「やりすぎではないのか?」
お城と言っていい屋敷から少し離れた、木々の豊富な丘の上。
その小さな森の中にて、頭の上からすっぽりと迷彩柄の布を被り顔を隠した男が、ライフルを構えたまま隣にいる初老の男に話しかける。やや不機嫌そうに。
「あの男のことだ。この程度で死ぬはずがない」
「他の一般人の事を言っている」
少しだけ咳き込む男は、布の端から鋭い目を覗かせ、初老の男を睨む。
「お前が警戒し、憎む男を俺は知らん。だが、あそこには無関係の人間が多くいる」
「全員、今頃例の地下道に入っている。出入り口も、影の侵入口は確保している」
「女一人を攫うために、これだけの騒動か……っ」
若いとは言えず、だが隣にいる初老の男よりかは間違いなく若いライフルの男は苛立ちを隠そうともしていなかった。
「それが、あの老人――正確には出資者の依頼なのだよ」
「影とかいう連中を使う必要があったのか? あそこでやっかいなのは、精々あの探偵事務所の面々くらいだろう」
ライフルの男は、心底気に入らなかった。
あの場には、若い男女も多く同行していた。
例のエッグとやらに目を眩ませている欲深い連中ではなく、ただの好奇心でこの城を訪れている若い――恐らくハイスクールに通う位の年頃の男女。
それが今、燃え盛り、崩れ落ちつつあるあの城の下にいる。
そう考えただけで、ライフルの男は胸を、そして喉を掻き毟り、この場で血反吐を撒き散らして果てたい気分になる。
「この状況、確かに連中にとっても危機だろうと。あぁ、危機だろうともさ。だから、あの男がまたしゃしゃり出ている。あぁ……。あぁ! またしても! またしても!!」
対して、初老の男はそんな彼の様子に気付く事もなく、高らかに笑い続けている。
一応は隠れている男のことなど気にもせず、笑っている。
ここにいるぞ、と。城を爆破した爆弾魔はここにいるぞ、と。
(狂っている……どいつもこいつも……くそっ、こんな奴ら――くそっ!)
だが、それでも……それでも男がライフルを捨てないのは――
(駄目だ、まだ……俺はまだ死ねない。まだ止まれない! たとえ、どれほど非道な事に手を染めても……)
男は布の下でゴソゴソと羽織っていたジャケットを脱ぐ。
(あの、悪魔の様な老人の手を借りてでも)
そして、タンクトップ一枚となったその腕には、珍しい――ダイスの刺青が汗にまみれていた。
(お前達の、そして俺の名誉の仇を討つまでは……っ!)
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「な、なんだ、地震か!?」
大きくはなく、だが小さくもない揺れに全員が驚いて立ちすくんだ。
特に毛利小五郎は、地震の類が苦手なのか飛び退いている。
「お、おい!
「分かってる……っ」
その一方、浅見探偵事務所の知恵袋の一人とされる小さな子供と高校生探偵と呼ばれる面々、そして浅見探偵事務所の面々は事態を把握していた。
「やれやれ、二つ――いいや三つのエッグが何を指し示すのかやっと分かったっていうのに忙しいね」
「まったくですね」
その中でも最も落ちつきを取り戻すのが早かったのは、既に多くの修羅場を経験している人材。
浅見探偵事務所に属する――あるいは協力した事のある人間だった。
それぞれに顔に僅かに緊張の色を浮かべながらも、世良が呆れた口調で話した事に、周囲を警戒しつつもアンドレ=キャメルが同意する。
図面に描かれていた対となる二つ目のエッグ。それは、この地下に隠されていた夏美さんの曾祖母の棺の中に隠されていた。
この地下室は、それ自体が彼女の墓所でもあったのだ。
「とにかく、ここから出ましょう」
先ほどまでノリノリで謎を解いていた瀬戸は、表情を再び引き締め直している。
一瞬だけ目を閉じ、そして開いた彼女は僅かに顔を強張らせ、
「……どういうこと?」
「なにかあったのですか?」
沖矢の問いかけに、瀬戸は目線をそちらに向けず早口で応える。
「沖矢さんには朗報ですよ」
そして瀬戸は手袋を引っ張って嵌め直し、手で蘭や和葉といった女の子達に下がる様に指示していた。
「前に沖矢さんが参加したかったって言ってたカリオストロ事件――もう一度来ます」
再び、今度は先ほどよりも大きく地面が揺れた。
元々この地下室には電気など通ってなく、つい先ほど灯した蝋燭の火と何人かが持っている懐中電灯の灯りだけが頼りだった。
その片方――蝋燭の火が、今の振動でふっと消える。
暗闇に慣れていない蘭や和葉が声を上げるが
「服部君、これを持ってて」
そして懐中電灯を持っている人間は数名。装備を整えて来ていた瀬戸と沖矢を除けば、隙を見て盗掘しようとしていた乾と、それから腕時計にそれを仕込んでいる江戸川コナンくらいだった。
瀬戸は自分の物を服部に押し付ける。
「い、いや、そいつぁ姐さんが持っておいた方がいいんじゃ……」
「大丈夫。暗闇でも動けるのがマジシャンだから。それに――」
瀬戸はマジシャンらしい恰好のまま、だがいつでも飛びだせるように僅かに腰を落として構える。
沖矢はそれに対して自然体のまま、だが蘭や服部、和葉といった格闘技をやる人間には、その隙のなさが手に取る様に――あるいは決して触れられないと理解出来た。
瀬戸は出入り口を見据えたまま、後ろ手で差し出した懐中電灯を服部が取った事を確認する。
「きゃあっ!!」
そして、とりあえず安堵しようとした瀬戸は、背後から聞こえてきた女性の――香坂夏美の叫び声にハッと身を強張らせた。
「夏美さん!?」
暗闇の中、慌てて服部と江戸川コナンが懐中電灯をその方向に向けると、そこには転んで地面に身を投げている夏美さんの姿。そして、放り出されたバッグから零れた一つになったエッグ――を、拾う何者かの手。
「てっめぇ……っ!」
瀬戸に近しい人間――沖矢やコナンは気付いた。
それを目にした瞬間、瀬戸瑞紀が本気で怒りを感じているのを。
――タッタッタッタッタッッ!!
ほぼ暗闇が支配する空間のなか、何者かが走り去っていく音が響く。
「ちっ……! 待て、コノヤロウ!!」
「瑞紀さん!」
その後を瀬戸は、今まで『瀬戸瑞紀』が一度も口にした事がない言葉を吐き捨てながら走って後を追っていった。
その後を追うように、江戸川コナンも。
「あぁ、おい工藤!?」
「服部君、君は女性陣から離れないで!」
思わぬ戦力低下に、珍しく強い口調で沖矢がそう小さく叫ぶ。
それとほぼタイミングを同じくして――
暗闇の向こうから、銃声が響く。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
男達は、自分達が裏の人間であると言う事を他の誰よりも知っていた。
カリオストロという一国家の
男達はそれに誇りを持ち、そして自分達を表へと引き摺りだした存在に敵意を持っていた。
持っていた。
「ぐっ……ぉえ゛っ…………」
任務であった、ある女の誘拐。
その任務の障害において最大の障害になるのが、あの時の男だと聞いた。いや、聞いていた。
「どうしたぁ……お前ら、さっさとかかって来いよ……」
数はあの時よりも少ない。この場に来ているのは30人にも満たない。
だが、それで十分なハズだった。
あの時、自分達を相手に戦った人間のほとんどはここにいない。
その一人は姿を隠して動いていた女だし、傭兵程度の足止めも10人ちょっともいれば十分だ。相手が装備が整えられないこの国ならば尚更。
そうだ、間違っていない。
そちらは間違っていなかった。
ならば――
男達は自問自答する。
「お前らさっきから、俺を刺してしかいないじゃないか」
ならば、目の前の
「駄目なんだよそれじゃあ……」
男の体には、アチコチに突き刺さっている。
仲間の、今自分達が身に着けている鋭い鋼の爪が。
「駄目じゃあないか、それじゃあよぉ……アァ……っ!?」
その爪の持ち主は、その男の足元に転がっている。
地面に転がっている者は皆揃って、両腕の関節を外されていた。
それでもなお抵抗しようとしたものは、膝の関節を外されて、転がっている。
ただ一人立っている味方は、あの男に爪を付き立てたままやはり関節を外され、もがき苦しんでいるありさまだ。
暴れるたびに、男の体に突き刺さったままの爪が肉を裂き、更に血が零れる。
無傷どうこうという話ではない。
死ぬか生きるかギリギリの所に男は立っている――ハズなのに。
「俺は……俺を削ったぞ」
男は、顔色こそ悪いがそれでも立っていた。
あの時と違い装備など整っていないのに、仲間を倒し、踏みにじり、そこに立っていた。
「片目を失くした。おかげで昔の感覚をもう一度手に入れた」
男の動作からして、右目を失くしたのだろう。そう判断した味方が先ほど、その死角から男を攻撃した。
結果、見事に関節を外され、更に膝を砕かれた。
目が見えている左側よりも素早く、鋭い反応だった。
「その前に、あの戦いでは肉抉られて骨をへし折られた。おかげで時間が進んだ。あの爺さんの活動がきっと早まった」
一歩、男が前に進む。
「惚れた女を失った」
一歩、自分達は後ろに下がる。
「そしたらどうだ! 俺は書き足されたぞ!」
あぁ、駄目だ。
何を言っているか一つも理解できない。
「さぁ……来いよ」
かつて、自分達と敵対し、そして自分たちに敗者のレッテルを張った存在の一人。
浅見透が立ちはだかる。
「一緒に踊ってやるぜ!」