平成のワトソンによる受難の記録   作:rikka

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117:交差する前日

「さぁて、こっちに奪還の――向こうからすれば毛利蘭を手放す最後のチャンスがあるとすればこの空港しかない……ハズなん……だけどねぇ」

 

 結局、捜索願いすら通らないまま夜が明けて朝になってしまった。

 高木からもらった情報をもとに、できるだけ先回りして怪しい所や動いている妙な人物は固めた。

 

 少なくとも、妙な横やりが入る可能性は可能な限り減らした。

 

 自分とキャメル、ついでに佐藤にも協力してもらっている。

 交通部の由美も、周辺を私服で回ってもらっているから何かあったら連絡をくれるはずだ。

 

 王女が戻ってくる可能性もなくはないし、それに昨日お痛した連中の残党が仕掛けてくる可能性だってなくはない。

 

「初穂さん、言われた通りに恩田さんの持っていたチャンネルを通して、ヴェスパニア行きの航空チケットを人数分取りました」

「カリオストロの関係者としてかい?」

「はい。身分証明書も言われた通り揃えました。……あの、そうした理由をお聞きしても?」

「万が一の備えって奴さ。もし嬢ちゃんを向こうが手放さなかった。あるいはなんらかの理由で手放し損ねた時にゃ、当然向こうまで追いかけるだろう?」

「えぇ、まぁ……。通常のチケットじゃダメなんですか?」

「万が一向こうがどこまでもウチらの介入を嫌がった場合、向こうの税関で入国拒否からの強制送還なんてありうるからね。断りづらい理由は多ければ多いほどいい」

「なるほど、確かに。……では、もしここで奪還できれば?」

「会社の金でキャンセル料を払っておしまい。そん時も領収書忘れるなよ?」

「……まぁ、そうなりますよね」

 

 予定ではこの羽田で記者会見を行った後、ヴェスパニア一行は帰国するということだが……。

 さて、どうなるか。

 

「あれ? 佐藤、そういや高木は?」

「高木君? 貴女に報告した後、毛利さんの所に行くって言ってたわ」

「……大丈夫かい、それ?」

 

 普段は気弱な所があるが、変なタイミングでうちのボスみたいなとんでもない馬鹿をやらかしかねない所がある。

 

「目暮警部も、寄る所があるから先に空港に行っていてくれなんて言ってまだ来てないし」

「旦那も来てないのかい。そいつぁちょいと不安だねぇ」

「白鳥君は公安の刑事と一緒だし……千葉君は非番だし」

「あぁ、大丈夫大丈夫。千葉ならふなちと組んで、気になった所をチェックしてもらってる」

「……ねぇ、前から思ってたけどあの二人って……そうなの?」

「まさか、ないない。ただのオタク仲間さ」

 

 あのガキンチョ共と混じって特撮テレビの好きなシーンで二時間も話せる奴なんてアイツらしかいない。

 楽しそうにしてるし、確かにパッと見カップルに見えるが……ふなちの嬢ちゃん、実は男苦手というか……寄られると逃げるタイプだからなぁ。

 

 アレと上手く付き合えるのは今のところ、それこそボスしかいないんじゃないか?

 恩田やキャメルでもたまに距離取る時あるしなぁ。

 安室みたいな完璧な色男だともう駄目だね。真面目モードに入った瞬間ちょっと言葉が濁りだす。

 

「……ね、初穂」

「なんだい佐藤?」

「浅見君、今どうしてるか聞いてる?」

 

 珍しくこっちに付き合うと思ったら、それが目的かい。

 まぁ、気持ちは分からなくない。自分だって昨日の夜、報告がてら気になって電話した。

 

 まぁ、電話越しにボスの声に交じって銃声がすごい混ざってたからまた馬鹿やってんだろう。

 何やってるのか聞いたら「世界を救ってる」とか返してきたし、いつもどおりでアタシは安心したが……佐藤はねぇ。

 ま、そのまま言うわけにはいかないか。

 

「あぁ、電話したら元気だったよ」

「そう、また無茶してるのね」

「なんでそうなるんだい」

「いや、そうなりますよ初穂さん」

 

 なっちゃうか。

 なっちゃうかぁ~~~。

 

 んじゃどういえば満足すんのさ。

 

 キャメル、アンタは頷いてないで佐藤を安心づける言葉の一つくらい思いつかないのかい。

 

「あー、佐藤。前々からアンタ……っていうか一課の連中に聞きたかったことがあるんだけどさ」

「? なにかしら」

「うちのボス、誰か知り合いにそっくりだったのかい?」

 

 会見まで時間はある。

 もうここでいっそのこと、ずっと気になっていたことに踏み込んでもいいだろう。

 勘があたっていれば自分たちが動くのは少し後になるし、外れていれば何もしなくても解決する。

 

「三年前にね。強行犯係には一週間だけ所属していた刑事がいたの」

「へぇ、どんな奴だい?」

「浅見君にそっくりな奴」

「……見た目が?」

「最初は、見た目だけ」

「つまり……今のボスみたいな無茶を?」

「うん。まぁ、ね」

 

 あっちゃあ……悪い男だったか。

 それに引っかかるたぁ、佐藤も見る目……いや、見る目はあるのか。よっぽど巡りあわせが悪かったと見える。

 

「松田君って言ってね。もとは警備部の爆発物処理班に所属していたの」

「それがなんでまた一課に?」

「……前いた所で、色々あったみたいなの。それで、頭を冷やすためにウチに」

「問題児か」

「えぇ。確かに見てきた中で一番の問題児だったわ!」

 

(三年前……爆発物処理班となると……あぁ、確かあったね。刑事が殉職した件は……確か、二件。片方か、それとも両方か)

 

 ボスはこう、なんというか、女難の相でも持ってるんじゃないか?

 遊んでいい女とそうじゃない女を見極める目は確かだけど、こう、関わる女が大体重いというか……。

 

(こりゃ佐藤がボスにあんだけ気にかけるのも無理ないか。一課の連中もだ。この間の辞表の山といい、病院送りになるたびに大量の花が届く事といい、ボスの奴恩田並みに刑事にモテると思ってたけど……あぁ、こりゃあボス、ロシアでのやらかし具合じゃあもっと面倒な事になるかもねぇ)

 

「佐藤、ヴェスパニアの件に片が付いたら詳しい話、聞かせてもらうよ」

「えぇ、それにしても……ヴェスパニア政府はどういうつもりなのかしら」

「簡単な話さ」

「え? 簡単って――」

「初穂さん、彼らの狙いが分かるんですか?」

「狙いなんて大げさな物じゃない。これはアイツらの戦争なのさ。妙な話に聞こえるかもしれないけど、この日本でアイツらの内戦が始まったんだ。そりゃあどっちも、なりふり構ってられない」

 

 

 もうこれは一種の政争だ。

 

 相手の目的は、細部が少々掴めないがおそらくヴェスパニア内部の混乱を収めるための物。

 ……今行方不明の王女様が女王になるまでに解決させるつもりなんだろう。

 

 ウチの依頼人。あのジラードとかいう公爵様が一連のお痛の犯人だと仮定する。

 そうならば目的はまぁ、権力の掌握という分かりやすい物だろう。

 

(馬鹿だねぇ。アタシなら攪乱のために適度に重要でどうでもいい人間を巻き込んで殺しておくか、自作自演のテロを起こして名誉の負傷をしているのに)

 

 キース伯爵からすれば、王女が女王になるまでにジラードを追い落とす材料を見つける必要がある。

 分かりやすい所だと……女王様と王子の事故死の真相か? ここまで事が起こってる以上、あの二人の死もただの事故死ってこたぁないだろう。

 

 王女を行方不明にしたのは、その時間稼ぎか?

 それなら、瓜二つな毛利蘭をなんとか手元に置こうとするのも分かる。

 時間稼ぎに加えて、影武者としては最適だ。

 

 高木から聞いた話じゃあ、向こうのSPリーダー相手に嬢ちゃんの悪い癖が出ちまったようだし、少なくとも護身術に長けているというのも、あの金髪野郎からすれば旨味に見えただろう。

 

「キャメル、双子にリシもこっちに来てるね?」

「はい、言われた通り荷物を持たせています」

「初穂、荷物って?」

「ん? 着替えとか装備とかちょっとした医薬品とか……まぁ、色々。いざってときにはヴェスパニアに殴り込みだ」

「……初穂」

「あん?」

「蘭ちゃんが連れ去られる可能性が高いって見てるの?」

「まぁね」

 

 ここでお役御免になる可能性もあるにはある。

 だがあの伯爵様からすれば、毛利蘭という女は取り替えの利かない貴重な存在だ。

 なにより、ヴェスパニアにまったくの無関係な人間ということは、つまりは最も敵にはなり得ない存在でもある。

 

(そういう女を協力させるには、逃げ場失くすのが常套手段だしなぁ。アタシや恩田ならどうするか……眠らせたりして意識のないまま飛行機に乗せて飛び立って、その中で起こしてすぐにお涙ちょうだい話で説得……かな)

 

 飛行機の中ならどう見ても異常事態だと一発で気付くし、お得意の空手で暴れるわけにも行かない。

 状況がよくわからず、逃げ場がない中でそれらしい理由を言われればあの嬢ちゃんは多分頷く。

 

 現に昨夜は、王女が帰ってくるまでならいいとか言っちゃって。

 あそこで何も言わずに帰ろうとしていれば、あるいはどうにか振り切れたかもしれないんだけど……。

 

(いつもの事ながら、不味いタイミングで不味い事やっちゃう娘だねぇ)

 

 まぁ、それは仕方ない。起こってしまったことはどうしようもない。

 

「万が一向こうで入国拒否されても、カリオストロの方に送還されれば隣国だ。タイムロスはかなり減らせる」

「……ごめんなさい」

「?」

「私達……私は警察官なのに、こんな大事な時に何もできないで、貴女達に頼りっぱなしで……」

「組織の中にいりゃあ仕方ないさ。どんだけ強権持った組織だって中にも外にもしがらみがあるもんさ」

「でも貴女達は……」

「いやまぁ、公務員の刑事に比べりゃ軽いのは確かだけどさ」

「我々はフットワークの軽さと自由に動けるのが特徴ですからねぇ」

「その分危険も自力でなんとか切り抜ける実力求められるのがウチさ」

 

(もっとも、さすがに国相手だとボスがいないとキツいねぇ)

 

「それより佐藤、もしもの時は残ってる事務所メンツの大体は連れていくことになる」

 

 文字通り、戦力になる人間は全員連れていく。

 置いていくつもりだった真純も、絶対に行くと譲らないため、結局折れてしまった。

 今頃こっちに向かっているだろう。

 

 というか昨日ホテルのSP相手に殴り込みを掛けそうになってた真純を抑えるために、なにかあったらちゃんと声をかけると言ってしまったのが不味かった。

 

「事務所のシステム管理やメンテなんかは阿笠や小沼の爺様連中に、雑務は瑛祐に任せるけど、記憶喪失のクリスがいるから……一応秘書の幸がいるけど、相手役が一人だけってのもあれだし、頼むよ」

「えぇ、聞いているわ。私や由美で交代で様子を見に行くようにしておくから」

「オッケー。アタシらがほぼ全員動くからマスコミ連中は大丈夫だと思うけど……双子のメイドが、最近ウチを監視する妙な外国人連中が増えたって言ってる。ひょっとしたらクリス目当てのパパラッチかもしれないから」

「分かった。妙な外国人に対して職質を強めるように頼んでおくわ。交通部のパトロールも」

「助かる」

 

 これで、後顧の憂いは出来るだけ減らした。

 あとは空港でどう動くか。

 

 事前に無理やり奪還するのも考えたが、下手にここで暴れて向こうの手札を増やすこともない。

 少なくとも奴らが毛利蘭に危害を加える可能性が極めて低いのならば、向こう側の失点を増やした方が後々毛利蘭を取り返す時に楽になる。

 

「事が起こってからはスピード勝負だ。向こうが自分の手札だけで事態を解決するのか、こっちが介入して奴らのカードを揃えてやるか。あるいは……いざってときの飛行機、時間はすぐだったね?」

「はい。王女が乗る予定の専用機の時刻の3時間後です」

「……真純には嘘の時間教えておけばよかったな」

「あとで滅茶苦茶怒られるから、止めておいてよかったですよ」

 

 

 まぁ、毛利の嬢ちゃんと互角のアイツがいるのは心強いけどさ。

 

 

「んじゃまぁ、行きますか」

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

 弾頭発射はなんとか阻止した。

 あの娘――灰原哀は五右衛門が抱えて真っ先に逃げ出した。

 本来の得物がないという五右衛門にいち早く脱出してもらうのは問題ない。

 

 ついでにこの大泥棒の目的だったという大量の石も回収した。

 確かにヴェスパニアで未知の鉱石が出ていたとは聞いていたが、まさかそれほどの物だったとは。

 

 泥棒に手を貸すのは癪だが、大国の手にあると不味い物であるのは確かだ。

 大量とはいえ、小型の運搬車両で十分な量だったのは幸いだった。

 おかげで二人でも回収にさほど時間はかからなかった。

 

 そうだ、ここまではいい。

 

 

 問題は――この大馬鹿者だ!

 

 

「なんでわざわざ迎えに来たのさ! ルパンがいるから鉱石の回収上手くいったんでしょ!? そのままこの長いトンネル一気にかっ飛ばせば逃げ切れたのに!」

「貴様があの老人にかかりっきりになってここの雇われ兵に囲まれそうになっていたからだ馬鹿者!」

「ほーんとこのお嬢ちゃんすごいわ。正規兵じゃないっつってもプロの兵隊次々に昏倒させるんだから」

 

 なんとか包囲に穴をあけ、ルパンの援護を受けながら馬鹿を引っ張ってトラックに押し込め、脱出している所だ。

 

「そもそも、戦力が二つに分けられている状況であの老人と真っ向からやり合えるか! しかも異国の地で、貴様の最大の武器である人脈も人材も組織も碌に活かせんのなら適度に切り上げろ! 殴るぞ!」

「もう三回殴られてるんだよなぁ」

「なにか言ったか?」

「おっと」

 

 相変わらず自分の命を軽く見ている。

 あの老人とあれだけの格闘、銃撃戦を繰り広げていつものように身体に穴を空けていないのは大したものだが、それでも包囲戦になどなったら切り抜けるのは無理だ。

 横須賀の一件でコイツも思い知っただろうに!

 

「とにかく、このまま突っ切るぞ。出入口に兵士が配備されているかもしれんが、五右衛門が上手くやっていれば突っ切れる――」

 

 

 背後から、コンクリートを破砕する轟音が響く。

 そしてエンジン音も。

 

「あぁぁぁぁぁさぁぁぁぁぁぁみくぅぅぅぅぅぅぅんっ!!!!!!!」

 

 来たのは、大型のタンクローリーだ。

 鈍重なイメージのあるソレだが、おそらくタンクが空なのかグングンこちらに迫ってくる。

 

「まぁぁだぁぁぁぁだよぉぉぉぉぉぉぅっ!!!!」

 

 まるでかくれんぼをする子供のような掛け声を挙げながら、後ろからグングンと追いついてくる。

 

「あの老人め、どういうしつこさだ!!」

 

 浅見透への執着が尋常ではない。

 ルパンの射撃で左肩を撃ち抜かれたはずだろうが!

 

 だというのに、まるで旨い酒を目にしたような満面の笑顔で、ろくに止血もしていない血まみれの腕のままで、運転している何者かの横ではしゃいでいる。

 

「裏社会でもトップクラスのルパン三世一味と手を組む名探偵(ホームズ)だと!? 最高だ! 傑作だ! 本来手を取り合うハズのない二人が手を組む! あぁ! ロマンチックじゃないか!! それでこそこの世界だ!!」

 

「ルパン! 飛ばせ!」

「とっくに踏み込んでる! だが石ころたくさん積んでるせいで速度が出ねぇんだ!!」

「クソッ!」

 

 手持ちの銃で何発か老人目掛けて撃ち、フロントガラスにひびを入れるが実質何の意味もない。

 まっすぐなだけのトンネルだし、カーブもしばらくはない。

 

 すぐに老人と運転手は素手でガラスをたたき割り、視界を確保する。

 こちらには、もう残弾がない。

 

「だが、いかにかのルパンと言えど主導権を持っていくのは面白くないなぁ! 先は知らんが、今の君は浅見君の味方じゃあないか! 彼の敵は私だ! 私だけだ! ピスコと呼ばれる枡山憲三という男がそうだ! 彼に銃弾を撃ち込み撃ち込まれ! 殴り殴られ血にまみれて笑っていつかくたばるのが私だというのに! その舞台の幕が下りる前にプリマドンナを掻っ攫っていくなんてひどい泥棒じゃないかね!?」

 

「そっちのワルサーは?」

「こっちもさっきの兵隊ども相手に撃ち尽くしちまってるよ」

「俺の方はあと一発だけ――っとぁぁぁ!!?」

 

 並走したタンクローリーが、こちらを転倒させようと車体を押し付けてくる。

 殺すつもりがないというか、文字通り遊ぶつもりなのかジリジリと。 

 ルパンが必死に堪えているが、このままでは――

 

「ルパン、私が向こうに乗り込んで一度大きくタンクローリーをなんとか向こう側に逸らす。その隙にこの車を逃がせ!」

 

 

「いや、そいつは俺の仕事でしょ」

 

 

 下手に動かせないために上に乗っていたのだが、体格差はどうしようもない。軽々と抱えあげられてしまった。

 一発しか込められていないリボルバー銃を腰のベルトに差し込み、飛び乗ろうとしている。

 

 見下ろす枡山が、ニヤリと笑っている。

 

「馬鹿者! この身体を今度こそお前に預けると言ったはずだ。使い潰せと言ったはずだ!」

「生き残る方に使い潰してくれ」

「ふざけるな!」

「ふざけてないんだけどなぁ」

 

 行かせまいと縮んでしまった細い腕で奴を掴むが、逆に腕を掴まれる。

 

「大丈夫大丈夫、ちゃんと帰ってくるから」

 

 変わらない。初めて会った時から、あの料亭で自分を勧誘した時から、この馬鹿は何も変わっていない。

 先日の横須賀を越えてすら変わらなかった。

 

「そうやってお前はまたヘラヘラと!」

「険しい顔しても事態は変わらないさ」

「貴様が死んだら、救出したばかりのあの子に合わせる顔がない!」

「必ず帰るさ」

「どこに保証がある!?」

「いってらっしゃいって言われちまったからさ」

 

 

 ……なに?

 

 

「七槻にふなち、桜子ちゃんに楓に……まぁ、罵声浴びせてきた一課や二課の野郎どもはおいといて」

 

 

 

 

「追いかけてきちまった紅子もそうだ。言いたいことや吐き出したいことがあったってのに、結局それを呑み込んで『いってらっしゃい』を言ってくれて、待っている」

 

 

 

「いい女が『いってらっしゃい』って見送ってくれたんなら、『ただいま』の一言をいうためにボロボロでも家に帰るのは男の義務さ」

 

 

 

 

 そうだろ? 違うかな。……違うかも……うん、なんかごめん……と、いつも通り最後の最後まで決められない馬鹿がいる。

 変わらないヘラヘラとした顔を見ていると、腕を掴んでいた力が抜けていた。

 

 

 

「……行っ――」

 

 

 あぁ、まるであの時のようだ。

 ならばあの人の――務武さんのような言葉をいうこの男を見送るしかない。

 

 秀一を、あの地獄へ見送った時のように。

 

 

「――行け! 浅見透!」

 

 

 

「……まったく頑固なんだから。あいよ、行ってきまーす」

 

 

 

 

 まるで近所のコンビニに出かけるような気の抜けた声と共に、大馬鹿者はタンクローリーに飛び乗る。

 本当に、いつものことのように平然と――死地に向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よかったのか、メアリーちゃん?」

「……なにがだ」

「アイツは行ってらっしゃいって言ってほしかったんだろうし、お前さんも言いたかったんじゃないか?」

 

 

 

「……私にそんな資格はない」

 

 

 

 

「帰る場所もあの子達を迎える場所も失った女が……あの男にそんな言葉をかける資格など」

 

 

 

 

 

 

「……資格など」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(やべぇな。あのデンジャラスボーイ、なんか他人の気がしなくなってきたぜ)

 

 

 

 

 


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