目の前で、二人の怪物が戦っている。
一人は、かつての事件の際に成り行きで本来の自分の助手になった男。
もう一人は、この仮想のロンドンで再現された19世紀の怪人、ジャック・ザ・リッパー。
「こいつ……! なんで突然動きだけ枡山さんに似始めるんだこんの――!?」
黒いシルクハットにマントという、いかにも怪人然とした男の素早いナイフによる攻撃を、紙一重で躱し続けている。
先ほどまでは回避に徹していた浅見もヤバいと感じたのかあるいは違う理由からか、今は明確な反撃に移っている。
ナイフによる刺突を避けてお返しとばかりに、容赦なく顔目掛けて浅見が発砲する。
対して怪人も体を仰け反らせてそれを避け、浅見を蹴り飛ばそうとする。
避けて攻撃、避けて攻撃、避けて攻撃。
互いに必殺を狙う攻撃が、完全にお互いがお互いの動きを分かり切っているのか当たらない、どちらもがそのすべてを紙一重で躱していた。
「浅見!」
「お兄ちゃん! すぐに――」
「待て馬鹿止めろ! 変に加勢しようとすんな! 今ほんとギリなんだから!」
今の自分は装備が一切ない。
追跡眼鏡はただアンテナが付いて伸ばしたりできるだけの眼鏡だし、キック力増強シューズはダイヤルがついただけのただの靴。
腕時計型麻酔銃もただの変身グッズの玩具のようなものだ。
(クソッ! もし、ここにいるのが服部なら! 安室さんなら、沖矢さんなら、瑞紀さんなら!)
服部ならば剣道の腕で、そこらに落ちてるもので加勢できたかもしれない。
安室さんや沖矢さんなら、武器がなくても十分に荒事を突破できる。
瑞紀さんなら加勢とまではいかなくても、その場の状況で機転を利かせて援護くらいは出来るハズだ。
(ちくしょう、どうすりゃいいんだ!?)
『やはりお前は邪魔だ! あのお方の最大の障害! あのお方に並ぶ頭脳を持つ男!』
ジャック・ザ・リッパーの攻撃は更に激しくなる。
それを浅見はなんとか捌き切っているが……。
「くっそ! いつもと! 違うから! やりづらい! 生身なら! 一発刺させて! 動き抑えるのに!」
『ホームズ! ホームズ! ホォォォォムズゥゥゥゥゥ!!!』
「体はそうでも頭はちげぇってさっきから言ってんだろうがシバキまわすぞ貴様ぁっ!? 俺実質ワトソンなんだってば!!」
『黙れホームズゥゥゥッ!!』
「聞けよっ!!!」
相変わらず浅見は頭が悪い事を言っているが、実際いつものあいつならもうとっくに抑えている。
腕なりなんなりに相手が持つ刃物をわざと刺させて奪い取るのはアイツの十八番だ。
「おい眼鏡! どうするんだ!?」
諸星君が肩を掴んでくる。
その後ろには、母さん――いや、アイリーン・アドラーが心配そうな顔で見ている。
「……江戸川君、揺れちゃダメ」
何か使えるものや、打開できる切っ掛けがないか辺りを慌てて見回していると灰原がそっと、だが鋭く声をかけてきた。
「大丈夫。まだ余力を残した上で拮抗している以上、あの人は必ず活路を開くわ」
そういう灰原の目に迷いや不安は見えない。
その後ろで、他の子供達を守るかのように一歩前に出ている楓ちゃんもそうだ。
「だけどジャック・ザ・リッパーの身体能力は異常だ! あの浅見が一撃も当てられないなんてのは……!」
「いい経験よ、あの人普段から楽しようとしてすぐに自分の手足とか体を犠牲にしようとするんだから」
「楽しようとしたら犠牲になる体ってなんだよ!?」
そうこう言っている間にも、ナイフが空を斬る鋭い音が響き渡る。
間を縫って蹴り飛ばそうとしたり、あるいは凶器を持っている手を取って固めようと浅見が手を打つがそれらすべてが躱されたり、あるいは逆手に取られかかっている。
「……来る」
灰原が小さくつぶやく。
同時に、浅見がもう一度拳銃を抜き、発砲した。
狙いはジャック・ザ・リッパーの顔。
浅見の事務所にいるマリーさんや京極さんじゃなければ間違いなく額に穴が空いてるそれを、当然のように避けるジャック・ザ・リッパー。
だが、そのジャック・ザ・リッパーの鼻の先をかすめて行った弾丸は、その先にあったレンガ造りの壁、そのレンガの一か所に的確にあたり跳弾。
そしてあらぬ方向に飛ぶかと思った銃弾は、綺麗にジャック・ザ・リッパーの真上にぶら下がっていた看板の付け根を撃ち抜いた。
(……うっそ)
それなりに重さのある看板の落下は予想外だったのか、それまで確実に浅見の息の根を止めようと肉薄し続けたジャック・ザ・リッパーが、ここで初めて大きく後退した。
「なるほど」
そのジャック・ザ・リッパーに対してピッタリと銃口を向けている。
「だいたい分かってきた。ウチで使ってる訓練用のエネミーをはるかに超える身体能力設定と演算能力だけど、ゲーム用のだからかノアズアークのお手製だからか、モーションパターンに独自の癖があるな」
一回、外部モニターで訓練内容は見たことがある。
カゲや山猫、所員に世良や京極さんのデータを統合して作り出した敵性NPCを利用した非常時を想定した訓練。
そうか。ある意味で、これも浅見には慣れている環境なのか。
浅見は狙いを付けたまま動かない。
ジャック・ザ・リッパーもまたジッとしていたが、叫びながらこちらに向かってくる警官の気配が近づいてきた瞬間に跳躍して、向こう側へと走り去っていった。
「コナン君! よかった、間に合いましたか!」
「ぜぇ……ぜぇ……もう俺喉がカラカラだよ……」
「ぼ、僕も……」
警察官達と一緒に現れたのは光彦と元太、それに江守というやや肥満気味の少年だ。
そういえば楓ちゃんの後ろにいないと思ったら、警察官を呼びに行っていたのか。
いや、そういえば浅見がそう指示を飛ばしていたな。
「よしよし、皆よくやった。……というかありがとう。あのままだと睨み合うしかなかった」
「癖を読んだんじゃないのか?」
思わず問い掛けるが、浅見は拳銃をクルクル回して乱暴にベルトの隙間に差し込んで苦笑いをする。
「生身の人間相手なら押し込めたかもしれんが、相手は0と1の集合体だ。癖をなかったことにしたり変更したりすることは容易だ。あのまま睨み合ってたらまた不利になる事も十分にあった」
せめてナイフで何回刺されたらセーフとか、どこまでの怪我が怪我扱いなのか教えてくれたらな……とか呟く浅見は今日も絶好調に頭がおかしい。
「うし、皆追いかけるぞ。で、コナン」
「ん?」
「多分そろそろクライマックスだ。用意は出来てるか?」
クライマックス。
ここから先、ジャック・ザ・リッパーを追い詰める機会が来るということだろう。
浅見透という男の読みは信用できる。
なにせ、安室さんや沖矢――赤井さんにすら『時として彼は、預言者に近い何かになる』と言わせるほど常人離れした何らかの視点を持っている。
「あぁ、資料は全部目を通したし、実際の現場を見て分かったこともある。大丈夫だ」
「……多分」
「お前……ホントにどうした」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ホントにどうしちゃったのかしら新――コナンちゃん……。いつもならもっとハキハキしてるのに……!」
「……必要な事だったとは思っているが……不味いタイミングで言ってしまったようだな」
工藤有希子は息子の危機にヤキモキし、工藤優作は走り去っていくジャック・ザ・リッパーを仲間と共に追いかけている息子の映像を見ている。
「事件に集中できていないのだろう。浅見君に対して、最低限の備えをさせておくつもりでの話だったのだが……」
「だって怪しいヤツを怪しいから気を付けなさいって注意するのは当然じゃない!!」
よほど浅見透と相性が悪いのか、有希子はぷんすかしていた。
(なるほど、浅見君の人を見る目……いや、感じるセンスは確かな物というわけか)
いわば一種のアバターに過ぎないアイリーン・アドラーとしての妻の姿を見て、自分とは相性が悪い事を的確に当てて見せた男の評価を、優作は一段階上げていた。
というか、先ほどから優作の中で浅見透の評価はうなぎ登りだった。
(いや、そうか。演技を以て目立たなければならなかった有希子と、行動でそのまま目立ってしまう彼はある意味で文化が違うのか)
「だが、改めて確信したが……彼は私の予想をはるかに超えた探偵だ。話を聞いただけで全てを明らかにした時など、久々に鳥肌が立った」
本来ならば、楽しく仮想世界を楽しんでいる子供達を切り取った映像が流れるハズだったスクリーンには、ロンドンの街を駆け抜ける子供達が映っている。
その最後尾で、あらぬ奇襲を警戒しているのか周囲のチェックを欠かさずに走っている浅見透の姿も。
「あぁ、ノアズアーク……ヒロキ君が言う通り、彼はまさしくシャーロック・ホームズだ」
その姿を、優作は目を輝かせて見ていた。
もっと早く会うべきだったと。
彼と事件を介して出会ったという女性ミステリー作家が書いた、彼らを題材にした作品を優作は当然目を通していた。
直接会う前には知人のFBIや、多少なりとも関わった人間から話を聞いて、彼女の作品に書かれていた『彼ら』の描写は正確に近い物だと、そう考えていた。
が、そのすべてがこの一時間ほどで覆されていた。
これまでの事件解決に見える、財界やマスメディアを始めとする人脈を使った物量作戦。
それらを支える豊富な資金力。
トップが不在でも見事な働きを見せる彼の部下。
鳥羽初穂が指揮を取る前から個々に働き、結果として見せた組織的な働き。それを可能とする組織造りの才。
大量の人員を以て物量でのサポートを可能にする、パートナーに管理を任せている調査、管理を専門とする一種の人材バンク。
入手した情報だけで全てを把握し、真実を見抜く推理力。
今まさに目の当たりにした、仮想世界といえども――いや、仮想世界だからこそ人間離れした動きを見せる相手に対して子供達を守りながら余力を残して応戦出来る身体能力。
明らかにされた、作家として好奇心をくすぐるミステリアスな血統。
(まさか、創作以上に創作めいた怪人が実在するとは……。新一め、とんでもない男を助手にしてしまったな)
優作は、叶うならば今すぐここから浅見透に声を掛けたかった。
今こうして走っている間にも何を考えているのか。
初めて小説を書こうと思い立ち、ペンを手に取った頃に近い高揚感が脳を駆け巡っていた。
「今心配なのは樫村と、彼を救おうとしてくれた彼女の容態だ。目暮警部、病院から連絡はまだ?」
なおも抵抗を続けたため、京極真によって当身を食らわせられたトマス・シンドラーを念のために拘束し直すように命令を下した目暮は、優作に向かって悲痛そうに首を横に振る。
「樫村氏に関する報告はまだ上がっていない」
「では、例の小泉紅子という少女は?」
「あぁ、幸い紅子君の方は、少なくとも峠は越えたそうだ」
決して人前では脱がないシャッポに手を当てて、目暮は安堵のため息を吐いた。
その周りでは浅見探偵事務所の面々が、特に越水七槻と瀬戸瑞紀が心から安心して脱力しかけていた。
「なんとか浅見君にこの事を伝えて安心させたいのだが……。ノアズアークと交渉してみるべきか……」
「あぁ、いーよいーよ旦那。必要なし」
マイクを握りしめて、物は試しにとノアズアークにコンタクトを取ろうとした目暮を、浅見の腹心ともいえる鳥羽初穂が押しとどめる。
「下手にノアズアークに干渉して中にいるボス達に影響が出る可能性は無視できないし、なにより今の精神状態の方がボスには多分いいんじゃないかね」
「うん、僕もそう思います」
「い、今の精神状態?」
鳥羽の意見に賛同する越水七槻の横に、もはや警察関係者からも『ふなち』として認識されている中居芙奈子がブンブンと首を縦に振っていた。
「誰かが怪我する前に自分が怪我するのが大好きだからねぇ、ウチのボスは。だから先頭突っ走る癖付いちまってる。適当なタイミングで大怪我食らってこういうシチュを作ろうとしていたから、ちょうど良かったさね」
「うんうん、たまには傷ついた仲間の元に駆け付けたいヤキモキした気持ちを抱えてみればいいんだよ」
「……そ……そうかね。いや、それならいいんだが……」
「そーそー、いーのいーの。目暮の旦那はいつも通りデーンと構えていてくれ。こっちはいつも通りなんだから」
「……それより、安室とマリーの顔がいいペアはどうしたんだい。キャメル、調査に出てから二人を見たかい?」
「いえ、私もさっきから気になっているのですが……」
「……ちっ、他に厄介事が生えてきてんじゃないだろうね」
目暮の元に米花シティホール近辺で銃撃戦が起こっているという最近聞きなれた、聞きなれてはいけない報告が入って来たのはその三秒後だった。
同時開催:チャンスと見て侵入していた蜘蛛の入れ墨を入れた女vsスコーピオン戦、ファイ!
うーむ……さーて……メアリー周りが色々と動き始めたサンデー本誌……
あの人とは何者か。
それによっては大きく平成ワトソンの話と本家コナンとの間にズレが生じる場合があり、その修正のためにトンデモ話ぶっこむ可能性がありますが、どうかご了承ください
ルパン三世混ぜててホント良かった……!