「お嬢様! ご無事でしたか!」
「沢辺さん!」
いきなりロシアに連れ去られ、マフィアだという男の人たちに捕まって閉じ込められていた時にはもう二度と帰れないのだと覚悟していた。
自分がロマノフ王朝の人間だとか、さらに隠された金塊だの財宝がどうだの訳のわからないことをずっと尋ねられている時に、安室さん達が助けに来てくれた。
そこから少し離れた所では、一緒に誘拐されたあの女の子を助けるために透君も頑張っていた。
こうして日本に帰ってこられたのも、また執事の沢辺さんに会えたのも、あの年下の名探偵と、その下に集まった人間のおかげだ。
「夏美さん、今回の件では大変申し訳ありませんでした。ロシア政府に代わり、今一度謝罪を」
一緒に空港まで来てくれていた、あの事件で一緒に行動していた大使館の人が頭を下げている。
「セルゲイさん。いえ、政府の方からは十分すぎる補填をしていただきましたし」
そうだ、お金なんていらない。
あの曾祖父母が残してくれた大切な――そうだ、あの温かい『思い出』が私にはある。
だから、あの大量の金塊だって全部透君に渡した。
自分にも受け取る資格はあると、あの金塊を探していたらしいジュディという女の人が言っていたが、自分にはとてもそんな……世界を動かすようなお金なんて使えない。
それなら、そんな大金に溺れることなく、良い事に使ってくれそうな人に渡した方がずっとマシだ。
透君なら。
世界一の名探偵なら。
いままさに、あらゆるテレビで名前を呼ばれ続けている彼なら、きっと良いことに使ってくれるハズだ。
だって、自分達のために――たった二人の女のために国家を相手に喧嘩することを躊躇わなかった、ヒーローのような子だ。
今回の件でお金をたくさん手に入れて、出来ることがもっと増えれば、きっともっと素敵なことをしてくれる。
そんな予感がしていた。
「それで夏美さん。この後はいかがいたしますか? たしかパリでパティシエとして働かれていたようですが、御戻りに?」
「いえ、あの店は辞めました。ちょうどお誘いも来てましたので」
それこそあの子の事務所の近くに開かれる、新しいお店に。
「恩返し、というには足りないのでしょうけど……少しでも、あの子の力になりたいんです」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
鳴り止まない電話のけたたましい音に、心の底から――それはもう心の底からうんざりしている女がここに一人いた。
「ふなち、もう会社全ての電話線ぶっこ抜いていいかな? いいよね? うん、いいね。よーしボクちょっと下行ってくるぞー」
「落ち着いてください七槻様。それをやると業務に支障が出ますわ……いえ、もうすでに多大な支障がでておりますが」
虚ろな目をして聞こえてくる音のほとんどを聞き流して、テレビのニュースに流れている調査会社社長の越水はもう魂が死にかかっていた。
「あんにゃろう……」
虚ろな目の先には、ロシアで起こったクーデター未遂事件の詳細と、その世界の一大事を解決した私立探偵とかいう訳の分からないナマ物の動向や解説が流れている。
「事後処理はキチンと大体終わらせていたからともかく、その後のメディア対策全部こっちに流しやがって……」
「おぉ、口調すら完全に壊れてしまって……」
やさぐれモード全開になっている越水の姿に、ふなちはテレビの向こう側の人物を幻視した。
あぁ、良くも悪くも染まりだしているなぁ、と。
「まぁ、今回ばかりは仕方ないのでは? なんでも、もう一か国ぶん殴らなきゃいけないとかお電話でおっしゃっておりましたし」
「国をぶん殴る私立探偵ってなんだよ! どこの世界にいるんだよ! ヤツだよ!!」
嘆く越水の気持ちが、ふなちにはよく分かった。
大事になる事は覚悟していた。なにせ相手が相手だし場所が場所だった。
それがどんな無茶だったとしても、浅見透の全力が必要だった。
だから越水もふなちも「いってらっしゃい」と見送ったのだ。
だから事態を解決し、家族である灰原哀や知人の香坂夏美を無事に救出したという報告に二人並んで素直に喜んだのだ。
――でもこれちょっと違くない?
のちにお気楽な様子で「ただいま~」と帰ってきた家主の首を、理不尽だと分かっていながら締め上げた時に呟いた越水七槻の言葉である。
なお、弁明の言葉は「俺が悪いんじゃない世界が悪いんだ!」である。
当然さらに締め上げられることになる。
「帰ってきたらぜーーんぶアイツに押し付けてやる!」
「押し付けるというか押し返す、ですわね……。」
地味に適応力の高いふなちは、さっさと自分の仕事を片付けながら、片手間にメディア側に対する取材申し込みを捌いていた。
浅見透最大のミスは、ふなちを手元に残さなかったことかもしれない。
「で! こっからさらに火種作ってくるんだよね!?」
「ですわねぇ」
ロシアの次はヴェスパニアで騒ぎを起こすことが確定しているというのが、越水の頭をフルシェイクしていた。
ふなちはもう色々とあきらめているので目の前の事を片づけることに集中している。
「……透君がカリオストロの一件の時にテレビ局に火をかけてやろうとしてたのがよく分かるよ……」
「ですわねぇ……おっと。七槻様~、例の病院船の件、先方に送る分の書類にサインをお願いいたしますわ」
「は~~~~い」
電話の受話器を肩と耳で挟みながら器用に書類を渡してくるふなちからそれを受けとり、越水は目を通す。
浅見透が以前、カリオストロの騎士に叙任された時の事だ。
その叙任式にて、これまで偽札という犯罪によって成り立っていた国家を受け継ぐ者として、その罪を償っていくと新女王は宣言した。
なお、全部の悪名やら責任やらを国ではなく伯爵に押し付けてしれっと再スタートさせようと計画を立てていた浅見と恩田は、二人が用意した原稿にない陛下のアドリブという予期せぬキラーパスを受けて三回吐いた。
「よしよし。
「設計士の方なら、少し前に海上自衛官の方と一緒に浅見様の事務所を訪ねてましたわね」
そのおかげでジョドーの浅見たちに対する印象が多少とはいえ和らいでいたという、隠れた功績もあったのだが、終わりも具体的な目的も見えない出費計画という胃の痛くなる宿題に取り掛かった浅見と恩田は、要はなにかあった時に他国と足並み合わせて協力できる国なのだというアピールが出来ればいいのだという結論に至った。
その一環が、越水の会社を通して発注した病院船である。
近隣国の緊急事態に、医師を始めとする人員と医薬品を運び、緊急時には避難先としても使える船。
それが浅見が用意しようとしている広告塔である。
「じゃあ透君とはもう顔合わせ済んでるんだ」
「ええ。恩田さんも交えて、ずいぶんと楽しそうに話してらっしゃいましたわ」
「へぇ……美人だった?」
「……どうして女性だと確信してらっしゃいますの……いえ、まぁ確かに美人でしたが」
なんとなく目をジトーっとさせる越水を、ふなちは呆れて見ている。
「設計士は
「弁護士の妃様と、印象が凄く似てらっしゃいましたわ」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「はい、というわけであっさり真相がわかったのでこれから全員で片っ端からボコります。意見とか反論はある?」
ヴェスパニア王国王宮内に確保した会議室。
そこに瑞紀ちゃんを除く浅見探偵事務所の全員を集合させた。
瑞紀ちゃんは、こちらの様子を窺っていたジラード側の衛兵――まぁ、沖矢さんと安室さんが気絶させて捕まえているけど――に成りすまして向こう側の様子を探らせている。
柱に爆弾仕込むとかお前頭森谷かよ。
「副所長として特に異論はない。彼が余計な欲を出さなければ、ロシアの一件も含めてこういう事態になることはなかったんだ。ツケは払ってもらうさ」
安室さん、いつもはブレーキかけてくれる人なんだけど最近なんか好戦的というかなんというか……。
うん、なんていうか……ちょっと意識が若くなってませんか?
「私も問題ありません。ロシアでの大暴れに比べて少々退屈そうなのが残念ですが」
沖矢さんこと赤井さんはホントいつも通りでありがとうございます。
ただ、気のせいじゃなければ赤井秀一として行動する時より、沖矢昴として動いてる時の方がちょいと過激じゃありませんかね。
「主戦力はOKと。キャメルさん達はどう?」
「所長達が王宮内部の連中をすべて外に連れ出してくれるのならば、人質にされそうな人間を匿いやすくなります」
「それは大丈夫。遠野さんの狙撃ポイントも確保しなきゃいけないから念入りに追い出す。今頃瑞紀ちゃんが邪魔な連中を無力化してくれているハズ」
「なら、瑞紀さんの報告を待ってから行動を起こしたいですね。山猫の皆さんやカゲがいるとはいえ、それでも念には念を入れるべきです」
今の時点でもこっちが圧倒的に有利なんだけどなぁ。
さっきジョドーさんが潜入完了したって報告回してきたし。
さすが俺の腹をぶち抜いた御爺ちゃんとその部下だわ。
報告持ってきてくれたこっちの兵士に化けた人、完全に気配を掴めなかった。
(……手に入れた金塊と合わせて、やっと枡山さんと互角になったかな)
もっとも、あの爺さんの場合資金はともかく物量が半端ないので油断は一切できないが。
とりあえず、どうやら反対意見はないようだ。
遠野さんが少々不安だったが、ロシアの一件を乗り越えて度胸はついたみたいだ。
まぁ、あの騒動に比べたら物足りないか。
「よし、作戦を説明する。で、コナン」
「あぁ、俺にも役割が?」
「今回の件、真相解明の依頼を受けたのはお前と真純と先生だからな。……まぁ、その先生はどっかに行っちゃって見当たらないんだけど」
「……っておい、俺が探偵役やんのかよ!?」
おまっ――お前! 主人公で! 名探偵! じゃろがいっ!!
なんのためにお前が子供らしからぬ知識の披露やら推理ショーやっちまっても疑われないような環境作るために四苦八苦したと思ってやがる!
「真純と小五郎さんもいるだろ。それに子供相手だと奴らは絶対油断する。なにせすでに自分達の勝ちを確信している奴らだ」
ジラードさんも、自分から進んで負けフラグぶち立てていかなくてもいいのに。
頭森谷な割には肝心な所が残念……あぁ、いやそういえば森谷も最初の時は愉快なダジャレ爆弾おじさんだったわ。
やっぱり頭森谷か。
「というわけで小五郎さん、それに真純も頼む」
「おう、任せろい!」
「ボッコボコにしてやるさ!」
「探偵役だって俺言ったよね!?」
いやまぁ、今回はカリオストロの時と同じく王宮内の兵士は火器を持ってないって話だし、おまけに練度はカリオストロに比べるとクッソ低いし危険度高いかって言われるとそうでもないけどさ。
「ったく……リシさんは恩田さんと一緒に、政治面でのフォローの準備に入ってください。具体的には、行動を起こすほどではない人間の掌握を」
「王女派への転向の説得ですか?」
「いや、説得だと時間がかかるし外国人の言う事なんて……って反発が起こる可能性が高い。反王女派の『やりすぎてる点』を使って上手く彼らへの嫌悪感を煽ってください。手段は問いません」
「了解しました。ジョドーさんのカゲを何人か回していただけますか? 水無さんが日売テレビのクルーとして、今回の戴冠式の取材に来ています。彼女たちとそのツテを上手く使えれば、メディアを用いた工作も可能だと考えます」
恩田さん、マジで次郎吉の爺さんの所に預けてよかったなぁ。
必要だと思うモノをキチンと言えるようになってくれたのは本当にありがたい。
自分の考えが正しいかどうかビクついて、ギリギリのタイミングで用意していたのがもう何年も前の事のようだ。何年も前の事だったわ。
……いや、でも実際というかここでの時間では数か月……タイミングで考えると一か月でこうなったのか。
やっぱ超有能だったんじゃん恩田先輩。
なんでそれが毛利小五郎のコスプレなんて方向に飛んでたのさ先輩。
「ジョドー」
「はっ、旦那様。先代伯爵の頃から隣国ヴェスパニアに伏せていた者たちがおります」
ジョドーも本当はさん付けで呼びたいんだけど、本人が呼び捨てにしろと拘るために、こんならしくもなく偉そうな真似をしている。
メアリーといい真純といいあれだな。なんか自分、「ちゃん」とか「さん」の部分のイントネーションが変だったりするんだろうか。
でも安室さん何も言わないしなぁ。
「数は?」
「一度捕まってからは手綱を放してしまっていたので、だいぶ減っておりますが……ただの諜報員なら40~50は動かせます」
……さすがカリオストロ、世界最大の闇と言われただけはあるわ。
あのクソ野郎、クラリス女王陛下との結婚と財宝にこだわらなければ普通に俺達に負けるようなことなかったんじゃないか?
「ならば20人ほどお借りしたいのですが……」
「分かった、すぐに手配させる。いいな、ジョドー?」
「はっ」
「残った人員は市街地に回す。目を付けた火付け役を上手く煽って暴走させる。タイミングさえ間違わなければ、馬鹿がただ醜態をさらすだけで済む。メディア工作の材料としても十分だろう」
事件を解決するのはぶっちゃけ簡単だ。というか、もう実質解決している。
だが、事態を解決するとなると話が違う。
それも、ろくに準備ができていないとかいうふざけた現状ではなおさらである。
(キースの野郎マジで覚えてろよ……。正式にヴェスパニアからカリオストロへの協力要請だとキチンと王女と合わせて認識させたからな。ふんだくれるものは出来る限りふんだくってやる)
金塊を入手したと言っても即座に使える金じゃあない。
だったら確実に、かつすぐに使える『利』を今回稼がなければさすがに割が合わない。
(枡山さんの対策、コナンや志保の警護態勢にカバーストーリーにより真実味を持たせるための工作、装備の開発費に維持費、政治やメディアを使った妨害を抑え込むのに必要な経費防諜対策その他もろもろ!)
トータルでは大幅な黒字にしているが、カリオストロの一件以降必要な経費が跳ね上がってしまってる。
うかつに削るわけにもいかないというか、いわば安全保障のための費用であるため、これから先も増える事がほぼ確定しているという胃痛っぷりである。
「殴れるところは全部殴って毟れるものは全て毟ります。だからこそ、今回ヴェスパニアの王女派要人に一人足りとも犠牲を出すわけにはいきません」
立派な花も雑草も、そこに生えていなければ毟れるわけがない。
見てろジラード、枡山さんの軽口に乗せられやがって、引き抜けるものは片っ端から引き抜いてやるわ!
「いやぁ、向こうは国体を整えて胸を張ってやり直せる。こっちは金やら欲しかった条
約やらプロジェクトを引き出せる。皆は報酬に加えて相当のボーナスが付く。三方揃ってヨシ! 完璧ですね」
……皆最近、よく笑顔を引き攣らせるね。
どうしてさ?
まぁいいや、とりあえず後は実働部隊になる安室さん達の動きを確認して――
なにこのサイレン?
……地下金庫に侵入者?
……泥棒のおじさんに先生か!? やりやがったな!!
計画がさらに前倒しになるだろうが! 恩田さん、すぐに行動に移ってハリアップ!!
久々の新キャラ紹介
〇
『劇場版名探偵コナン9 水平線上の陰謀』
三大殺人事件が起きやすい場所の一つ、豪華客船が舞台となった劇場版第9作『水平線上の陰謀』にて登場する美人船設計士。
小五郎のおっちゃんが珍しく苦手そうにする美人だがそれもそのはず。この人のデザイン、どうやらオッチャンの奥さんである妃英理の初期設定デザインだったそうです。そりゃあ似るわ。
しかし毎回思うけど、アニメの知的系美人はパンツスーツがとても似合う。
この系統のキャラでは一番好きなデザインですわ。
(終盤で見せたまさかすぎる特技も含めて)