平成のワトソンによる受難の記録   作:rikka

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074:浅見透? 向こうで美人さんにフルボッコにされてるよ

「……また無茶をやっているのね、貴方は」

 

 誰に聞かせるわけでもない、ただ口から零れただけの独り言が辺りの静寂の中に消えていく。

 園内にいくつかある展望台、あるいは展望台として使える見晴らしの良い飾り物のような施設。科学と宇宙の島の中にあるその一つへと、小泉紅子は足を運んでいた。

 

 片方の耳にはイヤホンを付けており、そのコードはポケットに入れた小型のポータブルテレビへと繋がっている。阿笠という博士曰く、肝心の映像が映らない失敗品だったらしいが、これはいつでも一般の情報を収集できる機材としては十分な性能なのではないだろうか。

 

 今や、どのチャンネルに切り替えても緊急特番だ。

 

 内容はどれも同じ、最小の国連加盟国、カリオストロ公国で行われていた国家規模の犯罪について――正確には、そこに乗り込み、兵隊相手に大立ち回りを演じたあの男について。

 

 

―― 現在、浅見探偵事務所には人がおらず詳しい状況は入ってきておりませんが――

 

 

―― 一体どのような理由でカリオストロ公国に向かったのでしょうか。設立時から浅見探偵事務所を追い続けているジャーナリストの――

 

 

―― 所長、浅見透を見出したという鈴木次郎吉氏も、他の主要メンバーと共にアメリカへ発っており、なんらかの関係性があると見られています。現在鈴木財閥には問い合わせが殺到して――

 

 

―― ただいま入った情報によりますと、アメリカへ入国した後の浅見探偵事務所所員の動きが詳しく掴めておらず、今回の件は予め計画されていたと――

 

 

 

 本当に、どこもかしこもすごい食いつきだ。

 まぁ、元々あの鈴木財閥相談役の隠し子、隠し孫疑惑のある色んな意味での『秘蔵っ子』だ。マスコミ関係はどこも注意を払っていたのだろう。

 

 ちょっと前まで、会長夫妻からも覚えがいい事と娘の鈴木園子が家を継ぐ気が薄い事を雑誌やテレビが面白がって『鈴木を継ぐ者』などと囃し立てていたか。

 本人はとても迷惑そうにしながら噂の芽を潰すために色々と裏で動いていたようだが。

 前に、彼の『厄』を払うために膝を貸した際、眠りに落ちる前まで色んな事を愚痴っていた時にその内容が含まれていた。

 

(難儀ね……。彼も、彼を取り巻く環境も)

 

 彼自身を観測することはあっても深入りは避けよう。それが当初の考えだったが――今更の話だ。

 

 いかにも子供が好きそうなサイエンスティックなデコレーションをされた通路を渡り、階段を登っていく。

 

 見晴らしの良い所から毛利蘭達を探す――訳ではない。

 

 正直、それに関しては小沼がもうやっている。

 

 彼が阿笠博士と共に作製した小型のカメラ搭載型無線操縦ラジコン……もっとも、試作段階のため安定性には欠けているので、監視カメラが設置されていない場所が映るように適当な高所まであげて乗せているだけだが……それを駆使して警備室にいる鳥羽の死角を塞いでいる。

 

 自分の目的は、ただ一つ。

 

 

 

 

 

「こんばんは」

 

 

 

 

 

 辿り着いた開けた高台。見晴らしの良いそこに、目的の人間はいた。

 

「おや、こんばんは。……せっかくの夜の遊園地だと言うのに一人かね?」

「えぇ。目当ては貴方だったもの」

 

 かつて、とてつもなく大きな会社を率いた人間だった。

 

「ほう、私かね?」

「えぇ」

 

 かつて、あの男と何度も言葉と杯を交わし――刃を交わした男だった。

 

「一応、私も自分の目で見ておきたかったのよ」

 

 その男は、自分と同じようにイヤホンをしている。自分の持っている小型のラジオもどきではなく、大きめのポータブルテレビを手すりの所にひっかけ、アンテナを伸ばしている。

 見ている内容は。今自分が耳にしている物とそう変わりはしないだろう。

 なぜか?

 

「あの理から外れた男に、とても強い影響を与える存在という男を」

 

 恐らくは、この世界で最もあの男に注目し、最も執着し、――あるいは工藤新一以上に、この世界で最も彼と関わりの深い男。

 

「初めまして、枡山憲三。初めまして、浅見透の――宿敵」

 

 恐らくは、その言葉が気に入ったのだろう。

 老人は、口元を歪め、魔女を見る。

 

「初めましてお嬢さん。君は――彼の部下、かね」

「いいえ」

 

 部下ではない。確かに彼の下で働く身ではあるが、部下と言うには自分は他の人間に比べて彼への忠誠心もその義務感も感じていない。

 ただ、似た視点を持っていただけだ。

 ただ、互いに『ナニカ』からずれてしまっているだけだ。

 ただ、知り合ってしまっただけだ。

 

 

 

 ただ――放っておけなかっただけだ。

 

 

 

「……友人……いえ、同好の士……かしらね」

「ほう? なるほどなるほど……」

 

 

 

 

 

 

 

「それは羨ましい限りだ」

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

「罪とは何か、君は考えた事があるかね?」

 

 遊園地の人気(ひとけ)のない場所で、老人と若い女が小型テレビを前に並ぶという異様な光景の中、老人が魔女に問いかける。

 

「……法を犯す事……というのは答えにはならないかしら?」

犯罪(crime)(sin)は違うというのが私の信条でね」

「なるほど……」

 

 魔女は、しばし指を咥えて考える。

 考えて、考えて……。

 

「人が(おこな)う行為全て、かしら」

「そうだ、私もそう思う」

 

 そうして出した答えは、どうやら老人の好みに合う物だったらしい

 

「命を奪う事が罪? 笑わせてくれる」

 

 老人は笑う。

 

「弱きものを傷つけるのが罪である? では善とは? 弱い者を救う? 年寄りを敬う? 強きを挫く? 笑止、笑止笑止。全ての行為は違う全ての行為と隣り合わせなのだよ」

 

 かつての戦いで見せた狂気とは違う笑みを、静かに老人は浮かべる。

 

「世間が言う善行も、悪行も、全ては社会という……いや、世界というキャンバスに塗りたくられる絵具の種類に過ぎん。銘の同じ絵の具に優劣や上下があるかね? 青が黄に勝ると? 赤が緑に劣ると? 黒が至高の色だと? そんなことはありえん。あっていいはずがない」

 

 火のついた煙草を咥え、軽く一服してから老人はその煙草を掌にそのまま乗せる。

 炎が、白い巻き紙と茶色い草をまずは黒へ、そして灰色へと焦がしていく。

 その様がまるで気に入らないとでも言うように鼻で笑った老人は、皮膚が焼ける事など気にも留めず握り潰す。

 

「あるのは、ただの嗜好だけだ」

 

 忌々しい。

 老人の表情はそう語っている。

 

「その嗜好の塊でしかない社会に貴方は意義を感じない?」

「まさか。私もそれなりに常識という偏見の塊を持っている」

「……面白いジョークだわ」

「気に入ってくれたかね?」

「お腹を抱えるほどじゃないわね」

「ふむ……残念だ」

 

 魔女は、浅見透からこの老人の恐ろしさを聞いていた。

 恐らく、老人との思い出や良い所――良かった所と言うべきか――を最も彼から伝え聞いているのは越水七槻と中井芙奈子だろうが、逆に彼が老人から味わわせられた恐怖を最も伝え聞いたのは、恐らく魔女だ。

 

「……貴方は、浅見透にどんな色を見たのかしら」

「ふむ、いい質問だ。実にいい。組織に君のような話の早い人間がいればどれほど良かった事か。そうだねぇ……」

 

 今度は老人が、口元の髭を撫でながら考え出す。

 

「――この世で最も淡く、儚い灰色」

「……驚いたわ」

 

 本当に意外だという風に、魔女が口を開く。

 

「私は、貴方こそが彼を『黒』だと認識する人間だと思っていたわ」

「それは違う。彼は間違いなく良識を持つ人間だ」

 

 テレビでは、これまでの浅見透の軌跡として、森谷帝二との対決を振り返っている。

 

「彼とは幾度も会食を重ねた。彼を知るために。彼を探るために。彼を超えるために」

 

 握った手を、ゆっくり開く。

 グチャグチャになった煙草と、一部が焼けて変色した手のひらが露わになる。

 

「彼は常に、見えない何かと戦っていた。それは確かだ。命を狙われているのかとまず考えた。事実、一度CIAが彼を狙撃しようとしていたのは知っていた」

 

 魔女が、目を剥く。

 そこまで直接的な脅威が、目の前の老人関連以外にあったことを知らなかった。

 

「だが違う。そうではない。彼の恐怖は違う所にあった。彼の関心は常に、彼自身の知識と人脈を増やす事にあった」

「……味方を増やそうとしたのでは?」

「いいや違う。そうではない。そうではなかったのだよ。今ならば分かる」

 

 老人は、焦げた手とは反対の、ギプスに包まれた手をさする。

 他でもない、あの男に砕かれた手だ。

 

「彼は、何かを取り落とす事を最も恐れている」

 

 いや違う、さすっているのではない。撫でているのではない。

 最も近い表現は――愛でている、だろうか。

 

「それは、あの家に住む者達のことではなくて?」

「越水七槻達かね? 確かに彼女達を失うなど、彼にとって考えられん事だろうが……それは恐れなどではない。決意という、敬意に値するものだ」

「……宿敵とは良く言ったものね」

 

 やはり、この老人は浅見透の理解者の一人なのだ。最高、という言葉には程遠いが。

 

「情報、そして人材――いや、しっくりこんな。優秀な人間を探している様子はなかった。だが……私には分からない『どこかの誰か達』を探していたように思える」

 

 君はどう思うかね? と、老人は魔女に目線で問いかける。

 魔女は、そうね……と、

 

「彼の敵は、人物や組織、国家のような分かりやすいものではないわ。もっと大局的で、曖昧で、しかし絶大な……いいえ、絶対的な何か」

 

 片や魔女、片や異端者。共にあるべき理から外れた存在――老人の言い回しに似せれば……パレットにあるべきではない色と言うべきか。

 

「そういう『何か』と関わりがある物を、ずっと彼は探しているのかもしれないわ。それが情報にせよ、人にせよ……」

「なるほど。どうやら君は、本当に彼に近しい人間のようだ」

「どうかしら。越水七槻達には到底及ばないわ。……それとも、私を殺すか誘拐して利用するのかしら?」

「まさか。彼の絶妙な『淡さ』を味気ない単色にするつもりはないさ」 

 

 老人は、始まったばかりの浅見探偵事務所の解決した事件の再現を、見ていられないと身を乗り出してチャンネルを変え始める。

 

「まぁ……全ては彼が帰って来てからの話だ。まずは、この祭りを楽しもうではないかね。ちょうど一人で観戦するには寂しいと思っていた所だ」

 

 一通りチャンネルを回し、もう見るべきものは見たと思ったのか、老人は伸縮式のアンテナを取り外し、違う何かを取りつけた。

 そしてモニターに映ったのは、音のないただの映像だった。どこかの監視カメラだ。

 

 

 

 

――江戸川コナンと毛利蘭、眼帯のようなスコープを付けた男、そしてアンドレ=キャメル。

 

 

 

 

――三組が操縦するボートによる、過激なチェイスが……一瞬だけ、映ったのだ。

 

 

 

 

 

 

「さぁ、見届けよう。麒麟児達ではなく、彼が集めた人間と犯罪者の戦いを」

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

「コナン君、やはりここは私が奴を――」

「駄目だよキャメルさん! いくらその服に防弾性があるっていっても、下手に近づけば頭を撃たれて終わりだ!!」

 

 蘭を追ってきた犯人とボートで逃走劇を繰り広げていた時、ボートに乗って助けに来てくれたのがキャメルさんだった。

 キャメルさんが相手のボートに体当たりをして時間を稼いでくれ、どうにか逃げる事は出来た。

 今はどうにか、逃げているが……それでも追跡されるのは多分時間の問題だろう。

 

(逮捕術や警護術に長けているキャメルさんでも、武器なしで拳銃に立ち向かうのは危険だ!)

 

 今武器といえるのは、腕時計型麻酔銃とキック力増強シューズの二つ。

 鳥羽さんがいれば、今あるモノで戦う手段をすぐに思いついてくれるかもしれないが、合流している時間は無い。

 いや、そもそも鳥羽さんは今警備室にいる。

 

「鳥羽さん、状況を!」

 

 キャメルさんが、小さなマイクに向かってそう叫ぶ。

 

『そう大きい声でがなりたてなさんな。やっと警備の連中も状況を把握したようだよ』

 

 同じように小さなスピーカー――俺達に聞こえるようにキャメルさんがしてくれたのだ――から、まったく焦った様子のない鳥羽さんの声がする。後ろからは、その真逆のドタバタと慌ただしい音がしている。

 

『すぐに目暮のダンナ達も駆けつけるさね。問題はそれまで、ボウヤ達も含めて誰ひとり怪我させずに逃げ切れるかって話さぁ』

「逃げ切れますかね?」

『どーかねぇ、あのお医者さん、意外と監視カメラを避けて通ってるみたいでね……。さすがにさっきの騒動では映っちまったけど、微妙に映りが悪いしねぇ』

 

 避けて通っている?

 

「キャメルさん、多分犯人は、明るいうちに調べ回ってたんだと思う」

「なるほど……」

『となると、逆に言えばカメラのない所を奴は選んで通っているねぇ。……ボウヤ、キャメル』

「何?」

「なんでしょう?」

『一度アイツを揺さぶれるかい?』

「……時間稼ぎ?」

『になりゃあいいけど……それよりも勢いを削いでおきたいのさ』

「勢い?」

『何事にもあるもんさ。そういうのがね。特に、自分以外の犠牲をいとわない奴の馬鹿さ加減って奴には』

 

 正直、苦手な人だ。なんというか、変な所で開き直る所や、あえて空気を読まない所とか。

 けど、こと犯罪者から見た視点、世界に関してはとても頼りになる発言や意見の多い人だ。

 こういう時には特に。

 

『ここさえ凌げば大丈夫、逃げ切れる。そういう考えで、かつ人を殺すのにこれ以上ない銃って武器もある。だからアイツは馬鹿みたいに大胆に動けんのさ』

「ここにいる三人全員を殺して立ち去ればいいって?」

『浅はかだよねぇ……。だけどそう、どんな手を使ってもね。だからここらで機先を制しておきたい』

「躊躇わせるの?」

『あるいは焦らせるか。それでミスをしちまってカメラにバッチシ映ってくれれば良し。ビビって銃をどこかに捨てるか隠してくれればなお良しなんだが……さすがにそこまで期待はできないか』

 

 やれやれ、面倒だねぇ。と、スピーカー越しに彼女が首を振っているのが目に浮かぶようだ。

 

『恩田と真純もすぐに到着する。オタクの嬢ちゃんやUFO博士には万が一を考えて、警備員と一緒にエリアの繋ぎ目を押さえさせてるよ』

 

 本当に、こういう手際の良さは浅見さんを思い出す。

 浅見さんが掘り出し物と喜ぶだけの人材というのは伊達じゃなかった。

 

『あぁ、もし他のエリアやどこかへ誘導したいのならアタシに伝えな、そっちの方が早い。警備や清掃のスタッフを利用して道を空けといてやるさ』

 

 どっちにせよ、まずは犯人をもう一度捕捉。そして出来る事ならば銃だけでも何とかして無力化したい。

 揺さぶるだけならば、アイツの使ったトリックをぶつけてやればいい。

 問題なのはその後だ。

 

 自分の靴や時計――いや、そうでなくとも逮捕術や近接戦の訓練を受けている事務所の面々ならば、凶器さえ無効化できれば後は何とかなる。

 何か、何か策はないか……っ!

 

 

「先生……」

 

 

 横では、先ほどから体調悪そうにしている蘭が頭を抱えて壁に寄りかかっている。

 

 

「…………先生?」

 

 

 

 

 

 


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