南アメリカ大陸最南端、フロワード岬から約三十キロの沖合い。
荒れ狂う嵐の中を、俺は海面ぎりぎりの高度で飛んでいる。試合用に制限されていた出力を軍事用にリミットブレイクし、マッハ四での超音速飛行だ。この速度は現行ISの中でもトップクラスだが、操縦者保護以外の全ての機能とエネルギーを飛行に回すことで可能にしているのみであり、戦闘能力は皆無に等しい。
「小櫃君、君の言った通り、フランスは領空への侵入及びビザなしでの入国を許可したよ。領空に接近後、このコードを送信すればいいそうだ」
視界に映るウィンドウには、普段の調子からは想像もつかない程しかつめらしいエドウィンの顔があった。手元でキーボードを叩く微かで小気味良い音の後、新しいウィンドウが開き、そこに文字列が表示される。
『
「しかしいいのかい? 向こうは一切の支援を行なわないそうだが……」
「単独作戦行動こそバイオニックソルジャーの真骨頂、ではなかったのか?」
「それは、そうだとしても……」
「安心しろ。
VRANEに占拠されたデュノア社の奪還、人質の救出がシャルロットの依頼。シャルロット曰く、虜囚となった社員達は、日中は普段通り働き、夜間は本社最上階の社長室に男、地下の資料室に女と分けてすし詰めにされるという。収まりきらない分は家族共々自宅で監禁されているそうだ。
この任務を遂行するにあたって、トルコを通したフランスへの俺の要求は以下の四つ。
任務開始と終了時に於ける出入国の自由。
任務に悪影響を及ぼす可能性のない形での干渉。
事件収束後はVRANEという組織の存在の発表。
報道機関に対する脚色不許可(違反者には罰則)。
シャルロットの性別偽装を認知していなかったフランス首相は、これらを「国内に於ける事件に関連した一切の事象に干渉しない」ことを条件に呑んだ。また当事国としか取引していない為、領空侵犯を避ける為に日付変更線を跨いだ上で南極海に近付くルートで現地に向かうことを強いられた。トルコからのバックアップも殆どなく、つまり俺はバウンティハンターだった時と同じく、たった一人で悪に立ち向かわねばならないのである。
それは俺が選んだ道。後悔などありはしない。
「俺はまた少し眠る。これ以降は依頼完遂まで通信できないものと思え」
「……わかった。死ぬんじゃないぞ、君」
フランスまで残り三時間。上陸時の現地時刻は十六時三十分を予定している。それからブレストに向かい、高速鉄道に貼り付いてパリへ急行する。ブレストまでは二時間、ブレストからパリまで四時間半。デュノア社につく頃には、草木も眠る丑三つ時だ。
巡航速度を維持して自動操縦モードに切り替え、俺は意識を手放した。
夢を見ていた。
薄く水の張った平坦な地面の上に立つ自分。武器もなく、靴も履かず、衣類も一切を身に付けていない、生まれたままの姿だ。濃霧に視界を遮られ、ほんの一メートル先を見通すことすら叶わない。人気がないことだけはわかって、少しばかりの寂寥を覚えた。
「……」
湿気が鬱陶しい程纏わり付いてくるのに、喉だけは酷く渇いている。足元の水を舐めてみたが、塩辛くて飲めたものではない。その時頭に浮かんだのは、「どこかに飲める水はないものか」ではなく、「この水を塩辛くしているのは何なのか」であった。
「……こっちか」
何かに導かれるようにして、俺は歩き出した。向かう先に、塩辛さの原因があるという予言めいた確信があった。何も見えない、真っ直ぐ進んでいるのかさえわからない。それでも足を止めなかった。止まってしまえば、自分が消えてしまいそうな気がした。生きていることを意識しておきたかった。
「あれは……」
どれ位歩いたか、地面が数センチ高くなり、そこで塩水は終わった。その‘岸辺’を見回すと、一箇所に山のような塩が積み上がっている。塩はここから溶け出しているのだろう。
俺は塩を退かすことにした。足元の水は僅かだが流れを感じる。全て取り除き、しばらく経てば真水になる筈――最初は自分が飲みたかったのに、いやに他人事のようだった。
「……」
手で掬い、岸に放る。単調な動作の繰り返し。心頭滅却し、唯ひたすらに塩を退ける。これで真水に戻る、そう信じて。
しばらくして顔を上げてみたが、一向に塩が減る気配がない。それどころか退け始めた時より増えているようにも感じられる。どこからか湧いてきているのだろうか――
「……!!」
塩の山の裏に、それはいた。赤い目をした黒い人型が、霧の中から現れては消え、塩を盛っていくのだ。
人型がこちらに気付く。
「……ッヒ」
「!」
俺の目を正面から見据えた人型は、俺を嘲笑った気がした。
怒りが燃え上がった。俺の努力を笑ったことにではない。他人を不当に傷付けることで快楽を得るその精神性にである。
「貴様ァ!!」
その激情のままに地を駆け、跳び、人型の頭部に回し蹴りを炸裂させる。人型は霧の中に消えたが、今度はそこから新たな人型が二体現れた。
「ぐおらァッ! ふんっ、てやァアっ!!」
踵落とし、肘打ち、背負い投げ。雲散霧消する人型は、今度は四体。それを倒せば八体。そのうちに倒した側から人型がどんどん増えていき、いつの間にか俺は人型の大群の中にいた。
「はあっ、……はあっ……ッ」
何故だ。何故幾ら倒しても減らないのだ。この人型はどこから来るのだ。この悪意の根源は、一体どこにあるのだ。希望を見失わぬように心がけていても、どこからともなく湧いてくる敵に、俺は苛立ちと、己の正義への迷いを禁じ得なかった。
そんな時、
「! 何だ?!」
無数の光条が頭上から降り注ぎ、蠢く人型を一瞬のうちに悉く消し炭にせしめた。霧は晴れ、眩しい日差しが水面に反射する。見上げた陽光の中に黒い点が垣間見えた。
「……?」
目を凝らしてみると、それは
その時わかった。あれは、俺の船だ。あれは、俺の求める正義に必要なものだ。あれは――
――Caution!! You are approaching to the target place!!
「……む」
領空への接近を知らせるアラームで目が覚めた。
コードを入力し、フランス政府の指定した回線に送信。すぐに返事が返ってくる。
『
「俺をまた鉄火場に立たせる訳だ」
夢の内容の意味するところは、また後で考えることとしよう。
今は、任務に集中したい。
東京湾に浮かぶ人工島からパリ近郊のオフィスビルまで、十三時間近くかけて到着した。そこまではよかったが、社内への潜入を開始し、安全を確保する為全階層の敵を排除しようと動き出したと同時に違和感を感じた。
この時代、デュノア社のような大企業に限らず、どんなに小さな規模の会社でも、しっかりしたオフィスを持っているならばセキュリティシステムの導入が当たり前のことだ。監視カメラ、IDロック、より念入りなものでは赤外線センサーなど。ところが、ここでは設置されたそれらが機能を停止しており、破壊されているものもしばしば見つかった。
「……妙だ」
VRANEの仕業、ではない。奴らが制圧した施設を壊れたままにしておく訳がないからだ。現地にあるものは可能な限り利用するのが戦略的にも理に適う。違和感はそれだけではない。
「……ここもか……」
ところどころで明かりの点った全十三階の内七階までを虱潰しに調べたが、見張りの数が少な過ぎる――各階に二、三人程度しかいないのだ。何故か、皆気絶した状態でロッカーやゴミ箱に入っていた。
VRANEらしからぬ杜撰な警備体制の理由はさておき、俺が気になったのは、
――まさか、先駆けが……?
先着者の存在。そしてその予感は的中することになる。
七階オフィス内の探索を終え、非常階段を登って八階に向かい、今まさに最後の一段に足を掛けんとした矢先。研ぎ澄ました鋭敏な感覚が、空調が切られて淀んだ空気に乱れを感じた。俺の僅か数メートル前方で、空気が動いたのである。丁度顔を俯け目を閉じていた為にスキャニングは間に合わなかったが、
「……痛恨だな」
俺に発見されたのが運の尽きだ。
ドアにロックはかかっていない。かければ自分がここにいると教えるようなものだ。敵の装備次第ではドアごと吹き飛ばされる。
「……ほう」
ドア越しに視えたバイオエナジーは、四方の壁に手足を突いて天井に張り付く女児のものだった。奇しくもそれは
「フッ!」
「無駄だ」
「ぐ、ぬうっ?!」
便座に降り立ち、スタンガンを構えて飛び掛ってくる彼女の鳩尾に、アームキャノンの銃口を突き込んで怯ませ、背中に肘打ち。その上から圧し掛かって小奇麗な床に叩き付ける。身体を覆うローブの下に隠されていた
「な、片手で銃を……?!」
「師の教えのお陰だ」
「クソッ……こんなところで……!」
彼女が俺と同じくVRANEに仇なす存在であるとスキャニングで知っていたとしても、向こうはそうとは知らない。まずは積極的な交戦の意思がないことを伝えねばなるまい。敵の敵は味方としたいものだ。
「俺がここに潜入した時、セキュリティは突破され、敵も皆無力化されていた。やったのは、お前か?」
「……ああ、そうだ」
「目的は?」
「……私のISの奪還」
「どこの所属だ? 正式なIS操縦者ではなかろう?」
「
うつ伏せで身動きが取れぬまま、忌々しげにこちらを睨む少女。抵抗が無意味と悟り、素直に素性を吐きながらも、必死に糸口を探っている――その眼光に見覚えがあった。バイオエナジーからDNAを精査すると、いよいよその判断が現実味を帯びてきた。
「織斑という姓に心当たりは?」
「織斑姉弟のことなら、知っている。それだけだ」
「名は?」
「ない。
――二人の妹と、決め付けるのは早いか……
スキャニングでは、この少女――便宜的にMと呼ぶこととする――の遺伝子構造に、確かに織斑姉弟と共通する部分が存在していたのだが、本人は自分の出生を知らないらしい。それこそVRANEではないが、クローンやデザイナーベビーの線もある。
「……まあいい。俺はここにいる奴らを殲滅し社員を救う為に来た者だ。目的は違えど、VRANEの敵である点ではお前と変わりない。ここは一つ利用し合おうじゃないか」
「ビジネスパートナーになるとでもいうのか?」
「これでも‘伝説’などと無駄に名の通った傭兵なのでな」
「伝説の傭兵……お前、四島小櫃か」
「ご明察」
こちらが四島小櫃だと知るや、Mは抵抗の意思を示すのを止めた。俺が立ち上がると、彼女もまた立ち上がり、俺に向き直る。身長は百四十センチ強とラウラよりも低い。一方柔肌の下の筋肉は年不相応に(十二歳程と仮定した上での話だが)強健で、ますますかつての自分を見ているように思えた。
「……何を見ている?」
「身体だ。よく鍛えられている」
「おだてているのか?」
「気にするな。で、どうする?」
「私一人で十分……ではあるが、残弾数も心許ない。不本意だが手を借りた方がいいらしいな、伝説とやらに」
伝説の傭兵の肩書きが、学園入学以来初めて(自分の意思で)役に立てられたひと時だった。
Mは俺の腕前を試すかの如く、自分は斥候となり、俺に背後をカバーさせた。お陰で一人で行動する時よりも、今回の
そんなMが、最上階への道すがら問うてきた。
「……四島小櫃」
「小櫃でいい、何だ?」
「お前は、どうして戦う?」
「戦う動機の話なら、それが俺の正義だからだ」
「正義……?」
「悪を砕き、邪を退け、不条理に食らい付く。悪事を働き他人を不当に傷付ける者全てを、地の果てまで追い詰め、塵も残さず撃滅する。それが俺の信じた正義だ。悪がなくなれば正義も要らない――戦わなくてもよくなる未来の為に、俺が生きる上で為すべきことだ」
俺が答えると(長々と語ってしまったが)、Mの顔に暗い影が落ちた。
「……では、私はお前のいう‘悪’なのだろうな」
「ほう?」
「私は今まで、自分一人の為に戦ってきた。死にたくはないという生存本能が、私の戦う動機だった。亡国機業は…もう壊滅したが……拾われた私は、命令さえ聞いていれば生かされた。生きる為に何だってやった。死にたくなかった……」
「……では、お前が奴らからISを取り返そうとしているのも?」
「生きたいからだ。イギリスから奪ったものだが、あれは私の半身だ。生きる力だ。どんなにイリーガルでも、力を振るわねば私は生きていられない……」
彼女は、亡国企業とやらを超える巨悪を前にして、自分の歩んだ道に迷いを生じさせているらしかった。それは、かつての俺と尚のこと重なった。己の正義を実現するべくバウンティハンターになったが、ある時その活動すら、その世界の治安の悪さにつけ込んで報酬という
そこで、俺はMに解決策を提示した。俺がそれを乗り越えたやり方を。
「ならば決別しろ」
「決別……?」
「過去は生かすべきだが、引きずり続けるべきではない。お前を縛る組織もなくなったなら、心機一転…ゼロからのリトライもできる筈だ」
俺は生まれ故郷の世界で一度死んだ。だが、時空を超えた異世界の、俺を必要とする者に刺客として呼び出され、第二の人生を歩み始めた。俺はそこから、自分の求めた正義をリスタートさせたのである。今度は
社長室は、もうすぐそこだった。