「マジかよ歩美!」
「本当にキッドと会ったんですか!?」
8月。小学生にとっては最高の時間の真っただ中。学校のプールからの帰り道、少年探偵団の元祖四人組――からコナンを抜いた三人組は歩美が出くわした昨夜の出来事に夢中だった。
「いいなぁ。僕も一度会ってみたいです。平成の大怪盗に!」
光彦がどこかウットリとした声でそう言っているのを、江戸川コナンはジト目で睨みつけていた。
「さすがは怪盗キッド、すごい人気っぷりね」
「けっ」
その様子を面白そうに笑う灰原、対して楓は首をかしげて
「? コナン君、キッド嫌いなの?」
「そりゃあ……俺、探偵だからさ」
「でも、ウチのおにーちゃん、キッドの事大好きだよ?」
今度は反対の方に首をかしげる楓の言葉に、コナンは今度こそ頭を抱える。
「あの人は……」
「ちなみに、キッドの記事はいつもスクラップしてるわよ? 彼」
「何してんだあの人……」
灰原――宮野志保は、自分のボディガードも兼ねている同居人が新聞紙にハサミを入れている姿を思い出して小さく笑う。
「いいじゃない。彼、言ってたわよ。キッドの事件の時は安心できるって」
「あぁ、まぁ……俺もあの人が下手に事件に関わるよりかは安心できるけどよぉ」
ここ最近、あの人は事件に関わる度に怪我を負っている。
悲しい理由で犯罪という手段に走ろうとした人を……あるいは自ら命を絶とうとしている人間を文字通り身体を、命を――魂を張って止めてきた。
それはいい――いや、良くはないが、すごい事だと思う。
おかげで踏みとどまった人間が、少しずつ浅見透の力になっていくのも含めて。
ただ、全身燃えている状況で笑って『あ、誰か消火器持ってきてくれます?』とか。
刺されて血がドバドバ出ている中で、その刺してる人間を抱きしめたりとか。
誘拐犯の車に引き摺られながらしがみついたりとか。
そういう所をやめてもらえると非常に助かる。
「おかげで浅見さん、最近現場に着いた途端にまず拘束される所から始まってんだぜ?」
「えぇ、何度か見たわ。佐藤刑事や他の婦警に良く捕まっているわね」
「ったく、あの人は本当に……」
少し前に空港で「無茶はしないように」とか「逃げるという事を覚えなさい」とかなにもしていないうちから佐藤刑事に叱られていた助手の姿を思い出して、コナンは深いため息を吐く。
「それで?」
「あん?」
「大活躍している怪盗紳士に対して、隠遁している名探偵はどうするのかしら?」
「どうするって――決まってんだろ」
ネットに入れて手に持ったままのサッカーボールをリフティングしながら、平成のシャーロック=ホームズ――工藤新一は宣言する。
「今度こそ、奴を監獄に入れてやるさ……っ!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
この1,2カ月は本当に色々と忙しかった。――正確には、相も変わらず、というべきか。
主に海外からの依頼だ。蓋を開けたらちょっとヤバかったみたいな、情報が絶妙な具合に隠されてる奴だ。
くそっ、アメリカ側のクソみてぇな工作の跡が出るわ出るわ!
CIAめ、俺のささやかな反撃にさらに反撃しやがったなクソが! ウチのセキュリティのノアちゃんなめんなよこの野郎! ばっちし証拠も掴んどるわ!
おのれ上等だ、さらにもう一発反撃かましたるわ。
人様の国にこっそり土足で上がり込んでるんだ、もうちょい大人しくしやがれってんだクソが!
ちょうどそっちの国とのデカい貿易関連での揉め事いくつかあったからちょっとボヤ起こしてやるクソ共が。殴られたら殴り返すのが俺の流儀だ。
『所長、大丈夫ですか?』
「あぁ、ごめん恩田さん。そっちはどう?」
おっと、電話中に気を取られ過ぎた。
腕にちょっと力を込め、携帯を耳に押し付ける。
『スイスの件は片が付きました。目標のテログループを捕捉、安室さんと遠野さんが軍を援護して無事にこれを鎮圧。首相から感謝の言葉をいただいています』
「やっぱりヨーロッパは色々と変な事になっているな。フランスの方でも沖矢さんが一つ片付けた」
『爆発物やその他諸々、今までにない新しい裏の流通路が開拓されたようです――最近の日本のように』
「……あの爺さん、ホントやってくれるな」
日本からあの人が飛び出したおかげで日本の内側はどうにか拮抗状態が続いているが、その一方で国外――ヨーロッパが地味にヒデェことになってる。
少なくとも、枡山の爺さんが外に出たのを捕捉された件に関して俺はまったく関わっていない。
つまり、これは元々あるべき本来の流れに近いんだろう。
これを多分ほぼ個人で相手をするんだろうコナンどんだけだよ。
「枡山さんの足跡は?」
『スイスに入った所までは確かに捕捉していたのですが、その後が掴めません。安室さんが現在調査中、遠野さんが補佐に入っております』
「……とりあえず、スイスの方を頼む。連中の張った根を踏みつぶしてくれ」
『了解しました。といっても、あくまで向こうの警察や軍の主導。我々の役目はそれほど残っていないでしょうが』
「……日本との軍に関する自由度の差か。まぁいい、頼む。こっちはそろそろ日本に戻る」
『えぇ、所長はここ数カ月結果的にほぼ休みなしだったんです。ゆっくり休んでください』
「日本に戻っても、休めるかどうかは疑問だけどね」
そういうと、恩田さんも実の所同じようなことを考えていたのだろう。苦笑する声が僅かに聞こえる。
互いに健闘を祈る言葉で電話を切り、イスに腰をかける。
今、自分がいるのは日本ではない。
諸々の理由で、俺はアメリカ――というかグアムへと来ていた。
「今の、恩田先輩ですか?」
隣に立っているのは、今回の俺の同行者の一人――後輩の内田麻美がコーヒーを出してくれた。
今回の仕事は、彼女の取材も兼ねていた。
彼女にも、先月からはバイト扱いでウチの事務仕事を頼む事にしたし、実際に仕事を見てもらうのも悪くないだろう。
「あぁ、向こうの方も片付いたみたいだね」
「本当に、探偵の仕事とは思えませんね。先輩達のお仕事」
「小説のネタにはならないか?」
「書きたい事が増え過ぎて困っています」
自分のカップにもポットからコーヒーを注ぎながら、この美人の後輩は微笑みながら、
「文芸部の先輩達から随分と羨ましがられたんですよ? あの浅見透の仕事に……それも海外での仕事に付いていけるなんてって」
「取材の件を承諾した時はそんなつもりはなかったんだけどね。安室さんからこっちの仕事が適当だろうって」
「多分、半分休暇をいただいていたのではないですか?」
「あぁ、そのつもりだったんだろうけどね」
結果としてはそうはならなかった。
当初の依頼はただの人探しだったのだが、それが大規模人身売買組織による犯行と判明。
結局フル装備の山猫隊と、彼らを追っていた地元警察による突発的な共同救出作戦を開始。無事叩き潰してきた所だ。
で、ついでにFBIらしき人間が俺ら尾行してましたけどお前ら働け。
や、阿笠・小沼のW博士が作った装備のテストにもなったし別にいいけどさ。
「所長、失礼いたします」
扉がノックされて、女性の声がする。
先日まで長門家で秘書をやっていた女性――日向幸。
「あぁ、幸さんおはよう」
「おはようございます、幸さん」
今では、色々あって俺の秘書を務める事になった。
当初は、どうして死なせてくれないのかと逆に俺を殺しそうな目で俺を見ていたが、その後の裁判の諸々での妃弁護士が弁を振るってくれたおかげで情状がつき、なんとか執行猶予が付いた。
そのまま長門家に戻る道もあったと言えばあったのだが、長門会長からの頼みもあってウチで預かる事になった。
「先日の戦闘における装備の有用性についてのレポートが山猫隊各位よりそれぞれ上がっております」
「アメリカサイドの動きは?」
「鈴木財閥経由で、所長直属の方からの分析報告が入っております」
メアリーだ。護衛に潜入に推理、分析と……本当に頼りになる。
「どうやら、近年活発となっている州格上げ運動から派生した、グアム独立派の犯行だったようです。唯一と言っていい過激派だったらしいですね」
「…………知らなかったのか、あるいは情報を隠していたのか」
こういう政治絡みの事件がさらっと混じるのがウチだ。
だから秘書にも事務にも、信頼のおける人間が必要なんだよなぁ。
ふなちやメアリーが言うとおり、必要な人材の基礎レベルが高すぎる。
やっぱり、基本は少数精鋭で固めるしかないか。
「真純は?」
「私が起きた時には、まだ真純さんはぐっすり寝てたけど……」
もう一人の同行者である真純――実は麻美ちゃんの取材対象、最初は紅子か真純だったんだよな。女子高生探偵っていう響きに惹かれたんだそうだ。
「さきほど起床され、今は着替えてらっしゃるかと」
「ん、OK」
じゃあ、そろそろ朝飯食いに行くか。
そろそろ朝飯の時間終わるし、ちょうどお腹も空いて来た。
荷物のまとめはちょうど終わったし――
「まぁ、飯食ってちょっと街中回ったら空港に向かおうか」
「かしこまりました。車の手配をしておきます」
いやぁ、ホント幸さんは仕事の出来る人だわ。
沖矢さんから秘書にしてはどうか? って提案された時は悩んだけど、おかげでかなり管理が楽になった。
沖矢さん曰く、『君に対して複雑な物があるとはいえ、まず間違いなく君の味方になるだろう』とか言ってたけど……信じて良かった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「紅子様、昼食をお持ちいたしましたわ」
「えぇ、ありがとう穂奈美さん」
人が少なくなった浅見探偵事務所。
もっとも、今日の夜には沖矢がフランスから帰国。
明日は所長の浅見が、世良や秘書の日向と共に帰ってくるだろう。
安室と恩田、新人の遠野は――まだちょっと分からない。
建物自体を所有するようになって、屋上にランチスペースを作ったのは所長だ。
なんとなく、そういう物に憧れていたらしい。
ここまでわざわざ食事を運んできてくれたメイドの同僚に礼を言うと、彼女は微笑んで一礼して下がる。
これから仕事なのだろう。
確か、今日はテレビの仕事が入っていると言っていた。
アンドレ=キャメルが送迎と護衛を行うとかなんとか。
「――下手に家に籠っているより快適な職場ね、ここは」
そういうと、どこからか風を切る音がする。
連絡員も兼ねている紅子にとって、聞き慣れた音だ。
「どう、彼の方は?」
「相も変わらず奇妙な事件に巻き込まれているようだ」
「事件として? それとも、また政治絡みかしら?」
いったいどこに隠れていたのかいつの間にか自分の後ろに立っている少女の姿に、思わず苦笑を浮かべる。
「別に、私に護衛は必要ないわよ?」
「あの男からお前を守れと言われている。それに、私としてもお前は興味深い女だ」
どこか淡々とした喋り方をする少女――メアリー。
あの馬鹿が妙に頼りにする女。
「あら、貴女の興味を引く程私は特別じゃないわ」
「特別だ。あの男が、深い所まで心を許す女はおそらくお前だけだ」
メアリーは、自分が座っている席の対面に座る。
(……あの灰原っていう子に近いわね)
見た目と内面に差を感じる。
所々で年齢通りでないという人間ならば多くいる。
例えば、浅見透。例えば、江戸川コナン。例えば、灰原哀。
ただ、メアリーという少女はかなりそれと比べても毛色が違う。
「――曖昧な秘密を共有するだけよ。それを言うならば越水七槻と中居芙奈子のほうでしょう」
「その曖昧な秘密を、あの二人は知らないようだが?」
どこか面白そうにそう言う少女。
「……大切だから。誰よりも大切だから話せない事もある。そういう事だってあるでしょう?」
それが、どうにも癪に障った。
まるで、自分と一緒にあの男までもを試しているような顔が。
「……大切な事を共有していない者同士が、パートナー足り得ると?」
そういう少女の表情は変わらない。
だが、口調は変わった。
「逆に聞くけど、全てを知っていなければパートナーと言えないの?」
「…………」
その問いに、少女は答えない。
表情を変えたまま、少女は答えない。あるいは――答えられないのか。
「ねぇ、ひょっとして貴女――」
ふと、一つの考えが思い浮かんだ。
「大切な誰かを追いかけているのかしら。……大切な誰かが残した――教えてくれなかった何かを」
少女の拳が、握り締められた。