簪と共にその叫びを聞いたのは、欧州二人組の転入から四日後の金曜日のことであった。
声の発生源は、階段の下に倒れたアザードだった。左足の激痛を訴える彼をスキャニングで診てやると、脛部の骨が真っ二つに折れていた。簪の補助を受けつつアザードを何とか保健室に運び込み、手当てを受けさせた(直後に鈴音が飛び込んできた)までが昨日の出来事。
俗に言う半ドンで、昼食までの四時間で授業の終わる今日、俺はギプスの固まっていないアザードを見舞いに保健室を訪れている。簪も一緒だ。
「どうだ気分は?」
「退屈だよコンチクショウ」
「お、お話位ならしてあげられるよ?」
足を吊るした恰好のアザードは、俺の問いに気だるげに答えた。骨折の経緯を「ムシャクシャして五接地転回法をやったら着地に失敗した」と供述した彼は、織斑教諭に「自業自得だ」と一蹴され、菓子類はおろか娯楽用品すらこの場に持ち込むことを許されず、手持ち無沙汰にしている。手慰みになるのは、ティラノプテルスの待機形態であるやたら切れ味のいい十徳ナイフだけだ。
アザードには悪いが、俺は彼がここに磔られるのはよかったとも思っている。アザードの一人部屋にシャルルが同居人として割り当てられた時、内心肝を冷やしたものだ。何の拍子に性別偽装が露顕するか知れたものではないし、万が一――それこそアザードが‘辛抱堪らず’ということもなきにしもあらず。僅かな期間とはいえ、リスクは解消された。
「しかし何故踊り場から飛び降りる必要がある?」
「ええじゃないか、ムシャクシャしてたんだから」
「えっと、そうじゃなくて……何で怒ってたのかなって」
ところで、アザードが“ムシャクシャする”ことになった原因については、俺も簪も知り得ていない。問えば、彼はあからさまに脹れ、吐き捨てるように答えた。
「……あの
「ラウラ・ボーデヴィッヒか」
「え、今のでわかったんだ小櫃君…」
キャベツ野郎。第二次世界大戦時、ドイツ海軍がビタミンCの補給にザワークラウトを採用していたことから生じた、ドイツ人を指すスラングである。俗語的で蔑称の意味も強い言葉をわざわざ選んだところから推し量るに、ラウラの言動に癪に障るものがあったのだろう。確かに彼女は、実戦に十分な戦闘能力を持たないここの生徒達を見下している節がある。
アザードはそっぽを向いたまま、当時の状況を説明し始めた。
「一夏とシャルルが第三アリーナにいるって聞いたからよ、缶コーヒー差し入れてやろうと思った訳だよ。そしたらあの銀髪のチビ助が、一夏に喧嘩吹っ掛けてやがったのさ」
「喧嘩?」
「“お前は英雄の隣に立つには相応しくない”“足手纏いだ”とか言って、最高にDibby dibbyな野郎だったぜ。俺が間にディノプスを撃ってなけりゃ、あいつぁレールカノンぶっ放すトコだったな」
「一触即発だったんだね……」
「先生が来てなきゃマジにおっ
「た、確かにシュバルツェア・レーゲンは黒い雨だけど……そんな挑発して大丈夫なの?」
「いいんだよ、ティラノプテルスは
アザードと簪の会話を聞きながら、俺は
俺が出席する授業や戦闘訓練では、彼女の振舞いに異常は見受けられない。しかしそれが終わるやいなや、彼女はそそくさとその場から立ち去り、廊下で擦れ違う時なども目を合わせようとしない。バイオエナジーの流動からして、ラウラはシャルルのものとは別種の罪悪感、加えて自分への強い劣等感を覚えているらしい。何らかの強迫観念も感じられる。
そして、アザードを苛立ちから(結果論だが)自傷行為に走らせてしまった今回の騒動。織斑教諭を教官と呼ぶのみならず、俺までも生徒や教員としてでなく‘伝説の傭兵’のフィルターを通して見ていることがわかる。
全て「父上」の一言から始まったこと。だが俺には自分がラウラに父と呼ばれる根拠も、ラウラの中にあるであろう‘伝説の傭兵’としての自分の人物像がそれとどんな繋がりがあるのかも、皆目見当がつかなかった。
「……」
その時、‘ありえなくはない可能性’が、脳裏を過った。ラウラの出生に、VRANEが関係していること。
前例がある。生まれ故郷の世界で、組織を壊滅させた英雄に復讐しようと、残党の一派が俺の遺伝子を使ってクローンを作り、突然変異の過程で能力を喪失した失敗作として生まれた少女が。バイオエナジーを利用したVRANEの高度な技術で急速培養、誰のものとも知らぬ記憶を植え付けられて、出来損ないだと粗暴に扱われ、終いには研究員達の性欲の捌け口にされて放り出された。
ラウラの身体や遺伝子にその痕跡は見られなかったが、もしもVRANEがこの世界で更に技術力を発展させているとしたら――
「小櫃! 聞こえるか小櫃?!」
唐突に白式からの個人間秘匿通信が入り、思考が中断された。俺にだけ聞こえる一夏の声は、状況が逼迫していることを明示している。談笑する簪とアザードを尻目に、俺は努めて冷静に応答して、
「どうした?」
「ええとシャルルが男で女でシャワーで……とととととにかく来てくれぇ!!」
酷い肩透かしを食らい、そして胸中で嘆息した。
……あの女、アザードがいないからと油断し過ぎだ。
「すまんアザード、俺の今日の見舞いはここまでだ。簪、先に帰っていろ」
「「え?」」
アザードの不在によりシャルルが一人で専有しているのは1049号室。寮の各部屋に標準的に設置されているベッドは、二つともマータイから送られてきたキングサイズのものに入れ替えられており、自分のベッドを自宅から持ち込んでいたセシリアの部屋以上に手狭になっている。
そしてそのベッドの上で、
「何か申し開きはあるか?」
「「ありません……」」
「どちらにも非がある。今後は気をつけるんだな」
一夏とシャルルが正座している。折檻である。
およそ次のような経緯で、一夏にシャルルの性別偽装がばれたのだ。
シャルルはアザードがいないのをいいことに、白昼からシャワーを浴びようと思い立ち、つい十数分前までシャワータイムを満喫していた。しかしタオルを持ってくることを忘れたことに気付き、止むを得ず濡れたままタオルを取りに脱衣場を出た。そして目的のものを手にしたその時、ノックもなしに部屋に遊びに来た一夏とばったり、である。
「……さて、真実を知る者が一人増えてしまったからな。そろそろ素性を明かしてもいいと思うぞ?」
「うん。話すよ……全部話す」
やおら説明を求めると、シャルルは俺と一夏に向き直り、少しずつ語り始めた。
「僕の本当の名前は、シャルロット・デュノア。見ての通り、女の子なんだ」
自分の身体を指すシャルル改めシャルロット。胸を押さえつけるものがないのか、女性的な膨らみが男子制服を押し上げていた。
「何で……性別を偽ってたんだ?」
「僕のお父さんの会社で、問題があって……」
「問題?」
シャルロットの父の会社――第二世代IS最後発の傑作機ラファール・リヴァイヴの開発元、デュノア社である。量産機ISのシェアが世界第三位の大企業だが、第三世代機の開発が滞っていることからフランス政府からの援助を打ち切られ、
「僕を広告塔にすると同時に、一夏君や小櫃君、アザード君の専用機のデータを盗んでくる……っていうのが、表向きの理由」
「表向き? その言い方だと、フランスは性別偽装を知った上でお前を
「……本当は……」
シャルロットは、何かに怯えるように固く身を抱き、顔を俯けた。数秒の沈黙。
「本当は、」彼女は恐怖でくしゃくしゃに歪んだ顔を上げた。「脅されてるんだ……!! 僕も、お父さんも、お母さんも、会社の人達も、家族を人質に……!!」
脅されている。その一言で、俺の中の‘
「脅されてるって?!」
「……三月の終わり頃だったかな。武装した黒尽くめの人達が沢山やってきて、通報することもできずにあっというまに会社が制圧されちゃったんだ……。お父さんとお母さんを人質に取られて、普通にIS学園に行く筈だった僕はISを展開することすらできなかった。その後リーダー格の一人が“政府の豚にお膳立てはしておいた。シャルロット・デュノアを男子としてIS学園に入学させろ。さもなくば社員諸共会社を消し飛ばし、親族も残らず皆殺しにしてやる”って……」
震えながらの告白であった。「フランスは知らないのか?」と俺が問えば「多分……」とシャルロット。
保健室での考察が尾を引いているせいか、俺は彼女がした、自分達の置かれている状況の説明から、ある一つの確信的な仮説――疑い故のこじつけと言うべきかもしれないが、確かめねば気が済まなかった――に至り、最後の問いを投げかけた。
「シャルロット。その黒尽くめ共は、何かエンブレムのようなものを身に付けていなかったか?」
「エンブレム……あっ」
「どうだ?」
「……右肩に刺繍されてた。倒れた人に、剣が刺さってて、その刀身に文字が書いてあって……」
「覚えているか?」
「確か、……」
予想していたとはいえ、次の答えに俺は度肝を抜かれた。
「Victims for RANge of the Extension……」
「……VRANEか……ッ!!」
VRANE。その名を生徒や友人から聞く日が来るとは思っていた。それが、今日この日だ。
「ま、待ってくれ! ぶれいん? って……一体何なんだ?!」
「小櫃君は、知ってるの? もしかして、元々その一員だった……とか……?」
一夏やシャルロットの問いかけも尤もだ。元々この世界にいる筈のなかった組織であり、俺と同じく、この世界線のイレギュラー要素なのだから。
「……掻い摘んで説明すれば、世界征服を目論む反社会組織だ。豊富な資金力と高度な技術力、それに裏打ちされた軍事力を持ち、目的の為なら手段を選ばない、残虐極まりない連中さ。そしてここ最近俺の頭をしつこく悩ませていたのも、奴らが暗躍しているかもしれないという懸念だよ」
「その話って、先生達にはしてないのか?」
「していない。理由の詳細は言えんが、相談できるような内容ではなかった」
その存在が確定的になったことで、学園襲撃に始まり世界各地で起こっている事件も、全てVRANEの仕業だと考えられた。バルバルデでの‘牛や犬に似た四足歩行の機械’は、生まれ故郷の世界でもVRANEが作っていた
デュノア社制圧とシャルロットの性別偽装入学強制にどんな思惑があるのかは不明だが、それによって罪無き者達が虐げられているのなら、それを許す訳にはいかない。何としても、奴らの野望を阻止せねばなるまい。
俺はシャルロットに、質問ではなく、意思の確認をした。
「シャルロット、お前は救済を望むか?」
「え?」
「俺はお前の友人だ。今すぐにでも海を渡って、奴らを撃滅したい。だが生憎と、俺は‘伝説’の名を冠した傭兵の立場にある。このIS学園の生徒であり、制限付きだが教師でもある。これまで以上に、下手なボランティアはできない。依頼を受けねば、動けない」
今までそうしてきたように、俺は自分の地位や世論など関係なしに、自分の正義だけを頼りに動きたかった。だが俺は要らぬ箔が付き過ぎた。今まで通りのやり方で動けば、様々な形で、シャルロット始め友人達に迷惑がかかるだろう。
「故に問おう。お前は、この四島小櫃に何を望む?」
スキャニングで視れば、答えは最早わかりきっていた。
「……お願い」
シャルロットは、それをさっぱりなぞった。
「僕を、皆を、……助けて……!!」
それが聞けたなら十分だ。
俺はベッドを離れ、入り口に歩を進めた。
「聞き届けた。報酬は後で提示する――」
「俺が払う。払わせてくれ」
しかしそこで、一夏が予想だにしないことを言ってのけた。
「……正気か?」
「大真面目だ小櫃。まだ高校生だし、何年、いや、何十年かかるかもわからない、でも……!」
「そんな、無茶なこと言わないでよ一夏君!」
「承知の上だよ!! シャルル……じゃない、シャルロットが苦しんでて、小櫃がそれを解決しようっていうのに、自分だけ何もしないで見てるだけなんて…耐えられないよ……」
「一夏君……」
報酬の肩代わり。傭兵でないことと、自分の実力不足から判断した、己の身を削ってできる最大限の貢献。一夏の‘守る’という欲求が弾き出した選択だった。
「本気なんだな?」
「男に二言はない」
その目に偽りはなかった。友の為にできることをしたいという純真無垢な想いが、混じり気なしに伝わる。
「……よかろう。月曜日の俺の授業には戻る。報酬は後日伝えよう。耳を揃えて持ってこい」
俺は1049号室を後にした。アームキャノンのインターフェイスを開き、エドウィンにコールする。料理を教える約束のあるセシリアには悪いが、二日程消えることになるだろう。
「エドウィン、緊急事態だ。大至急大統領を通してフランス首相に連絡してくれ」
『伝説の傭兵』から、『人類最強の賞金稼ぎ』に戻る時だ。