「それで? こんな小娘にいまさら何の用なの?」
「ハッハッハ、いまさらはなかろう。君は世界でも五本の指に入る薬学者じゃあないか、志保ちゃん」
部屋自体は粗末なのに、無駄に豪華なテーブルと椅子がしつらえられており、テーブルにはやはり豪華な食事が並んでいる。
それを宮野志保――灰原哀は睨みつけている。
料理の並んだテーブル越しに、恐ろしい老人を。
「志保って呼ぶの、やめてくれる? 私、その呼び方を許しているのは二人だけだから」
「おやそうかね。なら……ふむ。組織を抜けた今シェリーと呼ぶのも味がないし……哀君でいいかね?」
誘拐を『気まぐれで』指示した張本人とは思えないほどに落ち着いた声を出す老人に、灰原はいら立ちを隠さずに鼻を鳴らす。
自分があの男同様に世話になっている、そして目の前で拳銃の底で殴りつけられ倒れたふくよかな博士の事を思い出す。
すると老人は小さく笑い、
「あぁ、阿笠博士の事なら大丈夫だ。なにせ、彼とその戦力をバックアップする最大の協力者だ。断じて死なせるものかね」
(この人、博士の事まで調べて……わざとっ!)
この男がわざとらしく哀君と呼んだ理由に唇を噛む少女を見て、老人は満足そうに頷いている。
「君が『悪』である私を信じられないのは当然だが、私は彼の『家族』を殺す真似はしないよ。特に阿笠博士は、彼と君、そして江戸川コナン君――そう」
「工藤新一とを結びつける大事なキーじゃないか。そんな人物を殺してしまったら、彼は間違いなく止められない存在になってしまう。私は彼という男の、そう、男の敵足る悪として立つのならば、そういう無様で傲慢で合理的でロマンもセンスもドラマもない真似をするわけにはいかない」
「そうだろう? 哀君」
「……貴方、イカれているわ」
「あぁ、そうだとも。今の今まで気づかなかったのかい?」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「よう、元気かい坊や」
「あ、初穂さん……うん、大丈夫だよ」
「…………だいぶ参ってるね、こりゃあ」
最近、毛利の旦那の所じゃなくてウチや所長の家の方に寝泊まりするようになった探偵ボウヤの様子に思わずため息を吐きたくなるのをグッと堪えてテレビをつけると、ロシアのどっかの空港が爆破されたという緊急ニュースが入ってきていた。
あぁ、うちのボスがさっそく狙われたか。
ボスはともかく同行組は……まぁ大丈夫か。沖矢はそういう感じがしないし、今回責任を感じていつも以上に必死な山猫共も死に物狂いでボスについていくだろう。
「ま、とにかく動きたくなるってのも分かるけどねぇ。ちゃんと少年探偵団や楓の嬢ちゃんに付き合ってやんのもアンタの仕事さね。ボスの家に泊まってあの子達に空元気見せてるなら多少はわかってるんだろうけど」
「あぁ……うん……そのつもりなんだけどなぁ」
ボウヤはいつもよりも覇気のない様子だ。
重症といっていいだろう。バレてることに気づいていただろうアタシの前でもやってたネコ被りを完全に忘れちまってる。
ロシアのニュースでちょっと顔を上げたが、もどかしそうにした後すぐにへたってしまう。
「やぁれやれ……ほらシャキッとしな! 宿題済ませたんならガキンチョ達と中だろうが外だろうが思いっきり遊ぶ! どんだけアンタが頭が良かろうが悪かろうが、小学生はとにかく誰かと一緒に遊ぶのが一番の仕事じゃないのさ!」
「誰が決めたんだよそんなこと」
「アタシが決めたのさ」
気持ちを切り替えるのが難しいのはわかる。
なにせこの自分よりも歳が行ってる連中でもそれができる人間がどれほどいるか。それも、かつてないほどの完敗だと聞く。
ただ、このボウヤ……小学生っていうある意味で一番複雑な時期にこの状態が続くと、一歩間違えれば辛いことになるかもしれない。
あのやかましい4人がいて明るいままでいてくれるなら、この坊やも多少は引きずられて多少は元気を取り戻すかもしれないが……。
(そういや、鈴木財閥の嬢ちゃんが何か言ってたっけ。なんでも、学校にどっかの劇団に入ってるいい男が転校してきたとか言ってたな。あの嬢ちゃんも、多分毛利の嬢ちゃんや真澄を元気づけるためになにか策を練るだろうし……)
さぁてどうしたもんか。
嬢ちゃん達に押し付けるのも一つの手だし、自分がボウヤを引っ張り回すのも手だろう。
仕事も緊急性の高い物はボスが入院している間に片づけて報告書も出したし、今やってるのは『東都内主要施設、及び近辺における災害や特殊犯罪等の緊急事態時、多数の重軽傷者が出た状況を想定した上で、搬送が可能になるまでの救命処置のシミュレーション』とかいうややこしい上に期限もしっかり決められているわけではないレポートだ。
そもそも、数を使う事が出来る元副所長の所の会社と連携しないと作れない代物だし、ウチと提携している病院とも打ち合わせやディスカッションが必要な仕事だ。
どうあがいてもボス達が帰ってきてからの仕事になる。
「鳥羽探偵、コナン君。お茶とお菓子持ってきたわ。とりあえずこれで少し気分を変えたらどう?」
「あぁ、悪いねクリス」
「あ、お姉さんありがとう」
そうだ、この記憶喪失の美人さんもどうにかしなきゃいけなかった……。
幸い身元はクリス=ヴィンヤードと一発でわかってるし、担当していたマネージャーに連絡を入れてやり取りして解決している。
念のために写真を撮って画像ファイル送って確認してもらったけど間違いないという事だし、外務省に確認した所、確かに来日した記録がある。
ウチの女好きからも丁重に保護しろとの命令もあるし、パスポートの紛失届やらビザ周りの書類やら病院の診断書やらを片づけて、今では休暇の延長としてウチでちょっとした仕事の手伝いをやってもらってる。
(やれやれ、近々来るシンガポールの研修生も来るってのに、地味~~に面倒な仕事が多い。恩田の貴重さがこういう時身に染みるねぇ)
調査員としてはまだまだウチの中じゃあ下の方だが、逆にそれ以外の仕事だと大体上手く話をまとめてくる。
やっぱり、ああいうタイプの人員がせめてもう一人は欲しいな。
今度来るリシって奴がパッと見の印象だと恩田に近いタイプっぽいが……仮にそうだったとしてもずっといるわけじゃない。
(超人だけじゃあ組織は回らない、か。当然っちゃあ当然の話だけど)
とにもかくも、調査面じゃあ地味に主力なボウヤを復活させなきゃ。
キャメルのヤツ、クリスを拾ってから妙に挙動が不審だし、急いで最低限緊急事態に対処できる体制を整える必要がある。
ただでさえ、近々来日するヴェスパニアとかいう国の要人の警護依頼が飛んできてる。
越水の嬢ちゃんやふなちだって、実質通常の探偵業務を請け負ったあの会社を上手く回しているし、場合によっては向こうで手に負えないと判断した物はこっちに飛んでくる可能性もある。
(キャメルの野郎、実はクリスのファンだったとか? 確かに美人だし有名人だし……。それで緩んでるんならケツ蹴り上げなきゃねぇ)
ただでさえ最近ではマスコミがうるさい。
特に、ウチのボスとスコーピオン――浦思青蘭の関係を掴みかけてる一部記者がハエみたいに面倒な動きをしている。
ただでさえやることがてんこ盛りなボスや越水の嬢ちゃんの耳に入る前に、アタシの独断で穂奈美達と一緒に潰しておいたけど……こうなるとしつこい。前に所長燃やしたあの秘書の事も面白おかしく騒ぎ立てようとしていたし……もう二,三手を打つ必要があるか。
ここでさらに、超有名女優が記憶喪失になってウチで保護されているなんてニュースが出まわったら、何も考えない記者がアホみたいにウチの周りにタカることになる。
そんなことになったらアタシは途中で外面被るのを忘れて消火器か催涙スプレーなんかをクソ野郎共にめがけてぶっ放しかねない。
(どうしても口の軽いガキンチョ共からあの手この手で情報聞き出そうとするバカ共の牽制もあるしねぇ……。ったく、優秀な人材だらけなのにそれでも人手が足りないとは、泣けてくるねぇ)
そんなことを考えていたら携帯がメールの着信を知らせる。
……鈴木の嬢ちゃんか。
「ほら、出かけるから用意しな。ついでにクリスもずっとここにいたら息が詰まるだろ。適当に顔隠すもん用意して出るよ」
「あ、はい。帽子とサングラス持ってきます」
「出かけるってどこに? もしかして事件……っ!?」
「ばーか。今のアンタを現場に連れていくわけないだろ。クリスもいるってのに……遊びだよ、ア・ソ・ビ」
「遊びって……っ」
「鈴木の嬢ちゃんからのお誘いさね。なんでも、あの子たちのクラスに来た役者の転校生の二代目襲名披露とかで特別公演するから、応援しに行くってね。少年探偵団も来るそうだ」
何も知らないあの子達からすれば、仲のいいこの子が来ないのを――特に歩美は寂しがるだろう。
クリスにしても、まったく違うジャンルとは言え『劇』を見るのは、記憶を取り戻す手掛かりになるかもしれない。
……せっかくだ。同じく凹みまくってる阿笠の爺さんも連れていくか。子供の相手が好きだし多少は元気が出るだろう。
「ほら、アンタの大好きな蘭ねーちゃんも来るからさっさと支度! あの嬢ちゃん達も、アンタがいれば多少は元気が出るさね」
まったく、面倒のかかる奴らばっかりだ。
ボスが戻ってきたら――戻って退院したらなにか上物でもねだろう。
(さて、突然休暇を取ったキャメルのヤツは……なにしてんだろねぇ)
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ですから! 今は無茶な捜査は控えるべきです! スコーピオンの一件もあって、浅見探偵事務所の関係者は特にガードが固くなっています!」
「でも今ならあの女を確保できる! 記憶を失っている今なら、貴方が誘導すれば簡単にこちらが抑えられるじゃない!」
「すでに関係各所への手配は残った人間でやってしまっています! ここで無理に彼女を確保すれば不審に思われることは避けられません。最悪、日本警察が介入してきたら……我々が不利な立場になります」
まいった。重要参考人として狙っていたあの女優が、まさかあの事務所に来るなんて想定外にもほどがある。
所長たち主力メンバーがいない事もあって、今こそ捜査を強攻すべきだという声が捜査員の中に出ている。
……いや、煽っているのか?
ジョディさんはともかく、声の大きい捜査員……独自に調べてみるか。
「今は、彼女を手に入れる事よりも彼女の周囲に気を配るべきです。彼女は組織の重要人物。関係各所に対応していることから、おそらく組織も彼女の状態には気付いているはずです。ならば、なんらかの形で接触しようとするはずです」
「だから、浅見透がその組織の重要人物じゃないのかって話よ!」
……分かり切っていた事だが、やはりどうしても話はそこに戻るのか。
「幹部と思われる水無怜奈と頻繁に連絡を取っていて! 幹部らしき女と会食していて! 敵対している枡山憲三は組織の裏切り者! そしてもっとも組織のボスに近いと推測されていたあの女が、記憶を失って無意識の状態で助けを求めている!」
「これでどうしてあの男を引っ張っちゃダメなの!!」
「ですよねぇ」
「は?」
「あ、いや――んんっ」
思わず肯定してしまったんですがどうしてくれるんですか所長。
「あの男はもっともボスか、あるいはボスに近い存在である可能性が高いのよ!? 上手くいけば、一網打尽にできる可能性だってある!」
それはない。自分も念入りに調べているが、犯罪に関与は……いや、調査などの過程でギリギリの綱渡りをすることはあるが、少なくとも徒に人を害する行為からはほど遠い。
「確かに怪しい所があるのはしょうがない――じゃない、私も理解しています。ですが、なぜジョディさんがFBIだと知っていたのか。その情報源を確認しないことには、強硬捜査はあまりに危険すぎます。ただですら私たちは、日本サイドに無許可で……つまりは違法な捜査をしているんです。慎重に慎重を重ねなければ、一歩間違うと外交問題にまで発展します!」
もし、本格的にここにいる人員が所長と敵対することになれば、本人だけならともかく彼の『家族』にまで手が伸びるようなことになれば、間違いなく所長はこの捜査班を叩き潰すことに躊躇しないだろう。
(……正直な話、こちらの捜査よりも今は所長から頼まれていた件に集中したいんですが……)
香坂夏美に関する外務省の不自然な動きに関して、公安の風見さんと協力しての捜査を命じられていた。
所長の指示で話を聞きに行った、もっとも関係がありそうな外務省職員はすでに行方をくらましていた。
消されたのか、あるいはそもそも……彼らの仲間だったのか。
当面は事務所の事は初穂さんに任せて、自分は日本の公安と共に活動することになりそうだ。
偽りとはいえ、元FBIという外国籍の男が公安警察と組んでいいのだろうかと首をかしげはしたが、所長に尋ねた時は『相性よさそうだから良しとしましょう』ということで、即席ながら警視庁の白鳥刑事も入れたトリオで動くことになった。
自分の知り合いが誘拐されているのもあって自分にとって今は緊急性を感じるのは、本来の同僚には申し訳ないのだがやはりこちらの件だ。
組織に関しては、クリス=ヴィンヤードがああなった以上先ほど言った通り彼女の周囲に注意をしておけば問題ないハズだ。
ここで、ある意味で警察以上に動ける捜査機関と言える浅見探偵事務所をわざわざ敵にする危険性を犯す必要性を感じない。
所長が入院した上に、珍しく弱弱しい様子の所長を見た時の警視庁捜査一課の面々の士気の高さを思い出すたびに頭と胃が痛くなる。
そうだ、いざという時に彼らを抑えることも頼まれていた。
(うかつにつつけば、警視庁が敵に回りかねないんですよジョディさん……。そこは何度も説明していると思うんですが……)
やはり自分たちにはまとめ役が必要だ。
宮野明美の確保―いや、保護を急いだためにこちらに来る段取りが狂ったのは、良い面もあったが悪い面もある。
赤井さんがいたならば、あのカリスマ性でなんとかまとまったかもしれないが現状では……。
ジェイムズさんが来てくれればまた変わるんだろうが……。
(……我々FBIがこっそり捜査していることはすでに所長は把握しているのは間違いない。ひょっとしたら、自分のこともとっくに……)
であるならば、いっそのことこちらから所長に相談して意見をもらうという事も考えるべきなのかもしれない。
このままでは、我々は空中分解してしまいかねない。
闇の中で動くことを覚悟していた自分達が、きっと他のどこよりも先を照らす灯火を必要としているのは、皮肉以外の何物でもない。
――これだけ能力がある人間達で、お手手つないで横一列の仕事なんてナンセンスですよ。個々がベストを尽くして結果として問題を解決できればそれでいいのさ。
やや大規模な事件の調査の際に、所長から頂いた言葉だ。
あれから何度も、あの言葉を意識して活動してきて、実際事件を解決してきたのだが……。
(所長。それを可能とするには、優秀な指揮者がやはり必要なようです……)
浅見探偵事務所には浅見透がいる。それだけで自分は、ある種の保証を得た気分で調査活動に専念できた。
なら、FBIには……誰がいる? 誰が必要だ?
≪浅見透のいつも通りな日常≫
燃え盛る空港から狙撃されまくりながら沖矢や瀬戸瑞紀たちと共に脱出
沖矢,瀬戸,山猫たちを安室達と合流させるよう指示。自分は単独行動と見せかけメアリーと合流。
浅見、追加戦力発見
『先生! 泥棒のおじさんもお久しぶりです! いやぁカリオストロ以来ですn……なんで聞こえてないふりをするんですか先生と泥棒のおじさん!? なんで走って逃げだすんですか先生と泥棒のおじさん! ねぇ先生と泥棒のおじさん! ちょっとそこらで一杯やりましょうよ! 俺がおごりますから! ねぇ! 先生と! ど! ろ! ぼ! う! の! おじさぁぁん!!』