見て相違ないだろう。
「ラウラ・ボーデヴィッヒだ」
「あ、あの……それだけですか?」
「以上だ」
ドイツの特殊部隊『
ふと、じろりと教室を見回すラウラと目が合った。
「! ッ……」
「……?」
何故だろうか。剣呑な雰囲気を放つ眼光と呆れ返ったバイオエナジーの流動から、てっきりこちらを睨み返す位の反応はすると思っていたのだが、急に身体を強張らせ、俯いて視線を下ろしてしまった。誤って味方や上官に向けた銃を下ろすように。
「HRは終了だ。一時限目は二組と合同でISの模擬戦闘訓練を行なう。着替えて第二グラウンドに集合しろ」
必要事項を伝えた織斑教諭は足早に教室を出ていく。去り際にアイコンタクトを送ってきた。……どうやら
「一夏、シャルル、時間が惜しい。男子更衣室に急ぐぞ」
「わかってる。デュノア、出席簿が怖いからちょっと走るぜ」
「え、えっ? えっ?! 出席簿?」
ここの女子達の怖さはノリの良さである。一人がふざけると大人数が付和雷同してしまう。例えば今も、
「いたわ、転校生よ!」
「しかも織斑君小櫃さんと一緒!!」
「者共、出会え出会え!!」
一組の悲鳴にも似た歓喜の叫びが聞こえていたのだろう、新たな男に少しでも‘お近付きになろう’と、二組から四組まで、ほぼ全ての女子が雲か霞の如く走ってきた。ヌーの群れも裸足で逃げ出す勢いだ。止められなかったアザードがぺこぺこ頭を下げているのがちらりと見えたが、お前のせいではない。
「何?! 何なの?!」
「訳がわからないと思うが今は走れ!!」
「ルートを変更するぞ。一夏、この前教えたあれは覚えているな?」
三人で並走しながら突き当たりを右折。その先の行き止まりには窓がある。
「お前が先鋒だ。行け一夏」
「実戦使用は初だな…だが、やるっきゃねえ!」
「いやここ三階だよ?! 飛び降り……ってああ!?」
窓枠に手をかけ、一夏は宙に身を躍らせた。重力に逆らわず落下していく彼にシャルルは肝を潰したようが、「降りられたぞ、早く来いよ」という一夏の声を聞き、胸を撫で下ろした。
「五接地転回法の心得はあるか?」
五接地転回法。飛び降りた一夏が着地の際にとった動きである。身体を捻りながら倒れ込むことで、着地の衝撃を爪先、脛の外側、腿の外側、背中、肩の五点に分散させ、理論上は七、八メートル程の高さから落ちても無傷でいられる技術だ。勿論、きちんとした訓練を受けていなければ大怪我は必至の代物。
「え、いや聞き齧った位で……」
「なら仕方ない、乗れ。ラペリング降下する」
幸先が不安だろう少女に、入学初日から遅刻も怪我もさせたくない。俺はシャルルに背中を差し出した。背中に密着した体温――胸はコルセットか何かで押さえ付けているのだろう――、首に回された手を感じた直後から、傭兵時代もかくやという速さで行動を開始する。
窓枠に左手を引っ掛けて身体を外に出し、校舎の白い壁を見上げる。アームキャノンのダイヤルを回し兵装を変更、上方へ向けてトリガーを引くと、青白く輝くロープ状のビームが撃ち出され、その先端部が出っ張り一つない壁面に‘吸い付いた’。
バイオロジカルグラップル。投げ縄のような見た目と
「降りるぞ。下は見なくていい」
「わ、わかった……」
パルクールにまだ自信がないのか、女子達は飛び降りてくる気配を見せない。壁を蹴りながらビームを伸ばし、一夏の待つ地上へと降り立った時には、授業開始まで残り七分となっていた。
急がねばなるまい。
「そういえば自己紹介がまだだったな。俺は織斑一夏。よろしく」
「四島小櫃、トルコ共和国代表候補生兼特別戦闘訓練顧問官だ。よろしく頼もう」
折角
「わあっ?!」
彼女は性を偽ることで起こりうる事態、即ち男が目の前で着替え始めることを全く想定していなかったらしく、一夏が上半身を露にしたのを見て酷く狼狽したのだ。意に反したものであるとはいえそれ位は覚悟があってもよかったのではないかとは思うが、それでも彼女の精神衛生上看過できない影響はあるので、ここは一夏を諭した。
「一夏、お前は向こうで着替えていろ」
「え? 別にいいだろ? 男同士だし」
「シャルルは人の裸に抵抗があるらしい。着替えたら先にグラウンドに行ってくれ、つい先程エドウィンから連絡があった」
「ん……まあ小櫃がそう言うなら……」
“エドウィンからの連絡”は無論ハッタリである。素直に騙された一夏がロッカーの陰に消えて見えなくなったのと同時に、俺は背後のシャルルに呼びかけた。
「……行ったぞ、マドモワゼル」
「!!」
ひっ、と、発覚への恐怖を示す声が小さく聞こえた気がした。
「……いつから、気付いてたの?」
「始めからだ、気付かん訳があるか。肩も手も腰も骨格からして女のそれ、丸過ぎるし柔らか過ぎる。背負った時には女だと確信した」
能力については話せないが、最もらしい理由と証拠を提示することはできた。我ながら上出来だ。
「今は素性は訊かん。だが、お前のそれが不本意なものであるなら、力になってやれなくもない」
「え……?」
固まったままの彼女に振り返り、アームキャノンを外して差し出した右手と共に告げる。
「俺は一夏と同じく、もうお前の友だからな」
これは、何者かに男装を強制されているかもしれない友人を救う俺の正義の一環であり。
新しい友人にまで、迷惑をかけたくないという意地でもあった。
拍子抜けした阿呆面を晒していた彼女は、俺の手の意味を数秒かけて解し、
「……うん。よろしくね!」
‘男らしい’、力強い握手で応えてくれた。
ちなみに、彼女もまた制服の下にコルセットを兼ねたISスーツを着ていたお陰で、