平成のワトソンによる受難の記録   作:rikka

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世紀末の魔術師編
087:紫煙の中で、蠍は笑う


 村を出て、新潟を出て。私はこの東京へとやってきた。

 私よりもずっと年下の、だけど妙な雰囲気を持つ男に手を引かれて――この事務所に。

 

「ふむ、元々雪の深い場所でのガイド等もやっていただけあって、基礎的な体力は結構高いですね。後は技能を磨けば一線で動けます」

 

 眼鏡をかけた細目の男――沖矢昴による研修が始まって一週間。

 尾行の基礎、ピッキングの基礎、協力的な警察官や弁護士、医師との顔合わせや緊急連絡の手順などを習っている。

 覚える事が多い。というよりは、体験することが多いというべきだろうか。

 自分にとってある程度馴染みのある射撃にしても、なぜか訓練として行われる狙撃のシミュレーションによってかなり変わってしまう。揺れる船上から、人質を盾にする犯人への精密狙撃、救出対象を護衛しながら逃げる味方への援護、逆に沖矢からの護衛対象に対する狙撃を阻止するカウンターなど、奇妙としか思えない訓練をずっとやっている。

 

「このコクーンってすごいですね。本当にゲーム機なんですか?」

「えぇ。ウチの所長や阿笠博士は、上手く使えば医療や研究などにも活かせるのではないかと色々と試行錯誤しているようですが」

 

 所長、浅見透。 

 自分からみてもかなり癖の強い人達をまとめ上げている、しかしこの事務所の男の中では最年少の存在である。

 

「まぁ、これ自体が一種のスーパーコンピューターのようなものですからね。その分、ゲーム機にしてはかなりのスペースを取ってしまいますが」

「でも、随分と訓練が物騒じゃありませんか? 狙撃とか護衛、降下訓練に山中の捜索、救助とか……警察の仕事に足を踏み入れている気がするのですが……」

 

 すごく当たり前だろう意見を口にする。

 すると、沖矢はやはり小さく笑って、

 

「えぇ、私も初めて入った時は驚きましたし、所長に引っ張られてきた恩田さんも、当初はかなり仕事内容に疑問を持っていたようです。今ではだいぶ慣れてきたようですが」

 

 所長よりも少し年上の――というかその所長の学校での先輩という男もそうだったのかと、正直驚く。

 浅見透同様、学生にしては――いや、社会人のそれと比べても、かなり堂々とした男だと思っていた。

 

 それを口にすると沖矢は、

 

「あぁ、それはほとんど演技ですよ。根っこの所は小心ですからね。瑞紀さん――失礼、瀬戸さんからの特訓や、ロンドンでの研修、それにここ最近の事件での経験のおかげで、それを外に出す事は少なくなりましたが……」

 

 とあっさり言う。

 それは実質かなり冷静な方なのではないかと思うが、沖矢からすると少々違うようだ。

 

「あの、ますます自分が現場に出れるとは思えないんですが……」

「そんなことありません」

 

 

 

「貴女を事務所員として迎え入れるように所長に進言したの……実は、私なんです」

 

 私がコクーンの本体から下りやすいように手を貸しながら、沖矢は続ける。

 

「貴女が見せてくれた射撃の腕は、かなりの物です。これから先、様々な凶悪犯罪を相手にするだろう我々にとって、なくてはならない存在だと思っています」

「犯罪って……だからそれは警察の――」

「えぇ、確かにその通り。我々は探偵。本来ならば、素行調査や浮気調査などが主なのですが……」

 

 

 

 

 

「どうします? その警察が、凶悪な犯罪の片棒を担いでいるとしたら」

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

「どうした透。少し疲れておるようじゃないか?」

 

 週に一度の次郎吉の爺さんの家での軽い食事会――というか飲み会。

 メイドさんに案内されて通された爺さんの私室で、俺の顔を見るなり爺さんはそう言った。

 

「そんなに顔に出てますか?」

「なに、貴様とは短いとはいえそれなりの付き合いをしておるのじゃ。見れば分かる」

「……マジでかぁ……」

 

 ……まぁ、無理もないか。

 あのクソロン毛に死ぬほど撃たれたんだ。

 念のために胸ポケットに、試作品の防弾フィルムと硬質ガラスを差しこんだ名刺入れ入れてて正解だった。

 おかげで死にかかるレベルでどうにか済んだ。

 

 そのすぐ後も、公安による長野県警の内定調査補助とか海外マフィアの密輸ルートの割り出し、山猫隊率いてのカチコミ。コクーンのデータ狙ってくる連中に対応するために、鈴木財閥と組んでサイバーセキュリティの一新、及び関連会社の設立用意と……。

 最近ではFBIも来てないから大丈夫だと思うが、万が一にも志保の存在がバレないように、ダミー用に病院や製薬会社等の取り込みも同時進行でやっていて……ヤバい、講義の最中も眠りかかってたし……。

 

 昨日今日は七槻の勧めでしっかり休んでいるのである程度は疲れが取れたと思うが……。

 

「まぁ、無理もないわ。儂もここ最近は主や遼平に無茶をさせすぎた」

「ロシアとの交渉……ですね。報告には目を通しました」

 

 とりあえず席に着くと、蕎麦や天ぷら、茶碗蒸しが運ばれてくる。当然酒も。

 今日は日本酒か。いいね、ちょうどそういう気分だった。

 やっぱり次郎吉の爺さんは自分の好みや癖を分かってくれている。

 

「うむ。ロシアは経済難じゃからのう。それに、先日の大統領の交代劇もある」

 

 俺が次郎吉の爺さんの盃に徳利の中身を注ぐと、今度は爺さんが俺のに注ぐ。

 

「新しい大統領は、元々は市の国際関係担当顧問を務めておった男でのぅ。その頃は、史郎や朋子君が色々と関わっておったそうじゃ」

「らしいですね。なんでも外資の引き入れをしていたとか」

「七槻の方には打診が来ておるのではないか?」

「……えぇ、まぁ。どちらかというとアメリカへの対抗心でしょうけど……」

 

 俺もうかつだったけど、アメリカでの活動も視野に入れているという発言をしたおかげで色々と余計な物を呼び込んでしまった。

 

 FBIやらCIAといったアメリカの組織があのクソロン毛のいる組織に絡んでいるから、そちらの方での活動も視野に入れていたのだが、それを迂闊に口にしたのは失敗だった。

 思った以上にウチの注目度は海の向こうでもそれなりにあるらしい。

 

「なかばアイドルのような扱いだからのう。遼平の奴がイギリスで名を売ったのも後押ししていようて」

「ですね……あの、鈴木財閥の方には何か動きは……」

「ロシアがか? 今の所はエッグに関することだけじゃ」

 

 エッグ? なんでここで?

 

「青蘭さんと夏美さんが注目しているアレ……ですよね?」

「うむ。ロシアの方が『元々自分達の物なのだから返還しろ』と迫ってきておってな」

「……あぁ、そういえば。セルゲイさんがそんな事言ってたなぁ」

 

 やけにゴツい、なんというかイメージするロシアまんまっていう感じの大使館の人間を思い出す。

 いや、すごくいい人なんだけどね。うん。

 個人的にはすごい好きな人だけど、外見に反して交渉事には弱そうな印象を受ける。

 

「まぁ、夏に鈴木近代美術館で行うロマノフ王朝展の目玉じゃからの。それが終わるまで交渉は待ってもらうということでとりあえず手を打った」

「……じい――次郎吉さん」

 

 思わず素が出そうになる。

 いやだってそれって――

 

「結構エゲつない策に出ましたね。欲しがっている人間に潰しあいをさせるつもりですか?」

「ほう、やはり分かるか」

「そりゃあ――」

 

 爺さんはニヤリと笑っているが、そりゃあ分かるって。

 俺も同じ策を思いつくけどさ。

 

「ちなみに、この策を提案したのはお主の所の沖矢じゃぞ?」

 

 なんつーおっそろしい助言をしてくれてんですかFBI。

 

「今の時点で、いくら出すって言ってきてます?」

「乾とかいう美術商が5億積むといって来ておるが……まだまだ様子見と言った所じゃ」

「……となると、8億から10億が相場と見るべきか……となると実際の取引でさらに1,2億」

 

 まだ正当な取引だからいいが、これが下手にオークションとかに流そうものならば交渉の前も後も血まみれになるのは間違いない。

 

「調整役として恩田、初穂ペアをこっそりと回しておきます」

「心配性じゃのう。精々、ちょっとした小金の弾丸が飛び交うくらいじゃろうに」

 

 その程度で済むんなら俺は撥ねられたり刺されたり斬られたり撃たれたりぶち抜かれたりしていないと思うのですがそれは。

 

 というかそうだよ、一番大事な事が抜けているじゃねぇか。

 

「あの、スコーピオンに関してはどうするつもりですか?」

 

 アンタは思いっきり殺されそうになっただろうが。

 というか、今思うとコイツのせいで俺は堂々と探偵事務所を背負う事になってしまったわけだが……。

 

 そうか。よくよく考えると、時間関連以外の今の俺が抱える理不尽は全部あの蠍のせいなわけか。ぶっころ。

 

「うむ、それじゃよ」

 

 いつの間にか蕎麦を啜り終わり、蕎麦湯が入った湯呑に口を付けて爺さんは。

 

「これまで、奴が再び犯行に及びやすいように餌をばら撒いておいたのだが一向にかかる気配がない。出来る事ならば事前に犯行に及んでもらって、さっさととっ捕まえたかったのじゃが」

 

 なにやってんですか。なにやってんですか。

 

「恐らくは、お主を警戒しておるのか……あるいは、奴も気付いておるのか」

「……あの図面、ですか」

 

 去年だか一昨年だかに、俺が四国に行っている間に瑞紀ちゃんとコナンが見つけたっていうエッグの図面。

 その図面の不自然な所から、エッグは実は二つあるのではないかという推理をしていたのを思い出す。

 

「……もう一つのエッグの存在を知ったから、手を出さない?」

「おそらくじゃが、あの図面に描かれたエッグは対になっておるのじゃと思う」

「それが揃うのを待っている?」

「うむ。あるいは……もう一つ」

「もう一つ?」

 

 

 

 

「待っておるのかもしれん。――自身の計画を邪魔した……お主を」

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

「で、貴方の因縁の相手はロシアを通り抜けてヨーロッパの方に?」

「あぁ」

 

 ようやく癒えた傷だらけの体をベッドから起こし、名を捨てた男は煙草を咥える。

 アイリッシュのコードネームを未だに持つ男、そしてそれに劣らぬ実力を持つ大勢の部下達を相手にした死闘。

 

 そしてその後も、老人を日本に戻そうとする動きを牽制するために、男は闇の中で銃を抜き、硝煙の香りの中でナイフを振りまわし続けていた。

 それにもようやく一段落つき、本当の意味で動く時が来た。

 

「恐らく、日本に戻るために用意を整えているのだろう」

「お金?」

「それと人員だな」

 

 鋭い目つきの女は素早くその煙草を取り上げ、自分で咥えて火を付ける。

 男は、ゆっくりとため息を吐いて、サイドテーブルに置かれていたコーヒーの入ったグラスを傾ける。

 

「浅見透は、武を手にした。生半可な組織ではもはや太刀打ちできまい」

「そうね。この間も、私が密輸に使っていた中華系のルートが潰されていたわ。……彼ね」

「奴の動きは?」

 

 男の問いかけに、女は僅かに眉をひそめる。

 

「一時期、行方を完全にくらませていた時期があるわ」

「いつだ」

「5月の始め。緊急の出張という事だけど、妙にプロテクトが固くて行方が掴めなかったわ」

「……5月の始め」

 

 男が思いだすのは、老人の動きを探るついでに調べた『元の居場所』の動き。

 その時期、都内にいる幹部のほぼ全てを使った動きがあった。

 

 動き自体は小規模だったが、その戦闘は激しかったようだ。

 分かっているだけでもジンが負傷、ウォッカも軽いとはいえ銃撃を受け、末端の通信網になんらかの被害を受けたようだ。

 相手は不明だが、確かに射殺した……らしい。

 

(まさか、奴か?)

 

 あり得る。いや、奴だ。

 男は確信していた。

 あるいは、願望なのかもしれない。

 そうだ、それくらいしてもらわなければ――それくらいの男でなければ困る。

 

「どうしたの?」

「ん?」

「貴方――嬉しそう」

「……おい」

「なに?」

 

 

 

「お前も――笑っているぞ」

 

 

「――ふふっ」

 

 

 

 


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