平成のワトソンによる受難の記録   作:rikka

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137:『出来損ないの名探偵』

「勝ったな」

 

 ノートパソコンを操作しながら、キュラソーは小さく微笑む。

 BGMは殴打音や明らかに何か固い――例えば手足や肩の骨が砕ける音という、仮想空間内で今何が起こっているのか容易に想像できる内部音声だ。

 

「ええ、少なくともこれで仮想空間の中は大丈夫でしょう」

 

 ノアズアークも不運だと、バーボンは心の底から同情していた。

 よりにもよって最悪のタイミングで動いてしまったものだ。

 

「バーボン」

「なんです?」

「今回の件をきっかけに、ジンが小泉紅子に目を付ける可能性はどれくらいあると思う?」

「……なんとも……言えませんね」

 

 万が一ジンが浅見透へ圧力をかけるために小泉紅子を利用しようとするのであれば、バーボンもキュラソーも全力で止めると決めていた。

 というより、今の浅見透に対して人質や脅迫という手段はおそらく最悪の悪手にしかならない。

 互いの思う所に関してはともかく、二人とも浅見透とは争うのではなく交渉や説得によって可能な限り争うのは避けるべきだという思いは互いに理解している。

 

「対象を排除する方向には頭が切れる男ですが、いわゆる政治的な手腕に関しては……正直、ピスコやベルモットが担当していましたからね」

「……まさか、私がベルモットに早く帰ってきてほしいと思うような日が来るとはな」

「奇遇ですね、僕も複雑な気持ちです」

 

 キュラソーは、今現在まさにノアズアークを――浅見透と共に戦う事を選択したノアズアークを突破しようと動いている。

 が、真面目に突破しようと思っているかと思えばそうでもない。

 なにせ、すぐ後ろには彼女に動きを伝えてもらっている上で邪魔をしているバーボンがいる。

 

「しかし、すまない。こうしてポーズ取りに付き合わせてしまって……」

「貴女からそういう風に頭を下げられる日が来るとは思いませんでしたよ。……ですが理解はします。さすがにここで無関係の子供達を犠牲にするのは後味が悪すぎるし、なにより所長がこれで死亡でもしたら、今度は恩田君と鳥羽さんのコンビが本気になるでしょう」

「……それにカリオストロも敵になる。あの女王だけならともかく、カゲが全面的に敵になるのは組織にとってマイナスにしかならん」

 

 浅見透は、攻撃的な面があるとはいえ基本的には受けの姿勢の男だとキュラソーは見ている。

 悪意を向けられる、あるいは被害を被るまでは温厚であると。

 

 これは恩田遼平もそうだが、そこに鳥羽初穂が加わると話が変わってくる。

 現副所長は、邪魔になるだろうモノは優先して排除することを望む人間だ。

 

 これに温厚な恩田が折衷案を考えることで、交渉を要する問題は双方に利がある終わりになるようになんとか抑えている。

 

 だが、ここで恩田遼平までもが敵を潰すことにためらいが無くなれば、あるいは浅見透以上に苛烈に調査を進めるかもしれない。

 ジョドーもかつて敵だった浅見透に、不思議なことだが確かに忠を尽くしている。

 彼の敵、あるいは仇を潰すのにためらいはしないだろう。

 

(より攻撃的になった浅見探偵事務所とカゲ、か)

 

 考えたくない敵に、キュラソーは溜息を吐く。

 

「しかし、僕のやることもなくなってきましたね。こちら側のノアズアークは、本当にセキュリティとしては破格の能力を持っている」

「ああ、手を変え品を変え色々やっているが、見事に防がれている。強いて言うなら純粋な物量に任せたD-DOS攻撃のようなものが怖いが……」

「……侵入経路は物理的に絞られている。まぁ、だからこそジンは貴女に命じたのでしょうね。万が一バレても、貴女単独なら逃走は不可能じゃない」

「聞かされていない事になっているお前も、そうなったら逃走の補助をせざるを得ないだろうしな。……だが気分が悪いな」

 

 そう呟くキュラソーに、バーボンが小さく笑う。

 目ざとくそれを見つけたキュラソーが軽くバーボンを睨むが、

 

「いえ、すみません。ジンはどうあがいても、所長に敵わない所が一つある事に気が付きまして」

「ほう。なんだ?」

「ええ、ジンは――」

 

 バーボンは、普段はあまり見せないどこか好戦的な笑みを浮かべて、呟いた。

 

「人の使い方がてんで駄目な男だな、と」

 

 それを聞いたキュラソーは、小さく笑った。

 

「あぁ……。違いない」

 

 その時、パソコンの脇に置いていた携帯が震えだす。

 それが誰からの連絡なのか容易に考えが付いたキュラソーとバーボンは、少しホッとさせていた顔を苦々しく歪めた。

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

 

「うし、片付いたか」

 

(ロシアの時もそうだったけど……相変わらず敵と決めたら容赦ないわね……)

 

 灰原哀の脳裏をよぎるのは、あのロシアでの乱戦。

 

 あの時と同じように、先ほどまでこっちに襲い掛かっていた暴漢達は全員床に倒れている。

 そのうちの半分ほどは足の片方が曲がってはいけない方向に曲がってだ。

 

「ごめんね、皆。ちょっと怖がらせてしまって……」

 

 そういって子供達に向けて頭を下げるが、子供たちは浅見透が何をどうしていたのかもよく分っていないようだ。

 無理もない。気が付いたら悪い大人たちが転んだり倒れたり叫んだりしているようにしか見えなかっただろうから。

 

「……まだ動きはないか。とりあえずコナン、今のうちに事件について説明しろ。知っている限り一から順番にだ」

「お、おう」

 

(見た感じだけはいつも仕事をしている時と変わらないようだけど……)

 

 樫村という男の事をさておいても、灰原自身も世話になっている小泉紅子が倒れた事を黙っていた工藤新一にも少々怒りを覚えていたが、今はそれよりも浅見透だと灰原は思い直す。

 

 というより、危機感を覚えていた。

 

 怒っている。

 

 ――なんて生易しい言葉では足りない。

 

 表情も態度もいつもと全く変わらないが、一緒に住んでいる灰原には彼の感情の重さを肌で感じていた。

 楓もそうなのか、いつの間にか灰原の側に寄って服の裾を掴んでいる。

 

 一方で、浅見透はいつもの柔らかい笑顔だ。

 通常の探偵業に加えて、様々な事件で被・加害者から供述を引き出す必要があった浅見透が被る仮面。

 もっとも、今ではその仮面の下から一言では言い表せないのだろう感情が漏れ出して、工藤新一――江戸川コナンの顔を引き攣らせていた。

 

(……紅子さん)

 

 小泉紅子は、灰原にとって不思議な程に自分の事をすごく気にかけてくれている奇特な人物だった。

 年のころは本来の灰原哀――宮野志保とそう変わらないハズなのに、妙な落ち着きを見せている。

 

 彼女の友人という黒羽快斗曰く最近徐々に大人しくなったらしいが、それでも彼女の細やかな気遣いが灰原哀には心地よかった。

 

 江戸川コナンの説明は続いている。

 刺された現場の状況や予測されている犯行時間、その他諸々を聞き出して、一つ一つに浅見透は微笑んだまま要所要所で頷いている。

 

(そうよね……。情報収集に関しては、工藤君も最初から自分より上って認めるくらいの聞き上手だったものね……)

 

 

 

――頭は切れ、体術に長け、銃の腕前は一流で、そして致命的に人として常道から外れている。

 

 

 

 ふと、ロシアで枡山憲三から掛けられた問いが彼女の脳裏によみがえる。

 

 

 

――そんな彼にふさわしい役は? 『コナン』という男に名探偵の役割を与えられる男は?

 

 

 

 その時、自分がなんと答えたか。

 灰原哀は覚えている。

 いや。ロシアより帰国した日からずっと、そのことを考えている。

 

(そうよね。貴方が私を拾ってくれた頃は、確かに貴方は助手(ワトソン)としての役割を果たそうとしていたけど……)

 

 江戸川コナンが隠れ蓑としている毛利小五郎のように、意識を失くしている間に解決したことになっているような事はない。

 

 灰原哀が彼に関わりだした時からすでに、自力で答えを出せずとも自分の目で現場を見て、関係者に上手く聴取して、その結果集まった情報を推理力がズバ抜けている面々と共に分析し、考えて共に悪質な犯罪に立ち向かってきた男だ。

 

 その、ただですら十分以上に優秀で、有能な男が、ずっと経験を積み続けている(・・・・・・・)

 もし、あの時枡山憲三が語った馬鹿馬鹿しいたとえ話に、もし本当に意味があるならば。

 

 それを想像した灰原は、小さく体を震わせる。

 

「なるほど……大体の話は分かった。ねぇ、君たち」

 

 浅見透は、一緒に来ていた子供達へと声をかける。

 

「な、なんだよ」

「あの、浅見探偵、私達に何か?」

 

 少し日焼けした赤いジャケットの少年と、おかっぱの髪形をしたどこか女性っぽい喋り方をした少年が反応した。

 

「コクーンに入る前の事なんだけど、俺が樫村さんと話している頃にボールのような物が弾む音が聞こえたんだけど、ひょっとして君たちブロンズ像の近くでサッカーをやってなかったかい?」

 

 二人を含めた四人の少年達は気まずそうな顔で「ごめんなさい……」と謝罪し、浅見は笑って流す。

 

「いやいや、悪い事したと思っているなら俺からそれ以上はないさ。とにかく、だ。その時、ブロンズ像が持たせられていたナイフを落とさなかったかい?」

 

 そして再び問いかけると、再び四人の少年は顔を合わせる。

 

「は、はい……。ボールが当たったら落ちちゃって……」

「それで、諸星が元に戻したんだ」

「なるほど。……えぇと……そうなる、と」

 

 

「こっち側のノアズアーク、聞こえてる?」

 

 そして唐突に、浅見はノアズアークに向けて声をかける。

 すると少し間をおいて、

 

『なんだい、名探偵。僕に用かい?』

「あぁ、一応の確認だ。この声、今ちゃんと外に聞こえてる?」

『……聞こえている』

「OK、そんじゃあ浅見探偵事務所の面々にとりあえずの指示を出す」

 

 

 

「警察と協力してトマス・シンドラーを拘束しろ。絶対に逃がすな」

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

 クソが。よりにもよって紅子に手を出しやがって。

 そんなに容赦がいらないって言うのなら文字通りこっちも全力で相手してやる。

 

 事前にコナンと答え合わせがしたかったけど向こうに丸聞こえの状態じゃあいらん真似をされかねん。ぶっつけ本番で行くしかねぇ。

 

「本日こうして開催され……てはないか。予定だったコクーン完成披露パーティは、集まる面々の事を考えてセキュリティ設備は万全を期して配置されていた。出入口には金属探知機に手荷物検査もしている。となると、凶器を持ち込んだタイミングはその前。最初からこの米花シティホール内にあったハズだ」

 

 今日ばかりは自分の耳に感謝だ。おかげであのボールの音に気が付けた。

 

「あのナイフを持ったブロンズ像はシンドラー社長が持ち込んだものだ。事前に確認したから間違いない。指紋と血液検査――いや、皆の事だからもうやってるか」

 

 シンドラー社長は注目される人物だ。

 だけど、樫村さんを害したとされる時間帯なら問題ない。

 

「殺害のために行動したのは、おそらく沖野ヨーコのライブのあたりでしょう。あの時間帯からは会場は演出のために暗くしていたために、よっぽど張り付いていなければ個人を特定するのは難しい」

 

 そしてブロンズ像のナイフを現場に持っていく。

 だけどブロンズ像からあんな目立つナイフが消えれば気付く人が出ると普通は考える。

 となると……

 

「おそらく、ブロンズ像のナイフをレプリカとすり替え……あぁ、いや、ちょっと待て、手荷物検査があったな……」

 

 となると、そのままナイフの形をしていたものじゃないだろう。

 仮によく似たペーパーナイフなどを用意していた場合、それを覚えている警備担当者がいるかもしれない。

 事前に用意していたっていうんなら、そういうリスクをあのクソ野郎は真っ先に思いついたハズだ。

 

「うん、となると作り物だな。例えばボール紙とアルミのようなすぐに作れるもので代用品を作成したんでしょう。それなら廃棄もしやすい。ゴミ周り――特に集積場を調べてください。それらしいものを発見したらすぐに鑑識に」

 

 頭の中で、答えへのフローチャートを何度も反芻して確認していく。

 うん、大丈夫だ。 

 

「会場内の監視カメラの位置は把握しています。子供たちがサッカーをしていた頃の時間も当然」

 

 一瞬、アイツが手袋をしていた可能性を考えるが、いつ見られるかもしれない状況だと手袋は不自然だ。

 

「子供たちがサッカーをして、ブロンズ像のナイフを落としたところは間違いなく映っています。監視カメラの精査をしているだろう人員はロビーを映しているカメラのチェックを急いでくれ」

 

 なにせロビーのど真ん中だからな、少なくともナイフを落として、それを直す所までは確実に映っている。

 

「おそらく、犯行に使用されたナイフにはトマス・シンドラーの指紋と樫村さんの血痕、……あと、ウチらの事務所のスーツに使ってる特殊繊維だけが見つかるハズだ」

 

 間違いなくこの赤いジャケットの子は――諸星君はナイフに触っている。

 触っているからこそ――

 

(合っているよな? コナン)

 

 コイツが犯行現場じゃないここに来ているってことは、一番の問題は誰が犯人かということ(whodunit)でもどうやって犯行に及んだのか(Howdunnit)でもない。

 

 トマス・シンドラーの義理の息子であるヒロキ君の分身と言えるノアズアークの反乱、乗り出してきた実の父親の樫村さんなんかを合わせれば、たどり着く重要な点はおそらく犯行に及んだ理由(whydunit)だ。

 

 ヒロキ君が自殺に追い詰められた理由と樫村さんが襲われなければならなかった理由をつなぐものがこの仮想世界にあるってことなんだろう。

 

(言い換えれば、この世界は大掛かりなヒロキ君のダイイングメッセージでもあるってことか)

 

 ……そう考えると多少は……いややっぱダメだ。仮想のキャラ相手にまんま自分が普通に接しなきゃならんっていうのがとにかく滅茶苦茶気に食わねぇ。ごめんヒロキ君。

 

 まぁ、動機の方も正直想像はついているけど、それが合っているかどうかはこれからコナン達と一緒に見つけていくものだ。

 それより、今の俺の推理に穴があった方が問題なんだが……ねぇ、コナン。いつもみたいに美味しい所持って行けよ。どうしたのさホームズ。

 

 外の連中に聞かれていようが、こういう時にお前が口挟んでいいように十分下地は作って…………何呆然としてるんだテメェ!

 

「そして偽物の凶器に使われたモノに諸星君の指紋があれば確定です。そこに、トマス・シンドラーの指紋もおそらく付いているでしょうから」

 

 …………。

 

 ね、コナン?

 

 なにも口挟まなかったって事はいいんだよな?

 

 …………。

 

 貴様! なに大口開けてポカーンとしていやがる!

 

 ワトソンが頑張って間違ってたら、真実はこうさワトソンとか言い出すのがホームズじゃろがい!?

 

 




当然のごとく覗き見ているお爺ちゃん、手を叩いて大はしゃぎ

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