どうか、これからも平成のワトソンをよろしくお願いいたします!
「アニキ、様子はどうですかい」
「ふん、とりあえず上手くはいったようだな。後は結果を見届けるだけでいい」
夜の米花シティホールから少し離れた所に止められた黒いポルシェ356A。
その中で二人の黒づくめの男は暗躍を続けていた。
「しかし兄貴、いいんですかい? 浅見透が絡む案件は情報収集に徹して、以降は極力手を出すなという事でしたが」
「その情報収集役の連中を俺は信じてない。キールやキュラソーがそうそう
「それに関してはバーボンの野郎から詳細な報告が――」
「あのベルモット以上の秘密主義者をそう易々と信用できるか?」
「……ま、まぁ確かに」
やや細身の長髪の男――ジンの冷たく鋭い言葉に対して、ガッシリしているウォッカが体格に合わずやや慌てた返答を返す。
「別に表立って敵対するつもりはない。ただ事故に巻き込まれてあの男が死ぬ可能性が出てきただけだ」
「はぁ……」
「理由こそ知らんが『あのお方』も浅見透に注目している。だが、危険度を無視するわけにもいかない。正直今でも、一か月前に戻れるなら命令を無視して暗殺しておくべきだったと思っている」
「……あのお方は慎重居士。石橋を叩きすぎて壊してしまうタイプですから」
ジンが、煙草に火を付ける。
ジンが語ったように彼らの私用は終わっていた。
後は結果を見届けるだけ。
ジンの直感が消しておくべきだと伝えている男が不運な事故で死ぬのか、あるいはまたもや切り抜けるのか。
(……まさか、毒でも死なないとはな)
ジンは、以前同じ組織に属しているキャンティというコードネームの女性狙撃手を使って浅見透の毒殺を試みていた。
女性に弱いという情報通りに容易く接触に成功したキャンティは、浅見透とバーで飲んで歓談している間にひっそりと毒物を混入。様子を見届けてから撤退する――予定だったが、結果はまさかの不発。
毒を混入したキャンティ本人はそれがどうにもおかしかったらしく、男の事を気に入ったらしい。
それから浅見透とは、酒を肴に共に時間を過ごす仲になっている。
無論、最初の数回はキャンティ本人も半分面白がって毒を混入していたが、浅見透に効果を発揮することはおろか、吐き気一つ引き出せなかった。
ジン本人の独断であるため、浅見透の元々の相棒に投与した『貴重な毒』を使う事も出来ず、以来キャンティは、彼との酒の席を情報収集の一環として、たまに相棒の口下手な男を連れて楽しんでいる。
ジンにとっても貴重な情報のパイプだとして利用しているが、同時に浅見透に対して畏怖を覚えた件であった。
「まぁいい。ウォッカ、一度ここを離れる。どういう形にせよ中の騒動が終われば外に目が向く可能性がある。面倒な事になる前に――」
次の瞬間、偶然かあるいは何かを感じたのか、顎を少し引いた長髪の男が咥えていた煙草の先端が吹き飛んだ。
「――ちぃっ!」
反射的に車のキーを回し、アクセルを踏み込んで長髪の男はその場を離れようとするが、その真横にいつの間にか近づいていたバイクが張り付く。
フルフェイスのヘルメットを被った、だがその人物が身に纏う身体に吸い付くような漆黒のライダースーツの形状から女と分かる。
女は、その手に拳銃を握っていた。
サイレンサーを付けたワルサーPPK/S。
007が持つ事で有名になったその銃は、皮肉なことに職業も性別も正反対な存在に握られていた。
「何者だ!」
叫びながら、ジンはハンドルを切って体当たりをしようとする。
どうあがいてもバイクと車。相撲をとればどっちが勝つかは明白である。
だが、その狙いは突然距離を取ったバイクと、その行動と同時に走った衝撃によって無に帰した。
タイヤが撃たれた。
片方はバイクの女に。
だがタイヤがパンクしたのは両方だ。
女がいるのは車の右側。
これが浅見透ならば跳弾を利用して反対側のタイヤを狙うという曲芸も出来るのだろうが、当の浅見透は今繭の中で眠っている。
今度は明確に殺気を感じたジンが、ハンドルを握ったまま頭を下げた瞬間にフロントガラスに穴が空く。
「くっ……狙撃だと……」
ジンの脳裏によぎったのは、あの夜の海で殺したFBI。
あの方が最も恐れていた『銀の弾丸』と呼ばれた男。
だが、暴れるハンドルを押さえつけるジンの目の先に立つ男は、一番予想していない男だった。
――使えると見れば、それがどのようなものでも使うか。それを有能と言う者が大半なのだろうが
そこにいたのは、かつての同僚だった。
組織で最も多種類の武器の取り扱いを熟知しており、どのような環境でも正確に把握し、必ず指示された目的を達成してきた兵士。
「俺から見れば、やはり貴様には品が足りていない。せめてもう少しお行儀よくすべきだな、ジン」
「まさか……カルバドスだと?」
「奴に手を出すな。あの男は俺の獲物だ」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
こちらの想像通り、適当な宿屋で全員が横になった途端に眠気が来て、皆同時に目を覚ました。
当然だが外はもう朝だ。
「ねえ、今思うと別に外の適当な場所で皆で横になって目を瞑ったら時間進んだんじゃないかしら」
止めなさい志保、そういう夢もへったくれもない事を言い出すのは。
というか蘭ちゃんと一緒に多数の子供達を引き連れて橋の下で野宿ってなんか悲壮感漂うヤバい男女にしか見えないから勘弁してくれ。帰ったら小五郎さんにぶん投げられそうだ。
あれか? 昨日と言うかついさっきの宿の交渉で体弱そうな子供演じさせたのがご不満だった?
…………。
いやそりゃご不満か。
生身の人間相手ならともかく仮想空間でNPCにこういうことしてると我に返った時に死ねるよね。
それを他人に強制されるとか、俺でもおそらく不機嫌になっちゃうわ。
……帰ったらご機嫌とっておくかぁ。
でも志保って七槻以上に滅茶苦茶難しい女だし……。
とりあえず、今度新しいPCのパーツでも見にPCショップにでも連れていくか。
「さて。で、コナンどうする?」
「あぁ、色々考えたけど……とりあえず、二手に別れようと思う」
コナンが提案したのは新聞やその他情報を手に入れる班と、ジャック・ザ・リッパー事件の現場を一度見に行く班に分かれる事だった。
こちらとしても文句はない。
今回どうも本調子じゃないコナンの事もあるし、出来るだけコナンが素でいられる面子でまとめた方がいいだろう。
「おっし……なら、捜査に慣れてる面子で固めた方がいいだろう。現場を観に行くのは俺とコナン、哀。残りは新聞の入手と、もしなんか役に立ちそうな情報とか物品があったら揃えておいてくれ。蘭ちゃん、これ」
内ポケットに入れていた予備の財布の中身を確認して、まとめ役をしてもらう蘭ちゃんに渡す。
昨日の大道芸でこっちの通貨がなぜか日本円だというのは把握しているし、新聞ならそんなに高くはないだろう。
というか、キーアイテムである以上金がかかってもそんなに高くはないハズだ。
「昨日稼いだお金だ。なんかあったら……いや、もう適当に使ってくれ。必要だったら皆の朝食とかも含めて」
一晩安い宿だったから朝食とか一切付いてなかったからな。
仮想空間とはいえというか、だからこそと言うか空腹感も一応あるし、念のために腹ごしらえをしておいた方がいいだろう。
こういう細かい所で士気を維持しておかないと肝心な所でポカるからなぁ。
特にこういうやる気のある子供達だと、いざガス欠になったその時までフルで動き回る事も多いだろうし、仮想空間って事で精神的にも肉体的にも疲れには気付きにくいハズだ。
ついさっきの睡眠だって、本当に寝たわけでは当然ない以上休めたといってもほぼ気休めだろう。
(楓、上手くやれるか?)
恩田さんの対人スキルと初穂の観察力を文字通り受け継いでいる楓なら、実際にどう対応するかはともかく、疲労などの兆候に気付けるハズだ。
事実、小さくウチの事務所の内偵時に使っている『警戒』のハンドサインをこっそり送ると、楓はすぐに『了承』のハンドサインを周りから不審に思われない自然な動作で行う。
よーしよしよし、問題ないな。
……やめなさい志保。犯罪者を見る目でこっちを見るんじゃありません。
お前さっきは俺の事ホームズだって言ってくれたじゃない。んもう。
「ま、そういうわけで俺達は現場見てくるから、皆はその間新聞も含めて情報収集を頼むよ」
「で、ここが現場か」
「正確には、そのうちの一つね」
ホワイト・チャペル地区。
多数の移民からなる貧困層が暮らしていたロンドン屈指の
(さすがにゲームだからそこまで再現されちゃいねぇが、当時は絡んでくる酔っ払い程度なら可愛い物で、売春婦がそこらにいたって話だっけか)
俺達が来たのはそこの目立つ教会の片隅。
所々壊れているレンガ造りの壁が目立つちょっとした広場だ。
「ま、さすがにいつものように血痕を始めとする証拠品がガッツリあるわけじゃないか」
「そうね……。江戸川君、どうするの?」
「あぁ……そうだなぁ。俺もここに来ようと思ったのはなんとなくだしな」
なにもしないよりはマシって感じか。
志保は呆れた顔をしているが、ぶっちゃけコナンの気持ちはすごく分かる。
気になるところはとにかく直接自分の目で確認する。
無駄足になる事だって珍しくないけど、そうすることで見落としを潰していくしかない。
ロジックを組み立てるには、いつだって証拠品が揃わなきゃどうしようもない。
さっきの俺の推理なんて本来は邪道だ。
失敗が許されない通常の探偵業では絶対にやらんな。
結果が出ても一回調査員集めて粗探しと詰めの会議だ。
(まぁ、今回は主人公補正のあるコナンが見たがる所だから絶対にヒントはあるんだろうし)
コナンが様子を見に来たという事はここは当たりの場所だ。
そしてゲームの世界ともなれば、装飾に無駄はあってもヒントに無駄は基本的にないと見るべき。
(推理物のアドベンチャーゲームのヒントといえば、NPCとの会話はもちろん不自然に開きっぱなしの本とか日記、ノート。こういう屋外の場合なら、やはり不自然な忘れ物とか……後は張り紙とか)
アドベンチャーゲームは基本的に解かれるようにしなければならない。
ノアズアークがいじっているとはいえ、見せたいものがある以上そこは変わらない。
約束された勝利フラグであるコナンが巻き込まれている以上それは絶対だ。
となれば、ヒントは必ず目につきやすい所にあるはず。
一度通り過ぎたら戻るのが難しい場所とかならなおさらだ。
ゲームの進行が有利になる程度のモノならばともかく、必須レベルの物ならば絶対に目につくはず。
……一個みっけ。
(これが普通のゲームだったらチカチカ光ったりしてあからさまに何かあるって分かるんだけどなぁ……)
そういう意味では、この世界は楽でこそあるが中途半端に気が抜けない。
これでゲームをデザインしたノアズアークが、クライマックスに気軽にポンポン爆発し始めるような頭森谷なAIだったらもうストレスマックス。
その場合は現実と言えなくもない世界に帰った時に改めてノアズアークをシバき回してしまうかもしれん。
「コナン、なんか張り紙あるぞ」
「張り紙?」
「ほら、そこのドアの所」
いかにも教会といった感じの重々しいドアの所に貼り付けられているなにかのお知らせっぽい貼り紙を指さすと、コナンが駆け寄る。
内容はえらくシンプルなものだった。
『10月も、第2土曜日に親子バザーを開催します』
……バザーってどんなものだっけ?
あれか、フリマみたいな奴か?
親子で作ったものを持ち寄りましょうって……。
こういうのを、愛というか感情っていうかそういう類のものが重くて買い手がどれだけいるんだ? とか考えてしまう自分はもうなんか……。
最近、実は自分は人間として手遅れ一歩手前の所にいるんじゃないかと思うようになってきたな。
「……第2土曜日」
「引っかかったか? コナン」
やっぱり当たりだったみたいだ。
ようやくコナンが探偵の顔に戻ってきた。
「浅見、ハニー・チャールストンが殺害されたのって――」
「2人目の犠牲者だったっけか。それなら確か9月8日。第2土曜日だな」
くそ、こういう時に携帯が使えれば便利なんだけどな。
念のために志保の方を見ると、彼女も頷いている。
「被害者のハニー・チャールストンがこのバザーに参加していたっていうことかしら?」
「いや、これ見る限り親子で参加ってなってるし……コナン、ホームズの家で見た資料ではどうなってた?」
思えば、外の事件の事は詳細を聞いていたけど中の事はここまでの流れ位しか聞いてなかった。
その流れの中で、今の所イベントになりそうなのって俺が暴れちゃったあのトランプクラブとホームズの家くらいだ。
まぁ、道中になんらかのフラグが転がってたんだろうけど、そこらは子供達から話聞いていきゃいいか。
大体こういうのって主人公は見落とすもんだしな。
「あぁ、子供はいたよ。息子が一人」
「……待て、それ何歳?」
「資料に書かれてはいなかったけど、十代半ばから二十代前半くらいだと思う。元々ウィンザーにいて結婚していた人だったけど、十年前に夫と息子を捨ててロンドンに来たって」
「なるほど? 捨てたって事は、その子は当然まだ自立できない年齢だった。……そうね、そうなるとそれくらいの年齢になるわ」
(…………おぉう)
ソイツだな、ジャック・ザ・リッパー。
今回の事件の最大の動機なんだろうDNAの解析プログラム。
なぜかわざわざ持ち込まれたご立派な凶器。
多分実際のジャック・ザ・リッパーが使った一品なんだろうなぁ。
うん、細部は違うかもしれんけど大筋は読めた。
(おおかた、『大企業の社長である自分がジャック・ザ・リッパーの血筋だなんてスキャンダルだ! その証拠を全部消さなきゃ身の破滅だ。そうだ、殺そう』みたいなノリだったんだろうなぁとは予測していたけど……)
ジャック・ザ・リッパーが自分の母親を殺していたとなると、つまりその凶器に残ってるのはジャック・ザ・リッパーに繋がる血液ということになる。
そこらがなんやかんやでヒロキ君に知られて、閉じ込めて自殺に追い込んだ感じか。
俺がヒロキ君の立場だったらネットにDNAの証拠と軟禁虐待の証拠をばら撒いてキャッキャザマァしてただろうなぁ。
……ああいや、ヒロキ君が自殺してしまった二年前がどの二年前なのかによるか。
(クソ、ほぼ二択と確信していてこのザマか……)
正直、さっさとケリ付けて早く紅子の所に駆け付けたい。
他の面子と違って、アイツは多分コナン寄りの人間じゃない。
イレギュラーというわけでもないのだろうけど、それでも一応は論理で話が進んでいくハズの江戸川コナンの物語にもっとも似付かわしくない。
死ぬ人間ではない。ロシアで見せた行動力もそう感じさせるが、なにより不思議な親近感を覚える女だ。
だが、その親近感がそのままアイツに対して不安を感じさせる要因にもなっている。
(万が一、紅子に何かあったらもう待ってる猶予も理由もない。仕掛ける)
外部から攻撃を受けているとかこっち側のノアズアークが言っていたが、それだって例の組織の連中が仕掛けている可能性がある。
というか、多分来ているんだろうな。今頃、越水傘下のプログラマーやセキュリティ部門の人たちが死ぬ気で頑張ってくれてる気がする。
連中、薬方向はもちろんプログラム関連にも妙にフラグ立ってたし、今回もあのクソロン毛がやらかしていても不思議じゃない。ロン毛引き抜くぞクソが。
(そん時は一気に組織を強襲、叩き潰すか……)
一か八か、一気に押さえて薬を手に入れて、『江戸川コナン』を『工藤新一』にすることで物語を終わらせる。
コナンを誘導してアイツの意思で立ち向かうような動きをさせれば『物語』の体裁は保てる……ハズ。
(ま、物語が終わったらどうなるか分からんけどさ)
仮に、ここで自分がこのゲームを無理やりクリアしたとしても、世界は続く。
だって、ここはコナンの解決する事件の一つでしかない。終わりは全く先の見えないどこかにある。
だけど、いつか外の世界で江戸川コナンの『役割』が終わった時。
果たして皆はどうなるんだろうか。
(……いかん、吐き気がしてきたし心なしか手も震えている気がする。酒、酒はどこだ)
いや、この世界にはないんだってば。
くそぅ、この世界は二十歳越えには厳しい……あれ? そういえば俺今実質何歳だっけ?
……考えるのが怖くなってきた。酒でも飲んで気持ちを落ち着けるか。
――だからないんだってば!!